【完結】限界まで機動力を高めた結果、敵味方から恐れられている……何で? 作:オタリオン
仮想現実世界から、現実へと帰る時。
私の心には黒い靄のようなものが掛る。
どす黒い感情ではない、誰かを恨んだり憎んだりとか……そういうものじゃない。
黒いだけの靄だ。
心から出る言葉をせき止めるだけの靄で。
私は現実で、自分というものを出せていない。
ゆっくりと瞼を開ける。
情報電子変換装置から手を放して周りを見た。
棚にはトロフィーや額に入れられた賞状が飾られている。
埃一つなく、私が仮想世界へ行く時に見た状態と同じで。
定期的に来る清掃用のロボットが掃除してくれているのだと分かった。
賞状やトロフィーの他には木で出来た箪笥があるだけだ。
それ以外には何も無く、私という人間を表すものは無い……いや、一つだけある。
ゆっくりと情報電子変換装置が置かれた机の上を見る。
そこには一つの写真立てが置かれていた。
映っているのは赤子であった自分を抱いている父親と微笑んでいる母親。
ぎこちない笑みを浮かべながら私を見つめる父は、人間らしい顔をしている。
母が生きていた頃の父なんて憶えていない。
物心がついた頃には母は死んでいて、微かに覚えている記憶では……母は血の海に倒れていた。
一歳になる時の誕生日の日。
父は仕事が忙しく、母は私を遊園地に連れて行った。
楽しかった。灰の降る世界であっても幸せは確かにあった。
ドームの外へと出れば一分も経たずに死ぬ世界であっても、現実で生きる人間は逞しかった。
観覧車に乗り、ジェットコースターに乗り。
コーヒーカップに乗り、アイスを一緒に食べて――絶望が訪れた。
銃声が響き渡り、大勢の人間の悲鳴が聞こえた。
乾いた銃声に驚き、全員が音のした方向を見た。
そこにはぼさぼさの白髪交じりの髪に、視線の定まらない目をした男が立っていた。
その手には旧時代のライフルを握っていて。
周りの人間は真っ赤な血の海で横たわっていた。
当時は何も分からなかった。
武器の事も、人間の持つ恐ろしさも。
私はただ男を見つめていて、全てが敵に見えている男にとって私の眼は煩わしさしか感じなかったのだろう。
銃口が向いて、私の視界に何かが覆いかぶさって――銃声が響いた。
耳に聞こえるのは人々の悲鳴と、男の言葉に満たない罵声で。
体を強く優しく包み込んでくれた温もりは、ゆっくりと力を失くしていった。
ずるずると視界を覆った何かが地面に倒れた。
ゆっくりと視線を下へと向ければ、そこには微笑む母親がいて。
背中に空いた穴から赤い血を流しながら、あの人は私の頬に手を当てた。
声も朧気で、顔も写真を見なければ思い出せなかっただろう。
しかし、あの時に頬に触れた手の温かさは覚えている。
あの人は自分が死ぬと分かっていて、最期まで私に笑みを向けていた。
何度も何度も大丈夫だと言い聞かせて、その手はゆっくりと血の海に沈んだ。
私は、何度も母さんの体を揺すった。
瞳から光を消して、笑ったまま死んだ母。
死という概念を知らない私は、母の名前を呼び続けた。
絶対に返事は来ないと知っていても、遅れてやって来た警官が男を取り押さえていても。
私は何度も何度も死んだ母の名前を呼んで…父さんは、私を恨んでいる。
母が死んだ日から、父さんは変わった。
優しかったであろうあの人は、私との関りを絶った。
スパルタと表現できるほどに、私に対してあらゆる教育を施した。
機械の知識、武器の知識、護身術に強化外装の操縦訓練。
家の教え以外の知識も教えられて、私は結果を出し続けた。
あらゆる大会にて優秀な成績を収めて。
学校も飛び級で卒業して、博士号も取っている。
たったの十二歳で学問を修めて、それでも父は私と関わろうとしなかった。
誕生日の日に家族で集まって食事は取っても、そこには何の会話も無い。
ただ黙々と豪勢な料理を食べて、全員が自分たちの仕事に戻っていく。
実の兄弟である雄二兄さんは、あの人は私を恨んでなんかいないと言っていた。
今でも大切に思っていて、何も言わないのは私の邪魔をしない為だと言っていたけど……それはあり得ない。
私はあの人が世界で一番愛していた人を殺した。
直接殺していなくとも、あの時に逃げていればあの人は死なずに済んだ。
母を殺したのは――私だ。
「……ごめん」
写真の中で微笑む母に謝る。
そうして、私は自室を後にした。
扉が横にスライドして開き、外へと出る。
広い実家の中を歩きながら、外の景色を見た。
強化ガラスのその先には、ネオンの光が激しく光る世界が広がっていた。
分厚い雲に閉ざされた空。
真っ暗な闇の中で、人工の光が灯る小さな世界。
一歩でも外へと出れば、死が訪れる残酷な世界が広がっている。
人々は汚染された世界を恐れて、この箱庭に閉じこもっていた。
かつて燦燦と輝く太陽の下で、草原を駆けた人類はもう存在しない。
暗闇の中で下品な色を放つ光。
それに群がる蛾のように、人間は生きていた。
私はそんな世界が嫌で、仮想現実へと行った。
誰もがこの世界に嫌気がさして、キラキラと輝くあの世界に想いを馳せる。
「……そりゃそうだ。こんな世界を見たら、誰だって……」
足を止める。
そうして、窓へと近づいて手を置いた。
ひんやりと冷たい窓に触れながら。
私は小さく息を吐いた。
「あれ? 帰ってたのか!」
「……雄二兄さん!」
聞きなれた声が聞こえた。
横へと目を向ければ、丸めた紙を持つ兄が立っている。
逆立った髪の毛に、たれ目がちな目。
スラっと長い体に、丸眼鏡を掛けた雄二兄さん。
こう見えても、父の会社ではナンバー2の実力者だった。
優しい雄二兄さんは片手を上げながら私の前に立つ。
私は久しぶりのように感じる兄さんの顔を見て、少しだけ涙腺が緩みそうになった。
「もしかして泣きそうなの? 仮想現実世界は現実よりも長い時間がいれらるけど、アレ、実は体感時間が緩やかになっているだけで現実との時間に差はないからねー。だからそんなに時間は……あぁ、でも、けっこう長い間行ってたみたいだねぇ。好きな人でも出来たかな? ははは」
「……兄さんは変わらねぇな」
「え? そうかなぁ。これでも結構苦労したよー。父さんは完璧主義者だからねぇ。中途半端な仕事をしたら後が怖いしー」
「……親父は元気みたいだね」
「うん、元気だよー。顔を見せてあげたら? 喜ぶよー」
「……そんな事を言うのは兄さんだけだよ……それよりも、お願いがあるんだけどさ」
「……うーん、本当に喜ぶと思うけど……あぁ、ごめんごめん。それで、何かな?」
私は雄二兄さんに大蔵研究所に関する写真や資料がないか尋ねた。
大昔のものだから残っているものは少ないかもしれない。
しかし、爺さんが憶えていたのだから何か記録が残っている筈だ。
私は会社について詳しい兄さんを頼って聞いてみた。
すると、兄さんは顎に手を当てて考えていた。
大蔵研究所と聞いてすぐにピンときた様子だ。
何を考えているのかと思っていればぶつぶつと独り言を言っていた。
「……大蔵研究所……あれかな……いや、でも……古いアルバムにあったかなぁ……」
「おい、兄さん……チッ、ダメだ。見えてない」
兄さんはぶつぶつと言いながら歩き出す。
恐らくは、大蔵研究所というワードを聞いて何かを考え始めたのだろう。
資料などが置かれている場所に向けて歩き出していて、私は慌てて兄さんを追いかけた。
マサムネもそうだが、その研究所が何だというのか。
百年以上も前の研究所の名前を知っていたのは驚いた。
しかし、それよりもその研究所を詳しく知りたいという頼みに驚いた。
もう影も形も無いそんなものを知って何になるのか。
「……お前に関りがあるのか……隠しているのなら、話してくれよ」
私に対して隠し事をするマサムネ。
許せないという訳じゃない。
ただ、私を完全に信用していない事実が悲しかった。
アイツは優しいさ。
優しいからこそ、危ない事に私を巻き込みたくないのも分かる。
でも、そんなことも一緒に乗り越えてこそバディーじゃないのか?
まだ、私たちは本物のバディーになれていないのかもしれない。
お互いに信頼し合って背中を預け合える関係……なれるといいな。
魔神を倒しても、アイツはまだまだ頼りない。
どこか抜けていて、嘘だって下手だ。
私は相棒としてアイツと一緒にいたい。
アイツが出来ないことを私がする。
何処までも自由に、何処までも幸せに生きられるように――私はアイツを支えたい。
あの日、マサムネは孤独から私を助けてくれた。
これからは私がアイツを助ける番だ。
メカニックとして、一人の女として。
与えられた時間を共に過ごす為に、私は歩みを進める。
この先で困難が待ち受けていようとも、私たちならきっと――