【完結】限界まで機動力を高めた結果、敵味方から恐れられている……何で? 作:オタリオン
帝国で任務の為に訪れた孤児院。
その孤児院を経営する夫婦は仲睦まじく、平穏な暮らしをしていた。
血の繋がりは無くとも、子供たちに分け隔てなく愛情を注いで。
子供たちの目を見れば、親となる彼らを信頼している事はすぐに分かった。
互いに助け合って、互いに愛情を向けている。
普通の人間が求める普通の幸せを彼は手に入れたのだ。
あの時の濁った瞳をした少年兵はもうどこにもいない。
今対面している男は、爽やかな笑みを浮かべている。
そうして、他愛の無い会話をしながら、優雅にコーヒーを飲んでいた。
彼を見れば当時の面影が少しばかり残っている。
刺々しい雰囲気は無くなっても、顔の輪郭から彼であることは理解できた。
しかし、俺は正体を明かすことが出来ない。
それは何も俺自身が手配書に載っている危険人物だという理由だけではない。
俺自身が、彼から向けられるであろう感情に怯えていた。
今はニコニコと笑っていても、俺が正体を明かせばどうなるか。
殴られる事は覚悟しなければならない。
いや、殴られるだけで済むのならまだいい。
短剣でもあれば滅多刺しにされて殺されるかもしれない。
それほどの事を俺は彼にした。
兄弟のように思っていたルース君を見殺しにして。
一緒の環境で育ったかもしれない彼の家族を助けなかった。
彼らが死んだのは俺の責任で。恨まれたとしても何ら不思議ではない。
俺が一番怖がっているのは暴力による痛みでも罪の重さでも無い――彼の人生だ。
俺の行動で、俺の発言で。
彼の人生が大きく変わったのではないか。
恨みや怒りに囚われて、何か間違いを犯したのではないか。
もしもそうであれば、俺はそれを悔やんでしまう。
彼と出会っていなければ、そう思ってしまうだろう……そんな事は考えたくない。
未だに自分の罪も受け止めきれない。
逃げてばかりで、何一つとして守る事が出来なかった。
大切な相棒も、仲間たちも、俺は全て自分から捨てた。
そんな時に、誰かの人生を大きく歪めてしまった事を認識すれば、俺はどうにかなってしまいそうだ。
体に重くのしかかる罪。
殺してきた人間の魂が俺の体を引っ張って。
底冷えするような声で耳元で囁いてくる。
お前の責任だ、お前がやった、お前がいなければ――苦しい。
冷たい水の中で全身が浸かっているような感覚。
体の熱が奪われて、原動力を奪われていくような気がする。
唯一、俺はゴースト・ラインの計画を阻止する事だけを目標にしている。
自分を探す事も二の次にして、俺は目標に向けて進んでいた。
でも、それが無くなればどうなるか……俺にも分からない。
目標を建前にして何でもやった。
それが心の防壁となっていた部分もある。
目標の為だから、目標を成し遂げなければいけないから……ただの言い訳だ。
どんなに大層な思想や理念があったとしても。
やっている事はただの人殺しだ。
そんな事は初めから理解している。
理解しているが、俺は受け入れられない。
どうして、こんなにちぐはぐなのか。
どうしてこんなにも、俺は弱いのか。
何も受け入れられない。
起こった全ての罪から目を背けてただ進んでいる。
考えない様に、忘れられる様に。
逃げて逃げて逃げて逃げて――遂に、出会ってしまった。
目を背けていた事の一つが、俺の前に立ちはだかる。
ニコニコと笑みを浮かべながら、進んで話題を振る男。
かつて帝国で出会って一緒に戦った少年兵は、何よりも高い壁に見えた。
乗り越えなければいけない。乗り越えなければ先に進めない。
今まで考えないようにしていた事を、此処に来て考える時がきた。
もう、後回しには出来ない。此処で逃げたら、俺の人生は一生逃げるだけのものになる。
笑みを浮かべながら、黙って話を聞いていた。
彼の話す事は、意外にも家庭内の事で。
仕事に関する事は一切話さなかった。
幸せな家庭で起きったちょっとした出来事で。
心が温まるようなエピソードを話してくれる。
彼は変わった。
悪い方向ではなく、良い方向に変わった。
刺すような空気は消えて、柔らかく暖かみのある顔をしている。
とても前線で戦うような人間の雰囲気ではない。
しかし、彼も地獄を経験している筈だ。
会わなかった何年もの間で。
彼は多くの戦場を経験した筈だ。
あの日よりも悲惨な光景は、既に経験済みだろう。
それでも、彼の顔は人殺しのそれではない。
人間として、家庭を持った男としての威厳ある顔つきをしている。
自信に満ちて、人生に意味を見出している人間の顔だ。
しかし、それでも、俺には不安がある。
あの日の事は忘れていない。
俺が忘れていないのなら、彼だって覚えてる筈だ。
大切な家族を失って、慰めの言葉一つ掛けなかった俺。
今は温和な笑みを浮かべていても、俺の名を明かせばどうなるか分からない。
心の奥底ではまだ恨んでいて。
今も俺を探しているのではないか。
あの日の約束を、俺は結果的には果たしてしまった。
誰よりも自由で理不尽な傭兵……世界の敵となった今がそれだ。
知りたい。
彼が今、俺に対して何を思っているのか。
約束を果たしてしまった俺をどう思っているのか。
俺はカップを手に取る。
そうして、中に注がれたコーヒーをゆっくりと飲む。
少しだけ冷めた薄味のコーヒーで。
それを胃の中へと流し込んでから、俺は言葉を発した。
「……実はお願いがあります」
「お願いですか……お力になれるといいのですが」
「……服役中である院長先生に面会をしたいのですが。彼は会ってはくれませんでした……そこで、何とか面会をして頂けるように説得をして欲しく……無理な事は重々承知の上です。ですが、どうしても知りたいことがあるんです」
深々と頭を下げてお願いをした。
すると、ザックス君は頭を上げるように言ってきた。
俺がゆっくりと頭を上げれば、彼は変わらず笑みを浮かべていた。
「……分かりました。俺が説得してみます」
「ありがとうございます」
「――ただ、此方もお願いがあります」
「……何でしょうか?」
条件を出されることは想定の範囲内だ。
俺は何をしたらいいのか聞けば、彼は頬を掻きながら照れくさそうにする。
「その、今晩、一緒に飲みに行きませんか?」
「……良いですよ」
彼から提示された条件は、一緒に飲みに行くことで。
俺としては此方から誘わなくて良かったと安堵した。
この問題には決着をつけなければならない。
俺が犯した罪の一つに、向き合う時が来た。
何時までも逃げてはいられない。
俺がすんなりと受け入れた事にザックス君は驚いていた。
俺は首を傾げながら、どうしたのかと問いかける。
「いえ、会って間もない俺の誘いを受けてくれたので……本当に良いんですか? 忙しかったりとか」
「大丈夫ですよ。私も、オールドヘイムさんと話がしたいと思ったので」
「そ、そうですか……良かった」
ホッと胸を撫でおろしながら、彼は安堵の表情を浮かべる。
すると奥さんが「この人、本当は自分から誘うのが苦手なんですよ」と言う。
ザックス君は頬を赤らめながら、余計な事を言うなと怒っていた。
自分から誘うような人間じゃない。
だったら、何故、俺に対しては誘ってきたのか。
もしかしたら彼は……いや、違う。
可能性の一つを考えてすぐに否定した。
ファーストほどの男ならまだしも、彼はただの兵士だ。
修羅場は潜り抜けても、人を見抜く力は持っていない筈だ。
だからこそ、俺は可能性の一つを切り捨てる。
サイトウさんには、先にホテルへと戻ってもらう。
俺は一人でタクシーを拾って帰る事を伝えた。
彼女は納得しながらも、何か言いたげで。
俺はそんな彼女に気づかないふりをしながら、話題を振った。
軽い世間話であり、何も意味は無い。
しかし、胸に手を当てられたら気づかれるだろう。
俺の心臓が激しく鼓動していて、彼との話し合いを恐れている事が。
俺はそれを気づかれないように、自分から話題を振って誤魔化す。
時が進み、何時かは移動をしなくてはいけない。
俺はその時間に恐怖を抱きながらも――心の何処かで期待もしていた。