【完結】限界まで機動力を高めた結果、敵味方から恐れられている……何で? 作:オタリオン
183:災いを退ける為には(side:???)
真っ白な部屋の中で、一つのベッドが置かれていた。
鼻を鳴らせば洗剤や薬液の匂いがほのかに香る。
脇には花瓶に入れられた赤い花が添えられていて、この暖かみの無い空間を和ませようとしていた。
人間の心臓の鼓動を計測している機械から音が鳴る。
一定の間隔で、鳴っている機械を見る事無く静かな部屋で時間を過ごす。
小さく冷たい音で、先ほどまで此処にいた”彼女”は辛そうな顔をしていた。
自分の所為で”彼”がこうなったと責めていた。
私や他の人間たちは彼女の所為では無いと慰めた。
彼が意識を失ったのは、彼女の話を聞く限りではアルバムの所為なのは間違いない。
でも、それらを探してきてくれとお願いしたのは彼だ。
だから、彼女は何も悪くなく……気づけなかった私が悪い。
簡素な丸椅子に座りながら、静かに眠る彼をチラリと見る。
酸素マスクなどの仰々しいものはつけていない。
点滴などは付けられているが、入れられているのはただの栄養剤だ。
本当にただ寝ているだけのように見えるが、意識は戻らない。
予定では、もう既にこの島から出航している筈だった。
しかし、彼が意識を失って行動不能になった今。
我らが出来るのは、彼の意識が回復するのを待つ事だけだった。
三日三晩経過しても、彼の意識は戻らない。
私はこの部屋で彼を監視しながら、彼の回復を心から願っていた。
手にした紙の本を開いて、パラパラとページを捲る。
英語で書かれた本であり、物語の内容は子供向けの話だが。
こんなものを私が読んでいると知られれば、少々まずい気もしなくはない。
本を捲る度に、陽光を浴びて少し焦げた紙の匂いがする。
仮想現実世界で本を読んでいた彼も、私の考えたような事を思ったのか。
この世界の本は、ただそこに存在して記録や物語を紡いでいる訳ではない。
鼻を鳴らせば紙の匂いがほんのりとして、ページを捲る時にシャッと音が鳴る。
データだけだ。しかし、形があるだけのデータではない。
本物の本のように、持った時の重さやページを捲る時の感触。
香る匂いに、インクが少しだけ掠れた文字など。
本物と何ら欠損の無い代物が、私の目の前にある。
彼は本を読んでいく中で、感じていた筈だ。
この世界が偽物ではない。なら、この世界に存在するものも本物だと。
だからこそ、彼は迷い戸惑い。真剣になって考えていた。
自分という存在を探して、この世界で初めて”夢”を見つけたから。
例え、叶う事が無い夢だとしても……私は応援したかった。
本をゆっくりと読み進めていく。
ある人から貰った本で、彼からすれば私の考えを変えるつもりだったのかもしれない。
彼が命令して私は動くだけなのに、彼はそれを本心では望んでいない気がした。
どれだけ非道な行いをしようとも、どれだけの血を流そうとも……彼は我々を想っていた。
この道が正しいと思っていても、知っている人間たちにも迷いはある。
彼の考えは何時だって正しかった。それを知っていても、進むことを躊躇してしまう。
それは私たちからすれば、彼の考えは到底理解できるものではないから。
彼の目を共有して同じ景色が見えたのならどれだけ良かったか……無いものを強請っても意味は無い。
パラパラとページを捲っていく。
視線を動かして、書かれた文字から情景を思い浮かべる。
頭の中で登場人物を動かしながら、私はこの物語が伝えたいテーマを噛み砕いていった。
これは人間になりたいと願った化け物が、色々な人間と話をして本物の人間を目指す話だ。
化け物は、優しい心を持っていた。
しかし、人間とは違って角も生えていれば体も大きい。
毛むくじゃらの体を見た人間たちは彼を化け物だと認識して恐怖する。
人を襲い、生き血を啜る魔性の獣だと他の人間に警告し……誰も彼の本質を見ようとしない。
高い知能があり、人間と同じように服を着る。
壊れた機械を修理して、困っている人間がいれば隠れて助ける。
彼には敵意も悪意も無い。純粋な優しさだけで、彼は動いていた。
そんな彼の心を知らない人間は、見てくれだけで彼を敵だと認識して。
些細な誤解が尾ひれをつけて凶悪な話として伝わっていく。
誰しもが彼を恐れ、中には銃を手にして戦おうとする者もいた。
銃口を向けられて体中を傷だらけにしても、彼は戦おうとしない。
言葉と行動で、彼は人間たちと分かり合おうとした。
……最終的には、この化け物は人間にはなれなかった。
化け物は化け物であり、人間を目指しても人間になる事は出来ない。
しかし、彼は多くの人間を助けて来た。
その結果、彼を恐れるものはいなくなり、彼の周りには沢山の友人が出来ていた。
この物語が子供たちに教える事は、外見で人を判断してはいけないという単純な事で。
たとえ外見が違ったとしても、その者の本質は話をしたりしなければ分からない。
皆仲良く手を取り合って生きて行こう……陳腐な話だった。
この世界でそんなものは通用しない。
現実世界であろうとも同じだ。
人は理解できないものを恐れる。
人は自分とまるで違うものをすんなりと受け入れたりはしない。
拒絶し、恐れ、軽蔑して……相手を見下す。
自分たちとは違うから。
自分たちの方が優れているから。
そう勝手に思い込んで、相手の本質を見ようとしない。
どんなに笑みを浮かべていたとしても、心の内までは分からない。
この本を書いた作者が、この化け物をどう思っていたかは知らない。
だが、この作者は化け物を人間にはしなかった。
神である作者が被造物の願いを叶えなかったのかは何故か……意味が無いからだ。
被造物の願いが簡単に叶ったら、面白くは無いだろう。
化け物の周りに最初から友人がいれば、彼はすぐに願いを諦めた。
困難が無ければ面白みがない。誰も傷つかなければ涙を流す読者もいない。
この作者は、ただ己の書きたい物の為に化け物を生み出した。
化け物を虐げさせて、ハッピーエンドまでの困難を彼に与えた。
神は身勝手だ。
己の欲求を満たす為に、主人公に苦難を強いる。
今、目の前で穏やかに眠っている彼も、主人公のような存在かもしれない。
普通の人間が経験しないような困難を経験して。
多くの大切な人間を失って、それでも進み続ける。
進めば進むほど、彼には困難が降りかかり、彼が求めた真実でさえも彼を傷つける。
哀れで、愚かで――仕方がない。
どんなに頑張っても、彼は人間にはなれない。
どんなに力があったとしても、彼にはそれだけでは乗り越えられない困難がやって来る。
叩けば強くなる鉄ではない。
彼は叩けば叩くほど心に罅を入れていき、限界まで心身を酷使してきた。
私はそれを知りながら何もしなかった。
知っていながら、放置してきた。
何も出来ない無力な人間ではない。
全てを知っていて、何もしない選択を取って来ただけだ。
明るく振舞い、彼に手を差し出したのは……そうすべきだったからだ。
「……シナリオの通りに……ただ一つの駒として……ごめんね」
本をゆっくりと閉じる。
そうして、穏やかに眠る彼の頭を撫でた。
髪を指でかき分けて、彼の頬を指で撫でる。
肉の体だ。手に伝わるのは人間の柔らかな皮膚の感触だ。
しかし、彼は人間ではない。
私は、最初から知っていた。
私は、彼の正体を知って彼の夢を応援すると言った。
あざ笑うかのように笑みを浮かべて。
この男の近くでジッと彼の行動を見つめていた。
一つの駒として、一人の監視者として、ずっとこの男を見守って来た。
どのような行動を取ろうとも、どのような発言をしようとも驚く事は無い。
全ては”彼”のシナリオ通りであり、私の心も”彼”の想像通りだ。
私は常に冷静だった。
彼が傷つこうとも、彼が彼女から離れようとも。
己の役割を理解して、淡々と行動を起こしていった。
その結果、彼は真実へと到達してしまった。
最も残酷で、最も非情で、最も――罪深い記憶だ。
気づけなかった私が悪い。
シナリオ通りに彼は進んでいった。
この現象も想定の範囲内で……彼の心のダメージの深さに気づけなかった。
真実にたどり着いたことで、彼の心には大きな負荷が掛かった。
その結果、彼の心は強制的にシャットダウンしてしまった。
眠りにつくのは想定の範囲内だ。しかし、これほどまでに長く眠りつくとは予想していなかった。
シナリオ通りに進んでいた筈だった。
だけど、此処に来て”小さなズレ”が生じた。
彼の完璧なシナリオに生じた小さな綻び。
それが現れた事によって、私は初めて不安という感情を抱いた。
此処まで来て、これほどの事をしておいて。
全てが破綻してしまったでは散っていった仲間に示しがつかない。
「……何の為に……進んだと……分からない、でしょう」
眠っている彼には想像も出来ない。
我々がどれほどの大願を成そうとして行動しているのか。
大いなる災いを退ける為に、どれだけの犠牲を払ってきたのか。
彼が多くの大切な人間を失ったように。
我々も家族のように思っていた仲間を失った。
無数に枝分かれしたルートの中で、一つしか存在しない正解。
それを探り出す為に。そして、その道を歩む為に仲間が大勢死んだ。
敵に殺され、駒を進める為に犠牲になり。
彼が見た景色を再現する為だけに、自ら進んで地獄へと墜ちていった。
私の背後には数えきれないほどの屍が積みあがっている。
私の背後からは、無数の魂の悲痛な叫びが聞こえてくる。
進め、殺せ、止まるな、動け……言われずとも、私は進む。
例え、自分自身の末路が決まっていたとしても。
私は彼の信頼する仲間として、最後まで責任を果たす。
真っすぐな目で信頼を寄せて来る仲間たちを――地獄へ突き落す事になったとしてもだ。