こんにちは、聖杯です。
正確には聖杯を宿した人間です。けど本体が聖杯な気がするので聖杯です。ほら、眼鏡が本体とかよく言うじゃないですか。だから聖杯が本体だと思います。聖杯です、聖杯が本体です。本体の聖杯はあります、よろしくお願いします。……冗談はさておき、僕は
そんな僕には、生まれた時からの悩み事があります。
『怒れ……憤怒こそが人の本質……』
いじめを受けていた子を見た途端に頭に直接声が聞こえてきて、腹の底から怒りが湧き立つことがあったり。
『妬め……嫉妬こそが人の本質……』
バレンタインデーにチョコレートを貰っている友達を見かけた途端に声が聞こえて、腹の底から嫉妬しそうになったり。
『貪れ……暴食こそが人の本質……』
両親が遅くまで帰ってこないから自分で料理を作っていると声が聞こえてきて、食べても食べても満たされない空腹感に襲われたり。
『享受せよ……色欲こそが人の本質……』
初めて女の子────とはいえ近所のお姉ちゃんだけど────の家でお泊りに誘われたと思ったら声が聞こえてきて、脳がピンク色の思考になってしまい、前日に泣く泣くその予定をキャンセルしたり。
『怠けよ……怠惰こそが人の本質……』
夏休みなどの長い休みが訪れた時に声が聞こえてきて、課題をやらずに怠けそうになったり。
『驕れ……傲慢こそが人の本質……』
意外と自分は勉強ができるのではないかと思っていると声が聞こえてきて、勉強をやらないようになりそうになったり。
『欲せ……強欲こそが人の本質……』
ピザ窯を作ろうかなとレンガを見ていた時に声が聞こえてきて、物欲が溢れ始めて、お姉ちゃんが止めてくれなかったらピザ窯を作るための材料を揃えていただろう。
とにかく産まれてこの方、本当にやかましいですありがとうございます。このやかましい声にあなた達は誰だと聞いたら聖杯だと言われた。そもそも聖杯って何だろうね? 聖杯。イエスの杯、アーサー王伝説の聖杯、なんでもいいけど、聖杯って人間の中に宿るものなんですか? 教えてよ聖杯さん。でも聖杯さんは何も答えてくれないの。
『貪れ……生野菜が先だ……』
「ベジファースト」
『バランスよくだ……偏った食生活の先で待っているのは破滅だ……』
この聖杯さんについて誰かに話したことはない。だって話しても頭がおかしい人としか思われないでしょ。
家庭教師したり、情操教育をしてきたり、食生活アドバイザーみたいなことをしてくれる聖杯さんなんて、誰も信じるはずがない。聖杯さんのお蔭で怪我無し、病気無しの健康優良児だけど……やかましいことはちょっと気になるけど。やかましいことが悩み事な時点でお察しだけど。
「聖杯さん、聖杯さん、今日も緑色だね」
『静かに過ごせ……貴様はまだ、やつらに抵抗する術を持たぬ……』
「うん、分かってるよ」
まだってことは、いつかはこの緑色の夜に出歩けるようになるってことだよね? でも夜に出歩くと聖杯さんがうるさいし、普段通り勉強をして過ごすのがいいんじゃないかな。
「聖杯さん、遠くに塔が見えるよ」
『破滅の塔か。あれもまた人の欲望の産物よ……』
「欲望って凄いんだね」
『人が更生するも、堕落するも、全て欲望あってこそだ……』
……そういえば、あの塔がある場所って学校があったところだよね? 学校とは塔になるものだったのか。
「聖杯さん、外の人達棺桶に入ってるよ」
『象徴化という現象だ。この緑色の夜に適性を持たぬものは全てああなる』
「聖杯さん詳しいね」
『私は人の願望機、欲望の器、集合意識の器だ。人間のことを知り尽くしていないわけがないだろう』
窓の外に見える棺桶や、緑色の空、大きな月。ちょっと不気味で、ちょっと不思議な夜。巌戸台の不思議な夜。聖杯さん曰く、怖いお化けが歩いているという、不思議な夜。そんな夜に僕は外を歩こうとは思わない。
大きな道路が見える僕の家。不思議な夜に棺桶だらけの、いつもは騒がしい道路を眺めていると、人が歩いているのが見えた。
「聖杯さん、人が歩いてるよ?」
お姉ちゃんと同じくらいの年齢らしき女の子がどこかに向かって歩いているのが見えた。
『ほう、適合者か。しかしこの気配……』
「聖杯さん、声かけてきた方がいいかな? 危ないよって」
『危ないのは貴様も同じだ』
「でもあの人の方が危ないでしょ?」
僕には聖杯さんがいるけど、あのお姉さんは聖杯さんみたいな人がいない。こんな夜中に一人で歩くなんて危ないし、放ってはおけない。
聖杯さんはそれ以降黙ってしまい、何も言わなくなってしまった。多分勝手にしやがれコノヤローということなんだろうなと判断し、僕は外に出る。
「お姉さん、茶色い髪のお姉さん」
僕が走って追いかけて声をかけると、お姉さんは立ち止まって自分自身を指さした。
「私のこと?」
「うん。こんな夜に一人で歩いてると危ないよ?」
変な色してるでしょ? と空を指差してこの時間が危ないことを伝えると、お姉さんは困ったような顔をして僕のことを指さす。
「それ、君も同じだよね?」
「僕はあそこが家だから大丈夫だよ。お姉さんはどこに行くの? この時間が終わってから向かった方がいいよ」
「それっていつくらいになるのかな?」
「分かんない。一時間くらいじゃないかな?」
いつもそれくらいで終わっている気がするけど、そうじゃないかもしれない。一日が二十四時間じゃないってちょっとお得な気がしなくもない。
「この夜が終わるまで、僕の家で休んでいきなよ」
「ううん……それは、いいのかな」
「お父さんもお母さんも出稼ぎでいないから大丈夫だよ」
まぁ、そういう問題じゃないとは思うけど。でも、お化けが出る夜に人が歩いていたら、声をかけたくなるよね。
「あ、僕は聖って言います。好きなものはクリスマスに貪る一本のシュトーレンです」
「あれって少しずつ食べるやつじゃなかった?」
「だからこそ背徳的に感じるんだよ、お姉さん」
聖杯さんにはよく苦言を申し立てられるけど、あの背徳の味を覚えてしまったらもう止めるなんてできないんだよ。夜中に食べるラーメンと同じように、クリスマス当日にシュトーレンを一本丸ごと一人で齧るあの背徳感を覚えてしまったら、忘れることなんてできない。
「それで、話は戻るんだけど……この時間帯は、お姉さん一人だと危ないよ」
「どうして?」
「怖いお化けが歩いてるんだって」
聖杯さん曰くだけど。でも、聖杯さんが言っていたことが間違っていたことはないし、きっとお化けは現れるのだろう。
「ううん……でも、今日寮に着くって連絡しちゃったし……」
「寮って、巌戸台寮?」
「知ってる?」
あそこなら本当に近所だし、この時間帯に出歩いていても大丈夫かな?
「うん。あそこの交差点を真っ直ぐ行って、横断歩道を渡ったら左にあるよ」
「あ、すぐそこなんだ」
「じゃあ、寄り道しないで向かってね、お姉さん」
「そんな子供じゃないんだから寄り道なんかしないよー!」
「子供じゃなくても寄り道ってしたくなるでしょ? でも今はダメ。……またね、お姉さん」
多分また会えるような気がするから。
そう言って僕はお姉さんと別れて家に戻る。あのお姉さん、寄り道せずに寮に行くだろうか?
「聖杯さん、どう思う?」
『忠告を受けて寄り道をするのなら、そういう人間だったというだけだ』
「厳しいね」
『当たり前のことを言っているだけだ』
そうかな……そうかも……どうだろう……人間って難しい。僕も人間だけど、人間って難しい。少し前に怪しい笑みを浮かべながら歩いていた半裸の人とか、さっきのお姉さんとか、勉強を教えてくれるお姉ちゃんとか、たまにご飯を食べさせてくれるお兄ちゃんとか、お店の裏メニューを教えてくれるお兄ちゃんとか、プロテインを布教してくるお兄ちゃんとか、それを咎めるお姉ちゃんとか……色んな人がいて、人間って難しい。でも嫌いじゃない。あ、面白くないダジャレを言ってくるおじさんはあんまり好きじゃない。
「聖杯さん、明日海牛食べたい」
『中盛サラダを注文するなら許そう』
「わぁ」
『ドレッシングは玉ねぎか青じそにしておけ』
僕が何を食べるつもりなのかをよく知っているからか、カロリー計算もばっちりで笑っちゃうよね。
ううん、それにしても大きな月だなぁ……あれ、落ちてきたりとかしないよね? 落ちてきたとしたらどうなっちゃうんだろう。あれが全部シフォンケーキならいいのに。お化けが出てくる夜な時点で、あの月もいいものではないんだろうなとは思うけど……それでもそういう夢のあることを考えたくなっちゃうのが人情というものではないだろうか?
「あ。………………聖杯さん」
『なんだ』
「宿題忘れてた」
『……今すぐに取りかかれ』
うひぃ、今日は徹夜だぁ……
聖杯さん
ラスボス(暫定)。間違いなく厄ネタ。どこにでもいるような子供に入っている。
聖
本作の主人公。健啖家、気付いたらいるタイプの中学生。毎日をコープ開拓に使っているレベルでコミュニティが広い。勘の悪いガキと勘のいいガキを光の速さで反復横跳びしている。コープは審判か愚者。
「召喚器なんか必要ねぇんだよ!」ベリベリブシャア!!!するタイプのペルソナ使いとなる予定。