天の牌剤   作:國米 真

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第三巡 動き出した後半戦東場

~選手控え室・清澄~

「あ、部長。お疲れ様です」

 前半戦を終えて休憩に帰った久を出迎えたのは須賀(すが)京太郎(きょうたろう)。清澄高校麻雀部の部員にして部内唯一の男子でもある。

「ただいま。他の子らは?」

「咲なら前半戦を終えて休憩してましたよ。俺と入れ替わりで後半戦に向かいました」

「じゃあ、和はまだなの?」

「みたいですね。さっきタコスに電話したら、まだ南二局らしいっすよ」

「そっか。随分とかかってるのね」

 久は落ち着き払った様子で椅子に腰掛け、自前のドリンクを口に含んだ。

「あの、部長……どうでしたか? 試合」

 モニター会場で久の試合を観戦していた京太郎は、しかしまずは当の対局者である久に感想を訊いた。その質問に対し久は一瞬顔を強張らせたが、すぐに普段の彼女に戻った。

「そうね……不気味、かな」

「不気味っすか」

「ええ、風越がね……派手な動きはまだ見せてないけど、なんか妙なのよね」

 久は抱いたままの率直な印象を述べた。誰と対局する時も自信に満ちていた久が見せた、弱気とも思える発言。それは京太郎が初めて見る姿でもあった。

「風越の部長っすか。確かに、ちょっと不可解な事をちょくちょくやってましたよ」

「へえ、どんな事?」

 風越女子部長、福路美穂子の奇妙な打ち回しについて、京太郎は掻い摘んで説明した。

 まずは、東四局で見せたホウテイ和了りの見逃し。続いて、南三局で鶴賀両選手に敢えて有効牌を鳴かせて聴牌にさせ、その上で全員の和了り牌を全て抱えて流局に持ち込んだ事。その他、まるで点棒には興味が無いとでも言わんばかりの、慎重すぎるベタオリ等。

 久は神妙な面持ちで京太郎の説明を聞いていた。美穂子のその奇行に思う所があるのか、その瞳には珍しく真剣味が宿っている。

「あと、これは東二局からずっとなんすけど――」

「ん、何?」

「あの人、どうにも理牌が遅いんすよね」

「は? 理牌が遅い?」

 予想もしなかった言葉に久は思わず声を上げた。

「何それ? 理牌が下手って事?」

「いや、理牌はめちゃくちゃ上手くて一瞬でやっちゃうんですけど――」

「……?」

「理牌を始めるのが遅いんすよ」

 ここまで聞いても久はいまいちピンと来なかった。

「配牌をじっくり確認して、その後一気に理牌しちゃうって事じゃないの? まあ、すぐに同じ牌をまとめちゃう私とは確かに違うけど――」

「いえ、そんな感じでもなくてですね――」

 どうにも京太郎の説明は要領を得ない。

「なんというか、待ってる感じなんです」

「待ってるって、何を?」

「他家の理牌が終わるのを」

 久の挙動が止まる。

「配牌後も最初は全く手を動かさず、他家全員の理牌が終わってから理牌を始めてるんすよ。そこからは本当にバババっと素早くやっちゃうんで、部長は気付かなかったかもしれませんが」

「……ええ、全然気付かなかったわ」

 それも無理からぬ事。配牌直後は皆、自分の手牌に目が向いているのだから。

「もっとも、モニター会場からだと選手の様子までは分からないんで、風越部長がその時に何をやってるのか全然分からないんですどね」

 申し訳なさそうに言う京太郎。しかし、久にはすでに確信があった。

 美穂子は見ているのだ。全員の理牌を。観察していると言ってもいい。

 なぜ、理牌を観察するのか。それは知れた事。理牌の癖から手を読むためだ。

 なるほど、だからこそあれほどキレのある読み。確かにプロ雀士の中には、捨て牌だけでなく相手の理牌や目線、ツモ時のちょっとした癖などから手を読む者もいると聞く。彼女がその域にいるとしたら、あの神がかり的な読みも頷ける。

 彼女の強さはその洞察力。久は美穂子の不気味さの正体を見破った気がした。

 尋常ならざるのは、美穂子がその読みを他家三人に対して同時並列的に行っているという点だ。それには一体どれほどの集中力が必要だろうか。そんな荒業をついぞやろうと思った事のない久には想像もつかない事だった。

 しかし、彼女に浮かんだのは不敵な笑み。

「なーるほど」

「え、部長?」

「でかした須賀くん! 今の情報はまさに値千金ね!」

 控え室に戻った直後とは打って変わって、久は機嫌よさげに告げた。

「はぁ、そうすか……」

「ええ、そうよ。見てなさい。ここから一泡吹かせてやるわ」

 気付けば中間休憩が終わる頃合。久は意気揚々と勝負会場へ舞い戻った。

 

~選手控え室・風越女子~

「お疲れ様です。部長」

 文堂星夏は美穂子を出迎えた。普段なら、この出迎えに美穂子は必ず恭しく感謝の言葉を述べ返す。しかし、この時は珍しく――というより、星夏にとっては初めて――美穂子は何の言葉もなく悄然と椅子に腰掛けた。

「ぶ、部長――?」

 普段とは様子が違う。星夏は不安になって再び部長に声をかけた。

「え――」

 その星夏の声に応える形で、美穂子が小さく声を上げた。そこから不自然なほどの間が空き、その後、美穂子の顔がみるみる紅潮していった。

「あ、ごめんなさい文堂さん。私ったら、ぼーっとして――」

 慌てて謝罪の意を述べる美穂子。

「い、いえ……こちらこそ、すみません」

 星夏は美穂子の様子から察した。美穂子は疲れている。たった一回の半荘を終えただけで、心身ともに疲弊しきっている。星夏は入部以来、これほど憔悴した美穂子を見た事がなかった。

「あの……これ、例の牌譜です」

 重苦しい空気を打破するため、星夏は頼まれていた牌譜を美穂子に手渡した。

「ありがとう、文堂さん」

 美穂子は礼を述べて受け取り、紙面に視線を落とす。

「凄いです。こんなにきっちりと――理牌は本当にこの形だったんですか?」

 美穂子の問いに星夏は頷いた。

 前半戦、モニター会場にて他家の打ち回しを、理牌の癖も含めて正確に譜面に起こす事。それが星夏に託された役目だった。

「本当に感謝で一杯です。大変だったでしょう?」

「いえ、それほどでもありません」

 星夏は謙遜したが、実際は大変な作業だった。局の進行と同時に、三人の選手の闘牌を正確に記録するのだ。一人でやるにはなかなか骨の折れる作業である。

 だが、時間が惜しいとばかりに必死に牌譜を見つめる美穂子を見ると、やはり引き受けて良かったという思いで星夏の胸は満たされる。

 美穂子も、鶴賀組とはまた違った形でコンビ打ちをしていたのだった。

「あの、部長。それを見ながらでいいので、一つだけ質問に答えて頂けませんか?」

「あら、何ですか?」

「あの南一局で、両面待ちを捨てて敢えて地獄単騎にしたのは一体なぜですか?」

 それはずっと胸に燻っていた疑問。普段の美穂子らしくない、まるで竹井久のような打ち筋に星夏は結局答えを見出せなかった。

 牌譜を見ながらでいいと伝えたのに、単なる疑問で貴重な時間を割かせたくはなかったのに、美穂子は牌譜から視線を外し、星夏に向けた。その目に篭るのは真摯な感情。まるで、その質問だけはながら作業で答える訳にはいかないとでも言うかのように。

「私の麻雀は、見る麻雀です」

 美穂子は力強くそう答えた。

「相手の牌を、河を、癖を、つぶさに見ながら打っていくんです。そうして徐々に相手の事を理解していき、徐々に相手の手を読んでいく。それが私の麻雀です」

「は、はい――」

「だから、私は最初の内は見に徹します。出来るだけ多く相手の牌を覗き、手を読むための材料とするんです。その材料を得るためなら、点棒は惜しみません」

 失った点数はいわば貸付金。後に利息付きで返して貰うためのもの。

「よって、あの場はあれで良いんです。確かに、あそこで両面待ちに受けた方が和了る確率は高い。でもそれは、つまるところ確率に走って自分の麻雀を捨てたという事。それではたとえあの場で和了れたとしても、その先自分の麻雀を貫けず、最後には敗北するでしょう」

 だから、あの時の地獄待ちはあれで正解なんです。美穂子はそう念を押した。

 美穂子の言葉を受け、ようやく星夏も得心した。要するに、目的意識の食い違いだった。チャンスがあるなら点棒を拾いにいくのが通常の思考回路であろう。相手の手牌を覗きたいと思っても、点を取れる確率が高い状況なら、それを取りに行く事に不思議はない。

 しかし、美穂子は自身の目的を徹底的に優先した。手牌を見るのが最優先なら、自ら和了るのはむしろ愚行。だからこそ美穂子は勝負を仕掛けず、少しでも他家の聴牌を感じたら即座にベタオリしたのだ。

 そして、一度でも多く相手の手牌を見たいなら、なるべく連荘が続いた方が良い。だからあの南一局、美穂子は自分の親を継続させるため、リーチ宣言して他家を揺さぶった。しかし、そのリーチで和了ってしまっては元も子もない。だからといって、和了り牌を見逃してフリテンにすれば、その不自然さから美穂子の思惑を看破され、易々と手を見せなくなるかもしれない。ゆえに、両面待ちを捨てての地獄単騎。それなら他家の思考は『なぜ敢えて地獄単騎を選んだのか』という一点に集約される。『なぜ敢えて和了ろうとしないのか』という疑念を隠匿できるのだ。

 星夏は目から鱗が落ちたような心境だった。八十名の部員率いる名門校の部長。その肩書きすらも裸足で逃げ出すほどの偉大さを、星夏は美穂子から感じていた。

 現に、質問に答え終わった美穂子は再び牌譜に集中していた。長い試合の合間に用意された休憩時間、他の選手は一時の休息に耽っているだろう。しかし彼女は集中力を途切れさせず、未だ勝負の中にいる。前半戦にて神経が擦り切れるほどの集中力を見せたというのに、その疲れを癒す事なく対策を講じている。

 ――部長、勝てます! 貴女なら!――

 後半戦までの僅かな時間、星夏は物音一つ無い控え室にて、美穂子の集中を邪魔する事なくその様子を見守り続けた。

 

~選手控え室・鶴賀学園~

「この調子っすよ先輩! このまま逃げ切りましょう!」

 上機嫌で快哉を上げたのは桃子。彼女にとって前半戦は上々の終わり方だった。ゆみは二位と一万点の差をつけてトップ。しかも前半戦、ゆみは一度も振り込んでいない。あの両部長相手に、それは充分快挙と言えた。

 しかし、当のゆみの表情は重い。この状況を素直に喜んでいない節があった。

「どうしたんすか、先輩?」

「いや、このままコンビ打ちで勝ってもいいのか、やはり不安になってきてな」

「ちょ――今さら何言ってんすか? 一万点勝ってるからって油断は禁物っすよ」

「いや、油断ではなくてだな――このまま私が勝っても、やはり他の選手は認めてくれないんじゃないかと思って――」

「それは、気にしない事っすね」

 あっさり応える桃子にゆみは拍子抜けした。

「そんな批判は、全国で実績を残せば帳消しに出来ます。私は、先輩なら全国でも活躍できると信じてるっすよ」

「ありがとう、モモ。だが、それでもやはり、私はお前ほど割り切って考える事は出来ない。多分、あの二人は私より強い。そう思うと、やはりこのままコンビ打ちで勝つ事には抵抗がある」

「そ、そんな事ないっすよ!」

 桃子は慌てて否定した。

「先輩があの二人より弱いなんて、そんな事はないっす。実際、前半戦で先輩だけが誰にも振り込んでないんすよ?」

「しかし――」

「それに、コンビ打ちしようと言ったのは、先輩の強さを信じてないからじゃないんす。ただ、あの二人相手なら、より確実に行きたいと思ったから――」

 桃子の声は知らず枯れていた。

「わ、分かったよモモ。コンビ打ちは続ける。だから泣くな」

「泣いてなんかないっすよ」

 桃子は必死に平静を装った。

「じゃあ先輩、前半戦と同じようにコンビ打ちで行くんすね?」

「ああ、そうしよう。確かに、私は少し不甲斐なかったかもしれない」

「それじゃ、今後の方針を決めるっす」

 一転、桃子は明るい口調でそう切り出した。

「方針か。やはりこのリードを守るか、それともさらに勝負に行くか――」

「あの二人からがっつり点棒を取れるとは思えないっすよ」

「そうだな。じゃあ、最終的に小差になるのもやむなしで、リードを守りきろう」

「そうっすね。そのためにも、やっぱり速攻で行きましょう。これまで通り先輩が私から有効牌を鳴いて、喰いタンか役牌。これで他家の親を蹴りながら、逆転の隙も見せずに勝つのが理想っす」

「ああ、それで行こう」

 方針は固まり、桃子は浮かれた様子だった。一万以上の点差と速攻の戦略から、おそらく勝利を半ば確信しているのだろう。

 だが、ゆみには不安しかなかった。風越部長と清澄部長。あの二人がこのまま終わるはずがない。特に風越部長は、まだ大きな動きを見せていない。唯一見せたのが前半戦最後の異様なオープンリーチ。あれは彼女の反撃の狼煙ではないのか――

 福路美穂子に対する得体の知れない不気味さ。ゆみは未だその正体を掴みきれずにいる。

 

美穂子17000、久26500、桃子20000、ゆみ36500

 

~後半戦~

■東一局(親:美穂子)

 配牌。

 普段なら、久はすぐに理牌を始めている場面。しかし、今回はその前に確認しなければならない事があった。

 悟られぬよう、久はちらりと上家の美穂子を盗み見る。予想通り、美穂子が手を止めて鶴賀組の理牌を凝視しており、久は武者震いのまま上げそうになった腰を必死で押さえつけた。

 ――やっぱり、他家の理牌で手を読んでたか。

 半信半疑は今や確信に変わった。美穂子の目が自分に向きそうだったので、久も慌てて理牌を始める。

 美穂子が他家の理牌の癖から手を読んでいるのは把握できた。対策もすでに考えてある。

 しかし、その対策もしばらくは後回しに出来そうな気配。

 久が好調。3巡目にして聴牌に届いた。

 これだけだと3飜。まだまだ高目を狙えるが、しかし久は敢えてここでリーチした。ここまでなら捨て牌はたったの三つ。手を読むための材料が決定的に不足している筈。

 ――これで完璧に読まれるなら、もうどうしようもないわね。

 そう考え、腹を括った久。奇しくも、その思考は的中していた。

 ――これは、少し厳しいですね。

 三つしかない捨て牌。これではさすがの美穂子でも読みきれない。仕方なく美穂子はベタオリを選択した。久の渾身のリーチがもたらした結果である。

 久のリーチに対して、ゆみもベタオリ。桃子のみ、鳴きを活用して上手く回しながら、9巡目に3副露で聴牌となった。

 ――あらら、あんなに早くリーチしたのに張られちゃったか。

 まるで美穂子の退歩と引き換えに運を手放したような気持ちになり、久は意気消沈した。

 しかし、その美穂子の退歩すら仮初めだった。

 桃子の3副露目以降、美穂子は桃子への危険牌を惜しみなく切っていった。これには久も桃子も目を見張った。3巡目からここまで美穂子はベタオリで来たのだから、聴牌が二人となっては尚のこと慎重にオリてくるものばかりと思っていた。しかし、実際には強打。ここから回し打ちしていくとでも言わんばかりの捨て牌。

 そして、久の悪い予感は的中した。16巡目、あわや流局かと思われた段階で、美穂子が七対子をツモ和了り。3飜6000点を手中に収めた。

 ――あちゃー、前局で風越に差し込んだのは失敗だったかな。

 美穂子の反撃の兆しを感じ取り、久は遅すぎる後悔を胸に抱いた。

美穂子24000、久23500、桃子18000、ゆみ34500

 

■東一局一本場(親:美穂子)

 後半戦、二度目の配牌。

 さあ、ここからが勝負。そう息巻いた久は、自分の配牌を一目見て肩透かしを食らった。

 ――あらら、清一手か。

 手持ちの13牌の内、10種が索子。絶好の清一手であり、本来なら喜ぶべき局面である。しかし、勝負の折り返し地点でようやく掴んだ美穂子のトリック。これの裏を掻く秘策を初っ端から試そうと思ってたのに、既に二度もその機会を逸する事となった。その事実を前に好牌にも素直に喜べないでいた。

 ――ま、次から次から。

 しかし、物事に頓着しない久の性格がここでは幸いした。風越対策は次に見送り、今は折角来たこの清一の完成に専念する。

 ツモにも恵まれ、久の手牌は3巡目で二向聴。このまま順調に進むかと思われたこの一局だが、次の一声で全てが変わる。

「ポン」

 そう宣言したのは、美穂子。久が切った發を刻子に押し上げた。しかも、その發はドラ。すなわち美穂子は、すでに目に見える範囲だけでも4飜親満が確定した。

 久に焦りが見えた。しかし、まだ序盤。張ってはいないだろうと考え、久も聴牌を目指す。

 それが実り、7巡目に久が聴牌を迎える。五索のカンチャン待ち、門前の清一。続くツモによっては更に良い待ちが期待できる為、美穂子の親満も考慮して黙聴で通した。

 桃子とゆみも積極的に手を進めていたが、美穂子の親満と久の清一気配を感じ取り、すでにベタオリ気味。

 そんな中、10巡目に美穂子も聴牌となった。生牌である九萬の単騎待ち。しかし、続く11巡目に久の和了り牌である五索を引くや、美穂子は迷わずそれを手中に入れて九萬を切った。これにより、五索は美穂子が抱えていた六七八索と結び付き、五八索待ちの聴牌に手変わりした。

 ――張り直したのかな?

 美穂子の手変わりを久は敏感に察知した。九萬を切るまで聴牌だったのはまず間違いない。問題は、何故手を変えたか。単により良い待ちになったのかもしれない。しかし、もしかしたら久の和了り牌をツモったから変えざるを得なかったのではないか。

 半信半疑の心境のまま、久がツモったのは八索。五索の筋の八索。

 美穂子が聴牌を崩したか否か。もし崩したならこれは問題ない。しかし、もし五索が他の面子とくっついたなら、五五六七索や五六七八索での五八索待ちというのは充分あり得る。

 しばし逡巡した久だが、結局この八索は切らずに残し、聴牌を崩した。弱気にも思えるこの打ち回しだが、しかし依然として手は索子一色。再び清一で聴牌に取れる可能性もあると考えての事だった。

 しかし、ここが確かに分岐点だった。振り込むか、ツモ和了りされるか。今局、久の前に続く道はこの二つのみで、彼女は天性の嗅覚でその悪い道を避けられた。

 14巡目、美穂子が八索を引いてツモ和了った。發ドラ3の親満12000点。初手から好牌に恵まれた久だったが、結局和了りに辿り着く道はなかったと彼女は思い知る。

 我慢に我慢を重ねたその過程が呼び寄せているのか、後半戦は打って変わって美穂子に流れが来ている気配であった。

美穂子36000、久19500、桃子14000、ゆみ30500

 

■東一局二本場(親:美穂子)

 美穂子、久、ゆみが好調だった。

 5巡目にして久がまず聴牌。ピンフ一盃口ドラ1の手をダマで構える。

 続いて、ゆみも7巡目で三色ドラ1の手を聴牌し、こちらもダマで待っていた。

 この時、美穂子はダブ東を暗刻として抱えた門前チャンタの4飜親満が一向聴だった。前半戦、美穂子の流れは未だ衰えていないと感じさせる好牌である。

 しかし、美穂子は何か言い知れない不安を感じていた。

 ――何でしょう? この違和感――

 この東一局二本場が始まって以降、美穂子はずっと違和感を抱いていた。それが何なのか明確には分からない。しかしそれは、まるで美穂子の正確な読みにノイズを混ぜるかのような、非常に良くない何かだった。

 そんな状況下で、桃子がゆみのロン牌をツモる。

 ――先輩、いいっすね?

 桃子はゆみに合図を送る。それは、桃子がゆみのロン牌を握った事を知らせる通し。ゆみはそれに小さく頷き、リー棒を場に出した。

「リーチ」

 高らかなリーチ宣言。狙いは勿論、桃子による一発差し込み。これでゆみの満貫が確定し、再びトップに躍り出る。裏ドラ次第では跳満となり、さらに水をあける事も可能だろう。

 その次のツモ番にて、美穂子は今更ながらに有効牌を引き入れた。手元の四索を捨てれば聴牌となるが、しかしこの四索はゆみの本命である。

 加えて、桃子とゆみの様子から、この巡で桃子がゆみに差し込む事は容易に見て取れた。であれば、ここで危険を冒して聴牌を取る事にあまり意味はない。

 美穂子の目は手牌の中にあるゆみの現物に向けられた。14牌の内、ゆみに対して安全なのは中、六筒、九萬の三種類。全てゆみの現物である。

 続いて、美穂子の目は久の河に向けられた。久の捨て牌の中には、この三種の牌のどれも無かった。

 ――ツモ切りの連続――竹井さんもまず間違いなく張ってるはず。となれば、ここは彼女に対しても安全に行くべき。

 美穂子は候補である三つの牌を見比べて考える。

 ――中を切ったのは加治木さんだけ。もし竹井さんが中と何かでシャボ待ちなら、みすみす1飜与えてしまう事になる。また、彼女の捨て牌から察するにおそらくタンヤオを狙っているはず。となれば、六筒も危険――

 有効牌のツモからこの結論に至るまで、僅か五秒あまり。自分の読みに一片の疑いもなく身を委ね、九萬を切ってベタオリした美穂子。

 しかし、ロンという予想外の声が美穂子の耳に届いた。

「えっ――?」

 一瞬、耳を疑った。しかし久の手牌に目を向けると、それはすでに倒されていた。

「ピンフ一盃口ドラ1。4000」

 不敵な笑みを浮かべながら久は告げた。

 ――そんな! この理牌は――

 久の手は以下の通りだった。ドラは三索。

 

 三三四四五五 一二三 八八 七八 九

 筒筒筒筒筒筒 索索索 索索 萬萬 萬

 

 この手自体はそれほど特異ではない。桃子もゆみもこの平凡な手に何の不自然さも感じてはいなかった。

 しかし、左から筒子、索子、萬子。この牌の並びが美穂子にとっては異質だった。

 ――これが、違和感の正体――

 今局でずっと抱いていた違和感。

 ――竹井さんの理牌は殆どが索子・萬子・筒子の順で、稀に萬子・索子・筒子。これまで、筒子が左端にまとめられた事は一度もない。なのに、どうしてこの局で――

 訳の分からないまま視線を向ける。久の微笑を見受け、美穂子は衝撃を受けた。

 ――まさか――私の麻雀を見破って、逆に罠を――

 久の表情はそう物語っていた。

 理牌の癖と目線の動きから他家の手を読むのが美穂子の麻雀である。半荘一回分の牌を観察すれば、相手の手牌はおおよそ透けてくる。常人には不可能なその技を、美穂子は並外れた洞察力と集中力で成し遂げてきたのだ。

 しかし、今局ではその読みにノイズが含まれていた。今になって考えればその原因は明らか。久の目線の動きとツモが不自然だったのだ。

 例えば手牌の左側に索子を纏めていた場合、索子牌をツモれば無意識の内に目線は左に向いてしまう。無意識下のこの動きを抑えられる人間はそうそういない。また、例えば二三索を所持して一四索を待っている最中に不要な九索をツモった場合、索子の塊に向けられる目線は一瞬で、即座に九索をツモ切るのが大半だ。だが、例えば五索を引けば、目線はムダヅモの時よりも幾ばくか長く牌に留められる。そんな細かな違いをも頼りに、美穂子は他家が有効牌を引き入れたか否かを識別しているのだ。

 理牌を意図的に変えた久も、その所作は抑え切れていない。だから筒子の不要牌をツモった際、今までは手牌の右側に目線が行っていたが、今局では左側に行っていた。そこにまず違和感があった。

 しかし、その上でその不要牌を即ツモ切りすれば、美穂子も違和感の正体に気付いたかもしれない。だが、久はツモった牌を一度必ず手牌に含めた。筒子なら右側、索子なら左側というように、本来の並びと同じ場所に。その上で、次巡かその次巡に、改めて手出しで処理する。思い返せば、聴牌するまで久は一度たりともツモ切りをしていなかった。そこに、彼女の巧妙な罠が仕掛けられていたのだ。

 ――ふふ、これならそうそう手は読めないでしょう? 自分の理を信じる者ほど、その理に少しでも疑念が生じれば脆いものなのよね。

 それが久の狙い。手牌を読ませないというのは、いわば手段。真の目的は、美穂子の絶対的な読み、その磐石な寄る辺に罅を入れる事だった。そうでなければ、最初にこそ最も有効なこの罠をむざむざ4000点ぽっちに費やしたりはしない。

 ――竹井さん、貴女はやはり――

 強敵。一分の隙も許されない相手。美穂子の認識はより一層深まった。

 後半戦、鶴賀組の与り知らぬ所で、部長同士の熾烈な心理戦が幕を開けた。

美穂子32000、久24500、桃子14000、ゆみ29500

 

■東二局(親:久)

 美穂子とゆみが好調だった。

 しかしその影で、久もまた理牌の順序を変えて水面下で美穂子を翻弄していた。

 そんな中、最初に聴牌を取ったのは美穂子。五八筒待ち2飜の手を黙聴。

 続いて、ゆみも聴牌。白ドラドラかつ、ドラの七索と自風の西のシャボ待ち、和了れば満貫という手を黙聴で受ける。

 これに対し、桃子はゆみのロン牌を持たず、美穂子を意識したベタオリで凌ぐ。

 動きがあったのは11巡目。悪配牌からなんとか聴牌にまで持っていった久がリーチを宣言。捨て牌からは萬子の染め手が濃厚だった。

 桃子は今度は久を意識してベタオリ。続くゆみがツモったのが間の悪い事に本命の三萬。当然切れず、ゆみもやむなく安牌でベタオリを決めた。

 次巡、美穂子が引いたのは大本命の五萬。この牌を手にしばし黙考した後、美穂子は手牌から久の現物を出してベタオリした。

 ――それよ、それ。貴女から引き出したかったのはまさにその決断!

 美穂子のベタオリを確認して満足げに嗤う久の、その手は実は八索カンチャン待ち。しかも八索は全て場に出ており、空聴リーチだった。

 この展開こそが久の望んだもの。ブラフは相手の心理を揺さぶってこそ効果がある。

 理牌の変更で美穂子を出し抜いた直後の、久の絶妙な試合運びだった。

 結局、久以外の三人はベタオリを徹底し、流局。空聴リーチに桃子もゆみも悔しげな表情を浮かべる。

 しかしただ一人、福路美穂子だけは、一度の瞬きすら許されないとばかりに、開かれた久の手牌を眼光鋭く凝視していた。

美穂子31000、久26500、桃子13000、ゆみ28500、リー棒1000

 

■東二局一本場(親:久)

 美穂子が好調。

 5巡目にして混一ドラ1の満貫手を三面待ちで聴牌。リーチすれば跳満も充分あり得る手だが、美穂子はダマを保った。

 対して桃子もゆみも手が遅く、美穂子の聴牌にも気付いていない。久の親を蹴るため、桃子は積極的に鳴いて面子を作り、手を進めていった。

 久も桃子に続く。ゆみの切った發をポンし、続いて桃子の切った三萬をポン。対々を狙って手を進めていく。

 そんな中、10巡目に美穂子が和了り牌を引き寄せた。だが、彼女は久を一瞥するとその牌を手中に収め、雀頭の対子落としで手を変えた。さらに次巡で雀頭の片割れを切り、ツモった西の単騎待ちで再び聴牌。混一ドラ1の4飜は動かず、敢えて三面待ちから単騎待ちに変えるという、またしても美穂子らしからぬ打ち回しであった。

 そんな動きは露知らず、久、桃子、ゆみの三人は手を進めていく。しかし13巡目に入る頃には、美穂子から染め手の気配が漂ってくる。それゆえ、手の進みが遅い桃子とゆみはベタオリを選択。久は安牌が手元に少ないため、和了りを目指していく。

 それが功を奏したのか、久が聴牌。しかし終盤であったため、対々を捨てて無理矢理作った發のみの聴牌である。

 16巡目、久の聴牌気配を感じていた桃子だったが、しかし美穂子と久の双方共通の安牌は尽きた。ここからは、どちらかには振り込む覚悟で打たねばならない。彼女は、トップかつ手が高そうな美穂子への振り込みを避けた。その結果切り捨てた一索が、久のロン牌。

 久は親継続のため、迷わずそれをロン。發のみ1000点。

 ――理想的な展開ですね。

 満貫ツモを見送った美穂子は、久の手牌を間断なく観察しながら心中でそう呟いた。

美穂子31000、久28500、桃子12000、ゆみ28500

 

■東二局二本場(親:久)

 ゆみが好調。

 6巡目にして、北を暗刻で抱えた混一ドラ1の満貫手を門前で聴牌。桃子は和了り牌を持っていなかったが、三六九筒待ちの好形だったので、ゆみは裏ドラを期待してリーチをかけた。

 それに対し、未だ三向聴の美穂子と久は共にベタオリ。捨て牌も少なく読みにくいので、確実に現物でツモ番を消化していく。

 そんな中、9巡目にして桃子が六筒をツモる。ここで差し込めば最低8000点。ゆみが再びトップに躍り出る。

 差し込むか、否か。通しでゆみに尋ねると、ゆみは首を横に振った。それはすなわち、差し込みはするなという合図。

 ――確かに、焦りは禁物っすね。

 桃子は別の牌を切り出し、差し込みを見送った。

 焦る必要はない。桃子が和了り牌を抱えている以上、差し込みはいつでも出来る。それよりも、ゆみの三面待ちならツモや他家からの出和了りも充分期待できる。ツモなら跳満確定。ロンなら他家と点差を広げられる。勝負はまだ中盤で、美穂子も久も手は全く進んでいない気配。今局はまだ様子見に徹するのが望ましい。

 そういう戦略の下、ゆみは差し込みを見送ったのだろう。桃子はそう考え、ゆみの指示に従った。

 しかし、そのような思惑も確かにあるにはあったが、ゆみはそれとは別の理由で差し込みを見送っていた。

 ――裏ドラがもし暗刻の一筒か北に乗れば倍満。モモがこれに差し込めばモモはトぶ。いくらなんでも、そんな勝ち方は――

 その可能性がゆみを躊躇させていた。確かに一度はコンビ打ちを了承したが、それでもゆみにはまだ迷いがあった。自分の勝ちに徹しきれない。自分の勝利を桃子が心底望んでいるとしても、やはり献身的な後輩をトばしての勝利には、拭いがたい抵抗を感じずにはいられない。

 13巡目まで来ても未だゆみは和了り牌をツモらず、また他家からの放銃も無い。美穂子も久も、ここまで来ればゆみが筒子の染め手である事は分かっており、その待ちが一四七筒か三六九筒のどちらかの筋である事も看破していた。

 膠着状態に桃子は痺れを切らし始めていた。折角掴んだ満貫確定手のチャンス。ここでみすみす流すのはどう考えても惜しい。だから桃子は14巡目以降、3巡続けて自分のツモ時にゆみへ合図を送った。

 ――そろそろっすか?

 差し込みの合図。これ以上待っても他家からの放銃は期待できない。かといって、残り少ないツモで和了る確率もこれまた低い。

 しかし、ゆみは頑なだった。決して首を縦には振らない。最後の最後まで、ツモや放銃に賭けるつもりである。

 ここに来て、桃子もゆみの本心に気付いた。自分の持ち点は12000。裏ドラ次第では差し込みでトぶ可能性もある。ゆみはそれを避けようと、差し込みを躊躇しているのだ。

 ――甘いっすよ! 先輩!

 自分の勝ちに徹し切れていないゆみを目の当たりにし、桃子は歯噛みした。そんな甘い決心では相対する猛者達に到底勝てない。そんな隙、彼女らは易々と突いてくる。舞い降りたチャンスを活かさずして、この対局を制せられるはずがない。

 確かに、ゆみの気遣いは嬉しい。しかし、ゆみの勝利こそが至上命題である桃子にとって、その気遣いは完全にナンセンスだ。現に、桃子は理想的な展開として、前半戦の東一局でゆみの役満に差し込んでの一発勝利をも空想していたのだから。

 ――次の私のツモ番で差し込むっすよ。先輩がどれだけ拒否しても。

 桃子は油断なくそう決意した。

 本人は油断しなかったつもりだろうが、しかしそれは美穂子と久を前に致命的な油断だった。次のツモ番で差し込む。それが取り返しのつかない気の緩みであった事を桃子は思い知らされる。

「カン」

 同巡、美穂子が一萬を暗カン。リーチ家相手に新ドラを増やすという行為に出る。

 しかも、その新ドラ表示牌が九筒。つまりドラは一筒で、ゆみの手は一気にドラ4となった。端から見ればこれは愚行。むざむざ敵に塩を送るようなもの。

 しかし、桃子に戦慄が走った。

「あ、ごめんなさい」

 嶺上ツモの際、美穂子は手牌の内の二つを倒し、全員に見せてしまった。倒したのはどちらも生牌である西と七索。美穂子はそれを申し訳なさそうに手牌に戻した。

 どう考えても不自然で有り得ないミス。桃子の悪い予感はこの出来事で確信に変わった。

 ――マズイ! 流される!

 桃子は焦燥に駆られた。いつでも差し込めるという状況が生んだ油断に、桃子は遅すぎる後悔を抱いた。

 ――ふーん。この人、案外こういう事もやってくるんだ。

 当然、久も美穂子の暗カンとミスの意図に気付いていた。次巡の桃子の差し込み気配も感じていた。桃子の持ち点から判断すれば、確かにこの差し込み一つで勝負が決するかもしれない。新ドラが増えた事で尚更、その可能性は高くなった。

 ――でも、解せないわね。西と七索か――

 生牌の西と七索。久はそれらを一つずつ所持していた。手牌を倒したあのミス。あれは十中八九、この西と七索を切れというサインだったのだろう。

 問題は、何故それらを久が持っていると分かったのか。確かに、推測は出来る。おそらく、美穂子は西を暗刻として持っているのだろう。それならばゆみが西を持っている可能性は低く、また、ゆみへの差し込みを狙っている桃子が西を抱え込む意味もない。七索については、筒子の染め手であるゆみが持っている可能性は低く、それゆえ桃子にも無い。ゆみが七索の傍を切っている事がその傍証にもなっている。

 だが、それはあくまで推測で、確信には至らないはずだ。もし久が西と七索を持っていなければ、むざむざ新ドラを増やしただけであの行為は終わってしまう。そんな危険な賭けに、果たして美穂子が打って出るだろうか。

 ――まさか、これでも読み切ってるなんて事はないわよね。

 久は毎回、理牌の順序を変えてきた。これで手を読めるはずがない。しかし、美穂子の行為はその前提すらも覆しかねないほど不気味に映った。

 とはいえ目下の所、ゆみの和了りを阻止する事が最優先。

 ――癪だけど、ここは乗るしかないか。

 他に選択肢はない。ここでゆみに勝ち逃げされては元も子もないのだから。

 久は西を切り、それを美穂子がカン。その後はもう記述するまでもなく、美穂子と久の即興のコンビ打ちによって桃子に差し込みの機会を与える間もなく流局となった。

 美穂子とゆみが聴牌。久の親は流れたが、桃子の気は晴れなかった。

 とんだ失態。ゆみの事を甘いと考えたが、真に甘いのは自分であった。この両部長に対し、差し込みの機会を見送るなど有ってはならない愚考だったのだ。たった1巡で場を劇的に変える術など、この二人は当然のように持っている。確実に取れたはずだった8000点以上の点棒は、その事を改めて思い知らされるための高い授業料となってしまった。

 ――もう迷わないっすよ。絶対に!

 捨て身にも臆さず、ゆみの躊躇すらも断ち切る。後半戦東二局にて、桃子は今後一切の油断を排斥してゆみの勝利に尽力する事を誓った。

美穂子32500、久27000、桃子10500、ゆみ29000、リー棒1000

 

■東三局(親:桃子)

 配牌後のゆみの手牌は以下の通りだった。ドラは發。

 

 二六 三四八 二二五九九 西東白

 萬萬 筒筒筒 索索索索索

 

 一見して悪いと分かる五向聴。大物手にもなりそうにない。

 個人戦にも関わらず、桃子と組んでのコンビ打ち。しかし、それでも点は全く伸びていない。

 ゆみは先の団体戦を想起した。大将戦にて天江衣らと闘った時も、和了るどころか聴牌にも届かずに苦しめられる場面が多々あった。

 今回は違う。桃子の支援もあって、聴牌にはすぐに届く。のみならず、後半戦に入ってからは配牌やツモも良い。しかし、それでも和了れない。いや、和了らせてもらえない。桃子からの差し込みすら往々に阻止される。天江衣のような超常の力ではなく、卓越した読みと技術により、ゆみは点棒獲得を阻まれていた。

 普通に打っても道は開けない。定石通りの打ち筋では、おそらくこの好敵手ら相手には温い。そう感じ始めてきた頃に、この悪配牌。今局こそが現状打破の機会ではないかと、ゆみは強く感じ取った。

 そこで第1巡、北をツモったゆみの第一打は三筒だった。手牌の中で唯一順子になりそうだった三四筒の片割れを崩すという変則打ち。ゆみは静かに賭けに出た。

 一方、ゆみ以外の三人は好調だった。

 序盤、まず桃子が聴牌。ピンフのみ。ゆみの打ち筋を邪魔しない為に当然ダマだが、しかしゆみの手が遅いため、今回は和了って親を継続させるつもりだ。

 久もゆみから東をポン、美穂子から八索をチーし、ドラの發を雀頭とした3飜手を8巡目に聴牌した。こちらは一四七萬の三面張だったが、4巡目に一萬を切ったのが裏目となってフリテン状態だった。

 10巡目に美穂子も聴牌。この時はタンヤオのみでシャボ待ちだったが、12巡目に手を変え、ピンフを付けての三面張となった。しかし、桃子の聴牌気配とゆみの変則打ちを感じ取り、美穂子も黙聴を保った。

 そう、美穂子はゆみの変則打ちを看破していた。違和感は初手の打三筒から。続く捨て牌も、これまでの理路整然としたゆみの打ち筋と比べると明らかに異質であり、それが美穂子の読みを鈍らせていた。

 その変則打ちが実ったのか、五向聴の配牌から14巡目にしてゆみが聴牌に届いた。七対子のみの手。残りのツモも少ないので黙聴でも良さそうな局面だが、ゆみは即座にリーチを宣言した。悪配牌から変則打ちで得た値千金の聴牌。その和了りを信じられないようでは話にならないという確固たる思念がゆみにはあった。

 直後のツモで美穂子はゆみの現物を引き、迷いなくそれをツモ切り。対して、久は現物を引けなかったため、フリテンの聴牌を崩して手出しで現物を捨て、ベタオリ。桃子の手元にはゆみの和了り牌が無く、ツモ切り。続くゆみも和了り牌をツモらない。それが3巡続き、再び美穂子のツモ番がやってきた。

 ここで美穂子が引いたのは西。自分にとっては不要な牌。しかし、ゆみにとってはどうか。

 美穂子は西を手にしばし黙考する。西はゆみの現物ではないが、しかし場に二枚出ている。つまり、ゆみが西で待っているとしたら、それは地獄単騎という事。

 ゆみの手が七対子である事は美穂子にも見当が付いていた。ならば、西での単騎待ちも充分に考えられる。しかしリーチ前の捨て牌を見れば、西よりも有効に待てる牌が多く捨てられている。流局まで残り数巡。美穂子は聴牌を保つため、西をツモ切った。

 ――加治木さんの性格なら、ここで敢えて地獄単騎を選ぶ事はないはず――

 単なる確率の問題ではない。これまでの局で見たゆみの打ち筋とその性格から、美穂子は西がゆみへの安牌であると結論づけた。

 しかし、これは美穂子にしては珍しい悪手だった。ゆみが初手から変則打ちで臨んだのなら、もはや今局、これまでのゆみの打ち筋は参考にならない。そこを読み違えた美穂子がゆみの覚悟のリーチに振り込むのは道理であった。

「ロン。リーチ七対子」

 響いたのはゆみの宣言。開かれたのはゆみの手牌。

 

 二二 六六 四四 九九 二二 八八 九九 西 西

 萬萬 萬萬 筒筒 筒筒 索索 索索 索索

 

 西の地獄単騎。更に九筒が裏ドラとなり、5飜満貫8000点。

 理を捨てて辿り着いた聴牌。背水の陣の覚悟で打って出たリーチ。強敵美穂子からもぎ取った価値ある和了りだった。

 ――やった、逆転! さすが先輩っす!

 再度トップに躍り出たゆみを見て、桃子は内心で快哉を上げた。中間休憩時、自分は両部長よりも弱いという旨の発言で弱気を見せたゆみだったが、しかしそんな事はない。やはり先輩は強いのだ。桃子は今にもそう叫びたい思いだった。

 ゆみ自身も、今回得られた結果に確かな手応えを感じていた。

 ――対等に立ち向かえるかもしれない――私でも――

 何よりあの美穂子から満貫を出和了りできた事で、ゆみにも自信が芽生えてきた。

 その美穂子には、しかし悔恨は微塵もなかった。確かに、ここに来て8000点の支払いは痛い。だがその代償として、彼女は有益な戦果を手にしていた。

 それは久のベタオリ。ゆみのリーチを意識し、手出しで切っていった現物。それらは久の理牌を読み取るデータとして美穂子に明かされたのだ。

 理牌の変更によって美穂子の麻雀は崩れるという、久の目論見。それが全く見当外れに終わっている事に、久は未だ気付いていない。

美穂子24500、久27000、桃子10500、ゆみ38000

 

■東四局(親:ゆみ)

 久とゆみが好調。

 序盤、ゆみは桃子から東を鳴き、ダブ東を幸先よく手に入れた。続いて、桃子から更に九筒をチーし、チャンタと混一を匂わせる展開となった。

 一方、久も負けてはいない。順調に手を進めていき、ピンフタンヤオの手が門前で一向聴。

 そして7巡目、ゆみが久から二筒をポンして二五八筒待ち聴牌。傍目にも分かる通りの混一手である。ゆみ自身も出和了りは期待しておらず、ツモか桃子の差し込みを狙った手だった。

 だが直後、美穂子が一筒を切った事に一同驚愕した。筒子の染め手に対しての危険牌。それを躊躇なく切るその姿勢はこれまでの美穂子と変わらない。やはり、美穂子を狙い打つのは無理なのか。桃子もゆみも諦観を抱いた。

 しかし、久は別だった。ゆみへの振り込みを避けつつ9巡目に辿り着いた聴牌。

 

 三四五 四五六七八八 南南 九九 南

 萬萬萬 索索索索索索    萬萬

 

 ドラが九萬の今局で南をツモ。役は無いが、ここから八索を切ってリーチすれば、三六九索待ちで最低3飜。普通ならそう打ちたくなる局面。

 しかし、久が切ったのは四索。三面張を捨て、八索と九萬のシャボ待ちでリーチを宣言した。しかも八索はすでにゆみの一枚河にあり、九萬はドラゆえ振り込みは期待できない。久の十八番である悪待ちへの移行である。

 端から見れば、更なるドラを引き入れての満貫狙いとしか読み取れない一手。勿論それも彼女の狙いの一つだが、あくまで本命は美穂子だった。

 ――さあ、ぶれた読みでこの罠をかわせるかい?

 理牌の変更により、美穂子の読みは今大きく揺れている。自分の麻雀を見失った時、人が最終的に縋るのは理――つまりは合理的思考によって求められた確率だ。手を読みきれないなら美穂子は、通る確率が高い牌から切っていかざるを得ない。

 久の河を見れば、三六九索が怪しい事は美穂子なら見抜けるだろう。そこが第一の罠。久が悪待ちを好むといっても、やはり可能ならば三面張で待つのが定石。なぜなら、その方が和了れる確率が高いから。手を読みきれなければ、やはりこの高確率に縋りたくなるのが人間というもの。その上で手を進めるために強打してくれば、その待ちを縫った八索も自ずと切られてくる。久の第一の狙いはそこだった。そのために、久は一向聴の時に八索の筋である五索を捨てていた。

 だが手が読めずとも、久の性格分析を信じて悪待ちを想定する可能性もあるだろう。本命に思える三六九索をこそむしろ切ってくるかもしれない。

 そのため、久は第二の罠を用意した。それがドラとのシャボ待ち。その前段階として、久は序盤の内に対子となっていた八萬を連続で捨てていた。しかも、八萬はドラ表示牌として一つ、さらにゆみの河に一つあり、場に全て見えている。ゆえに、ドラを含めた面子は作りにくい。そうでなくとも、他家リーチ後のドラ振り込みは確率が低い。しかし、だからこそ久ならドラで待つのではないか。久の悪待ちを警戒するなら、それは自然な思考回路だ。久にとっては、それがむしろ好都合。注意がドラに向けばその分、八索への警戒が薄れる。三六九索を切る時に、つい勢いで切ってしまう牌にも成り得るだろう。

 美穂子を絡め取るためだけに用意された二重の罠。そのためだけの悪待ち移行。最悪、和了れずとも良い。このまま流局になり手牌をオープンすれば、美穂子の読みはさらに揺さぶられるかもしれない。そう考えた末の決断だった。

 この久のリーチに対し、桃子はベタオリを選択。ゆみの和了り牌を引くまで根気強く待つ戦法を取った。

 続く美穂子は手出しで七索を切った。やはり、強気で攻めてくる。まるで、完全に手は読めていますとでも言うかのように、三六九索の傍を切ってくる。久は笑みを噛み殺した。

 それでいい。その強気の姿勢が仇となる。それとも、久が四索を捨ててリーチした事で、その筋である七索が安全と考えて切ったのだろうか。だが、それも結局は同じ事。それなら、すでに久の河にある五索の筋として八索を切ってくる可能性も高くなるだけだ。

 その後も久は和了り牌をツモらず、桃子はベタオリのまま、ゆみも久の現物を連続でツモ切り、場は動かなかった。そんな中、美穂子だけが強気に手を進めていた。まるで間隙を突くように、久やゆみの待ちを避けて牌を切っていた。

 そうして13巡目、美穂子はツモった牌を手に含めて五索を捨てた。

 ――風越も張ったか――

 久の現物である五索切りは、美穂子がベタオリに移行したとも読み取れる一手。しかし、ここまで強気で攻めてきた美穂子がここに来て旗手を翻すはずもない。この安牌切りに、久は逆に美穂子の聴牌を感じ取った。

 しかし、すでにリーチしてしまった久には何の対処も出来ない。14巡目も久、桃子、ゆみの打ち筋は変わらず、美穂子はまたもや五索を今度はツモ切りした。

 そして、続く15巡目、決着の声が響いた。

「ツモ。ピンフ一盃口ドラドラで2000・4000」

 美穂子が和了り牌を引き入れて終了。だが、美穂子の手牌を見て久は愕然とした。

 

 五五六六七 九九 五六七 六七八 七

 萬萬萬萬萬 萬萬 筒筒筒 索索索 萬

 

 八索と二枚の九萬、久の待ち牌を全て潰しての和了り。それだけならまだ良い。問題は、和了る直前に五索をツモ切ったという事だ。

 ――まさか、これでも読み切られるっていうの?

 五六七索の順子としていれば三色同順が付き、満貫が確定。高目で跳満も有り得た。その好条件を捨てて八索を手元に残した理由は一つしかない。それが久の和了り牌である事を見抜いていたからだ。

 久の現物である五索を切った、という可能性も勿論ある。しかしそのような安全策を取るなら、そもそも久のリーチ直後に捨てた七索がまずおかしい。七索も八索も、久の捨て牌から判断すればどちらも筋。筋ひっかけを考慮に入れていたなら、あそこで七索を打てるはずがない。聴牌にすらおそらく届いていなかったあの局面で強打するなら、2飜を確実に獲得できるタイミングで及び腰になるというのも辻褄が合わない。

 ――ありえない――ぶれた読みでここまで正確に分かるわけないわ――

 久の足は知らず震え、鼓動は早くなった。これまで感じた事のない不安と焦燥に身を焼かれ、その感情を抑えきる術も無い。

 後半戦東一局二本場から、久は毎回理牌のやり方を変えてきた。萬子、筒子、索子、字牌の順序を変えるのは勿論、時には面子単位で「字牌・萬子・字牌・索子・萬子」のように並べた時もあった。数字の順序を「九八七萬」のように逆にした事もあった。例えば不要な筒子をツモった際、時にはそれを筒子の塊に入れ、時には筒子以外の塊に入れた。そのようにして美穂子を翻弄し、読みを鈍らせた上で二重の罠を仕掛けたのだ。

 しかし、美穂子はそれを回避した。地雷原を悠然と駆け抜けるが如く、幾重にも張り巡らせた策にも罠にもかからずに和了りを手に入れた。

 そんな人間をどうすれば御する事ができるのか――久には皆目見当が付かない。

 理牌を変えた事で、磐石な読みを崩したと思った。信念を揺らしたと確信した。

 しかし、ここに来て信念に翳りが見え始めたのは、竹井久――

美穂子33500、久24000、桃子8500、ゆみ34000

 

 点棒が大きく動いた後半戦東場。その大きなうねりの水面下では美穂子と久の壮絶な駆け引きが繰り広げられ、ゆみもそこに割って入った。数々の罠を潜り抜けた美穂子が点を伸ばし、罠を無効化された久が点差を離され、東場は終結。

 決勝戦第三卓もこれで四分の三が終了し、残るは後半戦南場のみ。

 この南場にて、奇しくも団体戦の大将戦と同じ展開が起こり、一同は悪戦苦闘を強いられる事となる。

 勝負の卓、その周囲の空気が不穏な淀みを増していくばかりの中で。

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