昭和のいつか。どこかにある高校。季節は初冬。
「少し寒くなったなぁ」
いつものように缶ビールを買おうと自販機を目指して自転車で夜の街を行く。
民家がまばらで車があまり通らない道。
埋立地近くに差し掛かかると自販機の明かりが見えてきた。
取り出し口に出てきたロング缶を掴んで自転車の方へ振り返ると、
「お兄ちゃん、最近増えてる」
「わっ」
瑛子が立っていた。腰に手を当てている。困ったような表情。
「あれ以来どうしても、な」
「……」
あの夜。
気を失って倒れた俺はそのまま一週間、昏睡。
目が覚めた時は母親に泣かれた。初めて見る母親の涙。動揺する俺。ごめん。
医師の見立てだと骨折やら脱臼した痕跡だけがあるということでしきりに首を捻っていた。
心の中で瑛子に頭を下げておく。治してくれたんだ。
あの後現場は騒然となり、一ヶ月経った今も封鎖区域のまま。
俺は両親と一緒に自宅に戻る。日常へ帰るのだ。
一回、お偉いさん方に呼び出され、二日に渡ってあれこれ質問をされ、わかることだけ答えた。
なぜ巨人化した鈴木瑠美子と互角に戦えたのかは俺にもわからない。瑛子が何かしたのはわかるが。
教えてもらえたことはごく僅か。
機動隊に死者はなし。ほっとする。
鈴木留美子が変化したあの黒い粉、砂鉄だったそうだ。
ウサギもどき達の大軍。その死骸も同じように砂鉄の塊と化していた。さっぱりわからん。
事件について口外しないという宣誓書にサイン。勿論誰にも言うつもりないが。
それ以来、夜になるとやりきれない気持ちが込み上げてくるようになった。
それを紛らわす為にビール飲みながらの徘徊が増えた。
「瑛子、心配かもしれんが、俺には必要なことなんだ。いつまでもは続かないと思うからさ」
「後ろ座るね」
二人乗りで夜の街。
「くはーっ!苦いけど美味い!」
「何それ。美味しいから飲んでるんじゃないの」
「美味いと思ったことは一度もない。なんか苦いだけだ」
「なんで飲むの……」
「気分だよ。誰もいない夜の街を走る。それを盛り上げる為に飲むのさ」
「変なの」
酒豪家系の俺は全く酔うこともない。
我ながらわけわからん事している自覚はある。
気分としか言いようがない。仕方ない。
「今日はどした?込み入った話か?」
「ちょっと寒いから私の部屋へ来て」
言うが早いか既に瑛子の謎家にいた。
「はいお茶」
渋い湯呑みにこれまた渋い急須から注がれる緑茶。
「ビール飲んだばかりだから飲めないぞ」
「カフェインはアルコールの代謝を早めるの」
「お、おう。ならいただきます」
あ、美味い。
「美味しいでしょ?自家栽培よ」
「お茶農家にでもなる気か……」
「冗談はおいといて、お兄ちゃん、身体はなんともない?」
「ん、あー快調ではあるよ」
「ならいいけど」
あの日。
瑛子が俺に何をしたのか。
訊きたい気持ちはある。
でも訊かない。瑛子が話すまでは。
「あのね、お兄ちゃん」
「言いにくいなら無理に言わなくていいぞ」
「え?」
瑛子の形の良い眉が動く。
「無理に聞きたいとは思わないだけだ」
「あ、うん……ごめん」
こんな瑛子を初めて見るな。
退院した後も佐藤優子や飯田奈美に比べ、一歩後ろに下がってたし。
「瑛子のおかげで鈴木留美子とやり合えたし、その……倒すことが出来たんだ」
“殺した”とは言いにくい。
校舎と肩を並べるぐらいに巨大化していたから、確かに『人間感』は薄い。
しかし命を奪ったのだ。俺が。この手で。
相手は仲間の魂を人間に転送してきた侵略者だ。
酒巻や加藤弥生、他の生徒もそうされかけた。
俺たちの学校も地下に沈めた。
だがな。
この手に残る感触。
心臓を突き刺した時の手応え。
まだ残ってるんだよ、ありありと。
夢に見ることもある。今でも。
忘れることなんて出来ないんだ。
誇らしい気持ちも達成感もない。
後悔とも違う。
このモヤモヤ感はずっと続くんだろう。
「暗いよー!◯◯君」
「ブハっ」
「ねえ優子も聞いた?『ブハっ』って!あはは」
アンネさん……前触れなく人の背中を叩くのやめてくださいよ……。
「うわあ!辛気臭い顔〜。うりうり」
「ひゃめて!」
両頬を引っ張られる。
いつもなら『吸血鬼は無断で来るな!』と怒る瑛子がおとなしい。
頬を引っ張っていた手でそっと包まれる。
覗き込んでくる明るいブルーの瞳。
「悩んでもいいさ。でもそれは“何を”かな?」
「え?」
「殺された相手のことか、殺した自分のことか」
「……わかりません」
「見逃すとか許す選択肢はあった?」
「……ありません」
「誰かが止めなきゃあのまま人生を奪われる人達が増え続けていた」
「……そうです」
「君はやるべき事をやっただけ。悩むことはない」
「……」
そしてアンネさんは片目を瞑り、
「でも若いし割り切れないだろうし、初めての殺し。落ち込むのは無理ないけどね。そろそろ前を向こうよ」
そういうとさらに顔を近づけてきた。
「意識失うぐらい血を貰えばスッキリするのかな?ショック療法」
「!!」
「はいそこまで」
佐藤優子がアンネさんの頭を掴んで後ろへ。
「ごめんね◯◯君。アンネなりの励まし方なの」
「わかります。それぐらいは」
「飯田さんも心配してるわ」
「はあ」
「近くでおろおろしているわよ」
「え?」
「君が自転車で出かける時から、ね」
「そうですか。瑛子、俺もう家に帰るよ」
「うん。おやすみお兄ちゃん」
謎家を出たところ、電柱に隠れるように飯田奈美がいた。
電柱の陰から覗く人間も初めて見たぞ。
「◯◯君……」
「すまん。俺は周りに気を遣わせてたな」
「ずっと……目が虚ろだったから」
「アンネさんに喝を入れられた。なんか少しマシになったよ」
「そうなんだ」
「やっぱ年の功……あぶっ」
「乙女に失礼なこと言う人は誰かなー」
「ひゅみません……」
突然現れて頬を摘むドイツ人吸血鬼さん。やめて。
しかも自分のこと乙女と言う人初めて見たぞ。
「ご心配おかけしました。皆さんありがとう」
丁寧に礼をする。
やや驚く三人に顔を見られないよう自宅へ逃げるように入った。
久しぶりに安眠出来た気がする。
翌日は日曜日。
気分転換も兼ねて商店街の楽器店へ。
「◯◯君、久しぶりだねぇ」
「お久しぶりです」
「いいスネアが入荷したんだよ。見てみる?」
「今のがあるんで……それより空いてます?」
「午前中は空いてるよ。使うの?」
「ちょっと叩きたい気分なんですよ」
二時間おさえて思い切り叩いた。
スタジオの暖房入れてないが汗だくだ。
「店長、終わりました。はい鍵」
店長の横に女子がいる。すらっと細い子だ。いかにもバンドやってるっぽい。
「タイミング良かった。◯◯君、ちょっと話聞いてあげてよ」
「はぁ」
「◯◯君、初めましてかな?一年の河野涼子です。リーダーでベースです」
「上級生を君呼びするの流行りなのか」
「え?だめでした?」
「ああもういいよ」
「すみません、じゃ◯◯さん、ドラムやってるんですよね?」
「まぁ」
「ここまで音が響いてました。初めてです」
「◯◯君は力入れ過ぎてシンバルを割りまくるからね」
店長が暴露する。
「わぁ!ほんとですか?」
「……本当だよ。で、何の用?」
「うちのバンドに入ってほしいんですよ」
「え?」
スカウトされるなんて想像したこともなかった。
「ほら、学校があんなことになっちゃって。私ら中学の時からずっと組んでるんですけど、ドラムの子がやる気無くしちゃって」
「あーうちも俺を含めて全員そうだが」
「で、ドラムを探していたんです。春休みに青少年センターのステージ借りて演ろうって」
聞いたことはある。他校のバンドが複数で借りて演ってたな。
「一応聞くけど何演ってるの?」
「△△△のコピーです」
「珍しいな」
国内初の女性メタルシンガーだ。サポートするのはこれまた国内有名ヘビーメタルバンドの面々。
「俺、そんなに上手くないけど?」
「いえ、◯◯さんの演奏は知ってます」
「なぜ知ってる?」
「色々な人に聞きました」
誰やねん……。
「まぁうちのバンドはもう解散に近いし、いいよ」
「やった!ありがとうございます!あ、皆んなを呼んできますね」
向かいの喫茶店へ走っていく河野涼子。
「◯◯君、このスネア!どう?」
「いや買う予定ないです」
「そうか……」
店に入ってくる四人の女子。
まさか。
まさかまさかまさか。
「◯◯さん、紹介しますね!この子が……」
まさかの女子バンドだった。
小学生の頃に散々聞いたフレーズが頭をよぎる。
『女の中にぃ男がひとりぃ♪』