雪は、静かだった。
空から落ちてくる白は音も無く世界を埋め、踏み締めた感覚すら曖昧にしていく。木々を揺らす風の音も、吐き出した息も、降り積もる雪へ吸い込まれていくようだった。
冷たい。
いや、痛い。
頬へ吹き付ける風が鋭い。耳の感覚はとうに薄れ始めていて、手袋越しでも指先が痺れていた。
「っ〜〜〜……寒ぃ……」
コニーが肩を震わせる。
「耳取れそうなんだけど」
「安心しろ。元から変な形してる」
「お前またそれ言っただろ!?」
コニーが振り返る。
白い息がぶわっと広がった。
「レパートリー増やせよ!!」
「そんな余裕あるように見えるか?」
アスカは前を向いたまま返す。
雪中行軍訓練。
三人一組に分けられた訓練兵達は、山岳地帯を進みながら目的地の山小屋を目指していた。
アスカ班は、
アスカ。
マルコ。
コニー。
という組み合わせだった。
「でも、本当に凄い雪だな」
マルコが空を見上げる。
帽子にも肩にも雪が積もっていた。
「吹雪、さっきより強くなってる」
「あぁ」
アスカは短く返す。
視界が悪い。
風向きも変わっている。
雪山は地下街と違う怖さがあった。
静かに、ゆっくり殺してくる。
「……また見てる」
マルコが少し笑う。
「あ?」
「雪」
「前も似たような事言ってたな」
「だって分かりやすいから」
「全然分からん」
「本人だけだろ、そう思ってるの」
マルコが苦笑する。
アスカは小さく息を吐いた。
こういう所だ。
踏み込み過ぎない。
でもちゃんと見ている。
不思議な奴だった。
「おーい!!」
前を歩いていたコニーが叫ぶ。
「見えたぞ!!」
吹雪の向こう。
ぼんやりと灯りが見えていた。
山小屋だ。
「っしゃあああ!!」
コニーが拳を上げる。
「暖炉!! 毛布!! 生還!!」
「まだ終わってねぇだろ」
三人は雪を掻き分けながら小屋へ向かった。
扉を開けた瞬間、暖かな空気が流れ込んでくる。
「ぅおぉ〜〜……」
コニーが本気で感動した顔をした。
暖炉には既に火が入っていた。
ぱちぱちと薪が爆ぜ、橙色の火が小屋を照らしている。
「遅かったな」
暖炉の前にいたジャンが言う。
「吹雪ヤバかった」
マルコが肩の雪を払う。
アスカは壁際へ腰を下ろした。
冷え切った身体が少しずつ解けていく。
暖かい。
それだけで身体から力が抜ける。
「アスカ、これ」
マルコがスープ缶を差し出してきた。
「……サンキュ」
一口飲む。
熱が喉を通り、胃へ落ちていく。
「っはぁ……」
「今、かなり生き返った顔してたぞ」
「うるせぇ」
ジャンが少し吹き出す。
その時だった。
「……あれ?」
誰かが呟いた。
空気が少し変わる。
「ユミル班は?」
沈黙。
小屋を見回す。
ユミル。
クリスタ。
ダズ。
三人の姿が無かった。
「まだ着いてねぇのか?」
ジャンが眉を寄せる。
「吹雪かなり強いぞ……」
マルコの顔も曇る。
アスカは窓の外を見る。
白。
何も見えない。
嫌な静けさだった。
「教官は?」
「別班の確認行ってる」
「……チッ」
時間だけが過ぎていく。
暖炉の火は暖かい。
だからこそ、外の寒さが想像できた。
コニーも黙っている。
さっきまでの騒がしさは無かった。
「……大丈夫かよ」
ぽつりと漏れる。
返事は無い。
その時。
ギィィ……
扉が開いた。
全員が振り返る。
「クリスタ!!」
そこに立っていたのは、雪まみれのクリスタだった。
肩で息をしている。
顔色も悪い。
「ユミルは!?」
クリスタの唇が震える。
「ユミルが……ダズを……」
空気が凍る。
「ダズが倒れて……ユミルが背負って……!」
クリスタの目には涙が浮かんでいた。
アスカは立ち上がる。
「どこだ」
「待って!!」
クリスタが叫ぶ。
「ユミルが来るって……だから……!」
吹雪の音だけが響く。
そして。
白の向こう。
小さな影が見えた。
「……誰かいる」
アスカが呟く。
全員が息を呑む。
吹雪の中を、一つの人影が進んでくる。
ふらつきながら。
今にも倒れそうな足取りで。
それでも。
一歩ずつ。
確実に。
「……ユミル」
扉が開く。
雪と風が一気に吹き込んだ。
ユミルだった。
肩にはダズを背負っている。
全身雪まみれ。
唇は青い。
息も荒い。
それでも。
その目だけは、死んでいなかった。
☆☆☆
ユミルが小屋へ入った瞬間、膝から崩れ落ちた。
「ユミル!!」
クリスタが駆け寄る。
ダズの身体が床へ降ろされる。顔色は真っ青だった。呼吸も浅い。
「水!!」
マルコが叫ぶ。
誰かが慌てて水筒を投げる。
暖炉の火が揺れた。
外では吹雪が唸っている。だが小屋の中だけは妙に静かだった。
「……っ、はぁ……」
ユミルが荒く息を吐く。
肩が上下していた。
服は雪で濡れきっている。手も赤く腫れていた。
「なんで一人で助けようとしたんだよ……」
ジャンが低く言う。
「この吹雪だぞ」
「うるせぇな……」
ユミルは壁へ背を預ける。
「置いてく訳にもいかねぇだろ」
「でもお前まで死にかけてんじゃねぇか」
「死んでねぇよ」
そう返す声も弱い。
クリスタは必死にユミルの手を擦っていた。
「ごめん……ごめんユミル……」
「は?」
ユミルが顔を上げる。
「なんでお前が謝んだよ」
「だって私が……」
「うるせぇ」
ぴしゃりと言い切った。
小屋の空気が止まる。
「お前、またそうやって死のうとしてただろ」
「っ……」
クリスタの肩が揺れる。
アスカは少し目を細めた。
ユミルの声は怒っていた。
だが、それだけじゃない。
「ダズ背負って行くとか言い出した時点で分かったんだよ」
「違っ……」
「違わねぇ」
ユミルが吐き捨てる。
「お前、自分が死んでも誰か助けられればそれでいいって顔してた」
暖炉の火がぱちりと鳴る。
誰も口を挟まない。
ユミルは真っ直ぐクリスタを見ていた。
「そういうの、やめろ」
「……」
「お前が勝手に死んで満足しても、残された方は迷惑なんだよ」
クリスタが唇を噛む。
俯いたまま、何も言わない。
アスカは壁にもたれながら、その光景を見ていた。
「……」
分からなかった。
地下街なら、ダズは置いていく。
動けない奴は死ぬ。
それが普通だ。
自分が生きる為に他人を切り捨てる。
そうしなければ、自分が死ぬ。
なのに。
ユミルは戻ってきた。
死にかけながら。
ダズを背負って。
「……意味分かんねぇ」
ぼそりと漏れる。
「ん?」
隣にいたマルコが振り返った。
「いや別に」
だが本当に分からなかった。
何でそこまで出来る。
何でそこまで他人を背負える。
地下街にはいなかった。
こんな人間。
「アスカ」
不意にユミルがこちらを見る。
「あ?」
「お前、今“馬鹿じゃねぇの”って顔してるだろ」
「してねぇよ」
「いやしてる」
ユミルが少し笑った。
「まぁ、間違ってねぇけどな」
「……」
「でもな」
ユミルは視線をクリスタへ戻す。
「コイツが勝手に死ぬ方がムカつくんだよ」
その言葉に、クリスタの肩が震えた。
暖炉の火が揺れる。
外ではまだ吹雪が唸っていた。
だが小屋の中には、不思議な熱があった。
怒鳴り声でも。
正論でもない。
もっと、生々しい何か。
「……」
アスカは小さく息を吐く。
胸の奥が少しだけ重かった。
多分、自分はまだ理解できていない。
でも。
目を逸らせなかった。
ユミルの背中から。
ダズはしばらくして意識を取り戻した。
「ぅ……あ……」
掠れた声。
その瞬間、小屋の空気が少し緩む。
「お、おい! 起きたぞ!」
コニーが声を上げる。
「水だ、水!」
「落ち着けコニー」
マルコが苦笑しながら水筒を渡す。
ダズは震える手でそれを受け取り、少しだけ口を付けた。
「っ……ぅぅ……」
「大丈夫か?」
ジャンが覗き込む。
ダズは涙目のまま頷いた。
「ユミルが……」
視線がユミルへ向く。
当の本人は暖炉の近くで壁にもたれ、目を閉じていた。
「……死ぬかと思った」
「こっちの台詞だ」
ジャンが吐き捨てる。
「お前ら戻って来ねぇし」
「吹雪で道見失ったんだよ……」
ユミルが面倒臭そうに返す。
だが声にいつもの余裕は無い。
疲労が滲んでいた。
クリスタはそんなユミルをじっと見ている。
「……」
何か言いたそうだった。
でも言葉が出てこない。
その空気を見て、アスカは小さく息を吐いた。
暖炉の火が揺れる。
ぱちぱちという音だけが小屋へ響いていた。
外の吹雪はまだ止まない。
「なぁ」
コニーがぽつりと言う。
「俺だったら無理かも」
「何がだ」
アスカが視線を向ける。
「ダズ背負って戻るの」
コニーは暖炉を見つめたまま続ける。
「だって俺まで動けなくなったら終わりじゃん」
「……まぁ普通はそうだろ」
アスカは短く返す。
地下街ならそうする。
切り捨てる。
置いていく。
それが普通だった。
「でもユミルは戻った」
マルコが静かに言う。
「それって凄い事だと思う」
「凄いっていうか、無茶苦茶だろ」
ジャンが眉を寄せる。
「実際かなり危なかったぞ」
「まぁな」
ユミルが鼻で笑った。
「ただまぁ…クリスタが無駄死にするくらいなら、私の方がまだ助けられる確率があると、そう思っただけだ」
ユミルはそう簡単に言ってみせた。
だが妙に重かった。
クリスタが俯く。
「……私が弱かったから」
「また始まった」
ユミルが呆れたように言う。
「お前、自分責めるの好きだな」
「だって……」
「だってじゃねぇ」
ユミルは暖炉の火を見つめる。
「お前さ、自分が傷つけば全部丸く収まると思ってんだろ」
クリスタの肩が小さく揺れる。
「そういう顔、嫌いなんだよ」
「……」
「もっと自分の事考えろ」
その言葉に、アスカは少しだけ目を細めた。
地下街では聞かなかった言葉だった。
自分の事だけ考えろ。
それなら何度も聞いた。
だが今、ユミルが言ったのは逆だ。
“自分を大事にしろ”。
それが何故か、妙に頭へ残った。
「……」
アスカは暖炉を見る。
揺れる火。
暖かい空気。
騒がしい訓練兵達。
地下街には無かったものばかりだ。
なのに最近、それが少しずつ当たり前になっている。
それが少し怖かった。
「アスカ」
不意にマルコが声を掛けてくる。
「あ?」
「眠そう」
「寝てねぇよ」
「いや結構限界そうだけど」
「お前もだろ」
マルコが苦笑する。
その時。
「っくしゅ!!」
コニーが盛大なくしゃみをした。
「うわ汚ぇ!」
「しょうがねぇだろ寒いんだから!!」
「こっち向くな!!」
小屋に少し笑いが戻る。
ユミルも小さく鼻で笑った。
クリスタはそんなユミルを見て、少しだけ安心したように息を吐く。
「……」
アスカはその光景をぼんやり見ていた。
地下街なら有り得ない。
誰かが倒れて。
誰かが背負って。
戻ってきて。
怒鳴って。
笑う。
そんな余裕のある世界じゃなかった。
「……変な奴ら」
ぽつりと呟く。
すると隣のマルコが笑った。
「今更?」
「前も似たような事思った」
「だろうね」
暖炉の火が揺れる。
白い吹雪はまだ止まない。
だが小屋の中だけは、不思議と暖かかった。
その夜、小屋の中は妙に静かだった。
流石に全員疲れ切っている。
吹雪の中を歩き続けた疲労。張り詰めていた緊張。暖炉の熱が身体を緩めるほど、眠気が重くのしかかってきていた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる。
暖炉の橙色の光が、壁や天井へゆらゆらと影を揺らしていた。
コニーは毛布に包まりながら半分死んでいる。
「もう動けねぇ……」
「お前さっきからそれしか言ってねぇな」
ジャンが呆れる。
「だってマジで無理なんだよ……」
「兵士向いてねぇんじゃねぇか?」
「うるせぇ……」
そんなやり取りを聞きながら、アスカは壁にもたれていた。
眠くない訳じゃない。
でも、完全には気を抜けなかった。
静かな場所ほど、昔の記憶が浮かぶ。
焼け跡。
煙。
焦げた臭い。
雪の白とは正反対の景色。
「……」
アスカは小さく息を吐く。
すると隣へ誰かが座った。
「起きてたのか」
ユミルだった。
「あぁ」
「寝ねぇの?」
「お前こそ」
「まぁな」
ユミルも壁へ背を預ける。
少し沈黙。
暖炉の火だけが揺れていた。
「……さっきの」
アスカが口を開く。
「あ?」
「なんで戻った」
ユミルは少しだけ目を細めた。
「まだ気にしてたのか」
「理解出来ねぇだけだ」
地下街なら置いていく。
それが普通だ。
なのにユミルは違った。
自分が死にかけながら、ダズを背負って戻ってきた。
「別に大した理由じゃねぇよ」
ユミルは暖炉を見る。
「アイツら死なせたくなかっただけだ」
「……」
「特にクリスタは放っとくと勝手に死のうとするしな」
小さく笑う。
だがその目は真面目だった。
「お前も似たような目してるぞ」
不意に言われ、アスカは眉を寄せた。
「は?」
「自分一人で生きてりゃいいって目」
「間違ってねぇだろ」
「まぁ地下街ならな」
ユミルは鼻で笑う。
「でもここは違う」
「……」
「自分に必要な”ナニカ”を見つける場所だ。例えば今の私なら、仲間背負って生きるのが大事だったわけさ」
暖炉の火が揺れる。
ユミルの冗談混じりの言葉は妙に静かに胸へ落ちてきた。
仲間を背負う。
地下街では聞かなかった言葉だ。
背負えば重くなる。
失えば残る。
だから切り捨てる。
その方が楽だった。
「……面倒臭ぇな」
ぼそりと漏らす。
「だろ?」
ユミルが笑った。
「でもまぁ、悪くねぇぞ」
その時だった。
「……ユミル」
小さな声。
クリスタだった。
毛布に包まったままこちらを見ている。
「起きてたのか」
「少しだけ」
クリスタは少し迷うように視線を落とし、それから言った。
「ありがとう」
「だからやめろって」
ユミルが眉を寄せる。
「そういう顔すんの」
「でも……」
「助けたいなら勝手に死のうとすんな」
クリスタが小さく目を見開く。
ユミルはそのまま続けた。
「お前が死んだら、助けられた方も気分悪ぃんだよ」
「……」
「だから生きろ」
暖炉の火がぱちりと鳴る。
クリスタはしばらく黙っていた。
そして。
「……うん」
本当に小さく頷いた。
そのやり取りを見ながら、アスカは静かに目を伏せる。
分からない。
まだ全部は理解出来ない。
でも。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
この場所の人間達が何を大事にしているのか、前より見える気がした。
暖炉の熱が頬へ当たる。
外では吹雪が唸っている。
それでも小屋の中は暖かかった。
まるで、この小さな空間だけが別世界みたいに。
☆☆☆
翌朝。
吹雪は少し弱まっていた。
小屋の窓から差し込む白い光が、床に細く伸びている。夜通し燃えていた暖炉の火も弱くなり、薪の焦げる匂いだけが静かに残っていた。
「……朝か」
ジャンが気怠そうに身体を起こす。
「最悪の目覚めだな……」
「身体痛ぇ……」
コニーは毛布に埋まりながら呻いていた。
その横でサシャは既に干し肉を齧っている。
「お前朝から食ってんのか」
「エネルギー補給です」
「胃だけは元気だなお前」
小さく笑いが起きる。
アスカは壁際へ座ったまま、ぼんやり窓の外を見ていた。
白い。
昨日と変わらない景色。
でも吹雪が弱くなった分、山の輪郭が少しだけ見えていた。
「……」
静かだった。
地下街の朝とは違う。
怒鳴り声も。
喧嘩も。
鉄臭い空気も無い。
代わりにあるのは、薪の匂いと人の寝息だけだった。
「起きてたのか」
横から声。
ユミルだった。
「あぁ」
「寝れた?」
「まぁ」
ユミルはアスカの隣へ座る。
その動作だけで少し顔を顰めた。
「筋肉痛か」
「うるせぇ」
ユミルが鼻を鳴らす。
「流石に昨日はキツかった」
「だろうな」
アスカはちらりと視線を向ける。
ユミルの手はまだ赤かった。
随分と雪焼けした肌だった。
それでも本人は気にしていないらしい。
「……後悔してねぇのか」
「あ?」
「ダズ背負った事」
ユミルは少し黙った。
そして。
「してたら戻ってねぇよ」
短く返す。
「……」
「お前さ」
ユミルが暖炉を見る。
「失うの怖ぇんだろ」
その言葉に、アスカの目が僅かに細くなる。
「図星って顔してる」
「お前も分かりやすいぞ」
「そりゃどうも」
ユミルが少し笑った。
「まぁ分かるよ。背負えば重くなるからな」
「……」
「でもよ」
暖炉の火が小さく揺れる。
「重くねぇと、生きてる感じしねぇ時もある」
アスカは何も返さなかった。
返せなかった。
その感覚はまだ分からない。
でも。
ユミルが嘘を言っていない事だけは分かった。
その時。
「おーい! 外見ろ!」
コニーの声が響く。
全員が窓へ集まる。
「……おぉ」
マルコが小さく声を漏らした。
吹雪が止み始めていた。
雲の隙間から、朝日が差し込んでいる。
白銀の山々が光を反射し、眩しいくらいに輝いていた。
「すげぇ……」
コニーが呆然と呟く。
サシャですら一瞬食べるのを止めていた。
アスカはその景色を見上げる。
地下街では見えなかった光。
地下街では無かった静けさ。
「……綺麗だな」
気づけば、口から零れていた。
すると隣でマルコが少し笑う。
「今、かなり素直だったな」
「うるせぇ」
「またそうやって隠す」
「お前ほんとよく見てんな」
「前も言ったろ?」
マルコが笑う。
「アスカって結構分かりやすいんだよ」
その言葉に、アスカは小さく息を吐いた。
少し前までなら、そんな風に言われるのは嫌だった。
見透かされるみたいで。
でも今は。
「……そうかよ」
それほど悪い気はしなかった。
朝日が雪原を照らす。
眩しい光の中、訓練兵達の笑い声が小屋へ響いていた。
朝食を済ませた頃には、吹雪はほとんど止んでいた。
白銀の山々に陽が差し込み、昨夜の荒れ模様が嘘みたいに静かだった。
「昨日死にかけた場所とは思えねぇな……」
ジャンが外へ出ながら呟く。
「雪って怖ぇ……」
コニーも珍しく真面目な顔をしていた。
訓練兵達は帰還準備を進めていく。
立体機動装置の点検。
荷物の確認。
冷えたベルトを締め直す音が、静かな山へ響いていた。
アスカは小屋の外へ出て、白い息を吐く。
空気は冷たい。
だが昨日ほど刺すような寒さじゃない。
ふと視線を横へ向ける。
ユミルとクリスタが少し離れた場所で話していた。
「だからお前は危なっかしいんだよ」
「でも、ダズを置いていけなかった」
「そういう話じゃねぇ」
ユミルが深く溜息を吐く。
「お前、自分を雑に扱いすぎなんだよ」
クリスタは少し俯く。
だがその横顔は、昨日より少しだけ強く見えた。
「……」
アスカは小さく目を細める。
地下街では見なかった光景だった。
誰かが誰かを本気で叱る。
死ぬな、と。
生きろ、と。
そんな風に言葉をぶつける。
「また見てる」
後ろから声。
マルコだった。
「あ?」
「クリスタ達」
「……別に」
「アスカって、結構考えてる時その顔するね」
「前も言われた」
「言ったの俺だし」
マルコが笑う。
アスカは小さく鼻を鳴らした。
「お前ほんと人見るの好きだな」
「アスカほどじゃないよ」
「俺は癖だ」
「それでも、前より柔らかくなったと思うけど」
その言葉に、アスカは少しだけ黙る。
「……そうか?」
「うん」
マルコは迷わず頷いた。
「最初のアスカは、もっと周り拒絶してたから」
白い息が空へ溶けていく。
アスカは雪原を見る。
眩しいくらい白かった。
地下街にいた頃は、他人なんて邪魔だった。
近づけば裏切られる。
背負えば失う。
だから距離を置く。
それが普通だった。
でも今は違う。
気づけば名前を覚えている。
笑い方を覚えている。
声を覚えている。
失った時に残るものを、自分から増やしている。
「……面倒臭ぇ」
ぼそりと漏らす。
「はは、だろうな」
マルコが苦笑する。
「でもさ」
「あ?」
「悪くないだろ?」
アスカは少しだけ目を細めた。
その問いに、すぐ答えは出なかった。
だが。
暖炉の熱。
騒がしい声。
ユミルの背中。
クリスタの涙。
今朝見た雪景色。
色んなものが頭に浮かぶ。
「……まぁ」
小さく息を吐く。
「悪くはねぇかもな」
その言葉に、マルコは少し笑った。
遠くでコニーが叫んでいる。
「おーい!! 置いてくぞー!!」
「うるせぇ今行く」
アスカはそう返し、雪を踏み締めながら仲間達の方へ歩き出した。
白銀の世界に、訓練兵達の笑い声が響いていた。
☆☆☆
本文(後日談)
訓練兵団へ帰還した頃には、空は夕焼けに染まっていた。
雪山の白とは違う、赤い空だった。
「っはぁ〜〜〜……帰ってきたぁ……」
コニーが地面へ崩れ落ちる。
「もう二度と雪山なんか行かねぇ……」
「どうせまた行くだろ」
ジャンが呆れた顔をする。
「兵士なんだからよ」
「聞きたくねぇ……」
周囲では訓練兵達が次々と装備を外していた。
疲労で顔色は最悪だったが、それでも皆どこか安堵している。
死人が出なかった。
それだけで十分だった。
「アスカ」
振り返る。
マルコだった。
「飯、行くだろ?」
「……あぁ」
「コニー、立てる?」
「無理」
「じゃあ引きずってくか」
「やめろぉ!!」
騒がしい声が夕焼けの中へ響く。
その少し後ろ。
ユミルとクリスタが並んで歩いていた。
「だからお前は無茶すんなって言ってんだよ」
「ユミルもでしょ」
「私はいいんだよ」
「良くない」
そんなやり取りを見ながら、アスカは小さく息を吐く。
暖炉の熱。
吹雪。
白い景色。
ユミルの背中。
色んなものが頭に残っていた。
「……」
ふと、胸の奥が少し重くなる。
仲間。
最近よく聞く言葉だ。
そして最近、自分もその輪の中へ入り始めている。
名前を覚えた。
笑い方を覚えた。
声を覚えた。
失った時、残るものを。
自分から増やしている。
「……くそ面倒くせぇ」
ぼそりと呟く。
「ん? なんか言ったか?」
マルコが振り返る。
「別に」
アスカは短く返し、空を見上げた。
夕焼けが眩しかった。
地下街では見えなかった空。
あの頃の自分なら、多分この景色にも何も感じなかった。
でも今は違う。
暖かいと思ってしまった。
居心地がいいと思ってしまった。
だからこそ。
「……失ったら、また残るんだろうな」
誰にも聞こえないくらい小さく呟く。
風が吹く。
前ではコニーがまだ騒いでいた。
ジャンが怒鳴り。
サシャが何かを食べ。
マルコが笑っている。
アスカはその背中を見つめる。
そして。
「……やめよ、今はいい」
小さく息を吐き、仲間達の後を追った。
ユミルは意外と訓練兵団を悪くないと思ってると私は思ってる
書き直しと前どちらが好きですか
-
書き直し
-
前