地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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白銀

 

 

 雪は、静かだった。

 

 空から落ちてくる白は音も無く世界を埋め、踏み締めた感覚すら曖昧にしていく。木々を揺らす風の音も、吐き出した息も、降り積もる雪へ吸い込まれていくようだった。

 

 冷たい。

 

 いや、痛い。

 

 頬へ吹き付ける風が鋭い。耳の感覚はとうに薄れ始めていて、手袋越しでも指先が痺れていた。

 

「っ〜〜〜……寒ぃ……」

 

 コニーが肩を震わせる。

 

「耳取れそうなんだけど」

 

「安心しろ。元から変な形してる」

 

「お前またそれ言っただろ!?」

 

 コニーが振り返る。

 

 白い息がぶわっと広がった。

 

「レパートリー増やせよ!!」

 

「そんな余裕あるように見えるか?」

 

 アスカは前を向いたまま返す。

 

 雪中行軍訓練。

 

 三人一組に分けられた訓練兵達は、山岳地帯を進みながら目的地の山小屋を目指していた。

 

 アスカ班は、

 

 アスカ。

 

 マルコ。

 

 コニー。

 

 という組み合わせだった。

 

「でも、本当に凄い雪だな」

 

 マルコが空を見上げる。

 

 帽子にも肩にも雪が積もっていた。

 

「吹雪、さっきより強くなってる」

 

「あぁ」

 

 アスカは短く返す。

 

 視界が悪い。

 

 風向きも変わっている。

 

 雪山は地下街と違う怖さがあった。

 

 静かに、ゆっくり殺してくる。

 

「……また見てる」

 

 マルコが少し笑う。

 

「あ?」

 

「雪」

 

「前も似たような事言ってたな」

 

「だって分かりやすいから」

 

「全然分からん」

 

「本人だけだろ、そう思ってるの」

 

 マルコが苦笑する。

 

 アスカは小さく息を吐いた。

 

 こういう所だ。

 

 踏み込み過ぎない。

 

 でもちゃんと見ている。

 

 不思議な奴だった。

 

「おーい!!」

 

 前を歩いていたコニーが叫ぶ。

 

「見えたぞ!!」

 

 吹雪の向こう。

 

 ぼんやりと灯りが見えていた。

 

 山小屋だ。

 

「っしゃあああ!!」

 

 コニーが拳を上げる。

 

「暖炉!! 毛布!! 生還!!」

 

「まだ終わってねぇだろ」

 

 三人は雪を掻き分けながら小屋へ向かった。

 

 扉を開けた瞬間、暖かな空気が流れ込んでくる。

 

「ぅおぉ〜〜……」

 

 コニーが本気で感動した顔をした。

 

 暖炉には既に火が入っていた。

 

 ぱちぱちと薪が爆ぜ、橙色の火が小屋を照らしている。

 

「遅かったな」

 

 暖炉の前にいたジャンが言う。

 

「吹雪ヤバかった」

 

 マルコが肩の雪を払う。

 

 アスカは壁際へ腰を下ろした。

 

 冷え切った身体が少しずつ解けていく。

 

 暖かい。

 

 それだけで身体から力が抜ける。

 

「アスカ、これ」

 

 マルコがスープ缶を差し出してきた。

 

「……サンキュ」

 

 一口飲む。

 

 熱が喉を通り、胃へ落ちていく。

 

「っはぁ……」

 

「今、かなり生き返った顔してたぞ」

 

「うるせぇ」

 

 ジャンが少し吹き出す。

 

 その時だった。

 

「……あれ?」

 

 誰かが呟いた。

 

 空気が少し変わる。

 

「ユミル班は?」

 

 沈黙。

 

 小屋を見回す。

 

 ユミル。

 

 クリスタ。

 

 ダズ。

 

 三人の姿が無かった。

 

「まだ着いてねぇのか?」

 

 ジャンが眉を寄せる。

 

「吹雪かなり強いぞ……」

 

 マルコの顔も曇る。

 

 アスカは窓の外を見る。

 

 白。

 

 何も見えない。

 

 嫌な静けさだった。

 

「教官は?」

 

「別班の確認行ってる」

 

「……チッ」

 

 時間だけが過ぎていく。

 

 暖炉の火は暖かい。

 

 だからこそ、外の寒さが想像できた。

 

 コニーも黙っている。

 

 さっきまでの騒がしさは無かった。

 

「……大丈夫かよ」

 

 ぽつりと漏れる。

 

 返事は無い。

 

 その時。

 

 ギィィ……

 

 扉が開いた。

 

 全員が振り返る。

 

「クリスタ!!」

 

 そこに立っていたのは、雪まみれのクリスタだった。

 

 肩で息をしている。

 

 顔色も悪い。

 

「ユミルは!?」

 

 クリスタの唇が震える。

 

「ユミルが……ダズを……」

 

 空気が凍る。

 

「ダズが倒れて……ユミルが背負って……!」

 

 クリスタの目には涙が浮かんでいた。

 

 アスカは立ち上がる。

 

「どこだ」

 

「待って!!」

 

 クリスタが叫ぶ。

 

「ユミルが来るって……だから……!」

 

 吹雪の音だけが響く。

 

 そして。

 

 白の向こう。

 

 小さな影が見えた。

 

「……誰かいる」

 

 アスカが呟く。

 

 全員が息を呑む。

 

 吹雪の中を、一つの人影が進んでくる。

 

 ふらつきながら。

 

 今にも倒れそうな足取りで。

 

 それでも。

 

 一歩ずつ。

 

 確実に。

 

「……ユミル」

 

 扉が開く。

 

 雪と風が一気に吹き込んだ。

 

 ユミルだった。

 

 肩にはダズを背負っている。

 

 全身雪まみれ。

 

 唇は青い。

 

 息も荒い。

 

 それでも。

 

 その目だけは、死んでいなかった。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 ユミルが小屋へ入った瞬間、膝から崩れ落ちた。

 

「ユミル!!」

 

 クリスタが駆け寄る。

 

 ダズの身体が床へ降ろされる。顔色は真っ青だった。呼吸も浅い。

 

「水!!」

 

 マルコが叫ぶ。

 

 誰かが慌てて水筒を投げる。

 

 暖炉の火が揺れた。

 

 外では吹雪が唸っている。だが小屋の中だけは妙に静かだった。

 

「……っ、はぁ……」

 

 ユミルが荒く息を吐く。

 

 肩が上下していた。

 

 服は雪で濡れきっている。手も赤く腫れていた。

 

「なんで一人で助けようとしたんだよ……」

 

 ジャンが低く言う。

 

「この吹雪だぞ」

 

「うるせぇな……」

 

 ユミルは壁へ背を預ける。

 

「置いてく訳にもいかねぇだろ」

 

「でもお前まで死にかけてんじゃねぇか」

 

「死んでねぇよ」

 

 そう返す声も弱い。

 

 クリスタは必死にユミルの手を擦っていた。

 

「ごめん……ごめんユミル……」

 

「は?」

 

 ユミルが顔を上げる。

 

「なんでお前が謝んだよ」

 

「だって私が……」

 

「うるせぇ」

 

 ぴしゃりと言い切った。

 

 小屋の空気が止まる。

 

「お前、またそうやって死のうとしてただろ」

 

「っ……」

 

 クリスタの肩が揺れる。

 

 アスカは少し目を細めた。

 

 ユミルの声は怒っていた。

 

 だが、それだけじゃない。

 

「ダズ背負って行くとか言い出した時点で分かったんだよ」

 

「違っ……」

 

「違わねぇ」

 

 ユミルが吐き捨てる。

 

「お前、自分が死んでも誰か助けられればそれでいいって顔してた」

 

 暖炉の火がぱちりと鳴る。

 

 誰も口を挟まない。

 

 ユミルは真っ直ぐクリスタを見ていた。

 

「そういうの、やめろ」

 

「……」

 

「お前が勝手に死んで満足しても、残された方は迷惑なんだよ」

 

 クリスタが唇を噛む。

 

 俯いたまま、何も言わない。

 

 アスカは壁にもたれながら、その光景を見ていた。

 

「……」

 

 分からなかった。

 

 地下街なら、ダズは置いていく。

 

 動けない奴は死ぬ。

 

 それが普通だ。

 

 自分が生きる為に他人を切り捨てる。

 

 そうしなければ、自分が死ぬ。

 

 なのに。

 

 ユミルは戻ってきた。

 

 死にかけながら。

 

 ダズを背負って。

 

「……意味分かんねぇ」

 

 ぼそりと漏れる。

 

「ん?」

 

 隣にいたマルコが振り返った。

 

「いや別に」

 

 だが本当に分からなかった。

 

 何でそこまで出来る。

 

 何でそこまで他人を背負える。

 

 地下街にはいなかった。

 

 こんな人間。

 

「アスカ」

 

 不意にユミルがこちらを見る。

 

「あ?」

 

「お前、今“馬鹿じゃねぇの”って顔してるだろ」

 

「してねぇよ」

 

「いやしてる」

 

 ユミルが少し笑った。

 

「まぁ、間違ってねぇけどな」

 

「……」

 

「でもな」

 

 ユミルは視線をクリスタへ戻す。

 

「コイツが勝手に死ぬ方がムカつくんだよ」

 

 その言葉に、クリスタの肩が震えた。

 

 暖炉の火が揺れる。

 

 外ではまだ吹雪が唸っていた。

 

 だが小屋の中には、不思議な熱があった。

 

 怒鳴り声でも。

 

 正論でもない。

 

 もっと、生々しい何か。

 

「……」

 

 アスカは小さく息を吐く。

 

 胸の奥が少しだけ重かった。

 

 多分、自分はまだ理解できていない。

 

 でも。

 

 目を逸らせなかった。

 

 ユミルの背中から。

 

 

 

 

 ダズはしばらくして意識を取り戻した。

 

「ぅ……あ……」

 

 掠れた声。

 

 その瞬間、小屋の空気が少し緩む。

 

「お、おい! 起きたぞ!」

 

 コニーが声を上げる。

 

「水だ、水!」

 

「落ち着けコニー」

 

 マルコが苦笑しながら水筒を渡す。

 

 ダズは震える手でそれを受け取り、少しだけ口を付けた。

 

「っ……ぅぅ……」

 

「大丈夫か?」

 

 ジャンが覗き込む。

 

 ダズは涙目のまま頷いた。

 

「ユミルが……」

 

 視線がユミルへ向く。

 

 当の本人は暖炉の近くで壁にもたれ、目を閉じていた。

 

「……死ぬかと思った」

 

「こっちの台詞だ」

 

 ジャンが吐き捨てる。

 

「お前ら戻って来ねぇし」

 

「吹雪で道見失ったんだよ……」

 

 ユミルが面倒臭そうに返す。

 

 だが声にいつもの余裕は無い。

 

 疲労が滲んでいた。

 

 クリスタはそんなユミルをじっと見ている。

 

「……」

 

 何か言いたそうだった。

 

 でも言葉が出てこない。

 

 その空気を見て、アスカは小さく息を吐いた。

 

 暖炉の火が揺れる。

 

 ぱちぱちという音だけが小屋へ響いていた。

 

 外の吹雪はまだ止まない。

 

「なぁ」

 

 コニーがぽつりと言う。

 

「俺だったら無理かも」

 

「何がだ」

 

 アスカが視線を向ける。

 

「ダズ背負って戻るの」

 

 コニーは暖炉を見つめたまま続ける。

 

「だって俺まで動けなくなったら終わりじゃん」

 

「……まぁ普通はそうだろ」

 

 アスカは短く返す。

 

 地下街ならそうする。

 

 切り捨てる。

 

 置いていく。

 

 それが普通だった。

 

「でもユミルは戻った」

 

 マルコが静かに言う。

 

「それって凄い事だと思う」

 

「凄いっていうか、無茶苦茶だろ」

 

 ジャンが眉を寄せる。

 

「実際かなり危なかったぞ」

 

「まぁな」

 

 ユミルが鼻で笑った。

 

「ただまぁ…クリスタが無駄死にするくらいなら、私の方がまだ助けられる確率があると、そう思っただけだ」

 

 ユミルはそう簡単に言ってみせた。

 

 だが妙に重かった。

 

 クリスタが俯く。

 

「……私が弱かったから」

 

「また始まった」

 

 ユミルが呆れたように言う。

 

「お前、自分責めるの好きだな」

 

「だって……」

 

「だってじゃねぇ」

 

 ユミルは暖炉の火を見つめる。

 

「お前さ、自分が傷つけば全部丸く収まると思ってんだろ」

 

 クリスタの肩が小さく揺れる。

 

「そういう顔、嫌いなんだよ」

 

「……」

 

「もっと自分の事考えろ」

 

 その言葉に、アスカは少しだけ目を細めた。

 

 地下街では聞かなかった言葉だった。

 

 自分の事だけ考えろ。

 

 それなら何度も聞いた。

 

 だが今、ユミルが言ったのは逆だ。

 

 “自分を大事にしろ”。

 

 それが何故か、妙に頭へ残った。

 

「……」

 

 アスカは暖炉を見る。

 

 揺れる火。

 

 暖かい空気。

 

 騒がしい訓練兵達。

 

 地下街には無かったものばかりだ。

 

 なのに最近、それが少しずつ当たり前になっている。

 

 それが少し怖かった。

 

「アスカ」

 

 不意にマルコが声を掛けてくる。

 

「あ?」

 

「眠そう」

 

「寝てねぇよ」

 

「いや結構限界そうだけど」

 

「お前もだろ」

 

 マルコが苦笑する。

 

 その時。

 

「っくしゅ!!」

 

 コニーが盛大なくしゃみをした。

 

「うわ汚ぇ!」

 

「しょうがねぇだろ寒いんだから!!」

 

「こっち向くな!!」

 

 小屋に少し笑いが戻る。

 

 ユミルも小さく鼻で笑った。

 

 クリスタはそんなユミルを見て、少しだけ安心したように息を吐く。

 

「……」

 

 アスカはその光景をぼんやり見ていた。

 

 地下街なら有り得ない。

 

 誰かが倒れて。

 

 誰かが背負って。

 

 戻ってきて。

 

 怒鳴って。

 

 笑う。

 

 そんな余裕のある世界じゃなかった。

 

「……変な奴ら」

 

 ぽつりと呟く。

 

 すると隣のマルコが笑った。

 

「今更?」

 

「前も似たような事思った」

 

「だろうね」

 

 暖炉の火が揺れる。

 

 白い吹雪はまだ止まない。

 

 だが小屋の中だけは、不思議と暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 その夜、小屋の中は妙に静かだった。

 

 流石に全員疲れ切っている。

 

 吹雪の中を歩き続けた疲労。張り詰めていた緊張。暖炉の熱が身体を緩めるほど、眠気が重くのしかかってきていた。

 

 ぱちぱちと薪が爆ぜる。

 

 暖炉の橙色の光が、壁や天井へゆらゆらと影を揺らしていた。

 

 コニーは毛布に包まりながら半分死んでいる。

 

「もう動けねぇ……」

 

「お前さっきからそれしか言ってねぇな」

 

 ジャンが呆れる。

 

「だってマジで無理なんだよ……」

 

「兵士向いてねぇんじゃねぇか?」

 

「うるせぇ……」

 

 そんなやり取りを聞きながら、アスカは壁にもたれていた。

 

 眠くない訳じゃない。

 

 でも、完全には気を抜けなかった。

 

 静かな場所ほど、昔の記憶が浮かぶ。

 

 焼け跡。

 

 煙。

 

 焦げた臭い。

 

 雪の白とは正反対の景色。

 

「……」

 

 アスカは小さく息を吐く。

 

 すると隣へ誰かが座った。

 

「起きてたのか」

 

 ユミルだった。

 

「あぁ」

 

「寝ねぇの?」

 

「お前こそ」

 

「まぁな」

 

 ユミルも壁へ背を預ける。

 

 少し沈黙。

 

 暖炉の火だけが揺れていた。

 

「……さっきの」

 

 アスカが口を開く。

 

「あ?」

 

「なんで戻った」

 

 ユミルは少しだけ目を細めた。

 

「まだ気にしてたのか」

 

「理解出来ねぇだけだ」

 

 地下街なら置いていく。

 

 それが普通だ。

 

 なのにユミルは違った。

 

 自分が死にかけながら、ダズを背負って戻ってきた。

 

「別に大した理由じゃねぇよ」

 

 ユミルは暖炉を見る。

 

「アイツら死なせたくなかっただけだ」

 

「……」

 

「特にクリスタは放っとくと勝手に死のうとするしな」

 

 小さく笑う。

 

 だがその目は真面目だった。

 

「お前も似たような目してるぞ」

 

 不意に言われ、アスカは眉を寄せた。

 

「は?」

 

「自分一人で生きてりゃいいって目」

 

「間違ってねぇだろ」

 

「まぁ地下街ならな」

 

 ユミルは鼻で笑う。

 

「でもここは違う」

 

「……」

 

「自分に必要な”ナニカ”を見つける場所だ。例えば今の私なら、仲間背負って生きるのが大事だったわけさ」

 

 暖炉の火が揺れる。

 

 ユミルの冗談混じりの言葉は妙に静かに胸へ落ちてきた。

 

 仲間を背負う。

 

 地下街では聞かなかった言葉だ。

 

 背負えば重くなる。

 

 失えば残る。

 

 だから切り捨てる。

 

 その方が楽だった。

 

「……面倒臭ぇな」

 

 ぼそりと漏らす。

 

「だろ?」

 

 ユミルが笑った。

 

「でもまぁ、悪くねぇぞ」

 

 その時だった。

 

「……ユミル」

 

 小さな声。

 

 クリスタだった。

 

 毛布に包まったままこちらを見ている。

 

「起きてたのか」

 

「少しだけ」

 

 クリスタは少し迷うように視線を落とし、それから言った。

 

「ありがとう」

 

「だからやめろって」

 

 ユミルが眉を寄せる。

 

「そういう顔すんの」

 

「でも……」

 

「助けたいなら勝手に死のうとすんな」

 

 クリスタが小さく目を見開く。

 

 ユミルはそのまま続けた。

 

「お前が死んだら、助けられた方も気分悪ぃんだよ」

 

「……」

 

「だから生きろ」

 

 暖炉の火がぱちりと鳴る。

 

 クリスタはしばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……うん」

 

 本当に小さく頷いた。

 

 そのやり取りを見ながら、アスカは静かに目を伏せる。

 

 分からない。

 

 まだ全部は理解出来ない。

 

 でも。

 

 少しだけ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 この場所の人間達が何を大事にしているのか、前より見える気がした。

 

 暖炉の熱が頬へ当たる。

 

 外では吹雪が唸っている。

 

 それでも小屋の中は暖かかった。

 

 まるで、この小さな空間だけが別世界みたいに。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 翌朝。

 

 吹雪は少し弱まっていた。

 

 小屋の窓から差し込む白い光が、床に細く伸びている。夜通し燃えていた暖炉の火も弱くなり、薪の焦げる匂いだけが静かに残っていた。

 

「……朝か」

 

 ジャンが気怠そうに身体を起こす。

 

「最悪の目覚めだな……」

 

「身体痛ぇ……」

 

 コニーは毛布に埋まりながら呻いていた。

 

 その横でサシャは既に干し肉を齧っている。

 

「お前朝から食ってんのか」

 

「エネルギー補給です」

 

「胃だけは元気だなお前」

 

 小さく笑いが起きる。

 

 アスカは壁際へ座ったまま、ぼんやり窓の外を見ていた。

 

 白い。

 

 昨日と変わらない景色。

 

 でも吹雪が弱くなった分、山の輪郭が少しだけ見えていた。

 

「……」

 

 静かだった。

 

 地下街の朝とは違う。

 

 怒鳴り声も。

 

 喧嘩も。

 

 鉄臭い空気も無い。

 

 代わりにあるのは、薪の匂いと人の寝息だけだった。

 

「起きてたのか」

 

 横から声。

 

 ユミルだった。

 

「あぁ」

 

「寝れた?」

 

「まぁ」

 

 ユミルはアスカの隣へ座る。

 

 その動作だけで少し顔を顰めた。

 

「筋肉痛か」

 

「うるせぇ」

 

 ユミルが鼻を鳴らす。

 

「流石に昨日はキツかった」

 

「だろうな」

 

 アスカはちらりと視線を向ける。

 

 ユミルの手はまだ赤かった。

 

 随分と雪焼けした肌だった。

 

 それでも本人は気にしていないらしい。

 

「……後悔してねぇのか」

 

「あ?」

 

「ダズ背負った事」

 

 ユミルは少し黙った。

 

 そして。

 

「してたら戻ってねぇよ」

 

 短く返す。

 

「……」

 

「お前さ」

 

 ユミルが暖炉を見る。

 

「失うの怖ぇんだろ」

 

 その言葉に、アスカの目が僅かに細くなる。

 

「図星って顔してる」

 

「お前も分かりやすいぞ」

 

「そりゃどうも」

 

 ユミルが少し笑った。

 

「まぁ分かるよ。背負えば重くなるからな」

 

「……」

 

「でもよ」

 

 暖炉の火が小さく揺れる。

 

「重くねぇと、生きてる感じしねぇ時もある」

 

 アスカは何も返さなかった。

 

 返せなかった。

 

 その感覚はまだ分からない。

 

 でも。

 

 ユミルが嘘を言っていない事だけは分かった。

 

 その時。

 

「おーい! 外見ろ!」

 

 コニーの声が響く。

 

 全員が窓へ集まる。

 

「……おぉ」

 

 マルコが小さく声を漏らした。

 

 吹雪が止み始めていた。

 

 雲の隙間から、朝日が差し込んでいる。

 

 白銀の山々が光を反射し、眩しいくらいに輝いていた。

 

「すげぇ……」

 

 コニーが呆然と呟く。

 

 サシャですら一瞬食べるのを止めていた。

 

 アスカはその景色を見上げる。

 

 地下街では見えなかった光。

 

 地下街では無かった静けさ。

 

「……綺麗だな」

 

 気づけば、口から零れていた。

 

 すると隣でマルコが少し笑う。

 

「今、かなり素直だったな」

 

「うるせぇ」

 

「またそうやって隠す」

 

「お前ほんとよく見てんな」

 

「前も言ったろ?」

 

 マルコが笑う。

 

「アスカって結構分かりやすいんだよ」

 

 その言葉に、アスカは小さく息を吐いた。

 

 少し前までなら、そんな風に言われるのは嫌だった。

 

 見透かされるみたいで。

 

 でも今は。

 

「……そうかよ」

 

 それほど悪い気はしなかった。

 

 朝日が雪原を照らす。

 

 眩しい光の中、訓練兵達の笑い声が小屋へ響いていた。

 

 

 

 朝食を済ませた頃には、吹雪はほとんど止んでいた。

 

 白銀の山々に陽が差し込み、昨夜の荒れ模様が嘘みたいに静かだった。

 

「昨日死にかけた場所とは思えねぇな……」

 

 ジャンが外へ出ながら呟く。

 

「雪って怖ぇ……」

 

 コニーも珍しく真面目な顔をしていた。

 

 訓練兵達は帰還準備を進めていく。

 

 立体機動装置の点検。

 

 荷物の確認。

 

 冷えたベルトを締め直す音が、静かな山へ響いていた。

 

 アスカは小屋の外へ出て、白い息を吐く。

 

 空気は冷たい。

 

 だが昨日ほど刺すような寒さじゃない。

 

 ふと視線を横へ向ける。

 

 ユミルとクリスタが少し離れた場所で話していた。

 

「だからお前は危なっかしいんだよ」

 

「でも、ダズを置いていけなかった」

 

「そういう話じゃねぇ」

 

 ユミルが深く溜息を吐く。

 

「お前、自分を雑に扱いすぎなんだよ」

 

 クリスタは少し俯く。

 

 だがその横顔は、昨日より少しだけ強く見えた。

 

「……」

 

 アスカは小さく目を細める。

 

 地下街では見なかった光景だった。

 

 誰かが誰かを本気で叱る。

 

 死ぬな、と。

 

 生きろ、と。

 

 そんな風に言葉をぶつける。

 

「また見てる」

 

 後ろから声。

 

 マルコだった。

 

「あ?」

 

「クリスタ達」

 

「……別に」

 

「アスカって、結構考えてる時その顔するね」

 

「前も言われた」

 

「言ったの俺だし」

 

 マルコが笑う。

 

 アスカは小さく鼻を鳴らした。

 

「お前ほんと人見るの好きだな」

 

「アスカほどじゃないよ」

 

「俺は癖だ」

 

「それでも、前より柔らかくなったと思うけど」

 

 その言葉に、アスカは少しだけ黙る。

 

「……そうか?」

 

「うん」

 

 マルコは迷わず頷いた。

 

「最初のアスカは、もっと周り拒絶してたから」

 

 白い息が空へ溶けていく。

 

 アスカは雪原を見る。

 

 眩しいくらい白かった。

 

 地下街にいた頃は、他人なんて邪魔だった。

 

 近づけば裏切られる。

 

 背負えば失う。

 

 だから距離を置く。

 

 それが普通だった。

 

 でも今は違う。

 

 気づけば名前を覚えている。

 

 笑い方を覚えている。

 

 声を覚えている。

 

 失った時に残るものを、自分から増やしている。

 

「……面倒臭ぇ」

 

 ぼそりと漏らす。

 

「はは、だろうな」

 

 マルコが苦笑する。

 

「でもさ」

 

「あ?」

 

「悪くないだろ?」

 

 アスカは少しだけ目を細めた。

 

 その問いに、すぐ答えは出なかった。

 

 だが。

 

 暖炉の熱。

 

 騒がしい声。

 

 ユミルの背中。

 

 クリスタの涙。

 

 今朝見た雪景色。

 

 色んなものが頭に浮かぶ。

 

「……まぁ」

 

 小さく息を吐く。

 

「悪くはねぇかもな」

 

 その言葉に、マルコは少し笑った。

 

 遠くでコニーが叫んでいる。

 

「おーい!! 置いてくぞー!!」

 

「うるせぇ今行く」

 

 アスカはそう返し、雪を踏み締めながら仲間達の方へ歩き出した。

 

 白銀の世界に、訓練兵達の笑い声が響いていた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

本文(後日談)

 

 訓練兵団へ帰還した頃には、空は夕焼けに染まっていた。

 

 雪山の白とは違う、赤い空だった。

 

「っはぁ〜〜〜……帰ってきたぁ……」

 

 コニーが地面へ崩れ落ちる。

 

「もう二度と雪山なんか行かねぇ……」

 

「どうせまた行くだろ」

 

 ジャンが呆れた顔をする。

 

「兵士なんだからよ」

 

「聞きたくねぇ……」

 

 周囲では訓練兵達が次々と装備を外していた。

 

 疲労で顔色は最悪だったが、それでも皆どこか安堵している。

 

 死人が出なかった。

 

 それだけで十分だった。

 

「アスカ」

 

 振り返る。

 

 マルコだった。

 

「飯、行くだろ?」

 

「……あぁ」

 

「コニー、立てる?」

 

「無理」

 

「じゃあ引きずってくか」

 

「やめろぉ!!」

 

 騒がしい声が夕焼けの中へ響く。

 

 その少し後ろ。

 

 ユミルとクリスタが並んで歩いていた。

 

「だからお前は無茶すんなって言ってんだよ」

 

「ユミルもでしょ」

 

「私はいいんだよ」

 

「良くない」

 

 そんなやり取りを見ながら、アスカは小さく息を吐く。

 

 暖炉の熱。

 

 吹雪。

 

 白い景色。

 

 ユミルの背中。

 

 色んなものが頭に残っていた。

 

「……」

 

 ふと、胸の奥が少し重くなる。

 

 仲間。

 

 最近よく聞く言葉だ。

 

 そして最近、自分もその輪の中へ入り始めている。

 

 名前を覚えた。

 

 笑い方を覚えた。

 

 声を覚えた。

 

 失った時、残るものを。

 

 自分から増やしている。

 

「……くそ面倒くせぇ」

 

 ぼそりと呟く。

 

「ん? なんか言ったか?」

 

 マルコが振り返る。

 

「別に」

 

 アスカは短く返し、空を見上げた。

 

 夕焼けが眩しかった。

 

 地下街では見えなかった空。

 

 あの頃の自分なら、多分この景色にも何も感じなかった。

 

 でも今は違う。

 

 暖かいと思ってしまった。

 

 居心地がいいと思ってしまった。

 

 だからこそ。

 

「……失ったら、また残るんだろうな」

 

 誰にも聞こえないくらい小さく呟く。

 

 風が吹く。

 

 前ではコニーがまだ騒いでいた。

 

 ジャンが怒鳴り。

 

 サシャが何かを食べ。

 

 マルコが笑っている。

 

 アスカはその背中を見つめる。

 

 そして。

 

「……やめよ、今はいい」

 

 小さく息を吐き、仲間達の後を追った。

 

 

 




ユミルは意外と訓練兵団を悪くないと思ってると私は思ってる

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