馬は嫌いだった。
「おいアスカ・ラングレー!! 手綱を引きすぎだ!!」
教官の怒声が飛ぶ。
次の瞬間、馬体が大きく揺れた。
「っ――」
踏ん張る。
だが遅い。
重心が外へ流れる。
視界が傾いた。
「うおっ!?」
ドサッ!!
地面へ叩きつけられる。
砂埃。
一瞬遅れて笑い声が上がった。
「また落ちたぞアイツ!」
「何回目だよ!」
「立体機動トップクラスなのに!?」
うるせぇな。
アスカは地面へ転がったまま空を見る。
快晴だった。
「……」
腹立つくらい気持ちいい空だった。
「大丈夫か?」
視界へ影が差す。
ジャンだった。
「死んでねぇよ」
「ならいいけどよ」
ジャンは呆れた顔で手を差し出してくる。
「お前、なんでそんな馬術下手なんだ?」
「知らねぇ」
アスカはその手を掴み、立ち上がる。
「立体機動の方がよっぽど難しいだろ」
「空飛ぶのと馬乗るの一緒にすんな」
「なんだ。お前にとっちゃ似たようなものかと」
「全然違ぇよ」
ジャンは本気で嫌そうな顔をした。
「馬は生き物だぞ。お前みたいに無理矢理制御しようとしたら嫌がるに決まってんだろ」
アスカは馬を見る。
鼻を鳴らしていた。
どう見ても嫌われている。
「……」
空中なら簡単だった。
ワイヤーもガスも、自分の身体の延長みたいに動く。
だが馬は違う。
呼吸も歩幅も、自分とは別の生き物だった。
手綱を引いた瞬間、僅かに揺れる重心。次にどちらへ動くか読もうとしても、ワンテンポ遅れる。立体機動のように自分一人で完結しない。
「難っ……」
思わず漏れる。
「今更かよ」
ジャンが笑った。
「お前にも苦手なもんあったんだな」
「うるせぇ」
その時だった。
「アスカ!」
軽い足音。
クリスタだった。
「怪我してない?」
「してねぇよ」
「でも凄い音したよ?」
「馬に負けた」
「ふふっ」
クリスタが少し笑う。
その瞬間。
「女神だ……」
「結婚したい……」
「今日も尊い……」
近くの男子訓練兵達がざわつき始めた。その中にはライナーやジャン、アルミンも含まれている
アスカはそちらを見る。静かにため息を吐いた。
「……何言ってんだアイツら」
「気にしなくていいよ」
クリスタが苦笑する。
いや、お前も慣れてるのかよ。
「アスカ、ちょっと乗ってみて」
「あ?」
「大丈夫。ゆっくりでいいから」
クリスタは馬の首を優しく撫でる。
するとさっきまで落ち着きの無かった馬が、少しだけ大人しくなった。
「……なんでだ」
「怖がらせないようにしてるだけだよ」
「俺そんな乱暴か?」
「ちょっとだけ」
ジャンが即答した。
「お前、馬にも喧嘩売ってる感じなんだよ」
「意味分からん」
「分かれ」
クリスタが小さく笑う。
「まずは呼吸合わせるの」
「呼吸?」
「うん」
アスカは眉を寄せながら馬へ乗る。
今度は力を入れ過ぎないようにする。
呼吸。
歩幅。
揺れ。
僅かに上下する感覚が伝わってくる。
「……」
立体機動とは真逆だった。
空中では、自分から世界へ飛び込む。
でも馬術は違う。
自分が合わせなければならない。
「そのまま」
クリスタが言う。
「急がなくていいから」
馬が歩き出す。
ゆっくり。
少しずつ。
アスカは手綱を握り直した。
落ちない。
さっきよりずっと安定していた。
「おっ」
ジャンが目を丸くする。
「出来てんじゃねぇか」
「……なんとなくだ」
「最初からそうしろよ」
「うるせぇ」
その時。
「おぉぉぉ!!」
遠くからコニーの叫び声が聞こえた。
「サシャが逆走してる!!」
「馬が言うこと聞いてくれませぇぇん!!」
「お前人の心配してる場合か!?」
砂煙の向こうでサシャが暴走していた。
アスカは少し目を細める。
騒がしい。
本当に。
でも。
その騒がしさの中へ、自分も混ざっている。
昔なら考えなかった事だった。
その日の夜。
食堂の机には、大量の紙が広がっていた。
「……なんでこんな覚える事あんだよ」
コニーが頭を抱える。
「巨人の種類とか知らねぇよ……」
「奇行種くらい覚えてください!!」
サシャが真顔で言った。
「お前もさっき間違えてただろ」
「私は雰囲気で答えてました」
「終わってんな」
ジャンが呆れる。
机の中央ではアルミンとマルコがノートを広げていた。
「だからここは補給線の話で――」
「つまり、前線だけ強くても駄目って事だね」
「……」
アスカは問題用紙を見つめる。
読めない訳じゃない。
でも抜けている知識が多い。
軍の制度。
地理。
歴史。
実戦的な事は感覚で分かる。
だが座学は別だった。
「ここ分からない?」
アルミンが覗き込む。
「あぁ」
「これは壁の構造の問題だよ」
アルミンは紙へ図を書き始めた。
その横からマルコも補足する。
「要は、巨人が侵入した時にどこへ兵を配置するかって話」
「……なるほど」
「飲み込み早いな」
マルコが少し笑う。
「基礎が抜けてるだけで、理解自体は早い」
「そりゃどうも」
アスカは紙へ視線を戻す。
すると隣からコニーが顔を出してきた。
「なぁ、これ答え何?」
「自分で考えろ」
「冷てぇ!」
「俺も今教わってんだよ」
サシャが唸る。
「この字難しいです……」
「そこから!?」
アルミンが頭を抱えた。
笑い声が広がる。
アスカは小さく息を吐きながら、その空気を眺めていた。
机を囲む人影。
騒がしい声。
紙とインクの匂い。
誰かに教わるなんて、昔の自分なら想像もしなかった。
「アスカ」
マルコが言う。
「あ?」
「馬術、少し良くなってたな」
「クリスタとジャンのおかげだ」
「ちゃんと教わったからだろ」
アスカは少しだけ黙る。
教わる。
頼る。
昔なら避けていた事だった。
でも今は。
「……悪くねぇ」
ぽつりと漏れる。
「ん?」
「いや、何でもねぇ」
アスカは視線を逸らす。
その横で、アルミンが少しだけ笑っていた。
夜は更けていった。
机の上には丸められた紙屑が増え、ランプの火は小さく揺れている。訓練終わりの疲労もあってか、集中力は既に限界へ近かった。
「……もう駄目だ」
コニーが机へ突っ伏す。
「文字が泳いでる……」
「それ最初からじゃねぇか?」
ジャンが呆れる。
「うるせぇ……」
その横でサシャは未だにノートを睨んでいた。
「“補給”って美味しそうな響きですよね」
「お前絶対腹減ってるだけだろ」
「はい」
即答だった。
アルミンが苦笑する。
「今日はここまでにする?」
「賛成……」
コニーが死にそうな声を出した。
アスカは椅子へ背を預け、小さく息を吐く。
目が疲れる。
立体機動や格闘とは別種の疲労だった。
「でも意外だった」
マルコが言う。
「あ?」
「アスカってもっと座学嫌いかと思ってた」
「嫌いだぞ」
「でも投げ出さなかった」
アスカは少し黙る。
確かに昔なら途中でどこか行っていたかもしれない。
理解出来ないものへ時間を使うのは無駄だと思っていた。
でも今は違う。
横にはアルミンがいて、マルコがいて、コニー達が騒いでいる。
誰かと同じ机を囲む空気が、思ったより嫌じゃなかった。
「……まぁ」
アスカは視線を逸らす。
「置いてかれんのも癪だしな」
「ふふっ、アスカらしいね」
マルコが笑った。
その時。
「おいアスカ!!」
隣からジャンがアスカに声を掛ける。
「明日の馬術、遅れんなよ!」
「お前教官か?」
「違ぇよ。でもお前一人だとまた落馬すんだろ」
「……否定出来ねぇ」
ジャンが吹き出す。
「認めんのかよ」
「実際落ちたしな」
「三回な」
「数えんな」
また笑いが起きる。
アスカは小さく息を吐いた。
こんな風に誰かと笑うのも、少し前までは考えられなかった。
その時だった。
「あれ、皆まだ勉強してるの?頑張ってるね。おやすみなさい!」
クリスタが食堂の入口からアスカ達に手を振った。どうやら少し前にも見かけていたらしい。
「お、女神……」
「今日も可愛い……」
近くの男子訓練兵達がざわつき始めた。
アスカは呆れた顔でそちらを見る。
「また言ってんのかアイツら」
「まぁ気持ちは分かる」
ジャンが頷く。
「分からん」
「お前さては鈍いな?」
「何の話だ」
「いやもういい」
ジャンが諦めたように手を振る。
クリスタはそんな男子達へ困ったように笑い返していた。
その姿を見ながら、アスカはふと昼間の事を思い出す。
呼吸を合わせる。
急がなくていい。
そう言われた時、不思議と馬が暴れなかった。
「……」
立体機動は、自分一人で完結する。
でも馬術は違った。
相手へ合わせる。
呼吸を読む。
自分のペースだけじゃ駄目だ。
それは少しだけ、人付き合いに似ている気がした。
「アスカ?」
アルミンが不思議そうに見る。
「あ?」
「ぼーっとしてた」
「別に」
アスカは立ち上がり、ノートを閉じる。
「戻るぞ」
「お、珍しく自分から」
コニーが目を丸くした。
「眠ぃだけだ」
「絶対ちょっと慣れてきてるだろ」
「うるせぇ」
宿舎の外へ出る。
夜風が肌へ触れた。
空には星が浮かんでいる。
地下街では見えなかった景色。
昔なら、こんな場所へ長くいるつもりは無かった。
誰かと並ぶつもりも。
でも今は。
気づけば隣に誰かがいる。
「早く来いよアスカ!」
前を歩くコニーが叫ぶ。
「置いてくぞー!」
「声でけぇんだよ」
アスカは小さく息を吐き、その背中を追いかけた。
☆☆☆
翌朝。
まだ陽も昇りきっていない訓練場には、馬の鳴き声と乾いた蹄の音が響いていた。
「眠ぃ……」
コニーが欠伸を噛み殺す。
「昨日あんな遅くまで勉強するんじゃなかった……」
「途中から寝てただろお前」
ジャンが呆れる。
「聞いてたって」
「寝言で“肉……”って言ってたぞ」
「それサシャだろ」
「私じゃありません!」
サシャが即座に否定した。
アスカは小さく息を吐き、馬房の前で立ち止まる。
目の前にいるのは、昨日自分を振り落とした馬だった。
「……」
鼻を鳴らされる。
なんか気に食わない。
「また睨んでる」
後ろからクリスタが苦笑した。
「睨んでねぇよ」
「顔怖いって」
クリスタは馬の首を軽く撫でる。
すると馬が少し落ち着いた。
「昨日より力抜いてみて」
「昨日も言われた」
「でも今日は昨日より出来そう」
アスカは眉を寄せながら馬へ跨る。
少し高い。
重心が自分だけじゃない感覚がまだ慣れなかった。
立体機動なら、空中で身体がどう流れるか自然と分かる。ワイヤーの張りも、ガスの噴射も、自分の身体の延長みたいに動く。
でも馬は違う。
別の呼吸。
別の意思。
自分の感覚だけで動かそうとすると、途端にズレる。
「手綱握りすぎだ」
ジャンが横から言う。
「あ?」
「力入りすぎなんだよ。そんな引っ張ったら嫌がるに決まってんだろ」
「……難しいな」
ぼそりと漏れる。
ジャンが少し笑った。
「お前にもそういうのあるんだな」
「うるせぇ」
その時。
「整列!!」
教官の声が響いた。
訓練兵達が一斉に馬へ乗る。
「本日は馬術走行及び隊列維持訓練を行う!! 指定ルートを走行後、帰還しろ!!」
『ハッ!!』
空気が引き締まる。
アスカは小さく息を吐いた。
すると隣へコニーが並ぶ。
「俺こういうの得意なんだよなー」
「村育ちだもんね」
アルミンが言う。
実際、コニーの騎乗は安定していた。
サシャも同じだ。
姿勢は少し雑だが、馬との呼吸自体は合っている。
「サシャ、速ぇな」
「山で走り回ってましたから!」
「お前それ大体何でも理由になるな」
ジャンが呆れる。
「始め!!」
号令。
馬達が一斉に走り出した。
振動が身体へ響く。
「っ――」
揺れる。
だが昨日よりマシだった。
手綱を握り込みそうになるのを抑える。
呼吸。
歩幅。
上下する感覚へ合わせる。
無理矢理従わせるんじゃない。
流れへ乗る。
「そう、その感じ」
少し後ろからクリスタの声がする。
「急ぎすぎないで」
アスカは前を見る。
土煙。
並走する馬。
朝の冷たい風。
横ではジャンが器用に馬を操っていた。
「昨日より全然いいぞ」
「……そうか」
「おう。まぁ立体機動ほど化け物じみてねぇけどな」
「余計なお世話だ」
ジャンが笑う。
その少し前では、ライナーが安定した騎乗を見せていた。
体格が良い分、馬上でも妙に様になっている。
「ライナー上手いな」
アルミンが感心したように言う。
「まぁ小さい頃から慣れてるからな」
ライナーが振り返りながら返した。
その隣ではベルトルトも静かに隊列を維持している。
無駄が無い。
「……」
アスカはその背中を見る。
また少しだけ感じる違和感。
でも今は、それより。
揺れる馬体へ意識を合わせる方が先だった。
風が頬を抜ける。
蹄の音が地面を打つ。
隊列は崩れていない。
その中へ、自分もちゃんと混ざっていた。
馬術訓練を終えた頃には、訓練兵達の顔には疲労が浮かんでいた。
特にアスカは、普段の立体機動訓練とは違う疲れ方をしている。
「……変な筋肉使うなこれ」
馬から降りながらぼそりと呟く。
「だろ?」
ジャンが笑った。
「立体機動と違って踏ん張り続けるからな」
アスカは腰へ手を当てる。
確かに空中機動とは感覚が違う。
ワイヤーで引っ張られる感覚も、落下感覚も無い。代わりに常に細かく揺れ続ける重心へ合わせなければならなかった。
「でも最初より全然良くなってた」
クリスタが言う。
「落ちなかったし」
「基準そこかよ」
「昨日三回落ちてたからな」
ジャンが吹き出す。
「数えんな」
「皆数えてたぞ」
アスカは小さく息を吐いた。
その時。
「次は座学だってよ……」
コニーが死んだ目で空を見る。
「終わった……」
「まだ何も始まってねぇだろ」
「いや始まる前から終わってる」
サシャも真顔で頷いた。
「文字が多い授業は危険です」
「お前ら本当に大丈夫か」
アルミンが苦笑する。
104期達はそのまま教室へ移動した。
教室にはチョークの粉っぽい匂いが漂っていた。
木製の机が並び、窓からは昼の光が差し込んでいる。
「本日の講義では、壁内における兵站及び補給線について学ぶ」
教官が黒板へ文字を書いていく。
コニーの目が死んでいた。
「もう無理だ……」
「まだ始まったばっかだぞ」
ジャンが呆れる。
アスカは教科書へ視線を落とした。
読めない訳じゃない。
ただ知らない単語が多い。
兵站。
補給経路。
駐屯配置。
頭へ入れる前に、一度意味を整理しないと理解が追いつかなかった。
「……」
横を見る。
アルミンは既にノートを取り始めている。
異常に速い。
その後ろではマルコも静かに板書を書き写していた。
「……なんでそんなすぐ理解出来んだ」
思わず漏れる。
するとアルミンがこちらを見る。
「慣れかな」
「それで済ますなよ」
「でもアスカ、理解自体は早いと思う」
マルコが振り返って言う。
「抜けてる知識が多いだけで」
「慰めになってんのかそれ」
「してるつもり」
マルコが苦笑した。
その時。
「コニー・スプリンガー」
教官の声。
「は、ハイ!!」
「補給線が断たれた場合、前線の兵士はどうなる」
「え?」
静寂。
コニーの顔から血の気が引いていく。
「えっと……気合いで……」
「座れ」
「ですよね!!」
教室に笑いが広がった。
サシャが小声で呟く。
「惜しかったですね」
「どこがだよ」
ジャンが頭を抱える。
アスカは小さく息を吐いた。
騒がしい。
でも嫌じゃない。
その時。
「アスカ・ラングレー」
今度は自分だった。
「あ?」
「ローゼ南区における主要補給拠点を答えろ」
「……」
知らん。
いや聞いた気もする。
だが地図が頭へ浮かばない。
少しだけ教室が静かになる。
すると。
「……トロスト区」
後ろから小さな声。
アルミンだった。
「……トロスト区」
アスカが答える。
「……正解だ」
教官が頷く。
アスカは小さく息を吐いた。
助かった。
「お前今助けられただろ」
ジャンが小声で笑う。
「うるせぇ」
「やっぱり、座学は苦手か?」
「戦う以外は万能じゃねぇよ」
「なんか安心した」
「何でだ」
「いや、人間っぽい」
ジャンが笑う。
アスカは少しだけ黙った。
人間っぽい。
昔なら、そんな言葉どうでも良かった。
でも今は。
少しだけ胸へ残る気がした。
講義が終わる頃には、窓の外の陽も傾き始めていた。
「終わったぁ……」
コニーが机へ突っ伏す。
「頭から煙出そう……」
「お前元々入ってねぇだろ」
ジャンが笑った。
「酷くね!?」
その横でサシャは真剣な顔をしている。
「補給線が切れたら食料が来ないんですよね」
「まぁそうだな」
「それは大問題です」
「サシャの場合そこなんだね」
アルミンが苦笑した。
訓練兵達がぞろぞろと教室を出ていく。
アスカも立ち上がろうとした時だった。
「アスカ」
アルミンが声を掛けてくる。
「あ?」
「この後少し時間ある?」
「まぁ」
「なら復習しようよ。今のところ、ちゃんと整理した方が覚えやすいと思う」
その横でマルコも頷く。
「一回理解出来れば、アスカは多分すぐ覚えるタイプだし」
「……そこまで言うなら付き合う」
「よし」
アルミンが少し嬉しそうに笑った。
夕方の食堂は比較的静かだった。
夕食前だからだろう。
机には数人しかいない。
アスカ達は端の席へ集まり、ノートを広げていた。
「つまり、補給線っていうのは――」
アルミンが地図へ線を書き込む。
「兵士達へ物資を届ける為の流れなんだ」
「前線だけ強くても意味無ぇって事か」
「うん。後ろが崩れたら全部止まる」
アスカは地図を見る。
壁。
街。
駐屯地。
線として見ると少し分かりやすかった。
「だからトロスト区みたいな拠点は重要なんだ」
マルコが補足する。
「ここが崩れたら、南側の補給が一気に不安定になる」
「……なるほどな」
「飲み込み早いね」
アルミンが感心したように言う。
「説明されれば分かる」
「最初からそう言えばいいのに」
「聞くの慣れてねぇんだよ」
ぽつりと漏れる。
その瞬間、二人が少しだけ黙った。
「……まぁ、今は聞いてるだろ?」
マルコが柔らかく言う。
アスカは少し視線を逸らした。
その時。
「おーい!!」
騒がしい声。
コニーとサシャだった。
「何してんだ?」
「勉強」
「うわ、今日もやるのかよ。大変だな」
「2人も良かったらどう?」
アルミンが即答する。
「えぇ……」
二人同時に嫌そうな顔をした。
「逃がさないよ」
マルコが笑う。
数分後。
「だから!! なんで補給線切れたら終わりなんだよ!!」
「物資が届かないからだよ!」
「気合いで何とかならねぇのか!?」
「ならないよ!!」
食堂にアルミンの声が響く。
サシャはノートへ何かを書き込んでいた。
「サシャ、お前何書いてんだ」
「食料庫の位置です」
「授業聞いてたか?」
「聞いてました!」
「絶対違う方向で理解してるだろ」
ジャンが呆れながら席へ座る。
「お前らまだやってたのか」
「コニー達が全然進まないんだ」
「そりゃそうだろ」
ジャンが笑った。
アスカはその光景を見ながら、小さく息を吐く。
騒がしい。
でも。
こうして同じ机を囲んでいる時間が、少しずつ当たり前になってきていた。
「アスカ」
不意にマルコが言う。
「あ?」
「馬術、次の試験なら普通にいけそうじゃないか?」
「どうだかな」
「でも今日かなり良くなってたぞ」
ジャンも頷く。
「昨日とは別人だった」
「落ちなかったしな」
「お前らそこ基準にすんな」
笑いが起きる。
アスカは少しだけ目を細めた。
昔なら。
誰かとこんな風に笑うなんて想像もしなかった。
名前を覚える事も。
教わる事も。
同じ机を囲む事も。
「……」
ふと視線を上げる。
少し離れた席。
ライナーとベルトルト、それにアニが座っていた。
三人は静かに話している。
ライナーは笑っている。
ベルトルトは相変わらず落ち着いていて、アニは無表情だった。
いつも通り。
でも。
「……」
やっぱり時々、少しだけ遠く感じる。
「アスカ?」
アルミンが不思議そうに見る。
「あ?……いや、何でもねぇ」
アスカは視線を戻し、ノートへ目を落とした。
食堂にはまだ、104期達の笑い声が響いていた。
☆☆☆
宿舎へ戻る道は静かだった。
昼間の騒がしさが嘘みたいに、夜風だけが訓練地を抜けていく。遠くでは見張りの兵士達の声が小さく響いていた。
「……眠ぃ」
コニーがふらつきながら歩く。
「明日起きれねぇ……」
「お前毎日それ言ってんな」
ジャンが呆れる。
「でも実際起きてるだろ?」
「叩き起こされてんだよ」
その横でサシャがパンを齧っていた。
「まだ食ってんのか」
アスカが言う。
「勉強するとお腹空くんです」
「便利な身体してんな」
「よく言われます」
前を歩くアルミンが少し笑う。
その隣ではマルコが今日の講義内容をノートへまとめ直していた。
「お前まだやんのか」
ジャンが引いた顔をする。
「忘れないうちにね」
「真面目過ぎるだろ……」
マルコは苦笑するだけだった。
アスカはその背中を見る。
不思議な奴だと思う。
周囲を見て。
空気を繋いで。
誰かが浮けば自然に声を掛ける。
押し付けがましくないのに、ちゃんと人の中へ入ってくる。
「アスカ」
不意にマルコが振り返る。
「あ?」
「馬術、次の試験多分大丈夫だよ」
「急だな」
「いや、今日見てて思っただけ」
マルコは少し笑った。
「ちゃんと人の話聞いてたから」
その言葉に、アスカは少しだけ黙る。
人の話を聞く。
昔なら考えなかった。
地下街では、自分以外を信用する方が危険だった。
でも今は。
クリスタの言葉で馬の動きが変わった。
アルミンの説明で問題が解けた。
マルコの補足で頭へ入った。
一人じゃ足りないものを、他人が埋める。
「……面倒なもんだな」
ぽつりと漏れる。
「何が?」
アルミンが聞き返す。
「別に」
アスカは短く返した。
その時。
「おい見ろ」
ジャンが空を指差す。
視線を上げる。
夜空だった。
雲一つ無い。
星がはっきり見えている。
「すげぇな……」
コニーが呟く。
「こんな見えるもんなんだな」
「今日は空気澄んでるからね」
アルミンが言う。
104期達が自然と足を止める。
誰も喋らなかった。
静かな夜。
星空。
それだけだった。
「……」
アスカは空を見上げる。
地下街には無かった景色だ。
昔は空なんてどうでもよかった。
生きる事だけで精一杯だったから。
でも今は違う。
こうして立ち止まって、同じ空を見ている。
隣には誰かがいる。
「綺麗だな」
ぽつりと漏れた。
すると横でジャンが少し笑う。
「お前、最近そういう事ちゃんと言うようになったな」
「うるせぇ」
「前なら絶対言わなかっただろ」
「……」
否定出来なかった。
アスカは小さく息を吐く。
夜風が頬を撫でる。
前ではコニーがまた騒ぎ始めていた。
「寒っ!! 戻ろうぜ!!」
「お前感動台無しだな」
ジャンが呆れる。
笑い声が広がる。
アスカはその輪の後ろを歩きながら、もう一度だけ夜空を見上げた。
静かな星空だった。