地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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その日

 

 

 トロスト区。

 

 ウォール・ローゼ南端に位置する突出区。壁の外側へ半円状に飛び出すその街は、外敵を引き寄せる囮としての役割を担っている。

 

 卒団式から一夜。

 

 104期訓練兵達は正式配属前の待機命令を受け、区内各所へ配置されていた。

 

 空は青い。

 

 壁上を吹き抜ける風は穏やかで、春先特有の暖かさを含んでいる。

 

 市場には人が溢れていた。

 

 露店の呼び込み。

 

 子供の笑い声。

 

 焼きたてのパンの匂い。

 

 行き交う荷馬車。

 

 平和そのものだった。

 

 二年前。

 

 ウォール・マリアが陥落した事など、まるで遠い昔話のように。

 

 だから誰も、本気では思っていなかった。

 

 再び壁が破られるなどと。

 

 ☆☆☆

 

「平和だなぁ……」

 

 壁上で駐屯兵が欠伸を漏らす。

 

「おい仕事しろ」

 

「どうせ今日も異常無しだろ」

 

 笑い声。

 

 気の抜けた空気。

 

 巨大な壁の上だというのに、緊張感なんて欠片も無い。

 

 その少し後方。

 

 補給物資の点検を任されていた訓練兵達が、木箱を運びながら汗を流している。

 

「おいエレン! そっち持て!」

 

「分かってる!」

 

 エレンが木箱を担ぎ上げる。

 

 横ではコニーが露骨にサボっていた。

 

「なぁ、ちょっとくらい休憩してもバレねぇって」

 

「働け」

 

「サシャは?」

 

「……あ?」

 

 振り返る。

 

 サシャは既にパンを食っていた。

 

「なんで食ってんだよ」

 

「非常食です」

 

「今食ってるだろ」

 

「今死んだら意味ありません」

 

「理屈になってねぇよ」

 

 笑い声が広がる。

 

 平和だった。

 

 少なくとも、この瞬間までは。

 

 その頃。

 

 地上側。

 

 補給基地付近。

 

「結局配属っていつ決まるんだ?」

 

 ジャンが壁へ背を預ける。

 

「知らねぇよ」

 

 ユミルが短く返した。

 

 クリスタはどこか落ち着かない様子で周囲を見渡している。

 

 アスカはぼんやり壁を見上げた。

 

 高い。

 

 相変わらず好きになれない。

 

 守っているようで、閉じ込めている。

 

 そんな感覚があった。

 

「……」

 

 ふと。

 

 風が止まる。

 

 違和感。

 

 皮膚が粟立った。

 

「……?」

 

 アスカが眉を寄せる。

 

 次の瞬間。

 

 ゴォォォォォ……

 

 低い音。

 

 空気そのものが震えている。

 

 壁上の兵士達がざわつき始めた。

 

「なんだ……?」

 

「雷か?」

 

 違う。

 

 もっと嫌な何か。

 

 そして。

 

 壁上。

 

 エレンが顔を上げる。

 

 熱風。

 

 圧迫感。

 

 忘れるはずもない感覚。

 

 次の瞬間。

 

 壁の向こうから、“顔”が現れた。

 

「――――」

 

 巨大。

 

 壁より高い。

 

 剥き出しの筋肉。

 

 蒸気。

 

 赤い肉塊。

 

 人間を見下ろす巨大な眼。

 

 超大型巨人。

 

「……いた」

 

 エレンの喉が震える。

 

 視線が外せない。

 

 二年前。

 

 シガンシナ区。

 

 壁を覗き込んでいたあの顔。

 

 母親を喰われた日。

 

 全部、脳裏へ蘇る。

 

「いた……!!」

 

 呼吸が乱れる。

 

 怒りが込み上げる。

 

「いたぞぉぉぉぉぉ!!!」

 

 絶叫。

 

「超大型巨人だぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 地上側にも聞こえる程の怒声だった。

 

 アスカ達が一斉に壁上を見る。

 

「……は?」

 

 ジャンの顔が引き攣る。

 

 誰も理解出来ない。

 

 デカ過ぎる。

 

 壁を越えている。

 

 あり得ない。

 

 だが。

 

 現実だった。

 

「おい……嘘だろ……」

 

 誰かが呟く。

 

 壁上ではエレンが前へ出ていた。

 

 顔を歪めながら。

 

「駆逐してやる……!!」

 

 蒸気が吹き荒れる。

 

「この世から……一匹残らず!!」

 

 その瞬間。

 

 超大型巨人の脚が動く。

 

「ッ!!」

 

 アスカの目が見開かれる。

 

 次の瞬間。

 

 轟音。

 

 蹴撃。

 

 壁門へ叩き込まれた一撃が、空気そのものを吹き飛ばした。

 

 爆風。

 

 衝撃。

 

 熱風。

 

 地面が揺れる。

 

「うわっ!!」

 

 クリスタが倒れかける。

 

 ユミルが咄嗟に腕を掴んだ。

 

 煙。

 

 石片。

 

 視界が白く染まる。

 

 耳鳴り。

 

 肺へ熱気が流れ込む。

 

「っ……!」

 

 アスカは腕で顔を庇う。

 

 その瞬間。

 

 壁上から人影が吹き飛んだ。

 

「!!」

 

 兵士達。

 

 訓練兵達。

 

 爆風に巻き込まれ、空中へ投げ出されている。

 

 ワイヤーが千切れる。

 

 誰かが壁へ叩き付けられた。

 

 血飛沫。

 

 悲鳴。

 

「エレン!!」

 

 遠くでアルミンの声が響く。

 

 アスカは目を凝らす。

 

 空中で回転するエレンの姿が見えた。

 

 立体機動で無理矢理体勢を戻そうとしている。

 

 だが熱風が強過ぎる。

 

 まともに制御出来ていない。

 

「クソッ!!」

 

 駐屯兵達が怒鳴る。

 

「砲撃準備!!」

 

「門が破られた!!」

 

 混乱。

 

 統制が崩れていく。

 

 そして。

 

 煙の向こう。

 

 破壊された門の穴から、“それ”が現れた。

 

 巨人。

 

 一体。

 

 二体。

 

 三体。

 

 次々と。

 

 巨大な肉塊が、壁内へ侵入してくる。

 

「撤退しろ!!」

 

「住民を避難させろ!!」

 

 怒号。

 

 悲鳴。

 

 街中から人が溢れ出す。

 

 泣き叫ぶ子供。

 

 転ぶ老人。

 

 荷物を抱えたまま立ち尽くす商人。

 

 地獄だった。

 

 アスカはその光景を見つめる。

 

 地下街で何度も見た。

 

 人が壊れる瞬間。

 

 だがこれは違う。

 

 規模が違う。

 

 街そのものが喰われる。

 

 そう理解した瞬間。

 

 トロスト区全体へ、絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 鐘の音が、頭蓋の奥を直接叩いていた。

 

 避難警鐘。

 

 巨人侵入。

 

 壁破壊。

 

 重苦しい鐘の音が何度も何度もトロスト区全体へ響き渡り、その度に街の空気が壊れていく。

 

 怒号。

 

 悲鳴。

 

 泣き声。

 

 石畳を蹴る無数の足音。

 

 ついさっきまで平和だった街は、たった一撃で地獄へ変わっていた。

 

「押すな!!」

 

「子供がまだ乗ってない!!」

 

「早く船を出せぇぇ!!」

 

 人が人を押し潰しながら逃げていく。

 

 荷車が横転し、積み上げられていた果物が石畳へ散乱する。それを踏み潰しながら誰もが走っていた。泣き叫ぶ子供を抱えた母親。腰を抜かした老人。状況を理解出来ず立ち尽くす商人。

 

 全員、顔が同じだった。

 

 恐怖。

 

 地下街で何度も見た顔。

 

 だが規模が違う。

 

 街そのものが壊れ始めていた。

 

「104期訓練兵!!整列!!」

 

 駐屯兵の怒号が響く。

 

 アスカ達が反射的に振り返る。

 

 壁門方向からは未だ熱風が流れ込んできていた。超大型巨人が放った蒸気の熱が、街の空気そのものへ張り付いている。喉が焼けるように熱い。

 

 その向こう。

 

 煙の中で、巨人達が動いていた。

 

 デカい。

 

 遠目でも分かる異常な肉体。

 

 不揃いな顔。

 

 歪な笑み。

 

 裸の人間に似ているのに、決定的に何かが違う。

 

 気持ち悪い。

 

 生理的嫌悪感が背筋を撫でた。

 

「これより各班へ分かれる!!」

 

 兵士が叫ぶ。

 

 声が僅かに震えていた。

 

 無理もない。

 

 誰もこんな状況を想定していない。

 

「トロスト区南側へ侵入した巨人群の迎撃及び住民避難支援を行え!!」

 

 空気が張る。

 

 誰も喋らない。

 

 数分前まで笑っていた空気は、もうどこにも無かった。

 

「班分けを伝える!!」

 

 名前が呼ばれていく。

 

「エレン・イェーガー!!」

 

「トーマス・ワグナー!!」

 

「ミーナ・カロライナ!!」

 

「ナック・ティアス!!」

 

「ミリウス・ゼルムスキー!!」

 

 別班。

 

 アスカは小さく目を細める。

 

 エレンは前だけを見ていた。

 

 超大型巨人。

 

 それしか見えていないような顔。

 

 怒りだけで立っている。

 

「アスカ・ラングレー!!」

 

 呼ばれる。

 

「ユミル!!コニー・スプリンガー!!サシャ・ブラウス!!クリスタ・レンズ!!」

 

 予想通りだった。

 

 隣ではコニーの喉が引き攣っている。

 

「マ、マジかよ……」

 

「うるさい」

 

 ユミルが蹴りを入れる。

 

「死ぬ前みたいな顔すんな」

 

「痛ぇ!!」

 

 だがユミル自身も、笑えていなかった。

 

 クリスタは唇を噛んでいる。

 

 白い指先が震えていた。

 

 サシャは異様に静かだった。

 

 いつもなら空気を読まず飯の話でもしているはずなのに、今はただ巨人を見ている。

 

「各班、立体機動装置の最終確認を行え!!」

 

 兵士達が慌ただしく動き始める。

 

 ガス。

 

 刀身。

 

 ワイヤー。

 

 誰もが震える指で装備を確認していた。

 

 アスカは腰の装置を軽く叩く。

 

 問題ない。

 

 地下街時代から道具の整備だけは徹底していた。

 

 信用出来るのは自分と、自分の得物だけだ。

 

「……おい」

 

 コニーが声を潜める。

 

「俺達……マジで巨人とやんのかよ」

 

「今更だろ」

 

 アスカは短く返した。

 

「兵士になった時点で覚悟してたんじゃねぇのか?」

 

「いや……そうだけどよ」

 

 コニーの視線が泳ぐ。

 

 その先。

 

 巨人。

 

 歩いている。

 

 ゆっくり。

 

 だが異様に速い。

 

 一歩がデカ過ぎる。

 

 街を縮めながら近づいてくる。

 

「……」

 

 アスカは目を細める。

 

 初めて見る。

 

 本物の巨人。

 

 気持ち悪い。

 

 それが第一印象だった。

 

 人間に似ている。

 

 なのに違う。

 

 目に意思が無い。

 

 口だけが笑っている。

 

 皮膚の下で肉が揺れていた。

 

 呼吸音が遠くからでも聞こえる。

 

 生き物として壊れている。

 

 なのに。

 

 視線が離せなかった。

 

「アスカ」

 

 クリスタだった。

 

「……絶対、無茶しないでね」

 

「お前もな」

 

 即答だった。

 

 クリスタが少し目を丸くする。

 

「え……」

 

「死なれると寝覚め悪い」

 

 アスカは視線を前へ戻す。

 

 その瞬間。

 

「前方巨人接近!!」

 

 怒号。

 

 全員の身体が跳ねた。

 

 路地裏。

 

 建物の陰から五メートル級巨人が姿を現す。

 

 裸の男。

 

 いや、違う。

 

 似ているだけだ。

 

 異様に長い腕。

 

 間抜けに開いた口。

 

 死んだ魚みたいな目。

 

 なのに笑っている。

 

「ッ……」

 

 コニーが息を呑む。

 

 クリスタの肩が震える。

 

 サシャの喉が鳴る。

 

 そして。

 

 巨人がこちらを見た。

 

 目が合う。

 

 本能が理解する。

 

 アレは人を喰う。

 

 理屈じゃない。

 

 生物として理解してしまう。

 

「散開!!」

 

 兵士の怒号。

 

 瞬間。

 

 ガスが爆ぜた。

 

 轟、と腰から衝撃が突き抜ける。

 

 ワイヤー射出。

 

 石壁へ金具が食い込む甲高い音。

 

 次の瞬間には身体が空中へ引き摺り上げられていた。

 

 腹が浮く。

 

 景色が回る。

 

 風圧で頬の肉が引っ張られる。

 

 地面が一瞬で遠ざかり、代わりに死が近づいてくる。

 

 立体機動。

 

 二次元を生きる人間を、無理矢理三次元へ放り込む狂った機構。

 

 少し操作を誤れば壁へ激突する。

 

 少し判断を遅らせれば巨人に掴まれる。

 

 空を飛んでいる訳じゃない。

 

 落ちながら移動しているだけだ。

 

「ッ!!」

 

 巨人の腕が横薙ぎに振るわれる。

 

 デカい。

 

 近い。

 

 風圧だけで身体が流される。

 

 アスカは空中で身体を捻った。

 

 ワイヤー切り替え。

 

 次の固定点へ射出。

 

 地下街時代に染み付いた空間把握能力が、建物配置と軌道を瞬時に組み立てる。

 

 避けられる。

 

 そう判断した瞬間。

 

「きゃあっ!!」

 

 クリスタ。

 

 回避が遅い。

 

 巨人の腕が迫っていた。

 

「チッ!!」

 

 アスカは無理矢理軌道を変える。

 

 腰へ負荷が走る。

 

 歯を食い縛る。

 

 空中でクリスタの腕を掴み、そのまま引き寄せた。

 

「っ!!」

 

 直後。

 

 巨人の腕が真横を通過する。

 

 風圧だけで身体が揺れた。

 

「大丈夫か!!」

 

「う、うん……!」

 

 声が震えている。

 

 当然だ。

 

 死が数センチ横を通った。

 

 訓練じゃない。

 

 本当に死ぬ。

 

 その時だった。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 悲鳴。

 

 別方向。

 

 誰かが捕まっていた。

 

 巨人の掌の中で兵士が暴れている。

 

 だが。

 

 簡単だった。

 

 人間なんて。

 

 次の瞬間。

 

 噛み砕かれる。

 

 血飛沫。

 

 肉片。

 

 骨が砕ける音。

 

 咀嚼音。

 

「……は」

 

 コニーの顔から血の気が引く。

 

 サシャが硬直する。

 

 クリスタの呼吸が止まる。

 

 アスカも、一瞬だけ動けなかった。

 

 ――食った。

 

 理解した瞬間。

 

 胃の奥が冷たく凍りついた。

 

 咀嚼音が、いつまでも耳に残っていた。

 

 ぐちゃり。

 

 ぼき。

 

 肉と骨が砕ける湿った音。

 

 巨人の口元から垂れた血が、糸を引きながら石畳へ落ちる。

 

「――ッ」

 

 クリスタが息を呑む。

 

 顔色が白い。

 

 サシャは完全に動きを止めていた。普段の空気の抜けたような表情は消え失せ、目だけが巨人へ縫い付けられている。

 

 コニーの呼吸は浅い。

 

 肩が上下していた。

 

 そして。

 

 巨人は咀嚼を止めた。

 

 死人にはもう興味が無いと言わんばかりに、ぐるりと首を回す。

 

 その視線が、空中にいる104期達へ向いた。

 

「ッ……!」

 

 本能が悲鳴を上げる。

 

 デカい。

 

 近い。

 

 異臭がした。

 

 生温かい肉の臭い。吐瀉物みたいな臭気が熱風に混じって鼻を刺す。

 

 アスカは反射的にワイヤーを撃ち込む。

 

 ガシュッ!!

 

 固定。

 

 次の瞬間には身体を横へ流していた。

 

「動け!!」

 

 怒鳴る。

 

 クリスタ達の身体が跳ねた。

 

 直後。

 

 巨人の腕が通過する。

 

 空気が鳴る。

 

 まともに当たれば、人間なんて原型も残らない。

 

「うわぁっ!!」

 

 コニーが半狂乱でガスを吹かす。

 

 軌道が滅茶苦茶だった。

 

「コニー!!落ち着け!!」

 

「落ち着いてられるかよ!!」

 

 叫び声が裏返る。

 

 その気持ちは分かった。

 

 実際目の前で見たのだ。

 

 人が喰われるところを。

 

 訓練で見ていた木製模型とは違う。本物だ。巨人は本当に人間を食う。

 

 理解した瞬間、脚が竦む。

 

 胃が冷える。

 

 頭が逃げろと叫び続ける。

 

「っ……!」

 

 巨人が再び腕を振り上げる。

 

 速い。

 

 図体に反して速過ぎる。

 

 アスカは空中で身体を倒した。

 

 立体機動は飛行じゃない。

 

 落下だ。

 

 重力へ引かれながら、ワイヤーとガスで無理矢理軌道を捻じ曲げているだけに過ぎない。

 

 だから判断が遅れれば死ぬ。

 

 壁へ叩き付けられるか。

 

 地面へ墜落するか。

 

 巨人に掴まれるか。

 

 死因が変わるだけだ。

 

 ガス噴射。

 

 腹が浮く。

 

 景色が回る。

 

 建物の壁面を掠めるように通過しながら、アスカは視線を動かした。

 

 巨人のうなじ。

 

 斬れる距離じゃない。

 

 まだ遠い。

 

 加速が足りない。

 

「アスカ!!後ろ!!」

 

 ユミルの怒声。

 

 反射的に身体を捻る。

 

 直後。

 

 巨人の掌がすぐ横を通過した。

 

「ッ!!」

 

 風圧だけで身体が吹き飛びそうになる。

 

 デカ過ぎる。

 

 まるで建物そのものが動いているみたいだった。

 

 アスカは歯を食い縛る。

 

 地下街で何度も喧嘩した。

 

 人を殺した。

 

 殺されかけた。

 

 でも。

 

 こんなものは知らない。

 

 理解出来ない。

 

 巨人には“躊躇”が無かった。

 

 人間みたいな駆け引きも。

 

 威嚇も。

 

 恐怖も。

 

 何も無い。

 

 ただ、人を喰う。

 

 その為だけに動いている。

 

「チッ……!」

 

 ガスを吹かす。

 

 急加速。

 

 身体が引き千切れそうなGが掛かる。

 

 空中で刀を抜いた。

 

 鋼の擦れる音。

 

 銀色の刀身へ陽光が反射する。

 

 だが。

 

 巨人の顔が、すぐ目の前にあった。

 

「――」

 

 笑っていた。

 

 気味が悪いくらい無邪気に。

 

 アスカの背筋へ冷たいものが走る。

 

 その瞬間。

 

「うおぉぉぉぉぉ!!」

 

 別方向から誰かが突っ込んできた。

 

 駐屯兵。

 

 巨人の肩を通過し、そのままうなじへ斬撃を叩き込む。

 

 肉が裂ける。

 

 蒸気。

 

 巨人の身体が揺れた。

 

「今だ!!離脱しろ!!」

 

 怒鳴り声。

 

 アスカ達は反射的に距離を取る。

 

 その直後。

 

 別の巨人が現れた。

 

「……は?」

 

 コニーの声が掠れる。

 

 路地の奥。

 

 一体じゃない。

 

 二体。

 

 三体。

 

 まだいる。

 

 しかも。

 

 こっちへ来ている。

 

「冗談だろ……」

 

 誰かが呟いた。

 

 アスカは息を吐く。

 

 肺が熱い。

 

 汗が頬を伝う。

 

 空中で視線を巡らせた。

 

 巨人。

 

 瓦礫。

 

 逃げ惑う住民。

 

 飛び回る兵士。

 

 悲鳴。

 

 血。

 

 蒸気。

 

 全部が入り混じっている。

 

 戦場だった。

 

 そして。

 

 アスカは気付く。

 

 自分が今、“高揚”している事に。

 

「……クソが」

 

 小さく吐き捨てた。

 

 自分でも理解出来なかった。

 

 怖い。

 

 間違いなく怖い。

 

 巨人は気持ち悪いし、人が喰われる光景なんて二度と見たくない。

 

 なのに。

 

 心臓だけが異様に煩かった。

 

 ドクドクと脈打っている。

 

 まるで身体の奥底に眠っていた何かが、この状況を歓迎しているみたいだった。

 

「……クソが」

 

 吐き捨てる。

 

 地下街で生きてきた。

 

 毎日誰かが死んでいた。

 

 油断すれば自分も死ぬ場所だった。

 

 だからだろうか。

 

 死が近いほど、頭が冷える。

 

「アスカ!!」

 

 ユミルの声。

 

 視線を向ける。

 

 巨人が一体、建物の隙間から身体を捻じ込むように現れていた。

 

 七メートル級。

 

 腹が異様に膨れている。

 

 口元にはまだ血が付着していた。

 

 喰った直後だ。

 

「っ……!」

 

 クリスタの顔が青ざめる。

 

 巨人が走った。

 

 デカい癖に速い。

 

 石畳が砕ける。

 

 腕を振り回しながら一直線にこちらへ向かってくる。

 

「散れ!!」

 

 アスカが叫ぶ。

 

 ガス噴射。

 

 腰から衝撃が突き抜け、身体が空中へ放り出される。

 

 ワイヤー固定。

 

 反動。

 

 建物の壁面スレスレを滑る。

 

 巨人の腕が下を通過した。

 

 風圧で窓ガラスが砕け散る。

 

「ッ!!」

 

 コニーの悲鳴。

 

 軌道が乱れている。

 

 焦っている。

 

 ダメだ。

 

 立体機動は恐怖で操作すると死ぬ。

 

 ワイヤーの角度。

 

 ガス噴射のタイミング。

 

 重心。

 

 全部が少し狂うだけで墜落する。

 

「コニー!!右だ!!」

 

「分かってる!!」

 

 分かってない動きだった。

 

 ワイヤーが浅い。

 

 速度が死んでいる。

 

 巨人が口を開いた。

 

「ッ!!」

 

 アスカは舌打ちしながら軌道を変える。

 

 無茶な加速。

 

 腹が浮く。

 

 内臓が遅れて付いてくる感覚。

 

 視界が揺れる。

 

 それでも構わずガスを吹かした。

 

 一瞬で距離を詰める。

 

「うおっ!?」

 

 コニーの身体を蹴り飛ばした。

 

 直後。

 

 巨人の歯が閉じる。

 

 空を噛んだ咬合音が響く。

 

「っぶねぇぇぇぇ!!」

 

「ボサっとすんな!!死にてぇのか!!」

 

「死にたくねぇよ!!」

 

 半泣きだった。

 

 アスカは歯噛みする。

 

 全員動きが甘い。

 

 訓練じゃない。

 

 本物だ。

 

 巨人は待ってくれない。

 

「アスカ!!後ろ!!」

 

 サシャの叫び。

 

 瞬間。

 

 本能で身体を倒した。

 

 直後。

 

 轟、と風が頭上を通過する。

 

 別個体。

 

 腕。

 

 あと少し遅れていたら頭が吹き飛んでいた。

 

「ッ……!」

 

 ガス噴射。

 

 強引に高度を上げる。

 

 呼吸が乱れる。

 

 肺が熱い。

 

 汗で視界が滲む。

 

 その時だった。

 

 下から悲鳴。

 

「いやぁぁぁぁ!!」

 

 女。

 

 母親だった。

 

 転んでいる。

 

 子供を抱えたまま。

 

 逃げ遅れた。

 

 巨人が近づく。

 

 五メートル級。

 

 間抜けな笑顔。

 

 口を開く。

 

「――」

 

 女が子供を抱き締めた。

 

 庇うように。

 

 アスカは反射的にワイヤーを射出していた。

 

 ガシュッ!!

 

 固定。

 

 急降下。

 

 風が顔面へ叩き付けられる。

 

 巨人の顔が迫る。

 

 臭い。

 

 腐った肉みたいな臭気。

 

「どけェ!!」

 

 加速。

 

 刀を振る。

 

 斬撃。

 

 巨人の目を潰す。

 

 肉が裂け、血液とも違う液体が飛び散った。

 

 巨人が仰け反る。

 

「早く逃げろ!!」

 

 女が我に返る。

 

「ぁ……あ……」

 

「いいから走れ!!」

 

 絶叫に近かった。

 

 女は子供を抱えたまま走り出す。

 

 その背中を見届けるより先に、巨人が再び身体を起こした。

 

 潰れた眼窩から蒸気が漏れている。

 

 再生。

 

「……は?」

 

 アスカの目が細まる。

 

 傷が塞がっていく。

 

 気持ち悪い速度で。

 

「なんだよ、それ……」

 

 理解不能だった。

 

 だが。

 

 巨人は待ってくれない。

 

 再び腕が振り下ろされる。

 

「ッ!!」

 

 ワイヤー切り替え。

 

 回避。

 

 空中で身体を捻る。

 

 建物の間を縫うように飛びながら、アスカは初めて実感した。

 

 ――人類は、こんなものと戦っていたのか。

 

 立体機動で建物の間を駆け抜けながら、アスカは歯を食い縛る。

 

 風が耳元で吠えている。

 

 ガス噴射の轟音。

 

 ワイヤーが軋む金属音。

 

 下では住民達が逃げ惑い、遠くでは砲撃音が響いていた。

 

 全部が滅茶苦茶だった。

 

 なのに。

 

 巨人だけは妙に静かだった。

 

 感情が無い。

 

 怒りも焦りもない。

 

 ただ、人間を喰うためだけに動いている。

 

「ッ……!」

 

 アスカはワイヤーを切り替える。

 

 空中で身体を反転。

 

 視線を下へ落とす。

 

 さっき目を潰した巨人が、再び住民の方へ歩き始めていた。

 

 潰れた眼窩はもう塞がりかけている。

 

 再生。

 

 あまりにも理不尽だった。

 

「クソが……」

 

 普通の人間なら、目を潰されれば終わりだ。

 

 だが巨人は違う。

 

 痛覚があるのかすら怪しい。

 

 だから。

 

 殺すなら、一撃で仕留めるしかない。

 

 うなじ。

 

 訓練で何度も叩き込まれた唯一の弱点。

 

 アスカは視線を走らせる。

 

 巨人の後頭部。

 

 項。

 

 そこだけ。

 

「アスカ!!」

 

 ユミルだった。

 

 別方向から立体機動で接近してくる。

 

「やれるか!?」

 

「試す!!」

 

 返事と同時。

 

 アスカはガスを吹かした。

 

 急加速。

 

 身体が前へ引っ張られる。

 

 胃が浮く。

 

 視界が流れる。

 

 建物の壁面を蹴り、その反動を利用して更に速度を乗せる。

 

 速い。

 

 だがまだ足りない。

 

 巨人の身体はデカい。

 

 生半可な斬撃じゃ肉に止められる。

 

「ッ……!!」

 

 巨人が振り返る。

 

 口が笑っていた。

 

 気持ち悪い。

 

 アスカは舌打ちしながら軌道を変える。

 

 真正面から行くな。

 

 死ぬ。

 

 横。

 

 いや違う。

 

 上。

 

 ガシュッ!!

 

 ワイヤー射出。

 

 屋根へ固定。

 

 一気に高度を上げる。

 

 巨人の頭上。

 

 そこから急降下。

 

 重力が身体を引っ張る。

 

 落下。

 

 いや、違う。

 

 これは攻撃だ。

 

「――ッ!!」

 

 刀を握り直す。

 

 巨人のうなじが迫る。

 

 蒸気。

 

 肉。

 

 異臭。

 

 近い。

 

 デカい。

 

 怖い。

 

 だが。

 

 身体は止まらなかった。

 

「おぉぉぉぉぉッ!!」

 

 斬撃。

 

 鋼が肉を裂く感触。

 

 硬い。

 

 だが切れた。

 

 深く。

 

 うなじへ。

 

 次の瞬間。

 

 巨人の身体が揺れた。

 

「――――」

 

 声にならない音。

 

 巨体がぐらりと傾く。

 

 アスカはそのまま通過し、空中でワイヤーを切り替えて着地した。

 

 石畳へ滑り込む。

 

 靴底が火花を散らした。

 

「はっ……はっ……」

 

 呼吸が荒い。

 

 肺が焼ける。

 

 汗が顎を伝って落ちた。

 

 その背後。

 

 ズゥン……ッ。

 

 巨人が倒れる。

 

 建物が揺れた。

 

 土煙。

 

 衝撃。

 

 そして。

 

 動かない。

 

「……」

 

 アスカはゆっくり振り返る。

 

 倒れている。

 

 巨人が。

 

 本当に。

 

「倒し……た?」

 

 コニーが呆然と呟く。

 

 サシャも目を見開いていた。

 

 クリスタはまだ呼吸が乱れている。

 

 ユミルだけが口角を上げた。

 

「やるじゃねぇか」

 

「……うるせぇ」

 

 アスカは刀を見下ろす。

 

 ただの血ではない。

 

 巨人の血が付着していた。

 

 湯気を立てながら蒸発している。

 

 気持ち悪い。

 

 だが。

 

 心臓はまだ煩かった。

 

 ドクドクと脈打っている。

 

 恐怖。

 

 興奮。

 

 生存本能。

 

 全部が混ざっている。

 

 その時だった。

 

「油断するな!!まだ来るぞ!!」

 

 兵士の怒号。

 

 全員が反射的に顔を上げる。

 

 路地の奥。

 

 煙の向こう側。

 

 また巨人。

 

 一体じゃない。

 

 二体。

 

 三体。

 

 まだいる。

 

 まだ来る。

 

「……は」

 

 コニーの顔が引き攣る。

 

 今倒したばかりだ。

 

 なのにもう次が来る。

 

 終わらない。

 

 アスカはゆっくり息を吐いた。

 

 刀を握り直す。

 

 手汗で滑りそうだった。

 

 でも。

 

 もう理解していた。

 

 怖くても。

 

 吐きそうでも。

 

 逃げられない。

 

 なら。

 

 殺るしかない。

 

 殺るしかない。

 

 そう理解した瞬間、不思議と頭が冷えた。

 

 巨人は怖い。

 

 気持ち悪い。

 

 理解不能な化け物だ。

 

 だが。

 

 殺せない訳じゃない。

 

 うなじを斬れば死ぬ。

 

 そこだけは、人間側にも平等に与えられた希望だった。

 

「……来るぞ」

 

 アスカが低く呟く。

 

 煙の向こう。

 

 巨人達が建物の隙間を縫うようにこちらへ近づいてきていた。

 

 三体。

 

 七メートル級。

 

 四メートル級。

 

 そして。

 

 十五メートル級。

 

「デカ……」

 

 コニーの喉が引き攣る。

 

 訓練用模型とは比べ物にならない圧迫感だった。

 

 一歩踏み出す度に石畳が震える。

 

 しかも速い。

 

 あの図体で、人間へ向かって走ってくる。

 

 悪夢そのものだった。

 

「どうする!?」

 

 コニーが叫ぶ。

 

 声が裏返っている。

 

 無理もない。

 

 初陣で十五メートル級など、本来当たる相手じゃない。

 

 アスカは一瞬だけ視線を巡らせる。

 

 建物。

 

 固定点。

 

 距離。

 

 風向き。

 

 巨人の位置。

 

 頭の中で瞬時に軌道を組み立てる。

 

「ユミル!!」

 

「あ?」

 

「クリスタ連れて下がれ!!」

 

 即答だった。

 

「は?」

 

「今のそいつじゃ動きが鈍い!!巻き込まれるぞ!!」

 

 クリスタの肩が跳ねる。

 

 反論しようとした。

 

 だが。

 

 出来ない。

 

 自分でも分かっていた。

 

 足が震えている。

 

 巨人を見る度に身体が強張る。

 

「……チッ」

 

 ユミルが舌打ちする。

 

「分かったよ。死ぬなよ」

 

「お前こそ」

 

 短いやり取り。

 

 その間にも巨人は迫っていた。

 

「コニー!!」

 

「お、おう!!」

 

「右の四メートル級引き付けろ!!絶対深追いすんな!!」

 

「はぁ!?無茶言うな!!」

 

「サシャ!!」

 

「は、はい!!」

 

「七メートル級を建物側へ流せ!!止まるな!!」

 

「りょ、了解です!!」

 

 瞬間。

 

 全員が動いた。

 

 ガスが爆ぜる。

 

 轟音。

 

 ワイヤー射出。

 

 身体が空中へ引き摺り上げられる。

 

 腹が浮く。

 

 視界が回る。

 

 風が頬を殴り付ける。

 

 立体機動。

 

 自由なんかじゃない。

 

 落下と死を無理矢理制御しているだけの狂気の機構。

 

「うおぉぉぉぉ!!」

 

 コニーが半泣きで飛び出した。

 

 四メートル級がそちらを見る。

 

 笑っている。

 

 気持ち悪いくらい無邪気に。

 

「こっち来い!!バカ野郎!!」

 

 叫びながらコニーが建物の間を飛び回る。

 

 軌道が少し危うい。

 

 恐怖で操作が荒れている。

 

 だが。

 

 巨人の注意は向いた。

 

「ッ……!」

 

 一方。

 

 サシャも七メートル級の前を高速で横切る。

 

「こっちです!!」

 

 ガシュッ!!

 

 ワイヤー固定。

 

 反動で身体を引き寄せる。

 

 サシャの機動は独特だった。

 

 森育ち特有の立体感覚。

 

 空間の抜け方が上手い。

 

 七メートル級が追う。

 

 その瞬間。

 

 アスカは動いていた。

 

 ガス噴射。

 

 急加速。

 

 腹の奥が浮く。

 

 空気が裂ける。

 

 まず狙うのは四メートル級。

 

 小さい。

 

 だが速い。

 

 建物の壁を蹴る。

 

 反動。

 

 一気に加速。

 

 視界の端でコニーが叫んでいた。

 

「アスカァァァ!!早くしろぉぉ!!」

 

「うるせぇ!!」

 

 巨人がコニーへ手を伸ばす。

 

 届く。

 

 その瞬間。

 

 アスカは上を取った。

 

 ワイヤー切り替え。

 

 急降下。

 

 落下速度をそのまま斬撃へ変える。

 

「ッ!!」

 

 刀を振る。

 

 肉。

 

 蒸気。

 

 うなじ。

 

 鋼が深く食い込む。

 

 次の瞬間。

 

 四メートル級の首が崩れた。

 

 巨体が前のめりに倒れる。

 

「うぉっ!?」

 

 コニーが慌てて回避する。

 

 轟音。

 

 石畳が砕けた。

 

「はっ……はっ……」

 

 アスカは着地しない。

 

 そのままワイヤー射出。

 

 次。

 

 七メートル級。

 

 サシャが建物の間を縫うように飛んでいる。

 

 後ろ。

 

 巨人。

 

 距離が近い。

 

「サシャ!!右へ飛べ!!」

 

「はいっ!!」

 

 反射的な回避。

 

 直後。

 

 巨人の腕が空を切る。

 

 その隙。

 

 アスカは真後ろへ回り込んだ。

 

 速い。

 

 だが。

 

 今なら。

 

「おぉぉぉぉぉッ!!」

 

 加速。

 

 斬撃。

 

 肉を裂く感触。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 七メートル級の身体がぐらりと揺れた。

 

 そのまま崩れる。

 

 倒壊。

 

 地響き。

 

 蒸気。

 

「た、倒した……」

 

 サシャが呆然と呟く。

 

 だが。

 

 終わっていない。

 

 アスカは視線を上げる。

 

 十五メートル級。

 

 まだ立っていた。

 

 いや。

 

 こちらを見ていた。

 

「……」

 

 目が合う。

 

 寒気。

 

 デカい。

 

 近い。

 

 今までの巨人とは圧迫感が違った。

 

 そして。

 

 巨人が、走った。

 

 十五メートル級が、走った。

 

 地面が揺れる。

 

 石畳が砕け、建物の窓ガラスがビリビリと震えた。

 

 デカい。

 

 それなのに速い。

 

 人間の常識で動いていない。

 

「ッ……!」

 

 コニーの顔が引き攣る。

 

「おいおいおい嘘だろ!!」

 

 巨人の脚が石畳を蹴る度、街そのものが軋んでいるようだった。

 

 アスカは空中で息を吐く。

 

 視線を動かす。

 

 建物。

 

 距離。

 

 固定点。

 

 巨人の軌道。

 

 脳内で瞬時に組み立てる。

 

 だが。

 

 デカ過ぎた。

 

 今までみたいに雑に飛び込めば、空中で叩き落される。

 

 しかも。

 

 このサイズになると、うなじまでが遠い。

 

 速度も高度も足りない。

 

「アスカ!!下がれ!!」

 

 ユミルの怒声。

 

 クリスタを抱えるように建物屋上へ降り立っている。

 

 アスカは返事をしなかった。

 

 代わりに。

 

 ガシュッ!!

 

 ワイヤー射出。

 

 十五メートル級の頭上を越えるように、一気に高度を取る。

 

「ッ――!!」

 

 風が強い。

 

 高い。

 

 街全体が視界へ広がる。

 

 煙。

 

 悲鳴。

 

 蒸気。

 

 飛び回る兵士達。

 

 その中心で、十五メートル級だけが異様な存在感を放っていた。

 

 巨人がこちらを見る。

 

 目が合う。

 

 寒気。

 

 人間を見ている目じゃない。

 

 獲物を見る目ですらない。

 

 ただそこにいるから喰う。

 

 それだけの空虚な眼だった。

 

「ッ!!」

 

 巨人の腕が振り上がる。

 

 来る。

 

 アスカはワイヤーを切った。

 

 自由落下。

 

 身体が沈む。

 

 腹が浮く。

 

 次の瞬間。

 

 轟ッ!!と巨腕が空を薙いだ。

 

 風圧だけで身体が流される。

 

「ぐっ……!」

 

 回転。

 

 視界が揺れる。

 

 落ちる。

 

 だが。

 

 そのままじゃ終わらない。

 

 ワイヤー射出。

 

 固定。

 

 急制動。

 

 腰へ凄まじい負荷が掛かった。

 

 歯が軋む。

 

 それでも構わず、アスカは巨人の背後へ回り込む。

 

 うなじ。

 

 狙える。

 

 そう思った瞬間。

 

「――――」

 

 巨人が振り返った。

 

「ッ!?」

 

 速い。

 

 デカい癖に。

 

 腕が迫る。

 

 アスカは咄嗟に身体を倒した。

 

 回避。

 

 だが避け切れない。

 

 指先が掠る。

 

「がっ――!!」

 

 衝撃。

 

 身体が吹き飛んだ。

 

 建物へ激突しかける。

 

 ワイヤーを無理矢理巻き取り、空中で体勢を立て直す。

 

 肺が潰れそうだった。

 

「アスカ!!」

 

 誰かが叫んでいる。

 

 聞こえない。

 

 耳鳴りが酷い。

 

 だが。

 

 まだ動ける。

 

「……ッ、は」

 

 息を吐く。

 

 怖い。

 

 当たり前だ。

 

 今ので死にかけた。

 

 あと少しズレていたら、胴体ごと消し飛んでいた。

 

 それでも。

 

 アスカは笑っていた。

 

「……なるほどな」

 

 地下街では感じたことがない感覚だった。

 

 死が近い。

 

 だから頭が冴える。

 

 視界が澄む。

 

 世界が遅く見える。

 

「なら……」

 

 ガス噴射。

 

 急加速。

 

 今度は真正面。

 

 十五メートル級が口を開く。

 

 喰う気だ。

 

 アスカは突っ込む。

 

 普通なら自殺行為。

 

 だが。

 

 真正面だからこそ、巨人は視界を失う。

 

 目前。

 

 口。

 

 歯。

 

 異臭。

 

 その瞬間。

 

「ッ!!」

 

 アスカは真上へワイヤーを撃ち込んだ。

 

 急上昇。

 

 巨人の顔面を掠める。

 

 巨人の視線が上へ動く。

 

 遅れた。

 

 その一瞬。

 

 アスカは巨人の背後へ抜けていた。

 

 うなじ。

 

 近い。

 

 今度こそ。

 

「おぉぉぉぉぉッ!!」

 

 ガス全開。

 

 落下。

 

 加速。

 

 全体重。

 

 全速度。

 

 全部を斬撃へ乗せる。

 

 刀身が肉へ食い込んだ。

 

 硬い。

 

 蒸気。

 

 肉。

 

 だが。

 

 止まらない。

 

「ッ、らぁぁぁぁぁ!!」

 

 押し切る。

 

 深く。

 

 うなじを抉るように。

 

 次の瞬間。

 

 十五メートル級の身体が止まった。

 

「――――」

 

 巨体が揺れる。

 

 膝から崩れる。

 

 ズゥン……ッ。

 

 地面が震えた。

 

 建物の窓ガラスが割れる。

 

 土煙。

 

 蒸気。

 

 巨人の巨体が、ゆっくりと倒れていく。

 

 アスカは空中で息を吐いた。

 

 肺が痛い。

 

 腕が震える。

 

 だが。

 

 落ちなかった。

 

 死ななかった。

 

 そして。

 

 倒した。

 

「……はは」

 

 乾いた笑いが漏れる。

 

 怖い。

 

 なのに。

 

 心臓だけは、まだ煩かった。

 

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