地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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喰われた者達

 

 

 屋根の上を、風が吹き抜けていく。

 

 熱い風だった。

 

 巨人の蒸気。砲撃の煙。焼けた木材の臭い。血の臭い。吐瀉物みたいな生臭さ。それら全部が混ざり合った風が、トロスト区の上空をゆっくりと流れている。

 

 街はもう半壊していた。

 

 崩れた建物。

 

 砕けた石畳。

 

 転がる死体。

 

 遠くでは未だ悲鳴が聞こえる。

 

 それでも、市民の撤退だけは完了したらしい。運河へ向かう船の姿はもう見えず、代わりに残されたのは兵士達だけだった。

 

 104期訓練兵達は屋根の上で立ち往生していた。

 

 誰も動けない。

 

 立体機動装置のガスが尽きかけているからだ。

 

 立体機動は空を飛ぶ装置じゃない。

 

 落下を制御しているだけだ。

 

 つまりガスが無ければ、ただの自殺機になる。

 

 壁を登る事も出来ない。

 

 本部へ向かう事も出来ない。

 

 この街に取り残された時点で、死はすぐ隣まで来ていた。

 

「おいジャン!どうすんだよ!?」

 

 コニーの声が屋根の上に響く。

 

 焦りを隠せていない。

 

 当然だった。

 

 屋根の下には巨人がいる。

 

 しかも増えている。

 

 路地裏を徘徊する影。建物の隙間を覗き込む異形の顔。時折聞こえる咀嚼音に、誰もが顔を強張らせていた。

 

「どうもこうもねぇよ」

 

 ジャンは吐き捨てるように言った。

 

 座り込むように屋根へ腰を下ろし、苛立たしげに頭を掻く。

 

「やっと撤退命令が出たってのに、ガス切れで壁を登れねぇ……」

 

 声に余裕は無い。

 

 普段なら軽口のひとつでも返していた男が、今は露骨に追い詰められていた。

 

「そんで全員死ぬんだろうな。……あの腰抜け共のせいで」

 

 アスカが目を細める。

 

「補給班の連中か?」

 

「アイツらどうしたんだよ?全滅したのか?」

 

 コニーの問いに、ジャンは自嘲気味に鼻を鳴らした。

 

「戦意喪失したんだと。気持ちは分かるけどよ……」

 

 屋根の空気が更に重くなる。

 

 恐怖。

 

 その言葉だけで充分だった。

 

 今日だけで何人喰われた?

 

 何人死んだ?

 

 巨人に掴まれ、噛み砕かれ、叫びながら死んでいった。

 

 戦意を失うなという方が無理だ。

 

「……俺達への補給任務を放棄して、本部に籠城か」

 

 アスカは低く呟く。

 

 ジャンが顎で前方を指した。

 

「しかも見てみろよ。あの地獄を」

 

 視線の先。

 

 補給本部。

 

 そこには大型小型問わず大量の巨人が群がっていた。

 

 建物へ張り付くように彷徨い、入口付近には何体もの巨人が密集している。時折、建物へ身体をぶつける振動がここまで伝わってきた。

 

 まるで餌箱へ群がる獣だった。

 

「最悪の光景だ」

 

 アスカは溜息混じりに笑った。

 

「笑えねぇよ……」

 

 ジャンの顔は死んでいた。

 

 だが。

 

 コニーが声を荒げる。

 

「だったら、一か八かそこに群がる巨人をやるしかねぇだろ!」

 

「そうですよ!」

 

 サシャも続く。

 

「ここでウダウダしてても、時期に巨人が集まってきますよ!」

 

「まぁな」

 

 アスカは腰のガスボンベを軽く叩く。

 

 コン、という軽い音。

 

 残量は少ない。

 

「要の機動力を失えば、それこそ終わりだ」

 

 ジャンは苦虫を噛み潰したような顔で屋根へ拳を打ち付けた。

 

「だが今の俺達の兵力で、それが出来ると思うか?前衛の先輩方はほぼ全滅、俺達訓練兵の誰に、そんな決死作戦の指揮がとれる?」

 

 視線の先。

 

 屋根の上には蹲る訓練兵達がいた。

 

 震えている。

 

 泣いている者もいる。

 

 誰も彼も、巨人への恐怖で動けなくなっていた。

 

「……お前は向いてると思うがな」

 

 アスカがぼそりと言う。

 

 ジャンが顔をしかめた。

 

「ついに頭がおかしくなったか?」

 

「俺は真剣に言ってるつもりだ」

 

「……いいよなお前は」

 

 ジャンは乾いた笑みを漏らす。

 

「お前一人なら、巨人全滅は無理にしても、本部に入り込む事くらいは出来る」

 

「まぁ、キツいだろうがな」

 

「ただまぁ、補給所の中には3、4メートル級の巨人がわんさか入ってるだろうぜ。それも倒した後、やっと補給ができるって訳だ」

 

「……」

 

「どうだ?お前1人だけ突っ込んで、俺らのガスも取ってくるって作戦は。いい案じゃないか?」

 

 自暴自棄だった。

 

 普段のジャンなら絶対に言わない。

 

 それだけ追い詰められている。

 

「随分腑抜けた作戦だな」

 

「うるせぇよ」

 

 沈黙。

 

 嫌な沈黙だった。

 

 遠くで巨人の呻き声が聞こえる。

 

 瓦礫が崩れる音。

 

 誰かの悲鳴。

 

 風だけが屋根の上を通り抜けていく。

 

 サシャがその空気に耐え切れなくなったように口を開いた。

 

「そ、それなら。アルミンなら立てられるんじゃないですか?作戦」

 

 ジャンが顔を上げる。

 

「あ?」

 

「なるほど。アルミンなら」

 

 アスカも小さく頷いた。

 

「でもよ、肝心のアルミンはどこに」

 

「あ、いました!あそこです。私、ちょっと話してきます」

 

「……おいサシャ。ちょっと待――」

 

 止めるより早く、サシャが走り出す。

 

 アスカ達も後を追った。

 

 そこで。

 

 異様な空気に気付く。

 

 アルミンが屋根の瓦を見つめていた。

 

 顔から表情が抜け落ちている。

 

 目だけが虚ろだった。

 

「アルミン!一緒にみんなを……」

 

 サシャの声が止まる。

 

 空気がおかしい。

 

 何かが決定的に壊れている。

 

「ライナー、どうする?」

 

「まだだ。やるなら集まってからだ」

 

 少し離れた場所。

 

 アニとライナーが小声で話している。

 

 ベルトルトは黙ったままだ。

 

 アスカは僅かに眉を寄せた。

 

 何か妙だった。

 

 だが考える余裕は無い。

 

「……ダメだよ」

 

 マルコだった。

 

 力なく笑っている。

 

「どう考えても、僕らはこの街から出られずに全滅だ」

 

 その言葉に、誰も反論出来ない。

 

「死を覚悟してなかった訳じゃない。でも、一体何のために死ぬんだ?」

 

 静寂。

 

 その時だった。

 

 屋根を蹴る音。

 

 誰かが凄まじい速度でこちらへ向かってくる。

 

「ミカサ?お前、後衛のはずじゃ……」

 

 無視。

 

 ミカサは真っ直ぐアスカ達の方へ来た。

 

「アスカ。何となく状況は分かってる。その上で私情を挟んで申し訳ないけど、エレンの班を見なかった?」

 

 焦っている。

 

 ミカサが。

 

 周囲が見えていない。

 

 アスカは黙って顎を動かした。

 

 アルミンを示す。

 

「アルミン!」

 

「ッ!!」

 

 アルミンの肩が大きく震えた。

 

 まるで、自分の名前を呼んで欲しくないように。

 

 ミカサが駆け寄る。

 

 黒髪が風に揺れる。

 

 呼吸は乱れていない。

 

 表情も崩れていない。

 

 なのに。

 

 アスカは一瞬で理解した。

 

 ――コイツ、壊れかけてる。

 

「アルミン、ケガはない?大丈夫なの?」

 

 アルミンは顔を上げない。

 

 ただ、ゆっくり首を振る。

 

 それを見たミカサが小さく息を吐いた。

 

 安心。

 

 だがそれも一瞬だった。

 

「エレンはどこ?」

 

 静かな声だった。

 

 静か過ぎた。

 

 その瞬間。

 

 アルミンの顔が歪む。

 

「ッ……」

 

 喉が詰まる。

 

 声にならない。

 

 拳が震えていた。

 

 自分を責めるように。

 

 自分を呪うように。

 

 涙が瓦へ落ちる。

 

「アルミン?」

 

 ミカサがもう一度呼ぶ。

 

 今度は少しだけ声が弱かった。

 

 アルミンがようやく顔を上げる。

 

 目は真っ赤だった。

 

 涙でぐしゃぐしゃになっている。

 

 それだけで充分だった。

 

 ミカサの瞳から、僅かに光が消える。

 

「僕たち……訓練兵第三十四班」

 

 震える声。

 

「トーマス・ワグナー、ナック・ティアス、ミリウス・ゼルムスキー、ミーナ・カロライナ、エレン・イェーガー……!」

 

 一人ずつ。

 

 名前を絞り出すように。

 

「以上五名は、自分の使命を全うし、壮絶な戦死を遂げました!!」

 

 静寂。

 

 風だけが吹いていた。

 

 遠くでは巨人の唸り声が聞こえる。

 

 建物が崩れる音も。

 

 誰かの悲鳴も。

 

 なのに、この屋根の上だけ時間が止まったみたいだった。

 

 誰も喋れない。

 

 コニーの口が半開きになる。

 

 サシャは目を見開いたまま固まっている。

 

 ジャンが俯いた。

 

 マルコは顔を伏せる。

 

 アニだけが、静かに目を細めていた。

 

 ――……クソが。

 

 アスカは奥歯を噛む。

 

 エレン。

 

 あの馬鹿みたいに真っ直ぐな奴が。

 

 巨人を皆殺しにすると本気で言っていた奴が。

 

 死んだ。

 

 あまりにも呆気ない。

 

 戦場は平等だった。

 

 強い意思も。

 

 怒りも。

 

 覚悟も。

 

 全部まとめて喰い潰す。

 

「ごめん、ミカサ」

 

 アルミンの声は掠れていた。

 

「エレンは、僕の身代わりに……」

 

 ミカサは動かない。

 

 何も言わない。

 

 風が黒髪を揺らしている。

 

「僕は、何も出来なかった。すまない……」

 

 アルミンが俯く。

 

 肩が震えていた。

 

 ミカサがゆっくりしゃがみ込む。

 

 アルミンの手を取る。

 

 その手は、驚くほど冷たかった。

 

 血が通っていないみたいに。

 

「アルミン」

 

 静かな声。

 

 アルミンが顔を上げる。

 

 その瞬間。

 

 アスカは背筋に寒気を覚えた。

 

 ミカサの目。

 

 感情が見えない。

 

 いや違う。

 

 押し殺している。

 

 無理矢理。

 

「落ち着いて。今は感傷的になっている場合じゃない」

 

 アルミンの瞳が揺れる。

 

 長い付き合いだった。

 

 だから分かる。

 

 ミカサは今、明らかにおかしい。

 

 だが本人だけが、それを理解していない。

 

 ミカサは立ち上がる。

 

 そのまま補給本部へ視線を向けた。

 

「マルコ。本部に群がる巨人を排除すれば、ガスの補給が出来て、みんなは壁を登れる。違わない?」

 

「あ、ああ。そうだけど……」

 

 マルコが困惑したように答える。

 

「でもいくらお前がいても、あれだけの数は……」

 

「出来る」

 

 即答だった。

 

 空気が変わる。

 

 誰も声を出せない。

 

 ミカサは刃を抜いた。

 

 陽光を受けた刀身が鈍く光る。

 

「私は強い。あなたたちより強い。すごく強い」

 

 静かな声。

 

 なのに、異様な圧があった。

 

「ので、私はあそこの巨人どもを蹴散らすことができる」

 

 誰も口を挟めない。

 

 ミカサの瞳には、もう何も映っていなかった。

 

「例えば一人でも」

 

 視線が全員へ向く。

 

 冷たい。

 

 鋭い。

 

「あなたたちは腕が立たないばかりか、臆病で腰抜けだ。とても残念だ。ここで指をくわえて見てろ」

 

 静寂。

 

 誰も動けない。

 

 アスカはミカサを見ていた。

 

 ――こんなに熱い奴だったか?コイツは。

 

 違う。

 

 熱いんじゃない。

 

 壊れている。

 

 エレンという支柱を失って、それでも立っていようとしている。

 

 だから無理矢理前へ進んでいる。

 

 止まれば、自分まで壊れてしまうから。

 

「いくらお前でも、一人じゃ無理だろ」

 

 アスカが言う。

 

 ミカサは振り返らない。

 

「できなければ死ぬだけ。でも……勝てば生きる。戦わなければ勝てない」

 

 風が吹く。

 

 アスカは視線を補給本部へ向けた。

 

 巨人の配置。

 

 建物の高さ。

 

 侵入経路。

 

 逃走ルート。

 

 頭の中で瞬時に組み立てる。

 

 無茶だ。

 

 だが。

 

 ミカサとなら、突破出来る。

 

「……付き合うぜ、ミカサ」

 

 全員の視線が集まる。

 

「野営訓練の時と同じだ。俺が合わせるから、お前も合わせろ」

 

 僅かな沈黙。

 

 そして。

 

「……了解」

 

 ミカサが小さく答えた。

 

 次の瞬間。

 

 ガスが爆ぜる。

 

 轟音。

 

 二人の身体が同時に空中へ射出された。

 

 屋根を蹴る。

 

 風を裂く。

 

 真っ直ぐ補給本部へ。

 

「おい!」

 

 マルコの声が背後から飛ぶ。

 

 取り残された104期達。

 

 その中で。

 

 ジャンが小さく舌打ちした。

 

「残念なのはお前の言語力だ。あれで発破かけたつもりでいやがる」

 

 刃を抜く。

 

 目は死んでいる。

 

 それでも。

 

 立ち上がっていた。

 

「アスカもアスカだ。テメェがいなけりゃ、残った俺達はどうすりゃいいんだ。……お前のせいだぞ、エレン!」

 

 左手を掲げる。

 

 震えていた。

 

 怖いのだ。

 

 それでも。

 

「おい!!俺たちは仲間に一人で戦わせろと学んだか!?お前らホントに腰抜けになっちまうぞ!!」

 

 ジャンが飛ぶ。

 

 立体機動。

 

 迷いを振り切るように。

 

「うおぉぉぉぉ!!」

 

 コニーが続く。

 

「い、行くしかないじゃないですかぁぁ!!」

 

 サシャも飛ぶ。

 

「そいつは心外だな」

 

 ライナー。

 

 アニ。

 

 ベルトルト。

 

 次々と空へ躍り出る。

 

 アルミンも、いつの間にか涙を止めていた。

 

 マルコと視線を合わせる。

 

 そして。

 

 全員が、ミカサとアスカの背中を追った。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 ガスが爆ぜる。

 

 轟音。

 

 104期の身体が一斉に空中へ射出された。

 

 ワイヤーが建物へ突き刺さる音。ガス噴射の破裂音。風を裂く音。巨人の唸り声。遠くで鳴り続ける砲撃。

 

 トロスト区の空は、もう戦場の音で埋め尽くされていた。

 

 ミカサが先頭を飛ぶ。

 

 速い。

 

 あまりにも。

 

 空中機動に一切迷いがない。固定点の選択。ガス噴射のタイミング。軌道修正。その全部が洗練され切っている。

 

 まるで空間そのものが味方しているみたいだった。

 

 対して。

 

 アスカは違う。

 

 建物を蹴る。

 

 壁を滑る。

 

 身体を強引に捻り、無茶な軌道をねじ込む。

 

 荒い。

 

 綺麗じゃない。

 

 だが、死なない。

 

 地下街で培ったのは、“戦い方”じゃない。

 

 生き残り方だ。

 

「前方七メートル級!!」

 

 ジャンの怒声。

 

 次の瞬間。

 

 ミカサが加速した。

 

 一直線。

 

 躊躇が無い。

 

 巨人の懐へ飛び込み、そのまま空中反転。流れるような斬撃でうなじを裂く。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 倒れる巨体。

 

 だがミカサは振り返らない。

 

 もう次を見ている。

 

「……飛ばし過ぎだろ」

 

 アスカが小さく舌打ちする。

 

 ガス消費が異常だった。

 

 今のミカサは効率で飛んでいない。

 

 感情で飛んでいる。

 

 エレンの死。

 

 その事実を振り払うみたいに。

 

「ミカサ!!」

 

 アルミンの叫び。

 

 その瞬間。

 

 ミカサの軌道がぶれた。

 

「ッ――」

 

 ガス切れ。

 

 身体が沈む。

 

 空中で制御を失ったミカサが、建物の屋根へ叩き付けられるように落下した。

 

「ミカサ!!」

 

 アルミンが即座に軌道を変える。

 

「アルミン!?」

 

 コニーが叫ぶ。

 

「お前どこ行く気だ!?」

 

「ミカサを!!」

 

 迷いが無い。

 

 アルミンはそのまま離脱した。

 

 コニーが歯を食いしばる。

 

 一瞬だけ迷う。

 

 だが。

 

「クソッ!!」

 

 コニーも方向転換した。

 

「死ぬなよテメェら!!」

 

 二人が戦列を離れる。

 

 その瞬間だった。

 

 前衛の圧が消える。

 

 空気が変わった。

 

 補給本部目前。

 

 巨人が密集している。

 

 五メートル級。

 

 七メートル級。

 

 十メートル級。

 

 建物の隙間を埋め尽くすように蠢く肉の群れ。

 

 104期の顔から血の気が引く。

 

 誰もが理解していた。

 

 今まで前を切り開いていたのは、ミカサだった。

 

 そのミカサが消えた。

 

「ッ……」

 

 アスカは奥歯を噛む。

 

 未知との遭遇。怖くないといえば嘘になる。

 

 当たり前だ。

 

 数が多すぎる。

 

 一歩間違えれば喰われる。

 

 だが。

 

 止まれば後ろが死ぬ。

 

「ジャン!!」

 

「あぁ!?」

 

「指示飛ばせ!!俺が前開ける!!」

 

 一瞬。

 

 ジャンが目を見開く。

 

 だがすぐ理解した。

 

「全員聞け!!」

 

 ジャンが怒鳴る。

 

「アスカの後ろを飛べ!!止まるな!!」

 

 同時。

 

 アスカが加速した。

 

 ガス噴射。

 

 腹が浮く。

 

 風が頬を裂く。

 

 巨人の顔面が迫る。

 

 死んだ魚みたいな目。

 

 なのに口だけ笑っている。

 

「おぉぉぉぉぉッ!!」

 

 斬撃。

 

 肉。

 

 蒸気。

 

 一体目。

 

 止まらない。

 

 空中でワイヤーを切り替える。

 

 次。

 

 五メートル級。

 

 巨腕が迫る。

 

「ッ!!」

 

 回避。

 

 だが遅い。

 

 指先が肩を掠めた。

 

 衝撃で身体が流される。

 

「アスカ!!」

 

 ジャンの声。

 

 アスカは空中で無理矢理体勢を戻した。

 

 まだいける。

 

 まだ飛べる。

 

 なら死なない。

 

 ワイヤー射出。

 

 急加速。

 

 巨人の背後へ潜り込み、そのままうなじを切り裂く。

 

 蒸気。

 

 崩れる巨体。

 

「前開いたぞ!!」

 

 ジャンが叫ぶ。

 

「今だ!!飛べ!!」

 

 104期が続く。

 

 サシャが半泣きで飛んでいる。

 

 マルコは顔面蒼白だ。

 

 ライナーとベルトルトが後方を支える。

 

 それでも。

 

 巨人は減らない。

 

 むしろ増えている。

 

「左から二体!!」

 

「分かってる!!」

 

 アスカが屋根を蹴る。

 

 今度は飛び込み過ぎない。

 

 距離を見る。

 

 速度を見る。

 

 空間を見る。

 

 戦闘の中で、少しずつ理解し始めていた。

 

 力任せじゃ死ぬ。

 

 無駄な加速はガスを食う。

 

 真正面から行けば捕まる。

 

 生き残るには、読むしかない。

 

「ッらぁぁぁぁ!!」

 

 斬撃。

 

 一体。

 

 返す刃で二体目。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 視界が白く染まる。

 

 熱い。

 

 息苦しい。

 

 だが。

 

 前より少しだけ見えていた。

 

 巨人の動き。

 

 空間。

 

 死角。

 

 生き残る道。

 

「入口見えた!!」

 

 ジャンの叫び。

 

 補給本部。

 

 もう目前。

 

 だが入口前には巨人が三体群がっていた。

 

「クソが……!!」

 

 アスカは歯を剥く。

 

 ガス残量が少ない。

 

 刀も欠け始めている。

 

 それでも。

 

 ここで止まれない。

 

「ジャン!!突っ込ませろ!!」

 

「お前何する気だ!!」

 

「いいからやれ!!」

 

 次の瞬間。

 

 アスカが急降下した。

 

 巨人の真正面。

 

 当然、視線が集中する。

 

 腕が迫る。

 

 口が開く。

 

 普通なら死ぬ。

 

 だが。

 

 アスカはギリギリまで引き付けた。

 

「今だァァァァ!!」

 

 ジャンの絶叫。

 

 104期が一斉に加速。

 

 アスカの横を抜け、補給本部へ飛び込んでいく。

 

 その瞬間。

 

 アスカが空中で身体を捻った。

 

 巨人の腕を紙一重で回避。

 

 ワイヤー射出。

 

 急加速。

 

 背後へ潜り込み、そのまま一体のうなじを切り裂く。

 

 蒸気。

 

 倒れる巨体。

 

 入口が開く。

 

「アスカ!!」

 

 ジャンが叫ぶ。

 

 最後尾。

 

 訓練兵の一人が掴まれていた。

 

「助け――」

 

 間に合わない。

 

 巨人の口が閉じる。

 

 血飛沫。

 

 咀嚼音。

 

「ッ……!!」

 

 アスカは奥歯を噛む。

 

 それでも止まれない。

 

 止まれば、全員死ぬ。

 

 そのまま補給本部へ飛び込む。

 

 窓を突き破り、瓦礫を滑りながら内部へ転がり込んだ。

 

 直後。

 

 轟音。

 

 巨人の腕が建物外壁へ叩き付けられる。

 

 補給本部全体が揺れた。

 

「はっ……はっ……」

 

 誰も喋らない。

 

 暗い。

 

 血臭が酷い。

 

 兵士の死体。

 

 噛み砕かれた肉片。

 

 壁へ飛び散った血。

 

 蒸気。

 

 呼吸音。

 

 生き残った104期達は、その場で肩を上下させていた。

 

 外ではまだ巨人が唸っている。

 

 だが。

 

 今だけは。

 

 一瞬だけ静かだった。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 補給本部の中は、異様な静けさに包まれていた。

 

 外では巨人が唸っている。

 

 建物を叩く音も聞こえる。

 

 なのに。

 

 ここだけ切り離されたみたいに静かだった。

 

「……はっ……」

 

 誰かの荒い呼吸。

 

 血臭。

 

 蒸気。

 

 噛み砕かれた兵士の死体。

 

 壁に飛び散った血痕。

 

 床へ転がる立体機動装置。

 

 さっきまでここで戦っていた者達が、どういう最期を迎えたのかを嫌でも想像させた。

 

 104期達は、その場へ座り込むようにして呼吸を整えていた。

 

 ガスも少ない。

 

 刃もボロボロ。

 

 誰の顔にも余裕なんて無い。

 

「……生きてる」

 

 コニーではない。

 

 サシャでもない。

 

 呆然としたように呟いたのはクリスタだった。

 

 自分の手を見つめている。

 

 震えていた。

 

「私……まだ生きてる……」

 

「死にたかったのか?」

 

 壁へ背中を預けていたユミルが鼻を鳴らす。

 

「そんな訳ないでしょ……」

 

「なら良かったじゃねぇか」

 

 素っ気ない。

 

 だが、その視線はずっとクリスタを見ていた。

 

 アスカは少し離れた場所で座り込み、刃を確認していた。

 

 ボロボロだった。

 

 欠けている。

 

 何度も無理矢理肉を断ったせいだ。

 

「……クソ」

 

 思ったより消耗している。

 

 腕も重い。

 

 肩も痛い。

 

 巨人に掠められた部分が熱を持っていた。

 

 だが。

 

 生きている。

 

 地下街で何度も死にかけた。

 

 殴られた。

 

 刺された。

 

 裏切られた。

 

 でも。

 

 今日の死は、それとは比べ物にならなかった。

 

 巨人は理不尽だ。

 

 話も通じない。

 

 殺意も悪意も無い。

 

 ただ喰う。

 

 それだけだ。

 

 だから怖い。

 

「……アンタ、化け物?」

 

 声。

 

 アニだった。

 

 壁へ寄り掛かりながら、半目でアスカを見ている。

 

「一人で前線維持するとか普通やらない」

 

「やらなきゃ死んでた」

 

「それを普通じゃないって言うんだよ」

 

 淡々とした口調。

 

 だが、少しだけ呆れているようにも聞こえた。

 

「でも本当に助かったよ」

 

 クリスタが小さく言う。

 

「アスカが前にいてくれなかったら、私たち……」

 

「別にお前らのためにやった訳じゃねぇよ」

 

 アスカは刃を鞘へ戻す。

 

「俺も死にたくなかっただけだ」

 

「ハッ」

 

 ユミルが笑う。

 

「その割にゃ、随分前出てたじゃねぇか」

 

「うるせぇ」

 

「でもまぁ」

 

 ユミルは小さく息を吐いた。

 

「ありがとな」

 

 アスカが少し目を細める。

 

 ユミルが礼を言うのは珍しい。

 

 だからこそ、少しだけむず痒かった。

 

「……気持ち悪ぃな」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

 少しだけ。

 

 本当に少しだけ。

 

 空気が緩む。

 

 その時だった。

 

 外から立体機動の音が響く。

 

 ガシュッ!!

 

 全員が反応する。

 

 次の瞬間。

 

 窓が勢いよく開かれた。

 

「ッ――!!」

 

 入ってきたのはミカサだった。

 

 アルミン。

 

 コニー。

 

 三人とも息を切らしている。

 

「ミカサ!!」

 

 ジャンが立ち上がる。

 

 だが。

 

 ミカサの様子を見て、全員の動きが止まった。

 

 顔色が良い。

 

 それに。

 

 どこか放心していた。

 

「お、おい……どうしたんだよ」

 

 コニーが荒く息を吐きながら壁へ手をつく。

 

「いや……その……」

 

 珍しく言葉が出てこない。

 

 アルミンも混乱していた。

 

 顔が青い。

 

 目が泳いでいる。

 

 アスカは眉を寄せる。

 

「何があった」

 

 静かな声。

 

 アルミンがゆっくり顔を上げた。

 

 そして。

 

「……巨人が」

 

 喉を鳴らす。

 

「巨人が、巨人を殺してたんだ」

 

 沈黙。

 

 誰も意味を理解出来ない。

 

「……は?」

 

 ジャンが眉をひそめる。

 

「何言って――」

 

「本当なんだ!!」

 

 アルミンが叫ぶ。

 

 その声には、恐怖と混乱が滲んでいた。

 

「十五メートル級の巨人だった……!突然現れて、他の巨人を攻撃し始めたんだ!!」

 

「巨人が……巨人を?」

 

 マルコが呆然と呟く。

 

「そんなの……」

 

「あり得ない」

 

 アニが低く言った。

 

 だが。

 

 ミカサだけは違った。

 

 俯いたまま、小さく口を開く。

 

「……味方かもしれない」

 

 空気が止まった。

 

 誰も喋れない。

 

 ただ。

 

 アスカだけが、ゆっくり目を細めていた。

 

 ――なんだそれ。

 

 理解不能だった。

 

 だが同時に。

 

 胸の奥で、何かが妙に引っかかっていた。

 

 

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