地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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ここで死んでくれ

 

 

 

 夕日が、壁を赤黒く染めていた。

 

 内門側の街。

 

 生き残った兵士達が、壁際へ次々と集められていく。

 

 誰もが疲弊していた。

 

 血。

 

 汗。

 

 瓦礫の粉塵。

 

 巨人の臭気。

 

 それらを全身へ纏ったまま、兵士達は重い足取りで壁下へ並ばされていく。

 

 トロスト区は、まだ終わっていない。

 

 外門は破壊されたまま。

 

 無数の巨人が、今も壁の向こう側を徘徊している。

 

 だが内門は無事だった。

 

 だからこそ、人類は辛うじて生き残っている。

 

 壁一枚。

 

 たったそれだけで、人類はまだ滅んでいない。

 

 風に乗って、遠くから巨人の咆哮が聞こえた。

 

 それだけで、何人もの訓練兵が肩を震わせる。

 

「……トロスト区奪還作戦?」

 

 誰かが呟いた。

 

 ざわめきが広がる。

 

「正気かよ……」

 

「またあそこに戻るのか?」

 

「無理だ……」

 

 訓練兵達の顔は青かった。

 

 無理もない。

 

 数時間前まで、巨人に追われ続けていたのだ。

 

 仲間が喰われる音も。

 

 骨の砕ける音も。

 

 まだ耳に焼き付いて離れない。

 

「ふざけんなよ……」

 

 ダズだった。

 

 額へ脂汗を浮かべ、震える声で吐き捨てる。

 

「またあの地獄に戻るのかよ……!? 死ぬぞ!!」

 

 周囲の空気が揺れる。

 

 同調するように、何人もの兵士が顔を伏せた。

 

 皆、思っている。

 

 死にたくない。

 

 帰りたい。

 

 逃げたい。

 

「誰か騒ぎ起こしてくれねぇかな……」

 

 誰かが乾いた声で呟く。

 

「その隙に逃げるのに」

 

 笑う者はいない。

 

 冗談ではなかった。

 

 本気だった。

 

「だったらお前らがやれ」

 

 低い声。

 

 振り返る。

 

 駐屯兵だった。

 

 無精髭。

 

 疲れ切った顔。

 

 目の下には濃い隈が浮いている。

 

「俺はその間にここを去る」

 

 空気が止まる。

 

 ジャンが眉をひそめた。

 

「……どこ行くんスか」

 

 兵士は少しだけ黙る。

 

 それから。

 

「娘に会う」

 

 短く答えた。

 

 誰も言葉を返せなかった。

 

 アスカは黙ってその兵士を見る。

 

 震えていた。

 

 声も。

 

 指先も。

 

 怖いのだ。

 

 兵士だからといって、恐怖を感じなくなる訳じゃない。

 

 死にたくない。

 

 家族に会いたい。

 

 そんな感情を捨てられるほど、人間は強くない。

 

「……まずいな」

 

 少し離れた場所。

 

 イアンが小さく息を吐いた。

 

 隣ではリコが険しい顔で兵士達を見ている。

 

「ああ」

 

「秩序が乱れる」

 

 既に何人かの兵士が壁際から離れ始めていた。

 

 逃げる気だ。

 

 命令より、生存を優先し始めている。

 

 その瞬間だった。

 

「覚悟はいいな!! 反逆者共!!」

 

 怒号。

 

 空気が凍る。

 

 キッツ・ヴェールマンだった。

 

 剣を抜き放ち、兵士達へ突き付ける。

 

「今この場で叩き斬る!!」

 

 殺気。

 

 本気だった。

 

 兵士達が息を呑む。

 

 だが。

 

 キッツ自身の目にも、隠し切れない恐怖が浮かんでいた。

 

 秩序が崩れる。

 

 兵士が逃げる。

 

 それはつまり、人類側の敗北を意味していた。

 

「ひっ……」

 

 誰かが後ずさる。

 

 もう限界だった。

 

 戦える精神状態ではない。

 

 巨人の恐怖は、それほどまでに人間を壊す。

 

「まぁ待て、ヴェールマン」

 

 低い声。

 

 だが、不思議とよく通る声だった。

 

 兵士達が一斉に上を向く。

 

 壁上。

 

 夕日に照らされたその場所へ、一人の老人が立っていた。

 

 ドット・ピクシス。

 

 背後には赤く染まる空。

 

 風が外套を揺らしている。

 

 ピクシスは壁下へ集められた兵士達を静かに見下ろした。

 

「巨人は恐ろしい」

 

 ざわめきが止まる。

 

「わしも怖い」

 

 兵士達の顔が揺れる。

 

 司令自ら、恐怖を口にした。

 

 それだけで空気が変わる。

 

「諸君らは今日、その恐怖を嫌というほど味わったじゃろう」

 

 視線が兵士達をなぞる。

 

 負傷兵。

 

 震える訓練兵。

 

 血塗れの駐屯兵。

 

 誰もが今日、死を見た。

 

「仲間を喰われ」

 

「逃げ惑い」

 

「死地を這い回った」

 

 誰も反論しない。

 

 出来ない。

 

 全て事実だった。

 

「だから逃げたいと思うのも当然じゃ」

 

 ピクシスは淡々と言う。

 

「逃げたい者は逃げても構わん」

 

 一瞬。

 

 兵士達の目が揺れる。

 

「ここから去るがいい」

 

 静かな声だった。

 

「そして、自分だけは助かると信じて生き延びるがよい」

 

 沈黙。

 

 誰も動かない。

 

 動けない。

 

「じゃが、その先で巨人がウォール・ローゼを破れば──次は諸君らの故郷じゃ」

 

 風が吹き抜ける。

 

「父母」

 

「兄弟」

 

「妻」

 

「子供」

 

「友人」

 

 静かな声。

 

 だが、だからこそ重かった。

 

「その時、諸君らはまた逃げるのか?」

 

 誰も答えない。

 

 答えられなかった。

 

 ピクシスは数秒だけ兵士達を見下ろす。

 

 それから。

 

「四年前の話をしよう」

 

 空気が静まる。

 

「ウォール・マリア奪還作戦の話じゃ」

 

 兵士達の顔が強張った。

 

 知らない者などいない。

 

 人類の二割が死んだ地獄。

 

「あえてわしが言わんでも分かっておると思うがのう」

 

「奪還作戦と言えば聞こえはいい。じゃが──要は政府が抱えきれんかった大量の失業者の、口減らしじゃった」

 

 空気が凍る。

 

 誰も口を開かない。

 

 開けなかった。

 

 それは。

 

 皆が薄々理解していながら、決して触れようとしなかった現実だった。

 

「皆がその事に口をつぐんでおるのは、彼らを壁の外へ追いやったお陰で、我々はこの狭い壁の中で生きていけたからじゃ」

 

 ピクシスは小さく息を吐く。

 

「わしを含め──人類全てに罪がある」

 

 夕風だけが吹き抜ける。

 

「ウォール・マリアの住人が少数であったため、争いは表面化せんかった」

 

「しかし、今度はどうじゃ?」

 

 視線が壁の向こうへ向く。

 

 巨人達のいるトロスト区。

 

「このウォール・ローゼが破られれば、人類の二割の口減らしをするだけでは済まんぞ」

 

 兵士達の顔色が変わる。

 

「ウォール・シーナの中だけでは、残された人類の半分も養えん」

 

 誰も否定出来ない。

 

 現実だった。

 

「人類が滅ぶのなら、それは巨人に食い尽くされるからではない」

 

 ピクシスの声が壁上から響く。

 

「人間同士の殺し合いで滅ぶ!!」

 

 空気が震えた。

 

 アスカは黙ってその言葉を聞いていた。

 

 地下街でも見てきた。

 

 極限状態の人間は、簡単に人を殺す。

 

 食料。

 

 水。

 

 縄張り。

 

 理由などいくらでもある。

 

 だからこそ。

 

 ピクシスの言葉には、妙な現実味があった。

 

「我々は、これより奥の壁で死んではならん」

 

 夕日が、老人の背を赤く染める。

 

「どうかここで──」

 

 一拍。

 

「ここで死んでくれ!!」

 

 その瞬間。

 

 張り詰めていた兵士達の空気が、確かに変わった。

 

 沈黙。

 

 風だけが吹いていた。

 

 さっきまで壁際を支配していたざわめきが、今は嘘みたいに消えている。

 

 兵士達は黙っていた。

 

 逃げたい。

 

 怖い。

 

 死にたくない。

 

 そんな感情は消えていない。

 

 それでも。

 

 ピクシスの言葉は、確かに兵士達の胸へ突き刺さっていた。

 

「……クソッ」

 

 誰かが小さく吐き捨てる。

 

「やるしかねぇだろ……」

 

「ここで止めなきゃ終わりだ……」

 

 少しずつ。

 

 本当に少しずつ。

 

 兵士達の目に、光が戻り始めていた。

 

 恐怖は消えていない。

 

 だが。

 

 逃げるだけでは終われない。

 

 その現実を、全員が理解していた。

 

 ピクシスは兵士達を見下ろしたまま、静かに口を開く。

 

「これより、トロスト区奪還作戦を開始する」

 

 空気が張り詰める。

 

「作戦の要となるのは──エレン・イェーガーの巨人化能力じゃ」

 

 ざわめき。

 

 だが先程までとは違う。

 

 恐怖だけではない。

 

 理解不能な何かへ縋るしかない、そんな空気だった。

 

「トロスト区外門付近には、大岩が存在する」

 

 壁上から、ピクシスが遠くを指差す。

 

 兵士達もつられるように壁の向こうを見る。

 

 夕日に染まるトロスト区。

 

 その中心。

 

 破壊された外門近くに、巨大な岩が横たわっていた。

 

「あの岩を、巨人化したエレンに運搬させる」

 

 一瞬、静まり返る。

 

 誰もすぐには理解出来なかった。

 

 いや。

 

 理解したくなかった。

 

 巨人へ。

 

 人類の命運を託す。

 

 そんな話が、正気であるはずがない。

 

 だが。

 

 今の人類に、他の手段は無かった。

 

「エレンが岩を運搬するまでの間、駐屯兵団は巨人を引きつけ、進行ルートを確保する」

 

 壁上から見下ろすトロスト区。

 

 建物の隙間を徘徊する巨人達。

 

 十数メートル級。

 

 三、四メートル級。

 

 その数は、まだ多い。

 

「各班はこれより編成を開始。日が沈み切る前に作戦を開始する」

 

 その一言で、空気が再び動き始めた。

 

 駐屯兵。

 

 伝令兵。

 

 補給班。

 

 怒号が飛び交い、壁際が慌ただしく変わっていく。

 

「各班急げ!!」

 

「補給物資を運べ!!」

 

「ガス残量を確認しろ!!」

 

 戦場が、組み上がっていく。

 

 アスカは壁の向こうを見る。

 

 トロスト区。

 

 巨人。

 

 破壊された外門。

 

 そして。

 

 あの巨大な岩。

 

 ──本当に出来んのかよ。

 

 そう思った瞬間。

 

「おい」

 

 低い声が飛ぶ。

 

 振り返る。

 

 キッツ・ヴェールマンだった。

 

 周囲の訓練兵達が僅かに空気を張らせる。

 

「お前がアスカか」

 

「……そうだけど」

 

 キッツは真っ直ぐアスカを見る。

 

「補給所奪還時、本部前の戦線を維持したと聞いている」

 

 周囲がざわつく。

 

 104期達も思わず視線を向けた。

 

「巨人複数を引き受け、後続の進路を確保したそうだな」

 

「……運が良かっただけだ」

 

「運だけで出来る働きではない」

 

 即座に切り返される。

 

 キッツは壁の向こうを見た。

 

「貴様には陽動部隊へ入ってもらう」

 

 空気が少し変わる。

 

 陽動。

 

 つまり。

 

 最前線だった。

 

「エレンが岩を運搬するまでの間、巨人を引きつけ続けろ」

 

 淡々とした声。

 

 だが、その内容は死刑宣告に近い。

 

「生存率は低い」

 

「だが、今の貴様なら戦線を維持出来ると判断した」

 

 アスカは小さく息を吐く。

 

 怖くない訳じゃない。

 

 だが。

 

 今更だった。

 

「……了解」

 

 短く返す。

 

 キッツは数秒だけアスカを見る。

 

 それから踵を返した。

 

「期待している」

 

 その背中を見送りながら、ジャンが近付いてくる。

 

「おいおい……陽動かよ」

 

「そっちこそ」

 

 アスカが肩を竦める。

 

「死ぬなよ、ジャン」

 

「お前に言われたくねぇ」

 

 そう返しながらも、ジャンの顔には僅かな緊張が浮かんでいた。

 

 当然だ。

 

 これから始まるのは、ただの戦闘ではない。

 

 人類の命運を賭けた作戦。

 

 失敗すれば終わりだ。

 

 その時。

 

 壁上から再び声が響く。

 

「エレン・イェーガーら三名の処遇については、このドット・ピクシスが保証する」

 

 兵士達が一斉に上を向く。

 

「彼らは人類に害を為す存在ではない」

 

「作戦終了まで、独断による接触及び攻撃を禁ずる」

 

 ざわめき。

 

 だが誰も逆らわない。

 

 今はもう。

 

 エレンへ縋るしかないのだ。

 

 遠く。

 

 壁上の一角。

 

 そこにはエレンの姿があった。

 

 イアン。

 

 ミタビ。

 

 リコ。

 

 そしてミカサ。

 

 精鋭班に囲まれながら、エレンは壁の向こうを見つめている。

 

 夕日に照らされた横顔。

 

 その表情には、隠し切れない緊張が浮かんでいた。

 

 アスカはその姿を見る。

 

 なんだかんだ気にかけていた。

 

 死んだと思っていた。

 

 だからこそ。

 

 生きていた事に、少しだけ安心している自分がいた。

 

 だが。

 

 同時に。

 

 あれが本当に人間なのかという疑問も、頭から離れなかった。

 

 巨人から、人が出てきた。

 

 そんな光景。

 

 誰が理解出来る。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

「各班、配置へ急げ!!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 兵士達が一斉に動き始めた。

 

 立体機動装置のワイヤー音。

 

 ガスの噴射音。

 

 壁際の空気が、一気に戦場へ変わっていく。

 

 アスカもまた、装置の固定具を締め直した。

 

 腰の刃を確認。

 

 ガス残量。

 

 異常無し。

 

「お前、陽動班か?」

 

 横から声。

 

 振り返る。

 

 駐屯兵だった。

 

 三十前後。

 

 頬には古い傷痕が走っている。

 

「……そうだけど」

 

「訓練兵にしちゃ運が悪ぃな」

 

 乾いた笑い。

 

 だがその目は笑っていない。

 

 疲弊していた。

 

 精神が擦り切れかけている。

 

「お前ら、今日はじめての実戦だろ」

 

「まぁな」

 

「なら覚えとけ」

 

 兵士は壁の向こうを見た。

 

「止まった奴から死ぬ」

 

 短い言葉だった。

 

 だが。

 

 妙な重みがあった。

 

 地下街でも同じだった。

 

 迷った奴から死ぬ。

 

 立ち止まった奴から食われる。

 

 世界は違っても、そこだけは変わらない。

 

「班編成急げ!!」

 

 再び怒号。

 

 アスカは駐屯兵達と共に移動を始めた。

 

 知らない顔ばかりだった。

 

 104期はいない。

 

 ジャンも。

 

 コニーも。

 

 サシャも。

 

 それぞれ別配置へ回されている。

 

 完全に、即席部隊だった。

 

「陽動班は北側防衛線へ!!」

 

「巨人を進行ルートから引き剥がせ!!」

 

「エレン班へ近付けるな!!」

 

 作戦概要が飛び交う。

 

 つまり。

 

 自分達は時間稼ぎだ。

 

 エレンが岩を運び切るまで、巨人を抑え続ける。

 

 それだけ。

 

 だが。

 

 それが一番難しい。

 

 アスカは空を見上げた。

 

 夕日が、もうかなり低い。

 

 日が沈めば視界が悪くなる。

 

 そうなれば、作戦難度は更に跳ね上がる。

 

 時間が無い。

 

「おい」

 

 先程の駐屯兵が声を掛けてくる。

 

「名前は?」

 

「アスカ」

 

「俺はナックだ」

 

 短いやり取り。

 

 その間にも周囲では部隊編成が進んでいく。

 

「お前、補給所戦にいたらしいな」

 

「……まぁ」

 

「噂になってたぞ」

 

 ナックが苦笑する。

 

「一人で前線維持した訓練兵がいるってな」

 

「盛られてる」

 

「だといいな」

 

 その返答に、アスカは少しだけ眉をひそめた。

 

 駐屯兵達の空気が重い。

 

 歴戦というより。

 

 消耗している。

 

 ずっと戦い続けてきた人間の顔だった。

 

 その時。

 

 壁上から信号弾が上がった。

 

 青。

 

 作戦開始の合図。

 

「全班、出撃!!」

 

 轟音のようなガス噴射音。

 

 次の瞬間。

 

 兵士達が一斉に壁を飛び降りた。

 

 アスカも地面を蹴る。

 

 身体が宙へ放り出される感覚。

 

 ワイヤー射出。

 

 固定。

 

 加速。

 

 一瞬で景色が流れ始める。

 

 眼下。

 

 そこには、夕日に染まるトロスト区。

 

 壊れた建物。

 

 血痕。

 

 巨人。

 

 死体。

 

 地獄だった。

 

「前方右!! 三メートル級!!」

 

 誰かの叫び。

 

 直後。

 

 建物の陰から巨人が飛び出してくる。

 

 小型。

 

 だが速い。

 

「チッ──」

 

 アスカは空中で身体を捻る。

 

 加速。

 

 一気に懐へ潜り込む。

 

 視界の端で、巨人の目が見開かれた。

 

 遅い。

 

 右刃を振り抜く。

 

 斬撃。

 

 肉が裂ける感触。

 

 うなじが飛ぶ。

 

 巨人の身体が崩れ落ちる。

 

「……はや」

 

 後方の駐屯兵が息を呑んだ。

 

 だが止まれない。

 

「北側へ誘導しろ!!」

 

「進行ルートを空けろ!!」

 

 怒号。

 

 さらに奥。

 

 複数の巨人がこちらへ反応していた。

 

 走ってくる。

 

 腕を振り回しながら。

 

 アスカは歯を食いしばった。

 

 始まった。

 

 トロスト区奪還作戦が。

 

 

 

 夕焼けに染まる市街地を、無数のワイヤーが駆け抜ける。

 

 ガス噴射音。

 

 鉄の軋み。

 

 兵士達の怒号。

 

 それらが入り乱れ、トロスト区は完全に戦場へ変わっていた。

 

「左から来るぞ!!」

 

「引きつけろ!! エレン班へ近付けるな!!」

 

 建物の隙間。

 

 巨人達が次々とこちらへ反応していく。

 

 人間の群れ。

 

 音。

 

 動き。

 

 それら全てに釣られるように、巨人達が北側へ流れ始めていた。

 

 アスカは屋根を蹴る。

 

 加速。

 

 前方。

 

 七メートル級。

 

 その更に奥に四メートル級が二体。

 

「クソッ、寄り過ぎだ!!」

 

 駐屯兵の悲鳴。

 

 三人掛かりで一体を足止めしていた兵士達へ、別方向から小型巨人が迫っていた。

 

 反応が遅い。

 

 間に合わない。

 

 アスカは即座に進路を変えた。

 

 ワイヤー射出。

 

 急制動。

 

 空中で身体を反転。

 

 一気に小型巨人の側面へ潜り込む。

 

 振り向いた巨人の顔。

 

 歯を剥き出しにしながら腕を伸ばしてくる。

 

 遅い。

 

 アスカはその腕を踏み台にした。

 

 さらに加速。

 

 首筋へ滑り込む。

 

 一閃。

 

 肉が裂ける音。

 

 うなじを削がれた巨人が、そのまま崩れ落ちた。

 

「ッ、助かった……!」

 

「礼は後だ!! 止まるな!!」

 

 叫び返す。

 

 その瞬間。

 

 遠くで轟音が響いた。

 

 兵士達が一斉に視線を向ける。

 

 蒸気。

 

 トロスト区中央付近。

 

 巨人化したエレンが、ゆっくりと立ち上がっていた。

 

 夕日に照らされた巨大な肉体。

 

 異様に発達した筋肉。

 

 口元から覗く、人間じみた歯列。

 

 長い髪の隙間で、緑色の目が光っている。

 

 人類を喰らう怪物と何一つ変わらない姿。

 

 なのに。

 

 今、その怪物だけが人類を救える。

 

「……動いた」

 

 誰かが呟く。

 

 兵士達の目へ、僅かに光が戻った。

 

 エレン巨人はそのまま、外門方向へ歩き始める。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 地面が揺れる。

 

 周囲の巨人達が反応した。

 

 咆哮。

 

 殺到。

 

 十数体近い巨人が、一斉にエレン巨人へ群がっていく。

 

「今だ!!」

 

「全部引き剥がせ!!」

 

 怒号。

 

 兵士達が一斉に散開した。

 

 ワイヤーが空を裂く。

 

 刃が閃く。

 

 巨人の視界へ飛び込み、無理矢理注意を引きつける。

 

 その間にも、エレン巨人は進み続けていた。

 

 まるで何も見えていないかのように。

 

 ただ真っ直ぐ。

 

 大岩へ向かって。

 

「おいおい……本当にやる気かよ」

 

 ナックが掠れた声を漏らす。

 

 アスカは返事をしない。

 

 視線は、エレン巨人へ向いていた。

 

 怖い。

 

 正直、今でも得体が知れない。

 

 だが。

 

 進んでいる。

 

 あの怪物は今、人類のために前へ進んでいる。

 

 その時だった。

 

「後ろォ!!」

 

 叫び。

 

 反射的に振り向く。

 

 巨人。

 

 五メートル級。

 

 建物を回り込むようにして、駐屯兵へ迫っていた。

 

 ガス切れ。

 

 兵士の顔が青ざめる。

 

「しまっ──」

 

 間に合わない。

 

 アスカは即座にワイヤーを切り替えた。

 

 加速。

 

 空中を滑るように突っ込む。

 

 巨人の口が開く。

 

 兵士へ食らいつこうとしたその瞬間。

 

 斬撃。

 

 深く。

 

 一息でうなじを切り裂く。

 

 巨人が崩れる。

 

 兵士が尻餅をついた。

 

「だ、大丈夫か……!?」

 

「……あぁ」

 

 震えていた。

 

 腰が抜けている。

 

 アスカは舌打ちした。

 

「立て」

 

「でも……」

 

「止まったら死ぬ」

 

 低く言い放つ。

 

 兵士は数秒だけ硬直していたが、やがて歯を食いしばって立ち上がった。

 

 その瞬間だった。

 

 轟音。

 

 空気が震える。

 

 兵士達が反射的に中央を見る。

 

 エレン巨人だった。

 

 巨大な腕を振り上げている。

 

 その先。

 

 ミカサの姿。

 

「──ッ!?」

 

 次の瞬間。

 

 エレン巨人の拳が、ミカサごと建物を吹き飛ばした。

 

 轟音。

 

 瓦礫。

 

 粉塵。

 

 一瞬で空気が凍る。

 

「……は?」

 

 誰かが呟く。

 

 理解が追いつかない。

 

 エレン巨人は止まっていた。

 

 いや。

 

 違う。

 

 ゆっくりと周囲を見回している。

 

 緑色の目。

 

 そこに。

 

 理性は無かった。

 

「おい……」

 

 ナックの声が震える。

 

「嘘だろ……」

 

 エレン巨人が、再び拳を振り上げる。

 

 今度は近くの建物へ叩き付けた。

 

 轟音。

 

 崩壊。

 

 蒸気。

 

 兵士達の顔から血の気が引いていく。

 

「暴走した……?」

 

「ふざけんなよ……」

 

「おい!! どうなってんだ!!」

 

 絶望が伝播していく。

 

 さっきまで存在していた希望が、音を立てて崩れ始めていた。

 

 そして。

 

 最悪な事に。

 

「南側より巨人接近!!」

 

 伝令の絶叫。

 

 兵士達が振り向く。

 

 建物群の向こう側。

 

 新たな巨人の群れが、こちらへ流れ込んできていた。

 

「数は六!!」

 

「防衛線を維持しろ!!」

 

「エレン班はどうなってる!?」

 

「知らねぇよ!!」

 

 怒号。

 

 混乱。

 

 恐怖。

 

 アスカは息を吐いた。

 

 最悪だった。

 

 だが。

 

 それでも。

 

 まだ終わっていない。

 

 終われない。

 

 

 

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