地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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地獄の果て

 

 

 蒸気が街を覆っていた。

 

 白い。

 

 熱を持った霧。

 

 視界が悪い。

 

 瓦礫の焼ける臭いと、巨人の体液が混ざった湿った臭気が、呼吸の度に肺へ入り込んでくる。

 

 その中心で。

 

 エレン巨人は動かなかった。

 

「おい……」

 

「どうなってんだよ……」

 

 兵士達の声が震えている。

 

 倒れ伏した巨体。

 

 立ち上る蒸気。

 

 ピクリとも動かない腕。

 

 さっきまで、人類の希望だったものが。

 

 今はただの、巨大な肉塊にしか見えなかった。

 

 そして。

 

 そんな人類側の事情など関係無いとでも言うように。

 

 巨人達は止まらない。

 

「西側より接近!!」

 

「数は三!!」

 

「クソッ、まだ来るのかよ!!」

 

 怒号。

 

 立体機動装置のガス噴射音。

 

 ワイヤーが空を裂く金属音。

 

 夕暮れのトロスト区を、兵士達が蜘蛛みたいに飛び交っていく。

 

 アスカは屋根を蹴った。

 

 加速。

 

 空気が頬を裂く。

 

 視界の端で、五メートル級が口を開くのが見えた。

 

 駐屯兵へ向かって腕を伸ばしている。

 

 遅い。

 

 アスカはワイヤーを追加射出した。

 

 急加速。

 

 身体が横殴りに振られる。

 

 その勢いを殺さないまま、巨人の背後へ滑り込む。

 

 一閃。

 

 うなじを深く裂く。

 

 肉が開く感触。

 

 蒸気。

 

 巨人が崩れ落ちる。

 

「助かった!!」

 

 駐屯兵が叫ぶ。

 

 だがアスカは振り返らない。

 

 止まるな。

 

 次が来る。

 

 実際、その通りだった。

 

「右だ!!」

 

 悲鳴。

 

 別方向。

 

 三メートル級が屋根を乗り越えて飛び出してくる。

 

 速い。

 

 小型特有の機動力。

 

 人間みたいな速度で走ってくる。

 

 アスカは空中で身体を捻った。

 

 正面から行くな。

 

 減速する。

 

 避けられる。

 

 建物側面へワイヤー射出。

 

 身体を振り子みたいに横回転させ、その勢いのまま巨人の死角へ潜り込む。

 

 斬撃。

 

 一撃。

 

 浅い。

 

「チッ──」

 

 切り損ねた。

 

 うなじを削ぎ切れない。

 

 巨人が振り返る。

 

 歯を剥き出しにしながら腕を振り上げた。

 

 速い。

 

 アスカは即座に噴射。

 

 頭上へ抜ける。

 

 そのまま反転。

 

 二撃目。

 

 今度は深く入る。

 

 巨人が崩れた。

 

 着地。

 

 呼吸が熱い。

 

「はっ……」

 

 肺が焼けるみたいだった。

 

 疲労が溜まり始めている。

 

 ガス残量も減ってきた。

 

 それでも。

 

 止まれない。

 

「北側押されてるぞ!!」

 

「応援回せ!!」

 

「無理だ!! こっちも限界だ!!」

 

 戦場が軋んでいた。

 

 巨人の数が多過ぎる。

 

 しかも。

 

 エレン巨人が止まったせいで、兵士達の士気が明らかに落ちている。

 

 誰もが思っていた。

 

 終わった。

 

 もう無理だと。

 

 その空気が、防衛線全体へ広がり始めていた。

 

 そして。

 

 そういう空気を、巨人は待ってくれない。

 

「ガスが!!」

 

 若い駐屯兵だった。

 

 空中で失速する。

 

 ワイヤー制御が乱れる。

 

「しまっ──」

 

 次の瞬間。

 

 六メートル級の腕が、その兵士を掴み上げた。

 

「嫌だ!! やめ──」

 

 潰れる。

 

 血飛沫。

 

 悲鳴が途中で消えた。

 

 アスカは反射的に飛び出しかける。

 

 だが。

 

 間に合わない。

 

 助けられない。

 

「ッ……!!」

 

 歯を食いしばる。

 

 止まるな。

 

 今向かっても、自分も死ぬ。

 

 地下街で嫌というほど見てきた。

 

 助けられない命はある。

 

 その瞬間。

 

 別方向から巨人が現れる。

 

「アスカ!!」

 

 ナックの叫び。

 

 反射的に身体を沈める。

 

 直後。

 

 巨人の腕が頭上を通過した。

 

 風圧。

 

 遅れて冷や汗が噴き出す。

 

 危ない。

 

 集中が切れ始めている。

 

 情報量が多過ぎる。

 

 巨人。

 

 悲鳴。

 

 血。

 

 瓦礫。

 

 ガス音。

 

 怒号。

 

 気を抜けば、一瞬で飲み込まれる。

 

 だから。

 

 必要な情報だけを見る。

 

 巨人の位置。

 

 味方の動き。

 

 逃げ道。

 

 ガス残量。

 

 生き残るために必要なものだけ。

 

「右が崩れる!!」

 

 叫び。

 

 振り返る。

 

 三体。

 

 同時接近。

 

 このままじゃ防衛線が裂ける。

 

 アスカは即座に進路変更した。

 

「ナック!! 左を引け!!」

 

「ッ、おう!!」

 

「そっちの二人は下がれ!! 屋根潰れるぞ!!」

 

 言いながら、自分は最前線へ突っ込む。

 

 今までは。

 

 自分が生き残る事だけを考えていた。

 

 だが。

 

 今は違う。

 

 一人死ねば。

 

 その穴から、巨人が雪崩れ込む。

 

 だから。

 

 防衛線を維持しなければならない。

 

 ワイヤー射出。

 

 屋根を蹴る。

 

 加速。

 

 三体の内、一番近い四メートル級へ突っ込む。

 

 巨人が腕を振り上げる。

 

 その腕を、逆に踏み台にした。

 

 跳ぶ。

 

 その勢いのまま、うなじを切り裂く。

 

 着地しない。

 

 そのまま二体目へ。

 

 今度は屋根側面を滑走しながら接近。

 

 斬撃。

 

 蒸気。

 

 そして三体目。

 

 だが。

 

「っ……!」

 

 呼吸が乱れる。

 

 ほんの僅か。

 

 踏み込みが遅れた。

 

 巨人の指先が、外套を掠める。

 

 紙一重。

 

 アスカは舌打ちしながら噴射した。

 

 まだ甘い。

 

 疲労で動きが鈍り始めている。

 

 それでも。

 

 身体そのものは、少しずつ戦場へ適応し始めていた。

 

 無駄が削れていく。

 

 最短距離。

 

 最短動作。

 

 巨人を殺すためだけに、動きが研ぎ澄まされていく。

 

 その時だった。

 

「……まだ飛んでやがる」

 

 別区画。

 

 ジャンが息を呑む。

 

 夕焼けの中。

 

 一人の兵士が、未だ最前線を飛び続けていた。

 

 アスカだった。

 

 巨人を引きつけ。

 

 崩れた防衛線へ飛び込み。

 

 兵士を救い。

 

 次の瞬間には別方向の巨人を斬っている。

 

「おいおい……」

 

 駐屯兵が顔を引き攣らせる。

 

「アイツ、一人で何体捌いてんだ……?」

 

 だが。

 

 アスカ本人には、そんな余裕すら無かった。

 

 視界が狭くなっていく。

 

 疲労。

 

 熱。

 

 息苦しさ。

 

 それでも飛ぶ。

 

 止まれば死ぬ。

 

 それだけは、身体が理解していた。

 

 息が熱い。

 

 肺が焼けるみたいだった。

 

 屋根を蹴る度に、全身へ疲労が蓄積していく。

 

 ガス残量も少ない。

 

 刃も欠け始めている。

 

 なのに。

 

 巨人は減らない。

 

「クソッ……!!」

 

 ナックが叫びながら空中で旋回する。

 

 その下。

 

 七メートル級が建物を押し潰しながら進んでいた。

 

 瓦礫が崩れ落ちる。

 

 悲鳴。

 

 逃げ遅れた駐屯兵が、下敷きになりかけていた。

 

「どけぇぇぇ!!」

 

 ナックが突っ込む。

 

 だが。

 

 焦っている。

 

 軌道が直線的過ぎた。

 

 巨人の視線がナックへ向く。

 

 腕が振り上がる。

 

「ッ!!」

 

 間に合わない。

 

 アスカは即座にワイヤーを射出した。

 

 屋根。

 

 煙突。

 

 さらに別の建物。

 

 三点固定。

 

 無理矢理軌道を変える。

 

 身体が悲鳴を上げた。

 

 だが減速しない。

 

 空中で急旋回。

 

 その勢いのまま巨人の腕へ飛び乗る。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 駆け上がる。

 

 そして。

 

 そのまま首筋へ滑り込んだ。

 

 一閃。

 

 深く。

 

 今度は綺麗に入った。

 

 巨人が崩れ落ちる。

 

「はっ……はぁ……」

 

 着地。

 

 呼吸が乱れる。

 

 だが止まらない。

 

「助かった!!」

 

 ナックが叫ぶ。

 

 アスカは肩越しに怒鳴り返した。

 

「直線で突っ込むな!! 食われたいのか!!」

 

「悪ぃ!!」

 

 返事。

 

 だが。

 

 その声にも疲労が滲んでいた。

 

 限界が近い。

 

 全員。

 

 もうかなり削られている。

 

 そして。

 

 それはアスカも同じだった。

 

 右腕が重い。

 

 握力が鈍る。

 

 斬撃精度も落ち始めていた。

 

 さっきから、一撃で落とし切れない。

 

 ほんの数センチ。

 

 そのズレが致命傷になりかけている。

 

「チッ……」

 

 舌打ち。

 

 疲労で集中力が削れていく。

 

 だが。

 

 逆に。

 

 身体そのものは、どんどん戦場へ馴染み始めていた。

 

 考える前に動く。

 

 巨人の死角。

 

 建物の高さ。

 

 ワイヤー角度。

 

 最適な軌道。

 

 全部が、頭じゃなく感覚で分かる。

 

 生き残るための動きだけが研ぎ澄まされていく。

 

 その時だった。

 

「左を引け!!」

 

 アスカの怒号。

 

 駐屯兵達が散開する。

 

 だが。

 

「ッ、ガスが……!」

 

 一人が失速する。

 

 次の瞬間。

 

 四メートル級が、その兵士を壁へ叩き付けた。

 

 骨が砕ける音。

 

 血飛沫。

 

「クソッ!!」

 

 ナックが飛び出す。

 

 巨人へ斬り掛かる。

 

 だが。

 

 疲労で動きが鈍っている。

 

 振り向いた別の巨人の腕が、ナックを薙ぎ払った。

 

「がっ──!?」

 

 建物へ激突。

 

 瓦礫が崩れる。

 

「ナック!!」

 

 アスカが叫ぶ。

 

 だが。

 

 遅い。

 

 立ち上がる前に、巨人の口が開く。

 

 噛み砕かれる。

 

 赤黒い血が飛び散った。

 

「……ッ!!」

 

 息が詰まる。

 

 また一人。

 

 その間にも。

 

「後ろだ!!」

 

 別の駐屯兵が叫ぶ。

 

 だが。

 

 次の瞬間には、その上半身が巨人の口へ消えていた。

 

 悲鳴。

 

 絶叫。

 

 防衛線が崩れていく。

 

 アスカは歯を食いしばった。

 

 止まるな。

 

 今止まれば、全員死ぬ。

 

 だから飛ぶ。

 

 巨人を斬る。

 

 また別方向へ加速する。

 

 その時だった。

 

「西側後退!!」

 

 伝令の絶叫。

 

「防衛線が持たねぇ!!」

 

 兵士達の顔色が変わる。

 

 崩れる。

 

 本格的に。

 

 このままじゃ、完全に押し潰される。

 

 そして。

 

 誰も口にはしない。

 

 だが全員、理解していた。

 

 原因はエレンだ。

 

 希望だった巨人が止まった。

 

 だから。

 

 人類側の心が折れ始めている。

 

「クソッ……!!」

 

 ジャンが歯を食いしばる。

 

 別区画。

 

 そこでも戦線は崩れかけていた。

 

「数が多過ぎる!!」

 

「補給も来ねぇぞ!!」

 

 巨人。

 

 悲鳴。

 

 煙。

 

 戦場全体が、ゆっくりと沈み始めていた。

 

 その中で。

 

「……なんなんだアイツ」

 

 ユミルが目を細める。

 

 遠く。

 

 夕焼けの屋根を、一人だけ飛び続けている兵士がいる。

 

 アスカだった。

 

 止まらない。

 

 巨人の群れへ自分から飛び込み、崩れた防衛線を埋めている。

 

 訓練兵団へ入る前。

 

 地上へ出てから少しの間だけ、アスカと組んでいた事がある。

 

 別に仲間意識があった訳じゃない。

 

 ただ、生き残るために利害が一致していただけだ。

 

 その頃のアスカは、もっと自分本位だった。

 

 他人を助けるくらいなら、自分が生き残る方を選ぶ奴だったはずだ。

 

 なのに今は。

 

 ガス切れしかけた兵士を庇い。

 

 崩れた前線へ自分から飛び込んでいる。

 

「……変な奴になったな」

 

 呆れたように呟く。

 

 だが。

 

 悪い気はしなかった。

 

 その一方で。

 

 別方向。

 

 アニもまた、アスカを見ていた。

 

 無駄が減っている。

 

 戦えば戦うほど。

 

 動きが洗練されていく。

 

 恐怖で止まる事も無い。

 

 迷いも少ない。

 

 まるで。

 

 死地で生き残る事に、昔から慣れているみたいだった。

 

「……」

 

 アニは小さく目を細める。

 

 普通じゃない。

 

 少なくとも。

 

 ただの訓練兵じゃない。

 

 戦場への馴染み方が異常だった。

 

 その時。

 

 ガス噴射音が減っている事に、アスカは気付く。

 

 一瞬だけ周囲を見る。

 

 夕焼け。

 

 蒸気。

 

 瓦礫。

 

 巨人。

 

 そして。

 

 さっきまで一緒に飛んでいた駐屯兵達の姿が、もう殆ど無かった。

 

「……」

 

 誰もいない。

 

 いや。

 

 まだ戦っている兵士はいる。

 

 だが。

 

 アスカと同じ防衛線にいた駐屯兵達は、もうほぼ全滅していた。

 

 血。

 

 肉片。

 

 砕けた立体機動装置。

 

 つい数分前まで、一緒に戦っていた兵士達の痕跡だけが残っている。

 

 それでも。

 

 巨人は止まらない。

 

 終わらない。

 

 まるで。

 

 この地獄は永遠に続くんじゃないかと錯覚するほどに。

 

「ッ……!」

 

 ワイヤー射出。

 

 加速。

 

 六メートル級の腕を紙一重で躱す。

 

 風圧が頬を掠めた。

 

 遅い。

 

 今のは、完全に反応が遅れていた。

 

 疲労で視界が狭まっている。

 

 呼吸も浅い。

 

 肺が酸素を欲しているのに、蒸気混じりの熱気しか入ってこない。

 

 それでも。

 

 止まれない。

 

 アスカは建物側面へワイヤーを撃ち込んだ。

 

 そのまま壁面を蹴り、強引に軌道変更。

 

 巨人の死角へ滑り込む。

 

 一閃。

 

 だが。

 

 浅い。

 

「チッ──!!」

 

 切り損ねた。

 

 うなじへ届き切らない。

 

 巨人が振り返る。

 

 口が開く。

 

 近い。

 

 次の瞬間。

 

 アスカは巨人の顔面を蹴り付けていた。

 

 反動。

 

 強引に距離を取る。

 

 そのまま空中で身体を反転。

 

 二撃目。

 

 今度は深く入った。

 

 蒸気。

 

 巨人が崩れ落ちる。

 

「はっ……はぁ……ッ」

 

 呼吸が乱れる。

 

 だが。

 

 今の動き。

 

 以前の自分なら出来なかった。

 

 戦場の中で。

 

 死ぬ寸前の極限で。

 

 身体が勝手に、生き残る動きを覚え始めている。

 

 地下街で培った勘。

 

 訓練兵団で叩き込まれた技術。

 

 その両方が、ようやく噛み合い始めていた。

 

 その時だった。

 

 轟音。

 

 兵士達が一斉に中央を見る。

 

 蒸気。

 

 その中で。

 

 倒れていた巨体が、ゆっくりと動いた。

 

「……おい」

 

 誰かが呟く。

 

 エレン巨人だった。

 

 兵士達が息を呑む。

 

 夕日に照らされた肌。

 

 異様に発達した肉体。

 

 口元から覗く、人間じみた歯列。

 

 長い髪の隙間で、緑色の目が光っている。

 

 その視線が。

 

 今度は真っ直ぐ、大岩へ向いていた。

 

「正気に戻った……!?」

 

 声が上がる。

 

 その瞬間。

 

 止まりかけていた兵士達の空気が、一気に変わった。

 

「進路を守れぇぇぇ!!」

 

「エレンを門まで通せ!!」

 

「ここで止めるぞ!!」

 

 怒号。

 

 ガス噴射。

 

 兵士達が再び動き始める。

 

 アスカも屋根を蹴った。

 

 疲労は消えていない。

 

 呼吸も苦しい。

 

 視界だって霞み始めている。

 

 だが。

 

 まだ飛べる。

 

 エレン巨人が、大岩へ両腕を伸ばす。

 

 筋肉が軋む。

 

 轟音。

 

 巨大な岩が、ゆっくりと持ち上がっていく。

 

 兵士達が息を呑んだ。

 

 本当に。

 

 本当にやる気なのか。

 

 あの怪物が。

 

 人類のために。

 

「うおおおおおッ!!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

 歓声。

 

 怒号。

 

 絶望しかけていた戦場へ、再び熱が戻っていく。

 

 アスカは巨人の頭上を飛び越えた。

 

 ワイヤーを切り替える。

 

 加速。

 

 もっと速く。

 

 もっと無駄を削れ。

 

 巨人の肩を踏み台にし、その勢いのまま次の巨人のうなじへ滑り込む。

 

 一閃。

 

 蒸気。

 

 止まらない。

 

 そのまま反転。

 

 さらに別の巨人へ。

 

 疲労で視界が霞む。

 

 それでも身体は動く。

 

 生き残るために。

 

 前へ進むために。

 

 轟音が響く。

 

 エレン巨人が、大岩を抱えたまま歩き出した。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 その度に地面が揺れる。

 

 瓦礫が跳ねる。

 

 夕焼けのトロスト区を、異形の巨人が進んでいく。

 

 その姿を。

 

 兵士達は半ば呆然と見上げていた。

 

 怖い。

 

 正直、今でも得体が知れない。

 

 人類を喰らう怪物と、何一つ変わらない姿。

 

 なのに。

 

 今、その怪物だけが人類を救える。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「止めるなぁぁぁ!!」

 

 リコの怒号が響く。

 

 その声は、もう掠れていた。

 

 イアンも。

 

 ミタビも死んだ。

 

 精鋭班は、ほぼ壊滅状態。

 

 それでも。

 

 リコだけは、まだ飛び続けている。

 

 血塗れのまま。

 

 巨人へ刃を向け続けていた。

 

「右から来るぞ!!」

 

 兵士の叫び。

 

 七メートル級。

 

 建物を薙ぎ倒しながら、エレン巨人へ向かって走ってくる。

 

 アスカは即座にワイヤーを射出した。

 

 屋根。

 

 煙突。

 

 壁面。

 

 三方向へ固定。

 

 噴射。

 

 急加速。

 

 視界が一瞬で流れる。

 

 速い。

 

 今までより。

 

 明らかに。

 

 空中で身体を捻る。

 

 そのまま建物側面を蹴り、巨人の頭上へ。

 

 振り下ろされる腕を紙一重で躱す。

 

 そして。

 

 一閃。

 

 うなじが裂ける。

 

 蒸気。

 

 だが。

 

「ッ……!!」

 

 次の瞬間、別方向から四メートル級が飛び出す。

 

 近い。

 

 アスカは即座にワイヤーを切り替えた。

 

 空中で急制動。

 

 そのまま身体を振り子みたいに横回転させ、巨人の腕を避ける。

 

 さらに。

 

 避けながら、その勢いのまま刃を滑らせる。

 

 肉が裂けた。

 

 巨人が崩れ落ちる。

 

「……はっ」

 

 息を呑む。

 

 今の動き。

 

 自分でやったのに、半分反射だった。

 

 考える前に身体が動いていた。

 

 死角。

 

 速度。

 

 ワイヤー角度。

 

 全部。

 

 感覚で理解出来る。

 

 地下街で磨いた“生き残る勘”と、訓練兵団で覚えた立体機動が、ようやく一つになり始めていた。

 

「なんだよ……アイツ」

 

 別区画。

 

 ジャンが息を呑む。

 

 夕焼けの空。

 

 アスカだけが、未だ最前線を飛び続けていた。

 

 巨人を引きつけ。

 

 進路を切り開き。

 

 崩れた防衛線へ、自分から飛び込んでいく。

 

「まだ動けんのかよ……」

 

 駐屯兵が顔を引き攣らせる。

 

 だが。

 

 アスカ本人には、そんな余裕は無かった。

 

 呼吸が苦しい。

 

 肺が熱い。

 

 ガスも残り少ない。

 

 それでも。

 

 身体だけは、戦場へ適応し続けている。

 

 その時だった。

 

「アスカ!!」

 

 ミカサの声。

 

 反射的に顔を上げる。

 

 瞬間。

 

 巨人の腕が、さっきまでいた空間を薙ぎ払っていた。

 

「ッ──!!」

 

 冷や汗が走る。

 

 危なかった。

 

 完全に死角から来ていた。

 

 ミカサが巨人の肩を蹴り、一気に首筋へ滑り込む。

 

 一閃。

 

 蒸気が噴き上がる。

 

 だが。

 

 ミカサもまた、限界が近かった。

 

 呼吸が荒い。

 

 噴射後の姿勢制御も、僅かに遅れている。

 

 それでも。

 

 ミカサはアスカを見る。

 

「集中して」

 

 短い声。

 

 だが。

 

 その目には焦りがあった。

 

 こんなアスカを見るのは初めてだった。

 

 誰よりも戦場慣れしていて。

 

 どれだけ追い詰められても、どこか余裕を残していた人間。

 

 そのアスカが、今は限界寸前まで削られている。

 

「……悪い」

 

 アスカは短く返す。

 

 ミカサは数秒だけアスカを見ていたが、やがて再びエレンの護衛へ戻っていく。

 

 その背中を見送りながら、アスカは小さく息を吐いた。

 

 気を抜くな。

 

 まだ終わっていない。

 

 エレン巨人が、大岩を抱えたまま前進する。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 その周囲へ、無数の巨人が群がっていく。

 

「全部引き剥がせぇぇぇ!!」

 

 リコの怒号。

 

 兵士達が最後の力を振り絞る。

 

 ワイヤー。

 

 ガス。

 

 刃。

 

 全部を使い切る勢いで、巨人へ飛び込んでいく。

 

 アスカも屋根を蹴った。

 

 加速。

 

 もっと速く。

 

 もっと研ぎ澄ませ。

 

 巨人の肩を踏み台にする。

 

 反転。

 

 斬撃。

 

 さらに次。

 

 止まらない。

 

 その時。

 

 エレン巨人が、ついに外門前へ辿り着いた。

 

「全員離れろォォォ!!」

 

 リコの絶叫。

 

 次の瞬間。

 

 エレン巨人が、大岩を外門へ叩き込んだ。

 

 轟音。

 

 衝撃。

 

 空気そのものが震える。

 

 瓦礫が吹き飛ぶ。

 

 兵士達が思わず腕で顔を庇った。

 

 そして。

 

 ゆっくりと土煙が晴れていく。

 

 破壊されていた外門は。

 

 巨大な岩によって、完全に塞がれていた。

 

 

 

 

 静寂だった。

 

 さっきまで響いていた怒号も。

 

 巨人の咆哮も。

 

 建物が崩れる音も。

 

 一瞬だけ、遠くなる。

 

 兵士達は呆然と外門を見上げていた。

 

 巨大な岩。

 

 それが、破壊されていた門を完全に塞いでいる。

 

 本当に。

 

 本当に終わったのか。

 

「……塞がった」

 

 誰かが呟く。

 

 その声を合図にしたみたいに、全身から力が抜ける兵士達がいた。

 

 その場へ膝をつく者。

 

 泣き出す者。

 

 壁へ寄り掛かる者。

 

 誰もが限界だった。

 

 その時だった。

 

 リコが静かに信煙弾を取り出す。

 

 血で汚れた手。

 

 その指先が、僅かに震えていた。

 

 空へ向ける。

 

 一瞬の静寂。

 

 ──パァンッ!! 

 

 緑色の煙が、夕焼けの空へ撃ち上がった。

 

 作戦成功。

 

 その合図だった。

 

 兵士達が空を見上げる。

 

 夕日と、緑煙。

 

 その景色だけが、妙に綺麗だった。

 

 リコは煙を見上げたまま、小さく呟く。

 

「……みんな」

 

 一拍。

 

「死んだ甲斐があったな」

 

 イアン。

 

 ミタビ。

 

 そして。

 

 名前も知らない、多くの兵士達。

 

 その犠牲の上で、ようやく掴んだ勝利だった。

 

 アスカは呼吸を整えながら、その煙を見上げる。

 

 肺が痛い。

 

 腕も重い。

 

 全身が軋んでいる。

 

 だが。

 

 戦場は終わった。

 

 少なくとも。

 

 今この瞬間だけは。

 

「……っ」

 

 その時。

 

 急に、身体から力が抜けそうになる。

 

 アスカは咄嗟に屋根へ手をついた。

 

 震えていた。

 

 指先が。

 

 呼吸も上手く整わない。

 

 極限状態で飛び続けていた反動が、一気に押し寄せてきていた。

 

 そして。

 

 同時に。

 

 頭へ浮かぶ。

 

 ナック。

 

 最後まで一緒に飛んでいた駐屯兵達。

 

 名前も知らない兵士達。

 

 ついさっきまで、同じ戦場で怒鳴り合っていた人間達。

 

 その姿が、もう無い。

 

「……クソ」

 

 小さく漏れる。

 

 助けられなかった。

 

 もっと早く動けていれば。

 

 もっと強ければ。

 

 そんな考えが、頭を掠める。

 

 だが。

 

 戦場は、そんな後悔を待ってくれない。

 

 助けられない命はある。

 

 地下街で嫌というほど見てきた。

 

 それなのに。

 

 今は妙に胸の奥が重かった。

 

 ただの駐屯兵だった。

 

 名前すら知らない奴らだった。

 

 それでも。

 

 一緒に戦った。

 

 一緒に、この地獄を飛び続けた。

 

「……死にやがって」

 

 掠れた声。

 

 怒りなのか。

 

 悔しさなのか。

 

 自分でも分からない。

 

 ただ。

 

 胸の奥に、鈍い熱だけが残っていた。

 

 その時。

 

 轟音と共に、エレン巨人が崩れ落ちた。

 

 巨大な肉体が地面を揺らす。

 

 蒸気。

 

 熱風。

 

「エレンを回収しろ!!」

 

 リコの怒号。

 

 ミカサ達が再び動き出す。

 

 巨人のうなじ。

 

 剥がれ落ちていく肉。

 

 その中から、人間の身体が少しずつ姿を現していく。

 

 エレンだった。

 

 意識は薄い。

 

 だが、生きている。

 

 その瞬間。

 

「ッ!!」

 

 誰かが息を呑む。

 

 路地の奥。

 

 二体の巨人が、こちらへ向かって来ていた。

 

「まだいたのか!!」

 

 兵士達が刃を構える。

 

 だが。

 

 全員、限界に近い。

 

 ガスも。

 

 刃も。

 

 体力も。

 

 もう残っていなかった。

 

 一体の巨人が、大口を開きながらエレンへ迫る。

 

 アスカは地面を蹴った。

 

 ワイヤー射出。

 

 加速。

 

 疲労で重かった身体が、それでも前へ出る。

 

 もっと速く。

 

 もっと無駄を削れ。

 

 巨人の懐へ潜り込む。

 

 一閃。

 

 深く。

 

 うなじを切り裂く。

 

 巨人が崩れ落ちた。

 

 だが。

 

 もう一体。

 

 別方向から、残る巨人がエレンへ手を伸ばす。

 

 近い。

 

 間に合わない。

 

 その瞬間だった。

 

 風が走る。

 

 いや。

 

 違う。

 

 何かが、一瞬で視界を横切った。

 

 刃。

 

 回転。

 

 血飛沫。

 

 次の瞬間には、巨人の首が宙を舞っていた。

 

 遅れて巨体が崩れ落ちる。

 

 速過ぎて。

 

 見えなかった。

 

 瓦礫の上へ降り立った男を見て、兵士達が息を呑む。

 

 緑色の外套。

 

 背中に刻まれた紋章。

 

 自由の翼。

 

 調査兵団。

 

 男──リヴァイは、血を払うように刃を振る。

 

 その動作に、一切の無駄が無い。

 

 呼吸も乱れていない。

 

 まるで。

 

 ここまでの地獄が、何でもないみたいに。

 

 鋭い視線が、その場を見回した。

 

「おいガキ共」

 

 低い声。

 

「これはどういう状況だ」

 

 静かな声だった。

 

 だが。

 

 その場の空気を一瞬で支配していた。

 

 アスカは目を見開いたまま、その男を見る。

 

 違う。

 

 今まで見てきた誰とも。

 

 立体機動の質が。

 

 身体運びが。

 

 巨人との距離感が。

 

 全部。

 

 完成されている。

 

 最短。

 

 最速。

 

 巨人を殺すためだけに研ぎ澄まされた動き。

 

 その姿へ、兵士達が無意識に道を開けていく。

 

 強い。

 

 ただそれだけじゃない。

 

 この男は。

 

 戦場そのものへ適応し切っている。

 

 その時。

 

 エレンが、朦朧とした目で自由の翼を見上げる。

 

「……自由の翼……」

 

 掠れた声。

 

 だが。

 

 その言葉が、妙にアスカの耳へ残った。

 

 壁の外へ向かう兵士達。

 

 死ぬと分かっていて、それでも進む奴ら。

 

 地下街では考えられなかった。

 

 だが。

 

 あの男を見ていると。

 

 それがただの狂気ではない気もした。

 

 そして同時に。

 

 アスカは強く柄を握り締める。

 

 イアンも。

 

 ミタビも。

 

 ナックも。

 

 確かに強かった。

 

 それでも死んだ。

 

 この戦場では、強いだけじゃ足りない。

 

 生き残るためには。

 

 もっと上へ行かなければならない。

 

 もっと研ぎ澄まさなければならない。

 

 視線の先。

 

 夕焼けの中へ立つ、小柄な兵士。

 

 自由の翼が風に揺れていた。

 

 まだ届かない。

 

 だが。

 

 いつか。

 

 必ず、あの領域へ。

 

 

 

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