地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

24 / 27
出立前夜

 

 

 それから数日。

 

 調査兵団は壁外調査へ向けた訓練を続けていた。

 

 馬術。

 

 信煙弾。

 

 長距離索敵陣形。

 

 立体機動。

 

 訓練兵団で学んだ技術を、壁外で生き残るための技術へ変えていく作業だった。

 

 当然、楽ではない。

 

「違う!!」

 

 訓練場に怒声が響く。

 

「信煙弾を確認してから撃てと言っただろう!!」

 

「確認したんですよ!!」

 

 コニーが叫ぶ。

 

「じゃあ何で緑なんだ!!」

 

 教官役の兵士が怒鳴る。

 

 コニーは手元の信煙弾を見る。

 

 数秒固まった。

 

「……あ」

 

「お前はまず色を覚えろ!!」

 

「理不尽だろ!!」

 

「理不尽じゃない!!」

 

 周囲から笑いが漏れる。

 

 サシャなど腹を抱えていた。

 

「コニーは本当に馬鹿ですね」

 

「笑ってる場合か!」

 

「私はちゃんと覚えています」

 

 そう言った直後だった。

 

「サシャ!!」

 

 別の兵士が怒鳴る。

 

「何ですか!?」

 

「お前も違う!!」

 

「えっ」

 

 サシャが固まる。

 

「それは黒だ!!」

 

「…………」

 

「お前も色を覚えろ!!」

 

「そんな」

 

 今度はコニーが笑う番だった。

 

 訓練場に笑い声が広がる。

 

 ライナーが呆れたように息を吐いた。

 

「お前達は本当に大丈夫なのか」

 

「ライナーが言うと妙に説得力あるな」

 

 ジャンが苦笑する。

 

 その横でアルミンは地図を広げていた。

 

 長距離索敵陣形。

 

 信煙弾の伝達経路。

 

 それらを頭へ叩き込んでいる。

 

「アルミン」

 

 アスカが声を掛ける。

 

 アルミンが顔を上げた。

 

「あ、アスカ」

 

「まだ覚えてるのか」

 

「覚えるというより確認かな」

 

 そう言って地図を見せる。

 

「中央が団長。情報が伝達された後、進路変更は緑煙弾。奇行種は黒煙弾。通常種は赤煙弾」

 

「全部頭に入ってるのか」

 

「一応」

 

 苦笑するアルミン。

 

 訓練兵団の頃から変わらない。

 

 いや。

 

 少し変わったかもしれない。

 

 声に迷いが減った。

 

 自信が付いたのだろう。

 

 トロスト区での戦いを経て。

 

「お前も怖いな」

 

「え?」

 

「そういうの全部覚えてる辺り」

 

 アルミンは少し笑った。

 

「怖いのは壁外の方だよ」

 

 その言葉に嘘は無かった。

 

 誰も笑わない。

 

 全員が同じ事を思っている。

 

 壁外。

 

 人類が支配出来ていない世界。

 

 巨人の領域。

 

 そして。

 

 第五十七回壁外調査。

 

 もう目前だった。

 

 ◇

 

 夕方。

 

 訓練が終わる。

 

 兵士達が本部へ戻り始める中、アスカは一人訓練場へ残っていた。

 

 立体機動装置の調整。

 

 刃の確認。

 

 ガス残量。

 

 やる事はまだある。

 

 ふと視線を上げる。

 

 夕陽に照らされた訓練場の端。

 

 誰かが座っていた。

 

 見覚えがある。

 

 ジャンだった。

 

 膝の上には地図が広げられている。

 

「何してんだ」

 

 声を掛ける。

 

 ジャンは顔だけ上げた。

 

「見りゃ分かるだろ」

 

 地図を軽く持ち上げる。

 

「勉強」

 

「真面目か」

 

「うるせぇ」

 

 アスカはその隣へ腰を下ろした。

 

 風が吹く。

 

 夕方の訓練場は静かだった。

 

 昼間の喧騒が嘘みたいに。

 

「覚えられんのか」

 

「覚えるんだよ」

 

 ジャンは視線を地図へ戻す。

 

「壁外で迷ったら死ぬ」

 

 短い言葉だった。

 

 だが重い。

 

 調査兵団の兵士なら誰でも分かる。

 

 壁外にミスは無い。

 

 あるのは生きるか死ぬかだけだ。

 

「壁外な」

 

 ジャンがぽつりと言う。

 

「あぁ」

 

「正直、まだ実感ねぇんだよ」

 

 夕陽が横顔を照らしている。

 

「明後日には壁の外だろ?」

 

「そうだな」

 

「なのに変な感じだ」

 

 苦笑する。

 

「怖ぇのに実感だけ無ぇんだよ」

 

 アスカは少し考える。

 

 その感覚は分かる。

 

 頭では理解している。

 

 巨人の恐ろしさも。

 

 壁外の危険も。

 

 だが実際に出た事はない。

 

 だから現実味が薄い。

 

「怖いか」

 

 ジャンが聞く。

 

「怖い」

 

 アスカは即答した。

 

 ジャンが少し笑う。

 

「だよな」

 

 一拍。

 

「お前でも怖いんだな」

 

「何だと思ってたんだ」

 

「お前だからな。肝据わってるのかと思った」

 

「まぁ、人よりはな。でも……」

 

 呆れながら返す。

 

「巨人は普通に怖い。何考えてるか分かんねぇからな」

 

「安心した」

 

「失礼だな」

 

「褒めてんだよ」

 

 ジャンは笑った。

 

 ほんの少しだけ。

 

 訓練兵団の頃より自然な笑い方だった。

 

 だがその笑みはすぐ消える。

 

 視線が地図へ落ちた。

 

「……地図見てるとな」

 

「何だ」

 

「気付くんだよ」

 

 ジャンは地図の一点を指で叩く。

 

「マルコならどう考えるかなって」

 

 風が吹く。

 

 アスカは何も言わない。

 

 ジャンも続きを急がない。

 

「ここは危険だとか。この配置はおかしいとか。そういうのばっか考えてる」

 

 苦笑する。

 

「もういねぇのにな」

 

 夕陽が傾いていく。

 

 長く伸びた影が二人の足元へ落ちていた。

 

「でも考えちまうんだよ」

 

 ジャンは地図を見たまま言う。

 

「アイツなら何て言うかなって」

 

 その声に悲壮感は無い。

 

 ただ事実を語るような声だった。

 

「だから覚える」

 

 指先が地図を叩く。

 

「壁外の事も。隊列も。地形も。全部だ」

 

 顔を上げる。

 

 真っ直ぐだった。

 

「もう俺達しかいねぇんだから」

 

 アスカは小さく息を吐く。

 

 火葬の日。

 

 震えながらも調査兵団を選んだ男がいた。

 

 恐怖は消えていない。

 

 今も怖いのだろう。

 

 それでも進んでいる。

 

 前へ。

 

「……変わったな」

 

 思わず漏れる。

 

 ジャンが顔をしかめた。

 

「うるせぇ」

 

「褒めたんだよ」

 

「余計なお世話だ」

 

 そう言いながらも少しだけ笑う。

 

 夕陽はゆっくり沈んでいった。

 

 壁外調査まで。

 

 あと二日。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 翌日。

 

 壁外調査前日。

 

 調査兵団本部は朝から慌ただしかった。

 

 荷馬車の点検。

 

 予備馬の確認。

 

 補給物資の整理。

 

 兵士達が忙しなく行き交う。

 

 その中を、アスカは旧本部へ向かっていた。

 

 ハンジから呼び出しを受けていたからだ。

 

「失礼します」

 

 旧本部の裏口を開く。

 

「お、来たね」

 

 振り返ったハンジが手を上げた。

 

 その周囲には、

 

 モブリット。

 

 ペトラ。

 

 エルド。

 

 オルオ。

 

 グンタ。

 

 そしてエレン。

 

 見慣れた顔ぶれが揃っている。

 

「何するんですか」

 

 アスカが尋ねる。

 

「実験」

 

 ハンジは即答した。

 

 嫌な予感しかしない。

 

「またですか」

 

「まただよ」

 

 楽しそうではない。

 

 だが目は真剣だった。

 

 研究者の目。

 

 巨人の秘密へ近付こうとしている人間の目だった。

 

 旧本部裏手の空き地へ出る。

 

 周囲には誰も近付かないよう縄が張られていた。

 

 エレンは中央へ向かう。

 

 兵士達は少し距離を取った。

 

「昨日までの結果を整理すると」

 

 ハンジが資料を広げる。

 

「エレンは巨人化出来る時と出来ない時がある」

 

 全員が頷く。

 

「傷を負っても出来ない事がある」

 

「意思があっても出来ない事がある」

 

 モブリットが記録用紙を捲る。

 

「成功例と失敗例に明確な共通点は見当たりません」

 

「それが問題なんだよね」

 

 ハンジが頭を掻いた。

 

「条件が分からない」

 

「巨人化出来る時と出来ない時の違いが不明」

 

 ペトラが腕を組む。

 

「体調の差ではないんですか?」

 

「その可能性も考えた」

 

 ハンジは資料を見せた。

 

「でも休養後に失敗した日もある」

 

「逆に訓練後に成功した日もある」

 

「だから断定出来ない」

 

 沈黙。

 

 風が吹く。

 

 エレンは中央で待機したままこちらを見ていた。

 

「俺はどうすればいいですか?」

 

「今は待機」

 

「分かりました」

 

 素直に従う。

 

 最近は流石に慣れたらしい。

 

 ハンジも苦笑した。

 

「聞き分け良くなったね」

 

「慣れました」

 

「それもどうなんだろう」

 

 モブリットが呟く。

 

 誰も否定出来なかった。

 

 しばらく資料を見ていたハンジが顔を上げる。

 

「例えばだけど」

 

 全員へ視線を向ける。

 

「エレンの巨人化には複数の条件があるとしたら?」

 

「複数?」

 

 グンタが眉をひそめる。

 

「傷だけじゃないって事ですか」

 

「そう」

 

 ハンジが頷く。

 

「今までは傷を負えば変身出来ると思っていた」

 

「でも違うかもしれない」

 

 オルオが腕を組む。

 

「意思か」

 

「有力だね」

 

 ハンジは資料を指差した。

 

「成功例を見返すと、何かしら目的がある時が多い」

 

 エレンも記憶を辿る。

 

「トロスト区では穴を塞ぐ為でした」

 

「そう」

 

 ハンジが嬉しそうに頷く。

 

「それだ」

 

「目的」

 

「意思」

 

 モブリットが書き留める。

 

「傷だけではなく、明確な目的が必要である可能性」

 

 アスカは資料を見る。

 

 確かに筋は通っている。

 

 だが。

 

「それだけじゃない気がします」

 

 気付けば口にしていた。

 

 ハンジが振り返る。

 

「何でそう思うの?」

 

「昨日」

 

 アスカはエレンを見る。

 

「エレンは目的もあった」

 

「傷も付けた」

 

「それでも失敗した」

 

 ハンジが頷く。

 

「その通り」

 

「だからもう一つある」

 

 静かになる。

 

 全員がこちらを見る。

 

「体力です」

 

 アスカは言った。

 

「最近ずっと実験してるでしょう」

 

 エレンが少し顔をしかめる。

 

「まぁ……そうだけど」

 

「疲れてるじゃねぇか」

 

「そんなに疲れてない」

 

「疲れてる奴はみんなそう言う」

 

 即答だった。

 

 ペトラが吹き出す。

 

 グンタも笑いを堪えている。

 

「何だよその理論」

 

 エレンが不満そうに言う。

 

「地下街調べです」

 

「信用出来ねぇな」

 

 思わず笑いが広がった。

 

 だが。

 

 ハンジだけは真面目な顔をしていた。

 

「傷」

 

 指を一本立てる。

 

「意思」

 

 二本目。

 

「体力」

 

 三本目。

 

 考える。

 

 資料を見る。

 

 モブリットも記録を見返している。

 

 やがて。

 

「……あり得る」

 

 ハンジが呟いた。

 

 その声に全員の視線が集まる。

 

「確かに成功した日のエレンは比較的消耗していない」

 

「失敗例は実験を重ねた後が多い」

 

 モブリットも頷いた。

 

「傾向としては一致します」

 

 ハンジの目が輝く。

 

 何かを見つけた時の顔だった。

 

「よし」

 

 勢いよく資料を閉じる。

 

「今日はここまで!」

 

「え?」

 

 エレンが固まる。

 

「今日は試さないんですか?」

 

「試さない」

 

 ハンジは断言した。

 

「もし体力が条件なら、今試しても意味が無い」

 

「十分休養してから試す」

 

 エレンは少し考える。

 

 納得したらしい。

 

「分かりました」

 

 そう言って頷いた。

 

 その素直さにアスカは少し驚く。

 

 もっと反論すると思っていた。

 

「意外ですね」

 

「何が?」

 

「すぐ試したがるかと思いました」

 

 エレンは首を傾げた。

 

「結果が出ないなら意味ないだろ」

 

 当然のように言う。

 

 その言葉に嘘は無い。

 

 巨人化したい訳じゃない。

 

 必要だからやっているだけ。

 

 それがエレンだった。

 

 その時だった。

 

 エレンは何気なく右手を見た。

 

 そして。

 

 無意識のように口元へ運ぶ。

 

「おい」

 

 アスカが声を掛ける。

 

 エレンが止まる。

 

「何だ?」

 

「何で噛もうとした」

 

「え?」

 

 本気で分かっていない顔だった。

 

「いや……癖で」

 

 その返答に。

 

 ペトラが目を瞬かせる。

 

 エルドが黙る。

 

 グンタも苦笑した。

 

「癖?」

 

「はい」

 

 エレンは自分の手を見る。

 

「気付かなかったです」

 

 アスカは思わず息を吐いた。

 

 やっぱりだ。

 

 躊躇が無い。

 

 必要なら傷付ける。

 

 それが当たり前になっている。

 

 本人は気付いていない。

 

 それが少しだけ怖かった。

 

 だが。

 

 同時に。

 

 だからこそエレンなのだとも思った。

 

 

 

 旧本部から本部へ戻る途中。

 

 エレンは前を歩いていた。

 

 その隣をハンジが歩く。

 

 何か思い付いたのか、早速新しい仮説を話し始めている。

 

「もし意思が重要なら、目的の大小も関係あるかもしれない」

 

「目的の大小ですか?」

 

「うん。例えば”あの石を動かしたい”と”巨人を倒したい”じゃ強さが違うだろう?」

 

「それは……そうかもしれません」

 

「いや違うかな。むしろ明確さか?」

 

「ハンジさん、歩きながら考えないでください」

 

「考えるよ」

 

「考えてますね」

 

 エレンが苦笑する。

 

 その様子を少し後ろから見ながら、アスカは歩いていた。

 

 隣にはモブリット。

 

 さらに後ろではリヴァイ班が話している。

 

 穏やかな時間だった。

 

 壁外調査前とは思えないほど。

 

「何考えてるんですか」

 

 モブリットが聞いてくる。

 

「別に」

 

「別に、という顔じゃありませんね」

 

 見透かされていた。

 

 アスカは少しだけ肩を竦める。

 

「エレンの事です」

 

「あぁ」

 

 モブリットが頷く。

 

「危なっかしいと思いました?」

 

「思いました」

 

 即答だった。

 

「手を噛むのもそうですけど」

 

 一拍。

 

「自分を傷付ける事に抵抗が無い」

 

 モブリットは少し考える。

 

「確かにそう見えるかもしれません」

 

「違うんですか」

 

「いえ」

 

 苦笑した。

 

「僕も最初はそう思いました」

 

 予想外の答えだった。

 

「ただ」

 

 モブリットは前を歩くエレンを見る。

 

「エレンは自分の命を軽く見ている訳じゃありません」

 

「分かってます」

 

 それはアスカも理解していた。

 

 死にたい人間の目じゃない。

 

 むしろ逆だ。

 

 誰よりも生きようとしている。

 

「だから余計に危ないんです」

 

 アスカは呟く。

 

「必要だと思ったら止まらない」

 

 モブリットは否定しなかった。

 

 沈黙が落ちる。

 

 前方ではハンジがまだ話していた。

 

「それとも疲労じゃなくて回復力かな?」

 

「分かりません」

 

「でも面白い」

 

「面白いんですか……」

 

「面白い」

 

 エレンが苦笑する。

 

 モブリットが額を押さえた。

 

「ハンジさんは昔からああなんです」

 

「でしょうね」

 

 少しだけ笑う。

 

 気付けば本部が見えていた。

 

 兵士達が慌ただしく行き来している。

 

 荷馬車。

 

 物資。

 

 予備の馬。

 

 全てが明日の為だった。

 

 ◇

 

 夕方。

 

 本部の空気はいつもより慌ただしい。

 

 壁外調査前日。

 

 誰もが準備に追われていた。

 

 アスカも立体機動装置の最終点検を終え、油で汚れた手を布で拭く。

 

 刃よし。

 

 ガスよし。

 

 ワイヤーよし。

 

 問題は無い。

 

「終わった?」

 

 聞き慣れた声だった。

 

 振り返ると二ファがいた。

 

「はい」

 

「不具合は?」

 

「今のところ見当たらないです」

 

「今のところなんだ」

 

 二ファが笑う。

 

 アスカも肩を竦めた。

 

「まぁ、壊れてたら明日分かりますよ」

 

「それは嫌だなぁ」

 

 近くへ腰を下ろす二ファ。

 

 夕陽が建物の壁を赤く染めていた。

 

「緊張してる?」

 

 二ファが聞く。

 

「……してないと言えば嘘になります」

 

 正直に答える。

 

「二ファさんは」

 

「してる」

 

 迷いの無い返答だった。

 

「慣れないんですか」

 

「全然」

 

 即答する。

 

「毎回怖いよ」

 

 その言葉に強がりは無かった。

 

 アスカは少し意外に思う。

 

 ニコニコしている事が多い。

 

 だから勝手に平気なのだと思っていた。

 

「意外ですね」

 

「よく言われる」

 

 二ファが苦笑する。

 

「でも怖いものは怖いからね」

 

 一拍。

 

「壁外は巨人がいるし」

 

「死ぬかもしれないし」

 

「仲間も死ぬかもしれない」

 

 静かな声だった。

 

 現実を知っている声。

 

 だからこそ。

 

 言葉に重みがある。

 

「じゃあ何で行くんですか」

 

 気付けば聞いていた。

 

 二ファは少しだけ考える。

 

 そして兵士達へ視線を向けた。

 

「一人じゃないからかな」

 

「一人じゃない?」

 

「うん」

 

 荷馬車を押しているケイジ。

 

 資材を運ぶアーベル。

 

 書類を抱えたモブリット。

 

 忙しそうに走る兵士達。

 

 皆同じ方向を見ていた。

 

「怖いのは皆同じ」

 

 二ファは言う。

 

「だから支え合うんだと思う」

 

 アスカは黙る。

 

 仲間。

 

 その言葉はまだ慣れない。

 

 地下街では聞かなかった言葉だから。

 

「二ファー!」

 

 遠くから声が飛ぶ。

 

 ケイジだった。

 

「何ですかー!」

 

「荷馬車運ぶの手伝えー!」

 

「今行きます!」

 

 二ファが立ち上がる。

 

 そしてアスカを振り返った。

 

「後で食堂ね」

 

「食堂?」

 

「歓迎会」

 

 嫌な予感がした。

 

「今更ですか」

 

「今更だよ」

 

 二ファは笑う。

 

「逃げないでね」

 

 そう言い残して走っていった。

 

 アスカはしばらくその背中を見送っていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 夜。

 

 本部食堂。

 

 夕食時を少し過ぎた食堂は静かだった。

 

 壁際の席には数人の兵士がいるだけ。

 

 明日に備えて早めに休む者も多いのだろう。

 

 アスカが扉を開けると、すぐに声が飛んできた。

 

「遅い」

 

 ケイジだった。

 

 既に席に着いている。

 

 その隣にはアーベル。

 

 向かいには二ファ。

 

 モブリット。

 

 そしてハンジ。

 

 全員揃っていた。

 

「呼ばれた時間通りです」

 

「調査兵団は五分前行動だ」

 

「初耳ですね」

 

「今決めた」

 

「でしょうね」

 

 ケイジが笑う。

 

 アーベルも肩を揺らしていた。

 

「座れ」

 

「はい」

 

 空いている席へ腰を下ろす。

 

 目の前にはパン。

 

 スープ。

 

 干し肉。

 

 豪華ではない。

 

 だが調査兵団らしい食事だった。

 

「それじゃ」

 

 ハンジが木製のカップを持ち上げる。

 

 全員の視線が集まる。

 

「アスカの歓迎と」

 

 一拍。

 

「明日の無事を祈って」

 

 その言葉に誰も茶化さない。

 

 調査兵団だからだ。

 

 無事を祈る意味を知っている。

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

 木のカップが軽く触れ合った。

 

 小さな音が響く。

 

 歓迎会はそれで終わりだった。

 

 派手な挨拶も無い。

 

 演説も無い。

 

 後は普通に飯を食うだけだ。

 

「雑ですね」

 

 思わず漏れる。

 

「調査兵団だからな」

 

 ケイジがスープを飲みながら答えた。

 

「歓迎会に予算なんて出ねぇよ」

 

「出ても困ります」

 

 モブリットが真顔で言う。

 

「ただでさえ資金不足なんですから」

 

「夢が無いですね」

 

「現実です」

 

 即答だった。

 

 ハンジが苦笑する。

 

「まぁ気持ちの問題だよ」

 

「そういう事にしときます」

 

 しばらく食事が続く。

 

 穏やかな時間だった。

 

 やがて。

 

「そういえば」

 

 二ファが顔を上げた。

 

「地下街ってどんな所なの?」

 

 話題が変わる。

 

 アスカはスープを飲みながら答えた。

 

「汚いです」

 

「それは知ってる」

 

「危ないです」

 

「それも知ってる」

 

「以上です」

 

「絶対他にもあるよね?」

 

 二ファが笑う。

 

 アーベルも頷いた。

 

「地下街出身は珍しいからな」

 

「聞いた事はあっても見た事は無い」

 

「行かない方がいいですよ」

 

 アスカは即答した。

 

「何でだ?」

 

 ケイジが聞く。

 

「財布が消えます」

 

「治安終わってるな」

 

「俺も昔はやってました」

 

「お前もか」

 

 ケイジが呆れる。

 

 だが本気で責める様子は無い。

 

 地下街だ。

 

 生きる為に必要だったのだろう。

 

 そう理解している顔だった。

 

「じゃあ何で地上に出たの?」

 

 二ファが尋ねる。

 

 アスカは少し考える。

 

「たまたまです」

 

「たまたま?」

 

「気付いたらここにいました」

 

「説明になってないな」

 

 アーベルが笑う。

 

 アスカも肩を竦めた。

 

 実際そうなのだから仕方ない。

 

「まぁでも」

 

 ケイジがパンを齧る。

 

「お前は調査兵団向きだと思うぞ」

 

「どこがですか」

 

「図太い」

 

 即答だった。

 

「褒めてます?」

 

「褒めてる」

 

 ケイジが頷く。

 

 アーベルも続く。

 

「肝も据わってる」

 

「判断も早い」

 

「勘もいい」

 

 アスカは少し眉をひそめた。

 

「買い被りです」

 

「そうか?」

 

 ケイジが笑う。

 

「壁外出たら分かる」

 

 その言葉に自然と食堂が静かになる。

 

 壁外。

 

 明日にはそこへ向かう。

 

 誰もが理解していた。

 

 明日が来る事を当然だとは思っていない。

 

 だからこそ。

 

 今この時間を大事にしている。

 

「怖い?」

 

 二ファが聞いた。

 

 昼間と同じ質問だった。

 

 アスカは少し考える。

 

 そして答えた。

 

「怖いです」

 

 隠す意味は無い。

 

 ケイジも頷いた。

 

「そうだろうな」

 

「皆そうだ」

 

 アーベルが言う。

 

「俺も初陣の前は眠れなかった」

 

「今は?」

 

「今も眠れない時はある」

 

 笑いが起きる。

 

 だが誰も馬鹿にしない。

 

 それが普通だからだ。

 

 巨人を前にして平気な兵士などいない。

 

「安心しました」

 

 アスカが言う。

 

「何が?」

 

 ケイジが聞く。

 

「調査兵団にもまともな人がいた」

 

「誰がまともだ」

 

「今の話をした人達です」

 

「ハンジさんは?」

 

 ケイジが聞く。

 

 全員の視線がハンジへ向いた。

 

「何でそこで私を見るのかな」

 

「何ででしょうね」

 

 モブリットが遠い目をする。

 

 食堂に笑いが広がった。

 

 ハンジも苦笑している。

 

 騒がしい訳じゃない。

 

 ただ。

 

 心地良い空気だった。

 

 地下街には無かった。

 

 訓練兵団でも少し違う。

 

 調査兵団の空気。

 

 死を知りながら。

 

 それでも前を向く人達の空気だった。

 

 

 

 歓迎会は思ったより長く続いた。

 

 誰かが話題を出し。

 

 誰かが笑い。

 

 また別の話題へ移る。

 

 特別な事は何も無い。

 

 だが不思議と退屈しなかった。

 

「そういえば」

 

 アーベルが思い出したように言う。

 

「104期とは今もよく話すのか」

 

「まぁ」

 

 アスカは頷いた。

 

「ジャンとかコニーとかサシャとか」

 

「ライナー達も?」

 

 二ファが聞く。

 

「あいつらも」

 

 するとケイジが少し笑う。

 

「仲良かったんだな」

 

「普通です」

 

「その普通が分からん」

 

 ケイジが肩を竦めた。

 

「調査兵団は人が減るからな」

 

 その言葉に一瞬だけ静かになる。

 

 誰も否定しない。

 

 出来ない。

 

 それが事実だからだ。

 

 アーベルがカップを傾けながら言う。

 

「同期が全員残ってる時期なんて短い」

 

「初陣を越えたら尚更だ」

 

 アスカは黙る。

 

 それは理解していた。

 

 訓練兵団じゃない。

 

 調査兵団だ。

 

 壁外へ出れば死者は出る。

 

 それが現実だった。

 

「だからな」

 

 ケイジが続ける。

 

「会える時に話しとけ」

 

 アスカが顔を上げる。

 

「意外と次があるとは限らねぇ」

 

 冗談ではない。

 

 だからこそ軽い口調だった。

 

 重く言えば本当になってしまいそうだから。

 

「覚えときます」

 

 静かに答える。

 

 ケイジは満足そうに頷いた。

 

 その時だった。

 

「モブリット」

 

 ハンジがふと思い出したように声を掛ける。

 

「何ですか」

 

「明日の予備記録用紙どれくらい持っていく?」

 

「箱ごとです」

 

「そんなに?」

 

「ハンジさんがいるので」

 

 即答だった。

 

 食堂に笑いが広がる。

 

「ひどくない?」

 

「事実です」

 

「僕は何度も足りなくなった経験があります」

 

「信用が無いなぁ」

 

 ハンジが苦笑する。

 

 モブリットは真顔だった。

 

「信用はあります」

 

「あります?」

 

「記録用紙が足りなくなる信用です」

 

 今度はアーベルまで吹き出した。

 

「否定になってねぇぞ」

 

「否定してませんから」

 

 モブリットが平然と答える。

 

 アスカも思わず笑った。

 

 こんな風に笑ったのはいつ以来だろう。

 

 地下街ではまず無かった。

 

 誰かと飯を食いながら笑うなんて。

 

 そんな余裕は無かった。

 

 ふと。

 

 二ファがこちらを見る。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

 アスカは首を振った。

 

「何でもないです」

 

「そう?」

 

「はい」

 

 それ以上は聞いてこない。

 

 その距離感も心地良かった。

 

 やがて食事は終わる。

 

 カップも空になる。

 

 兵士達も少しずつ席を立ち始めていた。

 

「じゃあ解散かな」

 

 ハンジが立ち上がる。

 

「明日は早い」

 

 全員が頷く。

 

 壁外調査当日。

 

 出発は日の出と同時だ。

 

「寝坊するなよ」

 

 ケイジが言う。

 

「子供じゃないんで」

 

「怪しいな」

 

「失礼ですね」

 

 アスカが返すと、アーベルが笑った。

 

「まぁよろしくな」

 

 不意の言葉だった。

 

 アスカは少し目を瞬かせる。

 

「よろしく?」

 

「壁外調査は違うが、俺達は同じ班員だろ」

 

 アーベルが言う。

 

「今更だがな」

 

「今更ですね」

 

「今更だ」

 

 ケイジも頷く。

 

「壁外じゃ調査兵団全員で背中預けるんだ。死ぬなよ」

 

 二ファも微笑む。

 

「無理し過ぎないでね」

 

 モブリットが眼鏡を押し上げた。

 

「問題だけは起こさないでください」

 

「善処します」

 

「善処じゃ困るんですが」

 

 即座に返される。

 

 最後にハンジが笑った。

 

「期待してるよ」

 

 その言葉に。

 

 アスカは少しだけ黙った。

 

 地下街には無かった。

 

 訓練兵団とも少し違う。

 

 見返りを求められていない言葉。

 

 仲間として向けられる言葉。

 

 少しだけ居心地が悪い。

 

 だが。

 

 嫌ではなかった。

 

「……どうも」

 

 それだけ返す。

 

 するとケイジが吹き出した。

 

「照れてるな」

 

「照れてません」

 

「照れてる」

 

「照れてません」

 

 否定しながら席を立つ。

 

 後ろから笑い声が聞こえた。

 

 振り返らない。

 

 振り返ったら本当に照れているみたいだったから。

 

 食堂を出る。

 

 夜風が頬を撫でた。

 

 本部は静かだった。

 

 遠くで馬が鼻を鳴らす。

 

 見上げれば月。

 

 明日は壁外。

 

 誰も知らない場所へ向かう。

 

 人類の領域の外へ。

 

 アスカは静かに息を吐いた。

 

 そして、一人本部の中庭へ足を向けた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 ◇

 

 本部の中庭は静かだった。

 

 食堂の灯りもここまでは届かない。

 

 夜風だけが木々を揺らしている。

 

 アスカは石造りの柵へ腰を預けた。

 

 空を見上げる。

 

 雲は無い。

 

 明日の天気は良さそうだった。

 

「……」

 

 眠くない。

 

 歓迎会の余韻もある。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 考える事が多過ぎる。

 

 壁外。

 

 長距離索敵陣形。

 

 右翼前方索敵。

 

 敵。

 

 巨人。

 

 様々な言葉が頭を巡る。

 

 ふと。

 

 火葬の日の光景が浮かんだ。

 

 煙。

 

 炎。

 

 焦げた臭い。

 

 並んだ遺体。

 

 そして。

 

 マルコ。

 

 アスカは目を閉じる。

 

 あの日から引っ掛かっている事があった。

 

 立体機動装置。

 

 マルコの死体には付いていなかった。

 

 何故だ。

 

 何度考えても違和感が消えない。

 

 装置の故障? 

 

 あり得る。

 

 だが。

 

 それだけで説明出来るだろうか。

 

 マルコは成績上位者だ。

 

 状況判断も優れていた。

 

 立体機動装置を失えばどうなるか理解している。

 

 一人で外すとは思えない。

 

「……」

 

 誰かが外した? 

 

 巨人に食わせる為に? 

 

 何故。

 

 何の為に。

 

 そこまで考えて。

 

 思考が止まる。

 

 分からない。

 

 証拠も無い。

 

 根拠も無い。

 

 ただ違和感だけが残る。

 

 ソニーとビーンの時と同じだった。

 

 確証は無い。

 

 それでも何かがおかしい。

 

 理屈ではなく感覚がそう告げている。

 

「嫌な感じだな」

 

 小さく呟く。

 

 夜風が言葉を攫っていく。

 

 地下街で生きていた頃。

 

 最後に頼れるのは勘だった。

 

 情報も。

 

 金も。

 

 力も。

 

 全部足りない時。

 

 最後に自分を生かすのは違和感だった。

 

 だから覚えている。

 

 嫌な予感ほど当たる。

 

 そして今。

 

 その感覚が消えない。

 

 壁外調査。

 

 エレン。

 

 裏切り者。

 

 全部どこかで繋がっている気がする。

 

 だが。

 

 肝心な部分が見えない。

 

「……考えても仕方ないか」

 

 息を吐く。

 

 分からないものは分からない。

 

 今は。

 

 明日に備えるべきだ。

 

 その時だった。

 

 視界の端に人影が見えた。

 

「まだ起きてたのか」

 

 聞き慣れた声。

 

 振り返る。

 

 エレンだった。

 

 訓練着のまま。

 

 髪も少し乱れている。

 

「お前こそ」

 

 アスカが返す。

 

「寝ろよ」

 

「眠れねぇんだよ」

 

 エレンは苦笑した。

 

 近くまで歩いてくる。

 

 そして同じように柵へ背を預けた。

 

 しばらく沈黙。

 

 夜風だけが吹く。

 

「壁外か」

 

 エレンが空を見上げる。

 

「あぁ」

 

「やっとだな」

 

 その言葉にアスカは横目で見る。

 

 やっと。

 

 確かにエレンらしい。

 

 怖いだろうに、それでも前を向いている。

 

「怖くないのか」

 

 聞いてみる。

 

 エレンは少し考えた。

 

「怖いよ」

 

 答えはすぐだった。

 

「普通に怖い」

 

 アスカは少し意外に思う。

 

「意外だな」

 

「何でだよ」

 

 エレンが笑う。

 

「俺だって巨人は嫌いだし、食われるのも嫌だ。死ぬのだって御免だ。でも行く。行かない理由が無いからな」

 

 夜空を見上げ続ける。

 

 その声に迷いは無かった。

 

 アスカは少し黙る。

 

 十五歳の少年。

 

 だが、その背中は妙に大きく見えた。

 

「お前はどうなんだ」

 

 エレンが聞く。

 

「怖い」

 

 アスカは即答する。

 

「そうか」

 

 エレンは小さく笑った。

 

「まぁ、そうだよな」

 

 しばらく二人は黙って夜空を見上げた。

 

 風が吹く。

 

 木々が揺れる。

 

 不思議と居心地は悪くなかった。

 

 訓練兵団の頃よりも。

 

 少しだけ。

 

 気を遣わなくなった気がする。

 

 同期だからかもしれない。

 

 調査兵団だからかもしれない。

 

「そろそろ寝るか」

 

 エレンが言う。

 

「あぁ」

 

 二人は立ち上がった。

 

 明日は早い。

 

 第五十七回壁外調査。

 

 人類の領域の外へ出る日だ。

 

 建物へ入る直前、エレンが振り返る。

 

「生き残ろうな」

 

 短い言葉だった。

 

 だが十分だった。

 

「当たり前だ」

 

 アスカが答える。

 

 エレンは少し笑う。

 

「だよな」

 

 そう言って建物の中へ消えていった。

 

 残された夜風が静かに吹く。

 

 アスカはもう一度空を見上げた。

 

 月は高い。

 

 夜は深い。

 

 だが。

 

 東の空の向こうには、もう明日が待っていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。