女型は速かった。
草原を裂くように。
巨人とは思えない速度で。
赤煙弾が上がる。
一本。
また一本。
さらに一本。
右翼後方から始まった報告は止まらない。
近付いている。
確実に。
こちらへ。
アスカは目を細めた。
距離はまだある。
だが見える。
巨体。
細い手足。
人間に近い体型。
そして。
走り方。
無駄が無い。
異様なほどに。
その時だった。
右翼最外周付近で兵士が飛び出した。
立体機動。
低空から一気に加速する。
うなじ狙い。
調査兵団なら当然の判断だった。
だが。
女型が振り向く。
速い。
兵士の接近に気付いていた。
右腕が動く。
兵士が回避する。
紙一重。
しかし。
指先が足首を捉えた。
「っ!」
空中で身体が止まる。
次の瞬間。
女型は兵士を振り回した。
悲鳴。
遠心力。
そして。
地面へ叩き付ける。
轟音。
土煙。
兵士は動かない。
女型は止まらない。
そのまま前進する。
まるで。
道端の石でもどけたみたいに。
その直後。
別の兵士達が飛ぶ。
三人。
左右へ展開。
一人が囮。
二人がうなじへ。
連携は悪くない。
いや。
かなり良い。
だが。
女型は対応した。
うなじへ迫る兵士へ肘打ち。
一人が吹き飛ぶ。
続けて身体を捻る。
回し蹴り。
もう一人が弾き飛ばされた。
最後の一人。
刃が届く。
そう見えた。
しかし女型が身を沈める。
斬撃が空を切る。
次の瞬間。
拳。
兵士の腹部へ叩き込まれる。
身体がくの字に折れた。
そのまま廃屋へ激突する。
壁が崩れた。
動かない。
誰も。
動かない。
アスカは唇を噛んだ。
強い。
そんな言葉じゃ足りない。
戦っている。
あの巨人は。
暴れているんじゃない。
相手を見ている。
攻撃を選んでいる。
動きを読んでいる。
まるで人間だった。
女型がさらに近付く。
距離が縮まる。
迎撃へ向かう兵士達。
また犠牲が出る。
止めなければならない。
アスカは周囲を見た。
木。
廃屋。
岩。
地形。
進路。
女型。
考える。
そして飛んだ。
ガス噴射。
身体が浮く。
ワイヤー射出。
廃屋の壁へ命中。
巻き取る。
一気に加速。
女型の側面へ回り込んだ。
だが。
女型がこちらを見る。
目が合った。
気付かれている。
アスカは即座にワイヤーを解除する。
身体が流れる。
その瞬間。
拳が通り過ぎた。
風圧。
土煙。
まともに受ければ終わりだった。
「っ……」
速い。
巨人の動きじゃない。
再び飛ぶ。
今度は女型の肩。
ワイヤー命中。
巻き取り。
身体が引かれる。
うなじへ向かう最短軌道。
その瞬間だった。
女型の手が動く。
真っ直ぐ。
ワイヤーへ。
「!」
反射的にグリップを引く。
巻き取り停止。
ワイヤー回収。
鋼線が肩から抜けた。
次の瞬間。
女型の指が空を掴む。
あと少し。
本当にあと少しだった。
アスカは息を呑む。
偶然じゃない。
狙った。
ワイヤーを。
自分を。
理解している。
背筋が冷える。
普通の巨人じゃない。
なら。
普通の巨人の戦い方は通用しない。
アスカは周囲を見る。
木。
廃屋。
岩。
支点はいくらでもあった。
次の瞬間。
ワイヤーを射出する。
狙うのは女型じゃない。
近くの木だ。
身体が引かれる。
旋回。
加速。
さらに廃屋。
方向転換。
死角へ潜る。
女型が振り返る。
遅い。
刃が脚を裂いた。
蒸気が噴き出す。
アスカは止まらない。
木。
屋根。
岩。
次々と支点を変える。
一ヶ所に留まらない。
地下街で覚えた生存術だった。
止まるな。
読まれるな。
動け。
生き残れ。
女型の拳が廃屋を砕く。
木片が飛ぶ。
だがもうそこにはいない。
別の場所。
さらに別の場所。
アスカは女型を観察する。
視線。
腕。
脚。
重心。
癖。
理解する。
考える。
そして。
女型もまた。
アスカが何を利用しているのかに気付いた。
女型の動きが変わった。
最初は違和感だった。
振り向く速度。
視線。
身体の向き。
どれも変わっていない。
だが何かが違う。
アスカは木を支点に旋回する。
加速。
女型の背後へ。
脚を狙う。
しかし。
女型は振り返らなかった。
代わりに右脚を振り抜く。
「っ!」
回避。
その瞬間。
轟音が響いた。
支点にしていた木が根元から折れていた。
巨木が傾く。
土が舞う。
アスカは目を見開いた。
偶然じゃない。
木を狙った。
今。
確かに。
再び飛ぶ。
別の木へワイヤーを撃ち込む。
巻き取る。
旋回。
女型へ迫る。
だが。
拳。
今度は真正面から木を砕いた。
樹皮が弾ける。
幹が裂ける。
支点が消える。
「なっ──」
身体が流れる。
慌てて別の木へ。
ワイヤー射出。
命中。
助かった。
そう思った。
蹴り。
今度はその木が折れる。
巨木が倒れる。
視界が揺れる。
女型は自分を見ていない。
支点を見ている。
立体機動を殺そうとしている。
理解した瞬間。
背筋が冷えた。
普通の巨人じゃない。
やはり。
戦っている。
考えている。
こちらの戦い方を。
理解している。
「クソっ……!」
飛ぶ。
木。
屋根。
岩。
次々と移る。
だが。
女型も追う。
拳。
蹴り。
肘。
支点が消えていく。
木片。
土煙。
倒壊音。
草原が戦場に変わっていた。
そして。
ワイヤーを撃ち込んだ先。
太い枝が砕けた。
「しまっ──」
支点が消える。
身体が浮く。
次が無い。
新しい支点を探す。
間に合わない。
一瞬。
本当に一瞬。
空中で止まった。
その瞬間だった。
女型の腕が伸びる。
避けられない。
巨大な手が迫る。
握り込まれた。
「ぐっ……!」
全身が軋む。
息が詰まる。
骨が悲鳴を上げる。
潰される。
力が入らない。
視界が揺れる。
女型はそのまま持ち上げた。
地面が遠い。
草原。
廃屋。
死体。
倒れた馬。
全部が小さい。
そして。
女型の顔が近付いた。
青い瞳。
人間みたいな目だった。
アスカは息を呑む。
巨人の目じゃない。
そう思った。
その瞬間。
女型が止まる。
本当に僅かに。
一瞬だけ。
握る力が強くならない。
「……?」
違和感。
だが考える暇は無い。
生きている。
まだ。
左手は動く。
腰の刃もある。
なら。
やれる。
アスカは刃を抜いた。
握る。
そして。
女型の指の付け根へ突き立てる。
肉が裂ける。
蒸気。
反射的に力が緩む。
その瞬間。
身体を捻る。
指の隙間へ滑り込む。
落下。
風が唸る。
回転。
ワイヤー射出。
木へ命中。
巻き取る。
衝撃を逃がす。
地面を掠めるように着地した。
荒い呼吸。
鼓動が速い。
汗が止まらない。
それでも。
生きている。
紙一重だった。
振り返る。
女型はもうこちらを見ていなかった。
右翼下方。
その先へ。
迷いなく走り出している。
「……待て」
思わず漏れる。
だが追えない。
身体が重い。
脚が震える。
ガスも減っている。
女型は遠ざかる。
蒸気を撒き散らしながら。
一直線に。
何かを探しているみたいに。
やがて見えなくなった。
静寂。
風が吹く。
草が揺れる。
それだけだった。
アスカは立ち尽くす。
呼吸を整える。
だが。
視線が自然と周囲へ向いた。
死体。
倒れた馬。
砕けた家屋。
蒸気。
血。
さっきまでいた兵士達。
もういない。
名前は知らない。
顔もよく覚えていない。
だが。
確かに生きていた。
戦っていた。
今は動かない。
「……アイツが、やった。意志を持って……」
呟く。
答える者はいない。
エルヴィンの言う通りだ。
あれは。
間違いなく敵だ。
立体機動の動きを熟知していた。
頭が重い。
身体も重い。
追わなければならない。
そう思うのに。
動けなかった。
その時だった。
草原の向こう。
人影。
違う。
巨人だ。
一体。
さらに奥にもう一体。
そしてもう一体。
のそのそと。
馬鹿みたいな顔で。
こちらへ歩いてくる。
アスカは目を閉じた。
短く息を吐く。
考える時間すら与えてくれない。
壁外とはそういう場所だった。
一体目が口を開く。
ゆっくりと。
間抜けな顔のまま。
真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
アスカは動かなかった。
ただ見ていた。
さっきまで女型と戦っていたからだろうか。
目の前の巨人が妙に小さく見えた。
遅い。
単純だ。
考えていない。
ただ本能のまま人を喰おうとしているだけ。
「……」
返事の代わりにガスを噴かした。
身体が浮く。
ワイヤーを撃つ。
近くの木。
加速。
一閃。
うなじが裂ける。
蒸気。
着地。
振り返りもしない。
一体目はそのまま崩れ落ちた。
二体目。
三体目。
まだ来る。
アスカは再び飛ぶ。
ワイヤー。
加速。
斬る。
終わり。
着地。
また飛ぶ。
また斬る。
終わり。
まるで作業だった。
女型との戦いとは何もかも違う。
駆け引きも無い。
学習も無い。
予測も無い。
ただ近付いてくる。
だから殺す。
それだけ。
蒸気が風に流れていく。
アスカは刃を振った。
血を落とす。
そして思う。
巨人は分かりやすい。
人を喰う。
それだけだ。
だから戦える。
だから対処出来る。
だが。
女型は違った。
考えていた。
読んでいた。
学習していた。
こちらが木を利用すれば木を壊した。
ワイヤーを使えばワイヤーを狙った。
まるで。
人間だった。
その考えに辿り着いた瞬間。
青い瞳が脳裏を過る。
掴まれた時に見た目。
人間みたいな目。
いや。
本当にそうだったか?
自分でも分からない。
ただ。
気味が悪かった。
理解出来ないものは恐ろしい。
それだけは確かだった。
風が吹く。
蒸気が散る。
静かになる。
ようやく。
本当にようやく。
考える時間が出来た。
アスカは空を見上げる。
青空。
雲。
何も変わらない。
なのに。
さっきまでいた兵士達はいない。
死んだ。
あっけなく。
何人も。
自分の目の前で。
女型に。
「……何のために」
小さく呟く。
答える者はいない。
何のために壁の外へ出た。
何のために戦う。
何のために死ぬ。
調査兵団に入った理由はある。
壁の外を知りたかった。
人類の役に立ちたかった。
それも本当だ。
だが。
目の前で仲間が死ぬ度に。
その理由は揺らぐ。
レオ達の顔が浮かぶ。
地下街。
血。
後悔。
助けられなかった背中。
奥歯を噛み締める。
嫌な記憶だった。
忘れた事なんて一度も無い。
だから。
死には慣れている。
だが。
慣れているから平気な訳じゃない。
今でも重い。
今でも苦しい。
その時だった。
ふと。
エルヴィンの声が蘇る。
『情報の伝達が最優先だ』
壁外調査前。
配置を伝えられた時。
確かに言われた言葉。
情報。
伝達。
最優先。
アスカはゆっくり顔を上げた。
女型は右翼を下っていった。
進路も見た。
戦い方も見た。
自分は知っている。
まだ。
見失っていない。
「……そうか」
ぽつりと呟く。
立ち直った訳じゃない。
納得した訳でもない。
ただ。
やるべき事を思い出した。
それだけだった。
女型の情報を伝える。
中央へ。
エルヴィンへ。
それが今の自分の役目だ。
アスカは馬へ近付く。
幸運にも無事だった。
鼻を鳴らす馬の首を軽く叩く。
「悪いな」
自分でも驚くほど掠れた声だった。
鐙に足を掛ける。
跨る。
手綱を握る。
そして馬腹を蹴った。
馬が駆け出す。
草原を。
血と死体の残る戦場を。
右翼下方へ。
女型の痕跡を追うように。
中央へ情報を届けるために。
風が顔を打つ。
その途中。
遠くでまた信煙弾が上がった。
黒。
一発。
そしてもう一発。
アスカは目を細める。
まだ終わっていない。
女型は今も誰かと戦っている。
なら。
急がなければならなかった。
馬は草原を駆ける。
風が頬を叩く。
血の臭いはまだ鼻の奥に残っていた。
女型との戦闘からどれほど経っただろう。
数分か。
もっと短いかもしれない。
だが妙に長く感じた。
黒煙弾が見える。
遠く。
右翼下方。
一本。
しばらくしてまた一本。
さらに一本。
女型はまだ進んでいる。
まだ誰かが接触している。
まだ誰かが戦っている。
アスカは手綱を握る力を強めた。
間に合わない。
それは分かっていた。
距離がある。
馬を潰す気で飛ばしたところで追いつけるものではない。
それでも。
追うしかなかった。
情報を届けるために。
そして。
あの巨人を見失わないために。
黒煙弾がまた一つ上がる。
位置が変わっていた。
戦線が移動している。
女型が前進している証拠だった。
「……速いな」
思わず呟く。
あれだけの戦闘をして。
あれだけの兵士を蹴散らして。
まだ走れる。
人間ならとっくに限界だ。
だが。
あれは巨人だった。
そして。
普通の巨人じゃない。
考える巨人だ。
学習する巨人だ。
人間みたいに。
そこまで考えたところで。
ふと。
頭に浮かぶ顔があった。
サシャだった。
くだらない話で笑う顔。
肉を前にした時の顔。
訓練兵団時代。
何度も見た。
その隣にはユミルもいる。
クリスタも。
コニーも。
ジャンも。
皆。
どこかで戦っている。
壁外だ。
誰が死んでもおかしくない。
その事実が胸を重くした。
アスカは首を振る。
今考えるべきじゃない。
今は。
────―
「右翼壊滅?」
サシャは思わず聞き返した。
馬を並べていた班長が顔をしかめる。
「伝令だ。間違いない」
風に流されそうになる声。
だが。
その言葉だけははっきり聞こえた。
右翼壊滅。
胸がざわつく。
右翼。
そこにいる兵士を知っていた。
同期だった。
一緒に訓練した。
一緒に叱られた。
一緒に笑った。
そして。
アスカがいた。
「……」
サシャは唇を噛む。
嫌な想像が浮かぶ。
だが。
すぐに首を振った。
(アスカに限って)
死ぬはずがない。
地下街で生き残った。
トロスト区も生き残った。
訓練兵団も。
だから。
きっと大丈夫だ。
そう思う。
そう信じる。
それでも。
胸騒ぎだけは消えなかった。
「前を見ろ」
班長の声。
サシャは小さく頷く。
「はい」
そして再び馬を走らせた。
壁外では。
立ち止まる事すら許されない。
────―
「右翼壊滅だとよ」
誰かが言った。
ユミルは視線だけ向ける。
伝令兵だった。
必死な顔をしている。
それだけで十分だった。
嘘ではない。
実際に壊滅したのだろう。
「ふん」
鼻を鳴らす。
手綱を握る。
それだけ。
だが。
頭の中には一人の顔が浮かんでいた。
アスカ。
同期。
調査兵団。
そして。
妙に死ななそうな男。
(アイツに限ってな)
そう思う。
無茶をしない。
考える。
観察する。
生き残るために動く。
そんな奴だ。
だから。
死んでいるとは思えない。
思えないが。
嫌な予感だけは消えなかった。
ユミルは舌打ちする。
らしくない。
他人の心配など。
だが。
壁外とはそういう場所だった。
誰だって死ぬ。
それが嫌なだけだ。
「……死んでたら笑えねぇぞ」
誰にも聞こえない声は風に消えた。
────―
アスカは馬を走らせ続ける。
黒煙弾。
また一本。
さらに一本。
だが。
違和感があった。
「……?」
位置が変わった。
進路が変わった。
右翼下方へ向かっていたはずの黒煙弾が。
今度は中央方向へ移動している。
そして。
その先。
緑煙弾が見えた。
一本。
また一本。
中央方向。
味方の位置確認。
進路伝達。
つまり。
中央本隊。
女型はそちらへ向かっている。
「何があった……?」
理由は分からない。
だが。
結果だけは見える。
女型は進路を変えた。
中央へ。
なら。
自分も向かうしかない。
アスカは馬腹を蹴る。
速度を上げた。
やがて。
前方に巨大な影が見えてくる。
巨大樹の森だった。
空を突くような巨木の群れ。
壁外調査の資料で見た事はある。
だが。
実際に見るのは初めてだった。
高い。
異常なほどに。
その時。
アスカは違和感を覚えた。
中列が森へ入っていく。
荷馬車護衛班。
その周辺。
だが。
他の兵士達は違った。
左右へ展開している。
森を避けるように。
囲むように。
まるで。
何かを閉じ込めるみたいに。
☆☆☆
違和感はすぐに確信へ変わった。
森へ入っていく兵士は限られている。
中列。
荷馬車護衛班。
その周辺だけ。
それ以外は違う。
左右へ展開し。
巨大樹の森を囲うように移動している。
まるで。
逃げ道を塞ぐみたいに。
その時だった。
緑煙弾が上がる。
一本。
森の外周。
さらに別方向でも一本。
位置確認。
配置完了の合図。
アスカは目を細めた。
長距離索敵陣形は信煙弾が命だ。
情報を伝え。
位置を把握し。
隊列を維持する。
だが。
巨大樹の森に入れば話は別だ。
木々が高すぎる。
枝葉も多い。
煙は見えなくなる。
索敵能力は著しく落ちる。
索敵兵からすれば最悪の地形だった。
「……なのに」
なぜ入る。
逃げるだけなら他にも道はある。
平原の方が圧倒的に有利だ。
それなのに。
エルヴィンは迷わなかった。
最初から決めていたみたいに。
巨大樹の森へ兵士達を導いている。
「まさか……」
捕獲。
その言葉が脳裏を過る。
だが。
確証は無い。
考えている暇も無かった。
森の外周に到着する。
枝の上。
待機する兵士達。
数人ではない。
至る所にいる。
全員が何かを待っていた。
そして一人がアスカに気付く。
「おい!」
声が飛ぶ。
「どこの所属だ!」
「ハンジ班です!」
即答。
すると兵士は驚く様子もなく叫んだ。
「なら中央へ向かえ!」
「中央?」
「立体機動で森中央へ急げ!」
アスカは眉をひそめる。
「待機じゃないんですか」
「命令だ!」
返ってきた声は鋭かった。
「急げ!」
「はっ!」
反射的に敬礼する。
馬を降りる。
手綱を近くの兵士へ預けた。
立体機動装置を確認。
ガス。
残量は十分とは言えない。
だが動ける。
刃もまだ使える。
問題無い。
ワイヤーを撃ち込む。
ガシュッ──
巨木へ命中。
身体が引かれる。
一気に上昇。
次の木。
さらに次。
巨大樹の間を駆け抜ける。
風が頬を切る。
枝を蹴る。
加速。
視界が流れる。
その途中。
ふと思った。
右翼壊滅。
女型との接触。
生存。
ここへの到達。
中央への移動命令。
まるで。
全部分かっていたみたいだ。
「……全部お見通しかよ」
思わず苦笑が漏れる。
エルヴィンならあり得る。
そう思えてしまうのが恐ろしい。
さらに加速する。
森の奥へ。
中央へ。
その時だった。
前方の視界が開ける。
巨大樹の隙間。
馬群。
調査兵団。
その中央。
見慣れた黒髪。
エレンだった。
その周囲を走る兵士達。
リヴァイ班。
ペトラ。
エルド。
グンタ。
オルオ。
そして。
その後方。
蒸気を撒き散らしながら迫る巨体。
女型。
「……!」
見つけた。
女型もまた前しか見ていない。
視線の先。
エレン。
その一点だけを捉えている。
距離が縮まる。
あと少し。
あと少しで届く。
女型の腕が伸びる。
巨大な手。
馬群へ。
エレンへ。
届く。
その瞬間だった。
アスカは枝を蹴った。
加速。
木陰から飛び出す。
音を殺す。
気配を殺す。
一瞬。
誰にも気付かれないまま。
女型の側面へ到達する。
刃を振る。
一閃。
鋼が肉を裂く。
女型の前腕が宙を舞った。
蒸気が噴き出す。
巨大な腕が地面へ落ちる。
そして。
初めて女型が止まった。
振り返る。
青い瞳。
アスカを見る。
アスカは何も言わない。
ただ刃を構えた。
風が吹く。
蒸気が流れる。
女型も動かない。
一瞬だけ。
巨大樹の森に静寂が訪れる。
そして。
次の瞬間。
女型が踏み込んだ。
踏み込みと同時に地面が爆ぜる。
巨体とは思えない。
まるで訓練された兵士の突進だった。
アスカは即座に飛ぶ。
ワイヤー射出。
巨木。
巻き取り。
加速。
女型の拳が空を裂いた。
直後。
衝撃波が背中を叩く。
「っ……!」
速い。
だが見える。
第1戦とは違う。
今は支点がある。
無数に。
巨大樹が林立するこの森は、立体機動兵にとって最高の戦場だった。
木。
木。
さらに木。
逃げ道はいくらでもある。
アスカは巨木を回るように旋回した。
右。
左。
上。
下。
視界の端で女型が追ってくる。
脚力だけで。
巨木の間を縫うように。
「……っ」
追いつく。
追いついてくる。
異常だ。
だが。
今度は違う。
支点を失わない。
だから動ける。
アスカは女型の背後へ回り込んだ。
刃を振る。
蒸気。
肩口が裂ける。
だが止まらない。
再生。
肉が盛り上がる。
瞬く間に傷が消えていく。
女型が振り返る。
腕が唸る。
アスカは木の裏へ潜り込んだ。
轟音。
樹皮が吹き飛ぶ。
木が揺れる。
だが。
そこにはもういない。
別の木。
さらに別の木。
女型が首を巡らせる。
探している。
追っている。
その隙。
アスカは再び飛び込んだ。
脚。
蒸気。
離脱。
反撃前に移動。
繰り返す。
止まらない。
留まらない。
地下街で身についた生存術。
見つかるな。
囲まれるな。
逃げ道を作れ。
それをそのまま戦闘へ落とし込む。
女型の攻撃は重い。
一撃で死ぬ。
だから当たらなければいい。
避ける。
ずらす。
逃げる。
斬る。
また逃げる。
それだけだった。
だが。
その時。
女型の視線が変わった。
「……?」
嫌な予感。
第1戦と同じ。
学習している。
こちらを。
戦い方を。
次の瞬間。
女型の拳が巨木へ叩き込まれた。
轟音。
幹が裂ける。
木が傾く。
アスカは反射的に別の木へ移った。
だが。
女型は追撃しない。
代わりに。
次の木。
さらに次の木。
支点になりそうな場所を破壊していく。
「またか……!」
第1戦。
あの時と同じ。
違うのは地形だけ。
支点を潰されれば不利になる。
だが。
森には木が無数にある。
平原とは違う。
一本折られても。
二本折られても。
まだある。
だから動ける。
アスカは加速した。
巨木の間を飛ぶ。
風を切る。
蒸気が流れる。
そして。
視界が開けた。
女型の側面。
死角。
今だ。
枝を蹴る。
一気に加速。
刃を構える。
だが。
次の瞬間だった。
女型がこちらを向く。
速い。
反応した。
拳が迫る。
避ける。
間に合わない。
「っ!」
反射的にガスを噴かした。
強く。
いつもより。
強引に。
すると。
身体が流れた。
横へ。
ワイヤーも無い。
支点も無い。
それなのに。
拳が鼻先を通過する。
空気が弾ける。
避けた。
避けられた。
「……今の」
理解が追いつかない。
だが身体は動く。
再びガス。
身体が流れる。
方向が変わる。
加速する。
まるで。
空中を蹴ったみたいに。
その瞬間。
脳裏を過った。
リヴァイ。
ミカサ。
あの動き。
異常な軌道変更。
異常な加速。
なぜ出来るのか。
今なら分かる。
「そうか……」
ワイヤーだけじゃない。
ガスだ。
ガス噴射そのものを使っている。
推進力として。
方向転換として。
加速として。
だから飛べる。
だから曲がれる。
だからあんな動きが出来る。
理解した瞬間。
世界が少し変わった。
視界が広がる。
選択肢が増える。
次の動きが見える。
女型が迫る。
拳。
避ける。
ガス。
横へ流れる。
さらに加速。
背後を取る。
斬る。
離脱。
第1戦より動ける。
確実に。
だが。
女型も止まらない。
こちらが成長したなら。
あちらもまた対応してくる。
そして。
女型は突然進路を変えた。
「……!」
アスカは目を見開く。
自分を追わない。
視線の先。
エレン。
最初から変わらない。
目的。
エレンだけ。
女型は巨大樹の森のさらに奥へ走り出した。
中央へ。
アスカも追う。
理由は分からない。
だが。
絶対に見失ってはいけない。
そう思った。
女型は一直線だった。
巨木の根が地面を押し上げる森の中を、まるで障害など存在しないかのように駆け抜けていく。
視線は前。
ただ前。
エレンだけを見ている。
アスカは枝を蹴った。
ガスを噴射する。
身体が弾かれるように前へ飛ぶ。
巨木。
巨木。
さらに巨木。
支点を変えながら加速する。
前方にはリヴァイ班。
そしてエレン。
女型との距離は確実に縮まっていた。
「くそ……!」
速い。
巨人の脚力。
それも知性巨人。
まともに追って追いつける相手じゃない。
それでも飛ぶ。
見失う訳にはいかなかった。
女型の腕が伸びる。
長い指。
馬群へ。
エレンへ。
届く。
そう思った瞬間だった。
地面が爆ぜた。
轟音。
土煙。
そして。
無数の何かが森中から射出される。
「──っ!?」
アスカは目を見開いた。
鋼線。
ワイヤーだ。
一本じゃない。
十本でもない。
数え切れないほどのワイヤーが四方八方から女型へ突き刺さる。
腕。
肩。
胴。
脚。
全身。
次の瞬間。
女型の身体が引かれた。
左右から。
上から。
後方から。
ありとあらゆる方向へ。
巨体が揺れる。
踏み止まろうとする。
足元の地面が抉れる。
だが止まらない。
拘束する力が強過ぎた。
巨木と巨木の間。
まるで蜘蛛の巣に掛かった獲物だった。
「何だ……これ」
思わず呟く。
次々と兵士が姿を現した。
枝の上。
木陰。
高所。
あらゆる場所。
最初からそこにいたみたいに。
全員が巻き取り装置を操作している。
女型が暴れる。
右腕が動く。
ワイヤーが軋む。
しかし。
切れない。
追加のワイヤーが飛ぶ。
さらに固定。
さらに拘束。
関節を封じるように。
逃げ道を塞ぐように。
徹底的に。
女型の動きが鈍る。
そして。
また一本。
また一本。
太い鋼線が身体へ食い込む。
腕が止まる。
脚が止まる。
胴が固定される。
ついに。
巨体が完全に停止した。
森に静寂が落ちる。
アスカは近くの枝へ着地した。
荒い呼吸。
額から汗が落ちる。
だが目は女型から離せない。
理解した。
今。
ようやく。
巨大樹の森。
外周待機。
荷馬車護衛班だけが侵入した理由。
中央への移動命令。
全部。
全部このためだった。
「捕獲作戦……」
思わず漏れる。
逃げるためじゃなかった。
迎え撃つためだった。
最初から。
この場所へ誘導するためだった。
エルヴィンは言っていた。
『敵の正体は不明。知性巨人である保証もない』
それを生け捕りにする必要がある事を。
どこまで読んでいたのか分からない。
分かりたくもない。
ただ。
恐ろしいほどの用意周到さだけは理解出来た。
女型が僅かに身じろぎする。
ワイヤーが軋む。
だが動けない。
完全拘束だった。
その時。
森の奥から荷馬車が姿を現した。
巨大な車輪。
無数の円筒。
見た事のない装置。
兵士達が周囲を固めながら運んでくる。
「準備急げ!」
「固定ポイント確認!」
「次を装填しろ!」
怒号が飛ぶ。
誰一人として油断していない。
勝ったとは思っていない。
相手が普通じゃないからだ。
やがて。
荷馬車の装置が作動する。
轟音。
火花。
次の瞬間。
巨大な杭が射出された。
空中で広がる。
黒い鋼線の塊。
腕へ。
肩へ。
胴へ。
全身へ。
女型が僅かに動く。
だが遅い。
杭は瞬く間に締まり。
身体へ食い込んだ。
「よし!!」
「関節固定完了!!」
兵士の声が響く。
ワイヤー。
鋼線。
杭。
巨大樹。
全てが女型を拘束していた。
動けない。
完全に。
逃げ場は無い。
アスカはゆっくり息を吐いた。
ようやく終わった。
そう思った。
だが。
何かがおかしい。
女型は暴れない。
叫ばない。
抵抗もしない。
ただ。
じっと前を見ている。
その片目だけが生きていた。
諦めていない。
そんな目だった。
ぞくりと背筋が冷える。
その時。
枝の上に降り立つ影があった。
リヴァイ。
その後ろにはエルヴィン。
団長は拘束された女型を見上げる。
表情は変わらない。
まるでここまで予定通りだと言うように。
「動きは止まったようだな」
リヴァイが言う。
「後列班が命を賭して戦ってくれたお陰で時間が稼げた」
エルヴィンが答える。
「あれが無ければ不可能だった」
後列班。
その言葉にアスカは思い出す。
右翼。
死体。
砕けた家屋。
倒れた馬。
女型に潰された兵士達。
自分が見た光景。
意味があったのだ。
無駄死にじゃない。
少なくとも。
ここへ辿り着くためには必要だった。
そう考えても胸は軽くならない。
だが。
少しだけ救われた気がした。
その時。
リヴァイが拘束された女型へ近付く。
冷めた目で見上げる。
「こいつの中にいる奴とも会えるな」
アスカの眉が動いた。
中にいる奴。
知っていた。
頭では理解していた。
だが。
改めて言葉にされると違う。
この巨人の中には人間がいる。
意思がある。
考えている。
話せるかもしれない誰かが。
女型の片目がゆっくり動く。
リヴァイを見る。
エルヴィンを見る。
そして。
一瞬だけ。
アスカの方を向いた気がした。
青い瞳。
静かな目。
だが。
その奥には確かな感情があった。
怒りか。
焦りか。
あるいは。
別の何かか。
アスカには分からない。
ただ一つだけ。
この女型はまだ終わっていない。
そんな気がしてならなかった。