地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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女型の巨人

 

 

 

 

 女型は速かった。

 

 草原を裂くように。

 

 巨人とは思えない速度で。

 

 赤煙弾が上がる。

 

 一本。

 

 また一本。

 

 さらに一本。

 

 右翼後方から始まった報告は止まらない。

 

 近付いている。

 

 確実に。

 

 こちらへ。

 

 アスカは目を細めた。

 

 距離はまだある。

 

 だが見える。

 

 巨体。

 

 細い手足。

 

 人間に近い体型。

 

 そして。

 

 走り方。

 

 無駄が無い。

 

 異様なほどに。

 

 その時だった。

 

 右翼最外周付近で兵士が飛び出した。

 

 立体機動。

 

 低空から一気に加速する。

 

 うなじ狙い。

 

 調査兵団なら当然の判断だった。

 

 だが。

 

 女型が振り向く。

 

 速い。

 

 兵士の接近に気付いていた。

 

 右腕が動く。

 

 兵士が回避する。

 

 紙一重。

 

 しかし。

 

 指先が足首を捉えた。

 

「っ!」

 

 空中で身体が止まる。

 

 次の瞬間。

 

 女型は兵士を振り回した。

 

 悲鳴。

 

 遠心力。

 

 そして。

 

 地面へ叩き付ける。

 

 轟音。

 

 土煙。

 

 兵士は動かない。

 

 女型は止まらない。

 

 そのまま前進する。

 

 まるで。

 

 道端の石でもどけたみたいに。

 

 その直後。

 

 別の兵士達が飛ぶ。

 

 三人。

 

 左右へ展開。

 

 一人が囮。

 

 二人がうなじへ。

 

 連携は悪くない。

 

 いや。

 

 かなり良い。

 

 だが。

 

 女型は対応した。

 

 うなじへ迫る兵士へ肘打ち。

 

 一人が吹き飛ぶ。

 

 続けて身体を捻る。

 

 回し蹴り。

 

 もう一人が弾き飛ばされた。

 

 最後の一人。

 

 刃が届く。

 

 そう見えた。

 

 しかし女型が身を沈める。

 

 斬撃が空を切る。

 

 次の瞬間。

 

 拳。

 

 兵士の腹部へ叩き込まれる。

 

 身体がくの字に折れた。

 

 そのまま廃屋へ激突する。

 

 壁が崩れた。

 

 動かない。

 

 誰も。

 

 動かない。

 

 アスカは唇を噛んだ。

 

 強い。

 

 そんな言葉じゃ足りない。

 

 戦っている。

 

 あの巨人は。

 

 暴れているんじゃない。

 

 相手を見ている。

 

 攻撃を選んでいる。

 

 動きを読んでいる。

 

 まるで人間だった。

 

 女型がさらに近付く。

 

 距離が縮まる。

 

 迎撃へ向かう兵士達。

 

 また犠牲が出る。

 

 止めなければならない。

 

 アスカは周囲を見た。

 

 木。

 

 廃屋。

 

 岩。

 

 地形。

 

 進路。

 

 女型。

 

 考える。

 

 そして飛んだ。

 

 ガス噴射。

 

 身体が浮く。

 

 ワイヤー射出。

 

 廃屋の壁へ命中。

 

 巻き取る。

 

 一気に加速。

 

 女型の側面へ回り込んだ。

 

 だが。

 

 女型がこちらを見る。

 

 目が合った。

 

 気付かれている。

 

 アスカは即座にワイヤーを解除する。

 

 身体が流れる。

 

 その瞬間。

 

 拳が通り過ぎた。

 

 風圧。

 

 土煙。

 

 まともに受ければ終わりだった。

 

「っ……」

 

 速い。

 

 巨人の動きじゃない。

 

 再び飛ぶ。

 

 今度は女型の肩。

 

 ワイヤー命中。

 

 巻き取り。

 

 身体が引かれる。

 

 うなじへ向かう最短軌道。

 

 その瞬間だった。

 

 女型の手が動く。

 

 真っ直ぐ。

 

 ワイヤーへ。

 

「!」

 

 反射的にグリップを引く。

 

 巻き取り停止。

 

 ワイヤー回収。

 

 鋼線が肩から抜けた。

 

 次の瞬間。

 

 女型の指が空を掴む。

 

 あと少し。

 

 本当にあと少しだった。

 

 アスカは息を呑む。

 

 偶然じゃない。

 

 狙った。

 

 ワイヤーを。

 

 自分を。

 

 理解している。

 

 背筋が冷える。

 

 普通の巨人じゃない。

 

 なら。

 

 普通の巨人の戦い方は通用しない。

 

 アスカは周囲を見る。

 

 木。

 

 廃屋。

 

 岩。

 

 支点はいくらでもあった。

 

 次の瞬間。

 

 ワイヤーを射出する。

 

 狙うのは女型じゃない。

 

 近くの木だ。

 

 身体が引かれる。

 

 旋回。

 

 加速。

 

 さらに廃屋。

 

 方向転換。

 

 死角へ潜る。

 

 女型が振り返る。

 

 遅い。

 

 刃が脚を裂いた。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 アスカは止まらない。

 

 木。

 

 屋根。

 

 岩。

 

 次々と支点を変える。

 

 一ヶ所に留まらない。

 

 地下街で覚えた生存術だった。

 

 止まるな。

 

 読まれるな。

 

 動け。

 

 生き残れ。

 

 女型の拳が廃屋を砕く。

 

 木片が飛ぶ。

 

 だがもうそこにはいない。

 

 別の場所。

 

 さらに別の場所。

 

 アスカは女型を観察する。

 

 視線。

 

 腕。

 

 脚。

 

 重心。

 

 癖。

 

 理解する。

 

 考える。

 

 そして。

 

 女型もまた。

 

 アスカが何を利用しているのかに気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 女型の動きが変わった。

 

 最初は違和感だった。

 

 振り向く速度。

 

 視線。

 

 身体の向き。

 

 どれも変わっていない。

 

 だが何かが違う。

 

 アスカは木を支点に旋回する。

 

 加速。

 

 女型の背後へ。

 

 脚を狙う。

 

 しかし。

 

 女型は振り返らなかった。

 

 代わりに右脚を振り抜く。

 

「っ!」

 

 回避。

 

 その瞬間。

 

 轟音が響いた。

 

 支点にしていた木が根元から折れていた。

 

 巨木が傾く。

 

 土が舞う。

 

 アスカは目を見開いた。

 

 偶然じゃない。

 

 木を狙った。

 

 今。

 

 確かに。

 

 再び飛ぶ。

 

 別の木へワイヤーを撃ち込む。

 

 巻き取る。

 

 旋回。

 

 女型へ迫る。

 

 だが。

 

 拳。

 

 今度は真正面から木を砕いた。

 

 樹皮が弾ける。

 

 幹が裂ける。

 

 支点が消える。

 

「なっ──」

 

 身体が流れる。

 

 慌てて別の木へ。

 

 ワイヤー射出。

 

 命中。

 

 助かった。

 

 そう思った。

 

 蹴り。

 

 今度はその木が折れる。

 

 巨木が倒れる。

 

 視界が揺れる。

 

 女型は自分を見ていない。

 

 支点を見ている。

 

 立体機動を殺そうとしている。

 

 理解した瞬間。

 

 背筋が冷えた。

 

 普通の巨人じゃない。

 

 やはり。

 

 戦っている。

 

 考えている。

 

 こちらの戦い方を。

 

 理解している。

 

「クソっ……!」

 

 飛ぶ。

 

 木。

 

 屋根。

 

 岩。

 

 次々と移る。

 

 だが。

 

 女型も追う。

 

 拳。

 

 蹴り。

 

 肘。

 

 支点が消えていく。

 

 木片。

 

 土煙。

 

 倒壊音。

 

 草原が戦場に変わっていた。

 

 そして。

 

 ワイヤーを撃ち込んだ先。

 

 太い枝が砕けた。

 

「しまっ──」

 

 支点が消える。

 

 身体が浮く。

 

 次が無い。

 

 新しい支点を探す。

 

 間に合わない。

 

 一瞬。

 

 本当に一瞬。

 

 空中で止まった。

 

 その瞬間だった。

 

 女型の腕が伸びる。

 

 避けられない。

 

 巨大な手が迫る。

 

 握り込まれた。

 

「ぐっ……!」

 

 全身が軋む。

 

 息が詰まる。

 

 骨が悲鳴を上げる。

 

 潰される。

 

 力が入らない。

 

 視界が揺れる。

 

 女型はそのまま持ち上げた。

 

 地面が遠い。

 

 草原。

 

 廃屋。

 

 死体。

 

 倒れた馬。

 

 全部が小さい。

 

 そして。

 

 女型の顔が近付いた。

 

 青い瞳。

 

 人間みたいな目だった。

 

 アスカは息を呑む。

 

 巨人の目じゃない。

 

 そう思った。

 

 その瞬間。

 

 女型が止まる。

 

 本当に僅かに。

 

 一瞬だけ。

 

 握る力が強くならない。

 

「……?」

 

 違和感。

 

 だが考える暇は無い。

 

 生きている。

 

 まだ。

 

 左手は動く。

 

 腰の刃もある。

 

 なら。

 

 やれる。

 

 アスカは刃を抜いた。

 

 握る。

 

 そして。

 

 女型の指の付け根へ突き立てる。

 

 肉が裂ける。

 

 蒸気。

 

 反射的に力が緩む。

 

 その瞬間。

 

 身体を捻る。

 

 指の隙間へ滑り込む。

 

 落下。

 

 風が唸る。

 

 回転。

 

 ワイヤー射出。

 

 木へ命中。

 

 巻き取る。

 

 衝撃を逃がす。

 

 地面を掠めるように着地した。

 

 荒い呼吸。

 

 鼓動が速い。

 

 汗が止まらない。

 

 それでも。

 

 生きている。

 

 紙一重だった。

 

 振り返る。

 

 女型はもうこちらを見ていなかった。

 

 右翼下方。

 

 その先へ。

 

 迷いなく走り出している。

 

「……待て」

 

 思わず漏れる。

 

 だが追えない。

 

 身体が重い。

 

 脚が震える。

 

 ガスも減っている。

 

 女型は遠ざかる。

 

 蒸気を撒き散らしながら。

 

 一直線に。

 

 何かを探しているみたいに。

 

 やがて見えなくなった。

 

 静寂。

 

 風が吹く。

 

 草が揺れる。

 

 それだけだった。

 

 アスカは立ち尽くす。

 

 呼吸を整える。

 

 だが。

 

 視線が自然と周囲へ向いた。

 

 死体。

 

 倒れた馬。

 

 砕けた家屋。

 

 蒸気。

 

 血。

 

 さっきまでいた兵士達。

 

 もういない。

 

 名前は知らない。

 

 顔もよく覚えていない。

 

 だが。

 

 確かに生きていた。

 

 戦っていた。

 

 今は動かない。

 

「……アイツが、やった。意志を持って……」

 

 呟く。

 

 答える者はいない。

 

 エルヴィンの言う通りだ。

 

 あれは。

 

 間違いなく敵だ。

 

 立体機動の動きを熟知していた。

 

 頭が重い。

 

 身体も重い。

 

 追わなければならない。

 

 そう思うのに。

 

 動けなかった。

 

 その時だった。

 

 草原の向こう。

 

 人影。

 

 違う。

 

 巨人だ。

 

 一体。

 

 さらに奥にもう一体。

 

 そしてもう一体。

 

 のそのそと。

 

 馬鹿みたいな顔で。

 

 こちらへ歩いてくる。

 

 アスカは目を閉じた。

 

 短く息を吐く。

 

 考える時間すら与えてくれない。

 

 壁外とはそういう場所だった。

 

 

 

 一体目が口を開く。

 

 ゆっくりと。

 

 間抜けな顔のまま。

 

 真っ直ぐこちらへ歩いてくる。

 

 アスカは動かなかった。

 

 ただ見ていた。

 

 さっきまで女型と戦っていたからだろうか。

 

 目の前の巨人が妙に小さく見えた。

 

 遅い。

 

 単純だ。

 

 考えていない。

 

 ただ本能のまま人を喰おうとしているだけ。

 

「……」

 

 返事の代わりにガスを噴かした。

 

 身体が浮く。

 

 ワイヤーを撃つ。

 

 近くの木。

 

 加速。

 

 一閃。

 

 うなじが裂ける。

 

 蒸気。

 

 着地。

 

 振り返りもしない。

 

 一体目はそのまま崩れ落ちた。

 

 二体目。

 

 三体目。

 

 まだ来る。

 

 アスカは再び飛ぶ。

 

 ワイヤー。

 

 加速。

 

 斬る。

 

 終わり。

 

 着地。

 

 また飛ぶ。

 

 また斬る。

 

 終わり。

 

 まるで作業だった。

 

 女型との戦いとは何もかも違う。

 

 駆け引きも無い。

 

 学習も無い。

 

 予測も無い。

 

 ただ近付いてくる。

 

 だから殺す。

 

 それだけ。

 

 蒸気が風に流れていく。

 

 アスカは刃を振った。

 

 血を落とす。

 

 そして思う。

 

 巨人は分かりやすい。

 

 人を喰う。

 

 それだけだ。

 

 だから戦える。

 

 だから対処出来る。

 

 だが。

 

 女型は違った。

 

 考えていた。

 

 読んでいた。

 

 学習していた。

 

 こちらが木を利用すれば木を壊した。

 

 ワイヤーを使えばワイヤーを狙った。

 

 まるで。

 

 人間だった。

 

 その考えに辿り着いた瞬間。

 

 青い瞳が脳裏を過る。

 

 掴まれた時に見た目。

 

 人間みたいな目。

 

 いや。

 

 本当にそうだったか? 

 

 自分でも分からない。

 

 ただ。

 

 気味が悪かった。

 

 理解出来ないものは恐ろしい。

 

 それだけは確かだった。

 

 風が吹く。

 

 蒸気が散る。

 

 静かになる。

 

 ようやく。

 

 本当にようやく。

 

 考える時間が出来た。

 

 アスカは空を見上げる。

 

 青空。

 

 雲。

 

 何も変わらない。

 

 なのに。

 

 さっきまでいた兵士達はいない。

 

 死んだ。

 

 あっけなく。

 

 何人も。

 

 自分の目の前で。

 

 女型に。

 

「……何のために」

 

 小さく呟く。

 

 答える者はいない。

 

 何のために壁の外へ出た。

 

 何のために戦う。

 

 何のために死ぬ。

 

 調査兵団に入った理由はある。

 

 壁の外を知りたかった。

 

 人類の役に立ちたかった。

 

 それも本当だ。

 

 だが。

 

 目の前で仲間が死ぬ度に。

 

 その理由は揺らぐ。

 

 レオ達の顔が浮かぶ。

 

 地下街。

 

 血。

 

 後悔。

 

 助けられなかった背中。

 

 奥歯を噛み締める。

 

 嫌な記憶だった。

 

 忘れた事なんて一度も無い。

 

 だから。

 

 死には慣れている。

 

 だが。

 

 慣れているから平気な訳じゃない。

 

 今でも重い。

 

 今でも苦しい。

 

 その時だった。

 

 ふと。

 

 エルヴィンの声が蘇る。

 

『情報の伝達が最優先だ』

 

 壁外調査前。

 

 配置を伝えられた時。

 

 確かに言われた言葉。

 

 情報。

 

 伝達。

 

 最優先。

 

 アスカはゆっくり顔を上げた。

 

 女型は右翼を下っていった。

 

 進路も見た。

 

 戦い方も見た。

 

 自分は知っている。

 

 まだ。

 

 見失っていない。

 

「……そうか」

 

 ぽつりと呟く。

 

 立ち直った訳じゃない。

 

 納得した訳でもない。

 

 ただ。

 

 やるべき事を思い出した。

 

 それだけだった。

 

 女型の情報を伝える。

 

 中央へ。

 

 エルヴィンへ。

 

 それが今の自分の役目だ。

 

 アスカは馬へ近付く。

 

 幸運にも無事だった。

 

 鼻を鳴らす馬の首を軽く叩く。

 

「悪いな」

 

 自分でも驚くほど掠れた声だった。

 

 鐙に足を掛ける。

 

 跨る。

 

 手綱を握る。

 

 そして馬腹を蹴った。

 

 馬が駆け出す。

 

 草原を。

 

 血と死体の残る戦場を。

 

 右翼下方へ。

 

 女型の痕跡を追うように。

 

 中央へ情報を届けるために。

 

 風が顔を打つ。

 

 その途中。

 

 遠くでまた信煙弾が上がった。

 

 黒。

 

 一発。

 

 そしてもう一発。

 

 アスカは目を細める。

 

 まだ終わっていない。

 

 女型は今も誰かと戦っている。

 

 なら。

 

 急がなければならなかった。

 

 馬は草原を駆ける。

 

 風が頬を叩く。

 

 血の臭いはまだ鼻の奥に残っていた。

 

 女型との戦闘からどれほど経っただろう。

 

 数分か。

 

 もっと短いかもしれない。

 

 だが妙に長く感じた。

 

 黒煙弾が見える。

 

 遠く。

 

 右翼下方。

 

 一本。

 

 しばらくしてまた一本。

 

 さらに一本。

 

 女型はまだ進んでいる。

 

 まだ誰かが接触している。

 

 まだ誰かが戦っている。

 

 アスカは手綱を握る力を強めた。

 

 間に合わない。

 

 それは分かっていた。

 

 距離がある。

 

 馬を潰す気で飛ばしたところで追いつけるものではない。

 

 それでも。

 

 追うしかなかった。

 

 情報を届けるために。

 

 そして。

 

 あの巨人を見失わないために。

 

 黒煙弾がまた一つ上がる。

 

 位置が変わっていた。

 

 戦線が移動している。

 

 女型が前進している証拠だった。

 

「……速いな」

 

 思わず呟く。

 

 あれだけの戦闘をして。

 

 あれだけの兵士を蹴散らして。

 

 まだ走れる。

 

 人間ならとっくに限界だ。

 

 だが。

 

 あれは巨人だった。

 

 そして。

 

 普通の巨人じゃない。

 

 考える巨人だ。

 

 学習する巨人だ。

 

 人間みたいに。

 

 そこまで考えたところで。

 

 ふと。

 

 頭に浮かぶ顔があった。

 

 サシャだった。

 

 くだらない話で笑う顔。

 

 肉を前にした時の顔。

 

 訓練兵団時代。

 

 何度も見た。

 

 その隣にはユミルもいる。

 

 クリスタも。

 

 コニーも。

 

 ジャンも。

 

 皆。

 

 どこかで戦っている。

 

 壁外だ。

 

 誰が死んでもおかしくない。

 

 その事実が胸を重くした。

 

 アスカは首を振る。

 

 今考えるべきじゃない。

 

 今は。

 

 ────―

 

「右翼壊滅?」

 

 サシャは思わず聞き返した。

 

 馬を並べていた班長が顔をしかめる。

 

「伝令だ。間違いない」

 

 風に流されそうになる声。

 

 だが。

 

 その言葉だけははっきり聞こえた。

 

 右翼壊滅。

 

 胸がざわつく。

 

 右翼。

 

 そこにいる兵士を知っていた。

 

 同期だった。

 

 一緒に訓練した。

 

 一緒に叱られた。

 

 一緒に笑った。

 

 そして。

 

 アスカがいた。

 

「……」

 

 サシャは唇を噛む。

 

 嫌な想像が浮かぶ。

 

 だが。

 

 すぐに首を振った。

 

(アスカに限って)

 

 死ぬはずがない。

 

 地下街で生き残った。

 

 トロスト区も生き残った。

 

 訓練兵団も。

 

 だから。

 

 きっと大丈夫だ。

 

 そう思う。

 

 そう信じる。

 

 それでも。

 

 胸騒ぎだけは消えなかった。

 

「前を見ろ」

 

 班長の声。

 

 サシャは小さく頷く。

 

「はい」

 

 そして再び馬を走らせた。

 

 壁外では。

 

 立ち止まる事すら許されない。

 

 ────―

 

「右翼壊滅だとよ」

 

 誰かが言った。

 

 ユミルは視線だけ向ける。

 

 伝令兵だった。

 

 必死な顔をしている。

 

 それだけで十分だった。

 

 嘘ではない。

 

 実際に壊滅したのだろう。

 

「ふん」

 

 鼻を鳴らす。

 

 手綱を握る。

 

 それだけ。

 

 だが。

 

 頭の中には一人の顔が浮かんでいた。

 

 アスカ。

 

 同期。

 

 調査兵団。

 

 そして。

 

 妙に死ななそうな男。

 

(アイツに限ってな)

 

 そう思う。

 

 無茶をしない。

 

 考える。

 

 観察する。

 

 生き残るために動く。

 

 そんな奴だ。

 

 だから。

 

 死んでいるとは思えない。

 

 思えないが。

 

 嫌な予感だけは消えなかった。

 

 ユミルは舌打ちする。

 

 らしくない。

 

 他人の心配など。

 

 だが。

 

 壁外とはそういう場所だった。

 

 誰だって死ぬ。

 

 それが嫌なだけだ。

 

「……死んでたら笑えねぇぞ」

 

 誰にも聞こえない声は風に消えた。

 

 ────―

 

 アスカは馬を走らせ続ける。

 

 黒煙弾。

 

 また一本。

 

 さらに一本。

 

 だが。

 

 違和感があった。

 

「……?」

 

 位置が変わった。

 

 進路が変わった。

 

 右翼下方へ向かっていたはずの黒煙弾が。

 

 今度は中央方向へ移動している。

 

 そして。

 

 その先。

 

 緑煙弾が見えた。

 

 一本。

 

 また一本。

 

 中央方向。

 

 味方の位置確認。

 

 進路伝達。

 

 つまり。

 

 中央本隊。

 

 女型はそちらへ向かっている。

 

「何があった……?」

 

 理由は分からない。

 

 だが。

 

 結果だけは見える。

 

 女型は進路を変えた。

 

 中央へ。

 

 なら。

 

 自分も向かうしかない。

 

 アスカは馬腹を蹴る。

 

 速度を上げた。

 

 やがて。

 

 前方に巨大な影が見えてくる。

 

 巨大樹の森だった。

 

 空を突くような巨木の群れ。

 

 壁外調査の資料で見た事はある。

 

 だが。

 

 実際に見るのは初めてだった。

 

 高い。

 

 異常なほどに。

 

 その時。

 

 アスカは違和感を覚えた。

 

 中列が森へ入っていく。

 

 荷馬車護衛班。

 

 その周辺。

 

 だが。

 

 他の兵士達は違った。

 

 左右へ展開している。

 

 森を避けるように。

 

 囲むように。

 

 まるで。

 

 何かを閉じ込めるみたいに。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 違和感はすぐに確信へ変わった。

 

 森へ入っていく兵士は限られている。

 

 中列。

 

 荷馬車護衛班。

 

 その周辺だけ。

 

 それ以外は違う。

 

 左右へ展開し。

 

 巨大樹の森を囲うように移動している。

 

 まるで。

 

 逃げ道を塞ぐみたいに。

 

 その時だった。

 

 緑煙弾が上がる。

 

 一本。

 

 森の外周。

 

 さらに別方向でも一本。

 

 位置確認。

 

 配置完了の合図。

 

 アスカは目を細めた。

 

 長距離索敵陣形は信煙弾が命だ。

 

 情報を伝え。

 

 位置を把握し。

 

 隊列を維持する。

 

 だが。

 

 巨大樹の森に入れば話は別だ。

 

 木々が高すぎる。

 

 枝葉も多い。

 

 煙は見えなくなる。

 

 索敵能力は著しく落ちる。

 

 索敵兵からすれば最悪の地形だった。

 

「……なのに」

 

 なぜ入る。

 

 逃げるだけなら他にも道はある。

 

 平原の方が圧倒的に有利だ。

 

 それなのに。

 

 エルヴィンは迷わなかった。

 

 最初から決めていたみたいに。

 

 巨大樹の森へ兵士達を導いている。

 

「まさか……」

 

 捕獲。

 

 その言葉が脳裏を過る。

 

 だが。

 

 確証は無い。

 

 考えている暇も無かった。

 

 森の外周に到着する。

 

 枝の上。

 

 待機する兵士達。

 

 数人ではない。

 

 至る所にいる。

 

 全員が何かを待っていた。

 

 そして一人がアスカに気付く。

 

「おい!」

 

 声が飛ぶ。

 

「どこの所属だ!」

 

「ハンジ班です!」

 

 即答。

 

 すると兵士は驚く様子もなく叫んだ。

 

「なら中央へ向かえ!」

 

「中央?」

 

「立体機動で森中央へ急げ!」

 

 アスカは眉をひそめる。

 

「待機じゃないんですか」

 

「命令だ!」

 

 返ってきた声は鋭かった。

 

「急げ!」

 

「はっ!」

 

 反射的に敬礼する。

 

 馬を降りる。

 

 手綱を近くの兵士へ預けた。

 

 立体機動装置を確認。

 

 ガス。

 

 残量は十分とは言えない。

 

 だが動ける。

 

 刃もまだ使える。

 

 問題無い。

 

 ワイヤーを撃ち込む。

 

 ガシュッ──

 

 巨木へ命中。

 

 身体が引かれる。

 

 一気に上昇。

 

 次の木。

 

 さらに次。

 

 巨大樹の間を駆け抜ける。

 

 風が頬を切る。

 

 枝を蹴る。

 

 加速。

 

 視界が流れる。

 

 その途中。

 

 ふと思った。

 

 右翼壊滅。

 

 女型との接触。

 

 生存。

 

 ここへの到達。

 

 中央への移動命令。

 

 まるで。

 

 全部分かっていたみたいだ。

 

「……全部お見通しかよ」

 

 思わず苦笑が漏れる。

 

 エルヴィンならあり得る。

 

 そう思えてしまうのが恐ろしい。

 

 さらに加速する。

 

 森の奥へ。

 

 中央へ。

 

 その時だった。

 

 前方の視界が開ける。

 

 巨大樹の隙間。

 

 馬群。

 

 調査兵団。

 

 その中央。

 

 見慣れた黒髪。

 

 エレンだった。

 

 その周囲を走る兵士達。

 

 リヴァイ班。

 

 ペトラ。

 

 エルド。

 

 グンタ。

 

 オルオ。

 

 そして。

 

 その後方。

 

 蒸気を撒き散らしながら迫る巨体。

 

 女型。

 

「……!」

 

 見つけた。

 

 女型もまた前しか見ていない。

 

 視線の先。

 

 エレン。

 

 その一点だけを捉えている。

 

 距離が縮まる。

 

 あと少し。

 

 あと少しで届く。

 

 女型の腕が伸びる。

 

 巨大な手。

 

 馬群へ。

 

 エレンへ。

 

 届く。

 

 その瞬間だった。

 

 アスカは枝を蹴った。

 

 加速。

 

 木陰から飛び出す。

 

 音を殺す。

 

 気配を殺す。

 

 一瞬。

 

 誰にも気付かれないまま。

 

 女型の側面へ到達する。

 

 刃を振る。

 

 一閃。

 

 鋼が肉を裂く。

 

 女型の前腕が宙を舞った。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 巨大な腕が地面へ落ちる。

 

 そして。

 

 初めて女型が止まった。

 

 振り返る。

 

 青い瞳。

 

 アスカを見る。

 

 アスカは何も言わない。

 

 ただ刃を構えた。

 

 風が吹く。

 

 蒸気が流れる。

 

 女型も動かない。

 

 一瞬だけ。

 

 巨大樹の森に静寂が訪れる。

 

 そして。

 

 次の瞬間。

 

 女型が踏み込んだ。

 

 踏み込みと同時に地面が爆ぜる。

 

 巨体とは思えない。

 

 まるで訓練された兵士の突進だった。

 

 アスカは即座に飛ぶ。

 

 ワイヤー射出。

 

 巨木。

 

 巻き取り。

 

 加速。

 

 女型の拳が空を裂いた。

 

 直後。

 

 衝撃波が背中を叩く。

 

「っ……!」

 

 速い。

 

 だが見える。

 

 第1戦とは違う。

 

 今は支点がある。

 

 無数に。

 

 巨大樹が林立するこの森は、立体機動兵にとって最高の戦場だった。

 

 木。

 

 木。

 

 さらに木。

 

 逃げ道はいくらでもある。

 

 アスカは巨木を回るように旋回した。

 

 右。

 

 左。

 

 上。

 

 下。

 

 視界の端で女型が追ってくる。

 

 脚力だけで。

 

 巨木の間を縫うように。

 

「……っ」

 

 追いつく。

 

 追いついてくる。

 

 異常だ。

 

 だが。

 

 今度は違う。

 

 支点を失わない。

 

 だから動ける。

 

 アスカは女型の背後へ回り込んだ。

 

 刃を振る。

 

 蒸気。

 

 肩口が裂ける。

 

 だが止まらない。

 

 再生。

 

 肉が盛り上がる。

 

 瞬く間に傷が消えていく。

 

 女型が振り返る。

 

 腕が唸る。

 

 アスカは木の裏へ潜り込んだ。

 

 轟音。

 

 樹皮が吹き飛ぶ。

 

 木が揺れる。

 

 だが。

 

 そこにはもういない。

 

 別の木。

 

 さらに別の木。

 

 女型が首を巡らせる。

 

 探している。

 

 追っている。

 

 その隙。

 

 アスカは再び飛び込んだ。

 

 脚。

 

 蒸気。

 

 離脱。

 

 反撃前に移動。

 

 繰り返す。

 

 止まらない。

 

 留まらない。

 

 地下街で身についた生存術。

 

 見つかるな。

 

 囲まれるな。

 

 逃げ道を作れ。

 

 それをそのまま戦闘へ落とし込む。

 

 女型の攻撃は重い。

 

 一撃で死ぬ。

 

 だから当たらなければいい。

 

 避ける。

 

 ずらす。

 

 逃げる。

 

 斬る。

 

 また逃げる。

 

 それだけだった。

 

 だが。

 

 その時。

 

 女型の視線が変わった。

 

「……?」

 

 嫌な予感。

 

 第1戦と同じ。

 

 学習している。

 

 こちらを。

 

 戦い方を。

 

 次の瞬間。

 

 女型の拳が巨木へ叩き込まれた。

 

 轟音。

 

 幹が裂ける。

 

 木が傾く。

 

 アスカは反射的に別の木へ移った。

 

 だが。

 

 女型は追撃しない。

 

 代わりに。

 

 次の木。

 

 さらに次の木。

 

 支点になりそうな場所を破壊していく。

 

「またか……!」

 

 第1戦。

 

 あの時と同じ。

 

 違うのは地形だけ。

 

 支点を潰されれば不利になる。

 

 だが。

 

 森には木が無数にある。

 

 平原とは違う。

 

 一本折られても。

 

 二本折られても。

 

 まだある。

 

 だから動ける。

 

 アスカは加速した。

 

 巨木の間を飛ぶ。

 

 風を切る。

 

 蒸気が流れる。

 

 そして。

 

 視界が開けた。

 

 女型の側面。

 

 死角。

 

 今だ。

 

 枝を蹴る。

 

 一気に加速。

 

 刃を構える。

 

 だが。

 

 次の瞬間だった。

 

 女型がこちらを向く。

 

 速い。

 

 反応した。

 

 拳が迫る。

 

 避ける。

 

 間に合わない。

 

「っ!」

 

 反射的にガスを噴かした。

 

 強く。

 

 いつもより。

 

 強引に。

 

 すると。

 

 身体が流れた。

 

 横へ。

 

 ワイヤーも無い。

 

 支点も無い。

 

 それなのに。

 

 拳が鼻先を通過する。

 

 空気が弾ける。

 

 避けた。

 

 避けられた。

 

「……今の」

 

 理解が追いつかない。

 

 だが身体は動く。

 

 再びガス。

 

 身体が流れる。

 

 方向が変わる。

 

 加速する。

 

 まるで。

 

 空中を蹴ったみたいに。

 

 その瞬間。

 

 脳裏を過った。

 

 リヴァイ。

 

 ミカサ。

 

 あの動き。

 

 異常な軌道変更。

 

 異常な加速。

 

 なぜ出来るのか。

 

 今なら分かる。

 

「そうか……」

 

 ワイヤーだけじゃない。

 

 ガスだ。

 

 ガス噴射そのものを使っている。

 

 推進力として。

 

 方向転換として。

 

 加速として。

 

 だから飛べる。

 

 だから曲がれる。

 

 だからあんな動きが出来る。

 

 理解した瞬間。

 

 世界が少し変わった。

 

 視界が広がる。

 

 選択肢が増える。

 

 次の動きが見える。

 

 女型が迫る。

 

 拳。

 

 避ける。

 

 ガス。

 

 横へ流れる。

 

 さらに加速。

 

 背後を取る。

 

 斬る。

 

 離脱。

 

 第1戦より動ける。

 

 確実に。

 

 だが。

 

 女型も止まらない。

 

 こちらが成長したなら。

 

 あちらもまた対応してくる。

 

 そして。

 

 女型は突然進路を変えた。

 

「……!」

 

 アスカは目を見開く。

 

 自分を追わない。

 

 視線の先。

 

 エレン。

 

 最初から変わらない。

 

 目的。

 

 エレンだけ。

 

 女型は巨大樹の森のさらに奥へ走り出した。

 

 中央へ。

 

 アスカも追う。

 

 理由は分からない。

 

 だが。

 

 絶対に見失ってはいけない。

 

 そう思った。

 

 

 

 

 

 女型は一直線だった。

 

 巨木の根が地面を押し上げる森の中を、まるで障害など存在しないかのように駆け抜けていく。

 

 視線は前。

 

 ただ前。

 

 エレンだけを見ている。

 

 アスカは枝を蹴った。

 

 ガスを噴射する。

 

 身体が弾かれるように前へ飛ぶ。

 

 巨木。

 

 巨木。

 

 さらに巨木。

 

 支点を変えながら加速する。

 

 前方にはリヴァイ班。

 

 そしてエレン。

 

 女型との距離は確実に縮まっていた。

 

「くそ……!」

 

 速い。

 

 巨人の脚力。

 

 それも知性巨人。

 

 まともに追って追いつける相手じゃない。

 

 それでも飛ぶ。

 

 見失う訳にはいかなかった。

 

 女型の腕が伸びる。

 

 長い指。

 

 馬群へ。

 

 エレンへ。

 

 届く。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 地面が爆ぜた。

 

 轟音。

 

 土煙。

 

 そして。

 

 無数の何かが森中から射出される。

 

「──っ!?」

 

 アスカは目を見開いた。

 

 鋼線。

 

 ワイヤーだ。

 

 一本じゃない。

 

 十本でもない。

 

 数え切れないほどのワイヤーが四方八方から女型へ突き刺さる。

 

 腕。

 

 肩。

 

 胴。

 

 脚。

 

 全身。

 

 次の瞬間。

 

 女型の身体が引かれた。

 

 左右から。

 

 上から。

 

 後方から。

 

 ありとあらゆる方向へ。

 

 巨体が揺れる。

 

 踏み止まろうとする。

 

 足元の地面が抉れる。

 

 だが止まらない。

 

 拘束する力が強過ぎた。

 

 巨木と巨木の間。

 

 まるで蜘蛛の巣に掛かった獲物だった。

 

「何だ……これ」

 

 思わず呟く。

 

 次々と兵士が姿を現した。

 

 枝の上。

 

 木陰。

 

 高所。

 

 あらゆる場所。

 

 最初からそこにいたみたいに。

 

 全員が巻き取り装置を操作している。

 

 女型が暴れる。

 

 右腕が動く。

 

 ワイヤーが軋む。

 

 しかし。

 

 切れない。

 

 追加のワイヤーが飛ぶ。

 

 さらに固定。

 

 さらに拘束。

 

 関節を封じるように。

 

 逃げ道を塞ぐように。

 

 徹底的に。

 

 女型の動きが鈍る。

 

 そして。

 

 また一本。

 

 また一本。

 

 太い鋼線が身体へ食い込む。

 

 腕が止まる。

 

 脚が止まる。

 

 胴が固定される。

 

 ついに。

 

 巨体が完全に停止した。

 

 森に静寂が落ちる。

 

 アスカは近くの枝へ着地した。

 

 荒い呼吸。

 

 額から汗が落ちる。

 

 だが目は女型から離せない。

 

 理解した。

 

 今。

 

 ようやく。

 

 巨大樹の森。

 

 外周待機。

 

 荷馬車護衛班だけが侵入した理由。

 

 中央への移動命令。

 

 全部。

 

 全部このためだった。

 

「捕獲作戦……」

 

 思わず漏れる。

 

 逃げるためじゃなかった。

 

 迎え撃つためだった。

 

 最初から。

 

 この場所へ誘導するためだった。

 

 エルヴィンは言っていた。

 

『敵の正体は不明。知性巨人である保証もない』

 

 それを生け捕りにする必要がある事を。

 

 どこまで読んでいたのか分からない。

 

 分かりたくもない。

 

 ただ。

 

 恐ろしいほどの用意周到さだけは理解出来た。

 

 女型が僅かに身じろぎする。

 

 ワイヤーが軋む。

 

 だが動けない。

 

 完全拘束だった。

 

 その時。

 

 森の奥から荷馬車が姿を現した。

 

 巨大な車輪。

 

 無数の円筒。

 

 見た事のない装置。

 

 兵士達が周囲を固めながら運んでくる。

 

「準備急げ!」

 

「固定ポイント確認!」

 

「次を装填しろ!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 誰一人として油断していない。

 

 勝ったとは思っていない。

 

 相手が普通じゃないからだ。

 

 やがて。

 

 荷馬車の装置が作動する。

 

 轟音。

 

 火花。

 

 次の瞬間。

 

 巨大な杭が射出された。

 

 空中で広がる。

 

 黒い鋼線の塊。

 

 腕へ。

 

 肩へ。

 

 胴へ。

 

 全身へ。

 

 女型が僅かに動く。

 

 だが遅い。

 

 杭は瞬く間に締まり。

 

 身体へ食い込んだ。

 

「よし!!」

 

「関節固定完了!!」

 

 兵士の声が響く。

 

 ワイヤー。

 

 鋼線。

 

 杭。

 

 巨大樹。

 

 全てが女型を拘束していた。

 

 動けない。

 

 完全に。

 

 逃げ場は無い。

 

 アスカはゆっくり息を吐いた。

 

 ようやく終わった。

 

 そう思った。

 

 だが。

 

 何かがおかしい。

 

 女型は暴れない。

 

 叫ばない。

 

 抵抗もしない。

 

 ただ。

 

 じっと前を見ている。

 

 その片目だけが生きていた。

 

 諦めていない。

 

 そんな目だった。

 

 ぞくりと背筋が冷える。

 

 その時。

 

 枝の上に降り立つ影があった。

 

 リヴァイ。

 

 その後ろにはエルヴィン。

 

 団長は拘束された女型を見上げる。

 

 表情は変わらない。

 

 まるでここまで予定通りだと言うように。

 

「動きは止まったようだな」

 

 リヴァイが言う。

 

「後列班が命を賭して戦ってくれたお陰で時間が稼げた」

 

 エルヴィンが答える。

 

「あれが無ければ不可能だった」

 

 後列班。

 

 その言葉にアスカは思い出す。

 

 右翼。

 

 死体。

 

 砕けた家屋。

 

 倒れた馬。

 

 女型に潰された兵士達。

 

 自分が見た光景。

 

 意味があったのだ。

 

 無駄死にじゃない。

 

 少なくとも。

 

 ここへ辿り着くためには必要だった。

 

 そう考えても胸は軽くならない。

 

 だが。

 

 少しだけ救われた気がした。

 

 その時。

 

 リヴァイが拘束された女型へ近付く。

 

 冷めた目で見上げる。

 

「こいつの中にいる奴とも会えるな」

 

 アスカの眉が動いた。

 

 中にいる奴。

 

 知っていた。

 

 頭では理解していた。

 

 だが。

 

 改めて言葉にされると違う。

 

 この巨人の中には人間がいる。

 

 意思がある。

 

 考えている。

 

 話せるかもしれない誰かが。

 

 女型の片目がゆっくり動く。

 

 リヴァイを見る。

 

 エルヴィンを見る。

 

 そして。

 

 一瞬だけ。

 

 アスカの方を向いた気がした。

 

 青い瞳。

 

 静かな目。

 

 だが。

 

 その奥には確かな感情があった。

 

 怒りか。

 

 焦りか。

 

 あるいは。

 

 別の何かか。

 

 アスカには分からない。

 

 ただ一つだけ。

 

 この女型はまだ終わっていない。

 

 そんな気がしてならなかった。

 

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