言い回し一緒になっちゃう病
「は? 訓練兵団?」
思わず聞き返していた。
昼下がりの裏路地。石畳の隙間には泥水が溜まり、壁際には誰かが吐いた酒臭い染みが残っている。ストヘス区の外れ。日陰になったこの辺りは、人通りも少なく、アスカとユミルにとって都合の良い溜まり場だった。
木箱へ腰掛けながら、ユミルは退屈そうに足を組んでいる。
「おう。それ志願しといたから。春から行くぞ」
まるで今日の晩飯でも決めたみたいな口調だった。
「……おい」
アスカは眉間を押さえる。
「何勝手な事してんだよ。俺がいつ訓練兵になりたいって言った」
「寝言」
「は?」
「寝言で言ってた。可哀想だから夢を叶えてやったんだ。感謝しろ」
「そんなわけあるか」
即答だった。
アスカは乱暴に髪を掻き上げる。
地下街を出てから少し伸びた髪が指へ絡んだ。
「辞退してくる」
木箱から腰を浮かせる。
だが。
「辞退するのはいいが」
ユミルは足を組み替えながら言う。
「どこで手続きするか知ってんのか?」
「…………」
止まった。
アスカの動きが。
地上へ出てから、面倒事の大半はユミルがやっていた。
住処。
戸籍。
仕事。
地上の人間との付き合い方。
アスカは強い。
だが、“地上で生きる方法”は知らない。
「……チッ」
舌打ちが漏れる。
ユミルが鼻で笑った。
「まぁ知らねぇよな」
「クソが」
「別にいいだろ。なんかやりたい事でもあんのか?」
「……ねぇけど」
そこで言葉が止まる。
やりたい事。
そんなもの、考えた事も無かった。
地下街では、生きるだけで精一杯だったからだ。
明日の飯。
今日の寝床。
誰に狙われてるか。
どこで奪うか。
何を殺すか。
そんな事ばかり考えて生きてきた。
だから。
地上へ出た後の事なんて、何も考えていなかった。
「ならいいじゃねぇか」
ユミルが壁へ背を預ける。
「盗む手間も減る。飯も出る。寝床もある。悪くねぇ」
「兵士なんかになって何すんだよ」
「さぁな」
ユミルは肩を竦めた。
「でも、会いたい奴がいる」
「……あ?」
予想外の言葉だった。
アスカは少し目を細める。
「誰だよ」
「別に男じゃねぇぞ」
「聞いてねぇよ」
「なんだその反応」
ユミルが少し笑う。
だがその後、珍しく視線を逸らした。
「まぁ……色々あるんだよ」
「……」
珍しい。
ユミルがこういう言い方をするのは。
いつもならもっと雑に、適当に、笑い飛ばす。
でも今は違った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
言葉を選んでいる。
「……お前でもそういう顔すんだな」
「は?」
「いや別に」
アスカは壁へ背を預ける。
視線を上げる。
ストヘス区の空は青かった。
地下街では見えなかった色だ。
「お前はどうなんだよ」
ユミルが聞く。
「訓練兵団」
「興味ねぇよ」
「即答か」
「兵士なんざ憲兵と変わんねぇだろ」
地下へ降りてきた憲兵達を思い出す。
威圧。
暴力。
見下した目。
地上へ出た時も変わらなかった。
だから嫌いだった。
憲兵団という存在そのものが。
「じゃあ駐屯兵団は?」
「知らねぇ」
「私も詳しくは知らん」
「なんだよそれ」
ユミルが小さく笑う。
「後は調査兵団くらいか」
その瞬間。
少しだけ空気が変わった。
「壁の外へ行く連中だ」
壁外。
その単語に、アスカの思考が止まる。
「巨人と戦う兵団。巷じゃ狂人の集まりとか、自殺志願者とか言われてる」
「……壁の外」
ぽつりと漏れる。
地上へ出た時の感覚を思い出していた。
空。
風。
太陽。
地下街には無かった世界。
自分はずっと、“閉じ込められていた”んだと知った瞬間。
胸の奥が焼けるみたいに熱くなった。
そして今。
地上に出てもなお、壁がある。
まだ見えていない世界がある。
「……なんだ」
ユミルが少し目を細める。
「気になるか?」
「気にならないって言ったら嘘になる」
素直に答えていた。
自分でも少し驚く。
でも。
確かに、見てみたかった。
壁の向こうを。
地下街も。
地上も。
全部、自分の知らない世界だった。
なら。
壁の外には何があるのか。
知りたいと思った。
「最悪、私は一人で行く」
ユミルが言う。
「決めるのはお前だ」
「……」
沈黙。
遠くで鐘の音が聞こえる。
街の喧騒。
人の声。
風。
地下街には無かった音だった。
アスカはゆっくり息を吐く。
「……俺も行く」
口にした瞬間。
妙にしっくり来た。
「へぇ」
ユミルが笑う。
「意外と乗り気じゃねぇか」
「うるせぇ」
アスカは眉を寄せる。
「しばらく退屈しなくて済みそうだからな」
それは本音だった。
地上は面白い。
地下街とは違う。
知らないものばかりだ。
だから。
少しだけ期待している自分がいた。
「決まりだな」
ユミルが立ち上がる。
「で、訓練兵団って何すんだ?」
「知らん」
「は?」
「私も詳しくは知らねぇ」
「お前マジで適当だな……」
呆れながらも、アスカは少しだけ笑った。
地下街では、こんな風に笑った事なんて無かった。
☆☆☆
「オイ貴様!!」
「ハッ!!」
怒号が空気を震わせる。
太陽は真上にあった。
訓練兵団入団式。
広場へ整列した新兵達の額から汗が流れ落ちる。まだ春先だというのに、緊張と熱気のせいで空気は妙に重かった。
その中心。
キース・シャーディス教官が立っている。
威圧感の塊みたいな男だった。
深く剃り込まれた頭。
鋭い目。
地面を踏み抜きそうな軍靴の音。
ただ立っているだけなのに、周囲の空気が押し潰されているみたいだった。
「貴様は何者だ!!」
「シガンシナ区出身! アルミン・アルレルトです!!」
金髪の少年が声を張る。
細い。
正直、兵士には見えなかった。
「そうか!! バカみてぇな名前だな!! 親がつけたのか!!」
「祖父がつけてくれました!!」
「アルレルト!! 貴様は何しにここへ来た!!」
「人類の勝利に役立つためです!!」
「素晴らしいな!! では貴様には巨人の餌になってもらおう!!」
「ハッ!!」
怒鳴り声。
だが、アルミンは姿勢を崩さない。
アスカは小さく目を細める。
普通なら萎縮する。
だがあの金髪は違った。
怖がってはいる。
それでも声を出している。
「三列目!! 後ろを向け!!」
キースがアルミンの頭を掴み、無理矢理回れ右をさせる。
次。
「貴様は何者だ!!」
「ハッ!! トロスト区出身! トーマス・ワグナーです!!」
「声が小さい!! 家畜小屋でやり直してこい!!」
「ハッ!!」
怒号が飛ぶ度、新兵達の肩が揺れる。
空気が張っていた。
だが。
「……」
アスカは欠伸を噛み殺す。
地下街の方が余程怖かった。
理不尽も。
暴力も。
死も。
ここはまだ“ルール”がある。
だから怖くない。
「貴様は何者だ!!」
「ハッ!! トロスト区出身! ミーナ・カロライナです!!」
「違う!! 貴様は豚小屋出身家畜以下だ!!」
「ハッ!! 自分は家畜以下であります!!」
周囲の新兵達の顔が引き攣っていた。
怒鳴られる度に空気が揺れる。
胃が縮むみたいな緊張。
でも。
アスカは少し違った。
むしろ観察している。
この男が何を見ているのか。
何を測っているのか。
「次!!」
キースが視線を動かす。
鋭い。
まるで肉を値踏みするみたいな目だった。
その視線が、こちら側の列を通り過ぎる。
アスカ。
ユミル。
そして、“壁を失った者達”。
キースの視線が一瞬だけ止まった。
だが何も言わない。
アスカは小さく眉を動かす。
――やっぱ知ってんのか。
二年前。
超大型巨人襲来。
ウォール・マリア陥落。
混乱の中、ユミルは戸籍を弄った。
アスカとユミルは“クオク村出身の避難民”になっている。
そして。
キースはそこを追及しない。
いや。
出来ない。
避難民が多すぎた。
記録も。
人も。
全部ぐちゃぐちゃだったからだ。
「貴様は何者だ!!」
「トロスト区出身!! ジャン・キルシュタインです!!」
少し尖った声。
アスカは視線を向ける。
縦長の顔。
刈り上げた髪。
見るからに口が悪そうだった。
「何しにここへ来た!!」
「……憲兵団に入り、内地で暮らすためです」
その瞬間。
空気が少し変わる。
ざわつき。
だがジャンは逸らさない。
キースを真っ直ぐ見ていた。
「そうか」
キースが笑う。
いや。
あれは嘲笑だった。
「貴様は内地へ行きたいのか」
「は、はい!!」
次の瞬間。
ゴッ、と鈍い音が響いた。
キースの頭突き。
ジャンの身体が大きく揺れる。
「っ――!!」
痛みに耐えきれず、ジャンが膝をつく。
「誰が座っていいと言った!!」
怒号。
地面が震えるみたいだった。
「そんな根性で憲兵団になれるものか!!」
ジャンが歯を食いしばる。
悔しそうだった。
でも。
目は死んでいない。
「次!!」
キースが移動する。
「貴様は何者だ!!」
「ウォール・ローゼ南区ジエナ町出身!! マルコ・ボットです!!」
よく通る声だった。
不快感が無い。
妙に耳へ入ってくる声。
「憲兵団に入り!! 王へこの身を捧げるために来ました!!」
真っ直ぐな目。
キースが鼻で笑う。
「そうか。それは結構だ」
一瞬。
空気が緩んだ。
だが。
「だが王は貴様など求めていない」
空気が凍る。
マルコの表情が僅かに固まった。
アスカは小さく息を吐く。
――面白ぇな。
この教官。
ただ怒鳴ってる訳じゃない。
言葉で揺さぶっている。
試している。
何が残るか。
何が折れるか。
それを見ている。
「貴様は何者だ!!」
「コニー・スプリンガー!! ウォール・ローゼ南区ラガコ村出身です!!」
坊主頭の男が声を張る。
妙に元気だった。
というより、勢いだけで立っている感じに近い。
キースがその頭を両手で掴む。
「逆だコニー・スプリンガー!!」
「がっ……!?」
そのまま持ち上げた。
周囲の新兵達が息を呑む。
「最初に教えたはずだ!! この敬礼は!! 公に心臓を捧げる決意を示すものだと!!」
ギリギリと指が食い込む。
コニーの顔が歪む。
「貴様の心臓は右にあるのか!!」
「が……ぁ……!!」
アスカは少しだけ眉を寄せた。
容赦が無い。
だが。
地下街ならもっと酷かった。
目玉くらい簡単に潰される。
だからこの程度では、まだ甘いとすら思ってしまう。
「……」
その時だった。
キースの動きが止まる。
いや。
正確には、“何か”を見た。
視線がゆっくり横へ動く。
つられて周囲の新兵達も視線を向ける。
「……オイ貴様」
静かな声だった。
さっきまでの怒号とは違う。
逆に怖い。
コニーを放り捨てるように離し、キースが歩く。
その先。
茶髪の女がいた。
妙に丸い頬。
ぼんやりした目。
そして。
口が動いていた。
「…………」
空気が止まる。
女はまだ食べていた。
状況を理解していないのか、芋を咀嚼し続けている。
アスカは思わず目を細めた。
――嘘だろコイツ。
「貴様だ!! 何をしている!!」
キースの怒声。
ようやく女が顔を上げる。
だが口はまだ動いていた。
慌てて飲み込む。
ゴクン、と妙に大きな音が響いた。
「ウォール・ローゼ南区ダウパー村出身!! サシャ・ブラウスです!!」
「サシャ・ブラウス!!」
キースの額に青筋が浮く。
「貴様が持っているものは何だ!!」
「蒸かした芋です!!」
堂々としていた。
いや。
何故そこだけ堂々としているのか。
「調理場にちょうど良い感じの物があったので!! つい!!」
「つい、だと?」
空気が凍る。
誰も呼吸をしていないみたいだった。
だがサシャだけは違う。
本気で不思議そうな顔をしている。
「何故今食べた」
「冷めると美味しくないので」
即答だった。
アスカの口元が少し引き攣る。
ユミルが隣で肩を震わせていた。
笑いを堪えている。
「……いや、分からんな」
キースの声が低くなる。
「何故芋を食べた」
「……?」
サシャが首を傾げる。
「それは、“何故人は芋を食べるのか”という話でしょうか?」
沈黙。
完全な沈黙だった。
アスカは思った。
――コイツ本物だ。
頭がおかしい。
だが。
嫌いじゃなかった。
その時。
サシャが芋を割った。
パキッ、と音が鳴る。
だが綺麗には割れない。
八対二くらいだった。
サシャは少し悩む。
そして。
小さい方を差し出した。
「半分、どうぞ」
「……半分?」
明らかに違う。
だがサシャ本人は本気だった。
口元には芋の欠片。
愛想笑いだけが妙に下手だった。
「…………」
キースが固まる。
周囲も固まる。
そして。
「日が暮れるまで走っていろ!!」
「えぇぇぇぇ!?」
絶叫。
周囲から笑いが漏れた。
緊張が崩れる。
張り詰めていた空気が、一気に弛緩した。
「芋女だ……」
誰かが呟く。
その瞬間。
サシャ・ブラウスのあだ名が決定した。
アスカは小さく息を吐く。
そして。
少しだけ口元が緩んでいた。
――地上ってのは、面白ぇな。
地下街にはいなかった。
こんな馬鹿は。
☆☆☆
兵舎へ荷物を置き終えた頃には、空は少し赤く染まり始めていた。
夕陽。
地下街では見る事の出来なかった色だ。
アスカは兵舎の窓から差し込む橙色の光をぼんやり眺める。
薄汚れた木造の部屋。
並べられた簡素な寝台。
硬い床。
決して良い環境じゃない。
だが。
地下街より遥かにマシだった。
「おいアスカ」
ユミルが廊下に出たアスカに声をかける。
「飯行くぞ」
「腹減ってねぇ」
「私は減った」
「知ってる」
即答だった。
食える時に食う。
地下街では、それが正解だった。
明日食える保証なんて無いからだ。
ユミルは食い物への執着が妙に強い。
「置いてくぞ」
「分かったよ」
アスカは立ち上がる。
兵舎を出る。
夕方の風が少し冷たかった。
訓練兵達が食堂へ向かって歩いている。
騒がしい。
笑い声。
怒鳴り声。
知らない土地へ来たはずなのに、不思議と孤独感は薄かった。
食堂へ入った瞬間、熱気が押し寄せる。
パンの匂い。
スープの湯気。
人の声。
地下街では有り得ない量の食事だった。
「……」
アスカは少しだけ目を細める。
これが毎日出るのか。
正直、驚いていた。
「パンとスープ、毎日食えるとはな」
席へ座りながら呟く。
「感謝しろよ」
ユミルがスープを啜る。
「お前の育ちの悪さだと、泣いて喜ぶレベルだろ」
「誰のせいだよ」
「地下街」
「ざっくりしてんな」
パンを千切る。
柔らかかった。
地下街で食っていた固い黒パンとは違う。
少し押しただけで形が変わる。
それだけで妙に新鮮だった。
「……」
周囲では既に新兵達が騒いでいた。
「お前どこ出身だよ!」
「ラガコ村!」
「聞いたことねぇ!」
「田舎だからな!」
笑い声。
どこか浮ついた空気。
まだ誰も、“兵士”って感じじゃない。
ただのガキだ。
「……」
アスカは周囲を眺める。
その時だった。
ふと、ユミルが全く食事へ集中していない事に気付く。
「おい」
「あ?」
「どこ見てんだ」
ユミルは返事をしない。
視線だけを向けている。
その先。
金髪の少女がいた。
小柄。
整った顔立ち。
柔らかい雰囲気。
周囲の空気だけ少し違う。
まるでそこだけ陽だまりみたいだった。
「……」
アスカは少し目を細める。
すると。
少女がこっそりパンを懐へ隠した。
「?」
そのまま周囲を見渡し、席を立つ。
ユミルも同時に立ち上がった。
「行くぞ」
「は?」
「早くしろ」
「……お前アレか」
アスカは呆れた顔をする。
「会いたい奴って」
「うるさい」
珍しく少しだけ機嫌が悪そうだった。
アスカは小さく笑う。
地下街時代なら絶対見れなかった顔だ。
「待てよ」
食器を片付け、後を追う。
食堂裏。
少し暗い場所だった。
少女はそこにいた。
そして。
その膝の上には、“芋女”が転がっていた。
「…………」
アスカは数秒黙る。
「何これ」
「えっ」
少女が振り返る。
「この子、お腹空いてたみたいだから……」
サシャは完全に寝ていた。
口元にパン屑を付けたまま。
幸せそうだった。
「……すげぇなコイツ」
「褒めてねぇよな?」
「多分な」
ユミルが呆れたように息を吐く。
「アスカ。運ぶぞ」
「なんで俺」
「力あるだろ」
「雑だな理由が」
言いながらも、アスカはサシャを持ち上げる。
「んぐ……」
呻き声。
だが起きない。
重い。
いや、正確には柔らかい。
地下街では感じた事の無い感触だった。
「女子寮どこだ」
「こっち!」
金髪の少女が先導する。
小走りだった。
アスカはその後ろ姿を見る。
綺麗な金髪。
小さい背中。
そして。
妙に人懐っこい空気。
地下街にはいなかったタイプだ。
「お前、名前は?」
アスカが聞く。
少女が振り返る。
「あっ、私? 私はクリスタ・レンズ!」
笑顔だった。
作った笑顔じゃない。
本当に自然な笑顔。
「よろしくね、二人とも!」
その瞬間。
隣でユミルが妙に静かになった。
アスカは横目で見る。
「……」
分かりやすかった。
地下街時代なら絶対見せない顔をしている。
「……お前」
「うるさい」
即答だった。
アスカは少しだけ笑う。
――面白ぇ。
本当に。
地上へ来てから、退屈しない。
クリスタとうじょーう