地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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少なくとも

 

 

 

 

 

 閃光。

 

 轟音。

 

 爆発と共に熱風が吹き荒れる。

 

 石畳が捲れ上がり、周囲の建物の窓硝子が砕け散った。

 

 吹き飛ばされた兵士達が地面を転がる。

 

 アスカは腕で顔を庇いながら、爆煙の向こうを睨み続けた。

 

 肉が膨張する音。

 

 骨が軋む音。

 

 筋繊維が編み上がる不快な音。

 

 煙の中で巨大な影が立ち上がる。

 

 十五メートル級。

 

 金色の髪。

 

 青い瞳。

 

 女型の巨人。

 

「……ッ」

 

 胸の奥が軋む。

 

 数分前まで言葉を交わしていた女。

 

 訓練兵団で組み手をしていた同期。

 

 その面影が、巨人の顔に残っている。

 

 だが感情を飲み込む。

 

 押し殺す。

 

 噛み砕く。

 

 今は兵士として立つしかない。

 

 女型は周囲を見回した。

 

 崩れた地下通路。

 

 散開する兵士。

 

 逃げる市民。

 

 そして。

 

 地下へ続く入口。

 

 エレン達が逃げた方向。

 

「待て!!」

 

 アスカが叫ぶ。

 

 女型は止まらない。

 

 巨体を沈める。

 

 次の瞬間、石畳を砕きながら加速した。

 

 速い。

 

 巨人とは思えない踏み込み。

 

 だがアスカは気付く。

 

 視線。

 

 重心。

 

 踏み込み角度。

 

 全部が。

 

 地下通路そのものを踏み抜く動きだった。

 

「おい、マジかよ……!!」

 

 地下にはエレンがいる。

 

 ミカサも。

 

 アルミンも。

 

 それでも構わない。

 

 エレンが死ぬ可能性ごと踏み潰すつもりだ。

 

 いや。

 

 違う。

 

 死なない可能性へ賭けている。

 

 エレンなら生き残る。

 

 そう判断している。

 

 合理的だ。

 

 そして最悪だ。

 

「そこまでするかよ!!」

 

 女型の脚が振り上がる。

 

 アスカは反射的にガスを解放した。

 

 腰が跳ねる。

 

 圧縮ガスが脊髄を殴るような加速。

 

 ワイヤー射出。

 

 左は鐘楼。

 

 右は三階建ての民家。

 

 両側へアンカーを打ち込み、一気に身体を引き絞る。

 

 空中で軌道変更。

 

 女型の膝裏へ潜り込む。

 

「こっち見ろォ!!」

 

 刃が閃く。

 

 肉を裂く感触。

 

 高熱の肉塊へ鋼がめり込む。

 

 アキレス腱。

 

 筋繊維を断ち切る。

 

 女型の脚が崩れた。

 

 踏み込みが逸れる。

 

 巨大な足が地下通路入口の脇へ叩き付けられた。

 

 轟音。

 

 建物が半壊する。

 

 石片が吹き飛ぶ。

 

 地下通路は辛うじて無事だった。

 

 アスカは壁面へワイヤーを打ち込み、反動で後方へ跳ぶ。

 

 女型が振り返る。

 

 青い瞳。

 

 視線が噛み合う。

 

 空気が変わった。

 

 今、この場で最も邪魔な存在。

 

 それがアスカになった。

 

 アスカは刃を構える。

 

 胸の奥はぐちゃぐちゃだった。

 

 怒り。

 

 悲しみ。

 

 聞きたいことは山ほどある。

 

 叫びたいことだってある。

 

 だが。

 

 今は全部押し殺す。

 

 噛み殺す。

 

「……来いよ」

 

 女型が踏み込む。

 

 爆発みたいな加速だった。

 

 拳。

 

 空気が歪む。

 

 アスカはワイヤーを切り離した。

 

 自由落下。

 

 拳が頭上を通過し、背後の建物を粉砕する。

 

 破片が雨みたいに降り注ぐ。

 

 アスカは落下中に再度アンカー射出。

 

 女型の前腕へ突き刺す。

 

 巻き取り。

 

 一気に接近。

 

 女型の肘が動く。

 

 読んでいた。

 

 アスカは女型の腕を蹴る。

 

 その反動を利用して更に加速。

 

 首筋へ回り込む。

 

 斬撃。

 

 だが。

 

 金属音。

 

「チッ……!」

 

 首筋が硬質化していた。

 

 刃が半ばから折れる。

 

 直後。

 

 女型の裏拳。

 

 アスカは腰を捻って回避するが、爆風だけで身体が流される。

 

 壁へ激突しかける。

 

 ワイヤー射出。

 

 煙突へ固定。

 

 身体を半回転。

 

 勢いを殺しながら屋根へ着地。

 

 女型は止まらない。

 

 追撃。

 

 脚を大きく振り抜く。

 

 回し蹴り。

 

「その入り……!」

 

 知っている。

 

 訓練兵団。

 

 何度も組み手をした。

 

 アニ特有の癖。

 

 踏み込みで右肩が僅かに落ちる。

 

 腰を捻る前に軸足が流れる。

 

 読める。

 

 読めてしまう。

 

 アスカは屋根を蹴った。

 

 爆発的加速。

 

 蹴りが鼻先を掠める。

 

 そのまま女型の脚へアンカーを撃ち込み、身体を振り回す。

 

 遠心力。

 

 加速。

 

 空中で刃を持ち替える。

 

 斬撃。

 

 膝裏。

 

 筋肉が裂ける。

 

 蒸気と血飛沫が噴き出した。

 

 女型が僅かに体勢を崩す。

 

 アスカはそのまま女型の肩を蹴り、頭上へ飛び上がる。

 

 ガス噴射。

 

 空中姿勢制御。

 

 再度首筋へ。

 

 だが女型も読んでいた。

 

 掌。

 

 巨大な手が握り潰すように迫る。

 

 アスカはワイヤーを切断。

 

 真下へ落ちる。

 

 直後、空中で握り潰された瓦礫が爆散した。

 

「っ……!」

 

 頬が裂ける。

 

 血が飛ぶ。

 

 それでも止まらない。

 

 地面へ着地する寸前、壁へアンカーを打ち込み横方向へ滑る。

 

 女型の拳が地面を砕いた。

 

 石畳が跳ね上がる。

 

 アスカはその瓦礫を踏み台にして再加速した。

 

 市街地を飛ぶ。

 

 屋根。

 

 煙突。

 

 看板。

 

 窓枠。

 

 全部を足場に変える。

 

 地下街で生き延びるために叩き込んだ機動。

 

 女型が追う。

 

 地鳴りみたいな足音。

 

 建物を掠めるたびに瓦礫が降る。

 

 それでも視線はアスカだけを追っていた。

 

『一次作戦が失敗した場合、二次作戦でエレンが巨人化するまでの時間稼ぎは、俺にやらせてください』

 

 脳裏に蘇る。

 

 数日前。

 

 旧本部。

 

 エルヴィンへ向けた言葉。

 

『……危険なのは分かっているだろう。なぜだ?』

 

『もう、余計な犠牲を出したくないんです』

 

 リヴァイ班の死体。

 

 骸を積んだ荷車。

 

 泣き叫ぶ市民。

 

 全部覚えている。

 

『君がその“余計な犠牲”になる可能性もあるだろう』

 

『俺の周囲に兵士を待機させておいてください』

 

 女型の拳。

 

 アスカは空中で身体を折り曲げる。

 

 紙一重。

 

 風圧で呼吸が詰まる。

 

『絶対に抑えてみせます。もしエレンが巨人化せず、三次作戦へ移行すると俺が判断した場合、そこにも俺一人で誘導します』

 

『……無謀だな』

 

 エルヴィンの目は鋭かった。

 

『死ぬかもしれんぞ。何も残せずに』

 

 アスカは視線を逸らさなかった。

 

『お得意の賭けですよ』

 

 女型の脚が振り下ろされる。

 

 アスカはワイヤーを巻き取った。

 

 身体が弾丸みたいに跳ねる。

 

 脚が背後の建物を叩き潰した。

 

『……いいだろう』

 

 エルヴィンは静かに息を吐く。

 

『ただし、君への援軍の判断は周囲の兵士に任せる。君はもう調査兵団の戦力の一部だ。死なせる訳にはいかないからな』

 

『ありがとうございます』

 

 回想が途切れる。

 

 アスカは女型の視界へ飛び込んだ。

 

「まだ終わってねぇぞ、アニ!!」

 

 女型の拳が振り抜かれる。

 

 空気が爆ぜる。

 

 アスカはワイヤーを切り離した。

 

 自由落下。

 

 拳が頭上を通過し、鐘楼を粉砕する。

 

 瓦礫が降り注ぐ。

 

 アスカは落下しながら両腕を振るった。

 

 アンカー射出。

 

 左右の建物へ突き刺さる。

 

 巻き取り。

 

 身体が一気に引き絞られる。

 

 地面スレスレを滑空。

 

 女型の脚元へ潜り込む。

 

「ッラァ!!」

 

 斬撃。

 

 脛の筋肉を深く裂く。

 

 蒸気が噴き出した。

 

 女型が脚を引く。

 

 その瞬間。

 

 アスカは女型の腿へアンカーを撃ち込んだ。

 

 巻き取りながら一気に上昇。

 

 肩。

 

 首。

 

 うなじ。

 

 一直線。

 

 だが。

 

 女型の腕が動く。

 

 横薙ぎ。

 

「チッ!」

 

 アスカは咄嗟にワイヤーを切断した。

 

 爆風。

 

 身体が吹き飛ぶ。

 

 屋根へ叩き付けられる。

 

 瓦が砕け散った。

 

「っ……!」

 

 肺が軋む。

 

 呼吸が乱れる。

 

 だが止まれない。

 

 女型はもう次の動きへ移っていた。

 

 視線。

 

 方向。

 

 地下通路。

 

「まだ諦めてねぇのかよ!!」

 

 アスカは屋根を蹴る。

 

 ガス噴射。

 

 爆発的加速。

 

 女型の顔面へ真正面から飛び込む。

 

 視界を塞ぐように。

 

 邪魔をするように。

 

「こっち見ろ!!」

 

 女型の目がアスカを捉える。

 

 拳。

 

 来る。

 

 アスカは敢えて回避を遅らせた。

 

 ギリギリまで引き付ける。

 

 拳が迫る。

 

 皮膚が軋む。

 

 そして。

 

 寸前。

 

 ワイヤー巻き取り。

 

 身体が急上昇。

 

 拳が下を通過する。

 

 その勢いのままアスカは女型の腕へ着地した。

 

 熱い。

 

 蒸気。

 

 筋肉の脈動。

 

 肉の上を走る。

 

 女型が腕を振るう。

 

 だが遅い。

 

 アスカは肩を蹴った。

 

 跳躍。

 

 うなじへ。

 

「硬質化──!」

 

 読んでいた。

 

 女型の首筋が結晶化するより一瞬早く。

 

 アスカは刃を滑らせる。

 

 完全には届かない。

 

 だが浅く裂けた。

 

 肉が抉れる。

 

 女型の動きが止まる。

 

「ッ……!」

 

 女型の瞳が揺れる。

 

 アスカは距離を取った。

 

 息が荒い。

 

 ガス残量も減っている。

 

 刃も欠け始めていた。

 

 それでも。

 

 まだ終われない。

 

「まだ巨人化しねぇのかよ……エレン!!」

 

 思わず叫ぶ。

 

 地下通路。

 

 あの下で。

 

 エレンはまだ戦えていない。

 

 分かっている。

 

 簡単じゃないことくらい。

 

 相手はアニだ。

 

 同期だ。

 

 仲間だった相手だ。

 

 だが。

 

「早くしろ……!!」

 

 女型が踏み込む。

 

 地面が砕ける。

 

 アスカは空中へ飛んだ。

 

 高速旋回。

 

 建物の壁面を蹴る。

 

 煙突を掴み、勢いを殺さず再加速。

 

 視界が流れる。

 

 女型が追ってくる。

 

 拳。

 

 蹴り。

 

 掴み。

 

 全部が速い。

 

 全部が致命傷。

 

 だが。

 

 アスカは知っている。

 

 組み手。

 

 癖。

 

 呼吸。

 

 重心移動。

 

 全部。

 

「その踏み込み……!」

 

 女型の蹴り。

 

 アスカは身体を捻る。

 

 鼻先を掠める。

 

 そのまま女型の膝裏へ斬撃。

 

 筋肉が裂ける。

 

 女型がバランスを崩した。

 

 アスカは即座にワイヤーを打ち込む。

 

 両肩。

 

 建物固定。

 

 巻き取り。

 

 女型の身体が強引に引っ張られる。

 

 その隙に。

 

 屋根の上へ降り立つ。

 

 息を整える暇も無い。

 

 女型はもう立て直していた。

 

 蒸気が上がる。

 

 傷が塞がる。

 

「クソが……」

 

 アスカは折れかけた刃を握り直す。

 

 胸の奥が熱い。

 

 怒りなのか。

 

 焦りなのか。

 

 自分でも分からない。

 

 ただ。

 

 止めなければならない。

 

 もう二度と。

 

 仲間を死なせないために。

 

 女型が再び動く。

 

 その瞬間。

 

 遠く。

 

 屋根の向こう。

 

 無数のワイヤーが空を走った。

 

 調査兵団本隊。

 

 ハンジ班。

 

 ケイジ班。

 

 ようやく到着した。

 

 アスカは小さく息を吐く。

 

「……遅ぇっすよ」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 無数のワイヤーが空を裂く。

 

 調査兵団本隊。

 

 屋根という屋根へ兵士達が展開していく。

 

「包囲しろ!!」

 

「市民を避難させろ!!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 女型は止まらない。

 

 青い瞳が周囲を走る。

 

 兵士の配置。

 

 建物の構造。

 

 退路。

 

 全部見ている。

 

 アスカは屋根を蹴った。

 

 真正面から女型の視界へ飛び込む。

 

 刃を振るう。

 

 女型の拳が来る。

 

 アスカは回避を遅らせた。

 

 限界ギリギリまで引き付ける。

 

 拳が迫る。

 

 風圧で皮膚が軋む。

 

 その瞬間。

 

 ワイヤー巻き取り。

 

 身体が横方向へ弾け飛ぶ。

 

 拳が建物ごと空間を抉った。

 

 瓦礫が吹き飛ぶ。

 

 アスカは破片を踏み台にして加速する。

 

 呼吸が荒い。

 

 ガス残量も少ない。

 

 刃も半ばから欠けていた。

 

 だが減速しない。

 

 いや。

 

 減速出来ないように見せる。

 

 女型が追う。

 

 視線は完全にアスカへ向いていた。

 

 アスカは振り返らない。

 

 ただ逃げるように。

 

 ただ戦っているように。

 

 自然に進路だけを変えていく。

 

 西側。

 

 あと少し。

 

 女型の脚が振り抜かれる。

 

 回し蹴り。

 

「ッ……!」

 

 アスカは空中で身体を捻った。

 

 鼻先を蹴りが通過する。

 

 だが避け切れない。

 

 風圧だけで身体が吹き飛ぶ。

 

 屋根を転がる。

 

 瓦が砕け散った。

 

「っ……!!」

 

 女型が止まらない。

 

 追撃。

 

 拳。

 

 アスカは瓦礫を蹴った。

 

 低空機動。

 

 地面スレスレを滑空する。

 

 拳が背後の建物を粉砕した。

 

 石材が雨みたいに降る。

 

 アスカはその隙間を縫う。

 

 壁へアンカー。

 

 巻き取り。

 

 急旋回。

 

 女型の脚部へ飛び込む。

 

「ラァッ!!」

 

 斬撃。

 

 脛の筋肉を深く裂く。

 

 肉が断ち切れる感触。

 

 熱い蒸気。

 

 血飛沫。

 

 女型が体勢を崩した。

 

 だが即座に立て直す。

 

 再生が始まっている。

 

「クソが……」

 

 アスカは息を吐く。

 

 視界の端。

 

 西通り。

 

 建物の陰。

 

 ハンジ班の拘束索が配置完了していた。

 

 だが視線は向けない。

 

 何も気付いていない振りをする。

 

 女型に悟らせないために。

 

 屋根上。

 

 一瞬だけ。

 

 ハンジと目が合った。

 

 それだけで十分だった。

 

 アスカは再び加速する。

 

 わざと開けた通りへ飛び込む。

 

 狭い路地ではない。

 

 広い通路。

 

 女型も迷わずそちらを選ぶ。

 

 狭所では動きが制限される。

 

 アニなら広い場所を選ぶ。

 

 アスカはそれを知っていた。

 

 女型が踏み込む。

 

 石畳が砕ける。

 

 拳が振り上げられた。

 

 狙いはアスカ。

 

 完全に意識が向いている。

 

 その瞬間。

 

「今だァ!!」

 

 轟音。

 

 地面が爆ぜた。

 

 女型の目が僅かに見開かれる。

 

 直後。

 

 四方から巨大な拘束索が射出された。

 

 槍ではない。

 

 鋼線が女型の全身へ絡み付く。

 

 腕。

 

 脚。

 

 胴体。

 

 一気に締め上げる。

 

 女型の動きが止まった。

 

「第二射!!」

 

 杭付きワイヤー。

 

 無数の杭が周囲の建物へ突き刺さる。

 

 巨体が強引に固定される。

 

 更に上空。

 

 巨大な鋼鉄製の網が落下した。

 

 杭が肉へ食い込み、女型を地面へ縫い止める。

 

 轟音。

 

 石畳が陥没した。

 

「捕らえた!!」

 

 兵士達の声が上がる。

 

 アスカは屋根を蹴った。

 

 女型へ一直線に飛び込む。

 

 加速。

 

 回転。

 

 うなじへ斬撃を放つ。

 

 だが。

 

 金属音。

 

 首筋が硬質化していた。

 

「チッ!!」

 

 刃が折れる。

 

 破片が飛んだ。

 

 アスカは女型の目の前へ着地する。

 

 蒸気が吹き付ける。

 

 熱い。

 

 それでも目を逸らさない。

 

「……アニ」

 

 女型もアスカを見ていた。

 

 青い瞳が揺れている。

 

 アスカは折れた刃を投げ捨てた。

 

「それ、解けよ。汚ぇ肉ん中から出してやるから」

 

 女型は答えない。

 

 ただアスカを見下ろしていた。

 

「よーし」

 

 ハンジが縄をくるくる回しながら前へ出る。

 

「三次作戦なんて出番はないと思ってたけど、さすがはエルヴィンってとこかな」

 

 建物の上から飛び降りる。

 

 アスカは少し横へ退いた。

 

 ハンジは女型の眼前へ立つ。

 

「いい子だから、大人しくするんだ」

 

 刃を抜く。

 

 切先をゆっくり女型の目へ近付ける。

 

 女型の瞳孔が僅かに狭まった。

 

「ここじゃこの前みたいに、お前を食い尽くす巨人も呼べない。でも大丈夫。代わりに私が食ってあげるよ。お前からほじくり返した情報をね」

 

 ハンジの目は笑っていなかった。

 

 狂気じみた光だけが宿っている。

 

 その瞬間。

 

 女型の腕が動く。

 

 うなじを守っていた硬質化した腕。

 

 それが拘束索ごと周囲を薙ぎ払った。

 

「ッ!?」

 

 鋼線が千切れる。

 

 杭が砕ける。

 

 兵士達が吹き飛ばされた。

 

 アスカは咄嗟に後方へ跳ぶ。

 

 熱風が頬を叩く。

 

「チッ……!」

 

 女型が立ち上がる。

 

 網を引き千切りながら。

 

 蒸気が噴き出す。

 

「さすがに罠の数が足りなかったか」

 

 ハンジが舌打ち混じりに笑う。

 

「逃がすな!! 追え!!」

 

 ケイジの怒号。

 

 同時。

 

 女型が壁方向へ駆け出した。

 

 アスカは即座にガスを吹かす。

 

 屋根へ跳ぶ。

 

 兵士達も一斉に展開する。

 

「まだ巨人化しねぇのかよ、エレン……!!」

 

 思わず漏れる。

 

 地下通路。

 

 あの下で、エレンはまだ戦えていない。

 

 だが待つしかない。

 

 今は。

 

 自分達が止めるしかなかった。

 

 女型の巨体がストヘス区を駆け抜ける。

 

 地鳴りみたいな足音。

 

 石畳が砕け、建物が揺れる。

 

 屋根上を飛ぶ調査兵達が一斉に展開した。

 

「右から回れ!!」

 

「脚を狙え!!」

 

 ワイヤーが空を裂く。

 

 女型の両脚へ次々とアンカーが突き刺さった。

 

 だが。

 

 女型は止まらない。

 

 脚を振るう。

 

 兵士が二人まとめて吹き飛ばされた。

 

「ッ──!!」

 

 壁へ激突。

 

 血が散る。

 

 アスカは舌打ちした。

 

「散開しろ!! 密集すんな!!」

 

 怒鳴る。

 

 同時にガス噴射。

 

 女型の横顔へ飛び込む。

 

 拳が来る。

 

 速い。

 

 アスカは空中でワイヤーを切った。

 

 自由落下。

 

 拳が頭上を通過する。

 

 そのまま女型の肩へアンカー射出。

 

 巻き取り。

 

 一気に接近。

 

 斬撃。

 

 肩口の筋肉が裂ける。

 

 蒸気が吹き出した。

 

 女型が即座に反転する。

 

 掌。

 

 握り潰すように迫る。

 

「チッ……!」

 

 アスカは女型の腕を蹴った。

 

 その反動で加速。

 

 視界が流れる。

 

 女型の背後へ回り込む。

 

 だが。

 

 女型は追わない。

 

 真っ直ぐ前だけを見る。

 

 壁。

 

 ウォール・シーナ。

 

 そこだけを。

 

「……ッ」

 

 アスカの顔が歪む。

 

 嫌な予感。

 

 女型は逃げに入っている。

 

 ここから先は。

 

 捕獲より早く壁へ到達される可能性が高い。

 

「ケイジさん!!」

 

 屋根を蹴りながら叫ぶ。

 

「このままじゃ抜けられる!!」

 

「分かってる!!」

 

 ケイジも歯噛みする。

 

「だが止めるしかねぇ!!」

 

 兵士達が再度突撃する。

 

 ワイヤー。

 

 斬撃。

 

 だが女型はもう最低限しか相手にしていない。

 

 避ける。

 

 払い落とす。

 

 最短距離で壁を目指している。

 

「クソッ……!」

 

 アスカは加速した。

 

 煙突を蹴る。

 

 屋根を滑る。

 

 壁面へアンカー。

 

 巻き取り。

 

 女型の正面へ飛び出す。

 

「止まれアニ!!」

 

 女型の目がアスカを捉える。

 

 一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 速度が鈍る。

 

 だが。

 

 次の瞬間には拳が飛んできた。

 

「ッ!!」

 

 重い。

 

 今までで一番重い。

 

 殺す気ではない。

 

 邪魔を排除する一撃。

 

 アスカは回避し切れないと判断した。

 

 ワイヤーを交差。

 

 両側の建物へ固定。

 

 身体を強引に引く。

 

 拳が掠める。

 

 風圧だけで吹き飛ばされた。

 

「がっ……!」

 

 屋根へ激突。

 

 瓦が砕ける。

 

 呼吸が詰まる。

 

 女型は止まらない。

 

 もう壁まで距離が無い。

 

「まだかよ……!!」

 

 思わず叫ぶ。

 

「エレン!!」

 

 地下通路。

 

 あの下で。

 

 まだ巨人化していない。

 

 アスカは奥歯を噛み締めた。

 

 女型が跳ぶ。

 

 巨体とは思えない跳躍。

 

 建物を踏み潰しながら、一気に距離を詰める。

 

 壁へ。

 

 その瞬間。

 

 別方向から飛来したワイヤーが女型の顔面へ突き刺さった。

 

「なっ──」

 

 女型の顔が僅かに逸れる。

 

 その隙。

 

 黒髪の少女が屋根を駆け抜けた。

 

 ミカサだった。

 

「アスカ!!」

 

 ミカサが叫ぶ。

 

「エレンが……!」

 

 その言葉を最後まで聞く前に。

 

 ストヘス区全体を揺らす轟音が響いた。

 

 熱風。

 

 爆発。

 

 蒸気。

 

 建物の向こう側。

 

 巨大な骨格が立ち上がる。

 

 進撃の巨人。

 

 エレンだった。

 

 アスカは息を吐く。

 

 張り詰めていた何かが、少しだけ緩む。

 

「……遅ぇよ、バカ野郎」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 エレンの巨人が咆哮を上げる。

 

 熱気が街を震わせた。

 

 女型も構える。

 

 両者が向き合う。

 

 一瞬だけ静寂。

 

 次の瞬間。

 

 エレンの巨人が地面を砕きながら突っ込んだ。

 

 速い。

 

 今までとは比べ物にならない踏み込み。

 

 拳。

 

 真正面。

 

 迷いの無い一撃。

 

 女型は半歩引いた。

 

 拳を受け流す。

 

 そのまま肘打ち。

 

 エレンの巨人の顔面へ直撃する。

 

 轟音。

 

 巨体が揺れる。

 

 だが止まらない。

 

 エレンの巨人は女型へ掴み掛かった。

 

 組み合い。

 

 地面が陥没する。

 

 女型が膝蹴りを叩き込む。

 

 巨人の腹部へ深く入る。

 

 エレンの巨人がよろめく。

 

 そこへ回し蹴り。

 

 轟音。

 

 エレンの巨人の身体が建物へ叩き込まれた。

 

 瓦礫が吹き飛ぶ。

 

 女型は止まらない。

 

 即座に距離を詰める。

 

 拳。

 

 蹴り。

 

 肘。

 

 流れるような連撃。

 

 対人格闘術。

 

 訓練兵時代、何度も見た動きだった。

 

 アスカは歯を食い縛る。

 

 知っている。

 

 アニは強い。

 

 対人格闘なら、自分とアニが訓練兵団で頭一つ抜けていた。

 

 エレンはそこへ届いていない。

 

 女型の拳が巨人の頬へめり込む。

 

 骨が軋む。

 

 蹴りが膝を砕く。

 

 エレンの巨人が体勢を崩した。

 

「マズい……!」

 

 アルミンが息を呑む。

 

 女型が上を取る。

 

 拳を振り上げた。

 

 止め。

 

 その瞬間。

 

 エレンの巨人の目が見開かれる。

 

 熱。

 

 蒸気。

 

 赤い筋が全身を走った。

 

 女型が異変に気付く。

 

 だが遅い。

 

 エレンの巨人が女型の顔面へ頭突きを叩き込んだ。

 

 轟音。

 

 女型の身体が仰け反る。

 

 エレンの巨人が立ち上がる。

 

 蒸気が噴き出していた。

 

 異常な熱量。

 

 筋肉が軋む。

 

 肉が焼けるみたいな音が響く。

 

 その目にはもう理性が無かった。

 

「……なんだ、アレ」

 

 兵士が呟く。

 

 エレンの巨人が咆哮を上げる。

 

 次の瞬間。

 

 女型へ飛び掛かった。

 

 速い。

 

 今までとは別物だった。

 

 拳。

 

 拳。

 

 拳。

 

 女型が防御する。

 

 だが構わず殴る。

 

 肉が裂ける。

 

 骨が砕ける。

 

 建物が崩壊する。

 

 もう戦い方じゃない。

 

 獣みたいだった。

 

 女型が蹴り飛ばす。

 

 エレンの巨人は転がる。

 

 石畳を砕きながら滑る。

 

 それでも即座に立ち上がる。

 

 止まらない。

 

 咆哮を上げながら再び突っ込む。

 

 女型が押され始める。

 

 腕を砕かれる。

 

 顔面を掴まれる。

 

 地面へ叩き付けられる。

 

 轟音。

 

 ストヘス区全体が揺れた。

 

「エレンの奴……!」

 

 ジャンが息を呑む。

 

「制御出来てねぇぞ……!」

 

 ミカサも目を見開いていた。

 

 あれはもう戦闘じゃない。

 

 暴走。

 

 怒りと憎悪だけで動いている。

 

 エレンの巨人が女型へ馬乗りになる。

 

 拳を振り下ろす。

 

 一撃ごとに石畳が陥没した。

 

 女型の顔面が砕ける。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 それでも。

 

 女型は止まらなかった。

 

 硬質化。

 

 指先が結晶化する。

 

 女型はエレンの巨人を蹴り飛ばした。

 

 その勢いのまま壁へ向かう。

 

 硬質化した指がウォール・シーナへ突き刺さった。

 

 石を砕きながら登る。

 

「逃がすな!!」

 

 ケイジの怒号。

 

 兵士達が飛ぶ。

 

 だが届かない。

 

 エレンの巨人が壁へ飛び付く。

 

 しかし距離が足りない。

 

 女型は登る。

 

 少しずつ。

 

 少しずつ。

 

 硬質化した指が壁を抉る。

 

 石片が降り注ぐ。

 

 その時だった。

 

 屋根を蹴る音。

 

 アスカだった。

 

 残り少ないガスを強引に吹かす。

 

 加速。

 

 一直線。

 

 女型の腕へ飛び込む。

 

 刃が閃いた。

 

 火花。

 

 硬質化した指が宙を舞う。

 

 女型の身体が傾く。

 

 壁から剥がれる。

 

 アスカはそのまま女型の額へ着地した。

 

 青い瞳と目が合う。

 

 互いに無言だった。

 

 もう言葉を交わす段階は過ぎている。

 

 アスカは静かに口を開く。

 

「……終わりだ」

 

 次の瞬間。

 

 女型が壁から落下した。

 

 轟音。

 

 地面が砕ける。

 

 エレンの巨人が落下地点へ飛び込む。

 

 女型へ馬乗りになる。

 

 拳。

 

 拳。

 

 拳。

 

 女型が腕で防ぐ。

 

 だが止まらない。

 

 そのままうなじへ噛み付いた。

 

 牙が肉へ食い込む。

 

 強引に引き剥がそうとする。

 

 肉が裂ける。

 

 蒸気。

 

 血飛沫。

 

 女型のうなじが砕ける。

 

 エレンの巨人は止まらない。

 

 まるで獲物を喰らう獣みたいに、女型の肉へ牙を立て続ける。

 

「大事な証人を食うんじゃねぇよ……馬鹿野郎!」

 

 リヴァイだった。

 

 超高速で接近。

 

 斬撃。

 

 エレンの巨人の口元を切り裂く。

 

 牙が離れる。

 

 リヴァイはそのままエレンを強引に引き剥がした。

 

 エレンの巨人が暴れる。

 

 だが身体は崩れ始めていた。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 巨体が崩壊していく。

 

 戦闘が終わる。

 

 女型のうなじが裂ける。

 

 そこからアニの身体が現れた。

 

 だが。

 

 透明な結晶が、下半身から形成され始める。

 

「待て……!!」

 

 アスカが飛ぶ。

 

 ガスはもう限界だった。

 

 それでも加速する。

 

 刃を振るう。

 

 硬質化した外殻へ叩き付ける。

 

 火花。

 

 浅い。

 

 砕けない。

 

「クソッ……!!」

 

 もう一度。

 

 更に振るう。

 

 だが間に合わない。

 

 結晶はどんどんアニを覆っていく。

 

 脚。

 

 腹部。

 

 胸。

 

 閉ざされていく。

 

 それでもまだ。

 

 首から上だけは露出していた。

 

 アスカは結晶へ刃を押し当てたまま息を荒げる。

 

「……何でだよ」

 

 アニは静かにアスカを見た。

 

 その目が揺れる。

 

「……帰らなきゃ、いけないんだ」

 

 小さな声だった。

 

「約束したから」

 

 父。

 

 故郷。

 

 帰る場所。

 

 その言葉を口にした瞬間。

 

 アニの目から涙が零れ落ちた。

 

 だが視線はアスカから逸れない。

 

「ほんと、最悪だよ」

 

 掠れた笑み。

 

「アンタと会っちゃったせいで」

 

 アスカが目を見開く。

 

 結晶が首元まで迫る。

 

「……なんで、アンタだったんだろうね」

 

 硬質化が口元へ到達する。

 

 アスカが結晶へ刃を叩き付けた。

 

「アニ!!」

 

 だが間に合わない。

 

 透明な結晶が、完全にアニを閉ざした。

 

 アスカの刃が、乾いた音を立てて止まる。

 

 もう届かない。

 

 中にいるアニの姿だけが、ぼんやりと見えていた。

 

 周囲では兵士達の声が飛び交っている。

 

「エレンを回収しろ!!」

 

「負傷者を運べ!!」

 

「周辺警戒!!」

 

 だがアスカには、ほとんど聞こえていなかった。

 

 結晶へ手を触れる。

 

 冷たい。

 

 何度叩いても壊れそうにない。

 

「……クソ」

 

 掠れた声だった。

 

『なんで、アンタだったんだろうね』

 

 アスカは目を閉じる。

 

 短く息を吐いた。

 

 そして静かに額を結晶へ押し当てる。

 

「……俺もだよ」

 

 返事はない。

 

 透明な結晶だけが、夕陽を反射していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕陽が、ストヘス区を赤く染めていた。

 

 崩れた建物。

 

 砕けた石畳。

 

 巨人同士の戦闘跡が、街の至る所に残っている。

 

 蒸気の匂い。

 

 血の匂い。

 

 焦げた臭い。

 

 その全部が混ざっていた。

 

 アスカは結晶の前に立ったまま動かなかった。

 

 透明な硬質化結晶。

 

 その中心で、アニは目を閉じている。

 

 まるで眠っているみたいだった。

 

「……」

 

 何も言えなかった。

 

 言葉が出てこない。

 

 戦って。

 

 止めて。

 

 捕まえて。

 

 全部終わったはずなのに。

 

 何も終わっていない気がした。

 

「アスカ」

 

 後ろから声。

 

 リヴァイだった。

 

 その腕には、気絶したエレンが抱えられている。

 

 巨人化の反動で意識を失っているらしい。

 

 顔中傷だらけだった。

 

 リヴァイは結晶を一瞥する。

 

「回収班が来る。お前も下がれ」

 

「……はい」

 

 返事はした。

 

 だが身体が動かない。

 

 リヴァイは少しだけ黙った。

 

 そして。

 

「お前はやることやった」

 

 短く言う。

 

 アスカは目を伏せた。

 

「……止められませんでした」

 

「そうだな。だが……」

 

 リヴァイの声は低い。

 

「逃がさなかった。今はそれだけで十分だ」

 

 アスカは返せない。

 

 結晶を見る。

 

 中にいるアニを見る。

 

 リヴァイはそれ以上何も言わなかった。

 

 そのままエレンを抱え、瓦礫の向こうへ消えていく。

 

 周囲では兵士達が動き回っていた。

 

「こっち担架!!」

 

「まだ生存者がいるぞ!!」

 

「瓦礫を退かせ!!」

 

 怒号。

 

 悲鳴。

 

 泣き声。

 

 ストヘス区は戦場のままだった。

 

 その中で。

 

 アスカだけが取り残されているような感覚だった。

 

「……アスカ」

 

 今度はアルミンだった。

 

 ミカサとジャンもいる。

 

 三人とも酷い顔をしていた。

 

 疲労。

 

 困憊。

 

 そして喪失感。

 

 全部滲んでいる。

 

 アルミンは結晶を見る。

 

「……喋ってくれなかったね」

 

「……あぁ」

 

 アスカは短く返した。

 

 ジャンが舌打ちする。

 

「クソッ……ここまでやって結局これかよ」

 

 悔しそうだった。

 

 当然だ。

 

 何人死んだ。

 

 どれだけ街が壊れた。

 

 それなのに。

 

 肝心の情報は閉ざされたまま。

 

 ミカサは黙ってエレンが運ばれていく方向を見ていた。

 

 そして。

 

「アスカ」

 

「あ?」

 

「ありがとう」

 

 静かな声だった。

 

 アスカは少し目を見開く。

 

「……何がだよ」

 

「エレンを守ってくれた」

 

 アスカは鼻で笑った。

 

「別に。アイツが遅ぇからだろ」

 

 ジャンが小さく笑う。

 

 アルミンも少しだけ口元を緩めた。

 

 ほんの少し。

 

 空気が軽くなる。

 

 だが長くは続かない。

 

 視線がまた結晶へ戻る。

 

 アニ。

 

 同期。

 

 仲間だった女。

 

 その事実だけは変わらない。

 

 ジャンがぽつりと呟いた。

 

「……アイツなら、どうしたんだろうな」

 

 誰も答えなかった。

 

 答えなんて分からない。

 

 正しいことをしたのかも。

 

 間違っていたのかも。

 

 もう分からない。

 

 ただ。

 

 前へ進むしかない。

 

 調査兵団はずっとそうだった。

 

 アスカは結晶から手を離す。

 

 冷たさだけが残っていた。

 

 そして最後に一度だけ。

 

 アニを見る。

 

「……行くぞ」

 

 小さく呟く。

 

 誰に向けた言葉だったのか。

 

 自分でも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 夕陽が沈み始めていた。

 

 崩壊したストヘス区。

 

 砕けた建物。

 

 陥没した石畳。

 

 巨人同士の戦闘跡が、街の至る所に残っている。

 

 蒸気の匂い。

 

 血の匂い。

 

 焦げた臭い。

 

 その全部が混ざっていた。

 

 兵士達が慌ただしく動き回っている。

 

「こっち担架!!」

 

「まだ生存者がいるぞ!!」

 

「瓦礫を退かせろ!!」

 

 怒号。

 

 悲鳴。

 

 泣き声。

 

 戦場はまだ終わっていなかった。

 

 アスカは結晶の前から離れ、ゆっくり歩いていた。

 

 身体が重い。

 

 ガスも尽きかけている。

 

 刃は折れ、全身に痛みが走っていた。

 

 だがそれ以上に。

 

 胸の奥が重かった。

 

 結晶の中。

 

 目を閉じたアニの姿が、頭から離れない。

 

「……」

 

 言葉が出てこない。

 

 何が正しかったのか。

 

 何を守れたのか。

 

 もう分からなかった。

 

 前方では、リヴァイがエレンを兵士へ引き渡している。

 

 ミカサはその傍を離れない。

 

 アルミンとジャンも疲れ切った顔をしていた。

 

 誰も、勝った顔なんてしていない。

 

 その時だった。

 

「……待て」

 

 低い声。

 

 リヴァイだった。

 

 全員の足が止まる。

 

 視線の先。

 

 ウォール・シーナ。

 

 女型が叩き落とされた場所。

 

 崩れた壁面。

 

 そこに。

 

 何かが見えた。

 

「……は?」

 

 ジャンが声を漏らす。

 

 砕けた壁の断面。

 

 そこから。

 

 巨大な顔が覗いていた。

 

 巨人。

 

 人間みたいな顔。

 

 閉じた目。

 

 皮膚。

 

 歯。

 

 壁の中に埋め込まれている。

 

 あり得ない光景だった。

 

 空気が凍る。

 

 誰も動けない。

 

 アスカは目を見開いた。

 

「なん……だよ、それ……」

 

 寒気が走る。

 

 壁の中に巨人がいる。

 

 人類を守っていた壁の中に。

 

 巨人が。

 

 ハンジがゆっくり前へ出る。

 

 興奮と困惑が入り混じった目だった。

 

「壁の……中に、巨人……?」

 

 信じられないものを見る顔。

 

 当然だった。

 

 誰もこんなもの想像していない。

 

 夕陽が沈み始める。

 

 壁の中の巨人の顔へ、影が落ちた。

 

 その瞬間。

 

 閉じられていた瞼が、僅かに動く。

 

「──ッ!!」

 

 兵士達が息を呑む。

 

 ゆっくりと。

 

 ゆっくりと。

 

 巨人の目が開きかける。

 

 兵士達が一斉に後退した。

 

 アスカも反射的に刃へ手を掛けた。

 

 だが。

 

 刃はもう折れている。

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 

 意味が分からない。

 

 分からないことだらけだ。

 

 アニ。

 

 巨人化能力。

 

 壁。

 

 そして。

 

 壁の中の巨人。

 

 何も終わっていない。

 

 むしろ。

 

 今ようやく、本当の地獄の入口が見えた気がした。

 

 沈みゆく夕陽の中。

 

 壁の中の巨人だけが、不気味にそこに存在していた。

 

 

 

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