閃光。
轟音。
爆発と共に熱風が吹き荒れる。
石畳が捲れ上がり、周囲の建物の窓硝子が砕け散った。
吹き飛ばされた兵士達が地面を転がる。
アスカは腕で顔を庇いながら、爆煙の向こうを睨み続けた。
肉が膨張する音。
骨が軋む音。
筋繊維が編み上がる不快な音。
煙の中で巨大な影が立ち上がる。
十五メートル級。
金色の髪。
青い瞳。
女型の巨人。
「……ッ」
胸の奥が軋む。
数分前まで言葉を交わしていた女。
訓練兵団で組み手をしていた同期。
その面影が、巨人の顔に残っている。
だが感情を飲み込む。
押し殺す。
噛み砕く。
今は兵士として立つしかない。
女型は周囲を見回した。
崩れた地下通路。
散開する兵士。
逃げる市民。
そして。
地下へ続く入口。
エレン達が逃げた方向。
「待て!!」
アスカが叫ぶ。
女型は止まらない。
巨体を沈める。
次の瞬間、石畳を砕きながら加速した。
速い。
巨人とは思えない踏み込み。
だがアスカは気付く。
視線。
重心。
踏み込み角度。
全部が。
地下通路そのものを踏み抜く動きだった。
「おい、マジかよ……!!」
地下にはエレンがいる。
ミカサも。
アルミンも。
それでも構わない。
エレンが死ぬ可能性ごと踏み潰すつもりだ。
いや。
違う。
死なない可能性へ賭けている。
エレンなら生き残る。
そう判断している。
合理的だ。
そして最悪だ。
「そこまでするかよ!!」
女型の脚が振り上がる。
アスカは反射的にガスを解放した。
腰が跳ねる。
圧縮ガスが脊髄を殴るような加速。
ワイヤー射出。
左は鐘楼。
右は三階建ての民家。
両側へアンカーを打ち込み、一気に身体を引き絞る。
空中で軌道変更。
女型の膝裏へ潜り込む。
「こっち見ろォ!!」
刃が閃く。
肉を裂く感触。
高熱の肉塊へ鋼がめり込む。
アキレス腱。
筋繊維を断ち切る。
女型の脚が崩れた。
踏み込みが逸れる。
巨大な足が地下通路入口の脇へ叩き付けられた。
轟音。
建物が半壊する。
石片が吹き飛ぶ。
地下通路は辛うじて無事だった。
アスカは壁面へワイヤーを打ち込み、反動で後方へ跳ぶ。
女型が振り返る。
青い瞳。
視線が噛み合う。
空気が変わった。
今、この場で最も邪魔な存在。
それがアスカになった。
アスカは刃を構える。
胸の奥はぐちゃぐちゃだった。
怒り。
悲しみ。
聞きたいことは山ほどある。
叫びたいことだってある。
だが。
今は全部押し殺す。
噛み殺す。
「……来いよ」
女型が踏み込む。
爆発みたいな加速だった。
拳。
空気が歪む。
アスカはワイヤーを切り離した。
自由落下。
拳が頭上を通過し、背後の建物を粉砕する。
破片が雨みたいに降り注ぐ。
アスカは落下中に再度アンカー射出。
女型の前腕へ突き刺す。
巻き取り。
一気に接近。
女型の肘が動く。
読んでいた。
アスカは女型の腕を蹴る。
その反動を利用して更に加速。
首筋へ回り込む。
斬撃。
だが。
金属音。
「チッ……!」
首筋が硬質化していた。
刃が半ばから折れる。
直後。
女型の裏拳。
アスカは腰を捻って回避するが、爆風だけで身体が流される。
壁へ激突しかける。
ワイヤー射出。
煙突へ固定。
身体を半回転。
勢いを殺しながら屋根へ着地。
女型は止まらない。
追撃。
脚を大きく振り抜く。
回し蹴り。
「その入り……!」
知っている。
訓練兵団。
何度も組み手をした。
アニ特有の癖。
踏み込みで右肩が僅かに落ちる。
腰を捻る前に軸足が流れる。
読める。
読めてしまう。
アスカは屋根を蹴った。
爆発的加速。
蹴りが鼻先を掠める。
そのまま女型の脚へアンカーを撃ち込み、身体を振り回す。
遠心力。
加速。
空中で刃を持ち替える。
斬撃。
膝裏。
筋肉が裂ける。
蒸気と血飛沫が噴き出した。
女型が僅かに体勢を崩す。
アスカはそのまま女型の肩を蹴り、頭上へ飛び上がる。
ガス噴射。
空中姿勢制御。
再度首筋へ。
だが女型も読んでいた。
掌。
巨大な手が握り潰すように迫る。
アスカはワイヤーを切断。
真下へ落ちる。
直後、空中で握り潰された瓦礫が爆散した。
「っ……!」
頬が裂ける。
血が飛ぶ。
それでも止まらない。
地面へ着地する寸前、壁へアンカーを打ち込み横方向へ滑る。
女型の拳が地面を砕いた。
石畳が跳ね上がる。
アスカはその瓦礫を踏み台にして再加速した。
市街地を飛ぶ。
屋根。
煙突。
看板。
窓枠。
全部を足場に変える。
地下街で生き延びるために叩き込んだ機動。
女型が追う。
地鳴りみたいな足音。
建物を掠めるたびに瓦礫が降る。
それでも視線はアスカだけを追っていた。
『一次作戦が失敗した場合、二次作戦でエレンが巨人化するまでの時間稼ぎは、俺にやらせてください』
脳裏に蘇る。
数日前。
旧本部。
エルヴィンへ向けた言葉。
『……危険なのは分かっているだろう。なぜだ?』
『もう、余計な犠牲を出したくないんです』
リヴァイ班の死体。
骸を積んだ荷車。
泣き叫ぶ市民。
全部覚えている。
『君がその“余計な犠牲”になる可能性もあるだろう』
『俺の周囲に兵士を待機させておいてください』
女型の拳。
アスカは空中で身体を折り曲げる。
紙一重。
風圧で呼吸が詰まる。
『絶対に抑えてみせます。もしエレンが巨人化せず、三次作戦へ移行すると俺が判断した場合、そこにも俺一人で誘導します』
『……無謀だな』
エルヴィンの目は鋭かった。
『死ぬかもしれんぞ。何も残せずに』
アスカは視線を逸らさなかった。
『お得意の賭けですよ』
女型の脚が振り下ろされる。
アスカはワイヤーを巻き取った。
身体が弾丸みたいに跳ねる。
脚が背後の建物を叩き潰した。
『……いいだろう』
エルヴィンは静かに息を吐く。
『ただし、君への援軍の判断は周囲の兵士に任せる。君はもう調査兵団の戦力の一部だ。死なせる訳にはいかないからな』
『ありがとうございます』
回想が途切れる。
アスカは女型の視界へ飛び込んだ。
「まだ終わってねぇぞ、アニ!!」
女型の拳が振り抜かれる。
空気が爆ぜる。
アスカはワイヤーを切り離した。
自由落下。
拳が頭上を通過し、鐘楼を粉砕する。
瓦礫が降り注ぐ。
アスカは落下しながら両腕を振るった。
アンカー射出。
左右の建物へ突き刺さる。
巻き取り。
身体が一気に引き絞られる。
地面スレスレを滑空。
女型の脚元へ潜り込む。
「ッラァ!!」
斬撃。
脛の筋肉を深く裂く。
蒸気が噴き出した。
女型が脚を引く。
その瞬間。
アスカは女型の腿へアンカーを撃ち込んだ。
巻き取りながら一気に上昇。
肩。
首。
うなじ。
一直線。
だが。
女型の腕が動く。
横薙ぎ。
「チッ!」
アスカは咄嗟にワイヤーを切断した。
爆風。
身体が吹き飛ぶ。
屋根へ叩き付けられる。
瓦が砕け散った。
「っ……!」
肺が軋む。
呼吸が乱れる。
だが止まれない。
女型はもう次の動きへ移っていた。
視線。
方向。
地下通路。
「まだ諦めてねぇのかよ!!」
アスカは屋根を蹴る。
ガス噴射。
爆発的加速。
女型の顔面へ真正面から飛び込む。
視界を塞ぐように。
邪魔をするように。
「こっち見ろ!!」
女型の目がアスカを捉える。
拳。
来る。
アスカは敢えて回避を遅らせた。
ギリギリまで引き付ける。
拳が迫る。
皮膚が軋む。
そして。
寸前。
ワイヤー巻き取り。
身体が急上昇。
拳が下を通過する。
その勢いのままアスカは女型の腕へ着地した。
熱い。
蒸気。
筋肉の脈動。
肉の上を走る。
女型が腕を振るう。
だが遅い。
アスカは肩を蹴った。
跳躍。
うなじへ。
「硬質化──!」
読んでいた。
女型の首筋が結晶化するより一瞬早く。
アスカは刃を滑らせる。
完全には届かない。
だが浅く裂けた。
肉が抉れる。
女型の動きが止まる。
「ッ……!」
女型の瞳が揺れる。
アスカは距離を取った。
息が荒い。
ガス残量も減っている。
刃も欠け始めていた。
それでも。
まだ終われない。
「まだ巨人化しねぇのかよ……エレン!!」
思わず叫ぶ。
地下通路。
あの下で。
エレンはまだ戦えていない。
分かっている。
簡単じゃないことくらい。
相手はアニだ。
同期だ。
仲間だった相手だ。
だが。
「早くしろ……!!」
女型が踏み込む。
地面が砕ける。
アスカは空中へ飛んだ。
高速旋回。
建物の壁面を蹴る。
煙突を掴み、勢いを殺さず再加速。
視界が流れる。
女型が追ってくる。
拳。
蹴り。
掴み。
全部が速い。
全部が致命傷。
だが。
アスカは知っている。
組み手。
癖。
呼吸。
重心移動。
全部。
「その踏み込み……!」
女型の蹴り。
アスカは身体を捻る。
鼻先を掠める。
そのまま女型の膝裏へ斬撃。
筋肉が裂ける。
女型がバランスを崩した。
アスカは即座にワイヤーを打ち込む。
両肩。
建物固定。
巻き取り。
女型の身体が強引に引っ張られる。
その隙に。
屋根の上へ降り立つ。
息を整える暇も無い。
女型はもう立て直していた。
蒸気が上がる。
傷が塞がる。
「クソが……」
アスカは折れかけた刃を握り直す。
胸の奥が熱い。
怒りなのか。
焦りなのか。
自分でも分からない。
ただ。
止めなければならない。
もう二度と。
仲間を死なせないために。
女型が再び動く。
その瞬間。
遠く。
屋根の向こう。
無数のワイヤーが空を走った。
調査兵団本隊。
ハンジ班。
ケイジ班。
ようやく到着した。
アスカは小さく息を吐く。
「……遅ぇっすよ」
☆☆☆
無数のワイヤーが空を裂く。
調査兵団本隊。
屋根という屋根へ兵士達が展開していく。
「包囲しろ!!」
「市民を避難させろ!!」
怒号が飛ぶ。
女型は止まらない。
青い瞳が周囲を走る。
兵士の配置。
建物の構造。
退路。
全部見ている。
アスカは屋根を蹴った。
真正面から女型の視界へ飛び込む。
刃を振るう。
女型の拳が来る。
アスカは回避を遅らせた。
限界ギリギリまで引き付ける。
拳が迫る。
風圧で皮膚が軋む。
その瞬間。
ワイヤー巻き取り。
身体が横方向へ弾け飛ぶ。
拳が建物ごと空間を抉った。
瓦礫が吹き飛ぶ。
アスカは破片を踏み台にして加速する。
呼吸が荒い。
ガス残量も少ない。
刃も半ばから欠けていた。
だが減速しない。
いや。
減速出来ないように見せる。
女型が追う。
視線は完全にアスカへ向いていた。
アスカは振り返らない。
ただ逃げるように。
ただ戦っているように。
自然に進路だけを変えていく。
西側。
あと少し。
女型の脚が振り抜かれる。
回し蹴り。
「ッ……!」
アスカは空中で身体を捻った。
鼻先を蹴りが通過する。
だが避け切れない。
風圧だけで身体が吹き飛ぶ。
屋根を転がる。
瓦が砕け散った。
「っ……!!」
女型が止まらない。
追撃。
拳。
アスカは瓦礫を蹴った。
低空機動。
地面スレスレを滑空する。
拳が背後の建物を粉砕した。
石材が雨みたいに降る。
アスカはその隙間を縫う。
壁へアンカー。
巻き取り。
急旋回。
女型の脚部へ飛び込む。
「ラァッ!!」
斬撃。
脛の筋肉を深く裂く。
肉が断ち切れる感触。
熱い蒸気。
血飛沫。
女型が体勢を崩した。
だが即座に立て直す。
再生が始まっている。
「クソが……」
アスカは息を吐く。
視界の端。
西通り。
建物の陰。
ハンジ班の拘束索が配置完了していた。
だが視線は向けない。
何も気付いていない振りをする。
女型に悟らせないために。
屋根上。
一瞬だけ。
ハンジと目が合った。
それだけで十分だった。
アスカは再び加速する。
わざと開けた通りへ飛び込む。
狭い路地ではない。
広い通路。
女型も迷わずそちらを選ぶ。
狭所では動きが制限される。
アニなら広い場所を選ぶ。
アスカはそれを知っていた。
女型が踏み込む。
石畳が砕ける。
拳が振り上げられた。
狙いはアスカ。
完全に意識が向いている。
その瞬間。
「今だァ!!」
轟音。
地面が爆ぜた。
女型の目が僅かに見開かれる。
直後。
四方から巨大な拘束索が射出された。
槍ではない。
鋼線が女型の全身へ絡み付く。
腕。
脚。
胴体。
一気に締め上げる。
女型の動きが止まった。
「第二射!!」
杭付きワイヤー。
無数の杭が周囲の建物へ突き刺さる。
巨体が強引に固定される。
更に上空。
巨大な鋼鉄製の網が落下した。
杭が肉へ食い込み、女型を地面へ縫い止める。
轟音。
石畳が陥没した。
「捕らえた!!」
兵士達の声が上がる。
アスカは屋根を蹴った。
女型へ一直線に飛び込む。
加速。
回転。
うなじへ斬撃を放つ。
だが。
金属音。
首筋が硬質化していた。
「チッ!!」
刃が折れる。
破片が飛んだ。
アスカは女型の目の前へ着地する。
蒸気が吹き付ける。
熱い。
それでも目を逸らさない。
「……アニ」
女型もアスカを見ていた。
青い瞳が揺れている。
アスカは折れた刃を投げ捨てた。
「それ、解けよ。汚ぇ肉ん中から出してやるから」
女型は答えない。
ただアスカを見下ろしていた。
「よーし」
ハンジが縄をくるくる回しながら前へ出る。
「三次作戦なんて出番はないと思ってたけど、さすがはエルヴィンってとこかな」
建物の上から飛び降りる。
アスカは少し横へ退いた。
ハンジは女型の眼前へ立つ。
「いい子だから、大人しくするんだ」
刃を抜く。
切先をゆっくり女型の目へ近付ける。
女型の瞳孔が僅かに狭まった。
「ここじゃこの前みたいに、お前を食い尽くす巨人も呼べない。でも大丈夫。代わりに私が食ってあげるよ。お前からほじくり返した情報をね」
ハンジの目は笑っていなかった。
狂気じみた光だけが宿っている。
その瞬間。
女型の腕が動く。
うなじを守っていた硬質化した腕。
それが拘束索ごと周囲を薙ぎ払った。
「ッ!?」
鋼線が千切れる。
杭が砕ける。
兵士達が吹き飛ばされた。
アスカは咄嗟に後方へ跳ぶ。
熱風が頬を叩く。
「チッ……!」
女型が立ち上がる。
網を引き千切りながら。
蒸気が噴き出す。
「さすがに罠の数が足りなかったか」
ハンジが舌打ち混じりに笑う。
「逃がすな!! 追え!!」
ケイジの怒号。
同時。
女型が壁方向へ駆け出した。
アスカは即座にガスを吹かす。
屋根へ跳ぶ。
兵士達も一斉に展開する。
「まだ巨人化しねぇのかよ、エレン……!!」
思わず漏れる。
地下通路。
あの下で、エレンはまだ戦えていない。
だが待つしかない。
今は。
自分達が止めるしかなかった。
女型の巨体がストヘス区を駆け抜ける。
地鳴りみたいな足音。
石畳が砕け、建物が揺れる。
屋根上を飛ぶ調査兵達が一斉に展開した。
「右から回れ!!」
「脚を狙え!!」
ワイヤーが空を裂く。
女型の両脚へ次々とアンカーが突き刺さった。
だが。
女型は止まらない。
脚を振るう。
兵士が二人まとめて吹き飛ばされた。
「ッ──!!」
壁へ激突。
血が散る。
アスカは舌打ちした。
「散開しろ!! 密集すんな!!」
怒鳴る。
同時にガス噴射。
女型の横顔へ飛び込む。
拳が来る。
速い。
アスカは空中でワイヤーを切った。
自由落下。
拳が頭上を通過する。
そのまま女型の肩へアンカー射出。
巻き取り。
一気に接近。
斬撃。
肩口の筋肉が裂ける。
蒸気が吹き出した。
女型が即座に反転する。
掌。
握り潰すように迫る。
「チッ……!」
アスカは女型の腕を蹴った。
その反動で加速。
視界が流れる。
女型の背後へ回り込む。
だが。
女型は追わない。
真っ直ぐ前だけを見る。
壁。
ウォール・シーナ。
そこだけを。
「……ッ」
アスカの顔が歪む。
嫌な予感。
女型は逃げに入っている。
ここから先は。
捕獲より早く壁へ到達される可能性が高い。
「ケイジさん!!」
屋根を蹴りながら叫ぶ。
「このままじゃ抜けられる!!」
「分かってる!!」
ケイジも歯噛みする。
「だが止めるしかねぇ!!」
兵士達が再度突撃する。
ワイヤー。
斬撃。
だが女型はもう最低限しか相手にしていない。
避ける。
払い落とす。
最短距離で壁を目指している。
「クソッ……!」
アスカは加速した。
煙突を蹴る。
屋根を滑る。
壁面へアンカー。
巻き取り。
女型の正面へ飛び出す。
「止まれアニ!!」
女型の目がアスカを捉える。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
速度が鈍る。
だが。
次の瞬間には拳が飛んできた。
「ッ!!」
重い。
今までで一番重い。
殺す気ではない。
邪魔を排除する一撃。
アスカは回避し切れないと判断した。
ワイヤーを交差。
両側の建物へ固定。
身体を強引に引く。
拳が掠める。
風圧だけで吹き飛ばされた。
「がっ……!」
屋根へ激突。
瓦が砕ける。
呼吸が詰まる。
女型は止まらない。
もう壁まで距離が無い。
「まだかよ……!!」
思わず叫ぶ。
「エレン!!」
地下通路。
あの下で。
まだ巨人化していない。
アスカは奥歯を噛み締めた。
女型が跳ぶ。
巨体とは思えない跳躍。
建物を踏み潰しながら、一気に距離を詰める。
壁へ。
その瞬間。
別方向から飛来したワイヤーが女型の顔面へ突き刺さった。
「なっ──」
女型の顔が僅かに逸れる。
その隙。
黒髪の少女が屋根を駆け抜けた。
ミカサだった。
「アスカ!!」
ミカサが叫ぶ。
「エレンが……!」
その言葉を最後まで聞く前に。
ストヘス区全体を揺らす轟音が響いた。
熱風。
爆発。
蒸気。
建物の向こう側。
巨大な骨格が立ち上がる。
進撃の巨人。
エレンだった。
アスカは息を吐く。
張り詰めていた何かが、少しだけ緩む。
「……遅ぇよ、バカ野郎」
☆☆☆
エレンの巨人が咆哮を上げる。
熱気が街を震わせた。
女型も構える。
両者が向き合う。
一瞬だけ静寂。
次の瞬間。
エレンの巨人が地面を砕きながら突っ込んだ。
速い。
今までとは比べ物にならない踏み込み。
拳。
真正面。
迷いの無い一撃。
女型は半歩引いた。
拳を受け流す。
そのまま肘打ち。
エレンの巨人の顔面へ直撃する。
轟音。
巨体が揺れる。
だが止まらない。
エレンの巨人は女型へ掴み掛かった。
組み合い。
地面が陥没する。
女型が膝蹴りを叩き込む。
巨人の腹部へ深く入る。
エレンの巨人がよろめく。
そこへ回し蹴り。
轟音。
エレンの巨人の身体が建物へ叩き込まれた。
瓦礫が吹き飛ぶ。
女型は止まらない。
即座に距離を詰める。
拳。
蹴り。
肘。
流れるような連撃。
対人格闘術。
訓練兵時代、何度も見た動きだった。
アスカは歯を食い縛る。
知っている。
アニは強い。
対人格闘なら、自分とアニが訓練兵団で頭一つ抜けていた。
エレンはそこへ届いていない。
女型の拳が巨人の頬へめり込む。
骨が軋む。
蹴りが膝を砕く。
エレンの巨人が体勢を崩した。
「マズい……!」
アルミンが息を呑む。
女型が上を取る。
拳を振り上げた。
止め。
その瞬間。
エレンの巨人の目が見開かれる。
熱。
蒸気。
赤い筋が全身を走った。
女型が異変に気付く。
だが遅い。
エレンの巨人が女型の顔面へ頭突きを叩き込んだ。
轟音。
女型の身体が仰け反る。
エレンの巨人が立ち上がる。
蒸気が噴き出していた。
異常な熱量。
筋肉が軋む。
肉が焼けるみたいな音が響く。
その目にはもう理性が無かった。
「……なんだ、アレ」
兵士が呟く。
エレンの巨人が咆哮を上げる。
次の瞬間。
女型へ飛び掛かった。
速い。
今までとは別物だった。
拳。
拳。
拳。
女型が防御する。
だが構わず殴る。
肉が裂ける。
骨が砕ける。
建物が崩壊する。
もう戦い方じゃない。
獣みたいだった。
女型が蹴り飛ばす。
エレンの巨人は転がる。
石畳を砕きながら滑る。
それでも即座に立ち上がる。
止まらない。
咆哮を上げながら再び突っ込む。
女型が押され始める。
腕を砕かれる。
顔面を掴まれる。
地面へ叩き付けられる。
轟音。
ストヘス区全体が揺れた。
「エレンの奴……!」
ジャンが息を呑む。
「制御出来てねぇぞ……!」
ミカサも目を見開いていた。
あれはもう戦闘じゃない。
暴走。
怒りと憎悪だけで動いている。
エレンの巨人が女型へ馬乗りになる。
拳を振り下ろす。
一撃ごとに石畳が陥没した。
女型の顔面が砕ける。
蒸気が噴き出す。
それでも。
女型は止まらなかった。
硬質化。
指先が結晶化する。
女型はエレンの巨人を蹴り飛ばした。
その勢いのまま壁へ向かう。
硬質化した指がウォール・シーナへ突き刺さった。
石を砕きながら登る。
「逃がすな!!」
ケイジの怒号。
兵士達が飛ぶ。
だが届かない。
エレンの巨人が壁へ飛び付く。
しかし距離が足りない。
女型は登る。
少しずつ。
少しずつ。
硬質化した指が壁を抉る。
石片が降り注ぐ。
その時だった。
屋根を蹴る音。
アスカだった。
残り少ないガスを強引に吹かす。
加速。
一直線。
女型の腕へ飛び込む。
刃が閃いた。
火花。
硬質化した指が宙を舞う。
女型の身体が傾く。
壁から剥がれる。
アスカはそのまま女型の額へ着地した。
青い瞳と目が合う。
互いに無言だった。
もう言葉を交わす段階は過ぎている。
アスカは静かに口を開く。
「……終わりだ」
次の瞬間。
女型が壁から落下した。
轟音。
地面が砕ける。
エレンの巨人が落下地点へ飛び込む。
女型へ馬乗りになる。
拳。
拳。
拳。
女型が腕で防ぐ。
だが止まらない。
そのままうなじへ噛み付いた。
牙が肉へ食い込む。
強引に引き剥がそうとする。
肉が裂ける。
蒸気。
血飛沫。
女型のうなじが砕ける。
エレンの巨人は止まらない。
まるで獲物を喰らう獣みたいに、女型の肉へ牙を立て続ける。
「大事な証人を食うんじゃねぇよ……馬鹿野郎!」
リヴァイだった。
超高速で接近。
斬撃。
エレンの巨人の口元を切り裂く。
牙が離れる。
リヴァイはそのままエレンを強引に引き剥がした。
エレンの巨人が暴れる。
だが身体は崩れ始めていた。
蒸気が噴き出す。
巨体が崩壊していく。
戦闘が終わる。
女型のうなじが裂ける。
そこからアニの身体が現れた。
だが。
透明な結晶が、下半身から形成され始める。
「待て……!!」
アスカが飛ぶ。
ガスはもう限界だった。
それでも加速する。
刃を振るう。
硬質化した外殻へ叩き付ける。
火花。
浅い。
砕けない。
「クソッ……!!」
もう一度。
更に振るう。
だが間に合わない。
結晶はどんどんアニを覆っていく。
脚。
腹部。
胸。
閉ざされていく。
それでもまだ。
首から上だけは露出していた。
アスカは結晶へ刃を押し当てたまま息を荒げる。
「……何でだよ」
アニは静かにアスカを見た。
その目が揺れる。
「……帰らなきゃ、いけないんだ」
小さな声だった。
「約束したから」
父。
故郷。
帰る場所。
その言葉を口にした瞬間。
アニの目から涙が零れ落ちた。
だが視線はアスカから逸れない。
「ほんと、最悪だよ」
掠れた笑み。
「アンタと会っちゃったせいで」
アスカが目を見開く。
結晶が首元まで迫る。
「……なんで、アンタだったんだろうね」
硬質化が口元へ到達する。
アスカが結晶へ刃を叩き付けた。
「アニ!!」
だが間に合わない。
透明な結晶が、完全にアニを閉ざした。
アスカの刃が、乾いた音を立てて止まる。
もう届かない。
中にいるアニの姿だけが、ぼんやりと見えていた。
周囲では兵士達の声が飛び交っている。
「エレンを回収しろ!!」
「負傷者を運べ!!」
「周辺警戒!!」
だがアスカには、ほとんど聞こえていなかった。
結晶へ手を触れる。
冷たい。
何度叩いても壊れそうにない。
「……クソ」
掠れた声だった。
『なんで、アンタだったんだろうね』
アスカは目を閉じる。
短く息を吐いた。
そして静かに額を結晶へ押し当てる。
「……俺もだよ」
返事はない。
透明な結晶だけが、夕陽を反射していた。
夕陽が、ストヘス区を赤く染めていた。
崩れた建物。
砕けた石畳。
巨人同士の戦闘跡が、街の至る所に残っている。
蒸気の匂い。
血の匂い。
焦げた臭い。
その全部が混ざっていた。
アスカは結晶の前に立ったまま動かなかった。
透明な硬質化結晶。
その中心で、アニは目を閉じている。
まるで眠っているみたいだった。
「……」
何も言えなかった。
言葉が出てこない。
戦って。
止めて。
捕まえて。
全部終わったはずなのに。
何も終わっていない気がした。
「アスカ」
後ろから声。
リヴァイだった。
その腕には、気絶したエレンが抱えられている。
巨人化の反動で意識を失っているらしい。
顔中傷だらけだった。
リヴァイは結晶を一瞥する。
「回収班が来る。お前も下がれ」
「……はい」
返事はした。
だが身体が動かない。
リヴァイは少しだけ黙った。
そして。
「お前はやることやった」
短く言う。
アスカは目を伏せた。
「……止められませんでした」
「そうだな。だが……」
リヴァイの声は低い。
「逃がさなかった。今はそれだけで十分だ」
アスカは返せない。
結晶を見る。
中にいるアニを見る。
リヴァイはそれ以上何も言わなかった。
そのままエレンを抱え、瓦礫の向こうへ消えていく。
周囲では兵士達が動き回っていた。
「こっち担架!!」
「まだ生存者がいるぞ!!」
「瓦礫を退かせ!!」
怒号。
悲鳴。
泣き声。
ストヘス区は戦場のままだった。
その中で。
アスカだけが取り残されているような感覚だった。
「……アスカ」
今度はアルミンだった。
ミカサとジャンもいる。
三人とも酷い顔をしていた。
疲労。
困憊。
そして喪失感。
全部滲んでいる。
アルミンは結晶を見る。
「……喋ってくれなかったね」
「……あぁ」
アスカは短く返した。
ジャンが舌打ちする。
「クソッ……ここまでやって結局これかよ」
悔しそうだった。
当然だ。
何人死んだ。
どれだけ街が壊れた。
それなのに。
肝心の情報は閉ざされたまま。
ミカサは黙ってエレンが運ばれていく方向を見ていた。
そして。
「アスカ」
「あ?」
「ありがとう」
静かな声だった。
アスカは少し目を見開く。
「……何がだよ」
「エレンを守ってくれた」
アスカは鼻で笑った。
「別に。アイツが遅ぇからだろ」
ジャンが小さく笑う。
アルミンも少しだけ口元を緩めた。
ほんの少し。
空気が軽くなる。
だが長くは続かない。
視線がまた結晶へ戻る。
アニ。
同期。
仲間だった女。
その事実だけは変わらない。
ジャンがぽつりと呟いた。
「……アイツなら、どうしたんだろうな」
誰も答えなかった。
答えなんて分からない。
正しいことをしたのかも。
間違っていたのかも。
もう分からない。
ただ。
前へ進むしかない。
調査兵団はずっとそうだった。
アスカは結晶から手を離す。
冷たさだけが残っていた。
そして最後に一度だけ。
アニを見る。
「……行くぞ」
小さく呟く。
誰に向けた言葉だったのか。
自分でも分からなかった。
夕陽が沈み始めていた。
崩壊したストヘス区。
砕けた建物。
陥没した石畳。
巨人同士の戦闘跡が、街の至る所に残っている。
蒸気の匂い。
血の匂い。
焦げた臭い。
その全部が混ざっていた。
兵士達が慌ただしく動き回っている。
「こっち担架!!」
「まだ生存者がいるぞ!!」
「瓦礫を退かせろ!!」
怒号。
悲鳴。
泣き声。
戦場はまだ終わっていなかった。
アスカは結晶の前から離れ、ゆっくり歩いていた。
身体が重い。
ガスも尽きかけている。
刃は折れ、全身に痛みが走っていた。
だがそれ以上に。
胸の奥が重かった。
結晶の中。
目を閉じたアニの姿が、頭から離れない。
「……」
言葉が出てこない。
何が正しかったのか。
何を守れたのか。
もう分からなかった。
前方では、リヴァイがエレンを兵士へ引き渡している。
ミカサはその傍を離れない。
アルミンとジャンも疲れ切った顔をしていた。
誰も、勝った顔なんてしていない。
その時だった。
「……待て」
低い声。
リヴァイだった。
全員の足が止まる。
視線の先。
ウォール・シーナ。
女型が叩き落とされた場所。
崩れた壁面。
そこに。
何かが見えた。
「……は?」
ジャンが声を漏らす。
砕けた壁の断面。
そこから。
巨大な顔が覗いていた。
巨人。
人間みたいな顔。
閉じた目。
皮膚。
歯。
壁の中に埋め込まれている。
あり得ない光景だった。
空気が凍る。
誰も動けない。
アスカは目を見開いた。
「なん……だよ、それ……」
寒気が走る。
壁の中に巨人がいる。
人類を守っていた壁の中に。
巨人が。
ハンジがゆっくり前へ出る。
興奮と困惑が入り混じった目だった。
「壁の……中に、巨人……?」
信じられないものを見る顔。
当然だった。
誰もこんなもの想像していない。
夕陽が沈み始める。
壁の中の巨人の顔へ、影が落ちた。
その瞬間。
閉じられていた瞼が、僅かに動く。
「──ッ!!」
兵士達が息を呑む。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
巨人の目が開きかける。
兵士達が一斉に後退した。
アスカも反射的に刃へ手を掛けた。
だが。
刃はもう折れている。
心臓が嫌な音を立てる。
意味が分からない。
分からないことだらけだ。
アニ。
巨人化能力。
壁。
そして。
壁の中の巨人。
何も終わっていない。
むしろ。
今ようやく、本当の地獄の入口が見えた気がした。
沈みゆく夕陽の中。
壁の中の巨人だけが、不気味にそこに存在していた。