書いた貯金を少しずつ公開していきます。
訓練オリジナル要素だいぶ強いかもです。
最初の立体機動訓練からは時間が経過しているという設定です。
そういうことにしてくださいお願いします。
でなきゃ結構厳しい訓練になってます。
朝の食堂は騒がしい。
訓練開始前の限られた時間に、訓練兵達は無理やり腹へ食料を押し込んでいた。
木の皿が机に当たる音。
スプーンが器を削る音。
パンをちぎる音。
誰かの笑い声。
怒鳴り声。
咳払い。
色んな音が重なって、ひとつの大きなざわめきになっていた。
アスカはその端に座っていた。
端が好きだった。
壁が背中にある。
横と前だけ見ればいい。
死角が減る。
地下街にいた頃から変わらない癖だった。
皿の上には黒パンと薄いスープ。
湯気はほとんどない。
冷めている。
だが文句を言うほど不味くもない。
パンをちぎる。
指先に少し硬さが残る。
昨日の対人格闘の感触がまだ抜けていない。
ライナーの拳。
アニの蹴り。
エレンの真っ直ぐな拳。
全部、身体のどこかに残っている。
その時だった。
「ここ、いい?」
顔を上げる。
マルコだった。
盆を持って立っている。
後ろにはジャンとコニー、サシャもいる。
アスカは少しだけ周囲を見る。
空席はいくらでもあった。
わざわざここに来る理由が分からない。
「好きにしろ」
マルコが笑う。
「ありがとう」
自然だった。
許可を取ることも、礼を言うことも。
地下街にはなかった。
座る。
続いてジャン。
コニー。
サシャ。
一気に空気が変わった。
うるさい。
特にサシャが。
「今日のパン、昨日より柔らかいです!」
「変わんねぇよ」
ジャンが即座に返す。
「変わりますよ!」
サシャは真剣だった。
アスカはパンを見る。
昨日と同じだった。
違いが分からない。
「アスカ」
マルコが声をかける。
「昨日すごかったね」
「何が」
「対人格闘」
アスカはスープを飲む。
薄い。
「別に」
「アニにもライナーにも勝ってたじゃねぇか」
ジャンが言う。
パンを齧りながら。
悔しそうでもあり、少し感心もしている。
「お前、かなり強いんだな」
「まぁな」
ジャンが少し笑う。
「否定しねぇんだな」
「事実だろ」
コニーが吹き出す。
「言うなぁ」
サシャが頷く。
口いっぱいにパンを詰めながら。
「でも本当に強かったです」
「そうか」
褒められているのに、実感がなかった。
強いと言われても、それが普通だった。
生きるために必要だった。
出来ないと死ぬだけだ。
だから出来るようになった。
ただそれだけ。
マルコがパンをちぎりながら言う。
「アスカって、よく周り見てるよね」
手が止まった。
一瞬だけ。
ほんの少し。
「……そうか?」
「うん」
マルコは自然に続ける。
「エレンの装備の故障、気づいてたし」
ジャンが思い出したように笑う。
「あれは傑作だったな」
コニーも笑う。
「逆さ吊り!」
サシャまで笑っている。
悪意のない笑いだった。
でも。
アスカは視線を少しずらす。
少し離れた席。
エレンがいた。
アルミンとミカサと一緒だった。
エレンはこっちを見ていた。
睨んでいる。
最初の適性訓練を思い出しているらしい。
「笑うな!」
席越しに聞こえた。
食堂の空気が少し緩む。
マルコが笑った。
「でも助かったんだよね」
「まぁな」
エレンが言う。
悔しそうに。
でも否定しない。
アスカはパンを口に入れる。
硬い。
噛むたびに音がする。
マルコが言った言葉が少し残っていた。
よく周りを見ている。
違う。
見るようになっただけだ。
見なかったから失った。
それだけだ。
でも、それを説明する理由もない。
「すごいことだと思うよ」
マルコが続ける。
アスカが顔を上げる。
「何が」
「周りを見ること」
マルコの声は静かだった。
周囲がうるさいのに、不思議と聞こえた。
「戦ってる時って、自分のことで精一杯になるから」
ジャンが頷く。
「それは分かる」
コニーも頷く。
「俺も無理だ」
サシャはパンを持ち上げた。
「私はパンしか見てません」
「お前は黙ってろ」
ジャンが即座に返す。
笑いが起きる。
アスカはスープを見る。
油が浮いている。
揺れていた。
「見てるだけだ」
そう返す。
マルコは少し笑った。
「それでも十分すごいよ」
その言葉が少し引っかかった。
すごい。
そんな風に言われたことはなかった。
地下街では、生きているだけで十分だった。
出来て当たり前。
見て当たり前。
疑って当たり前。
でもここでは違うらしい。
その違いがまだ分からない。
「お前ら、朝から仲良しだな」
声がした。
ライナーだった。
ベルトルトもいる。
大きな身体が机の影を作る。
「座るか?」
マルコが聞く。
「いいのか?」
「もちろん」
自然だった。
輪が広がる。
アスカはその輪の端にいる。
輪の中にいる。
でも中心じゃない。
少し外側。
それがちょうどよかった。
ライナーが座る。
ベルトルトも。
人数が増える。
空気が少し変わる。
アスカはその空気を観察する。
ライナーは人の中心にいるのが自然だ。
ベルトルトはその隣にいるのが自然だ。
マルコは誰にでも自然に話しかける。
ジャンは文句を言いながら付き合う。
コニーは笑う。
サシャは食べる。
エレンは遠くから睨む。
ミカサはエレンを見る。
アルミンは周りを見る。
それぞれ役割がある。
輪がある。
アスカにはまだない。
そこへ。
アニが入ってきた。
一人だった。
周囲を見ない。
空いている席へ向かう。
誰とも話さない。
ライナーが少し手を上げた。
「アニ!」
アニが止まる。
少しだけこっちを見る。
視線が合う。
昨日のことを思い出しているのか。
ほんの一瞬だけ。
目が止まる。
だがすぐ逸れた。
「いい」
短く言って、一人で座る。
ライナーが苦笑する。
「相変わらずだな」
ベルトルトが小さく笑う。
アスカは少しだけアニを見る。
一人が落ち着く顔だった。
ああいう顔は知っていた。
輪の外にいる顔。
少しだけ、自分に似ていた。
鐘が鳴る。
朝食終了。
椅子が引かれる音が一斉に鳴る。
訓練が始まる。
アスカは立ち上がる。
輪も立ち上がる。
でも、まだ。
自分はその中に入っていない。
そう思っていた。
☆☆☆
朝食の後、訓練兵達に与えられたのは雑務だった。
訓練場の整備。
宿舎の清掃。
物資運搬。
兵士になるための訓練とは思えないような仕事ばかりだったが、教官達はそれを当然のように命じる。
「兵士は戦う前に生活を整える!」
キース教官の怒号が飛ぶ。
「汚れた寝床で戦えると思うな!」
その理屈はよく分からなかった。
地下街では寝床があるだけで十分だった。
綺麗かどうかなんて関係ない。
眠れればいい。
起きられればいい。
死んでいなければいい。
アスカに割り当てられたのは、訓練場の木柵補修だった。
木槌。
釘。
木材。
単純な作業だった。
ありがたかった。
考えなくて済む。
一人で出来る。
そう思っていた。
「お、アスカじゃん」
後ろから声。
振り返る。
コニーだった。
その後ろにジャン。
サシャ。
マルコ。
嫌な予感がした。
「お前ら何でいるんだ」
「班分け」
ジャンが言う。
「知らねぇのか?」
知らなかった。
「聞いてない」
「聞いてないんじゃなくて聞いてなかったんだろ」
ジャンが呆れる。
その言い方に少し腹が立つ。
でも否定できなかった。
たぶんその通りだった。
「よろしく」
マルコが木材を持ち上げる。
自然だった。
何もなかったみたいに輪の中へ入れてくる。
アスカはまだ慣れない。
こういう距離感に。
「これ打てばいいんだよな?」
コニーが釘を持つ。
木槌を振る。
狙いを外す。
指に当たる。
「痛っっ!」
サシャが笑った。
「下手ですね」
「うるせぇ!」
ジャンがため息を吐く。
「貸せ」
木槌を取る。
正確に打つ。
無駄がない。
「意外と器用だな」
アスカが言う。
ジャンが顔を上げる。
「意外ってなんだよ」
「もっと雑かと思ってた」
「雑なのはそっちだろ」
アスカは釘を指で押し込み、木槌で一発で沈めた。
速い。
正確。
ジャンが少し目を細める。
「お前も器用だな」
「慣れてるだけだ」
地下街では壊れたものを直すのも仕事だった。
直せなければ買えない。
買えなければ困る。
だから覚えた。
必要だった。
サシャが木材を抱えながら聞く。
「地下街ってどんなところなんですか?」
少し手が止まる。
質問自体は珍しくなかった。
でも答える気にならない。
「汚ぇところ」
短く返す。
サシャは首を傾げる。
「それだけ?」
「十分だろ」
ジャンが苦笑する。
「想像できるな」
コニーが釘を拾いながら言う。
「でもさ」
手を止めずに続ける。
「アスカって地下街育ちっぽくないよな」
アスカが見る。
「どういう意味だ」
「もっとこう」
コニーが手を動かす。
言葉を探している。
「荒い感じ?」
ジャンが補足する。
「コイツ、そういうこと言いたいんだろ」
「そうそれ!」
アスカは木柵を押さえる。
軋む音。
「地下街の奴見たことあんのか」
「ない」
即答だった。
コニーらしい。
アスカは少しだけ笑いそうになった。
「なら分かるわけねぇだろ」
マルコが釘を並べながら言う。
「でも、分かる気がするよ」
アスカが目を向ける。
マルコは木材のささくれを指で払っていた。
「地下街出身なのに、周りを見る余裕がある」
余裕。
違う。
余裕なんかじゃない。
癖だ。
呼吸みたいなものだ。
止めたら死ぬ。
そんな感覚に近い。
でも、それも説明しない。
「買い被りだ」
そう返す。
マルコは笑う。
否定しない。
押しつけもしない。
ただそう思っただけみたいに。
それが少し厄介だった。
こういう奴は距離を測りづらい。
作業は進む。
木槌の音が続く。
一定のリズム。
悪くなかった。
誰かと同じ作業をすること。
同じ場所にいること。
地下街でもあった。
でも違う。
あの頃はもっと殺気があった。
誰かが盗む。
誰かが奪う。
誰かが裏切る。
ここにはまだない。
まだ。
サシャが急に止まった。
視線が一点に向く。
「……パン」
地面に落ちていた。
朝食の残りらしい。
ジャンが呆れる。
「食うなよ」
サシャは真剣だった。
「まだ食べられます」
コニーが笑う。
「やめとけよ」
その時。
少し離れた場所で声が上がった。
エレンだった。
木箱を運んでいる。
一人で二つ。
無理しているのが分かる。
足元がふらつく。
危ない。
落ちる。
そう思った瞬間。
ミカサが支えた。
エレンが文句を言っている。
ミカサは無視していた。
ジャンが鼻を鳴らす。
「相変わらずだな」
コニーが笑う。
「見張られてんな」
アスカは少しだけ見ていた。
エレンはいつも前しか見ていない。
真っ直ぐだ。
危なっかしいくらいに。
その姿が、少しだけ引っかかった。
昔の自分みたいだった。
でも違う。
あいつには止める奴がいる。
ミカサがいる。
アルミンがいる。
それだけで違う。
キースの声が飛ぶ。
「次の訓練準備だ!」
雑務終了。
木槌を置く。
手のひらに振動が残っていた。
隣を見る。
マルコ達がいる。
自然に同じ方向へ歩く。
輪の中。
でもまだ。
一歩分だけ外にいる気がした。
☆☆☆
昼前、訓練兵達は森へ移動していた。
訓練場から少し離れた場所にある森林地帯。
壁内に残された人工林だと聞いた。
規則的に並んだ木々は、まるで兵士の整列みたいだった。
高い。
真っ直ぐだ。
枝葉が空を覆い、陽の光を細く切り刻んで地面へ落としている。
湿った土の匂い。
腐葉土の匂い。
風が吹くたび、葉擦れの音が頭上を流れる。
アスカは森を見上げた。
高低差。
死角。
木々の密度。
地下街とは真逆だった。
地下街は狭い。
壁が近い。
逃げ道が見える。
でも森は違う。
開けているようで、見えない。
視界が抜けない。
どこからでも来る。
そういう場所だった。
嫌いじゃない。
でも落ち着かない。
キース教官が前へ出る。
「本日は立体機動応用訓練を行う!」
訓練兵達の空気が締まる。
装備の重みが腰へ食い込む。
「班行動による索敵・移動・回収!」
キースが森の奥を指す。
木々の間、その先。
赤い旗が高所へ括りつけられているのが見えた。
遠い。
「指定された旗を回収し、制限時間内に戻れ!」
単純だ。
だが続きがあった。
「途中、妨害を入れる!」
ざわめく。
アスカは少し息を吐く。
単純な往復じゃない。
周囲を見なければならない。
それも、班全体で。
「班分けを発表する!」
名前が呼ばれる。
そして。
「アスカ・ラングレー!」
「マルコ・ボット!」
「ジャン・キルシュタイン!」
「コニー・スプリンガー!」
「サシャ・ブラウス!」
また同じ顔だった。
ジャンが苦笑する。
「縁があるな」
「嬉しくねぇ」
アスカが返す。
マルコが笑う。
「悪くない班だと思うよ」
コニーが木を見上げる。
「森かぁ……」
サシャも見上げる。
「怖いですね」
それは少し意外だった。
「お前でも怖ぇのか」
アスカが言う。
サシャが真顔で頷く。
「見えないところから来るの、嫌です」
その感覚は少し分かった。
キースが続ける。
「先頭を決めろ!」
マルコが自然に言った。
「アスカ」
またか。
「なんで」
「一番見えてるから」
その言葉に、ジャンも頷いた。
「前々から見てたけど、お前状況判断が早い」
コニーも続く。
「立体機動も上手いしな」
サシャも頷く。
アスカは少しだけ森を見る。
木々。
枝。
風。
音。
全部入る。
確かに先頭向きだった。
「分かった」
決まる。
先頭アスカ。
中衛マルコ、ジャン。
後衛コニー、サシャ。
役割が決まる。
でもアスカにはまだ馴染まない。
自分一人の動きじゃない。
誰かに合わせる。
誰かを見る。
それが班行動だった。
キースが手を上げる。
「始め!」
爆音。
ガスが噴き出す。
身体が浮く。
ワイヤーが木へ刺さる。
引っ張られる。
一気に視界が変わる。
木々の間を抜ける。
風が顔を叩く。
葉が頬を掠める。
速い。
でも狭い。
地下街の路地より自由度は高い。
だが死角が多い。
アスカが先頭を切る。
木を渡る。
次の木。
その次。
後ろを見る。
四人いる。
問題ない。
速度を合わせる。
一人ならもっと速い。
でも今日は違う。
後ろがいる。
ジャンが枝を避ける。
コニーが少しぶつかる。
サシャは意外と安定している。
マルコは静かだった。
無駄がない。
見ている。
周囲を。
アスカは気づく。
マルコも同じだ。
周囲を見る。
前だけじゃない。
横も後ろも。
「右!」
マルコの声。
アスカが反応する。
木弾が飛んだ。
教官達の妨害だった。
避ける。
後ろへ叫ぶ。
「散れ!」
四人が分かれる。
木弾が枝を砕く。
破片が飛ぶ。
森の中では視界が悪い。
見えた時には遅い。
それが厄介だった。
アスカが位置を見る。
上。
左。
二人。
把握。
「上だ!」
ジャンが即座に方向を変える。
連携は悪くない。
だがその時だった。
後ろ。
金属音。
サシャだった。
ワイヤーが枝に絡まっていた。
進めない。
身体が止まる。
妨害役が気づく。
狙う。
アスカの身体が止まった。
一瞬だけ。
前へ行けば旗に近い。
置いていけば間に合う。
合理的だった。
でも。
炎。
煙。
叫び声。
一瞬だけ。
頭の奥に焼けた匂いが蘇る。
身体が先に動いた。
戻る。
速い。
サシャの位置へ。
ワイヤーを見る。
絡み方を読む。
刃を抜く。
切る。
解放。
その瞬間。
木弾が飛ぶ。
腕で受ける。
衝撃。
鈍い痛み。
痺れる。
「行け!」
サシャが目を見開く。
「すみません!」
飛ぶ。
追う。
マルコ達に追いつく。
旗が見えた。
高所。
アスカが上がる。
速い。
取る。
戻る。
だが帰路。
妨害役が回り込んでいた。
三人。
囲まれる。
ジャンが舌打ちする。
「最悪だ」
アスカが前へ出る。
突破するつもりだった。
だが。
「待って!」
マルコだった。
指を差す。
左。
木々の間。
細い隙間。
抜け道。
「こっち!」
見えていた。
アスカは少し驚く。
見ていた。
全体を。
マルコも。
指示に従う。
走る。
飛ぶ。
抜ける。
妨害を振り切る。
ゴール。
着地。
土が跳ねる。
息が荒い。
腕が痺れていた。
キースが腕を組む。
「合格!」
息が抜ける。
ジャンがサシャを見る。
「次から気をつけろ」
サシャが頭を下げる。
「すみません」
コニーが笑う。
「でも助かったな」
サシャがアスカを見る。
「ありがとうございます」
アスカは腕を見る。
赤く腫れていた。
「気にすんな」
マルコが近づく。
「戻ったんだね」
その言葉に少し止まる。
「何が」
「サシャのところ」
見られていた。
アスカは視線を逸らす。
「近かっただけだ」
マルコは笑った。
信じていない顔だった。
でも、それ以上は言わない。
その距離感が少しだけ心地よかった。
森の匂いが残っている。
湿った土。
葉。
木。
呼吸を整える。
気づけば。
班として動いていた。
自然に。
まだ輪の外だと思っていた。
でも少しだけ。
その線が薄くなった気がした。
☆☆☆
訓練が一段落すると、訓練兵達には短い休憩が与えられた。
森の開けた場所。
切り株や倒木に腰を下ろし、水筒の水で喉を潤す。
陽は高いが、森の中は涼しかった。
葉が空を覆っている。
風が通るたび、頭上で枝が擦れ合う。
ざわざわと鳴る音は、遠くの波みたいだった。
アスカは少し離れた倒木に腰を下ろした。
腕を見る。
さっき木弾を受けた場所が赤く腫れている。
痛みは残っていた。
でも大したことはない。
もっと酷い傷はいくらでもあった。
皮膚が裂けたことも。
骨が軋んだことも。
これくらいは傷に入らない。
「隣、いいか?」
ライナーだった。
アスカは少しだけ視線を上げる。
「好きにしろ」
ライナーが座る。
木が少し軋んだ。
その隣にベルトルトも座る。
三人並ぶ形になる。
少し変な感じだった。
地下街では、横に誰かが座る時は大抵理由があった。
奪うか。
奪われるか。
でもここでは違うらしい。
「さっきの動き、良かったな」
ライナーが言う。
アスカは眉を寄せる。
「何が」
「サシャを戻って助けたろ」
アスカは水筒の蓋を開ける。
冷たくはない。
でも喉は潤う。
「近かっただけだ」
またそれだった。
自分でも分かっていた。
嘘だ。
近いか遠いかじゃない。
見捨てられなかっただけだ。
ライナーは笑った。
「そういうことにしとくか」
ベルトルトが木々を見上げながら言う。
「でも、普通なら進んでたと思う」
その声は静かだった。
責めているわけじゃない。
事実を言っているだけだった。
アスカは少し考える。
普通。
それがよく分からない。
地下街での普通と、ここでの普通は違う。
でも。
見捨てることが普通なら。
それは昔の自分だ。
「アスカはよ」
ライナーが続ける。
「戦い方が変わってるよな」
アスカはライナーを見る。
「そうか?」
「急所を取る」
ベルトルトも頷く。
「無駄がない」
言われて思い返す。
喉。
関節。
目。
膝。
崩せる場所を狙う。
倒せる場所を狙う。
当たり前だった。
「癖だ」
短く返す。
ライナーは少し笑った。
「癖であれは怖いな」
その言葉に少しだけ笑いそうになった。
その時だった。
視線を感じた。
見る。
少し離れた木陰。
アニだった。
一人で座っている。
膝を立て、水筒を持っていた。
誰とも話していない。
輪の外。
朝と同じだった。
でも。
目が合った。
数秒。
それだけ。
アニは逸らさない。
見ている。
観察している。
戦った相手を見る目だった。
敵を見る目に近い。
でも少し違う。
アスカも逸らさない。
やがてアニが先に目を切った。
水を飲む。
それで終わりだった。
「気になるか?」
ライナーの声。
アスカが見る。
「何が」
ライナーが顎で示す。
アニ。
「別に」
即答だった。
ライナーが笑う。
「そうか」
ベルトルトも少し笑う。
何がおかしいのか分からない。
アスカは視線を戻す。
木々の隙間から空が見える。
狭い。
でも広い。
地下街にはなかった空だった。
少し離れた場所では、ジャン達が騒いでいた。
コニーが何か言って。
サシャが食べ物の話をして。
ジャンが呆れて。
マルコが笑っている。
輪がある。
自然に出来ている輪。
そこへエレンも混ざっていた。
何か熱く話している。
アルミンが聞いている。
ミカサが見ている。
輪が広がる。
アスカはその光景を見ていた。
少し前なら。
あの輪の中に自分がいることを想像しなかった。
今もしていない。
でも。
完全に無関係でもなくなっていた。
それが少しだけ落ち着かない。
キースの声が飛ぶ。
「休憩終了!」
空気が切り替わる。
立ち上がる。
土を払う。
ライナーも立つ。
ベルトルトも。
少し離れてアニも立つ。
視線が一度だけ交わる。
何も言わない。
それで十分だった。
森の奥から風が吹く。
葉が揺れる。
その音の中で。
アスカは自分の立ち位置を考えていた。
輪の中にはいない。
でも。
輪の外でもなくなり始めている。
☆☆☆
夜の食堂は、朝とは別の場所みたいだった。
同じ机。
同じ椅子。
同じ壁。
でも空気が違う。
昼間みたいな騒がしさはない。
食事を終えた訓練兵達の姿もまばらで、広い食堂の中には食器の触れ合う音だけがぽつぽつと響いていた。
一日の熱気が抜けている。
汗の匂いも、土の匂いも、少し落ち着いていた。
アスカは端の席に座っていた。
昼と同じ場所だった。
壁を背に出来る席。
落ち着く。
皿の上には黒パンがひとつ。
スープはもう空だった。
食後に残った時間を潰すように、本を開いている。
壁内の地理。
地形。
街の名前
壁の名前。
読む理由は単純だった。
知らない場所では死にやすい。
覚えていれば生き延びやすい。
それだけだ。
ページをめくる。
でも頭には入らない。
昼の訓練が残っていた。
森の湿った匂い。
枝葉を裂いて飛ぶ感覚。
ワイヤーが枝に絡んだサシャの顔。
マルコの声。
戻った瞬間の感覚。
全部残っていた。
「珍しいな」
声がした。
顔を上げる。
ユミルだった。
隣にクリスタもいる。
二人とも食事を終えたらしい。
ユミルは盆を片手に持ちながら立っていた。
「何が」
アスカが返す。
ユミルが顎で本を指す。
「勉強熱心じゃねぇか」
アスカは本を閉じる。
「知らねぇ場所で死にたくねぇだけだ」
ユミルが鼻で笑った。
「お前らしいな」
勝手に向かいの席へ座る。
クリスタも隣へ座った。
自然だった。
許可を取らない。
でも押しつけてもこない。
ユミルらしい。
クリスタらしい。
「今日の訓練、見てたよ」
クリスタが言った。
柔らかい声だった。
アスカはパンを持ち上げる。
「そうか」
「サシャ助けてた」
アスカの手が少し止まる。
パンの硬さが指に伝わる。
「近かっただけだ」
ユミルが笑った。
「またそれか」
「…聞いてやがったのか」
「お前風に言うなら、『近かっただけだ』か」
「ユミル、からかわないの」
便利な言葉だった。
言い訳になる。
理由にもなる。
誤魔化しにもなる。
クリスタは首を横に振った。
「でも、助けるってすごいことだよ」
真っ直ぐだった。
迷いがない。
そういう言葉は少し苦手だった。
善意がそのまま出てくる。
裏がない。
地下街にはなかった。
「大したことじゃねぇ」
「大したことだよ」
即答だった。
クリスタの目が揺れない。
小さいのに芯がある。
アスカは少し目を逸らした。
ユミルが頬杖をつく。
「思ったより冷たくねぇな」
その言葉に少し止まる。
冷たい。
そう思われるのは楽だった。
距離が出来る。
踏み込まれない。
失わない。
それが一番楽だ。
「買い被りだ」
ユミルが肩をすくめる。
「そういうことにしといてやる」
食堂の奥では、まだ何人かが話していた。
ジャンの声。
コニーの笑い声。
サシャもいるらしい。
パンの話でもしているのか。
少し騒がしい。
でも嫌な騒がしさじゃない。
ユミルがふと視線を向ける。
「今日はマルコ達といたな」
アスカはパンを齧る。
硬い。
「たまたまだ」
「輪に入ってたじゃねぇか」
その言葉に少し眉を寄せる。
輪。
今日何度も感じたものだった。
朝食。
掃除。
班行動。
休憩。
気づけば同じ顔が近くにいた。
自然に。
「入ったつもりはねぇ」
ユミルが笑う。
「そう思ってんのはお前だけかもな」
アスカは返さない。
たぶん、その通りだった。
マルコは最初から自然だった。
ジャンも文句を言いながら隣にいる。
コニーもサシャも距離が近い。
エレンも勝手に絡んでくる。
輪が出来ていた。
知らないうちに。
クリスタが少し前へ身を乗り出す。
「でも、楽しそうだった」
アスカが見る。
「どこが」
クリスタが少し笑う。
「少しだけ」
自分では分からなかった。
でも、周りからはそう見えたらしい。
それが少し変な感じだった。
ユミルがふと真顔になる。
「お前さ」
アスカが見る。
「昔、何かあっただろ」
空気が少し止まる。
クリスタがユミルを見る。
止めるような目だった。
でもユミルは逸らさない。
アスカを見る。
まっすぐ。
冗談じゃない。
見抜いていた。
傷の形を。
「……何でそう思う」
ユミルが鼻で笑う。
「見りゃ分かる」
短い。
でもそれで十分だった。
アスカは黙る。
本の表紙を見る。
指先に紙の感触がある。
言う気はなかった。
言えば戻る。
匂いも。
熱も。
声も。
全部。
ユミルはそれ以上聞かなかった。
「まぁ、言いたくねぇならいい」
その引き方が少し意外だった。
もっと踏み込むと思っていた。
クリスタが小さく言う。
「無理に話さなくていいから」
その声が妙に静かだった。
優しい。
優しすぎる。
そういうものは、少し危ない。
慣れると困る。
失った時に残る。
ユミルが立ち上がる。
「行くぞクリスタ」
「うん」
クリスタも立つ。
去る前に少しだけアスカを見る。
何か言いたそうだった。
でも言わない。
そのままユミルについて行った。
二人の背中が遠ざかる。
静かになる。
食堂にはもうほとんど人がいない。
ジャン達の声も消えていた。
残ったのは食器を片付ける音だけだった。
アスカは本を開く。
文字を見る。
でも頭に入らない。
ユミルの言葉が残っていた。
昔、何かあっただろ。
あった。
ありすぎた。
思い出せば終わりだ。
煙。
火。
叫び声。
焼けた木の匂い。
焼けた肉の匂い。
振り払うようにページをめくる。
その時。
ふと気づく。
最近、覚えた名前
マルコ。
ジャン。
コニー。
サシャ。
ライナー。
ベルトルト。
エレン。
アニ。
昨日まではただの訓練兵だった。
顔も名前も、どうでもよかった。
でも今は違う。
名前がついた。
顔がついた。
声がついた。
それは面倒だった。
名前のある死は重い。
知らない誰かの死とは違う。
残る。
忘れられない。
だから、本当は覚えない方がいい。
踏み込まない方がいい。
輪の外にいた方が楽だった。
でも。
今日一日で。
少しだけ遅かった。
気づいた時にはもう。
輪の縁に立っていた。
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