沈黙の八咫烏   作:全智一皆

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第五話「魔宮の蠍」

 

■  ■

『あの神崎アリアから依頼を受けるとはな! あのマセた坊主が、とんでもない依頼主(クライアント)を手に入れたもんだ!』

 

 電話の向こうから、嗄れ気味ながらも元気の良い声が飛んできてビリビリと耳に響く。老人であるというのは分かるが、その声はどうにも老人のそれを感じさせない。

 キンジとアリアの猫探し依頼に協力し、無事にその依頼を完遂して一日が経過して間もない頃。先二は自室で一人の相手から電話を掛けられ、それの応えていた。

 

 相手の名前はアーサー。アーサー=ヘイトレッド。

 今の沈黙(エリプシス)よりも前、まだウェイルが沈黙を立ち上げて間もない頃から所属している古参の一人であり、熟練の傭兵。かつての世界大戦を経験した老耄(生き残り)

 その年齢はもう90に届くというにも関わらず、未だに沈黙での活動を続けている長寿の英雄。かつては『憎悪の怪物』という異名の下、敵国から畏怖を込めて「ヘイトレッド卿」と呼ばれた男だ。

 ルーカスに並び、先二に沈黙のあれこれを教えた人間の一人である。

 

「沈黙全体が評価されている証です。俺個人の力なんかはついでですよ、アーサーさん」

『ったく、謙遜も過ぎれば嫌味ってもんだぞ、先二。お前のソレは魅力だが、同時にお前の成長を妨げる弱点だな』

 

 呆れた様な溜息を漏らし、アーサーは軽く叱りつける。

 謙虚である事は美徳だ。戦場において、傲慢は最も死を招く因果の一つ。己は誰よりも強い、己ならば誰にも負けない、この戦には必ず勝つ。そんな過ぎる自信が死因と化す。

 だが、謙虚も過ぎれば死因だ。自信の無さは己の士気を下げる。成果を出した者の謙遜程、何も出来なかった兵士達を煽るものはないのだ。

 

『神崎アリアは他の沈黙を雇わずお前を雇った。ベインの坊以外にも優秀なのは居る、その中でお前が選ばれた。それがお前個人の力が認められている証でないなら何だ?』

「……」

『シャキッとせんか、若造。誰がお前に教え込んだと思っとるんだ、ん?』

「す、すみませんっ」

 

 ピシャリと言葉で叩かれて、つい謝罪の言葉が溢れる。

 いつだって、アーサーに説教をされるのには慣れない。武偵高の教師達とは違って其処には決して殺意はないが、しかし歴戦の軍人からの言葉は教師達のものとは、重みというものが全く異なる。

 特にそれが、戦場に関するとのであるならば尚更だ。

 

『別に謝らんでええわい。お前も昔みたいな生意気なガキじゃねぇしな、そろそろ自分で色々分かる様になりゃにゃならん年頃だろう。如何せんお前は自分に厳し過ぎるからなぁ、そこん所は履き違えるなよ。お前にはお前の強さがある』

「……はい」

『分かったなら良しッ! 次下手言ったらウェイルの坊も連れて日本行くからな、楽しみにしとけッ!』

「それはマジで勘弁してくださいお願いします」

 

 先二には嫌いなものが二つある。

 一つは正当性のない理不尽、二つはウェイルとの修行だ。

 認識していた筈なのに気が付く間もなく周囲に溶け込んで姿を消し、意識の外から突如として攻撃が放たれる。気絶しようにも絶妙な手加減で気絶出来ず、ひたすら攻撃を避けるか防ぐかの二択しか選べない。

 ゴムナイフであるというのに、その圧倒的な速力によって切り傷が創られる。もう二度とあんな修行は受けたくない。

 

『じゃ、オレはそろそろ戻るぞ。若い奴の訓練を見てやりゃいかん』

「分かりました。帰ってきたら、俺も久しぶりにお願いします。良いライバルと競い合ったお陰で、前より上手くなりましたから」

『断言したな? ならバッチリ観てやるよ。じゃあな、先二。楽しみに待ってるぜ』

 

 ぷつり、と電話が切られる。また生きる理由が出来たと、先二は嬉しそうに笑った。

 拾い、育ててくれた雑賀衆の皆は勿論だが、沈黙もまた彼にとっては雑賀衆と同じくらい家族の様に思う大切なものだった。雑賀衆と沈黙、その両方が彼の居場所だ。

 武偵としての生活も気に入っている。学友達との会話も任務も楽しさがある。傭兵として動くそれとは、また異なる―――学生としての楽しさが。

 

「とは言え、今は武偵だ。この暮らしも悪くはないし、何事もなければ卒業するまで続けておきたい所だな」

 

 そう呟く同時に、Prrrrr……と、ポケットに仕舞い込んでいた携帯電話の着信があった。

 アリアだ。つい最近、猫探しを手伝ったSランク武偵からのお電話である。

 

『センジ! 今すぐ車輌科(ロジ)』の倉庫まで来なさい!』

「了解」

 

 携帯電話越しから飛び出るアニメ声に、短く答えて支度をする。

 多くは語らなかった。幼少期から戦場に居た経験から分かる事など多くある。だが、これはそれとは全く別のものだ。

 神崎からの電話というだけで、何が舞い込んでくるのかなんて仕事以外には何もない。それ以外に何かが舞い込んで来たならば、先二は神崎に何かあったのだと疑わざるを得ない。

 それくらいには、雑賀先二という男はアリアに対するダメな方の信頼が募っているのである。

 

「今日はこれだな」

 

 机の引き出しを下げ、中に置かれた黒い鉄塊を取り出す。

 デザートイーグルにも似た大型の自動拳銃。窓から差し込まれる僅かな光に照らされる黒塗り、何処か新鋭的な形状をしているその銃は、雑賀衆が沈黙からの技術提供を経て開発された次世代銃火器『MHIシリーズ』が一つ、MHI-HG。

 近接戦闘が多い強襲科に入る事もあり、雑賀衆の本部から送られた武器の一つだ。

 銃口の下部に備えられたセーフティを確認し、バッグの中に入れ込んでそれを抱え、急ぎ倉庫へ向かう為に玄関まで駆け足で向かって――――――

 

「……」

 

 ふと、足を止める。否、この場合は足が止まってじうと言うべきか。

 扉の向こうに、誰かが居る。気配も殺意も感じさせないが、しかし確実に、其処には誰かが居る。先二の身体はそれを感じ取り、足にブレーキを掛けたのだ。

 それは狙撃手としての必要技能。自然環境、人口環境に身を置き、息を潜め、周囲に紛れる隠密行動技術。これは、その応用である。

 周囲の環境に身を置いて、意識して息を潜めるが故に、狙撃手というのは環境に存在するあらゆる些細な変化に敏感だ。僅かな物音、位置の変化ですら気が付く。

 

「…………」

 

 ―――扉の向こうに居るのは敵だ。

 決して味方ではない。扉の向こうで息を潜め、獲物を待っている。それは獣と言うよりは、『蟲』に類するものだ。敵意もなければ殺意もない、ただ『それがやるべき事である』という意識の下で獲物を喰らう昆虫のそれだ。

 静かにバッグを下ろし、ジッパーを下ろして中身へと指を走らせる。

 数パーツに分解され、内包されたるはスナイパーライフル。彼が最も大切にしている狙撃銃にして雑賀衆の棟梁からの贈り物―――「千代包」を、扉を警戒しながら見ずに素早く組み立てる。

 どれだけ気を付けようと、組み立てる際に発生する弟は防げない。ならば最速、最短で完成させて敢えて向こうに警戒させる。

 ガチャンッ!、と、ボルトハンドルを掴んで薬室(チャンバー)へと銃弾を送り込めば、鈍い音が響き渡る。

 物音はない。気配が動じる様子もない。つまりは―――避ける気も逃げる気も、欠片もない。

 

「……嘗めているのか。或いは、それだけの強者か。どちらにせよ、先を急いでいる―――死なない程度に、殺す」

 

 ストックを肩に押し付けながら床に伏せる。

 まだ春を終えていない所為もあってか、冷たい感触が制服越しで肌に伝わる。存外に心地が良い。思考を澄ませられる。

 銃口を数ミリと下げ、照準を合わせる。狙うのは足。或いは、半身と言った所だろうか。この距離なら、確実に外さない。意識しなければ外す方が難しいとすら断言出来る。

 

「――――――八咫烏の銃声(こえ)を骨で聴け」

 

 いつもの(まじな)いを唱える。風の少女が己を律する様に唱えるそれと同じ様に、己を己たらしめる呪いを口にして思考を研ぎ澄ます。

 引き金に掛けた指に力を込めて―――

 

「待って」

 

 制止の言葉が、扉の向こうから掛けられる。

 高く、澄んだ声だ。おそらくは女性だろう。だが、その声には緊張や恐怖といったものはない。

 

「貴方と戦いに来た訳ではないわ。私はあくまでも仲介人」

「それを信用する材料が無い。人間、その気になれば敵意や殺意は普通に隠せるものだ。お前の言葉が嘘で、俺を誘き出そうとしている可能性の方が高いだろ」

「それもそうね。ならそのままでいいわ。別に、貴方と対面する必要はないもの」

「そうか。ならそのまま何もしないでくれよ。そっちの方が俺も楽だ。あぁ、勿論だが呼吸はしていいぞ? 俺は何処ぞの暗殺一家の息子じゃないからな」

 

 軽い口調で駄べる様に言いはするが、しかし先二の顔は無表情だった。

 決して気を緩める事はなく、何か感知出来たならばいつでも撃てる様に引き金に指を掛けたままだ。

 

「それで、何の用だ? 生憎と俺は暇じゃなくてね。凄腕の依頼者(クライアント)の仕事を手伝わなくちゃいかん。手短に頼む」

「貴方があの子の質問に正直に答えてくれるなら早めに終わるわ。私としても、いつまでも扉越しに狙撃銃で狙われちゃ堪らないもの」

 

 肩を落とした様な声色に先二は内心で舌を打ち、面倒だなと毒づく。

 狙っている事はバレている。狙撃をする上での最大のアドバンテージが早速一つ消え失せた。後は射線が読まれているのか否かであるが、其処もおそらくは気付かれているだろう。

 武偵法によって、武偵は一般人に比べて背負う罪の値が大きい事が定められている。未成年飲酒や無免許の運転やらの罰則は、武偵にとっては社会的な死も同然の罰として返ってくる。

 それが殺人となれば、尚更。つまり必然的に、人を殺す様な位置を狙撃する事は出来ないという訳で―――それだけで、強者とは大きな差が出来上がる。

 

「まず一つ。貴方、ひいては貴方達は『イ・ウー』という組織を知ってる?」

「一応。だが詳しくは知らんよ。ごく偶に依頼が来るから知っている、といった具合だ」

「そう。次に二つだけど、貴方は『武偵殺し』をどうするつもりなの?」

「どうするつもり、とな。それはまた、やけに変な質問だ。お前が言う『あの子』ってのは、『武偵殺し』の関係者か何かなのか?」

「関係者と言うか、『武偵殺し』本人だけれど」

「……それは、流石に予想外だな」

 

 あまりにも素直でデカ過ぎるカミングアウトに、先二は引き締めていた空気を、一瞬ではあるもののつい緩ませてしまった。

 まさか『武偵殺し』本人からの質問が幾つもあるとは、流石の先二も予想はしていなかった。しかもそれを馬鹿正直に話すものだから、驚くのも無理はない。

 状況が状況ならズッコケていた場面だったであろうが、それはそれだ。先二はすぐに緩めた気を戻した。

 

「それで、どうなのかしら」

「どうするも何も、勿論捕まえる。そういう依頼だからな。あぁ、ちなみに乗り換えはしないぞ? よく傭兵は金を多く積む方に乗り換えると勘違いされるが、そんな事をしたら信用が失せるからな」

 

 傭兵は金で動くもの、という認識は決して間違いではない。だがしかし、それが『絶対』であるという法則は存在しないというのが現実である。

 傭兵という職業は、そう単純なものではない。傭兵にとって金とは確かに大切ではあるが、それよりも信用と信頼こそが最も重要であり必要なものだ。

 信用を失えば、傭兵は仕事を失うのと同義だ。『あの傭兵はすぐに裏切る』といった認識が広まれば、当然の事としてその傭兵が誰かに雇われる事は無くなり、日銭すら稼げなくなる始末である。

 だからこそ、傭兵は決して依頼人を裏切らない。一度請け負った依頼は最後まで遂行する事こそが傭兵のルールであり、絶対的な法則である。それが出来ないならば、もはや三流ですらないのだ。

 

「そう。それは―――」

「まぁ、捕まえた後ならば手を貸すが」

「残念……は?」

「任務が終われば話は別だ。つまり雇用状態は解除という訳だからな。個人的には、武偵殺しの手腕は素晴らしいと思っている。可能なら沈黙(エリプシス)に引き抜きたいくらいだ」

「……貴方、本当に変な人ね。武偵とは思えないわ」

「初対面の女性にそんな事を言われるとは心外だな」

 

 若干引いた様な、或いは何処か驚いた様な、そういった雰囲気が扉から伝わってくる。先二としてはかなり心外である。

 自分はただ傭兵としての意見を述べただけだというのに。

 まぁ、閑話休題(それはともかく)

 

「質問は以上か? さっきから電話が鳴りっぱなしなんだ、質問が無いならさっさと其処から消えてくれ。そろそろ俺が風穴を空けられそうで怖い」

「心配せずとも、次が最後よ。とっても簡単な質問――――――貴方は、()()()?」

「……」

 

 今は武偵。だが、武偵となった今も彼は傭兵だ。

 過去は消えない。過去からは逃げられない。有名な言葉だ、胸に突き刺さる様に響く。

 その手で殺めた人の数は遂ぞ小さな山を築き上げる程にまで至っている自分。それが果たしてどちら側であるのかなど、考えるまでもない。

 命を救う側ではなく、奪う側だ。差し伸べるその手は血濡れていて、その背後には屍が積み重なっている。その血の一滴まで、濁ってしまっている。

 

「どっちもそっちもない。俺は仕事をした、それだけだ。それ以上でも以下でもない。傭兵が何をしようが、誇りも大義もありはしない。戦場に事の善悪を持ち込む必要があるのか?」

 

 故に―――先二はもう、割り切っている。

 『仕事』をした、ただそれだけだと。殺人も破壊も全ては依頼としてこなしただけに過ぎなかった。

 殺人も破壊もやった。だが、護衛だってやった。防衛だってやってみせた。何もかもが全て世の中では悪と呼ばれる様なものではない。

 だが、それすらも仕事でしかない。単なる仕事。ただの仕事。つまる所、そうでしかないのだ。

 生かすか殺すかではなく、殺すか殺されるかの二択しか存在しない戦場に身を置いた上で、単純な善悪など考えている暇はない。

 それは、思考の放棄と言えるのかもしれないけれど。

 

「そう答えるのね。思ったより迷いがなくて驚きだわ」

「傭兵やってるんだ、それくらいしなきゃやってられない。さぁ、早く帰れ。でなきゃ俺はお前を撃たねばならん」

「そうね、とても怖いもの―――帰らせてもらうわ」

 

 直後、ピンッ……と何かが外れる音がしたその刹那。

 

 ――――――ガァッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 八咫烏の銃声(こえ)が轟いた。

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