静かな山村の片隅に、小さな養鶏場があった。年老いた農夫の田中は、妻を亡くして以来、一人でひよこたちを育てていた。黄色い小さな体でぴよぴよと鳴く彼らは、田中にとって最後の家族のようなものだった。
ある日、養鶏場に異変が起きた。一羽のひよこが、夜明け前に突然死んでいるのが見つかったのだ。体には目立った外傷はなかったが、その目は恐怖に見開かれ、口は何かを叫びたがっているかのように開いていた。田中は首を傾げたが、「寿命だろう」と自分に言い聞かせ、死んだひよこを土に埋めた。
その夜、田中は妙な夢を見た。真っ暗な空間に、ひよこたちがじっとこちらを見つめている。彼らの目は赤く光り、田中を責めるように「帰れ…帰れ…」とささやく。目が覚めたとき、田中は冷や汗でびっしょりだった。
翌朝、さらに二羽のひよこが死んでいた。同じように恐怖の表情を浮かべて。田中の胸に不安が広がる。原因を突き止めようと、農具倉庫で古い資料や本を探したが、答えは見つからなかった。その日の夜も同じ夢を見た。ひよこたちの赤い目がじっと田中を見つめ、「帰れ…帰れ…」と低い声で繰り返す。
三日目、田中は耐えきれず、村の神主である山本に相談した。山本は顔を曇らせ、こう言った。
「おそらく、土地の問題だろう。この場所には昔、何かがあったのかもしれん。」
その話を聞いて、田中は養鶏場の土地がどうやって手に入ったのかを思い出した。20年前、村の地主が格安で譲ってくれたのだが、当時、地主はこう言っていた。
「この土地は安いのには理由がある。ここには昔、捨てられた子供たちが住んでいたらしい。」
田中は笑い飛ばして気にも留めなかったが、今になってその言葉が重くのしかかった。
その夜、田中はとうとうひよこたちのケージの前で見張りをすることにした。深夜、ひよこたちが突然鳴き出した。その声はいつもの「ぴよぴよ」ではなく、低く、不気味な音に変わっていた。田中がライトを当てると、ひよこたちはケージの中でぐるぐると渦を巻くように動き、次第に一羽ずつ消えていく。
そして、ケージの中に現れたのは――骨と土にまみれた小さな子供たちの姿だった。彼らは田中をじっと見上げ、笑みとも怒りともつかない表情でこう言った。
「お前もここで朽ち果てろ。」
翌朝、村人たちが養鶏場を訪れたとき、田中の姿はどこにも見当たらなかった。ただ、ケージの中にひよこが一羽残されていた。そのひよこは、他のどれよりも大きく、じっと人間のような目でこちらを見ていた。
村人たちは養鶏場を調べたが、田中が行方不明になった理由はわからなかった。ただ、不気味な雰囲気だけがその場に漂っていた。村の長老である佐藤が「何か祟りだ」とつぶやいたことで、村人たちは二度とその養鶏場に近づかなくなった。
それから数日後
村外れにある田中の家から、夜な夜な奇妙な音が聞こえ始めた。「ぴよぴよ」というはずのひよこの鳴き声が、低くうねるような不協和音に変わり、時折、何かが家の中を這い回るような音も混ざる。近くを通る村人たちは足を速め、誰も家の中を確かめようとはしなかった。
その家に住み着いたのは、一羽の異常に成長したひよこだった。その体は普通のひよことはかけ離れており、羽毛は黒ずみ、赤い目は獲物を狙う猛禽のように鋭い。夜中にそのひよこの影を見た者は、その数日後に村から姿を消した。
ある夜、村で唯一の若い猟師、健二が興味本位で田中の家に忍び込んだ。懐中電灯を片手に、埃まみれの家の中を歩き回った健二は、廊下に散らばる骨を見つけた。それは、何羽ものひよこの骨だったが、異様に大きなものも混じっている。健二は気味悪さを覚えつつも、さらに奥の部屋へと進んだ。
突然、背後で何かが動く音がした。振り返った瞬間、暗闇の中から赤い目が二つ、じっと健二を見つめていた。健二が叫び声を上げたとき、影が飛びかかってきた。その大きなひよこは、羽を広げ、鋭いくちばしを光らせながら彼を押し倒した。健二は必死にもがきながらも、ひよこの力に圧倒され、ついに叫び声を上げる暇もなく暗闇に飲み込まれた。
翌朝、健二の姿はどこにもなかった。ただ、田中の家の玄関前に、ひよこの形をした奇妙な影が残されていた。
村の噂は次第に広まり、「田中のひよこ」と呼ばれるようになった。誰もその家に近づこうとせず、村人たちはただ遠くから不気味に笑うひよこの鳴き声を聞くばかりだった。
しかし、それだけでは終わらなかった。田中の家からさらに遠く離れた場所――村の中心にある神社の境内で、また新たな異変が起きた。神社の鳥居に何かが掛けられていた。それは血まみれの木箱で、中には一羽の黒いひよこがいた。その目は赤く光り、村人たちを一瞥すると、不気味な声でこうささやいた。
「……次はお前だ。」
それから村では、次々と不可解な失踪事件が起き始めた。人々はその原因を知りながらも口には出せず、ただ怯える日々を送ることしかできなかった。
そして、田中の養鶏場からさらに広がる、ひよこの「ささやき」が村全体を覆い尽くそうとしていた。
さらに物語を続けます。村全体を覆う「ひよこの呪い」の真相に迫り、さらに緊張感を高める展開にします。
村では次々と人々が消えていき、やがて残された者たちは恐怖の中で疑心暗鬼に陥った。「誰かが呪いを呼び寄せたのではないか?」というささやきが村中に広がると、やがて村の会合である「決断」が下された。田中の家と養鶏場を焼き払い、村の外にある森の奥深くに封じ込めようというものだった。
長老の佐藤を中心に、若者たちが松明と燃料を手に集まった。その夜、村の住人全員が田中の家と養鶏場を囲んだ。建物に火がつけられると、火の勢いはすぐに広がり、真っ赤な炎が夜空を照らした。
だが、その瞬間――。
燃え上がる家の中から、耳をつんざくようなひよこの鳴き声が響き渡った。
その声はひよこのものではなく、どこか人間の叫び声にも似ていた。炎の中から、異形の存在が現れた。それは黒い煙をまとった巨大なひよこの形をしていたが、顔にはまるで田中のもののような不気味な輪郭が浮かび上がっていた。
「お前たちが私を追い出した……この地に私を封じた……」
その声は田中のものだった。だが、人間の声とは思えないほど低く響き、村人たちの耳に直接入り込むようだった。
村人たちは恐怖で動けなくなり、ただその場に立ち尽くすしかなかった。その間にも異形のひよこはゆっくりと養鶏場の方向へ向かい、地面に爪を突き刺すたびに黒い液体が染み出していく。それは土に染み込むと、そこから無数の小さなひよこの影が湧き出し、周囲を囲むように広がった。
長老の佐藤が震える声で叫んだ。
「これはこの土地に封じられた霊だ! 我々が、いや、この村が何かを隠している!」
村人たちはその言葉に動揺したが、それでも彼らは逃げるしかなかった。異形のひよこはゆっくりと村へと歩を進め、その周囲には不気味なひよこの影が増えていった。
その夜、長老の佐藤は一人、村の古い書庫に忍び込んだ。
佐藤は何十年も前の村の記録を掘り起こし、ついに驚愕の事実にたどり着いた。
この土地にはかつて孤児院があった。しかし、村人たちは土地の所有権をめぐる争いの中で、その孤児院を焼き払ったのだ。大人たちが逃げ延びた一方で、取り残された子供たちは誰も助けられなかった。彼らの骨は今もこの地に埋まっていると記録には書かれていた。そして、その孤児院の後に建てられたのが、田中の養鶏場だったのだ。
佐藤は真っ青な顔で書庫を飛び出したが、その先で黒いひよこの群れに囲まれた。赤い目のひよこがじっと佐藤を見つめながら、こうささやいた。
「あなたたちが私たちを忘れたから……。だから、私たちは帰ってきたのです。」
佐藤はその場に崩れ落ちた。その後、村では佐藤の姿も見られなくなった。
翌朝、村は完全に静まり返っていた。ひよこの鳴き声も、人々の声も、何もかもが消え去り、廃墟と化した田中の家の跡地には一つの木箱だけが残されていた。その箱の中には、真っ黒な卵が一つ、奇妙な模様を浮かべていたという。
それ以来、この村の名は地図から消え、人々の記憶からも忘れ去られていった。しかし、時折その地域を訪れた旅人が、森の奥から聞こえる不気味なひよこの鳴き声を聞くという噂だけが、ひそかに語り継がれている。