獣人族にとって、強さとは誇りである。
本来、獣人は立場の弱い種族だった。少しばかり力が強い程度で繁栄できるほど、この世界は甘くない。本当なら歴史の途上で淘汰されても可笑しくなかった。……が、そんな流れを一人の獣人は見事に変えてみせた。
獣人族最古にして最強の英雄、レオ・ライオネル。かつて人間と魔族の間で起こった大戦で人間側に手を貸し、多大な戦果を上げた傑物である。
強靭な肉体が齎す圧倒的な武、獣人族の秘めたる可能性を示してくれた彼の事を獣人達は讃え、彼が編み出した百のスキル……百獣奥義を後世に余す事なく伝え続けた。
……獣人族にとって強さは誇りだ。だからこそ弱い獣人には誰も価値を見出さない。
女子供だろうと関係なく、弱い事は罪なのだ。
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「ほら、さっさと立てよ負け犬」
「ぐっ……ぅぅ」
それは今よりも過去の事、黒髪金眼の獣人の少年が、自分よりもずっと小さい黒髪赤眼の獣人の少女が地に倒れ伏す様を見下ろしてそう言った。
「…………な」
「あん?」
「訓練の、ジャマするな」
イジワルな笑みを浮かべていた少年は、少女の言葉に一瞬ポカンと呆けて、
「ぶっ……ハハハハ!!!」
そして嗤った。
「おいおい邪魔なんて酷いじゃねえか、俺はお前の訓練を手伝ってやってるんだぜ? 組み手が見つからないお前の為にわざわざ相手してやってさあ」
「っ、こんなの、訓練じゃ、ない!」
少女はうつ伏せのまま首を持ち上げて、見下ろす少年に鋭い眼光をぶつける。
「……そうだなあ、確かに訓練じゃないよなあ」
そう言って彼は倒れる少女に近寄り、顔をグイッと近付けて浮かべた嘲笑を少女に見せつける。
「だってお前、弱すぎるもん」
「……ッ!」
その嘲笑を崩そうと少女は立ち上がりざまに拳を振るう。が、少年はそれを後ろへ飛んであっさりと避ける。
「ほらほらどうした? 殴らねえのか?」
「ぐッ! このッ!」
二発、三発と追撃を仕掛ける少女だが、それら全ては掠る事すらなく空振りで終わる。
「うッ……くぅッ……ぐぁっ!?」
「あーあ、ちゃんと足元見ねえから」
懸命に拳を飛ばす少女は、しかし相手が伸ばした足に引っかかり地面に倒れ込んでしまう。その姿を見た少年は、再び嘲るような笑いを上げた。
……獣人達が暮らす獣人の里、そこで暮らす少女は現在、同年代の者達と一緒に戦闘訓練を行っていた。
「ハハハハ!」
目の前で彼女を見下す少年の名は、ガァロ。里の子ども達の中で最も強く、そして里で最も弱い彼女を事あるごとに痛めつけるいじめっ子だった。
「……ッ」
少女は地面に顔を向けながら密かに歯噛みする。頭上で高笑いしてくるアイツにもう一度殴り掛かってやりたいが、再び醜態を晒す事になるだけだと悟って怒りを抑え込む。
「……ガァロの奴、またやってるよ」
「自分が一番強いからって真面目に訓練もせず……ほんとムカつくぜ」
少女は周りに助けを求めようとは思わなかった。そんなの自分のプライドが許さないし、なにより無駄だと知っていたから。
「ほっとけ、むしろザコに構ってる今がチャンスだ。今のうちに力を付ければ奴との差を埋められる」
「……それもそうだな。うしっ、そんじゃ再開するか」
周囲は誰一人として少女を助けない。興味すら無い。
「あーあ、お前で遊ぶのもあとひと月で終わりだと思うと悲しくなってくるぜ」
彼女は弱い。そしていつまで経っても弱い獣人に里での居場所は無い。
里の子どもは成人した時、試練として百獣奥義を一つ身に付けていなければならない。もし出来なければ、その者は里から追放される。
彼女が成人を迎えるまで残りひと月、同年輩の多くが百獣奥義を身に付けている中、彼女は未だに未修得のままだった。
「……ッ」
言い返したかった。やり返したかった。自身の頭を踏ん付けるその足に牙を剥けて、今すぐにでも噛みちぎりたかった。
しかし出来ない。度胸の問題ではなく力量の問題だ。今の実力で噛みつこうとすれば、逆に頭を蹴飛ばされるのがオチだ。
「残り一ヶ月、存分に俺を楽しませてくれよな? 負け犬」
「〜ッ!」
だから堪える。今はとにかく耐え続けて、牙を研ぎ続けるのだ。
(絶対に……絶対に……!)
強くなって必ずコイツに報いを受けさせる。自分が負け犬でない事を里の奴らに知らしめる。その一心で彼女は鍛錬を重ねて、重ねて、重ね続けて、
「───現時点をもって、お前を里から追放する」
……成人を迎えた当日、彼女は里長から無情な判決を下された。
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ある所に、獣人と人間のハーフである少女が居た。
少女の父親は獣人で、母となる人間の女と結ばれるべく獣人の里から飛び出していった。
暫くすると二人の間に少女は生まれて、順調に幸せな家庭が築かれていった。
……その幸せは、ある日一瞬で崩壊した。
スタンピード、発作のようにモンスター達が一斉に暴れ狂う怪現象。本来のら国が対処しなければならない非常事態に少女とその両親は、ちょうど郊外に居た時に巻き込まれた。
少女の両親は、我が子を守ろうと命懸けだった。
名のある武闘家だった母は、襲いくるモンスター達を足止めするべく立ち向かった。そして父は、たまたま故郷である獣人の里に近かった為に、そこへ我が子を連れて走り続けた。
獣人の里に辿り着き、同胞達に子どもを預かって欲しいと頼み込む父親。しかし獣人達は里を捨てた男の言葉に聞く耳など持たない。故に彼は獣人族らしく、暴力で頼みを聞き入れさせる事にした。
里一番の強者である里長と父は戦った。その戦いは熾烈を極め、父は最期に里長へ参ったと言わせた後、安堵に満たされて息絶えた。
両親の命を犠牲に生き残った子どもはその後、獣人の里で幸せに暮らす……事は無かった。
獣人と人間のハーフである彼女は、純粋な獣人族と比べて力が弱い。それは力が全ての獣人の里では致命的な弱みであり、結果的に彼女は成人直後に里から追放されてしまった。
(誰も私を見ないのなら、私も好きに生きてやる……!)
追放された後、彼女はそう決心した。それは落ちこぼれと貶され続けて、汚名を挽回する事なく終わってしまった彼女なりの抵抗だった。
里を出た後、彼女は人間の町に棲みついて盗みを働き続けた。
獣人にしては力が弱いと言っても、並の人間と比べれば充分に強い。そんな彼女が一般人相手に遅れを取る筈もなく、町で存分に暴れ続けた。
その力にあやかって取り入ろうとするならず者達も居たが、もれなく全員ボコボコにして追い返した。
(私は、あんな奴らと違う!)
自分は
だけど本当に一人で生きていけるほど世の中は甘くない。しばらくした後、彼女は裏社会の人間に捕えられて、その身を奴隷商に売り飛ばされた。
……両親が死んで以来、誰から見向きもされなくなった哀れな少女。
奴隷堕ちした彼女の未来に、もう先など無い……筈だった。
「えっと、大丈夫?」
奴隷になって三年、誰かに服従するなんて真っ平ごめんだと暴れて売れ残り続けた彼女は、商品として路上に出されたその日、奇妙な人間と出会った。
(……なんだ、コイツ?)
その人間は、彼女に心配の眼差しを向けてきた。
確かに彼女は奴隷商から暴力にも等しい調教を毎日受け続けて、他の奴隷と比べても体はボロボロだ。けど、こんな場所へ訪れる奴が、たかが奴隷一人に身を案ずるなんて事をするか?
「あ、意識はあるんだね、良かった……いや良くはないか」
「ヴヴヴ……!」
しかしそんな疑問は、目の前の人間から向けられる目を見て怒りに塗り潰された。
(私を、そんな目で見るなッ!)
それは弱者を見る目だった。彼女が何よりも憎み……恐れてきた目。
「わわっ、ご、ごめんね」
そいつは震えた声で謝罪してくる。少女はそこに、壊れ物を扱うような優しさを感じ……更に激情した。
(違う違う違う! 私は、私はそんなに弱くない!)
今すぐにでも檻から飛び出し、コイツを八つ裂きにしたかった。早く、目の前から消えて欲しかった。
そんな少女の願望は、あっさりと叶えられる。
「おいガキ、勝手に商品に話しかけるな」
「あ、ちょ、ちょっと」
奴隷商が、少女に話しかけていた人間を追い払った。碌に金も持っていなさそうな身なりをしていたし、当然の対応だろう。
「……」
引きずられる直前、その人間は少女を一瞥した。
「ッ……?」
向けてくる視線に少女は一瞬憤りを感じ、しかしすぐに疑問を抱く。
(なんだ、その目は?)
これまでの物とは全く違う。何かを決心したかのような、覚悟のようなものが、その目には秘められていた。