少女が奇妙な人間と出会ってから半月、彼女は未だにあの時の人間の目が忘れられなかった。
(あの時、なんでアイツは、あんな目を)
考えても考えても、一向に答えは出ない。忘れようと思っても、どうにも忘れられない、印象的なあの目。
(いったい、どういう……)
「おい」
最近ではその事ばかりを考えていた少女の元に、奴隷商がある報せを届けに来た。
「お前の買い手が決まった」
「っ、ヴヴヴ……!」
「けっ、最近は大人しくしてると思ったが、やっぱ気のせいだったか」
なんの期待もしていない、ゴミ屑を見る目。いつも向けられてきた、少女の良く知る目。
「今回こそ大人しくしとけよ。でなきゃ本当に殺処分してやるからな」
「っ、やれるものなら、やって───ガァ!?」
少女が反発しようとした直後、掛けられている首輪に電流が走る。
「はんっ、いい加減学びやがれ。……おら、とっとと歩け!」
「ぐぅっ……!」
奴隷商は痛みに悶える少女を、首輪に繋がる鎖で無理やり引っ張り、歩かせた。
……少女はこれまでに三回、奴隷として引き取られている。だがいずれも、少女が買い手に噛み付いた事で白紙になった。
(死んでも、従ってやるもんか……!)
▼▼▼
「ほら、連れて来たぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「リリア、お礼をする必要なんて無いわ。……こんな場所、金輪際来ないのだから」
「このガキ……一応、もう金は受け取ってるからな。俺としても、この不良品を引き取ってくれるなら願ったり叶ったりだ」
少女を買ったのは、二人の人間だった。茶髪の女に、青髪の女、歳はどちらも彼女より少し上という程度だった。
「……あ」
中でも少女が一番注目したのは、茶髪の方。
(コイツは)
───間違いない、あの時の人間だ。
「手早く済ませるぞ。この鍵が所有者の証だ。これに魔力を込めりゃ、首輪に電流が走る」
「う、うん……えっと、この鍵で首輪を外せたり出来る?」
「ああ、出来るが、奴隷が鍵を手に取った時でも、首輪に電流が流れる。よほど間抜けじゃない限り、首輪を外される事は無えぞ」
「そっか……」
あの時の人間……リリアは、奴隷商と数言ほど交わした後、鍵を受け取る。
「おら、さっさと飼い主のもとへ行きやがれ」
「……!」
その時、少女はハッと我に返る。
「えっと、少し前に君と会った事があるんだけど、覚えてるかな?」
あの時の人間と再開した事には驚いたが、その者が自身の買い手……自身を服従させようとするのなら、やる事はただ一つ。
「突然だけど、今日からボクと一緒に」
「……ッ」
リリアが差し出してきた手を、少女は思いっきり齧り付いた。
「うげぇ!?」
「リリア!? っ、お前ェ……!」
「お、おい! こんな所で魔法を使うなよ!?」
噛み付いた瞬間、リリアの付き添いらしき女から並々ならない殺気を向けられる。冗談抜きで、己を殺すつもりだと少女は理解できた。
(っ、構うもんか!)
恐怖で尻込みすれば、その時こそ自分は負け犬になってしまう。それならこのまま食らいつき、殺される方がずっとマシだ。少女は心の中でそう断言した。
「ま、待って!」
「リリア?」
このままコイツの手を食い千切ってやる。そう考えていた少女だが、
「───大丈夫」
「……ぁ?」
リリアが不意に取った行動に、思わず静止してしまう。
(なん、だ、これ)
少女は、何が起きたか理解できなかった。ただ、温かいとだけ感じた。
「大丈夫」
(なにが)
「ボクは絶対、君に危害を加えない」
(どうして)
「だから……安心して欲しい」
(ーーー)
そこで少女は、ようやく気づく。
自分は今、リリアに抱きしめられているのだ。この温かな熱は、リリアの体温だったのだ。
(だめ、だ。ねちゃ、だめ……)
目の前に居るのは敵だ。自身の尊厳を踏み躙る敵。だから戦わなくちゃいけない。
(だめ、なのに)
なんとか意識を繋ぎ止めようと、抵抗しようとする少女だが、体の疲労に嘘は吐けない。
理性がどう訴えようと、体は勝手に力を抜いてしまう。
(……あぁ)
それから少しして、彼女は優しい微睡みに身を委ねた。
▼▼▼
夕暮れの街中で、ボクは獣人の少女を背負って宿屋に戻る。
「ふふ、ぐっすり寝てるね」
すぐ側から聞こえるスゥスゥという小さな寝息に、ボクは思わず笑みを溢した。
「……リリア、分かってると思うけど」
「うん、大丈夫、もうこんな事はしないよ」
「それもだけど、私が言いたいのは、もうあそこには近付いて欲しくないって事よ」
隣で歩いていたルーチェが、不安げに瞳を揺らしてボクを見つめる。
「あそこは、何が起きても不思議じゃない危険な場所。今回は何事もなく戻って来れたけど、事件に巻き込まれたり……ひ、人攫いに遭っても……おかしく……」
「……ルーチェ」
瞳に涙を溜め込むルーチェが見ていられず、両手が空いていないボクは抱きしめる代わりに、そっと額を寄せた。
「心配かけちゃってごめんね。それと、ボクのワガママに付き合ってくれて、ありがとう」
そう、これはワガママだ。この子を買い取ったのは、正義感からとか、善意からとか、そんな大層な理由じゃない。
(まったく)
自分のエゴの為に動くは、パーティの資金半分以上を使うは、仲間を泣かせるは、
(これじゃあ、勇者失格だよ)
▼▼▼
「……んぅ」
その日、少女は久しく忘れていた安らかな眠りの中から目を覚ました。
(ここは……?)
足場が柔らかい。いつもの固く冷たい地面じゃない。
その正体が布団の上であるという事に気付くまで、少しの時間を要した。
(確か私、買い手が決まって、それで)
「あ、起きた?」
「ッ!」
声が聞こえた直後、少女は反射的にその声の主目掛けて飛び掛かった。
「わわっ」
「ガァッ!?」
喰らいつく直前、首輪から電流が流れて、少女は碌に受け身も取れないまま地面に激突する。
「二度もやらせないわよ」
「ぐぅ……!」
「ル、ルーチェ! そんないきなり使わなくたって」
「いいえ、こればっかりは譲れないわ。またリリアが傷付いたら私、その時こそ何をするのか分からないもの」
冷たい殺気を感じ、少女はリリアの背後を覗く。そこには青髪の女……ルーチェが居て、リリアとは違い少女への警戒心を露にしていた。
見られている事に気付いたルーチェは、少女に声を掛ける。
「ご覧の通り、鍵は私が持っているわ。リリアと違って優しくないから、ヘタな真似はしない事ね」
その言葉通り、少女に向けるルーチェの瞳は冷たく凍え、本気で言っている事が伺える。
「……コホン、えっと、さっき痛い思いをさせた手前言いづらいけど、ボクらは君に危害を加えたりしないから、安心してほしいな」
リリアは柔らかな笑みを携えて、倒れる少女に手を差し出す。
「ボクの名前はリリア。で、あっちの青髪の子はルーチェ。よろしくね」
「……」
少女は差し出された手をしばらく見つめて……
「君の名前は」
パシンと手をはたいて、自分で立ち上がった。
「あっ」
何か言いたげなリリアを無視して、少女は彼女達から距離を取り、壁際で胡座をかいて座り込む。
「ったく……言っておくけど、私達もそんなに余裕がある訳じゃないから。あんたにも冒険にはついて来て貰うわよ」
「そ、そうだね! ボク達、実は冒険者をやってて、君にもパーティに加わって欲しいんだ」
「……」
少女は無言を貫き、リリアをキッと睨み付けた。
「あぅ」
「はぁ〜……分かってると思うけど、あんたに拒否権は無いから」
「も、もうルーチェ!」
「口出ししちゃってごめんなさいね。けど、これ以上は話が平行線になるだけよ」
「うぅ、けどこれもれっきとしたパーティ勧誘だし」
「……別に」
「え?」
不意に少女が溢した一言に、リリアは目を大きく開いて彼女の方を見る。
「好きにしたら、いい」
少女は二人から目を逸らして、ポツリと呟く。それの驚いたのは他ならぬ少女自身だった。
ほとんど反射的だった。気付けばそう口にしていた。
「ほ、ほんとう? 〜〜〜っ、やったぁ!」
慌てて言い繕おうとしたが、飛び跳ねて喜ぶリリアの姿を見て、彼女は何も言葉に出来なかった。
(なんでさっき、あんな事を)
いつもなら、一も二もなく襲い掛かっていた筈だ。なのに何故、あんな態度を取ったのか。
「改めてよろしくね……えっと、名前って聞いても」
「ヴヴヴ!」
「あ、あはは、じゃあ名前はまた別の機会にでも」
分からない、分からないが、リリアに飼い慣らされるつもりは少女になかった。
もし下衆な命令をしてきたり、己を見下そうものなら、命を賭して叛逆する。そう彼女は心の中で深く、深く誓った。
「あ、そうだ! 冒険の前に、あそこへ行かなきゃね」
「……?」
「まずは装備! 自分の身を守る為の物でもあるんだし、遠慮しちゃダメだよ?」
冒険者ギルドに向かう途中、リリア達は武具屋に寄り道して、少女に武器を選ぶよう言った。
「高いのはダメよ、金欠なんだから」
「うっ、そうでした……」
(……武器)
彼女の里で武器を扱う店は少なかった。生半可な武器より素手で殴った方が速くて強いし、獣人用の武器は重すぎて少女には扱い切れなかった。
「……軽い」
だからその辺に置かれていた長剣を手に取った時、少女はその軽さに驚いた。
(けど、軽すぎる)
まるで羽毛を持っているかのようで、逆に違和感を感じた少女は、もっと重い物は無いのかと店内を物色する。
(───これぐらいなら、まあ)
最終的に選んだのは、自身の身の丈ほどある巨大な剣だった。
「ねえねえ、その大剣持てるの?」
「……」コクリ
少女は顰めっ面を浮かべながら頷く。それに対してリリアは、目をキラキラと輝かせていた。
「わぁー! 力持ちなんだね、いいなぁ」
「リリア、この武具屋に初めて来た時、真っ先に大剣を持とうとしてすっ転んだものね」
「うぐっ……だ、だって大きい武器を振り回すのってロマンあるじゃん」
リリアはルーチェの言葉に頬を赤らめながら弁明を述べると、少女に向き合う。
「えっと、武器はそれで良いかな?」
「……」コクリ
「分かった。じゃあ買ってくるね!」
リリアは笑顔でそう伝えると、武具屋の店主へ話しかけに行った。
「……っ」
その時、リリアが見せた屈託のない笑顔に、少女は思わず目を閉ざしていた。