さて、連邦生徒会ビルである。そびえ立つ巨塔。キヴォトスの政治と権謀術数の中心地。私のような、学園の片隅でラーメンのことばかり考えている矮小な存在が、易々と足を踏み入れて良い場所では断じてない。しかし、かの首席行政官、七神リン女史直々の「お願い」(という名の、拒否権なき召喚令状)とあらば、プルガトリウムの一生徒に否やは無いのである。まったく、人生とはかくも儘ならぬものか。
隣には、我が後輩Oが、神妙な顔つきで(しかしその瞳の奥には、相変わらず食えない光が宿っているのが見て取れる)歩いている。先日の食堂での狼藉ぶりについては、後でたっぷり説教(物理)してやらねばなるまい。
「……先輩、緊張してます?」
「馬鹿を言え。この私が、たかが会議ごときで緊張など……」
している! めちゃくちゃ緊張している! 心臓が口から飛び出て、連邦生徒会ビルのエントランスでタップダンスを踊り出しそうなほどに!
ビル内部は、想像を絶するほどに近代的で、機能的で、そして冷徹な空気が漂っていた。案内された会議室の前には、既に今回の騒動に関わるであろう、錚々たる(そして厄介極まりない)顔ぶれが集結しつつあった。ピリピリ、というよりは、ビリビリと電気が走るような、実に不穏な空気が漂っている。嵐の前の静けさ、というやつか。いや、既に小規模な嵐は発生している気配が濃厚だが。
トリニティ総合学園からは、ナギサ様、ミカ様、セイア様のティーパーティー御三方に加え、ハスミさん、サクラコ様、ヒナタ嬢、そしてウイの姿が見える。(そういえば、イチカ嬢の姿が見えないな。彼女は別の場所で待機しているのだろうか? Oがそわそわと辺りを見回しているのが気になるが…)昨夜のテラスでの一件以来、ナギサ様とミカ様の間に流れる空気は、シベリアの永久凍土もかくや、というほどに冷え切っている。セイア様はいつも通り静かに本を読んでいるが、そのページをめくる指先が微かに震えているのは気のせいか。サクラコ様は聖母の微笑みを浮かべているが、ヒナタ嬢に甲斐甲斐しく世話を焼かれているウイは、まだ少しむくれた表情で周囲を警戒している。ハスミさんは苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔で、壁際の無機質な模様を見つめている。実に、実に気まずい空気である。ラーメンが不味くなる。
ミレニアムサイエンススクールからは、才媛ノア嬢と陰鬱男津山君のコンビ。ノア嬢は優雅に微笑みながらタブレットを操作しているが、その瞳は鋭く周囲の状況を分析しているのだろう。津山君は……ああ、彼はもうダメだ。完全に魂が抜け殻となり、壁と同化している。彼の苦労が偲ばれる。
そこへ、である。会議室の扉が開く直前、廊下の向こうから甲高い笑い声と、それを諌めるような低い声、そして子供の無邪気な声が聞こえてきた。どうやらゲヘナの一行が到着したらしい。廊下の角で、ゲヘナの議長らしき生徒が、連れの生徒に「おい、私の帽子、曲がっておらんか? 前髪も…大丈夫か?」と小声で確認しているのを、たまたま通りかかった連邦生徒会の職員が、怪訝な顔で見ていたのが印象的だった。やれやれ、あの方も一応は体面を気にされるらしい。
「待ちかねただろう、貴様ら! このゲヘナ学園生徒会
甲高い、怪鳥の鳴き声のような奇声と共に、嵐の中心が会議室の扉を蹴破らんばかりの勢いで(実際には普通に開けて)入ってきた! ゲヘナ学園のトップ、羽沼マコト議長、その人である! その芝居がかった口調、尊大極まりない態度、そして何より、周囲の空気を一切読まないその存在感! まさにゲヘナ! まさに混沌!
彼女の後ろには、ため息をつきながらも忠実に(?)従う、棗イロハ嬢と、小さなマスコットのようにちょこちょこと歩く、丹花イブキちゃんの姿もある。
「……はぁ。議長、もう少し静かにできませんか。ここは連邦生徒会ビルですよ」イロハ嬢が、実に面倒くさそうに呟く。
「むん! イロハ! 貴様、このマコト様の偉大なる登場シーンに水を差す気か!」
「別に。ただ、TPOをわきまえろ、と」
「イブキ、おやつまだー?」イブキちゃんが、無邪気にマコト議長の袖を引く。
「おお、イブキ! よくぞ言った! 会議などさっさと終わらせて、美味いものでも食いに行こうではないか! キキキッ!」
……この時点で、会議の紛糾は約束されたようなものである。トリニティ組、特にミカ様とハスミさんの表情が、能面のように固まっている。
そして、マコト議長の視線が、私と、その隣に立つOを捉えた瞬間。彼女の奇妙な笑みが、一瞬、引きつったように見えた。
「……ほう。貴様らか。プルガトリウムの……」
その声には、いつもの尊大さとは少し違う、どこか尖った響きが混じっている。特に、Oに向けられる視線は、単なる他校の生徒に対するそれではない。硬質な光を宿し、まるで値踏みするかのように、あるいは……何か別の、もっと複雑な感情を押し殺すかのように、Oをじっと見つめている。
「……キキッ。久しぶりじゃないか、Oよ。随分とまあ、お綺麗な服を着て澄ましこんで。ゲヘナの空気はもうお忘れか?」
その口調は挑発的だが、声は妙に抑えられている。
「……マコト議長。お久しぶりです」Oは、表情を変えずに、しかし硬い声で応じた。僅かに握られた拳が、彼の内心の動揺を示しているのかもしれない。
「あらあら」イロハ嬢が、私の方にちらりと視線を送り、面白そうに(そして少し意地悪く)口を挟む。「これはこれは……かの有名な『パルテニアス』殿もご一緒でしたか。相変わらず、面倒事に好かれる体質のようで。……『彼女』が心配なさいますよ?」
パルテニアス!? なぜイロハ嬢がその渾名を!? しかも『彼女』とは誰のことだ!? まさか、ゲヘナの『リンボ』にいた私へと赴き、私を『暗森』へと遣わせた、あの人のことを……!? この女狐、食えない!
「……個人的な話は、会議の後に」
冷徹な声が、その場を制した。連邦生徒会首席行政官、七神リンその人である。彼女はいつの間にか会議室の議長席に座っており、その平板な瞳で、我々全員を見渡していた。
「時間です。会議を始めます。各員、速やかに着席してください」
その声には、有無を言わせぬ圧力がある。流石は影のトップ(と私が勝手に思っている)。場の空気は一瞬で引き締まり、各々が指定された席へと着いていく。
円卓を囲むように配置された席。トリニティ、ゲヘナ、ミレニアム、シスターフッド、シャーレ、そしてプルガトリウム。キヴォトスの主要な勢力が、この一室に集結した。中央にはリン行政官。まるで、異種格闘技戦のリングアナウンサーのようだ。これから、どんなカオスな試合が始まるというのか。私の胃袋が、再び不吉な音を立て始めた。
「では、緊急合同会議を開始します」リン行政官は、淡々と宣言した。「議題は、トリニティ総合学園周辺で発生している、連続オートマタ暴動事件について。関連情報として、雷帝の遺産の可能性、七囚人の動向、そして……プルガトリウム所属、Nさんの保有する特殊武装、通称『ザクスーツ』に関する件も含まれます」
いきなり核心を突いてくる! しかも名指し! 私への風当たりが強い!
会議は、各組織からの情報共有で始まった。
「まず、トリニティ正義実現委員会より、被害状況を報告します」ハスミさんが立ち上がり、手元の資料を読み上げる。「現在までに確認されているオートマタの襲撃は計12件。いずれもトリニティ自治区内で発生しており、建造物への被害が甚大です。人的被害は、Nさん及び関係者の活躍により最小限に抑えられていますが、予断を許さない状況です」
「キキキッ! やはりトリニティの防衛体制はザルだな! ゲヘナであれば、このような事態には……」マコト議長が早速茶々を入れる。
「黙らっしゃい! この騒動の原因の一端は、あなた達ゲヘナにあるでしょう!?」ミカ様が鋭く睨みつける。
「お二人とも、お静かに……」ナギサ様が割って入るが、両者の視線は火花を散らしている。
「次に、ミレニアムセミナーより、技術的分析結果を」ノア嬢が優雅に発言する。「暴走オートマタの一部から、カイザーコーポレーション製の部品、あるいは非正規ルートで流通した可能性のあるミレニアム製旧式パーツの使用痕跡を確認しました。ただし、決定的な証拠には至っておりません。また、制御プログラムには、未確認のコードが……これは、ウイさんの解析結果とも関連するかもしれません」
「ふん、ミレニアムの技術管理も甘いものだな」マコト議長が再び口を挟む。「我がゲヘナの技術力をもってすれば、そのような旧式パーツなど……」
「議長、今はそういう話ではありません」イロハ嬢が冷静に窘める。
「シャーレより報告」津山君が低い声で続ける。「七囚人の動向について。特に……元山海経高級中学校の『五塵の獼猴』申谷カイが、トリニティ自治区近郊で複数回目撃されています。目的は不明ですが、今回のオートマタ暴動との関連も否定できません。私が過去に逮捕したとはいえ、極めて危険な人物です」
カイの名が出た瞬間、私の背筋が凍った。Oも僅かに反応したように見えた。
「ほう、七囚人か……」マコト議長の目が鋭く光る。「あの連中が絡んでいるとなれば、話は厄介だな。特にカイは、質の悪い『秘薬』の扱いに長けている。カイのことだ、オートマタの制御AIに直接干渉するような、悪趣味な『秘薬』でも仕込んでいるのではないか? キキキッ」意外にも的を射た指摘だ。この議長、ただのイロモノではないのかもしれぬ。
「最後に、シスターフッドより」サクラコ様が静かに語り始める。「暴動の背後には、やはり『雷帝の遺産』が関わっている可能性が高いと見ています。オートマタから検出された未知のプログラムは、雷帝が開発に関与したとされる禁断技術の痕跡と酷似しています。そして、この暴動がトリニティで集中的に発生している点。これは、意図的にトリニティとゲヘナ学園間の対立を煽り、混乱を引き起こそうとする、悪意ある第三者の存在を示唆しています」
「キキキッ! 出たな、トリニティお得意の陰謀論! 我々ゲヘナを悪者に仕立て上げたいだけだろう!」
「あらあら、自覚はあるの?」ミカ様が冷ややかに返す。「原因を作ったのはどなたなんだろーねー☆?」
再び火花を散らすミカ様とマコト議長!
「……話を本題に戻します」リン行政官が、氷点下の声で場を制した。「Nさんのザクスーツについて。ウイさん、解析の結果を」
ウイが、不機嫌そうに(しかし、瞳の奥には好奇心が燃えている)報告を始める。
「……動力システムは異常です。装着者自身の神秘を、
場の空気が再び凍りつく。
「『神秘転用』……」ノア嬢が息を呑む。「昨夜も伺いましたが……改めて聞いても、俄かには信じがたい技術ですわ。理論上の可能性と、その危険性は認識していましたが……」
津山君も頷く。「実在したとなれば……ミレニアムとしても看過できない。技術的な特異点となり得る」
「……その技術が悪用されたなら、ねぇ」
ミカ様が、カップに口をつけながら、つまらなそうに、しかしその瞳の奥に冷たい計算の色を宿して言った。
「まあ、私たちトリニティの大切な生徒たちが、そんな扱いを受けるなんて、絶対に許さないけどぉ? ……でも、キヴォトスの『安定』のため、っていう『大きな目的』があるならぁ? ……例えば、一部の、そうねぇ……なかなか
その言葉は、ナイフのように研ぎ澄まされ、聞く者の良心を的確に抉る。直接的な罵倒ではない。しかし、その裏に込められた冷徹な選民思想と、ゲヘナやプルガトリウムへの侮蔑は明らかだ。前夜のナギサ様の叱責など、彼女にとっては馬耳東風だったらしい。むしろ、より巧妙に、皮肉を込めて、自らの考えを表明している。それは、冷たく、そして残酷な響きを持っていた。
「……ミカさん、貴女は……」ハスミさんが苦渋の表情で何か言いかけたが、言葉にならない。
「……まだ、そんなことを」Oが、呆れたように、そして隠しきれない苛立ちを込めて呟いた。「ナギサ様にあれほど言われたというのに、貴女の考えは……少しも変わっていないようだ。トリニティの生徒が皆、貴女のような考えではないと信じたいが」彼の視線は、ミカ様への軽蔑と、彼女を止められないことへの無力感が入り混じっている。
「キキキッ……」マコト議長が、愉快そうに肩を震わせた。彼女は優雅に(?)ティーカップを持ち上げると、Oに、そしてミカ様に意味ありげな視線を送りながら言う。
「これはこれは、ティーパーティーのお嬢様は、随分と
彼女はミカ様の暴言を逆手に取り、火に油を注いでいる。その表情は余裕綽々だが、カップを持つ指先に力が入り、微かに震えている。テーブルの下で、彼女の拳が固く握られている。マコト議長がそうしてカップを大仰にあおったのち、机に置くそのとき、彼女の目がなにか粘体質な熱のぎらつきをおびさせて、ちらりとOを一瞥した。
「キキッ、どうしたOよ。随分とトリニティの女に
「……黙れ」Oは、低い声で吐き捨てた。
「──静粛に!!!」
みたび、リン行政官の氷の声が響き渡る。会議室の温度が、さらに数度下がった気がした。
「各々の個人的な感情や、学園間の対立を持ち込むのはやめなさい。議題は、オートマタ暴動と、それに付随する問題への対策です」
彼女は、冷徹に私を見据えた。
「Nさん。貴方のザクスーツについて、改めて説明を求めます。その起源、機能、そして……『神秘転用』の可能性について。包み隠さず、詳細に」
ついに来たか。この会議の、最大の山場が。
全員の視線が、私に突き刺さる。トリニティの優雅な視線、ゲヘナの刺々しい視線、ミレニアムの探るような視線、シスターフッドの憂慮する視線、シャーレの分析する視線……そして、リン行政官の、全てを見通すかのような冷徹な視線。
私は、ごくりと唾を飲み込んだ。鉄のスーツを着ていない、生身の私。学ラン姿の、ただのプルガトリウム生。この場で、私が何を語れる? 何を証明できる?
だが、逃げるわけにはいかない。私は、覚悟を決めて、口を開いた。
「……ザクスーツは、私が……個人的に組み上げたものです。設計思想の一部に、過去に……アビドスで接触した技術資料が影響している可能性は否定しません。動力源については……正直、私にも完全には理解できていません。ただ、
私は、必死に、正直に語った。嘘をついても見抜かれるだろう。
「危険性についても、認識しています。ですが、私はこの力を、悪用するつもりは毛頭ありません。ただ……守りたいものを、守るために……」
言葉が、途切れる。守りたいもの? それは一体、何だ? この混沌とした状況の中で、私に守れるものなどあるのだろうか?
会議室は、再び重い沈黙に包まれた。私の拙い証言が、彼らにどう受け止められたのか、窺い知ることはできない。ただ、リン行政官の、値踏みするような冷たい視線だけが、私の心に突き刺さっていた。
**(第十三話 了)**