カレンデュラに余光が続くなら   作:エンプティネス

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三話

 

 ラッセルによる鍛錬を済ませたヴィタは、監査会本部を後にして、再びカジミエーシュの夜空を輸送機よりも速く飛んでいた。

 こういうとき、自身が強靭な心肺機能を持ってして産まれてきたありがたみを感じる。

 総じて身体能力が優秀な種族であるエラフィアだが、その上で心肺機能が相当強いと診断されたこともあるヴィタは、姉でさえ苦い顔をするラッセルの鍛錬をこなしても、まだ活動出来るだけの余裕がある。

 それこそ、毎日のように眠る必要すらないほどに。

 もっとも、流石に脳がパンクするので数日に一回は()()()眠りにつく必要がある。

 その際には、ノヴァ騎士団の本拠地にあるトリュフグローヴ城の自室に戻って姉に寝かしつけて貰うのが日課となっている。

 だが、今夜はそうではない。

 ヴィタはカジミエーシュの都市部から離れ、郊外に停泊させていた簡易的な移動式プラットフォームの前に着陸する。

 カヴァレリエルキの移動都市やトリュフグローヴ城に比べれば、豆粒ほどの大きさしかないそれは、ヴィタが秘密裏に建造させた実験ラボだ。

 ヴィタはこういう実験ラボを幾つも所有していて、同系統のラボはカジミエーシュの都市部やトリュフグローヴ城内などにも存在するが、この秘密のラボの存在を知るのはヴィタしかいない。

 当然、飛行中も姿を隠してきた。ヴィタのアーツは光も闇も呑み込み、捻じ曲げる。

 故に、身体を透明化させることなど、彼女にとっては容易いことだった。

「……たまには、片付けしなきゃかな」

 などと、呟く。

 カモフラージュのために、側から見ればただの古びた巨岩のような見た目をしているラボの一部は破損し、僅かに火花を散らす機械的な内部が覗いてしまっている。

 ヴィタはラボの入り口近くに隠された端末を操作して、固く閉ざされた岩壁のゲートを開ける。

 すると、外見からは想像もつかない近未来的な廊下が顕になり、仄暗い照明が足元を照らした。壁には規則正しく光を放つ導管が走り、空気は低い駆動音と機械油の匂いで満ちていた。

 ヴィタが一歩、また一歩と進むたび、周囲で小さな気配が動いた。

 まず、黒い雲獣が廊下の影から姿を現す。

 鳴き声一つあげてヴィタの足元に寄り添った雲獣は柔らかな黒毛の間から、白い花をいくつも咲かせており、足取りに合わせて花弁が揺れ、微かに甘い香りを漂わせる。

 さらにヴィタが数歩進むと、今度は小さな鉗獣が硬い脚を鳴らしながら後ろを付いてくる。

 甲羅には細い蔦が絡みつき、芽吹いた小さな花々が茂っている。小さな鋏を振り上げ、勇ましげにヴィタの横を固めるその仕草は、まるで騎士のようにも見えた。

「……もう、収容違反だよ〜?」

 ヴィタは足元の小生命体を一瞥し、淡々とラボの奥へと足を進める。

 それでも植物と融合した小さな獣たちは健気に、楽しげに、自らの創造主の背を追い続けていた。

 

 

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

 マリアが「合成樹脂」シェブチックに勝利してから2日が経った晩のこと、ヴィタはヴィヴィアナと共にトリュフグローヴ城の客間で食事を摂っていた。

 長机の中央には金の燭台が並び、薔薇を始めとした色とりどりの花々が飾られている。

 カーテンの閉め切られた室内は仄暗く、静かな陰影の中に灯火の揺らぎだけが漂っていた。

 白磁の皿に乗せられた旬野菜の前菜は、仄暗さの中でも食卓に鮮やかな色彩と香りを湛えている。

 薄く切られたトマトは瑞々しく、胡瓜と香草は涼やかな香りを漂わせる。オリーブオイルで和えられた豆やチーズも加わり、さっぱりとした一皿に仕上がっている。グラスには白ワインの代わりに、冷やした果実水が注がれており、グラスの表面に滴る雫がカジミエーシュの初夏の中で涼を演出していた。

 ヴィヴィアナは背筋を正したまま椅子に腰かけ、涼やかに笑みを浮かべながらフォークを手に取っていた。白磁の皿に盛られた夏野菜をひと口ごとに丁寧に味わい、時折グラスに注がれた果実水を口に運ぶ。

 一方、対面のヴィタはというと、食欲に任せてフォークを雑に動かし、皿の上の野菜を次々と口に運んでいく。涼をとるための氷入りの果実水も、飲み干す音が妙に大きく響き、蝋燭の炎に照らされた二人の姿は対照的だった。

「ほへへふぇ〜、ふぁりあひゃんのふぃあひふあふあふぃたふあんだぁ〜。ふぁたひはふひぃにふぃくふもりふぁけど──」

「焦らずとも食事は逃げませんよ、ヴィタ。まずは飲み込んでから話してください」

「んぐ……ぷあ〜。それでね、マリアちゃんの試合が明日なんだ〜。私は観に行くつもりだけど、お姉ちゃんは明日はどう?時間ある?」

「……残念ですが、明日も朝から晩まで詰めていることになりそうです。最近はローズ新聞社からの仕事も多いので……ですから、観戦には行けそうにありません」

 大騎士というのは、カジミエーシュにおける一等星であり綺羅星だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、大騎士として毎日のようにスポンサーから依頼される仕事をこなす必要がある。

 特に、この時期は騎士競技のメジャー選抜戦が行われており、本戦出場のためのポイントを稼ぐ必要もある。もちろん、ヴィヴィアナもヴィタもノヴァ騎士団の大切な切り札(商品)だ。単なるポイント稼ぎの大半は同じノヴァ騎士団の他のメンバーが担っている。とはいえ、ファンやスポンサーが付いている都合上、自ら戦わざるを得ないときもある。

 毎日そこら辺を自由奔放に歩いている大騎士など、カジミエーシュでもヴィタくらいのものだろう。

「……ヴィタ。貴方は、どうしてそこまで自由で楽しく過ごせるのですか?」

「ん〜?急に改まってどうしたの?私、ずっとこんな性格だったでしょ?」

 ヴィタはフォークを口に咥えたまま、首を傾げた。

「いえ、そういうことではなく……」

「アハハ、分かってるって。お姉ちゃん、ちょっと暗い顔してたから、冗談を言っただけ」

 ヴィタは軽く笑いながら、皿に残っていた前菜を口に放り込んだ。噛む音が妙に朗らかで、蝋燭の明かりが緑の瞳に吸い込まれる。

「…………」

 ヴィヴィアナはしばらくの間、沈黙を貫いていた。

 手元の果実水を口に運ぶが、冷たさも香りも彼女の慰めにならない。長机の中央に並んだ薔薇の花々の色彩すら、仄暗い室内の陰影に呑まれて見えなくなる。

 やがて、ぽつりと零すように声が落ちた。

「私は……ただ試合に勝利し、脚光を浴びるだけで得られた“燭騎士”という肩書きに押し込められ……私が私である以上に、“燭騎士”であることを強いられる日々を、楽しいと思えたことはありません」

 言葉に乗った静かな重みは、蝋燭の炎さえ揺らがせるようだった。

「……騎士とは、なんなのでしょうか」

 ヴィタはまた料理を飲み込む。

「うーん……私は、お姉ちゃんの気持ちが全部分かるわけじゃないけど、私の思う“騎士”って言うのは──」

 ヴィタは腰に刺した双剣の柄に触れる。

 途端、彼女を中心に黒の奔流が生まれ、長机に並んでいた燭台の炎が一斉に消え去る。闇の中で聞こえるのは夜風が窓を揺らす音と、

「──大地を遮る傘になる存在だと思う」

 というヴィタの囁き。

 ヴィヴィアナが手元の燭火を灯せば、彼女のすぐ側にヴィタの姿が浮かび上がる。

「光ばっかり浴びてたら、疲れちゃうでしょ?だから、眩しさを断つ影が必要なんだよ。迷いそうな時には進む道を絞ってくれるし、雨に濡れる時には庇ってくれる……私は、そういう騎士になりたいかなって思うの」

 どこか遠くを眺めるように言ったヴィタは、すぐに肩をすくめて笑った。

「まあ、私が考えてるのは単純なんだよ。楽しいこと、好きなものを失わないようにしてるだけ。だから私は──お姉ちゃんにはもう、光なんかに灼かれて欲しくないって思うの」

 奔放な口調で紡がれた言葉──だが、その響きは冷たく硬い意識を帯びていた。

 光は穏やかな眠りを妨げ、照らし出された広大すぎる大地は人の進むべき道を惑わし、浴びせられた熱は心身を灼き焦がす。

 かつて、暗闇に包まれていた高塔の中で、ヴィタがヴィヴィアナに()()()()()()()あの輝きも、そうだったのだから。

「……ヴィタ、貴方はまだ──」

 その瞬間、ヴィタのポケットの中の端末が振動し、室内に電子音が響く。

 彼女に纏わりついていた黒い奔流は一瞬にして収まり、掻き消されていた燭台の火が一斉に灯ると、客間は元の仄暗い明るさを取り戻した。

「わっ、タイミング悪いなぁ。ごめんお姉ちゃん〜!ちょっと出るね〜」

 気の抜けた声を言い残し、彼女は客間の隅へと歩いていく。

「はーい、もしもし?ヴィタだよ〜?今はちょっとご飯中なんだけど……あぁ!もうそこまで進行してたんだっけ?いや〜……忘れてたわけじゃないけど……うん、はーいっ。じゃ、残りも良い感じに進めておいてね!」

 その背を見つめるうち、ヴィヴィアナが言いかけた言葉は心の底に沈んでいった。

 幼い頃、まだ「騎士」という肩書きが何の意味も持たなかった頃──二人は同じ高塔の狭い暗闇の中で寄り添って生きていた。燭火と本、それと互いの体温だけが日々の安心だった。よく漆黒の嵐が窓を叩いていたから、昼と夜の区別も曖昧だった。時間を測る術もなく、外の世界を知ることもなかった。燭火に照らされた紙の上に浮かぶ文字だけが、未来への扉だった。

 性格も今とはだいぶ違った気がする。ヴィヴィアナの方が明るく朗らかで、ヴィタはやや暗く引っ込み思案な子供だった。

 それが変わってしまったのは、やはりあのとき高塔の階段を──

「ごめんごめんお姉ちゃん、ちょっとした連絡だったんだ〜」

 記憶の海に沈むヴィヴィアナを他所に、ヴィタは軽く笑いながら自らの席へ戻る。

「前々から予定してた設立の話、上手く纏まりそうだって。まあ、殆ど実態のない枠組みだけみたいなものだけど、これでお姉ちゃんのリターニアの貧困地域への寄付もしやすくなるね!」

「その手のことに関しては、ヴィタに頼ってばかりですね……まさか、私がリターニアの貧困地域のためにと寄付をしていた団体が、市民団体を装った詐欺集団だったとは……思いもしませんでした」

 ヴィヴィアナの声には悔恨と自嘲が滲んでいた。善意が利用されていたのだと気づいた時の衝撃が、未だ胸の奥に残っている。

 あの時、ヴィタは僅かな書類の不一致からその実態を見抜き、闇に蠢く関係者を暴いてローズ新聞の表紙を飾る記事に変え、悉くを“摘発”した。

「あれはまあ、間に合って良かったじゃん。あのまま続けてたら、お姉ちゃんの名前まで変な所に利用されるところだったんだから」

 ヴィタは何でもないことのようにまた笑い、パンを千切って口に放った。

「安心して!そういう不届きな奴らは、私が全部倒してあげるから!もぐもぐ」

 無邪気な声と咀嚼音が響く。

 ヴィヴィアナの表情が、微かにに翳った。

 その宣言が、冗談や子供の約束で済まないことを知っているからだ。

 ヴィタは奔放に見えて、実際は誰よりも鋭く、冷徹に物事を見抜く。妹は本当に──どこまでも踏み込んでしまう。

 だからこそ、頼もしいと思う一方で──心に重いものが伸し掛かる。

 本来なら妹が()()()()()()()()()()刃を、無邪気な笑みと共に振るわせてしまっていること。それを止められないのは、結局いつも自分だという事実。

「……無茶だけは、しないでくださいね」

 そう濁すのが、精一杯だった。

 本当は言いたいことがあった。「もう私のために、身を削ってまで騎士を目指す必要はない」と──。

 けれど、それを口にすることは出来ない。

 リターニアの高塔の中で蝋燭の小さな灯に照らされながら共に頁を繰り、そこに描かれた騎士の物語に心を震わせたのは自分だ。カジミエーシュに来て、競技騎士として歩むという夢に付き合わせたのも、他ならぬ自分だ。

 今さら「やめていい」と告げるのは、妹が積み重ねてきた日々や努力、流した汗や抱いた憧憬すべてを、無価値だと切り捨てるに等しい。

 そんな残酷な言葉を、姉である自分が投げつけることなど出来るわけがない。

 だからこそ、ヴィタの無邪気な笑みは胸を締めつける。あれほど強く、真っ直ぐに「お姉ちゃんのために」と言える妹に対し、自分が返せるのはいつも曖昧で、力のない言葉ばかり。

「もちろん、分かってるって!じゃあ、お姉ちゃん。私のお願いも……聞いてくれる?」

 ヴィタは片肘を机につき、身を乗り出す。緑の瞳が煌めき、少し照れくさそうに揺れた。

「私ね……お姉ちゃんの笑った顔が大好き!だから、お姉ちゃん──」

 緑の瞳が真っ直ぐ向けられる。

「──いつまでも、笑っていてね」

 燭火が強く揺らめき、ヴィヴィアナは一瞬、呼吸を忘れた。

 その無邪気な願いは、鋭利な刃のように胸へと突き刺さる。けれど、期待に輝く緑の瞳を前に、拒絶の言葉など言えるはずがなかった。

「……ええ、それが貴方の願いなら」

 ヴィヴィアナは引き攣る頬の筋肉を押し動かし、意識して微笑んでみせた。それはまるで、翳りを覆い隠す仮面のようだった。

「あー……なんか、無理して笑ってない?その頭に咲いた花も、少し苦しそうに見えるよ?」

 ヴィタは悪戯っぽく笑う。意図に気付いたヴィヴィアナが自身の髪を撫でれば、手の中に一輪の花が咲いていた。恐らく先程近づいた瞬間に、自身の髪に刺していったのだろう。妹は高塔にいた頃から手先が器用で、よくこういった手品を見せてくれることがあった。

 ヴィヴィアナは仮面を貼り付けたまま、手の中の花を見つめる。

『(貴方も私も……きっとまだあの高塔から降りれていないのでしょうね……)』

 今宵ヴィヴィアナに咲いたのは、二輪の赤い薔薇だった。

 

 

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

 食事を済ませたヴィタは、トリュフグローヴ城内を散策することにした。

 今夜はヴィタにとって眠る必要のない日だ。とはいえ、姉に言えば余計な心配をかけさせるので、一度自室で寝支度を整えてから部屋を抜け出して来た。

 夜も更けた今、城内の殆どの者は既にベッドの中にいる。もうじき姉もベッドで詩集を読みながら微睡む頃だろう。動く気配があるのは、夜番の騎士たちだけだ。

『(それにしても、騎士とはなんなのか、かぁ〜……)』

 回廊の途中でベランダに差し掛かったヴィタは、欄干に肘を預けて身を乗り出す。庭には色とりどりの薔薇が月光に照らされていた。

『(あんなこと聞くなんて、お姉ちゃん……きっと疲れちゃったんだよね)』

 燭騎士、常に大勢の前で微笑みを浮かべる淑女。

 カメラのフラッシュ、都市のネオン、競技場のライト──光に立つ存在は、光に灼かれるしかない。燭火の煌めきに人々もまた光を送るが、それは肌を焦がし、ヴィヴィアナという人の心を削り取っていく。誰も気づかない、誰も気付こうとしない。

 いや、それでも構わないのかもしれない。燭火の騎士が痛みに耐えて微笑みを浮かべ続ける姿さえ、騎士競技という娯楽のうちで、利用価値なのだから。

『(……そう、皆んなそれで満足なんだよね)』

 欄干に預けた顎を指先で支えながら、ヴィタは薔薇園を見下ろした。

 燭騎士が微笑んで、それを写真に収めて、記事にして、飾りにして……それで拍手を送れば、彼らはむしろ“良いことをした”気分になる。

 ヴィヴィアナ・ドロステという存在を燭台に立たせて、美しいだの、気高いだの讃えるファンなど、結局は自分の欲望を満たすために一方的に光を浴びせているに過ぎない。

 それは愛でも、尊敬でもない。ましてや取引ですらない。消費だ。

 まるで蝋燭のようにヴィヴィアナ・ドロステという個人を灼き──飽きれば次に移る。そういう人々の眼差しに囲まれて、姉は“燭騎士”という辱めを受け続けなければならないのだ。

「はあ、長かったな〜……」

 緑の瞳が月光を受けて、細く光る。

 この大地でたった一人の姉が、大勢の前で無理矢理笑わされ、光に灼かれていく姿を、どうして放っておけるだろう。

 ヴィタはカジミエーシュのこと自体は嫌いではない。

 少なくとも自分は自由に生きられるし、毎日が新鮮で、楽しいことだらけで、飽きることがない。

 まるで広大な薔薇園のようだと思う。

 毎日のように違う花々が咲き、鮮やかな色と香りで楽しませてくれる。

 だが、その土壌は総じて腐っている。

 根を張るべき大地は淀み、腐敗した養分に依存させられている。花々は様々な色で華やかに咲き誇りながらも、既に根から病を得ており、やがては倒れる運命にある。

 更にその上には、鋤を持った見えない手が徘徊している。

 見えない手は花々の数を数え、咲き方を決め、不要な芽を容赦なく掘り返していく。人々が美しいと讃える庭は結局のところ、不可視の怪物が用意した見せ物に過ぎない。

 燭騎士もまた、そんな花々のうちの一輪だ。

 薔薇園の中心に立てられた象徴の花。どれほど美しく咲こうと、やはり根は腐敗した大地に縛られている。そんな美しい花を飾り立てることに、カジミエーシュの人々は夢中になっている。

 ヴィタは欄干に視線を落とした。

 そこには月光を透かしたような白い薔薇が、細い茎を欄干に絡ませながら慎ましく咲いていた。仄かな光を帯び、清らかに見えるその花弁の縁には黒ずみが浮かび、斑点が広がっていた。

 伸ばした指で茎を摘み取り、掌に収める。

 柔らかな花弁の感触が僅かに伝わったのち、ヴィタは躊躇うことなく白い薔薇を握りしめる。

 白は形を失い、月の下に影を落とした。呆気ないものだ。

「……さて、と!お仕事しなきゃ」

 軽い調子で呟くと、ヴィタはポケットから端末を取り出した。月光を反射する黒い画面には、通知の一つも届いていなかった。

 ヴィタは慣れた様子で指を滑らせ、特定の番号を呼び出す。

 彼女は薔薇を握り潰した指先を、当然のように別の営みに使うのだった。

 

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