キャラの死亡描写ありです。お気を付けください。
寝落ちしたことに気づいたような目覚めだった。どうやら仰向けに寝転がっていたらしい。眩暈と吐き気で酷く気持ちが悪い。こんな目覚めは初めてだ。もはや立ち上がることも憚られたが、口元を抑え、ふらふらしながら立ちあがったが、あまりの眩暈に膝を折った。しばらく目を閉じてようやく眩暈が収まったので目を開くと、そこは百鬼夜行ではなかった。しかし、知らない場所でもない。木造のボロボロな屋内。床は下手すれば足が引っ掛かってしまいそうなほどの隙間が空いている。天井はその役割を果たしておらず、絶え間なく雨が入り込んでいた。入口には扉が無い。そこから見える光景と、この磯の香りからしてここは漁村である。外に出てみるが、幻覚ではなさそうだ。普段に比べて肌の露出が多いこの装束では雨が酷く冷たかった。
大きな足音が聞こえた。全身が肥大化し、頭部は丸くつるつるしている。船の錨を持つ瘤あたまが歩いていた。私は肝を冷やしたが、幸い奴は私に気づいたわけではない様だった。もしこっちに走ってきたら尻尾巻いて逃げていただろう。落葉を回収するために何度も死にながら井戸に潜ったが、二度と戦いたくない。犬より嫌いだ。
小屋から出てすぐ左にある墓は誰に対してのものか分からない。ただそこから見える風景には一匹の上位者がいるのだ。今だってここから海岸を見渡してみれば――
「おや?」
海岸に見慣れたゴースの姿はなかった。代わりに黒い死体が転がっている。遠くてよくわからないが、私の目に狂いがなければ、あれはクロカゲではないだろうか。
風景や瘤あたまのおかげで確信が持てたが、ここは確かに漁村だ。しかしなぜだろうか。さっきまで私はキヴォトスの百鬼夜行にいたはずだ。死んだら悪夢の漁村にいるだなんてまるでヤハグルの様だが、キヴォトスと悪夢では距離が遠すぎる。だが、クロカゲが倒れていたのではここもただの悪夢ではなさそうだ。
小屋に戻って中を歩いてみると、ショートカット用のドアが開いていた。その部屋はボロボロな小屋に比べると、古くはあるが対照的に頑丈な作りをしている。中心にある円盤状のエレベーターに黒服が倒れていた。頭部の右半分は炎の様に不定形でそのまま燃えて消えてしまいそうな勢いだった。刻まれていたヒビのような白い模様も全身に広がり、今にも割れてしまいそうだ。近寄って名前を呼んでみたが、返事はない。黒服にヘイローは無く、しかし人間でもない。一見して生死の区別はつかなかった。彼の右足に輸血液を刺すと次第に全身のヒビは消え失せ、頭部も形を戻していった。
間もなく黒服は意識を取り戻したようで、首を私に向けて呟いた。
「おや、ここは……狩人さん?」
「よし。生きているな。貴公、なぜここにいる」
「少し……時間をください。まだ意識が」
黒服は立ち上がろうとするが、体が思うように動かないらしくふらふらとしてバランスが保ち辛い様子だ。私の肩を借りながら立ち上がった彼はスーツを軽く払い、ネクタイを締め直した。
「失礼、それで、何でしたか」
「貴公がここで倒れていた理由を聞いている」
「ああ、そのことですね。それについて答える前にまず、ここが何処なのかご存知ではないでしょうか」
「ここは漁村。狩人の悪夢の中で最奥に当たる場所だ」
「はぁ、悪夢と漁村、ですか。到底共存するようなロケーションではありませんね。先ほどまで百鬼夜行の町にいたはずなのですが」
「私もだ。だが気づけばこんな所にいる。貴公は何か事情を知らないだろうか」
黒服は両手を上げていかにも残念そうに首を振った。
「残念ながら詳しいことは何も。あなた達の後ろから様子をうかがっていたところ、突然辺り一帯を黒い霧が取り囲んだのです。気づくと海岸にいました」
「後ろにいたのか。全く気付かなかった」
「あなたの事ですから気づくかと思われましたが、なにやらご執心の様でしたから」
「まあいい。百鬼夜行から漁村に移った理由はなんとなくわかった。あの傷はどうした。尋常ではない様子だったぞ」
「浜辺に立っていた存在に襲われました。酷く形容しがたいもので……思い出すと鳥肌が立つ思いです。私を含め、その場にいた百花繚乱の面々も呆気にとられた様子で。何とか命からがら逃げてきました」
「その存在は老いた顔をしていなかったか」
「どうでしょう。俊敏でしたから、顔を見る余裕はとてもじゃありませんが」
「では何か巨大なものを持っていなかったか。例えばピンク色の肉塊のようなものとか」
「ああ、確かに持っていましたね。まるでこん棒の様でした。伸び縮みして、自身の一部のように扱っていましたね」
「そうか。分かった」
「おや、どちらへ」
「貴公が言う存在を狩りに行くのだ。クロカゲから拾った本もおそらくそこに置いて来てしまったからな」
「しかし、危険ですよ。彼の存在は。おおよそ簡単に手を出して良い存在ではないかと」
「はは。気にするな。初めて会った時を忘れたか。あれは何度も狩ったことがある」
「ああ、お待ちください。最後に一つ……いつ言おうか迷っていたのですが、以前あなたから頂いた輸血液の検査を行ったのです」
「あぁ、そんなこともあったな。で、何か面白いことでも見つかったか」
「大部分は人間のものですが、ごく一部謎のものが混ざっています。現状地球上のどの生物でもないものです。非常に興味深いことなのですが……それ以前に雑菌が多すぎます。微生物や寄生虫らしきものもいましたから使用をやめたほうがいいです。端的に言って、汚い」
「汚いか……ああ、まあ……そうだな。買ったやつもあるが、拾った奴もあるし……反論は出来ないな。だが、効能は自身で体験してよく分かっただろう」
「え、あれを私に使ったのですか?」
「死にかけていたし、まあキヴォトスの生徒に使っても問題なかったから貴公が使っても問題はないだろう」
「その生徒は。何か変化がありましたか」
「大分傷が深かったようだが、輸血液を打ったら元気になったようだ。予備に渡しておいた輸血液も持ってどこか行ったらしい」
「それだけでは安全性が分かりませんね。異常な修復力があることは分かりましたが……仕方ないですね。マッドサイエンティストではないのですが自分を実験体としましょう。申し訳ないのですが、もう何本かいただけないでしょうか。サンプルが必要です」
私は彼に五本の輸血液を渡した。それと思い付きで更に四本渡してやった。ヨセフカやアリアンナなどの特別な血だ。正直使ったことがないので、有ってもなくてもどちらでもいい。なら黒服であれば何かしらに役立ててくれるだろう。
「こんなにもらっていいのですか?」
「ああ、その四本は別にいらないからな。癖でもらったようなものだ。だがただの輸血液とは違う代物だ。貴公なら面白く扱うかもしれないな」
「これはこれは。あなたからは貰ってばかりで悪いですね」
「かまわん。また遠出するときに代わりに連れて行ってくれればいいさ」
私は今度こそ黒服に手を振り、円盤の上に立った。中央の出っ張りの上に立つと沈み、ゆっくりと円盤自体が下がりだした。降りていくさなか、彼は私に深く頭を下げていた。
円盤が降りた先は地上の光が全く届かない暗い洞窟の中だった。浜辺にほど近いこの場所は、至る所から水が滴って、地中にいるのに雨が降っているようだった。足元すら見えない程暗いが、記憶を辿って進むと、間もなく外の光が見える。この先に浜へ出る出口とそこで大勢の養殖人貝が跪いて祈っているはずだった。しかし、そこに広がる光景に私は思わず足を止めた。
出口で並んでいたのは貝たちではなく、生徒だった。両膝と両肘、額を地面につけ、腕は頭上で組んでいる。そんな格好をした生徒たちが何十人と並んでいる。服装からして百花繚乱や他の生徒も混ざっているだろう。一番先頭にはいつか民家の中で背中を見せていた白髪の美しい少女もいた。ヘイローがあるから意識があるのだろうが、声をかけても、杖で小突いていてもリアクションはない。貝女どもが祈りなら、彼女たちの行為はまるで許しを請うているかのようだ。突然現れた化け物に為す術もなく、それは我々よりはるかに高位な生き物だったと気づいた時、彼女たちは最も原始的な方法をとったのだろう。
私にだって喜怒哀楽はある。不気味に思うことだってある。初めて実験棟に足を踏み入れた時はそのおどろおどろしい雰囲気や、凄惨な現場を見て何度も脚がすくんだものだ。頭を拾ってしまうほどに。私は今それと同じような感情を持っている。恐怖と好奇心というものだ。
彼女たちの間を通り抜け、洞窟を出る。私もまた、彼女たちに祈られた。
雨の降る砂浜。海と浜の境界線に黒い煙のような体を持つクロカゲの死体が横たわっている。その上、ちょうど腹の辺りだろうか、人が立っている。やせ細った華奢な体で、しかし右手に絡みつくピンク色の胎盤は巨大だ。私に背を向けて老人のようなかすれた声で泣いている。その後ろには二体の死体が捨て置かれている。すぐにその死体がキキョウとレンゲのものであると分かった。全身傷だらけで、四肢の一部はあり得ない方向へ曲がっていた。レンゲは体の一部を失くしていた。
奴との距離大体四、五メートルといったところか。奴はこちらに振り向いた。もう泣いていない。ゴースの遺子とは、つまりゴースがいるからゴースの遺子なのである。奴の足元にいるのはクロカゲだ。ならば奴はクロカゲの遺子とでも言うべきか。しかしあまりにも似ていない。人と獣では外面的に大きな違いがある。奴はあの本の影響で漁村と一緒に生まれた幻覚のようなものだ。私の記憶から生まれたのだから、夢、悪夢の遺子というのが最も適しているだろう。
奴が取る最初の行動を見極める必要がある。叫びながら跳躍した。しかし私は動かない。後ろへ避けることを予想した攻撃は空振り、私に背中を見せる結果となった。杖を強く突き立て、跪いたやつの背中を大きく抉る。追い打ちは残念ながら当たらなかった。
跳躍しながら胎盤を叩きつける行為はカウンターだ。下手に近づいたり、胎盤を持っていない左手側に避けようとすると当たる。それ故、胎盤は私の右側に叩きつけられる。つまり動かなければ当たらない。
私は奴に向かって歩く。攻撃を誘発させるためだ。次にどんな行動を起こすのか、私は奴の一挙手一投足を”見る”。右手を大きく振りかぶった。振り回そうかというタイミングで銃の引き金を引く。タイミングが合った時、たった一発の水銀弾は相手の体勢を大きく崩す。ステップで素早く近づき、腹を抉った。相も変わらず追い打ちは当たらない。丁度半歩間合いが足らないのだ。遺子が立ちあがる。次にどんな行動をとるのかと両手に力を入れる。奴は左手で胎盤の一部をむしり取った。そしてそれを足元に埋めた。私の足元が光る。ステップで横に飛び、念のためもう一歩飛ぶ。それと同時に、光はしぶきとなって爆発した。
懐に入った私に奴は胎盤を持ち上げる。パリィのチャンスであるからステップしてはいけない。歩きながら少し後ろに下がり、まさに振り下げんというタイミングで引き金を引いた。少しでも間違えれば手痛い反撃を食らうところだったが、無事にパリィができて緊張が解ける。内臓攻撃で飛び散る肉と共に、詰まった息も吐く。
緊張で息が詰まる。初めて戦う敵や何度も戦った敵でも強敵と戦うときはいつもそうだ。経験があってもそれはわずかな後押しにしかならず、次も勝てるとは限らない。
跳躍、回避しなくてもいいやつ。そう思ったが、胎盤は右から左へ薙ぎ払われた。避けなければならないと思ったが体が追い付かない。質量を持った胎盤が半身にぶち当たった。続けて胎盤でかち上げてきたが、確かパリィができたはずだ。しかし一度攻撃を喰らったから避ける必要がある。だがせっかくのチャンスを回避に費やすのはもったいない。迷っているうちに、私は空を見ていた。強烈な痛みと共に胎盤を叩きつける遺子の姿が見え、慌てて後ろに転がった。
ペースを乱されてしまった。輸血液を二本刺し、落ち着くまで回避に専念する。
ニ、三回回避に専念したところで、ぶん回しを銃でパリィした。モツ抜きをしてもう一度ペースに乗せる。更に二回ほどモツ抜きをすると、遺子は動きを止めた。私はそろそろと海の方へ走り出す。後ろから遺子のけたたましい叫び声が聞こえた。かすれるような叫びには老人の声も混じっている。まだ片手で扱えるサイズだった胎盤は更に肥大化し、左手も添えなければまともに扱えなくなっていた。刃のようなものが露出し、そこに肉が引っ付いているかのようだ。杖の様に一歩一歩叩きつけながら飛ぶように走る。奴の背中には大きく二枚の何かがマントののようにひらめいた。
恐らく死闘だったのだろう。変身した遺子の攻撃はより苛烈で暴れていた。精神がすり減る程攻撃を躱し、小さすぎる隙に攻撃をねじ込むさまはまるで針に糸を通すかのようだった。気がつくと、遺子は私の前で背中を見せながら跪いていた。ここまでどうやって戦ったのか全く覚えていない。ボロボロになった装束はもはや服としての体を失いつつある。しみ込んだ血は殆どが私のものだろう。全身が死ぬほど痛いし、体を上下させるほど息も荒い。心臓の早すぎる鼓動を感じた。輸血液の数はそれなりに残っているが、回復する暇すらなかったに違いない。
拳を挿しこまれた遺子の悲鳴は意外にも静かだった。外は海と雨で冷たくて酷く寒いというのに、体内はとても温かった。上位者であってもやはり生き物なのだ。抜かれたモツは予想通り小さかった。ただあの活動量の割に心臓が小さい。上位者はやはり人間とは違うのだ。遺子は倒れ、クロカゲの死体に手を伸ばし、そのままこと切れた。
短く息を吸って、長すぎる息を吐いた。脚が震える。手も震える。視界の外周がうっすらぼやけている気がする。雨のせいだろうか。疲労のせいだろうか。死にすぎるのもアレだが、死なずに長時間戦うのも疲れる。
クロカゲの死体にあの本がはみ出していた。不思議と雨に濡れた様子はない。赤茶色い染みが付いているがこれは私の血だろう。中のページが張り付いてしまっている。あとで夢の中でゆっくり剥がしてみよう。
クロカゲの側に灯りが出現しているが、その前にやることがある。死体の腹の辺りに一本の黒い影が立っている。杖で切ると簡単に霧散し、それは海へと向かっていく。呪いが深い深い海に落ち、やがてまたヤーナムに降りかかるのだ。既に決まった過去の出来事。私が落とさなくともいずれは落ちていたのだろうが、攻撃が当たるからついついいつもやってしまう。
海に落ちる呪いを見送るはずが、呪いは落ちるどころか上の月に向かって昇り始めた。はて、あの月はあんなにも赤かっただろうか。何かが蠢いているように脈動していただろうか。声が聞こえる。何の声だ、聞いたことのない声だ。誰かを呼んでいるみたいだ。優しく、しかし心配そうに、驚かさないように探している。母性を感じさせるこの声は赤ん坊を呼んでいる。どれだけ探しても見つからない赤ん坊を探す声が聞こえる。
泣き声が聞こえる。赤ん坊の泣き声だ。遺子はもう死んだし、当然周りに赤ん坊はいない。しばらく声の源を探して理解した。この泣き声は私の中から聞こえている。口から出ているわけではないが、とにかく中で赤ん坊が泣いているのだ。この泣き声を聞かれるのはまずいと直感した私は、慌てて口と耳を抑えたが、その程度で泣き声が収まるはずがなかった。
「見つけた」
それは私に絶望を持ってくる声だ。月が近づいて来る。いや、あれはもはや月と言えるものではない。脈動はゼリーの様に月の形を変えている。月が空を埋め尽くそうとしている。赤ん坊を探す声はだんだん大きく、真っすぐこちらへ向かっている。
「先輩! キキョウ先輩、レンゲ先輩! いったいどこにいるんですの~!?」
こんな時に新手がやってきたのか、洞窟の方から叫び声が聞こえる。
「み、皆さまなんでそのような格好を!?」
叫び声もどんどん近づいて来る。洞窟からの声と月からの声、聴き比べているうちに洞窟区の声の主が姿を現した。一見して位の高い者だと分かった。それは他の者に比べて厚い服装に、どこか気品を感じさせる姿と、整えられた顔立ちから推測できた。
「せん、ぱい?」
彼女は姿を見せるや否や、きょとんとした顔を見せた。間もなく目が見開かれ、口と眉がせわしなく動き始める。理解と拒否を繰り返す様に、笑顔と恐怖と交互に繰り返す。その間、瞳だけは決して変わらなかった。私を犯人とでも思ったのかゆっくりと銃口を私に向けるが、酷く痙攣させた腕では全く狙いが定まっていない。当たりはしないだろう。
あらぬ誤解を解こうと、彼女へ一歩踏み出したがその瞬間、耳元ではっきりともう一度「見つけた」と聞こえた。振り返ると、月は目と鼻の先にまで近づいており、理解する前に飲み込まれた。
「この者が赤子の居場所を知っている」
「ついに見つけた」
「長らく探し続けた甲斐があった」
「あの夜に奪われた赤子の代わりが見つかった」
「よもやキヴォトスで見つけることができるとは。実に僥倖だ」
声が聞こえる。意識はもうある。静かに目を開くと、真っ暗な空間に仮面を被った白い司祭たちが立っていた。私を取り囲むように何人かいるらしい。いろんな所から声が聞こえた。体はどういう訳か全く動かなかった。
「目を覚ましたぞ。赤子の居場所を探せ」
「赤子はどこだ。どこに隠した」
「赤子……赤子か? さあ、どこに隠したかな」
「貴様が赤子を匿っていることはとうに知っている。大人しく居場所を吐いたほうがすぐに終わるぞ」
彼らが言う赤子とはきっと狩人の夢にいる、私の成れの果てに違いない。場所を言ったところで狩人の夢に行けるかどうか……いや、セイアは入ることができた。私を経由すればこいつらも入ることができるだろう。
「あの夜、一人の狩人が赤子を皆殺してしまった。唯一残った赤子も返してしまった。それから赤子は長らく見つからなかった。ようやく見つけた手掛かり、決して逃しはせぬ」
「貴公らは上位者ではないだろう。赤子を求めて何になる」
「キヴォトスを再び我々が統治する。そのために彼の者の力が必要なのだ」
「上位者に協力を求めるのか? はは、滑稽な話だ」
「ゆえの交換条件、赤子。彼の者、色彩が最も欲するものだ。キヴォトスにのさばる、なりそこないを滅した後、献上する」
「上位者相手に後払いとはいい度胸じゃないか。尊敬しているのか利用しようとしているのかよくわからんな。いや、貴公らが上位者に利用されているのかもな」
残念ながら私の挑発には誰ものってくれなかった。私の視界の左側にいた司祭が挙動不審だ。何かをしきりに気にしている。他の司祭も彼の挙動に気づいたようで手を伸ばしている。すると、彼は後ろを振り向いて「侵入者だ」と呟いた。それと同時に筒へ息を吹いたような音が右から聞こえてきた。
「ええい、なりそこないにすら成り損なったくせに無粋にもこの空間に這い上がったか」
「驕るな――! 所詮貴様らはまがい物なのだ。どれだけ探求しようと足元にも及ばぬ!」
「これは我々のものだ、貴様らのものではない」
「おい、早く追い出せ。逃げられるぞ」
司祭がこぼした言葉のとおり、少しずつ体が動くようになってきた。私に意識を向けないと体を固定できないらしい。ゆっくりと顔を左へ向けると、メンシスの生徒どもが大勢寄ってきていた。その先頭にいる何体かには頭上にヘイローがあった。
左側の司祭は既に意識を生徒に向けている。右側の司祭は若干生徒に向いているが、まだ意識を私に向けている様だ。体全体は動かないが四肢の一本ぐらいなら動かせる。だからエーブリエタースの先触れを右手から出した。長く飛び出た触手が司祭の一人を突き飛ばした。飛んでいった司祭は、ギャッと存外滑稽な悲鳴を出した。おかげで残りの司祭の意識も私から離れた。
私は前に飛び出した。司祭は私か生徒かどちらを対処するか迷って右往左往するのみだ。側を走り抜けた司祭だけが意識を向け直した。体が重くなり倒れそうになる。懐から獣の腕を取り出し、腹の底から吠えた。声は獣の咆哮となり、衝撃波が司祭を吹き飛ばす。再び体が軽くなった。
目を開けたときから司祭の後ろでずっと見えていた。真っ黒な空間が歪んで丸い虹色の輪郭があった。それは生き物のようにぐるぐる回っていた。私はその真ん中に飛び込んだ。飛び込んだ先に地面は無く、私は落ち続けた。何かが私を弄るような感覚があったが、同時に私はそれを歓迎した。私の中に何かが入り込んでくる。体がねじれ、不定形となり液体となり、気体となった。私は落ちていたのではなく、上っていた。いや、やはり落ちていた。違う、横滑りしていた。それも違う。同じ場所でぐるぐる回り続けていた。
獣の鳴き声が聞こえる。赤ん坊の泣き声が聞こえる。それを慰める子守唄が聞こえる。オルゴールの歌が聞こえる。全てが混ざって聞こえて酷く気持ち悪い。視界に映るのは獣狩りの夜だ。私の足跡が映画の様に瞳に映る。あの子が私を運んでどこかに連れて行く。ヤーナムでもない、ヤハグルでもない。カインハーストの城でもない。悪夢でもない。神秘の満ちる土地、キヴォトスへあの子が連れて来た。なぜこんなところに連れて来たのかよく分からないが、私の行動はきっとあの子の思い通りなのだろう。上位者なんてものは人間が到底理解できるものではないのだから。
空から産み落とされた私は赤い空の下で夢を見よう。うたたねをして短い夢を見よう。目が覚めたらそれが夜の始まりだ。
まず謝っておきますが、これから原作キャラの死亡描写は多くなります。気分を害される方もいるでしょうが、ご容赦ください。