「ひ、やあぁぁぁぁぁあああ!?」
どこかで仲間の悲鳴が上がった。しかし、悲鳴は銃声によって打ち切られる。その後も何発か銃声が聞こえ、やがて静寂が再び訪れた。
少女の顔はヘルメットで隠されているが、その中では涙を流していた。もし見つかれば自分も同じように殺される。全身を恐怖に支配されていた。彼女は恐怖によって体の自由を奪われていたからまだ良かった。
どこからか走る足音と、荒い息遣いが聞こえる。同じく恐怖に支配され、しかし、恐怖によって体を動かされた者がいるようだ。当然、そんな音を出せば、ヤツはすぐに気づく。間もなく、足音がもう一人分増えた。
「やだ、やだ! た、たすけ、助けて!」
悲痛な叫びがこだまするが、誰も彼女を助けようとはしない。やがて一発の銃声が響く。しかし、声の主はまだ生きている。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! 許して! 許してゆるしてゆるしてゆるしてえぇぇえぇああぁぁぁぁぁ!?」
必死の命乞いの結果は、響く数多の銃声でよく分かった。逃げても駄目、懇願しても駄目だとすれば、残る手段は一つしかない。だが、その手段は先のものに比べれば、圧倒的に愚かだ。少なくとも、今潜んでいる彼女に実行する勇気はない。しかし、その蛮行を行う者がいたようだ。それも、よりによって彼女の近くに。
「こっち来いこのクソ野郎! ぶ、ぶっ殺してやる!」
あまりにも軽率だった。バカなのか、と罵りたくなった。しかし、その愚行は彼女に逃げ出す勇気を与えた。すぐ近くにあった路地に入り、適当に曲がった。おかげで蛮勇の持ち主から芋づる式に見つかることはなかった。
少女の叫びと銃声がこだまする。せめて無事に逃げのびるまで時間を稼いで欲しかったが、それほど耐え切れるはずもなく、少しだけ銃声が入り混じっただけで、すぐにまた静かになった。
辛うじて街灯のあった通りとは違って、路地には一切の明かりが無かった。両脇を建物が挟んでいるのも相まって、文字通り一寸先は闇である。足元にあった何かにつまずいて転んだ。しかし、真っ暗で何につまずいたのか分からない。音的にバケツかも知れないが、確かめる気はない。すぐに起き上がって、闇の中を走り続けた。
「色彩が降りたのは百鬼夜行連合学院があった場所だ。あったっていうのは、私もよくわからないんだが、今はないっていうのかな。たどり着けないっていうのが正しいと思う。まあ、それも大変なことだけど。キヴォトスは赤い空に覆われて、夜のように暗くなった。赤い月が昇って、ちょうど今の空と同じだ。うん、あの日からずっと空が変わらないんだ。それから、キヴォトス中に変な塔が現れたんだ。連邦生徒会はあれを虚妄のサンクトゥムと呼んだ。多分狩人も見たはずだ」
「天高くそびえる塔なら二つ見たな」
「それだ。一つは元々あったサンクトゥムタワーで、もう一つ黒く捻じれた塔が虚妄のサンクトゥム。虚妄のサンクトゥムからは変な敵が現れたんだけど、シャーレが中心になって、キヴォトス中の学園が協力して虚妄のサンクトゥムを攻略していったんだ。それで最後はキヴォトスの上を飛んでるっていう船を壊しに行ったんだけど、どうやら失敗したみたいで、上空に行ったメンバーは皆行方不明なんだ」
最後の部分を語るアズサの顔は、やけに暗く、声のトーンも低かった。ただ、人が行方不明になったのではなく、その中に見知った顔があったのかもしれない。思い出して心にきたのか、数秒沈黙があったが、気をとり直したようで、再び語り始めた。
「色彩の撃退に失敗した私たちは、同時に対抗する手段を失ったんだ。元々キヴォトスはそれぞれの自治意識が強い。勿論基本的に仲がいい、というかほぼ不干渉で、協力を求めたら協力してくれる。でもゲヘナとトリニティみたいに、対立しあう学園もある、エデン条約で一応協力関係にあっても、生徒間では反発しあってたんだ。最初こそ協力し合っていたけど、今はどうなっているのか分からない。私たちがトリニティを出た時には、少なくともゲヘナに協力を求めようとも、協力しようともしてなかった。それで、あとはそのままゆっくりと崩壊していったんだ」
アズサは口を閉じた。
「なるほど。事のあらましは分かった。色彩がやって来て、一時は押し返したが、結局負けたということか」
「まあ、簡単に言えばそうなる」
「キヴォトスはどうなる」
「わからない。トリニティやゲヘナ、ミレニアムみたいに力を持っている学園は、自分たちで防衛できるだろうけど、それも長くは持たないだろう。キヴォトスのどこに行っても膨大な敵がいる。正直言って、どれだけ抵抗しても滅亡を遅らせる事にしかならない」
そこまで言って、とうとうアズサは何も話さなくなった。彼女の言葉が本当なら、クズノハを訪ねるところではない。紙に書いていた通り、逃げなければならない。しかし、逃げろと言われても闇雲に走れと言うわけではないだろう。それに色彩がどうやって私を追うのかも不明だ。あの伝言を残した私にどういう意味なのか問いたい。尤も、ヤーナムの走り書きよりはまだ理解できるが。
ヤーナムに獣の病が蔓延ったように、キヴォトスには”敵”が蔓延ったようだ。
「膨大な敵か。この辺りはむしろ虫一匹いないかの如く静かだが」
「ああ、それは――」とアズサが言いかけた瞬間、彼女の目が私でないところを見た。詳しく言えば、私の少し上だ。そしてその目は驚愕に変わる。「ヒフミ!?」と叫ぶのと、彼女が慌ただしく立ち上がるのはほぼ同時だった。
アズサの尋常じゃない言動に、私は後ろを見た。すると、目の前に光る何かが迫っていた。反射的に避けたが、床で胡坐をかいていたために、上半身しか動かすことができない。光る何かが右ももに刺さったのと同時に、正体が包丁であることを知った。刺したのは阿慈谷ヒフミだった。
鋭い痛みに思わず声が出る。その間にアズサがヒフミを取り押さえた。
「何をしているんだヒフミ!?」
「赤子、赤子の泣き声が頭に響くんです。大声で、気が狂いそうなほど。ペロロ様がその人だって、赤子を持っているのはその人だって言っているんです」
「何を言っているんだ! 赤子なんていない!」
ヒフミの瞳孔は一杯に開き、決して私から逸らそうとはしない。取り押さえられてもなお、私に手を伸ばそうとするその姿は、端的に言って狂気だ。
太ももに刺さった包丁を抜き、遠くに投げる。傷口からは一定のリズムに合わせて血が滲みだす。太い血管が裂けたらしい。
「動けるなら外に逃げてくれ。ヒフミは私が取り押さえる!」
アズサはそう言ってヒフミを押し倒した。ヒフミは言葉こそ冷静だが、抵抗は力強い。「ペロロ様の赤子」と意味不明なことを呟き続けている。
深く刺された右脚は中々動かない。輸血液を一本刺して何とか立ち上がった。アズサの言う通り、外へ逃げる。刺された右脚をさするが、すでに出血も傷もない。ただ刺された部分が血で濡れていた。
しばらくしてアズサが家から出てきた。取り押さえるのに苦労したのか、肩で息をしている。彼女は開口一番謝罪した。
「申し訳ない。こんなことになってしまって。ただ、決して襲うために連れて来たわけではないんだ。こうなってしまった以上信じてもらえないかもしれないけど」
「いや、信じるとも。貴公が咄嗟に声を上げてくれなければ、今頃私はめった刺しだっただろうからな。しかし、彼女はあんな突然襲ってくるような少女には見えなかったのだが」
「ああ、ヒフミはあんなことはしない。むしろ嫌う。あんなに暴れたのは初めてだ」
「心当たりは?」
「狩人も病院にいたんだろう? 見なかったか」
「病院……彼女も?」
「うん。ヒフミも第六病院にいたんだ。虚妄のサンクトゥム攻略に巻き込まれて大けがを負った。そこで輸血を受けたんだが、それからどうにも様子がおかしいんだ……歩いて話そう。ここから離れた方が互いの為だろう」
アズサはそう言って家を見た。
一拍遅れてアズサの横を歩いた。彼女の顔は家から出てきたまま暗く、少しうつむいている。夜ということもあって、余計に影が落ちていた。
歩きながら話そうと言った割には、全く口を開かない。だから仕方なく、私から話しかけるしかなかった。
「彼女の暴走は輸血が原因なのか?」
「え、あ、ああ……うん。他に原因があるとは思えないし、他に輸血を受けた人たちもおかしくなったんだ」
「暴れだした?」
「うん。最初はうわ言ばかりで、声がするって。ヒフミもそうだった。『赤子を探せ』って聞こえるらしいんだ。それが段々凶暴化していって、ある日病院の中で患者の一人が別の患者を刺したって大騒ぎになった。パニックが重なってまた誰かが刺して……巻き込まれるといけないと思って、ヒフミと病院を抜け出したんだ」
「声か」
病院での出来事や、ヒフミの件といい、色彩は直接私から赤子を取り出そうとしているらしい。別に私は赤子など孕んでおらんのだがな。
アズサが大きくため息をついた。私と地面を交互に見つめて、口をもごもごさせている。やがて意を決したように、私に話した。
「実は……私も最近幻聴があるんだ」
私は思わず、その場で足を止めた。両手に力が入る。私は今どんな顔をしているだろう。警戒をしている顔か、余裕を見せた顔か、もしくは余裕を見せようとして引きつっているかもしれない。いずれにしろ、アズサは私の反応に予想がついていた様だ。特に反応することもなく歩き続けるので、私も仕方なくついて行った。
「幻聴と言っても声じゃない。音楽というか、歌というか。時々聞こえてくるんだ。家の中でも下水道の中でも」
「どのような?」
アズサが口ずさんだのは、聞き覚えのあるフレーズだった。悪夢に彷徨うほおずきたちが延々と歌う子守唄。所々音程があやふやだが、まさにそれだ。
「こういう感じのものが聞こえてくるんだ」
「貴公も輸血はしたのか」
「いや、私はしていない。だから突然襲うことはない。安心してくれ」
「だが、幻聴は聞こえるのだろう」
「声と違って不気味なものではないし、むしろ落ち着く。流石に下水道で一人の時には、少し不気味だけど」
「まあ、突然襲ってこなければ別にいい。しかし、今の告白は私を敵に回しかねなかったぞ」
「隠しても良かった……というのは、確かにそうだ。でも、私は連邦生徒会の警告を無視しているし、狩人だってそうだ。いずれ狩人にも同じ症状が現れるかもしれない」
「警告、連邦生徒会?」
「まさか、知らないのか」
「目が覚めたのが、つい数刻前だから、状況が何一つ分かっていないのだ」
「あ、そうだったか。これ、色彩が降りた日からずっと出てるんだ」
アズサが見せてくれたスマホの画面には、赤い背景に、ビルを模したマーク。そして「GENERAL STUDENT COUNCIL」と書かれている。いかにも不気味な配色だが、警告らしいので、これぐらい必要なのだろう。
下には日本語で文章が書かれているらしいが読めない。
「なんて書いてあるんだ」
日本語なうえに、スマホの画面はとても小さくて、私は目を細めながら聞いた。するとアズサは困惑した声で「え?」と返す。
「私は英語しか読めん。だが、これが警告だというのはよく分かった。で、この警告と今の私たちの状況がどう関係ある」
「いや、書いてあるだろう。『なるべく屋内にいてください』って」
「ほぉ。確かに私たちは今、外にいるな。しかし、なぜ?」
「あの赤い空には、私たちの正気を失わせる効果があるらしいんだ」
私は「そうか」とつぶやき、懐の鎮静薬を一つ飲んだ。血が刺さるだか、飛び出すだかしているわけではないが、念のためだ。頭から血を噴き出したくないので、念のためだ。
「気が狂うと知って、よく外にいる気になれるな」
「正気を失うと言っても、進行は遅い。頻度は少ないとは言え、数ヶ月経って幻聴が聞こえるぐらいだ。流石にヒフミは外に出さないようにしているけど」
「幻聴が聞こえ始めているというのに、外に出続けるのはいささか疑問だがな」
「なるべく外に出ないようにしているけど、見回りはしないといけないから。こうなった以上、いつ敵がやってくるか分からない」
「そうか……それで、なんだ。また下水道に下りるのか?」
マンホールの蓋を開けようと開けようとしているアズサに声をかけると、彼女はこちらを向かずに「ああ」と短く返事をした。
「この地区に入る道が下水道しかないように、出る為の道も下水道しかないからな」
「一体どこに連れて行こうとしているんだ」
「D.U.を離れるわけにはいかないけど、途中まで道案内する」
「ああ、そうか。それは助かるな。ぜひ頼みたい」
梯子を下りる音はよく響いた。そして下水道を流れる水の音も。僅かに匂ってきたので顔に掛けるマスクを上げ直した。アズサも奇怪なマスクをつけた。
そもそも光が届かない下水道は、夜の町よりもずっと暗かった。懐中電灯が壊れてしまった私の光源は、アズサの持つスマホのライトだけであり、彼女を見失った瞬間、私はこの地下の迷宮を一生彷徨うことになる。
「トリニティまではどのくらいかかる」
「どうやって行くつもりかによるかな」
「徒歩だとどうだ」
「え、徒歩? そうだな……正直言ってだいぶ時間がかかると思う。電車で行くような距離だし、ここは比較的トリニティまでの距離は近いと思うけど、歩いたら……多分数日はかかるんじゃないかな」
「す、数日? そんなにかかるのか」
「トリニティの自治区に入るだけなら、そんな時間はかからない。でも、狩人は百合園セイアの元に向かうつもりだろう。なら、それぐらいかかるさ」
「それは、困ったなぁ……そうだ。電車ならどうなんだ」
「電車なら数十分で着くけど……動いてないぞ」
「なぜだ。家では電気がついていた。電車は電気で動くのだろう。ならば動くはずだ」
「動かす人がいないんだよ」
「ああ、そういう……ならば、貴公はどこに案内してくれるというのだね。徒歩では時間がかかるのだろう」
すると、アズサは僅かに顔を後ろに向けて言った。
「D.U.の地方にトリニティまでいく無人列車があるんだ。終点もトリニティの地方だから中心まで遠いけど、今でも動くはずだ」
「そうか、それはいいな」
アズサが突然立ち止まり、ライトを上に向けた。上に続くはしごが見える。
「ここから上がろう」
上がった先はまた知らない場所だった。あの病院の近くでもない。あの下水道をどう進んでここまで来たのか、全く見当がつかない。ただ、何回も曲がったことだけは覚えている。
少し森が混じった景色に見惚れていたが、間もなく、その場で立ち尽くすアズサが目に入った。「どうした」と声をかけると、「聞こえないか」と返す。その言葉に聞き耳を立ててみると、遠くから銃声のようなものが聞こえた。
「銃声?」
「うん。誰か戦ってるのかも」
「ほう。てっきり私や貴公らしかいないものだと思っていたが、まだ人が残っていたのか」
「でも、戦ってるなんて……このあたりの敵は全部――」
アズサが血相を変えて振り向くのと、建物の陰からヘルメットを被った少女が腰を抜かし、何かに怯えながら後ずさりしてきたのはほぼ同時だった。
「まずい! 逃げよう!」
アズサが私の手を引いて後方に走るが、突然のことで私は頭が追い付かず、まだ体は正面を向いたままだ。危うく引き倒されそうになったが、何とかバランスをとりつつ、ヘルメットの少女を眺めていた。振り向きざまに見えたのは、一発の銃声と共にヘイローを失くす少女の姿だった。
「どうした。おい」
声をかけても、アズサは全く止まる気配を見せない。後ろで複数の銃声が鳴った。
アズサは私を連れて、いくつか建物を曲がり、狭い道の真ん中でようやく止まった。肩で息をする彼女に、私はもう一度訳を尋ねた。
「あ、あいつ、あいつだ。理由だよ。静かな理由」
「何を言っている。少し落ち着きたまえ。待つから」
十秒ほど待って、落ち着いてきたようだ。息はまだ少し荒いが、さっきよりも説明が分かりやすかった。
「家で言っただろう。ここら一帯に何もいない理由を」
「ん……あぁ。そうだな。言いかけたところだった」
「彼女がそうだ。最近やってきて、手当たり次第に敵を倒し続けている」
「であればこちらとしてありがたい存在だ」
すると、アズサは首を横に振って言った。
「彼女は敵を倒し続けているけども、もうどれが敵か、どれが味方かなんて見分けがついてない。自分以外が全て敵なんだ」
私は先ほどの少女のことを思い出す。あの怯えようは尋常ではない。キヴォトス人があれだけ怯えることがあっただろうか……ゲヘナであったな。だが、怯えていたのはキヴォトス最強と謳われている者に対してだったはずだ。つまりあの少女が相対していたのは同じぐらいの強さを持つ相手かもしれない。
「強いのか、その者は」
アズサは重々しく首を縦に振る。俄然興味が湧いて来た。
「ほお、じゃあ狩らなければならないな。人と獣の違いが分からなくなっているらしい」
「まさか戦う気か? 悪いことは言わないから、戦おうなんて思うべきではない。私も戦闘には自信があるし、大抵の奴には負ける自信がない。けど、彼女は駄目だ! 元から強かったのに、今の彼女と出会ったら――」
「見つけた」
不意に私のでも、アズサのでもない声が聞こえた。その声はふと漏れ出たようなものではなく、探していた人に自分の存在を知らせるかのような声だった。
声は上から聞こえた気がした。私よりもアズサが先に気づいたのだが、私が上を向くよりも先に一発の銃声とヘイローを失くすアズサが目に入った。直後、降りてきた人物は意外にも知っている者だった。服装や髪型が多少変わっているが、ピンク色の髪を持つ少女のことをそうそう忘れはしない。
「小鳥遊ホシノ?」
「あれ。その声、聞き覚えがあるね」
ホシノが私を見る。一見して何ら変わりない彼女だが、髪はぼさぼさで、服は体液と埃にまみれて異臭を放っている。ピンクの髪も赤に染まろうとしていた。
「なんだか随分と久しい気がするな」
「うーん……確かに聞き覚えがあるんだけど、全然思い出せないや」
刹那、ホシノは壁に強く頭を打ち付けた。壁は凹み、欠片が零れ落ちる。離した頭からも零れ落ちた。しかし、ホシノには傷一つついていない。
「あー、だめだ。全然静かにならないや」と、掌底で額を小突きながら彼女は言う。「まあ、いっか。それより、君を始末した方が静かになりそうだ」
彼女はそう言うなり、銃口を向けた。この通路に横へ避けるほどのスペースはない。実質回避などできないのだ。悪あがきで後ろに飛び退いたが、彼女が持っていた散弾銃から逃れられるわけがなかった。至近距離の発砲により、私の体は飛んだ。幸いなことに即死はしなかった。しかし、死ぬほど痛い。気を抜けば今にも死んでしまいそうだ。
考える間もなくホシノが二射目の体勢に入った。私は咄嗟に銃を撃ったが、彼女の盾に阻まれて刹那の隙すらも作ることができなかった。
ホシノが撃った。
鐘の音が響く。ホシノの向こうにある狩人の死体が最期に鳴らしたのだろうが、あんなに小さな鐘でよく響く。
「ああ、呼べとはこういうことか」
ホシノが振り向いた。
「あれ、君ついさっき死んだはずじゃ」
「どういうことだろうな。私にもよく分からない」
狩人がホシノの背中に向かって話しかけた。
「え、二人? いや、三人目?」
「はは、これはまた。どうだ、面白いだろう」
狩人はフレンドリーに話しかけたはずだった。しかし、ホシノの目は据わっており、すぐさま発砲した。狩人は為す術もなく弾丸を全身に浴びた。
「酷いじゃないか。いきなり撃ち殺すなんて」
しかし、彼女から返事はない。
「駄目だ。会話にならない。そこにいるのは危ないぞ!」
通路の入口からホシノの背後にいるノコギリ鉈の狩人に呼びかけた。ノコギリ鉈の狩人は「そうみたいだ」と言って、駆けた。しかし、ホシノの反応速度はすさまじく、通路を抜けようとする狩人の背後に容赦なく発砲するのだ。
「どうだった」とノコギリ槍の狩人が聞く。
「いや、間に合わなかった」と獣狩りの斧の狩人は答えた。
ホシノが狩人たちへ向かってきたので、たちまち広い交差点に逃げた。広い場所なら散弾も避けやすいだろう。
追ってきたホシノの顔は、苦痛に歪んでいた。もはや対話する気はないようで、一直線に駆けてくる。そして、その手には散弾銃が握られていない。代わりにアズサが持っていた銃を持っている。しかし、その事に気付いたのは、斧を持った狩人が撃たれてからだ。まだ数十メートルはあるなと、突っ立っていたら、隣で頭を撃ち抜かれて死んだ。
狩人は思わず吹き出してしまい、慌てて車の残骸に隠れた。
「おいおい。散弾じゃないのか」
「あれはアズサの銃だったな。散弾銃じゃないぞ」
仕込み杖の狩人が中腰の姿勢で近づきながら言った。
「走りながら正確に当てよったぞ。遠距離も近距離も強いんじゃ訳ないな」
「どうにもこうにもこちらも近づかんと、まともに攻撃できないぞ」
「だが、頭を出した途端に撃ち抜かれないか」
「どちらかが囮にならんとな」
「しょうがない、私が囮になろう。貴公はその間に近づきたまえ」
ノコギリ槍の狩人が意を決して頭を出そうとした瞬間、ホシノが二人の上空に現れた。既に散弾銃の銃口が向けられており、二人は何もできない。
「ねえ、君って一体何者なのかな」
ホシノが、自身の前に立つ一人の狩人に言った。
「さっきさ、殺したよね、確実に。ヘイロー無いからさ、銃弾一つでも致命傷でしょ。四人だよ。四人も、四人も同じ格好をした君を殺した! どういうこと、なんで君は死んでないの死体も消えるの同時に二人も現れるの!? 君って本当に人間?」
「私は――」
「口を開くな、うるさい! ああ、うるさいうるさい! ずっと聞こえる! 君が近いと余計うるさいんだ!」
ホシノは頭を抱え、言葉をまくし立てて騒ぐ。アビドスで出会った時や、上から降ってきた時のような、脱力した冷静さは影も形もない。
ホシノは恨みを込めた目で狩人を睨む。彼女の目は溶けかけていた。悪夢を彷徨う、血に酔った狩人の目だ。もう、彼女は戻れないだろう。
「ああ、早く気づいた方がいい。貴公、すでに狂っているぞ」
狩人は忠告のつもりだった。しかし、彼女の神経を逆なでしてしまったらしい。人一倍唸ったかと思えば、怒りに顔を歪ませ、目線を狩人に合わせたまま信じられない跳躍で距離を詰めた。一発発砲し、狩人を吹き飛ばす。彼女の背後から回転ノコギリを振り下ろすが、これも超人的な反応速度で、盾によって受け流された。そしてそのまま回転ノコギリの狩人を撃ち殺し、距離を取られてしまった。
遮蔽物の無い場所に陣取られたが、それは彼女も同じだ。側面から、しなる獣肉断ちをフルスイングする。彼女は盾で受け止めるが、重心の下を捉えたようで回転ノコギリのように受け流されることはなかった。すかさず千景で一刀両断するため反対の側面から駆け寄るが、彼女は獣肉断ちを片手で受け止めており、右手が空いていた。千景の狩人はいとも簡単に迎撃される。だが、更に獣の狩人が雄たけびを上げながら飛びついた。そこにもう一度、獣肉断ちが迫りくる。迎撃するには、獣肉断ちの獣に正面を向け、左の盾で獣の狩人を、右の散弾銃で獣肉断ちの狩人を狙うしかない。だが、二人の狩人の攻撃はほぼ同時であり、盾が間に合ったとしても銃の照準は間に合わないだろう。
ホシノは狩人の目論見通り、獣肉断ちの狩人に正面を向けた。盾で獣の狩人を受け止めると、なんと獣肉断ちを右腕と脇腹で挟み込むようにして受け止めてしまった。捕まった獣肉断ちを彼女から逃すことができない。狩人が武器を手放した頃には、照準が合わされ、引き金が引かれていた。そして流れるように獣の狩人も始末された。
ホシノが右の脇腹に手を添える。防御によってダメージは低減されたが、無視できるものではない。だが、かえって目の前に集中できた。痛みが泣き声の意識を反らしてくれる。彼女が瞬きをすると、新たな狩人が立っていた。狩人が持っているのはガトリングだった。回る銃身を見て、ホシノは盾を構えた。直後、弾幕が襲い掛かる。
ガトリングは盾で十分防ぐことができる。しかし、相手は分身する化け物。意味のない攻撃をしてくるとは思わない。
周囲を警戒していると、左から奇妙な音が聞こえた。頭にカリフラワーのようなものが生え、両腕に触手を巻き付けた、それこそ化け物が空に何かを掲げている。その行動が具体的に何を意味しているのかは分からないが、何かしらの攻撃であることは想像できた。ガトリングを盾で受けている以上、もう一つの攻撃を防ぐことはできないし、右手のショットガンを回すのも難しい。
ホシノは閃光弾のピンを抜き、ガトリングの狩人に向かって投げ、後ろへ下がった。異形の狩人の周りには光点が集まり、次の瞬間、一斉に飛んできた。その数秒後、閃光弾がさく裂した。
光点は銃弾よりも遅い速度で追尾してくる。しかし、撃ち落とすにはあまりにも速い。光点は盾に接触した瞬間爆発した。
爆発を最後に、盾に伝わる感触が消えた。ホシノが顔を出すと、狩人が教会の石鎚を叩きつけようとしている所だった。盾で受け止めたが、もう一人の狩人がローゲリウスの車輪で叩きつける。
二人の狩人の質量攻撃により、ホシノはとうとう両手で盾を支えだした。
ホシノの後ろで一人の狩人がパイルハンマーを変形させる。歩いてホシノの背後に立つが、彼女は押しつぶそうとする二人に夢中で気づいていないようだ。悠々と溜めを始める。このまま気づかずにいてくれることを願う。
ホシノは二人の狩人の押しつぶしに拮抗していた。それどころか僅かに優勢だった。少しずつ盾が持ち上がり始め、ついに渾身の力を以て押し返してしまった。だが、時間は十分に稼げた。目の前の敵を押し返したホシノは、ようやく自身の背後に立つ強大な殺意に気づくが、もう遅い。パイルハンマーがホシノの胴体を捉え、爆発と共に空高くかち上げた。さらに大砲が高く舞い上がる彼女を捉える。砲弾が彼女と接触し、パイルハンマーや彼方への呼びかけとは比にならない大爆発を起こす。
ホシノは数十メートル吹き飛び、二度跳ねて地面に倒れた。ヘイローは消えかかっているが、まだ顕現している。半端な火力では倒しきれないと思って、パイルバンカーと大砲を用いたが、これでも倒しきれなかったようだ。
「貴公も大概化け物だな。キヴォトス人は総じて化け物みたいな耐久力をしているが」
狩人はしゃがんで話しかけた。ホシノは虚ろな目で空を見上げている。視界に狩人が入っているはずだが、果たして認識しているのか分からない。
「――な、しん――」
ホシノが何かを呟いている。とても小さく、口に耳を近づけてじっと耳をそばだてなければならない。
「みんな、もう死んじゃったのに」
「そう、ホシノ先輩。先輩がみんなを殺したの」
別の人の声が聞こえた。顔を上げると、高身長の女性が立っていた。黒いドレスに暗い灰色の髪、ヘイローは不穏にも真っ黒で、欠けていた。狩人はゆっくりと立ち上がり、後退る。そして入れ替わるように、彼女がホシノの耳元で囁く。
「先輩は、自分の意志でみんなを殺した。先輩が殺した」
『【速報】輸血パックに麻薬成分混入か』
一日未明、ミレニアム学園から発表があった。二週間前にキヴォトスの広い地域で、大量の輸血パックが寄付されたものの、使用した病院の全てから、患者が暴れだしたという報告があった。それを受け、ミレニアム学園を始めとして、さまざまな学園が輸血パックの調査を開始した。
ミレニアム学園のセミナー早瀬ユウカ氏は次のように語った。
「問題の輸血パックからは、未知の物質が混入していることが分かりました。こちらは現在、解析を行なっていますが、この物質がいわゆる麻薬的な作用をもたらすことが分かっており、摂取した者に対して、幻覚や凶暴性を引き起こしているものと思われます」
早瀬氏は続けて、未知のDNAも含まれているとして、こちらも特定作業を続けていると語った。
ミレニアム学園は問題の輸血パックの使用を直ちに中止し、直ちに廃棄するよう勧告している。
ヴァルキューレは今回の事件について、色彩による混乱の最中、輸血パックなどの医療品が不足した時期の犯行だとして、非常に悪質かつ計画的な犯行であると発表している。また、キヴォトスの広い地域に同時多発的に持ち込まれたため、個人の犯行ではなく、組織的な犯行とみて捜査を開始している。