小鳥遊ホシノが愛用していた散弾銃。
テラー化により神秘が増している。
水銀弾ではなく、鉛玉を撃ち出す特殊な銃。
引き金を引くと多数の弾丸が発射される。
工房製の銃よりも性能が格段に高い。
狩人が銃を使って狩りを行うとは異端であるが、せめてそれが手向けとなるならば。
アズサはまだ倒れていた。ヘイローが無いので、意識も戻っていない。生存確認は殴るのが手っ取り早いが、うっかり殺してしまうかもしれない。しかし、黒服の時のように輸血液を使えば、ヒフミのように暴れだすかもしれない。
私はしばらく考えた後、鐘を取り出した。聖歌の鐘は水銀弾を触媒として治療の効果を及ぼす秘儀だ。星の娘と戦った際は世話になった。
銀色の小さな鐘を二度振ると、狩人呼びの鐘よりも優しい音色が鳴る。複数の光が天使のごとく私を中心にして回った。
やがてヘイローが灯り、アズサは埋めきながら頭を上げた。
「生きていたか。良かった」
私は膝をついてアズサに手を差し出した。彼女は私の手を取り、頭を庇いながら座り込んだ。まだ意識がはっきりとしないのか、目が据わっていた。
「えっと……ここは……彼女は、小鳥遊ホシノは!?」
アズサは突然叫びながら立ち上がったが、立ちくらみを起こし、危うく倒れそうになる。私は両手で彼女を支え「もう彼女はいない」と告げた。
「いない? どこへ行った?」
「安心したまえ、もう彼女が襲ってくることはないだろう。それよりも、もう少し休んだらどうだ。足が震えているじゃないか」
アズサは私の言葉に従い、ゆっくりと腰を下ろした。まだ蹴られたところが痛むのか、首の付け根辺りをさすっている。
「しかし、どうやって彼女を追い払ったんだ?」
「そんなに気になるのか」
「ああ、もしまた襲われたときに参考にしたい。逃げるしか方法がないというのは正直癪だが、彼女に限っては逃げる以外に方法が無いから」
「何、簡単な話だ。戦い、そして勝った」
「戦って、勝った? まさか、本当に?」
「ああ、見たまえ。彼女の銃と盾だ。戦利品に貰って来た」
「え、銃を持ってきた?」
ホシノを倒したと言った時、アズサの目には畏敬と尊敬の感情が見て取れた。一方で戦利品の銃と盾を交互に見て一転、信じられないものを見るような目で私を見た。私はそれが疑問で、彼女に聞いた。
「どうした。信じられないのか?」
「いや、そんな……そういえば、狩人はキヴォトスの外から来たんだっけ……いいか、キヴォトスの住民にとって銃はとても大事なんだ。銃が無いっていうのは、キヴォトスでは裸で歩いているのと同じなんだよ。追い返したってすぐに取り返しに来るぞ。それも必死で、どんな手を使っても」
「ほう……キヴォトスでは銃と服は同義なのか。これはまた一つ学んだな。それにちょうど良かった。戻ってくる途中で貴公の銃を拾ったんだ」
私はアズサに銃を差し出した。彼女はそこでようやく自分の銃が無いことに気づいたようだった慌てて周囲を見回してから銃を受け取った。
「ありがとう。全然気付かなかった」
「しかし、安心したまえ。彼女はもう襲って来やしない。ちゃんとこの手でとどめをさしたからな」
「と、とどめをさした……ま、まさか殺したのか!?」
アズサは飛び起きて、私の胸倉を両手で掴んだ。腕が震えている。両目には驚愕の表情こそ浮かんでいたが、行動に反して軽蔑の表情は混じっていなかった。ゆえに私は冷静に告げた。
「ああ、そうだ。私は小鳥遊ホシノを殺した」
「どうして……追い払ったんじゃ」
「私はそんなこと一言も言ってないぞ。いや、別に隠すつもりはなかった。もしかして彼女は貴公の友であったか」
すると、アズサは腕の力を抜き、両手を離して目を逸らした。
「いや、急に掴みかかって済まない。驚いただけだ、ちゃんと理解している。向こうも私たちを殺す気だったし、もう言葉で解決できるような状態じゃなかった。むしろ礼を言うべきなのかもしれない」
そして、アズサは小さくありがとう、と言った。だが、その礼はとても寂しそうで、悲しそうだった。自分を納得させるためだったのかもしれない。
「私も、まともだったころのホシノと交流したことがある。彼女は聡明で戦闘のセンスも高かった。このような形で別れるのは残念だった」
それが、私が唯一かける事のできた慰めの言葉だった。
数分ほど休み、アズサがもう大丈夫だというので、当初の目的地に向かうことにした。
彼女が案内したのは駅だった。トリニティや百鬼夜行のような大きな駅ではなく、道の一部に屋根を張っただけの小さな駅だった。線路も一本しかない。そして、その一本の線路に二両編成の電車が停まっていた。
「良かった。まだ行ってないみたいだ」
「あれが、無人で動くという電車か」
「定刻になったら自動で運転するから、電力が生きている限りは動き続けるはずだ」
「で、その定刻は何時だ」
「あー……私は利用したことなくて、一先ず中に入ろう」
私はアズサの後ろをついて行った。すると駅に入った瞬間、彼女は手で私を制した。私は陰から彼女の視線の先を覗いた。そこにはベンチに座って足を組む一人の人物がいた。
「気をつけろ、誰かいる」
アズサは険しい表情で警告する。片時も目を離さず、不審者の一挙手一投足を警戒している。しかし、私はその不審者を知っていた。
「ああ、心配するな。彼のことを知っている」
私はアズサの制止を振り切り、身を乗り出す。そして彼に声をかけた。
「黒服」
黒服はまるで私に呼ばれるのを待っていたかのようにこちらへ振り向いた。そして私を見て興味深そうに目を細めた。私はそのことに反応せず、彼に歩み寄った。
「貴公とは奇妙な縁があるようだ」
「ええ、本当に……おや、彼女は――」
「なんだ、アズサを知っているのか」
私はアズサと黒服を見比べたが、アズサは困惑した顔で私を見ていた。黒服も「いえ、見間違いのようです」とすぐに否定した。
どこからともなく音楽が鳴りだした。するとアズサが慌てて「もうすぐ発車するみたいだ。早く乗って」と私を急かした。彼女に背を押されるがまま、車内に押し込まれ、彼女は降りた。
「ああ、貴公は来ないのだったか」
「うん、ヒフミの様子を見ないと」
「短い間だったが、世話になったな」
「こっちこそ。まだまともな人がいると分かって良かったよ」
会話ができる時間は非常に短かった。別れを言う暇もなく扉が閉じて動き出す。電車は静かに動き出した。ゆっくり離れだしたアズサとの距離は、徐々に早くなり、あっという間に見えなくなった。
扉に張り付いてもアズサの姿が見えなくなった頃、私は車内へ振り向いた。私は後ろの両に乗った。連結部に最も近い四人席の右隅で、黒服が座りながら私を見ている。彼の要望通り、私は向かいの席に座った。
「貴公もトリニティに行くのか」
「そういうことになりますかね」
「今度は何をしようとしている」
「何も。なりゆきです。今となってはできることは少ない。神秘の探求もできないでしょう」
「貴公ともあろうものが探求を放棄して彷徨っているとはな」
「あなたもキヴォトスの現状は知っているでしょう。探求どころではありません。生き残るだけで精一杯です」
黒服は困ったと言わんばかりに両腕を広げながら言った。だが、彼はその両手を顎と膝に掛け「しかし――」と言葉を続けた。
「たった今、興味が湧くものを見つけました。そのヘイローはどうしましたか。出会った時とは違う。それに百鬼夜行ではヘイローがありませんでした。そしてその持ち物、それは小鳥遊ホシノが所持していた銃と盾ですね」
「いかにも。ヘイローも、銃も、盾も彼女のものだ」
黒服は目を細め、前のめりになる。声には興奮が混ざり始めた。
「いいですね。なぜ、どのように? 他人の神秘を自分のものにする例は見たことがありません。いえ、ベアトリーチェ……そう、彼女が同じようなことをしていました。彼女は儀式を用いましたが、あなたは?」
「ホシノが死んだ後もヘイローが残っていた。触れられたから、そのまま持ってきただけだ。銃も盾もな」
黒服の表情は分かりづらい。だが、それでも驚きが見えた。
「ヘイローを、掴んだ? それは本当ですか?」
「ああ、ほら」
私は頭上のヘイローを掴み、黒服の前に差し出して見せた。彼は恐る恐るヘイローに手を伸ばした。しかし、彼の手はヘイローをすり抜けた。もう一度試したが、結果は同じだった。
「私には触れられませんね」
「そうみたいだな。触れるのは私だけか」
私はヘイローを頭上に戻した。黒服は背もたれに深く座り直した。
「全く、あなたはとことん不思議な人だ。キヴォトスの中でも一線を画す神秘を持っていると言っていいでしょう」
「誉め言葉として受け取っておこう」
「さて、聞きたいことはまだあります。小鳥遊ホシノのヘイローをつけて変化はありますか?」
「どうだろうな。変化を感じるほど長くはつけていないから。しかし、最期の彼女は尋常でない様子だった。狂ってしまっていて私は悲しかったよ」
「自身以外の全てを敵とみなしていたようですね」
「話す余地もなかった。だが、あそこまで敵対していると、狩るにも心情的に楽なのは事実だった。それにこれらを貰うにも罪悪感がない」
私は銃と盾を掲げ、笑みを浮かべた。
「ああそうだ。ヘイローと言えばな――」
私がそう口を開き出すと、黒服は待ってましたと言わんばかりに身を乗り出し、手を顎の下で組んだ。
「ホシノのヘイローを取り付けた際、視線を感じた。辿ってみると、自らをゲマトリアと名乗る者に出会った。名前は聞かなかったが、ちょうど貴公がいるのでな、何者か聞いてみたい」
「ゲマトリアを? ふむ……容姿を聞いても?」
「人形の奇っ怪な容姿をしていた。仮面のようなものをつけ、髪は白く整っていない。腰も曲がっているようで、服装も相まって、少しだけ清潔感のある浮浪者のようだった」
「もしかして、その者は物事をゲームのように語っていませんでしたか」
「さあ、どうだろうな。奴の言っていることは何一つ理解できなかったから、全く覚えていない。人の話を聞こうとしない、困った奴なのは覚えているが」
「いえ、結構。恐らく私とあなたが思い浮かべている存在は同じでしょう。ですが、もし彼であれば、残念ながら私もよく知りません。彼とは直接話をしたことがない」
「それは別にいいが……つまり、あの者が言っていた、自分がゲマトリアだというのは嘘ではないということか」
「ええ、一応は。しかし、彼は長らく追放されていました」
「追放? それはなぜ」
「単純です。私たちとは価値観が合わなかった」
「価値観が合わなかっただけで? 貴公は思ったよりも冷酷な人間なのだな」
「無論、それだけではありませんが、元をたどればそういうことになるでしょう」
「となると……やはり、奴はホラ吹きということだな」
「しかし、なぜ今頃になって彼は活動を再開したのでしょう。追放されてからは姿を消していたはずですが」
そう言って、黒服は口元をさすって考えだした。
「さあな。考えても無駄だろう。邪魔をしたら殺すと脅したし、もう私の前には出てこないはずだ」
「そう、ですか。それなら、まあ」
黒服はそう言うものの、まだ納得していない様子で考え続けていた。
どれほど時間が経っただろうか。気づけば黒服は考えるのを止め、肘をついて、窓を見つめていた。窓は、明るい私たちを映すのみで、外の様子は見えない。ゆえにこの車両が今どこにいるのか、一切分からない。
この列車か奏でるノイズはとうに聞き慣れて、耳は音と判断しなくなった。私たちが話さないのであれば、この中に音を発するものはもういない。一定の揺れは眠気を誘いそうだった。
「間もなく、西区役所前。西区役所前です」
不意に車内に人の声が響いた。
「もう、トリニティか」
「いえ、まだD.U.です。途中の駅ですよ」
半ば腰を浮かせた私に対して、深く椅子に座ったまま黒服が言った。私は椅子に座り直した。
「そうか。まあ、いくら電車でもこんな短時間で着くわけはないか」
「トリニティのどこへ行こうとしているのですか」
「セイアの元だ」
「ああ、それでは終点まで乗ったほうが近い。あと二、三時間はかかるでしょう」
「遠いな、トリニティは」
「自治区自体が一つの国のようなものですからね」
会話が終了し、お互いにまた顔を背けた。相も変わらず自分たちしか映らない窓を眺めて、早期の到着を願った。
また声が響く。どこかの駅に着くようだが、ここも終点ではない。もはや首を動かすこともやめた。
やがて電車は止まり、ドアが開く。私は窓に映る景色越しにその様子を見ていた。こんな状況で私たちの他に乗客はいないだろうと思っていたが、不意にドアの前を何かが通り過ぎたのが見えた。窓に映った景色では不明瞭で、何が通り過ぎたのか分からない。振り返ってドアを凝視していると、獣が四つん這いになって先ほどとは逆方向に通り過ぎて行った。
私は座席に置いていた散弾銃を手に取った。もし私たちに気づいたり、気づかなくても車内に入ってくるようであればすぐに射殺するつもりだ。ドアが再び閉まるまでの数十秒間、息を殺して待っていたが、獣は不意に顔を上げて駅を出て行ってしまった。その約十秒後、ドアが閉まった。ドアが閉まり切る直前に人の悲鳴が聞こえた気がしたが、気づいた時にはもうドアは閉まり切っていた。
「中に入ってこなくてよかったですね」
発射して間もなく、黒服がそう言った。彼も先ほどの獣には気づいていたらしい。獣に対して無力なはずの彼が落ち着いているのは、狩人である私が近くにいたからだろうか。
「ああ、そうだな」
私は銃を置きながら言った。
とうとう座席に横になっていた私は、車内に響くアナウンスに体を起こした。
「次は、終点、デスクリクト湖前。デスクリクト湖前です」
横になったとして眠れるわけではないが、座りっぱなしなのは精神的に苦痛だった。これでも数日歩くよりかは遥かにマシなはずだ。
「ようやく、ついたか」
「ええ、そうみたいですね」
黒服は数時間前とほぼ変わらない体勢で座っていた。
外の様子は見えないが、窓を撫でる枝がたびたび見えたので、恐らく森みたいな木が多い場所なのだろう。
約一分後、ゆっくりとスピードが落ち、やがて止まった。私と黒服は通路に横たわる獣の死体を跨ぎながらドアの前に立った。やがてドアが開くと、もたれていた獣の死体が先に外へ出た。
ドアを跨ぐと、森独特の匂いがした。そこはD.U.で乗った駅よりも広く、乗り場も二つあった。電気も明るく、駅全体を照らしている。周囲を見る限り、予想通り森のようで、針葉樹林が生い茂っていた。風が木を揺らす音以外は鳥の鳴き声すら聞こえない。
ほぼほぼ機能していない改札を通ると、眼前に巨大な湖が現れた。赤い月のせいで湖面も同じように輝いており、同時に月も映っていた。
「観光地ですね」
湖に見惚れていると、後ろから黒服が口を出してきた。
「デスクリクト湖。山奥にある巨大な湖です。トリニティの中ではマイナーな観光地ですね」
「なるほど。確かに美しい場所だ。こんな状況じゃなきゃ、もっとゆっくり見たかった。セイアの元へはここからどう行けばいい」
「あっちの方向へ歩いて行けばいずれ着くでしょう。丁度月が出ている方向です」
黒服は空の月と、湖面の月の間ぐらいを指さしながら言った。
「ああ、それはいい。分かりやすい」
私は一歩踏み出したが、黒服は続かなかった。手を後ろで組みながら湖を見つめて動かない。
「貴公は行かないのか」
「ええ、もうしばらくここに居ようと思います。ここには化け物もいないようですし、折角の観光地です。あなたみたいに急ぐような用事もありません」
「そうか。精々気を付けることだな」
「最後に――」
一歩を踏み出した私を黒服が呼び止めた。その体勢のまま振り向くと、彼が続けていった。
「もしヘイローやあなた自身に変化があればまた報告してください」
「ああ、貴公が生きていたらな」
私は再び黒服に背を向け歩いた。もう彼は呼び止めなかった。
駅は舗装されていたが、湖の周りは踏み固められた土の道と木の柵と簡素な作りだった。しかし、道の両脇は石で縁取られ、柵も見た目より頑丈だった。観光地だったようであるし、人もそこそこ来ていたのだろう。道端や湖面に浮かぶ死体を見れば、その事が伺える。
死体は食い散らされているが、向きは分かる。例えば今足元にいる死体は頭を駅の方へ、足を月に向けてうつ伏せに倒れている。その少し奥には同じ方向に仰向けに倒れた死体がある。町からここまで逃げてきたのだろう。電車で逃げるつもりだったが、獣に追いつかれたか。一方で道から外れた所には真反対を向く死体がある。私が遭遇したように車内に獣が入り込んで、この駅から出てきたのかもしれない。
私は死体を一瞥して、避けるように道から外れた。獣が町から来たにしろ、駅から来たにしろ、人の死体に比べて獣の死体が少ない。いくつか転がっているが、キヴォトス人がこの数相手に全滅するとは思えない。必ず生き残りがいる。獲物がいないので近くにはいないだろう。黒服が無事でいるといいが。
振り返ると、柵にもたれ掛かって死体の浮かぶ湖を眺めている黒服の姿が目に入った。
湖の周囲を歩く感じ、楕円かそれに近しい形をしている。そしてもうすぐ駅の反対側に来る。道が湖から離れる方向に延びているのが見えるし、道に沿って小屋がいくつか建っているのも見える。そして複数匹の獣が闊歩しているのも見える。
「まあ……一人で何とかなるか」
他の狩人を呼ぶまででもないだろう。上位者やホシノみたいな強敵はともかく、獣相手なら一人の方が慣れている。
道の分岐点に立つと、四匹の獣が確認できた。通常なら避けるか、頭を使う必要があるが、ホシノの散弾を持っている今なら強気に出られる。近くに落ちていた石を投げ、獣に命中した。当たった獣と、その近くにいた獣が私に気づいて突進してくる。私は散弾を構え、獣の頭を狙った。しっかりと引き付け、獣肉断ちの間合いに入る距離で発砲した。放たれた多数の弾丸は獣に命中し、大きくのけ反る。さらけ出した胸部にもう一発撃ち込むと、勢いそのまま地面を滑って動かなくなった。
もう一体の獣が既に間合いに入っている。振りかぶりを避け、カウンターで頭に二発撃ち、絶命させる。銃声を聞いて残りの二匹も私に気づいた。間が悪いことに二匹は並走しており、狩るには都合が悪い。片方を始末するには距離が遠いような気もするが当たりはするはずだ。せめて怯んでタイミングがずれてほしい、その願いを込めて放った弾丸は、片方の獣を地に臥せさせた。
想像を絶する威力に思わず目を見張った。しかし、これは嬉しい誤算だ。そのままもう片方の獣に照準を移し、引き金を複数回引いた。着弾するたびに獣の体は削られ、後ろにひっくり返って死んだ。
「素晴らしい!」
銃の射程でこのような破壊力があってよいものか。思わず興奮してしまうのも仕方がないだろう。
息も絶え絶えな獣に止めを刺すと、束の間の喧騒が落ち着く。湖は再び静かになった。銃を握っていた手は、興奮でまだ震えている。口角を下げることができない。どの仕掛け武器よりも長いリーチを持ち、たった数発で獣を仕留める破壊力、こんなものが存在していいものか。これ一丁で獣狩りはすぐに終わってしまうだろう。
みなぎる興奮を抑える為、柵にもたれ掛かった。湖に抜ける風が興奮冷め止まぬ体を冷やし、不気味な静寂が思考力を強制的に引き起こした。
この場所は丁度駅の反対側にあるはずだ。唯一の光源を持つ駅はここからでも場所がよく分かる。しかし、随分遠くまで歩いたようで駅の姿は光で塗りつぶされている。黒服の姿も見えない。全身黒いのだから光に照らされれば目立つだろうに、移動したのだろうか。
「結局獣がいたが、彼は大丈夫だろうか」
死体は私の問いに答えてくれなかった。
湖を見ると、自ずとビルゲンワースのことを思い出す。この湖に飛び込んでも、蜘蛛には出会わないだろう。秘匿はすでに破られており、もはや何も隠されてはいない。しかし、湖面に揺らぐ月を見ると何かがある気がして止まない。やはりあの月には何か隠されているのではないだろうか。ほら、あの月に黒い何かがいる――
「あ?」
誰かに背中を押された。慌てて手をついたが、止まらない。柵を軸にしてぐるりと一回転してしまった。柵の向こうは人一人立つのがギリギリな陸地しかない。勢いのついた体はそんな狭い場所など簡単に飛び越えた。湖に落ちる刹那、私が立っていた場所にいる人物の姿を見た。
「貴公は――」
背中から水に落ちた。人の姿はあっという間にシルエットとなり、離れて行った。
水の中は冷たくて、重い。装束は水を吸って、水底に押し込む重りとなった。あれよあれよという間に沈んでいき、水面は掌よりも小さくなった。
赤い月の光はそれほど水の中を照らしてくれなかった。自分が湖に落ちたのだと、誰かに押されたのだと理解しているうちに、辺りは真っ暗闇になった。まだわずかに湖面が見えるが、這い上がるには深く沈みすぎた。やがて湖面も見えなくなり、瞳は光を見失った。もはや自身すら見えない。
そのうち水の冷たさは感じなくなった。水の抵抗も感じなくなった。自分が上を向いているのか、下を向いているのかもわからなくなった。きっと私は今、浮いている。暗闇の中をぷかぷか漂ってどこにも行けないでいる。
だんだん苦しくなってきた。息ができない。口を開けようと思っても、口は頑なに開けようとしない。水の中にいるから怖いのだ。瞳はとうに見失ったのに、口は水を感じている。
いい加減息を吸わないと死んでしまいそうだ。しかし、こじ開けようにも腕が動かない。泣きそうなほど苦しいのにもがくこともできない。苦しい、苦しい、くるしい……くるしい……くる、し――
大きく息を吸い込みながら起きた。少し吐いたが、それすらももったいないとまた大きく息を吸った。吐く量に対して吸い込む量が多すぎる。やがて肺はこれ以上取り込めなくなるが、それでも息を吸い込む。
大量の空気に窒息しそうになった私は、首と胸に手を置いてもがいた。右に転がった際に落ちて、少しだけ息を吐けたが、焼け石に水だった。体は取り込んだ息を手放さんとしている。窒息の恐怖がそうさせている。しかし、しばらくすると体はこの場に十分な空気があることを理解し、だんだんと肺の中の空気を逃がし始めた。はちきれそうだった肺はその危機を乗り越え、ゆっくりと適切な呼吸を再開する。
ようやく落ち着いた私は暗闇の中で手を置き、起き上がった。辺りは暗くて何も見えない。しかし、あの湖の中というわけではないようだ。縦長の意匠が凝らされた窓から明かりが見えている。
まだ少し苦しむ胸に手をやりながら松明を掲げると、硬い長椅子が見えた。床は石のようだ。壁は見えなかったが、両側の窓を見比べるに、精々十メートルほどだろうか。私は建物の中心にいた。椅子と椅子の間には人一人通れるほどの通路があった。私は椅子の向きに背いて歩いた。すぐに扉が見えた。両手で押し開けると、赤い月の光が差し込む。
振り返ってみれば、月の光が薄暗く中を照らしていた。いくつもの長椅子に、中央の通路。特徴的な縦長の窓と、最奥で僅かにシルエットが見える聖像を合わせれば、ここが教会であると分かるだろう。
最後の記憶は湖の中だ。誰かが引っ張り出してくれたのだろうか。その割には水が滴った形跡はなく、装束も湿っていない。乾いてしまうほど眠っていたのだろうか。
私を突き落としたのは、ホシノに何かを吹き込んだ女だった。しかし、思い返すと彼女の顔はどこか見覚えがある。端正な顔立ちに冷たい目、獣の耳を持っている。そういえばアビドスに似たような容姿をした少女がいた。だが、あんな妖艶な体型ではなかったはずだ。
「ともかく、ここはどこだ」
今ここにいない者の話をしていてもしょうがない。一先ずは現在地を特定する方が優先だ。
教会は森の中の空き地にあるようで、周囲数メートルから先は森になっている。特徴的な物が無いので、場所の特定は無理かと諦めかけた時、教会の入り口から続く飛び石状の道を目で追った。森と空き地の境目に、石のアーチが建っていた。
まさかと思い、教会の中へ振り向いた。入り口のすぐ横に壊れたランタンが倒れている。中央を早歩きで通り抜け、説教台も無視して聖像の右横に立った。人一人が立てるスペースの中心が盛り上がっている。
恐らく、ここは聖職者の獣を見つけた教会だ。しかし、記憶の中と内装が少し違う。ここのエレベーターはこんなにも狭かっただろうか。あの時は、セイアとマリーも一緒に降りたはずだから、ここはもう少し広かったはずだ。
この教会に聖像はあっただろうか。説教台はあったが、その奥には壁しかなかったはずだ。名も知らぬ女神様は飾っていなかった。
ここはあの教会と似ているが、実は違う教会なのかもしれない。もしここがあの教会なら、トリニティの中心から近く、あの湖から離れていることになる。
「ただの勘違いか……しかし――」
それはそれ、これはこれである。目の前には下に降りるエレベーター、更には知らない場所と来た。何かがありそうな場所を無視できるだろうか、否、できない。
いそいそとエレベーターに乗り込もうとした瞬間、左側から扉を開けるような音が聞こえた。
IRON HORUS
小鳥遊ホシノが引き継いだとある者の盾。
それまで積極的でしかなかった彼女の攻撃スタイルは、いつしか堅牢なものになった。何を思ってこの盾を使っているのか。それは本人にしか分からない。
あらゆる攻撃を防ぐが、それ相応の反動があるだろう。