神秘狩りの夜   作:猫又提督

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第42話

 私は咄嗟に松明を消し、聖像に隠れた。気配はしなかった。後ろから近付いてきたということはないだろう。となれば教会の左奥に別の部屋があったことになる。扉を開けた主はそこから出てきたのだろう。

 静寂の中で私の静かな呼吸と、少し早い心臓の鼓動が聞こえる。待てども待てども相手は一向にアクションを起こさない。本当は私に気づいていないのではないかと思えてきた。もし気づいた上で私が先に動くのを待っているのだとすれば、その忍耐力は賞賛せざるを得ない。

 今の私には盾がある。持っていた本人曰く大砲をも受け流せる盾だ。相手が何者であろうと攻撃を受け止められるだろう。後手に回っても形勢は逆転できる。

 意を決して飛び出したものの、そこには誰もいなかった。代わりに木の扉があった。何の意匠も施されていない、シンプルな扉だ。

 誰もいなくて安心したが、同時に何もいないのに警戒していたのかと気が抜けた。構えた盾を下した。しかし、扉が開く音は確かに聞こえた。誰かがこの中にいるのは確実だ。

 開けようとドアハンドルを引っ張ってみたが、鍵が掛かっているらしい。ノックをすると中から声が聞こえた。

 

「誰だ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。入るなら合言葉を言え」

 

 合言葉か。知っている合言葉なら一つあるが、ここでも通用するかは分からない。しかし、それが試さない理由にはならない。

 

「かねて血を恐れたまえ」

 

 返答はすぐには返ってこなかった。やはり間違いだったかと思ったが、次に返ってきたのは予想外のものだった。

 

「なんだ。そっちか。向こうから下に行けるからそっちに行きな。おまえらの実験は成功しているよ。悪趣味だがな」

 

 それきり声はしなかった。彼女が案内したのは紛れもなくあのエレベーターだろう。声に従って教会右奥のエレベーターに立った。

 真ん中の出っ張りを踏むと沈み込み、間もなく下に降りた。降りている時間は体感五、六秒程だろうか。まあまあ深い地下だ。

 降りた先は短い廊下になっている。両壁は本棚になっており、おびただしい数の本が詰まっていた。松明を掲げてみると、長い間手に取られていないのか、どれも埃を被っていた。

 出てすぐ左に、上で見たのと同じような扉がある。やはり鍵が掛かっていた。ノックをしても応答はない。

 埃の積もった本棚を横目に廊下の先まで進むと、意匠に凝った石製の扉があった。流線形の模様が彫られている。真ん中に線が入っているので両開きなのだろう。幸い鍵はかかっていないようで、強く押すと床を引きずる音を立てながら、ゆっくり開いた。

 直前の廊下や、上の教会と比べようもないほど広い空間があった。聖堂のような空間には火の灯った松明や天井からシャンデリアがぶら下がっているが、光源が届いていないところがシミのように暗くなっている。そして、そのどれもがどうでもよくなるようなものが最奥にあった。

 聖職者の獣やローレンスに似た大型の獣が、その巨躯に合った椅子に項垂れるように鎮座している。聖堂風の空間と言い、巨大な獣と言い、もはや玉座ともいえる代物になっている。その獣は、聖職者の獣やローレンス、さらには以前セイアたちと見た時とは違うところがある。遠目からでもわかるその違和感は、しかし遠目では原因をはっきりと知ることができない。

 違和感の原因を確かめようと、空間の中央まで進んだときだった。それまで微動だにしなかった獣の手先が、僅かに動いたのを、私は見逃さなかった。私はその場で止まったが、獣の部位は次々と動き出し、乾いた泥が剥がれ落ちるかのように、埃らしきものが落ちている。

 獣は両手で玉座のひじ掛けを押し、立ち上がろうとしている。その動作は人間にも似ていた。獣が叫ぶ。しかし、叫ぶというにはあまりにも弱々しく、掠れた叫び声だ。そしてゆっくりと椅子から降りて、立ち上がった。

 発達した上半身に比べて下半身が小さい。二足で立ってはいるが、膝を折り曲げないと体重が支えきれないらしい。肥大化した右手と貧弱な足の三点で、獣と人間の中間のような歩き方をして私の方へ歩いてくる。

 シャンデリアの真下まで歩いてきた時、その全貌を見て、ようやく違和感の正体を知った。

 シルエットは確かに私の知る大型の獣だ。しかし、いざその実体を見てみれば、人の死体を獣の形に組み上げた実に趣味の悪い継ぎ接ぎだ。足や、左腕は人の部位をいくつかつなげて作られているようで、上半身や肥大化した右手は人一人分を何人も使って組み立てられている。

 獣が吠えた。弱々しく、酷く掠れた鳴き声は、その体躯も相まって獣というよりも人の悲鳴の様だ。

 私は散弾銃を構えて待っていた。獣の動きを見てから反撃しようとしていたからだ。獣は十メートル程の距離まで近づくと高く跳躍した。死体を組み合わせた継ぎ接ぎとは思えない程軽快な動きだ。

 私は獣の下を走り抜けた。そして獣が着地した時、私は奴の背後を取っていた。獣は私の姿を見失ってキョロキョロしている。私はその背中に散弾を数発撃ちこんだ。あんな巨体だ。まともに狙わずとも当たった。しかし、獣を構成している死体を弾き飛ばすこともなく、あまりダメージが入っていないようだ。事前に圧倒的な破壊力を見ていただけに拍子抜けだ。いくらホシノの銃でも、大型の獣相手に適当に狙っては効果が薄いらしい。

 継ぎ接ぎの獣が再び吠える。今度は獣らしく、人間離れした甲高い鳴き声を発した。

 こちらへ振り向くや否や、再び飛びついて来た。ただ私の頭上を高く飛び越えるようなものではなく、右腕を突き出しながら低く飛んできた。先ほどのように通り抜けることはできず、下手に近づけば圧し潰されてしまいそうだ。

 私は左横に飛び避けた。獣の右腕が私の頬先を掠める。風圧で髪と埃が舞い上がった。地面に叩きつけられた腕は、様々な人体を絡み合わせている。三人の顔と目が合った。その全てが恐らく少女である。そのほとんどはミイラ化しているが、中にはまだ水分を保っていたり、腐りかけて骨が見えている物もあった。継ぎ接ぎの獣が動き出した際に剥がれ落ちた埃ももしかしたら――

 想像していては気味が悪くなる。なのに、湿っぽくなかったから乾燥していたんだろうなと、変な考えが思い浮かぶ。私は浮かんだ考えを払いのけるように、腕に散弾を撃った。だがしかし、やはり想定よりダメージがなさそうだ。ミイラ化した死体は表面の皮が剥げるが、骨を撃ち壊すことはできず、肉は弾がめり込むだけだ。とはいえ、弱点であるのは聖職者はローレンスと変わらないらしい。

 獣は床を削りながら、私を払いのけた。右から左へ、そしてもう一度左から右へ。私はギリギリ当たらない位置へ避けたが、そこに細い左腕、しかし人よりも圧倒的に大きな拳が襲い掛かる。追い打ちはそこで終わった。

 地面に突き刺さる腕に二発撃つが、効果は薄い。必然的に、効果の薄い原因を考え始める。

 偏見だが、継ぎ接ぎでは大して防御力は無いはずだ。散弾の威力が弱いというのは論外、つまり、やはり獣の防御力が異常ということ。何が違う。他の獣と継ぎ接ぎの獣、死者を素体にした獣。再誕者と同じようなもの。再誕者のアレはきっとヤハグルの市民を――

 

「これ全てキヴォトス人か!」

 

 死体で構成されているならば、その死体はどこからか調達されたのか。一番身近にいたのはキヴォトス人に違いない。そうであるならば、ホシノの散弾銃に対して異常な防御力を持っているのも頷ける。

 

「くそっ!」

 

 獣の掴みから飛び退ける。盾はまだ慣れていないがゆえに、咄嗟に使うことができない。あれだけ無防備に体を晒しているのに攻撃しても無駄というのはなんと歯がゆいことか。

 私は銃を収め、代わりに仕込み杖を取り出した。左手は盾からホシノの拳銃に変えた。

 ホシノと戦った時、変形武器は少なからず彼女の体を切り裂いた。銃よりかは耐性が低いのだろう。銃に強く刃に弱い、と単純な話ではないのだろうが、今はその結果だけが重要だ。獣の動きも私の知っているものだ。下手に盾で受けようとするよりも、慣れたステップを交える方が戦いやすい。

 獣が左腕を叩きつけた。私が後ろに飛び退くと、今度は右腕を叩きつけて来た。それも避けると、両手を組んで叩きつけた。すると獣は殴ってくださいと言わんばかりに頭を差し出す。だから要望通り、人間の頭蓋に角を生やしたような頭に杖を振りかざした。生き物を殴る感触、銃よりも確かな手ごたえを感じた。

 振りぬいた杖を、今度は振り上げた。杖は獣の顎を捉え、持ち上げる。

 獣は一歩後ずさり、左手を顔にあてがった。気を保つように軽く顔を振る。一番の弱点であることを考慮しても、銃より効いている。これが正解だ。

 私は獣の近くで棒立ちになる。攻撃を誘うためだ。獣はその誘いに乗った。

 大振りの叩きつけ。ぐるりと背中に回れば簡単に避けられる。お留守な足元と左腕を殴打すると、左腕で振り払ってきたので後ろに飛び退き、杖を変形させ、叩きつけた。ノコギリ状の刃が獣の腕を斬りつける。

 こちらへ振り向き、今度はどんな攻撃が来るのかと身構えてくると、右腕を素早く突き出してきた。自身に到達するまで短く、距離感が分かりにくい。避けるのが遅れて小突かれた。ちょっと爪の先が刺さって出血した程度だ。輸血液を使うまでもない。

 怯んでいると、薙ぎ払う右腕が見えた。すんでのところで避けると、追撃するように一歩踏み出しながらまた右腕を振り払う。私が一歩退くと、獣が一歩踏み出す。それを三回繰り返してようやく諦めた。

 獣は後退して少し距離を空けたかと思うと、右腕で地面を押し、その反動で短く飛んで、飛び掛かってきた。左腕の鋭い拳が私へ飛んでくる。私は獣に近づくようにステップし、むしろより距離を縮めた。大きな右腕が目の前に迫る。仕込み杖の刃でその右腕を何度も切りつける。刃が肉を撫でるたび、銃弾ではびくともしなかった死体に溝ができる。腐りかけた死体からは血の代わりに、血と体液と腐った内臓のようなものが流れ出た。吐き気を催す酷い腐臭が広がる。嗅ぎなれた匂いだ。

 杖を叩きつけ、刃を仕舞い、両手で右腕の死体に深く突き刺した。貫通した杖を引き、手のひらから指の間まで力任せに引き裂いた。大量の体液と肉片が流れ出し、獣は悲鳴を挙げて暴れまわった。

 

 しばらく暴れた獣は、未だ体液が滴る右腕を庇いながら、私を睨む。私はその頭に拳銃を撃った。

 全くダメージにはならなかったが、煽りにはなる。おまけに不敵な笑みを見せれば、さすがの獣も自分がおちょくられていることに気づいたらしい。ひどく甲高い声で叫び散らかした。

 怒りに任せた獣の攻撃は、どれも大振りだが、スピードが速い。余裕をかましながら動いていれば必ず足をすくわれるだろう。しかし、所詮は聖職者の獣を模倣した動きに他ならない。これがローレンスを模倣していれば厳しい戦いになっただろう。

 大振りな掴みを躱し、半ば二つに分かれかけている右腕に追撃をかける。死体で作られた獣に傷口という概念があるのは知らないが、感覚的には傷口を抉っているようなものだ。

 何度も何度も杖を叩きつけていると、やがて、骨が折れた音がした。獣の絶叫が響く。そして左腕が私を掴み上げた。とても素早い行動だった。てっきりまた痛みで庇うと思っていたから、これは私の油断だ。

 私を掴み上げた獣は、顔の前まで持ってきてじっくりと見つめてくる。獣の顔は一人の人間の骸骨にさまざまな骨をくっつけて獣のように作られており、肉は一切ない。頭部から生えている角は、こちらも骨をいくつもつなげている。長さを見るに腕や、足の骨だろう。

 獣は口を開け、私にかぶりつこうとする。しかし、獣は左腕で捕まえたがゆえに、私の右手は空いており、杖を手放した私は、獣の顔めがけてエーブリエタースの先触れを放った。質量とスピードを持った幾本の触手が、獣の頭を破壊する。

 獣は絶叫し、私を離した。

 獣が両手をつき、破壊された頭を下に向けている。意外にも頭の穴から体液は出てきていない。私は獣に近づくが、獣は何も反応しない。穴に拳銃を挿し何度も引き金を引いた。発砲するたび、中で穴から発砲の光が見える。撃って、撃って、撃って撃って、撃った。十発目かそこらだろうか。引き金を引いても反応が無くなった。まさか弾切れだろうか。ホシノの神秘を継承した今、ホシノの銃に限り弾切れとは無縁のはずだが、一度に大量に撃てば弾切れも起こすらしい。

 銃はまだある。散弾銃の銃口を穴に挿し、引き金を引き続けた。拳銃よりも強い反動が右腕に伝わる。工房が作ったどの銃よりも強い。火薬庫の仕掛け武器に似ている。下手に撃つと反動に負けてしまいそうだ。発射されるたび、獣の頭も揺れた。

 散弾も弾が切れた。まだ獣は生きている。私は散弾を手放し、右腕を頭の中に突っ込んだ。中でぐずぐずになった肉と、弾丸の感触がする。私は全てを掴み、引きずり出した。顔が無くなった獣は悲鳴を上げることができない。代わりに体全体を震わせる。感触の通りの物がでてきた。原形を失くした肉に、めり込んだ弾丸、それらが体液と共に滝のように流れ出て来た。

 先に出て来た物に釣られて、どんどん出てくる。溢れ出てくる。獣の痙攣も止まらない。びくびくと震えて、あふれ出る物を受け止めようともしない。

 

 しばらく眺めていると、獣の痙攣が止まった。そして倒れた。体液の飛沫が上がり、私にかかった。体液が私の足元にまで流れ出てきており、私は黙ってそれを見つめていた。

 やがて私は体液の中心に立つ。継ぎ接ぎの獣は、その原形が分からない形になっていた。見てみれば、継ぎ接ぎが崩れ、死体の山になっている。どの死体がどの部分を構成していたのかもはや分からない。

 そんな中でただ一つ、発達した右腕だけが形を保っていた。引き抜いてみると、肘から先の部分だろうか、見た目より軽かった。振り回しても、振り回されることはない。

 

「これは、面白いものを拾ったかもしれないなあ」

 

 私は予想外の拾い物に、上機嫌になりながら継ぎ接ぎの腕を背負った。

 

 結局、この空間に継ぎ接ぎの獣以上に目を引く物は無かった。獣が座っていた椅子も、ただの大きな椅子で、意味深な祭壇も無かった。

 上階に戻ろうとエレベーターがある本棚の廊下に戻ると、一体の死体が目についた。既に白骨化しており、教会のシスターのような服を着ている。最初に通った時には無かったはずだ。服は黒いが、こんな狭い廊下で、本棚にもたれ掛かるように倒れている死体に気づかないだろうか。

 死体の前に立ってみると、存外知っている服装だ。

 

「これは……たしかユスティナ聖徒会の?」

 

 全身に張り付くようなスーツにマスク、下半身はほぼ露出している。ユスティナ聖徒会の装束に違いないだろう。

 死体のそばには紙切れが落ちている。そこには二行の文章が書かれており、わざわざ”英語”で書かれていた。

 

「『理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか』。『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』?」

 

 声に出して読んでみたものの、意味は分からない。が、突然現れた死体と、英語の文書、意味がないことはない。覚えておいて損はないだろう。

 メモを懐に収めた私は死体に目線を向けた。もうこの装束の主は死んでいるし、もらっても問題ないだろう。

 フードを外すと、頭をすっぽり覆った革状のマスクが現れた。革とは言うが、少し違うようだ。革よりも硬いが、引っ張ると革よりもよく伸びる。

 

「取れないなこれ……くっ、この……あ」

 

 強く引っ張りすぎてしまったらしい。頭骨が外れてしまった。そしてそれを皮切りに、全身の骨が音を立てて崩れてしまった。しかし、おかげでマスクを外しやすくなったとも言える。頭をぐるぐる回してみると、首元まで伸びているのが分かった。

 左腕で骨を抱え、胸に密着させる。右腕を首元の穴に伸ばし、ひっくり返す様に引っ張り上げた。多少の抵抗はあったものの、皮を剥ぐように外れた。

 裏返ったマスクには乾燥した皮膚だか肉だかよく分からないものが薄皮のように張り付いていた。おまけにちょっと臭い。幸い撫でたらポロポロと崩れたので、強く何度か振るとほとんど落ちた。

 表に返して眼前でぶら下げてみると、丸い二つの目に大きな円柱の口、ペストマスクに似ていた。もしくはネズミだ。

 試しに被ってみると、視界は悪いし、息も苦しく感じる。わざわざこれをつける必要は分からない。ただ、見た目のインパクトはとても強いだろう。

 

「今度これで夜を回ってみるのも悪くないな。面白そうだ」

 

 マスクを仕舞い、装束を持ち上げた。振ると中に残っていた骨が落ちた。改めて見るが、やはり下半身の露出が多すぎだ。素人から見ても、聖職者が股間部を強調するのはどうかと思う。シスターフッドのほうが断然マシだ。

 私の興味はようやくエレベーター横のドアに向けられた。聖堂に繋がる意匠に凝った石造りの両扉に比べて、木のみで造られ凝った意匠など何もないシンプルなドアだ。

 ドアハンドルを押すと、金具が軋む音を立てながら開いた。そして開くや否や嗅ぎなれた腐臭が漂ってきた。

 中に明かりは無い。松明を掲げると、それほど広くない、しかし十数人程度は入れそうな部屋があらわになった。真ん中には、腰の高さまである大きな台と様々な工具が置かれていた。台の上には乾いた液体がほぼ全面にかかっており、床にまであふれていた。

 部屋の奥には木箱がいくつも置かれており、恐らく液体が溢れていた。腐臭の元はここからだろう。木箱の一つを開けて見ると、肉と内臓と骨が混ざったものが入っていた。あきらかに人の頭骨が一つ、私と目が合った。

 継ぎ接ぎの獣を考えると、ここで何が行われていたのか察しが付く。部屋中に溢れている液体の正体は人の体液、木箱の中身は余った部品ということだ。

 ある程度中を探索したが、残念ながら面白そうなものは無かった。死体と、その痕跡だけ……いや、気になるものを見つけた。この場には似つかわしくない絵画だ。椅子に座った美しい女性の絵画が床に落ちていた。両手で持てるほど大きな絵だ。ひっくり返してみると右隅に『WILDHUNT』と筆記体で書かれている。この絵を描いた人物の名前かもしれない。

 もう一度表に返して絵を見てみる。素晴らしい絵だと思う。芸術は全く分からないが、少なくとも抽象的なものよりかは、何を描いているのか分かりやすい。が、あくまでこれは気になるものであり、面白いものではない。血濡れの台の上に置き直してその場を去った。

 

 エレベーターで上階に戻り、すぐに向かいの部屋のドアの前に立った。ノックをすると全く同じセリフで少女の合言葉を求める声が聞こえた。

 

「『理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか』『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』」

 

 二つのうちどちらなのか、英語で構わないのか分からなかったが、合言葉はさっき拾ったメモの中身なのは間違いないはずだ。私が合言葉を言うと、ドアの向うにいる声の主は黙った。間違えたかと思った束の間、鍵が開くような音がした。それっきり声も何もしなくなった。

 ドアハンドルを押すと、酷く軋んだ。人の笑い声にも似た音だ。

 ドアが開くと、冷たい空気が流れ込んできた。中には誰もいない。死体もない。あの声の発生源はどこにもなかった。

 

「死体もなしか」

 

 こんなことは慣れている。声の主がいないぐらいで驚くことはない。死体すらないのは少し驚いたが。入ってすぐ右に降りる階段がある。十段ほど降りて左に通路が伸びている。冷気のような霧が足元に立ち込めており、いかにも不気味な雰囲気だ。

 石のレンガを敷き詰めて作られている通路は二人が横に並べられるだけの広さがある。両側に一定間隔に部屋があり、窓は無く、金属でできた堅牢なドアがあるだけだ。丁度私の目線辺りに覗き窓がある。

 近くのドアを開けようとしてみたが、どこも鍵が掛かっており開かない。覗き窓から見てみても、中は暗闇で何も見えなかった。

 廊下の奥は霧と暗闇のせいで見えない。歩き出すと、私の足音が鈍く響く。それに混じって人の悲鳴が後ろから聞こえる気がする。ドアを叩く音が聞こえる気がする。助けを求める声が聞こえる気がする。何かを殴る音が聞こえる気がする。

 静寂が過ぎるが故の幻聴ではない。それらの音がだんだん近づいているような気がする。否、近づいている。全ての音が私へ歩み寄っている。気のせいでは終わらせず、自分たちの存在を証明しようとしている。

 私は耳元で上に向けて拳銃を撃った。酷い耳鳴りが全ての音を遠ざけた。何度か跳弾した弾もどこかへ行った。

 

「はぁ……異様だな」

 

 多分そう言えた。自分の声すら遠く聞こえる。

 

 数十秒くらいか、ようやく耳鳴りが収まった。咄嗟とは言え、銃声の耳鳴りで幻聴を遠ざけるのはあまり良い判断とは言えなかったかもしれない。

 正体の見えない声とは珍しい。カインハーストでも幽霊はいたのに。幸い耳鳴りが収まった後に再び声が近づいてくることはなかった。代わりに別の音が聞こえてくる。さっきの近づいて来る音にもあった、何かを叩く音だ。しかし、近づいては来ない。どこかで鳴り続けている。

 音の発生源に近づいてみると、いくつもあるドアの一つにたどり着いた。開いている覗き窓から明かりが零れている。中で一人のユスティナ聖徒会が何かを叩いているようだ。右手には黒い鞭が握られている。叩くたび、乾いた音がする。彼女の横に置かれた様々な器具を見るに、拷問だろう。

 ノックすると、一瞬彼女の手が止まり、声をかけられた。

 

「メンシスの狩人か? ここに獣はいないぞ。こっちは忙しいんだ。てめえのお仲間さんとこでお人形遊びでもしてな」

 

 彼女はそう言って拷問を再開した。

 ユスティナ聖徒会とメンシス学派は繋がっていたらしい。今の言葉で察せた。ついでにあまり関係が良くないらしい。この格好では相手にしてもらえない。

 ユスティナ聖徒会の装束に着替え、マスクを被ってからもう一度ノックした。彼女の手が止まり、今度は比較的フレンドリーに話しかけてきた。

 

「見回りか。ご苦労なことだ。こいつはもう駄目そうだ。だいぶゲロったし、あとで処理室に持って行く。メンシスの奴らが解体してくれるだろうよ。ゲヘナのスパイが。前に見つかったくせによくもう一度入ってきたものだ。メンシスの奴らからも、こいつは獣のことを知られたから始末しろって言われてる。最終的に殺しても構わないって言われてると、加減する必要もなくていい。全く、上は何のつもりであんな狂人集団とつるんでるんだか。まあ、できた獣はこっちで貰っていいって契約だから、戦力として使えるんだが。そもそも死体で作るってのが気味悪くて仕方がねえ。あいつらも私たちを好奇の目で見やがる……おっと、暇だからつい話しすぎちまった。あ、そうだ。こいつを手引きした裏切り者がいるはずだ。話したら伝えるから、ここへ連れて来てくれ」

 

 拷問する音がまた聞こえてきた。

 思った以上にべらべらと喋った。外部に厳しい分仲間意識が強いのかもしれない。仲間の装束をかっぱらってきたとバレる前にここを離れよう。

 

「ん? ユスティナ聖徒会?」

 

 今更だが、ドア一枚隔てた先に歴史と化したユスティナ聖徒会がいるのは冷静に考えればおかしなことだ。死体があるならまだしも、生きているなんて。もしくは、カインハーストと同じ幽霊か。

 

「やっぱり異様か」

 

 廊下の奥まで歩いたが、鍵のかかったドア以外無かった。面白い話は聞けたが、面白いものは無かった。

 拷問している部屋を通り過ぎ、上に戻ろうとすると、階段に一番近い部屋のドアが開け放たれていた。降りてきた時は絶対に閉まっていたし、鍵もかかっていた。

 中を覗くと、部屋を二つ三つ繋げたような部屋で、奥に穴が開いていた。周囲には血が付着しており、穴から腐臭が上がっている。この拷問階の更に下には継ぎ接ぎの獣がいた聖堂と、解体室があったから、きっとこの穴の下が解体室になっているのだろう。あの部屋にあった木箱に落ちる仕組みなのかもしれない。

 

 部屋を一瞥し、上階に戻った。窓から月明かりが入っているだけで、随分明るいように思う。ついでに被っていたマスクも脱げば暗闇が晴れたようにもっと明るく見える。冷気から解き放たれ、生暖かい空気を露出した脚で感じた時、ユスティナ聖徒会の装束を着っぱなしであることに気づいた私は、すぐにいつもの装束に着替えた。

 教会の椅子を横目に真ん中の通路を歩いて外に出た。月明かりで松明もいらない程明るい。飛び石のような道を歩いて石のアーチをくぐった。振り向いてみたが、教会は確かにそこにある。だが、近くで見た時より古ぼけて見えた。

 森の中で獣道を歩き続けた。風も吹かない、獣も歩いていない。地面は枯葉すら落ちていない土の道で自分の足音すら聞こえない。時折、植物が私とこすれる音がした。

 

 境界線を跨ぐように森から出た。周囲には何もないが、数歩先に石で舗装された所々ひび割れた道がある。遠くに背の高い建物が見える。そしていくつか立ち上る煙も。私は見えている建物に向かって歩いた。

 あの教会はやっぱり私の知っている教会だった。




継ぎ接ぎの右腕
キヴォトスの生徒の死体で作られた巨大な腕。

普段は全てを叩き潰す武器として、持ち方を変えれば不完全ながら盾として使える。

恐怖や怒りといった彼女たちの感情は、寧ろ獣に必要なものだったかもしれない。
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