剣先ツルギが保有していた二丁の散弾銃
その切り詰めた銃身と極端に短くなった銃床は、より近距離戦に特化させるためのものである。
悪者を倒すための銃は、つまり仲間を殺せる銃でもあるということだ。
寝室で目覚めた私は、ベッドに眠るセイアの前に立つ。駆けられたシーツを捲り、美しい遺体の、美しい足を露出させる。
適当な輸血液の空き瓶を取り出し、おもむろに手首を掻っ切る。ぽたぽたと雨のしずくのように垂れる血を、その空き瓶で受け止めた。
しばらくして瓶が私の血でいっぱいになると、セイアの右足に突き刺した。血流など無いはずの遺体に、私の血がどんどん流れ落ちる。やがて全て流れ、瓶を抜いた。
私の血を入れて数分、何も起きなかった。
変化が訪れたのは十分ほど経った後だった。
「わああああああああああ!?」
誰かに襲われたような叫び声をあげ、セイアが飛び起きた。痩せこけ、土気色をした顔はすっかり良くなっており、数分前まで死んでいたとは思えない。
セイアは荒い息を落ち着かせる片手間に周囲を見渡しだした。息が落ち着くにつれ、彼女の視線も私に落ち着く。
「いい夢は見られたかな」
「大勢の幽霊に追いかけられる夢だったよ。悪夢だ」
そう言って、私のいない方へ降りようとする。しかし、腕で押し上げた上体に下半身がついて行かず、頭から落ちた。ついでに情けない声もセットだ。
「可愛らしい声だ」
「わざわざ言わなくていい。何だこれ、体が言うことを行かないんだが」
覗き込むと、起き上がろうとするセイアの姿が見えるが、右足が全く動いていない。
「そこだけまだ自分の足だと自覚していないようだな」
私は反対側に周り、セイアの脇に腕を入れた。彼女は一瞬ギョッとしたが、すぐに私に体を預けた。
一気に引き上げ、立たせる。右足だけ棒のように直立しており、私が腕を抜こうとするとバランスを崩す。
「もっと意識しろ。自分の足だ」
「やってるさ。でも、いくら力を入れても感覚が無い」
もっと私の血を入れてみようかと思ったが、すぐに止めた。きっとそれは逆効果で、動かせなくなる範囲が広がるかもしれない。
片腕だけ脇から抜き、セイアの足を掴む。そして人為的に伸ばしたり曲げたりしてみた。
「触られてる感覚はあるな」
セイアは勝手にレポート始める。私もそれをもとに実験をする。至る所を触って撫でて揉んでみて、「やってることが変態だぞ」と言われたので、渋々撫でるのを止めた。
一先ずベッドの縁に座らせた。彼女は自分の足をまるで義足のように弄っている。
「まるで血が通っていないみたいだ」
「そこから血を入れたからそれは無いはずだがな」
「君が言ってた方法ってまさか輸血か?」
「ああ、私の血だよ」
「は?」
セイアは目を見開き、低い声で言った。
「君の血とか、私死なないか?」
「もう死んでいただろ。今は生き返った」
「じゃあ、右足が動かないのは君の血のせいか」
「他の部位が動いているのも私の血のせいだ。しかし、足が動かないのは困ったな。車椅子か?」
私がそう提案すると、セイアは露骨に嫌そうな顔をした。
「動けないのでは仕方がないだろう」
「いや、最後まで責任取ってくれよ。結局全部君のせいなんだから」
「そうは言われてもな、なってしまった以上はどうしようもない」
「くそ、こうなったら意地でも歩いてやる」
セイアは投げ出された右足を抱え、床に立たせる。そして足を見ながら顔をしかめる。きっと力を入れているつもりなのだ。するとどうだ。右足が震え出した。徐々に持ち上がり、ある地点を超えた当たりで急加速し、水平まで持ち上がった。あまりに勢いが良く、膝を痛めかけた。
「動いた、どうだ動いたぞ!」
セイアは膝をさすりながら勝ち誇ったように言う。
「右足に打ったから、そこだけ遺志が強かったのかもしれんな。ともかく移動は大丈夫そうだ。行こうか」
「せっかく自分の力だけで動かしたんだから、もうちょっと褒めてもいいだろう」
セイアは不貞腐れながら立ち上がった。仕方なく「素晴らしい。貴公の遺志は私の中の遺志の全てに打ち勝ったのだ」と賛美したが、彼女からは「褒めているのか、それは」と、眉をひそめながら言われてしまった。褒めたつもりだった。
寝室を出ようとする私ついてくる足音がしなかったので振り返ると、ベッドの脇に転がる死体に向かって話していた。
「ありがとう。そしてすまない。こんなことになってしまって」
それだけ言って、セイアは私の元までやってくる。目で、行こうと言っていた。
彼女は死体を見るたびに眉をひそめた。寝室、その隣にあるもう一つの部屋、地下の入口、三人の死体に謝罪していた。
部屋の入口、地上へ登る階段の前で彼女は鼻を覆った。そして死体を見た時よりもずっと顔をしかめて言う。
「なんだこの匂いは」
私には意識しなければ分からない程度の匂いだった。しかし、セイアにとってはまだ慣れていない、非常に刺激的な匂いのはずだった。
「死体だ」
それだけ言って階段を登る。一歩遅れてセイアも登った。
明け放たれたバンカーの入口で、誰かが倒れていた。その奥で数体の獣が彷徨っている。
私は階段を登っていたセイアを手で制止した。彼女が何か言いかけるのを、指で制止した。
「ここで待っていろ」
そう言って、私は入口に倒れる人を乗り越える。一瞬確認したその人に、見覚えがある気がした。
私は両手に散弾銃と拳銃を持ち、獣に近づいた。獣は三匹おり、近くの二匹がまず私の足音に気づいた。その様子にもう一匹が遅れて気づく。
二匹同時に走ってきたので、それぞれ銃で狙い、引き金を引く。片方は散弾で吹き飛び、もう片方は拳銃で怯む。
怯んだ獣頭部に、すかさず腕を刺し、中身を掴んで引きずり出す。その勢いを利用し、遅れて走った獣に当てる。
仲間の死体に当たり転んだ獣の頭に散弾を三発撃ち込んだ。一発撃つごとに、頭は形を変え、三発目には、ほとんど無くなった。
最初に飛ばした獣も、確認のためもう一発撃っておいた。
我ながら鮮やかに倒し、若干得意げな顔をしながらバンカーに振り返る。すると、私の視界には二匹の獣がこちらに駆けてくる姿と、その後方で扉から顔を出し、私に向かって必死に叫ぶセイアの姿が映った。
「まだ後ろにいるぞ!」
二匹の獣は既に飛び掛かる寸前だった。咄嗟に拳銃を撃っていればパリィできたのかもしれないが、二匹いたためにそこまで体が反応できなかった。だから大きく両腕を上げる獣の脇を通り抜けた。
無防備な背中に散弾をありったけ撃ち込む。合わせて七発か八発、そこで一度弾が出なくなった。だが、二匹の獣を狩るには十分だった。
よもや獣の接近に気づかないとは思わなかった。銃の音が大きすぎて、足音が聞こえなかったらしい。銃を使った獣狩りは大層楽ができると思ったが、思わぬデメリットを知った。
「いや、前にも同じ感想を持ったか?」
既にデメリットを知っていた気もするが、初めて知った気もする。まあ、改めて知れたならそれでいい。
二度目の奇襲が無いことを確認し、ようやくセイアを迎えに行く。しかし、そこに彼女の姿は無く、近くまで行くと扉の裏側で縮こまり、震えていた。
「さっきのが……君がずっと言っていた獣なのか」
「ああそうだ。恐らくキヴォトス中に蔓延っている」
「人が、あんな姿に?」
セイアは顔を青くして言う。さっきの威勢のいい叫びが嘘のようだ。
「あれが獣の病だ。人を人ならざるものに変えてしまう。だから私たち狩人は獣を狩るのさ。ただ正気を失っているだけの生徒も、いずれはああなるかもしれない。あるいはすでに」
それ以上は言わなかった。言わなくても、セイアを脅すには十分だった。
広場にいまだ漂う濃い死臭も合わさったのだろう。セイアはサッと振り返り、扉の陰で嘔吐した。彼女のえづく音と、水の音が聞こえる。
彼女が回復するついでに、見覚えのある死体を観察した。グレーの制服に、少し赤く染まった白髪と、鳥の翼のような髪型、間違いなく私をセイアの元まで案内してくれた少女だった。セイアに特徴を話した際に得られた少女の名前は、確か「守月スズミ」だったはずだ。避難所に戻ると言って出て行ったはずだが、外にいた獣たちにやられたのだろうか。
一分経たずして戻ってきた彼女の顔は更に青白くなっており、瞳は痙攣していた。
「臭うか」
私はそれだけ聞いた。セイアは鼻を覆いながら頼りなく頷く。私はスズミにそうしたように、嘴の仮面を彼女に差し出した。
「そのまま外に出るよりか、よっぽどマシだろう。歩くたびに吐かれても困る」
セイアは素直に仮面を受け取り、頭に着けた。
真っ白な服装に真っ黒な仮面は少し滑稽で、小鳥のように見えた。
「行こうか。貴公の話では、船はゲヘナに落ちたのだろう?」
これも情報を交換した際に聞いた。色彩の撃退に失敗した先生たちは船とともに墜落、搭乗員の安否は全員不明、というのがセイアの知っている情報だ。
一方で、私は船の搭乗員だったはずのホシノと相対した。他の搭乗員も生きている可能性がある。獣に殺されていなければの話だが。それに生きていたとしても、とっくに狂っているだろうが。
セイアは私の後ろを、親鳥を追いかける雛のようについてくる。しかし、私にとってそれは不都合だ。なにせ、ゲヘナへの道のり分からなかったからだ。
「私の後ろをついて回ったって、ゲヘナに行けないのだが。案内してもらわなければ」
「ああ、すまない」
セイアはゆっくりと私の前に立ち、ゆっくりと歩き出した。歩き姿だけで、彼女が上流階級の者だと感じさせる。この場においては酷く不釣り合いだった。
彼女は歩く間よく首を動かしていた。下を向いたまま歩き、死体が目に入った途端、視線をそらす。だが、その内また首が下に向き、死体を見て逸らす。それを繰り返していた。
私はそれを指摘することは無かった。指摘したところで、彼女の一体何を直してほしいのか不鮮明だった。
彼女はスズミの倍以上時間をかけて、同じ距離を歩いた。観察している間に、彼女がしきりに首を動かしているのが、ただ死体に怯えているのではなく、他の何かにも怯えているのだろうと推察した。
「獣が怖いか」
何に怯えているのかも見当がついた。だから、私はそう聞いた。
セイアは最初否定するかのように声を上げた。しかし、すぐに口を噤み、少しして観念したかのように「怖いさ」と話した。
「だって、あれが怖くないわけないだろう。あんな大きな化け物が襲ってくるんだぞ。立ち向かえって言う方がおかしい」
「だから私がいるんだ。安心したまえ、私の前にいる獣は全て倒してみせよう」
「じゃあ、私が前にいたら意味ないじゃないか。後ろから案内するから君が前を行きたまえよ」
そう言って、そそくさと私の後ろに隠れ、背中を押す。私は仕方がなく彼女に押されていった。
静かな道が続いている。きっと、セイアは死体の無い道を選んでいる。それと、戦闘からも逃れようとしている。ずっと聞こえる銃声、彼女は分かれ道に差し掛かった時、必ず死体が見えなくて銃声が聞こえない道を選んでいる。
彼女の案内は目的地を優先していない。だから、私はちゃんとたどり着けるのか心配になってきた。
さらにいくつかの進み、十字路に立った。私が安全を確認すると、セイアは道の真ん中に立ち、じっとする。時々、その大きな耳がはためいた。
「よし、こっち――」
セイアが左の道を指した瞬間、その方向から獣の遠吠えが聞こえた。音の大きさからして、さほど遠くはない。すると、彼女はくるりと体を半回転させて、右側の道を指した。いくつか死体が転がっているが、正面の道よりは多くない。
「にしよう」
私は一先ずセイアの指示に従う。少し進んで、とうとう内に潜ませていた疑問を投げかけた。
「貴公、静かな道を選び続けているだろう。この調子で本当にゲヘナまで行けるのか」
「も、もちろん行けるさ」
「ここの土地勘は無いが、相当な回り道をしていないか。ほら、あそこの通りは、四つ前に通った交差点を真っすぐ行ったところだろう」
「それでも、進んだんだからいいだろう」
「倍以上の時間をかけているではないか。ゲヘナまで徒歩で行くにはただでさえ時間がかかるのだぞ。回り道をしていては果たしていつまで時間がかかるのか」
「ん? いや、今向かっているのは私の部屋があった棟だ」
「あそこに? ゲヘナに行くんじゃないのか」
「地下に車を置いてるんだ。あれで行く」
「車? 確か黒服も乗っていたやつだな。貴公、あれを操れるのか」
「車ぐらい運転できるさ」
「見た目にそぐわないな」
「トリニティのトップを舐めないでほしいね。車の一つや二つ、運転できて当然さ」
車と言うのは、つまるところ馬車のようなもので、それを運転するのは従者だ。貴族自ら運転するとは意外だ。
私が素直に驚いたせいなのか、もしくは自慢できたせいなのか、セイアの緊張と恐怖に満ちた声は、多少和らいだ。
廃墟のような街並みに、だんだん光が灯ってくる。そのほとんどが、何かしらが燃えている光である。それを見て、私はトリニティの中心部に戻ってきたのだと感じた。それはつまり、人と獣が増えてくるということだ。
「少し下がっていろ。なるべく私から離れないことだ」
今もこうして、一本道に迷い込んだ獣が獲物を見つけて興奮している。直前の交差点で確かに獣がいない道を選んだはずだが、不幸にも獣が迷い込んでしまった。
後ろにセイアを庇っているので、いつもの通り背後を取る方法はできない。そして同じように無暗に彼女から距離を取ることもできない。だから必然的に、追い詰められた獲物のように、じっと獣が近づいてくるまで待つしかなかった。
飛び掛かってくればパリィしやすかったのだが、願い叶わず素早いひっかいてきた。セイアを庇いながらどう避けようか迷っていたら、当然避けられない。私の右の脇腹が軽く抉られる。
後ろでセイアが声を上げるが気にしない。このすぐ後にもう一度引っ掻いてくるのは知っているから、それに合わせて拳銃を撃つ。
項垂れる獣の頭に腕を突き刺し、中身を引きずり出せばそれだけで終わりだ。返り血が目に入らないように庇う。
「怪我は無いか」
振り返ってそう聞いた私に、セイアは何も答えてくれない。どうかしたのか、と手を差し伸べても動かない。
「大丈夫か? やっぱりどこか怪我でもしたのか」
私がセイアの肩に触れようとすると、途端に体を引き、私から距離を取ろうとする。そして狼狽えるように、ようやく返事をしてくれた。
「あ、ああ。大丈夫だ。どこも怪我はしていない」
「そうか? 少し様子が変だが……まあいい。行こうか」
さっきまで背中にくっついていたセイアが、少しだけ距離を開けてついて来る。やはり様子がおかしい。しかし、もう一度問い詰めたところで答えは一緒だろう。原因を考えるにも、判断材料が無い。案内はしてもらえるので、気にせず進むことにした。
そしてどこかよそよそしくなった彼女の案内で進むことしばらく、ついに彼女の避けたかった事態が起きた。分かれた道の、いずれにも獣がうろついている。さっきのは獣がたまたま迷い込んでしまったので無視するとして、今回は最初から選択肢が潰されているようなものだ。
私であれば真っすぐ行って獣を処理して進むが、この場合彼女であればどうするのか。私は彼女に指示を仰いだ。
「どうする。どの道にも獣がいるぞ」
私たちは手近の、バリケードが破壊された建物に避難し、私が建物の隙間から様子を伺っていた。
「何とか見つからずに通り抜けられないか」
セイアは私にそう聞いた。
「どの方向に進む気だ。それによって変わる」
「右の道に行くのが一番近い、と思う」
右の道には獣が二匹、兵士のように巡回している。獣一匹より少しだけ広い道幅は、私であれば獣を無視して通り抜けることができるだろう。
「貴公は走れるか?」
「走ることぐらいできるに決まってる、と言いたいが君に聞かれると自信が無いな」
「右の道だろう? あそこ、道幅を見る限り、見つかっても横を通り過ぎることは可能だ」
「見つからずにこっそり行くのは?」
「無理だな。どこも獣が歩いている」
「そんな」
セイア自身も道を確認するために身を乗り出した。
「そうだ。あの宿舎の中を通ればいい。建物の中を通れば気づかれない」
セイアは名案を思いついたと言わんばかりに意気揚々と私に提案する。
「いい考えかもしれんが、少なくともこの場においては通用しない案だな。見ろ、どの入り口も板が打ち付けてある。それに、敵が外だけにいるとは限らない。狭い室内で突然獣や狂った生徒が飛び出してきたら、それこそ逃げられないぞ」
私の反論に、セイアは苦虫を潰したような顔をする。
中々決断下せない彼女を見ていると、一つのアイテムの存在を思い出す。
「これを使うか」
「それは?」
「青い秘薬、自身の意識を殺し、残された遺志のみで動くためのものだ。これで見つかりにくくなる。今の貴公なら問題無いだろう」
「本当に大丈夫なのか。死にやしないか」
「大丈夫だ。何回か使ったことがあるが、死んだことはない」
セイアに青い秘薬を差し出すと、彼女はおずおずと受け取った。そのまま親指と人差し指で掴み、怪し気に中身を覗いている。
「飲む前にあの道を通り抜けると、遺志をはっきりさせておくんだ。じゃないとその場でじっとしているだけだからな」
「これ、本当に飲まないと駄目か?」
「いや? 貴公がどうしてもあの獣に気づかれずに通り抜けたいと言うから渡しただけだ。個人的には、私が獣を処理してから一緒に行くのが、一番安全だと思うがね」
セイアは何度か青い秘薬と私を見比べ、やがて観念したように呟いた。
「分かった。思い込めばいいんだろう? あの道を通り抜ける、あの道を通り抜ける、あの道を通り抜ける」
セイアは鼻をつまみ、一気に飲み干す。粘性のある秘薬は、飲み切るのに少し時間を要し、彼女の顔をしかめさせる。しかし、それも束の間、彼女の姿はすっかり見えなくなった。そして僅かに舞う砂煙が、右の道へ進みだした。
よくよく見てみれば、ほんの僅かに彼女の輪郭が見えなくもない。しかし、少しでも目を離せば見失ってしまう。ましてや、自分だけ獣を狩りながら進めば彼女とはぐれるのは必須だ。ゆえに、私も彼女の後をついていくことを遺志に刻み、青い秘薬を飲み干した。
気づくと、運よく生き残っている街灯の真下で、運よく敵に見つからず、棒立ちになっていた。
一足先に戻っていたセイアは辺りを見渡している。微力ながら彼女を手伝おうと周りの風景から情報を探し出す。ところが、私は視覚よりも先に聴覚による情報を得た。
「──あ、い──あめ──ぐ」
それは複数人の声であった。それも二、三人どころではない。もっと大勢が合唱するような声がわずかに聞こえる。
「場所を把握した。駐車場はこっちだ」
耳を傾けていると、セイアが話しかける。彼女が案内しようとしているのは、丁度合唱が聞こえてくる方向だった。おそらく彼女にはあの合唱が聞こえておらず、彼女を思うのであれば道の変更を申し出るべきなのだろう。しかし、私の中の好奇心が悪魔のように黙っておけと言う。天使は出てこなかったので、私はただ了承した。
セイアの案内に従って歩く内に、段々声に近づいていく。
「──あ いあ──どーず ──ふたぐん」
「なあ、何か聞こえないか。人の声だと思うんだが」
セイアが声に気づいた。ここで自分も聞こえると答えたら、彼女はどうするだろうか。臆病な彼女は道を変えてしまうかもしれない。
「どうだろうな。私には何も聞こえない」
「そ、そうか? 私の勘違いなのか?」
「キヴォトスの生徒たちは色彩の声が聞こえるのだろう? また聞こえてきてるんじゃないか。鎮静剤を渡そうか」
「そう、なのか? 一度死んでからそれらしい声は聞こえなかったんだが」
私はセイアに鎮静剤を差し出す。彼女はおずおずと手のひらを出すだったので、その両手に置いた。そして彼女が飲むのを確認しないまま出発した。
次第に声は明瞭になっていく。もはや誤魔化すことはできない。
「いあ いあ あめんどーず ふたぐん いあ いあ あめんどーず ふたぐん」
「やっぱり聞こえる。聞き間違いなんかじゃない」
「そうだな。聞こえる」
何を言っているのか全く分からない。聞いたことのない言語みたいだ。
「何か、呪文を唱えているみたいだ。気味が悪い」
もしくはセイアのような印象を受けるだろう。そして、危惧した通り他の道を行こうと言い出した。しかし、私はこの呪文の正体が知りたい。どうしても首を突っ込みたい。
「なあ、確認してみないか」
「は? 何をだい?」
「この呪文が唱えられている現場を」
セイアが口を閉じる。目を見開き泳ぐ。何かを言いかけては止めるように口を動かす。
「君は馬鹿なのかい?」
最大限考えた末に私にかけた言葉はそれだった。
「なんで自ら危険に飛び込もうとするんだ。自殺願望者なのか。希死念慮でもあるのか?」
セイアは続けて尋ねる。
「まだ危険と決まったわけではない。ここまで見かけた狂った生徒は皆、獣のように叫んでいたじゃないか。だが、今聞こえるのは言葉だ。狂っていないかもしれない」
「あんな呪文を唱える者が正気だとは思えないんだが。それに集団だろう、声量的に。明らかに怪しい集団に突っ込むのはただの自殺だぞ」
「分かった。では見に行ってくる」
「おい、なんでそうなる。自殺するのと変わらないって言っただろう」
「だから一人で見に行ってくる。貴公はここで待っていろ」
セイアがどうしても行きたくないようなので、仕方なく一人で向かうことにした。
声がする方へ近づいていると、後ろから足音が聞こえた。振り向きざまに銃口を向けると、そこにいたのはセイアだ。危うく引き金を引くところだった。
「来たくないんじゃなかったか」
「そうだけど、あそこで一人で待ってたら何時襲われるか分からないんだ。君がいないと私なんかすぐに死んでしまうんだぞ。だから仕方なくついてきた」
「そうか。なら、なるべく離れないことだ」
渋々と言った様子で、セイアがついてくる。顔はずっと不機嫌そうだ。
声は大きくなっているが、中々現場にたどり着かない。よっぽど大勢、大声で叫んでいるのか、現場の様子が想像つかない。
この先が大元だと思って曲がり、スカすこと数回、ついに呪文を唱えている現場を目撃した。
そこには実に大勢の生徒がたむろしていた。十人や二十人では片付けられない。全員が同じ方向を向いてあの呪文を唱えている。
「いあ いあ あめんどーず ふたぐん いあ いああめんどーず ふたぐん ふんぐるい むぐなうるふ あめんどーず やーなむ うなふがる ふたぐん」
まるで人が話す発音ではない。地球上の言葉にも思えない。彼女たちが唱えている呪文は、体の奥底から恐怖を沸き立たせる。それは、鼓膜を異様に震わせる声量でありながら、彼女たちの顔は死んでいるように沈んでいるからかもしれない。
「な、なあ。早く行こう。もういいだろ確認できたんだから、気づかれない内に早く」
セイアは装束を強く引っ張り、この場から逃げようと提案してくる。彼女の言うとおりこの場から離れるべきなのだろう。あの少女たちは獣のように狂っているようには見えない。ただし、別の意味で狂っている。カルト宗教のようだ。ところが、全く聞き取れないはずの呪文はたった二つだけ、明確に聞き取れる単語がある。
彼女たちが祀っている先にあるのは、尖塔にしがみつくアメンドーズだった。そして奴を見つけたと同時に、ここがミカの死体が磔にされていた場所だと気づいた。彼女たちの姿でほとんど見えないが、いまだ炎に炙られているのが遠目に見える。
スズミはミカと直接的な関係性は無かったはずだ。だが、死体の状態を見ただけで狂ってしまった。仲が良かっただろうセイアが見てしまったらどうなるのか分からない。ただ、悲惨な結果にはなるのは間違いない。
「ああ、そうだな。行こう」
目新しいものはいないし、崇め奉られていた存在も見飽きた奴だった。セイアが取り返しのつかないことになる前に逃げてしまおう。抵抗を止めると、セイアは相当な力で引っ張っていたらしくバランスを崩しかけた。セイアは尻餅をついてしまった。私が中々動かなかったので力いっぱいひぱっていたらしい。
「おっと……大丈夫か」
「いたた……急に動かないでくれよ」
「貴公が逃げようと言ったんじゃないか」
「だからって急に力を抜かないでくれよ。極端だ……まあいい。ほら、早く行こう。もうそんな遠くないはずだから」
セイアは壁に手を突きながら立つ。尻をさすりながら私を急かす。何か文句を言いたげな目線に
辟易した私は、急かされるまま先頭に立った。
駐車場に近づくにつれ獣は減り、代わりに生徒が増えてきた。獣から人を守っていた正実の生徒たちに、人である私たちが襲われている。獣のように自暴自棄になって突撃してくれるならやりやすいのだが、生憎、彼女たちはヤーナムの市民のように自分たちを正常だと思っているのだから質が悪い。つまり人間のように戦ってくるのだ。
私たちはセイアの自室がある棟の数百メートル前で正実の襲撃に会っていた。私とスズミが来た時にはいなかったはずの彼女たちは、たった二人相手に馬鹿みたいに銃を撃っている。完全に遮蔽物に隠れているのにお構いなしに弾を飛ばしてくる。おかげで隙をついて動くことすらできない。盾を構えたところで一歩も動けやしないだろう。
「この道はもう無理そうだな。別の道から行けないのか」
「行けないことはないが、あの棟は周囲が開けているんだ。どの道から行ったって結局何もないところを通らなきゃいけない」
「隠れて近づけないのか」
「防犯上できないようになっている」
「まったく、自分で自分の首を絞めてどうするんだ」
「城主が自分の城を攻めるなんて想定するわけがないだろう」
「まあいい。回り道はできるんだろう。そっちから行こう」
「どうやって見つからずに行くつもりだ。言っとくが垣根は当てにならんと思うぞ」
「隠れはしない。全員潰す」
一つか二つぐらい横の路地を取れば側面を取れるだろうか。まず何人の正実が撃ってきているのかすら分からないから、索敵をするところからだ。
立ち上がると裾を引っ張られている。マントのような裾を踏んでしまったわけではない。セイアがつかんで離さない。
「なんだ」
「彼女たちは人間だぞ」
「だから何だ。既に狂っている。獣と一緒だ」
「でも、彼女たちは獣の姿じゃないだろ」
「姿は関係ない。あれはもう理性なんて残ってないさ。最後の理性を本能で動かしているだけで既に人間とは呼べない」
「でも──」
「なぜ貴公が嫌がる? 貴公にはやれとは一言も言っていない。貴公が手を汚す必要は無いんだぞ」
「学園の生徒が殺される場を黙って見ているわけにはいかない」
「じゃあ目を閉じていろ。全てに目を向ける必要はない」
「そ、そんな⋯⋯あれ、あれを使えばいいだろう! 青いあの!」
「青い秘薬か? まあ、状況次第では使えないこともないが」
「そうするのがいい! とりあえず別の道から近づいてみよう」
セイアが必死な顔で提案するので、とりあえずその通りにした。念のため、三つ先の路地を渡った。その頃には銃声が止んでおり、私たちが移動したのを察知したか、向こうも距離を縮めているだろう。
あれだけ派手に撃っていれば、他の正実もつられて集まるだろう。路地を歩いている間、他の誰にも会わなかった。
やがて、正実が陣地を張っていた軸の道路に出る。陰から覗くと、彼女たちは私たちがいた道に執心していて、よもや回り道をしているなど夢にも思っていなさそうだった。それどころか、既にいない敵を警戒しながら道に入っていく様子も見る。奇襲の絶好のチャンスだが、相当数の人数が集まっていたのもあり、セイアの提案通り、こっそり横を通過することにした。
私たちはなるべく音を立てず、また姿が見つからないようにしゃがんで歩く。セイアが当てにするなと言った広場の垣根は、しかし、人を隠すには十分な高さと密度があった。私たちは敵に見つかることなく、無事に目的地までたどり着くことができた。
狩人の輸血液
月の香りの狩人の、生き血を集めたもの
あまりにも多くの遺志が宿った血は、死すら超越するが、自分を見失えば死と同義である
それは、もはや一種の呪いであり、彼の者たちが往年求めてきたものなのかもしれない。