Hedgehog in Borderland RETRY 作:M.T.
ご愛読ありがとうございました。
ところでドラマ版のシーズン3はどんなストーリーになるんでしょうかね。
多分ドラオリだと思うんですが、続編の配信が待ちきれません。
ヘイジside
「バイタルは!?」
「血圧低下してます!」
声が聴こえてくる。
ここは…どこだ……?
「っ!?」
意識を取り戻した俺は、上体を起こした。
すると救命医の人達が、俺に話しかけてくる。
「キトー先生!意識回復しました!」
「お名前言えますか?」
救命医の人達は、俺の意識が正常かどうかを確認してくる。
俺は、起きたばかりでぼんやりとする頭を何とか動かして、自分の名前を言った。
「小鳥遊…平治…です」
「ここがどこだかわかりますか?」
「えっと…オレは、空港から病院に向かってて…その途中で、事故に…巻き込まれたっけ…?」
少しずつ、思い出してきた。
俺は、ヒヅルの出産に立ち会う為に、空港からタクシーで病院に向かうところだったんだ。
その途中で交通事故に巻き込まれて、意識を失ったんだった。
「あなたは大通りの交差点で交通事故に巻き込まれ、この病院に運び込まれました。幸い直撃は免れ、目立った外傷はありませんでしたが、頭を強く打っていますので、念の為CTと…」
医師が事故当時の俺の状況を説明してくれた、その時だった。
隣から、泣き叫ぶ声が聴こえてくる。
「カスガさんっ!!カスガさん…っ!!」
見ると、髪の長い女性が、顔に布をかけられた男性の遺体を抱きしめてわんわん泣いていた。
さらにその奥では、患者の蘇生をしようとしていた救命医さんが、諦めの表情を浮かべていた。
病室の奥には、ボロボロな状態で運び込まれた高校生くらいの女の子がいた。
女の子のベッドには、トリアージ黒のタグが付けられていた。
「お父さん、お父さん…!」
「ナオ…無事で良かった…」
俺の右隣のベッドでは、ちょうど意識を取り戻した中年男性に、娘と思しき女性が泣きながら抱きついていた。
衝突事故に巻き込まれて、助からなかった人は大勢いた。
だけど、奇跡的に生還した人達もいた。
生き延びた人達は、生死の境を彷徨っても、この世に戻ってこられた。
俺も、他の人達も、死の淵に立って、絶望を見て…それでも生きたかったのかもしれない。
俺は、スマホの電源を入れて、お義父さんから送られてきたメッセージを見た。
俺が運び込まれた病院は、ヒヅルが入院している病院だった。
事故に遭ってしばらく意識を失っちまったけど、今から行けば出産には間に合うかもしれない。
俺は看護師さんに、ヒヅルの居場所を尋ねた。
「あの、看護師さん。今、分娩室に妊婦さんがいませんか?」
「えっと…確か、第一分娩室に、今日入院した患者さんがいたはずですけど…」
看護師さんが答えると、俺は迷わずヒヅルのいる分娩室へと走った。
後ろから看護師さんの呼び止める声が聴こえたけど、ヒヅルには、俺が回復するのを待ってる時間なんか無い。
今、行かなきゃいけないんだ。
「兄ちゃん!」
「ヘイジ君…!」
分娩室に行くと、沙由と義両親が外のベンチに腰掛けていた。
俺は、分娩室のドアを勢いよく開けた。
「ヒヅル!!」
俺が駆けつけると、分娩台の上には、タオルに包まれた我が子を抱いたヒヅルがいた。
ヒヅルの身体には輸血用のチューブが繋がれていて、床や分娩台に付着した大量の血が、出産の壮絶さを物語っていた。
ヒヅルの担当医の先生が、俺の方を振り向くなり、安堵のため息を漏らしながら言った。
「おめでとうございます、お父さん。可愛い女の子ですよ」
先生がそう言うと、俺はヒヅルの腕に抱かれた娘に目を向ける。
生まれたばかりの娘は、産声を上げていた。
「ヘイジ……抱いてあげて…あなたの子だよ」
そう言ってヒヅルは、タオルに包まれた娘を俺に見せた。
ヒヅルに娘を渡された俺は、娘を抱きかかえた。
すると娘は、タオルの中でもぞもぞと動いた。
小さくて、温かい。
右腕で娘を抱きかかえながら、小さな手に左手で触れると、娘が俺の指をきゅっと握った。
やっと会えたね。
俺達のところに来てくれて、ありがとう。
「ヒヅル、ありがとな…よく頑張ったな…!!」
「ヘイジこそ…来てくれてありがとう…」
俺が泣きながらヒヅルの身体を抱きしめると、ヒヅルは安心したように涙を流しながら微笑んだ。
◇◇◇
あれから、5日が経った。
ヒヅルは、出産の時の出血がひどくて一時は生死の境を彷徨ったけど、先生の適切な処置のおかげですぐに意識を取り戻したそうだ。
俺が分娩室に駆けつけたのは、ヒヅルの意識が戻った直後だった。
俺が事故に巻き込まれたと知ったヒヅルは、一瞬驚いた表情をしていたけど、俺が無事に生還した事を喜んでいた。
ヒヅルが出産した日、病院付近の大通りの交差点上で、バスの運転手の居眠り運転による事故が発生した。
乗客30名を乗せたバスは、俺の乗っていたタクシーにぶつかるスレスレのところで横転し、炎上した。
俺の乗っていたタクシーは、バスを避けようと咄嗟に急ハンドルを切って、そのまま街灯に衝突した。
この事故で13人が死亡し、俺を含めて25人が重軽傷を負った。
バスの運転手と、俺を乗せたタクシーの運転手は、結局助からなかったらしい。
亡くなった人は大勢いたけど、それでも俺は、奇跡的に生還できた人がいた事を喜ぶべきだと思った。
俺とヒヅルは、順調に回復して、明日には退院できる事になった。
お義父さんが退院の日に親戚を呼んでお七夜のお祝いをしてくれるらしくて、『そこまでしてくれなくていいのに』とヒヅルは笑いながら言っていた。
本当に、俺は充分すぎるほど人には恵まれた。
俺は今、ヒヅルと一緒に、新生児室で寝ている娘を迎えに行っているところだ。
自分で言うのもなんだが、娘はぱっちりとした二重で、親バカを抜きにしてもヒヅルに似て美人だ。
看護師さんが『美人さんで羨ましい』って褒めてくれたから、多分客観的に見てもそうなんだと思う。
俺とヒヅルは、娘が寝ているコットを押しながら来た道を戻った。
するとその途中、車椅子が前から来た。
長い金髪を後ろで束ねた医者が、左脚にギプスをはめた男の子の車椅子を押していた。
このままだとぶつかると思った俺は、コットを道の傍に寄せて立ち止まった。
すると車椅子を押していた医者も立ち止まる。
「あ…すみません」
「いえ、こちらこそ」
俺と医者は、互いに会釈をした。
ふと、車椅子に座っている男の子が目に留まる。
医者と同じ色味の金髪をボブにしていて、中性的な顔立ちをしている。
きっと父親と息子だろうと俺は思った。
「えっと…お子さんですか?」
「ええ、まあ」
ヒヅルが尋ねると、医者が答える。
やっぱり、親子だったのか…
ひょっとしてこの子も、先週の交通事故に巻き込まれてここに運び込まれたんだろうか。
だとしたらすごい偶然だけど…
「では、僕はこれで。ご出産おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「息子さんの脚、早く治るといいですね」
医者が俺達を祝福してくれたから、俺とヒヅルはお礼を言いつつ、男の子の回復を願った。
医者と互いに会釈をしてから、コットを押して通り過ぎようとした、その時だった。
「助けてくれてありがとう、
車椅子に乗った男の子が、ヒヅルに話しかけた。
「え…?」
俺とヒヅルは、思わず足を止めた。
初対面のはずの男の子が、ヒヅルの名前を呼んで、しかもお礼を言った。
俺の知らないところでヒヅルが男の子を助けた事があったのかと思ったけど、ヒヅルも心当たりがないみたいで、ヒヅルの顔を見ると、首を横に振っていた。
ヒヅルは、男の子の横に立って姿勢を低くしながら話しかけた。
「ねぇボク。どこかで会った事あったっけ?」
ヒヅルが尋ねると、男の子は僅かに驚いた表情を見せる。
男の子は、上を見上げたかと思うと、何かを言おうとして言葉を詰まらせる。
だけどその直後、すぐに笑顔を浮かべて言った。
「ううん…こっちの話」
男の子が笑顔を浮かべると、ヒヅルが男の子に話しかける。
「ボク、お名前は?」
「弥太郎」
「そっか。弥太郎君、お大事に」
男の子が自分の名前を言うと、ヒヅルは笑顔を浮かべながら男の子の頭を撫でた。
医者が弥太郎君の車椅子を押して去っていくのを見送ってから、俺とヒヅルもコットを押して部屋に戻った。
◇◇◇
「うーん…」
ヒヅルは、娘に授乳をしている間、考え事をしているのか、ぼぅっとどこか一点を見つめていた。
「どうした?ヒヅル」
「あの子、どうして私の名前を知ってたんだろう?それに『助けてくれてありがとう』って、どういう意味だと思う?」
ヒヅルがずっと考えていたのは、弥太郎君の事だった。
弥太郎君は、ヒヅルと一度も会った事がないのに、ヒヅルの名前を言い当てた。
『火鶴』なんて珍しい名前、ただの思いつきで咄嗟に出てくるはずがない。
しかも『助けてくれてありがとう』とまで言った。
とてもただの偶然とは思えなかった。
「私が忘れてるだけで、どこか知らない場所で、会ってたりするのかなぁ」
「だとしたらヒヅルは、あの子にとってのヒーローなのかもな」
考え込むヒヅルに、俺が微笑みながら言うと、ヒヅルはわずかに目を見開く。
ヒヅルは、満面の笑みを浮かべながら、娘に話しかける。
「聞いた?私、ヒーローなんだって。お前の事は、何があっても私が守るからね」
ヒヅルが言うと、ちょうどお乳を飲み終えた娘が微笑む。
退院したら、やる事は山積みだ。
だけど不安は微塵もなかった。
俺には、愛する妻と娘がいる。
もう、生きる目的が持てなくて、燻ってた頃とは違う。
この先何があっても、きっと大丈夫だ。
◇◇◇
翌日、俺とヒヅルは退院手続きを済ませて、お義父さんが車で迎えに来てくれるのを待合室で待っていた。
ヒヅルの腕に抱かれている娘は、フリルのついた可愛らしいセレモニードレスを着ていた。
セレモニードレスは、ヒヅルが生まれる時にお義母さんが作ったのをアレンジした一点物だそうで、昨日お見舞いに来てくれたお義母さんが帰り際に渡してくれた。
アパレル企業の社長が作ったというだけあって、たった一度しか着ないのがもったいないくらいにお洒落なデザインだった。
「あのっ、先輩!」
俺達が待合室にいると、包帯を巻いた青年が、松葉杖をついて待合室に来た。
筋肉質な身体つきをした、なかなかの美青年だ。
青年は、ヒヅルの前に立った。
するとヒヅルは、僅かに目を見開いて口を開く。
「佐伯君…」
「知り合いか?」
「うん。交番で勤務してた時の後輩。まだ寝てりゃあいいのに…アンタの方が重傷なんだから」
「そうなんですけど…どうしても先輩にお祝いを渡したくて…今日、お七夜だって聞いたので…」
「誰に?」
ヒヅルの後輩…佐伯君がプレゼントを渡してきたものだから、ついツッコミを入れた。
今日がお七夜だって事、誰から聞いたんだろう。
その事が気になって顔を引き攣らせていると、ヒヅルが佐伯君に話しかける。
「…今こういう事言っていいのかわかんないけど…堤先輩の事は、残念だったね」
「はい…」
ヒヅルが言うと、佐伯君は暗い表情を浮かべる。
どうやら、佐伯君も、俺が巻き込まれた事故の被害者だったみたいで、一緒にいた上司が亡くなったらしい。
その人は、ヒヅルの研修生時代の先輩でもあったから、ニュースで報道された犠牲者の中にその人の名前があったのを見て、ヒヅルは暗い顔をしていた。
曰く、『キャリア組の私を僻んで陰口叩く人だったから嫌いだったけど、死んでいい人じゃなかった』との事だった。
「看護師さんから聞いた話なんですけど…事故や災害から生き残った人は、時に自分が生き残った事への罪悪感を抱く事があるみたいです」
「
「僕も正直、堤先輩が亡くなって、自分だけが生き残ってしまった事に、罪悪感が無いわけじゃないです…それでも、生きなきゃいけない気がする…僕に出来る事が、まだあるはずだから…僕は、生きていきます」
「…そっか」
佐伯君が笑顔を浮かべながら言うと、ヒヅルも笑顔を浮かべる。
男が、大切なものの為に生きると決めたんだ。
野暮な心配はいらなかった。
佐伯君は、恥ずかしそうに頭を掻きながらヒヅルに話しかける。
「お互い落ち着いたら、その…一緒にメシでも行きませんか?」
「いいねそれ」
「小鳥遊先輩、イタリアン好きでしたっけ?僕の家の近くに、おいしいイタリアンの店ができたんですよ!よかったらどうですか?」
佐伯君は、頬を赤らめながらヒヅルを食事に誘った。
するとヒヅルが満更でもなさげに答えるので、佐伯君はさらに顔を赤くした。
どうやら彼は、ヒヅルに好意を抱いているらしい。
彼のような好青年なら、ちょっと思わせぶりな態度を取れば、相手を虜にできるだろう。
でもそんな顔したって、ヒヅルは渡さないからな。
というかヒヅルもヒヅルで、夫の俺を抜きに他の男と楽しそうに話すな。
何か寂しいだろ。
心の中で密かに対抗心を燃やしていると、ヒヅルが俺の心情を察したのか、俺の方を見てくる。
俺は、アイコンタクトを送ってくれたヒヅルに心の中でサムズアップをしつつ、佐伯君に話しかける。
「オレも一緒でいいかな?」
「もちろん!その時は、
俺が尋ねると、佐伯君は笑顔で答えた。
俺を快く受け入れてくれたばかりか、ちゃんと娘の事も数に入れてくれている彼には、好印象しかなかった。
何だか、対抗心を燃やしていた自分が恥ずかしくなった。
「ところで…お子さんのお名前、もう決めたんですか?」
佐伯君が、ヒヅルの腕の中で眠る娘の名前を尋ねる。
するとヒヅルは、娘の身体をゆらゆらと揺らしながら答える。
「うん。彼と2人で話し合って決めたの。男の子なら
ヒヅルは、娘の…アリスの頬を指で撫でながら言った。
名前の由来は、『不思議の国のアリス』と、作者のルイス・キャロルだ。
隕石災害で心肺停止に陥った時、俺とヒヅルは、どこか知らない国へ迷い込んだような気がした。
今思えば、あの出来事が、人生を変えるきっかけだったと思う。
その体験を『不思議の国のアリス』の童話と重ねて、不思議の国に迷い込んで自由気ままに冒険をした主人公のアリスのように、強く自由に生きてほしいという願いを込めて、娘にこの名前をつけた。
「この子は、アリス。私とヘイジの、可愛い娘」
◇◇◇
2025年、7月。
隕石災害の日から、ちょうど15年が経った。
長い年月をかけて東京の街はほとんど元の姿を取り戻したが、一部はまだ復旧作業が続いている。
日曜日、俺はヒヅルと一緒に、近所の公園にピクニックに来ていた。
「ペコ!こっちこっち!」
「ワンッ!」
俺達の娘のアリスは、大柄なサモエドのペコと一緒に遊んでいた。
癖っ毛の髪をふわっとしたボブヘアーにしていて、3歳の誕生日にお義母さんに戴いた黒いワンピースを着ている。
ヒヅル譲りのルビーのようなくりっとした紅い瞳が可愛らしい。
生まれた時はヒヅルに似てると思ったけど、成長するにつれて俺の特徴が出てきて、今では俺によく似た顔立ちになっている。
でも性格はヒヅルに似たらしくて、男の子みたいにやんちゃで、戦いごっこや恐竜のおもちゃが好きだったり、ちょっと目を離すとすぐどっか行っちゃったりする。
お義母さんは、『昔のヒヅルちゃんそっくりね〜』なんて言って笑っていた。
「それっ、取ってこーい!」
アリスがボールを投げると、ペコが大きくジャンプをして、ボールを咥えてキャッチした。
ペコは3年前、13人もの死者を出した事故に巻き込まれて生死の境を彷徨っていたところを、救助された。
ペコの飼い主の家族はその時の事故で全員亡くなって、身寄りがいなくなってしまったペコを俺達が引き取ったというわけだ。
最初は慣れない環境を警戒していたペコも、今ではすっかり俺達に心を許して、アリスの兄貴分になっている。
「…今思えばさ、奇跡だよね。こうして家族4人で一緒にピクニックしてるのってさ」
「そうだな…」
ヒヅルが息子をあやしながら言うので、俺は公園で遊んでいるアリスとペコを見守りながら返事をした。
ヒヅルの言う通り、家族皆でこうしてピクニックをしているこの瞬間は、幾度もの奇跡が積み重なった、宝物のような時間だと思う。
隕石災害で命を落としていたら、俺が事故で死んでいたら、ヒヅルがアリスを産んだ後意識を取り戻さなかったら、この幸せな日々は決して訪れなかった。
ヒヅルがアリスを産んでから3年経って、嬉しい事が2つあった。
一つは、ヒヅルが警視に昇進した事だ。
自動的に昇進するからそんなに大袈裟に喜ぶ事じゃないってヒヅルは言ってたけど、ヒヅルが採用試験に受かる為に努力してたのも、産休のブランクを返上する為に同期の倍以上の業務をこなしてたのも知ってるから、ヒヅルの昇進は自分の事のように嬉しい。
そしてもう一つは、もう一人新しい家族ができた事だ。
今年の4月下旬に、男の子が生まれた。
名前は、
最初は4月に生まれるから『卯月』がいいねって言ってたんだけど、占い師さん曰く字画が9画だから良くないそうで、ヒヅルが『じゃあ読みはそのままで『卯』の漢字を『兎』に変えるのはどうか』って提案してきたから、その案を採用した。
名前を決めたあとで、『これじゃまるで『不思議の国のアリス』縛りだね』ってヒヅルが笑ってた。
弟が生まれると知ったアリスとペコは、大喜びしていた。
親を取られると思って赤ちゃん返りするんじゃないかと心配してたけど、全然そんな事はなくて、むしろアリスは『ウヅキを守る為に特訓する』って言ってヒヅルやお義父さんに格闘技を習ったりしている。
やんちゃな子だけど、ちゃんと“お姉ちゃん”なんだなって感心した。
隕石災害に巻き込まれる前は、死にたいと思った事もあったけど、それでも生き延びたから幸せを掴めた。
あの時必死に生きた俺には、一生感謝したって足りない。
この気持ちを、アリスやウヅキ…その次の世代にも、ずっと繋いでいけたらいいな。
俺とヒヅルが2人の子供を温かい目で見守っていると、不意に声をかけられた。
「お隣、いいですか?」
振り向くと、子連れの夫婦が、俺達の近くに立っていた。
短い黒髪をした男性と、赤紫色の髪をショートボブにした女性、そして母親譲りの髪色をした女の子の三人家族だ。
ベンチに座っていた俺とヒヅルは、少しずつ右に寄って、3人が座れるだけのスペースを確保した。
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺とヒヅルが右に詰めると、声をかけてきた家族は俺達の左隣に座った。
ヒヅルがウヅキをあやしていると、旦那さんが話しかけてくる。
「かわいいお子さんですね。今何ヶ月ですか?」
「3ヶ月です」
「今向こうで遊んでる上の子は、3歳です。お宅のお嬢さんは?」
「もうすぐ7歳です」
「って事は…この春小学校に入ったばっかりか」
「ピカピカの一年生…だね」
ヒヅルが俺の顔を見ながら言うので、何だかおかしくて笑ってしまった。
すると俺達の隣に座った夫婦も、つられて笑った。
4人で笑っていると、女の子が、奥さんの着ていたパーカーの裾を掴みながら話しかける。
「ねえママ!向こうで遊んできていい?」
「いいよ。遊んでおいで」
「うん!」
女の子が尋ねると、奥さんが笑顔で女の子の頭を撫でながら答えた。
女の子は、満面の笑みを浮かべると、元気いっぱいに走り、ちょうどペコと遊んでいたアリスに話しかける。
アリスはすぐに女の子と仲良くなって、2人で一緒にペコと遊んだ。
俺達は子供達が遊んでいるのを見守りながら、隣に座っている夫婦と話をした。
「オレ、小鳥遊平治っていいます。彼女は、妻の火鶴です。お2人は?」
「アリス。有栖良平です」
「柚葉です」
「アリス…?あぁ、すごい偶然ですね!ウチの上の子も、アリスって名前なんです」
「えっ、そうなんですか?」
「アリスちゃんか…アリスと一緒だね」
ヒヅルが言うと、有栖さん夫婦も驚く。
その話をきっかけに、有栖さん夫婦と会話が弾んだ。
有栖さん夫婦は、俺達と同じように、娘の
ちなみに柚葉さんは旧姓を『宇佐木』というそうで、ウチの息子の名前にも『兎』の字が入ってるから、『ウサギ』繋がりだね、なんて言いながらまた4人で笑った。
聞けば2人とも、15年前の隕石災害で心肺停止を経験したとか。
偶然ってすごいね。
良平さんは、公認心理師をしているらしくて、カウンセリングの難しさを常々感じているそうだ。
俺も妹の沙由が小学校教諭で、たまに仕事の愚痴を聞かされているから、共感とまではいかなくとも、理解はできた。
人の悩みを聞くってすごく難しい事だと思うし、患者一人一人に向き合って心のケアをするカウンセラーは、とても尊い仕事だと思う。
自分さえ良ければいいと考える人が多い中、人の悩みを自分の悩みのように受け止めている良平さんの事は、素直に尊敬している。
「平治さんは何をされてるんですか?」
「あーっと…ゲーム会社の経営を…」
「ゲーム会社…って、もしかして平治さん、『ヘッジゲームス』の社長さん!?」
「…一応」
「ウッソだろ…!?マジかよ…」
俺が言うと、良平さんがわかりやすく驚きを露わにする。
何か…ここまで驚かれると、少し恥ずかしいな。
「オレ、ガキの頃すごい田舎に住んでて、都会から来た友達が新しいゲーム機持ってるのが羨ましかったんです。将来は自分の子供と一緒にゲームがしたいなぁ、なんて漠然と考えてて…それでゲーム会社を立ち上げたんです」
「『それで』って…すごいなぁ。やっぱり、若くして成功してる人って、才能が違うんですかね」
「…オレがすごいわけじゃないですよ。熱意と才能に満ちた社員達が、日々努力しているおかげです。だけど、せっかく有望な人材がいいものを作っても、それを価値のあるものにするのって、思っていた以上にすごく難しくて…社員が本当に作りたいものを作って、それでお客様にも楽しんでもらえたらっていうのが理想なんですけど…現実問題、なかなかそう上手くはいかないんですよね」
俺は、良平さんに仕事の悩みを打ち明けた。
俺の会社に来てくれた社員は、皆熱意と才能に満ち溢れていて、より良いものを作る為に日々努力してる。
彼等の才能を最大限引き出す環境づくりや、経営方針の決定が、俺の仕事だ。
だけど、せっかく優秀な社員が集まっても、彼等自身が仕事を楽しめなければ、良いものを作れるはずがない。
せっかく社員が良いものを作っても、その価値が顧客に伝わらなかったら、それは無価値なものになってしまう。
皆が楽しめるものづくりを実現するのは、思っていたよりもずっと難しいものだ。
その話をウチのエンジニアにしたら、『舐めてんのか』って怒られた。
曰く、俺は社長のくせに優しすぎるんだとか。
会社の将来を考えるならもっと人を扱き使う事を覚えろ、とごもっともな事を言われた。
…おっと、いかんいかん。
つい愚痴になってしまった。
「って、ごめんなさい。仕事の愚痴になっちゃって…せっかくの休日なのに」
「いえ!貴重なお話を聞かせていただいて、ありがとうございます」
俺が苦笑いを浮かべながら謝ると、良平さんはピシッと背筋を伸ばしてお礼を言った。
そんなにかしこまらなくていいのに…
なんて思った、その時だった。
「あーーーーーーー!!!」
アリスの叫び声が、公園中に響き渡った。
アリスは、ぽかんと大口を開けて、一際高い木を見上げていた。
「どうしたの?」
「パパぁ、ママぁ!ボールが木に引っかかった〜!」
「どうやったらそんなとこに引っ掛かんの!?」
アリスが指を差した先には、ペコとのキャッチボール用のソフトボールが、木の枝に引っ掛かっていた。
ボールから地面までは、どう見ても俺の身長の5倍以上はある。
3歳児が普通にキャッチボールをしてたらまず引っ掛からないような高さにボールが引っ掛かってたものだから、思わずツッコミを入れた。
我が娘ながら、強肩…
「わぁ〜、もうボールが木に生る季節か」
木の枝に引っ掛かったボールを見上げながら、ヒヅルが呑気な事を口走っていた。
今そういう事言ってる場合じゃないだろ。
開いた口が塞がらない状況に戸惑っていると、アリスが木によじ登り始めた。
「取る!」
「アリスちゃん、危ないよ!」
「やだ!取る!」
『取る!』じゃねぇよ、気は確かか!?
アリス何やってんだお前!!
結ちゃんが止めるのも聞かずに、アリスが木を登っていくものだから、俺が慌てて止めた。
俺は、無理にでも木を登ろうとするアリスを引き剥がして、両腕で抱きかかえた。
「やめなさいアリス!落ちて怪我でもしたらどうするんだ!」
「じゃあパパ取ってきて!」
「無茶言うな!!」
アリスが自分でボールを取るのを諦めた代わりに俺に無茶振りをしてきたものだから、間髪入れずにツッコんだ。
アリスちゃん、アラフォーのオッサンに無茶な注文をするんじゃありません。
しかし、どうするかな…
産休明けたばかりのヒヅルに取らせるわけにはいかないし…
どうしようか考えていると、アリスは今度はヒヅルを頼った。
「ママぁ〜!」
「しょうがないなぁ。パパ、悪いけど家から物干し竿持ってきてくれない?」
結局俺に頼るんかい。
…まあでも、普通に考えりゃそうなるわな。
俺が物干し竿を取りに一旦家に帰ろうとした、その時だった。
「私、取ってきますよ」
そう言って柚葉さんは、ボールが引っ掛かった木に登り始めた。
一切無駄のない動きで木を登っていく彼女は、あっという間にボールを手に取って降りてきた。
俺は、何度も瞬きをしながら、隣にいる良平さんに話しかける。
「…彼女、何してる人でしたっけ」
「クライマーです」
「わぁ〜」
俺が思わず呆然としている隣では、ヒヅルが呑気そうに柚葉さんを見上げていた。
ボールを取った柚葉さんは、そのまま危なげなく着地して、アリスにボールを渡した。
「はい」
「ありがとうございます。さすが本職…」
「わざわざすみません…ほらアリス、ちゃんとお礼言いなさい」
「お姉ちゃんありがとう!パパよりかっこいい!」
「うぉいっ」
アリスが一言余計な事を言うもんだから、すかさず反応した。
その後も、俺達と有栖さん夫婦は、結ちゃんとアリスとペコが遊んでるのを見守りながら、4人で雑談をした。
その時に、連絡先を交換したりもした。
陽が傾いて空が赤くなってきた頃、俺は遊び疲れて眠っているアリスをおんぶして、ヒヅルと一緒に帰路についた。
俺とヒヅルは、帰り際に有栖さん夫婦に頭を下げて、改めてお礼を言った。
「今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ…」
「そうだ、有栖さん。また今度、どこか一緒に遊びに行きません?有栖さんは、どこか行きたい場所ありますか?」
「私はー…皆で山登りに行きたいです」
「げっ、また山かよ!?」
「いいですね!ウチも皆登山好きですよ。…あ、でもウヅキ連れて行けるかな」
「だったら、高尾山とかどうですか?ここから近いですし、赤ちゃん連れでも楽しめますよ」
「高尾山かぁ、いい所ですよね。家族で行くとなると…やっぱりさる園は行きたいですよね」
ヒヅルは、有栖さん夫婦と、山の話で盛り上がった。
すると結ちゃんが、キラキラと目を輝かせながら良平さんに話しかける。
「さる園行くの?あたし、おさるさん見に行きたい!」
「行き先は決まり…だな。来週の日曜とかどうですか?」
「ええ、その日なら大丈夫ですよ!」
俺達は有栖さん夫婦と、登山に行く約束をした。
隕石災害から15年。
あの災害で、大勢の人が死んだ。
その中には、俺の大学の友達もいた。
心の傷はすぐには癒えなかったけど、それでも生きた。
それはきっと、今日この日を笑って過ごす為だったんだ。
この先、生きていれば、つらい事や悲しい事は数え切れない程あると思う。
時に、間違う事があるかも知れない。
冷酷な一面が出る時が、あるかも知れない。
それでも、一生懸命生きていこう。
俺には、ヒヅルと、アリスと、ウヅキがいる。
俺は、ひとりぼっちじゃない。
俺は、ヒヅルと、アリスやウヅキと、一緒に笑う為に生きてる。
─── Hedgehog in Borderland RETRY・完