作者の嗜好ゴリゴリで参ります。
代書屋。
呪術界には珍しく、呪術を持たない家系が営む店。
しかし誰もが彼らを見下したり、無碍にはしない。
それは、過去の言葉ばどれだけ自分を救うのか、知っているから。
腐っているとよく評される、呪術界の重鎮さえ、彼らを無闇に取り壊そうとはしなかった。先代、先先代が世話になったからだ。
彼らの先祖は、誰かしら、この代書屋に救われている。それによって家が続いたという者もある。
だから、取り潰せない。
しかし、彼らの家は一般術師や、腕利の呪詛師や呪霊ですら辿り着けない。
場所は、わかっている。
奈良、郊外の林の中央。人の寄り付かぬ
しかし、わかっていても行けないのだ。マヨイガのように、
行けるのは、誰かを亡くした誰かだけ。
鬱蒼と茂る桜と、囲うように生える
きっと、その店は目の前に現れる。
不思議な不思議な、代書屋の話。
「ここが、『代書屋かしり』……」
白い髪に、目元に包帯を巻いた青年は、その
店名が端正な筆文字で彫られた看板は、その古めかしさや年季から数百年の重みを感じさせる。
決して大きくはない日本家屋。だというのに、その看板を背負っているだけの圧と重厚さが感じられた。
軒先には今が旬の山茶花や木瓜、磯菊が美しく咲いている。どれも手入れがされ、花屋の店先よりも華やかだった。
しかし、華やかだというのに、どこか寂しさを感じるのは、青年の気分からくる錯覚だろうか。花びらの一つも落ちていない地面を見て、青年はやけにつまらなそうな所だと鼻で息をした。
がらり、と扉を開ければ、濃密な香の匂いが漂ってくる。青年はこの煙を知っていた。白檀の香りだ。
それはよく見れば、玄関先の靴箱の上に置かれた香皿にある茶色い棒香から漂っていて、煙と共に青年を歓迎しているかのようだった。
「いらっしゃいませ。“かしり”へようこそ」
出迎えたのは、真っ黒な着物に身を包んだ中背の人だった。
まるで見計らったかのように、玄関で三つ指ついて礼をする。
声も背格好も中性的で、面布で隠された顔は見えず、男か女かわからない。黒の着物、黒の袴、黒の羽織、黒の面布。唯一長い髪を纏めているかんざしだけが、軒先の磯菊と同じ黄色がキラキラととんぼ玉の輝きを魅せていた。
恭しく下げた頭を戻すと、顔を五条にから見てすこし左に傾けた。おそらく笑っているのだろう。青年の包帯の奥に隠れた蒼い瞳が、彼が男だと見抜いていた。
「ここが、死者の言葉を書く代書屋?」
「いいえ、“死者”ではございません。我々は、依頼主の遺書を代書する一族。依頼主の結末がどうあれ、書いたものは生前の言葉でございます」
「ふぅん……」
生意気そうに、青年は吐息で返事をする。
それに気を悪くすることもなく、代書屋は青年を奥へ案内し始めた。
白檀の香りは、彼の服にも染み付いているのか、玄関を離れても青年の鼻にはあの甘く優しげな香りが、嗅ぐともなく入ってきていた。
廊下はぽつぽつと行灯が照らし、なにやら呪いが書かれた札や葉書が、あちこちの壁に貼ってある。
カラコロと木でできた鈴が窓に吊るされて、木琴のような音を奏でている。
穏やかだというのに、寂寥感や郷愁を誘う。そんな家だ。
青年は、実家を思い出したが、ここは実家よりも余程空気が澄んでいる。冬の透明な、針と冷水のような空気が、彼の喉に通ってくる。香の匂いと相まって、すりガラスのような空間だった。
「こちらでございます」
廊下の突き当たり、菊に盃の襖が開けられる。
そこには二人分の座布団と、座卓が置かれ、その座卓の上には小さな茶封筒が置かれていた。
それ以外には、何もない。
簡素で、寂しい。しかし、質素ではない。貧しくもない。そんな部屋だ。
青年は小さく喉を鳴らした。あの茶封筒には、彼が求めた手紙が入っているのだろう。
青年は、数日前に親友を殺した。
あまりにも呆気ない最後だった。最後まで呪いの言葉を告げられず、自らが手にかけた親友の死体は冷たかった。寒空、血の温度はすぐに空中に溶けてしまった。
あの時を思い出し、青年はそっと内頬を噛む。未だ、彼の心には親友が巣食っていた。
それを、解くためにここに来た。
代書屋は青年に座布団を勧め、彼の向かいに自分も座った。
代書屋の後ろに見える窓には、何故か季節外れの風鈴が飾られている。しまい忘れたのだろうか。
茶封筒を手に取ろうとすると、そっと代書屋がそれを遮った。
「この茶封筒には、呪いが込められています」
「……は?」
「言葉は、呪いとなる。呪いは、言葉のかたちをとる。貴方様もわかっていらっしゃるでしょう」
その言葉に、青年は言葉に詰まった。
青年は、言えなかった。呪えなかった側だ。最後まで、彼を親友だと疑わず、結果、悲劇は起きてしまった。
代書屋は、茶封筒をそっと手に取ると、その表面を撫でた。代書屋は、爪までも黒かった。
「ここに書かれているのは、貴方さまを一生呪うかもしれない。その呪いは、もう解けないかもしれない。人生を蝕み続ける、まさに『呪術』となりましょう」
茶封筒を閉じている
カサ、と封筒の音がやけに耳に張り付いた。開けたらもう、逃れられない。
いや、もうそれを手に取ってしまった時点で、その呪いからは離れられなくなる。
青年は、そう直感した。
「それでも……見ることを、望みますか?」
「……ああ」
「後悔は、なさりませんね?」
「……ああ」
最後の返事は、掠れていた。
了解した代書屋は、茶封筒を青年に渡す。
その茶封筒の重さは、思ったよりも軽くて、少しの落胆が青年に押しかかった。
それを飲み込んで封緘紙を破れば、中から白い半紙が出てくる。透き通るような透明さが所々に見える、綺麗な和紙だった。
筆で書かれた手紙は、勢いがありながらどこか繊細で、ひらがなは折れそうなほど細かった。それが最後の彼の不安定な精神を思わせるようで、すでに青年の目頭が熱くなる。
ぐっと我慢して読み始めれば、その涙腺は呆気ないほどに簡単に決壊した。
「悟へ」
その一言だけで、青年は泣いてしまったのだ。
「代書屋に無事来れたんだね。君は横暴な態度があるから、追い出されないか心配していたよ。
その捻くれているくせに正直なところ、何度も直せって言っただろう。
それはともかく、最後の言葉なんて最強には相応しくないかもしれない。けど、それが私には必要だった。だから代書屋の噂を辿って、頼ったんだ。
私は、もう自分を最強だとは思えなかった。悟だけが最強になり、私は置いて行かれていると思ったんだ。
それでも、頑張ったつもりだったのだけれど……どうやら、無理だったようだ。
君はまだ人に希望を持っているかい。非術師を守る気持ちを持っているかい。
どっちにしろ、私はもう持てなくなってしまったものだ。君が大切に持っていて欲しい。
なんであれ、君が人類の守護者であることは変わらないんだから。
これを読んだ君には、きっと私が最後に言えなかった言葉を贈るよ。
君が私に言ってくれる言葉と、同じだと良いのだけれど、ね」
「なにがっ……最強だよっ……! 俺は、お前がいなきゃ……」
泣きじゃくり、ぐしゃりと半紙を握る青年を、代書屋は黙って見つめていた。
言葉に呪われ、人に縛り付けられる姿というのは、何度見ても慣れるものではない。
包帯を外し、その美しい瞳を濡らし手紙を読む青年は、まるで迷子になった子供のように、フラフラと紙上で視線を彷徨わせていた。
「……! っ……!」
嗚咽を漏らし、肩を揺らし、青年は手紙を読み終えた。
手紙はすっかり涙で滲み、墨がぼやけてしまっている。それでも、青年の顔は満足そうだった。
「読み終わられましたか」
「……うん」
「それでは、手紙をこちらに」
代書屋が手を伸ばす。
しかし、青年は思わず、その手から手紙を遠ざけた。
ずっと持っていたかった。この手紙を、もう離したくなかった。
しかし、代書屋や穏やかな口調のまま、手をのばし続ける。
「読み終わった手紙は、焼くしきたりなのです」
「焼くって……いやだ。この手紙は俺がずっと持ってる」
「いいえ、これは貴方さまでも例外なく終えさせていただきます。これはどなたにも破れぬ、しきたりなのです」
「嫌だ!」
駄々っ子のように、青年は泣いて嫌がった。
あの時、吹っ切れたはずの感情は、あくまでも蓋をしていただけで。
それはこの手紙があっという間にぶち壊し、決壊さて、増水させていた。もう、抑えることはできなかった。
しかし、代書屋に炊き染められた白檀が、その感情を中和させ、落ち着かせてくる。
ふと、チリン、と風鈴が鳴った。
それはわがままを言う青年を嗜めているような、しょうがないと宥めているような優しい音色。季節外れの爽やかな音が、青年の脳に矢のように刺さった。
まるで、いつかの親友の声のように。
「…………わかった」
「感謝いたします」
すっと居住まいを正し、青年は茶封筒を代書屋に渡した。最後まで、手を離すのが少し惜しかったけれど、震えながらもそれを離した。
泣いたせいで体温が上がり、目元が痛い。涙腺が悲鳴を上げているようだ。グラグラと火山が噴火しているようにこめかみが痛んだ。
熱くなった指先は、茶封筒から離れるごとに冷えていく。目尻の痛みは、引いてくれないのに。
「では、庭に出ましょう」
また廊下に出て、裏口にある焚き上げ用の庭まで来た。
周りを珊瑚樹で囲われ、何度も手紙が焼かれた後が、黒い炭となっていて、よくわかる。
そこに陶器の器が置かれ、その中に茶封筒が入れられる。
代書屋は青く着色されたマッチを持ってきた。
「青い」
「特別な
代書屋が燐寸を擦れば、その青い先端に青い火が咲いた。
パチパチと音を立てて、青い炎が酸素を燃やす。
カラコロと木製の鈴が鳴っているのに合わせて、まるでちょっとした音楽のように、優しく青年の耳に染みついた。
封筒が、燃えていく。
青く、黒くなって燃えていく。
カラコロ、ぱちぱち、カラコロ、ぱちぱち。
まるで手紙が奏でる歌のように、燃え尽きながら炎は大きくなっていく。
しかし、限られた火種ではやがて萎んでいき、グスグスになった封筒の燃え滓を残すばかり。その燃え滓も、どこからか吹いてきた風に攫われてしまった。
「ああ……いっちゃった」
でも、それでどこか、心がスッキリしている。
冬の月、寒中に花咲く山茶花が、ゆれる。
フラフラと玄関口に案内され、「ありがとうございました」と頭を下げられる。
青年の目元はすっかり赤く腫れていた。包帯は、濡れてダメになってしまった。
それでも、口元は涼やかで、どこか晴れた笑みを浮かべている。
「……ありがとう、代書屋」
「いえいえ、本日はお疲れ様でした」
「また……頼むかもしれないな」
「その時は、お待ちしております」
自分も、何か残せるだろうか。
きっといつか、僕を超えてくれると信じたい仇の一粒種に。
「 」
磯菊を掬った風が、青年の頭を撫でた気がした。