代書屋『かしり』の遺書   作:月日は花客

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代書屋「かしり」弍

 

 呪術界は、術式を持たないと落ちこぼれだ。

 青年自身も、非術師は猿だと思っている。愚かな、人間以下の、塵だ。

 それでも、この代書屋の話を聞いた時。

 なぜか、心が叫ぶように痛んだ。

 

 呪術界にひっそりと佇む、不思議な代書屋。

 目的の無いものは辿り着けず、藪の中途方に暮れる。

 非術師の一族だと言うのに、平安の世から一度も取り潰されることなく、ただただ術師に寄り添っている。

 奈良のある林、その奥の奥、雑木林を抜けた先に、その店はある。

 

 誰に聞いたともわからない、不可思議な噂。それを頼りに、それだけの情報を手繰るように、黒髪の青年は代書屋にたどり着いた。

 軒先には茜の木瓜や、薄桃の山茶花、芥子色の磯菊が、活き活きと咲いている。どれも枯れかかった花などひとつもなく、出迎えるお嬢様のように楚々として美しい。

 視線を上に向ければ、(けやき)の看板に「代書屋 かしり」と控えめな筆文字で彫られている。艶のある看板は、しかし経年での変化や重みを感じられ、この代書屋の歴史を思わせる。

 林の中にあると言うのに、まるで都心の大屋敷を前にしたかのような緊張が、青年の背筋を伝った。

 

 滑りの良い扉を開ければ、ふんわりと香の煙が青年を招き入れる。どこか優しく、地味ながらも甘さを感じる香り。いつか任務で行ったお屋敷の木蓮が、こんな香りをしていたか。

 香立てにかけられた棒香が、灰を落としながら煙を発す。

 その様子が、何故だか映画のように引き伸ばされて感じる。

 昇っていく煙は、薄く光を反射し、銀がかった白で。青年は誰かを思い出す。

 

「いらっしゃいませ。“かしり”へようこそ」

 

 三つ指ついて出迎えたのは、全身真っ黒な、細身のひと。

 面布で顔を隠し、羽織で体格をわかりづらくされて、男か女なのかわからない。着物も髪も真っ黒で、上等そうな着物は光を吸収し影すら許さなかった。

 その中で後ろ髪をまとめたかんざしだけが、そのとんぼ玉の黄色さを目立たせている。柄は、ここからでは見えなかった。

 

「貴方が代書屋?」

「はい。ここは今、私ひとりでやらせていただいております」

 

 目の前の代書屋には呪力を感じない。非術師の家系というのは本当だったようだ。

 非術師は嫌いだ。弱く愚鈍で、人として劣っている。

 だというのに、青年が代書屋に横暴な態度を取れなかったのは、代書屋に纏わりつく「死」の気配が余りにも強かったからだろうか。

 カラコロ、とどこかの鈴が鳴った。

 

「ここではなんですから、どうぞこちらへ」

 

 案内されるがままに、古い日本家屋を歩く。

 もうずいぶん築年数だ経っているだろうに、床は軋む音もせず、隙間風も無い。

 十二月の寒空、雪は降っていないが外は刺すような冷気が満ちている。

 だというのに、この屋敷内は適温だ。どこか寒気がするのは、気温ではなく雰囲気が錯覚させるのだろう。

 カラコロ、カラコロと木製の鈴が鳴る。あちこちに配置されたこの鈴に、何か意味はあるのだろうか。

 しかし空気に飲まれそうな時、その鈴が現実へ引き戻してくれそうな、気がした。

 

 菊に盃、花札を思わせる襖を開けば、そこには座卓と、二枚の座布団。座卓にはお茶菓子と緑茶が、今届けられたかのように湯気を発している。

 本当に非術師なのだろうか。先ほどから、まるで魔法のようだ。

 勧められるがままに座布団に座る。目の前の菓子は練り切りで、襖にもある赤と黄が眩しい菊の形をしていた。

 

「どうぞ、お召し上がりください」

 

 一瞬、毒を警戒した。

 自分は今、呪詛師として悪名を轟かせる存在である。

 とっくに呪術師には犯罪者扱いされているし、それはこの代書屋でも変わりないと思っていた。しかし、出てきたのは歓迎の茶菓子。

 逡巡している青年に、代書屋は優しく声をかけた。

 

「毒など入っておりませんよ。代書屋は、呪術を知る方全てに開かれておりますので」

「…………」

 

 それは、呪詛師も歓迎すると言うことなのだろう。それは、呪術師への裏切りではないのか。

 しかし、代書屋から感じられるのはひたすらに平等な声で。

 そもそも自身が呪術師を裏切った身なのだから、偉そうなことは言えないのだ。

 青年は練り切りを一口、口に運ぶ。

 あんこの優しい甘さと、滑らかな舌触りが練り切りの製作者の練度を感じさせた。ちょうどよくくどく無い重さと、後味も心地いい薄めの甘味が、青年の好みによく合っていた。

 緑茶を飲めば、渋みと苦味がすっきりと喉を潤し、口内に残った味をほどよく流してくれる。

 ほっと落ち着く、そんな逸品だ。

 

「ここへは、どのような御用でしょう」

「……遺書を、書きに」

 

 少し落ち着けば、本題だ。青年はここへお茶を飲みにきたわけでは無い。

 青年はじわじわと己の死を悟っていた。

 成功率の低い作戦、親友の存在、自分に向けられた切先の数。

 ろくな死に方はしないだろうと、覚悟している。

 青年は、そのために遺書を書きにきたのだ。

 

「どなたに向けましょう」

「五条悟。私の……親友です」

 

 かつてのクラスメイト。最強となった彼を想像する。

 今、アイツは何をしているだろうか。自分が遺書を用意していることを知っているだろうか。

 その遺書を、読んでくれる情は残されているのか。

 

「承りました。では……貴方様のことを、少しお教え願えますか」

「はい」

 

 青年は語った。

 一般家庭から呪術師となり、二人のクラスメイトと共に過ごした青い春を。

 最強という言葉に囚われ始め、非術師が信頼できなくなったことを。

 双子の話を。

 自分が呪詛師として歩んでいく決意を。

 親友への未練を。

 

「長々と、すいません」

「いいえ。そのお気持ち、しっかりと代書させていただきます」

「お代は……」

「結構です。貴方様が私に語ってくださったその決意。それだけで十分でございます」

 

 代書屋は、そう言って礼をした。

 青年としては、代書屋の商売としての帳簿が気になったが、下世話という話だろう。

 代書屋は一度断ってから、部屋を出て行った。代書道具を取りに行くのだという。

 残りの菓子を食べながら、青年は代書屋を待った。

 

「お待たせいたしました」

 

 代書屋が持ってきたのは、紙と書道道具だ。

 薄い、支える手が透けて見えるほどに繊細な和紙と、墨と筆と硯。

 どれも上等そうで、墨なんて新品だ。

 これに自分の遺書が書かれることに、青年は新雪を踏み潰すような勿体無さを覚えた。

 

 しゃ、しゃ、と墨を擦る音がする。

 陸で溶かされた墨が、海に落ちていく。

 その間を、青年は目を瞑って楽しんだ。まるで自分がこの部屋と一体になったかのような、無心の空間だ。

 自然と力が抜け、外の音に耳が向く。

 カラコロ、カラコロ、と鈴の音がかすかに聞こえる。

 

「では、書かせていただきます」

 

 するりと筆を墨に浸け、代書屋は姿勢を正した。

 教科書のお手本のような姿勢で、その筆を紙におとす。その光景に、青年は「あ、」と呟きかけた。

 そうしてサラサラと、流れるように書かれていく文字。繊細で、美しく、どこか勢いの良い字だ。

 ゆっくりと、丁寧に書かれていく己の遺書。

 青年は、その光景に釘付けになった。

 

 数十分後、遺書は書き終わった。

 流麗な文字で書かれたそれは、確かに自分の言葉で。代書を経由したなんて考えられないほど、青年本人だった。

 乾かされ、折られて茶封筒に入れられる遺書。まるで親友の到着を待つように、そわそわとしているように思える。

 自分の死を早めるのとは違う、自分の本心を早く知ってもらいたいという気持ちからくる忙しなさだった。

 

「最後に、お聞かせください」

 

 代書屋の雰囲気が変わった。

 まるで諭すような、答えを待つ裁判官のような姿。

 青年の背筋に、冷や汗が垂れる。

 

「“かしり”は古語で『呪』と書きます。その通り、この遺書は御友人の呪いとなりましょう」

「はい」

 

 それはわかっていた。

 別れ方がなんであれ、自分の存在を強く思い出させてしまったら、親友にとってどうなるかを。

 親友の性格なんて、自分が一番知っている。だからこそ、酷なことをすると自分を責めたこともあった。

 

「貴方に、人を一生呪う覚悟はおありですか」

「……はい」

 

 だからこその、答えだった。

 

 それは親友への未練の現れであったり、いつか殺されることへの仕返しであったりしたのかもしれない。

 それでも、一生を懸けて脳裏に刻む、己の存在のなんと心地いいことか!

 

「……了解いたしました。この遺書は、厳重に保管させていただきます」

「お願いします。その時が来たら」

 

 お互いに深く礼をし、青年は代書屋を後にした。

 木瓜の花が風に揺れている。

 カラコロと、鈴の鳴る音はもう聞こえない。

 雑木林、影に溶けかけた黒い装束が、今だけは、葬式に向かう喪服にも思えた。

 

 もうすぐ、聖夜がくる。

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