ラン、トーク、レディ! ~あの子と仲良くなるためのたった一つの方法~   作:朝食付き

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2話 トーク

 朝練のない日、珍しくケンちゃんと登校中に会う。いつも遅刻ギリギリなので時間を間違えたかとドキッとした。でもそのあたりお構いなしだ。

 

「最近真面目に練習してるってな、コースケちゃん?」

 

 早速からかおうとケンちゃんがおれの肩に腕を回してくる。全く、ケンちゃんだって選手のはずなのに、この気楽さはどうしたものだろう。

 

「ケンちゃんは練習してるの? あんまり短距離の方って話を聞かないけど。」

「んー、俺たちは生まれつき速いからな。対して練習する必要がないんだよねぇ。チーターが練習なんてするかぁ?」

 

 するんじゃないかなぁ…。別に、チーターじゃないんだし。チーターだって狩りの練習に走るくらいはしてそうだけど。ともあれ初回の集会で走らないことに決まったらしい。羨ましい話である。

 

「で、なんか隣の女子と仲良くやってんだって? あの草食コースケがってミナトとおどろいてんだぜ。」

「おあいにく様、練習じゃ神崎先生のマンツーマンコーチで他のやつと話す余裕なんてないよ。残念でした。」

 

 そう、残念なのだ。

 

「あー、神崎ってめっちゃ暑苦しいもんな。かわいそ。」

 

 まあ意外に教え上手だし、話も面白い。熱血漢なのはそうだけど、そこまで暑苦しくはない。けどわざわざいうことでもないよね。

 練習前とか後にはサチや他の子とも話すようになったってことも。

  

「おっふたりさーん、朝からなんか悪巧みかよ?」

 

 後ろからミナトが現れ、おれたち二人にのしかかってくる。

 

「うわっ、飛びかかってくるなよ!」

「重ぇんだよ! さっさと退け!」

「なんの話してたの〜ん? あたし気になっちゃうわ~ん!」

 

 このお調子者は鬱陶しいおかま口調がマイブームらしい。変に流行ってサチにでも聞かれたらどうするのか。

 でもなんだか愉快でつい真似してしまう。そのまま変な口調で騒ぎながら教室へ向かうのだった。

 

 ***

 

「ね、ね、こうすけくんたちのクラスって、おかま言葉流行ってるの?」

 

 思わず水道の水にむせてしまう。ゴホゴホと顔真っ赤に咳をする羽目になる。どこだ、どこから漏れた?

 サチは突然むせたおれに目を丸くしているけど、好奇心いっぱいという顔はそのままだ。

 

「今日の朝、こうすけくんたち、おかしな話方してたでしょう?ちょっと聞こえてきちゃったんだけど、笑っちゃった。ね、朝みたいに話してみて?」

「そ、そんなの聞いてるなよぉ〜。あれはあの時ミナトがいきなり言ってきたからノリなんだって。待ってても離さないから!ああもう!練習行くし!」

 

 聞かれてたなんて聞いてない!サチは見た目は細身の綺麗な子だけど、こういう変な話だとか、面白いと思えるようなことに対して興味津々だ。

 はっきり言うと、変なところが多い。ランドセルにつけてるのはカレーの食玩とか将棋のコマとか変なキーホルダーばかりだし、毎週笑点だけは必ず観てるし録画もしているらしい。いや、たまにテレビで見てると笑点もすごい面白いけどさ。

 

 だがノリでふざけ合うならともかく、サチの前でまでそんなカッコ悪い話し方はしたくない。すでに先生が体操しているのをいいことに、さっさと練習に入ることにする。流石にずっとこの話題が続くことはない、はずだ。

 

***

  

 サチの期待に満ちた視線から逃れ続けてたどり着いたのは熱血指導だった。

 

「いいかい、マラソンっていうのはね、どれだけ自信を持ってペースを保てるかってのが大事なんだ。」

 

 そんな言葉で始まった神崎先生の長距離コーチをおとなしく聞いている。

 

「これは持論だけど、マラソンの距離は42.195㎞。ここからだと隣の県まで行けちゃうね。そんなとてつもない距離をどう走っていくか。もちろんゆっくりのんびり走るなら止まらなければいいだけだから簡単だね。でも、これから長距離選手としてやっていくなら、限界を見据えて走る必要があるね。」

 

 ないと思う…。おれは選手になったけどやりたかったというわけではないし、競技会さえ終わればあとはゆっくり地に足をつけて歩く生活に戻るのだ。

 

「体調や気温、風向きにライバルたち。それらすべてがパフォーマンスに影響してくる。どれだけ自分の力を出し切れるか、そのためにはありとあらゆる環境で自分を保てるようにtrainingする必要があるんだ。例えば、レース中にライバルと横並びになったとする。そんな時コースケはどうしたいと思う?」

「え、たぶんずっと横で走られるのは嫌だから速度上げて引き離すと思う。」

 

 それができる相手ならばだけど。なんとなくケンちゃんをイメージしてみるが、引き離される気しかしない。

 

「そうだね。たぶんそれが普通だ。負けるかって意識すると力も入って、一気に追い越してやろうって気になるよね。でもそれはダメなパターンだ。」

 

 神崎先生はその場でバタバタと走るポーズをとる。右足と左足を交互に、だんだん目が追い付かなくなるような速度でだ。20秒ぐらいそれを続けた後、息を荒くして先生が続きを話す。

 

「こ、こんな、こんな風に…一気に加速とか、ペースをね……、はあ、変えると、その分が反動で返ってくるよね……。ちょっとタイムね。」

 

 両手を膝に付けて深呼吸をしている。あれだけ一気に動けばそうもなるだろうなって思う。一気に重いものを持ったりしても同じように後が続かなくなるもんな。

 

「……ふう、落ち着いた。ともあれ、今見せたように、一気にスピードをあげたり無理に引き離そうとすれば、待っているのはその反動だ。普段なら休めば回復するけど、レース中じゃそうはいかない。もちろんペースに波はあっていい。けど、それは計算されたものじゃなきゃ後々引きずることになる。だって、体力は有限だからね。」

 

 確かに言ってることは納得できるけど、スケールが大きすぎる。だってマラソンを走るわけじゃない。

 

「たった3 kmだって? コースケ、顔に書いてあるぞ。確かに短いけど、今のコースケからすれば十分長い距離だろ?」

 

 確かに。でもそんなに顔に出ているとは。とりあえず顔をさすってみる。

 

「ま、理想はゴールでぴったり力を出し切ることだよね。」

「余裕を持ってじゃなくてですか?」

「あってもいいさ。普段の練習ならそこまで追い切るのは怪我の元だし、きっちり練習メニュー組んでるならそうなる。でもね、レース、というか本番では身に着けたもの全てを使い切るっていう経験をしてほしいと思うんだ。もちろん怪我しないようにだよ?」

 

 まあ全力出したら怪我しましたなんて、ロボアニメの限界突破とかそういう話だよな。全力で走って怪我したことなんてないし、たぶんできると思うけど。

 

「まあ、マラソンについてはね、ウサギとカメみたいなものでね。ウサギのように油断せず……ちょっと違うか。カメよりも速く、ウサギほど無理をしない、これでどうかな?」

 

 どうか、なんて言われても困る。第一ウサギは油断して昼寝したのであって無理したわけじゃない。カメより遅く走るのも無理だ。

 さっきよりもわかりやすく表情に出てたはず。だから先生はゴホンと大きく咳ばらいをしてごまかしている。

 

「ともかく、コースケはまだ3000mだけどね、それでも一気に走り切るには長い距離だ。一瞬だけ速くても意味はないってこと。それよりも、ずっと速い選手を目指す方がいいね。どんな時でも自分を見失わず、自分の力を発揮する。それを楽しめたらもう最高。そういう選手がね、一番強いんだから。」

 

***

 

 強い。強い選手か。うん、なんかいいかもしれない。速い選手っていうよりもいい感じに聞こえる。おれも練習続けてたらそんなふうに言われたりするのかな?

 

「うんうん、きっと言われるようになると思うよ! こうすけ君練習にも真面目に参加しているし、飲み込みも早いから。」

 

 横からいきなりサチが声をかけてくるものだからびっくりして植木に突っ込んでしまった。

 

「え、大丈夫? ごめんね、そんなに驚くとは思わなくって…。」

「うわ、いや、大丈夫。ちょっと葉っぱが口に入ったくらいだから。でも驚かさないでよ、びっくりしたぁ。」

「一応言っておくけど、何度か声はかけてたからね。でも一人でぶつぶつ言ってるんだもん。」

「ぶつぶつって……、おれ、声に出してた?」

「バッチリ聞こえてたよ?」

 

 恥ずかしすぎる!思わず頭を抱えてしまう。

 

「一応ね、わたしはこうすけ君が車にぶつからないか、ちゃんと見てあげてたんだからね。おかげで無事に帰れてるんだから、感謝してもいいんだよ?」

 

 特に世話になった覚えはないけど、おかげで安全だったのかもしれない。第一ばっちり恥ずかしい独り言を聞かれてしまったのだ。弱みどころか心臓を握られたようなものだ。

 

「はい…すごい感謝してマス。感謝すごいデス。」

「もー、ちゃかしてぇ! そんな悪いやつはこうだ!」

 

 サチの手が、おれのお腹や脇腹をくすぐってくる。だがおれは割とくすぐりには強い方だ。首の後ろさえガードすればそんな攻撃は効かないのだ!

 

「あははは、止めてぇ…!」

 

 即首の後ろをくすぐられて、息が続かなくなるほどくすぐられてしまった。ケンちゃんでもここまでしないぞ。これほど容赦ないとは、恐るべし。

 ぜいぜいと呼吸を荒くしているおれにちょっと申し訳なさそうにサチがごめんごめんと謝ってくる。でも半笑いだ。

 

「まさかこんなに首の後ろが弱いとは思わなかったから、ごめんね。でも、ふふ、こうすけ君はポニーテールとか絶対できないね。」

 

 自慢げに首を振ってきれいにまとめられた髪を見せつけてくる。柔らかそうな布(シュシュとか言うらしい)でまとめられた黒髪が、ゆるりと曲線を描いて首元まで伸びている。ちょっとだけ日焼けしたその肌に黒髪が触れている。確かに、おれがあんな風に髪を伸ばしたら自分の髪で呼吸困難になってしまうだろう。

 

 まぁ、そんなふうにおれとサチは順調に仲良くなっていったってこと。

 

***

 

 神崎先生の指導は結構わかりやすい。初心者のおれにすごくかみ砕いてくれてるんだと思う。

 

「腕を振る時は、ぶんぶん振り回すっていうよりは引くっていう意識が近いかな。ほら、全身は筋肉と骨と筋で繋がっているでしょ? だから、一か所の動きが全身の動きに影響するんだ。試しに腕を引いてみて。そう。そのままストップ。今右腕が引かれたことで、体の他の部分にも何か動きが起きてるはずだ。どこかわかる?」

 

 腕を引いたまま、体を見て見る。なんとなく、腕を振った勢いで腰が動いた気がする。

 

「腰…がちょっと前にでたかな?」

「そう! 正解! いい気づきだ! その通りで、腕はね、腰の動きに効いてくるんだ。基本的に足の速さは一歩の大きさと、その繰り返しで決まってくる。いわゆるストライドとピッチってやつだね。」

 

 その場で腕を振るおれと先生。腕だけから、少しずつ動きを増やして、全身を動かしていく。

 

「腕を動かすと腰が動く。すると腰の先にある足も一緒に動くことになるよね? すると、足だけで一歩踏み出すより、腰から動かす方が一歩が大きくなるんだ。勢いも付けられる。つまり速度が上がるってことだね。ピッチについても、腕の動きが腰を通して足に伝わるんだから、腕のをリズムよく動かせばピッチのコントロールもできるってことになるね。試してみよう。

 

トラックを二人並んで走る。腕を振る速度を変えながら、脚の動きとの関連を体で試す。

 

「こうやって、足だけで全部やろうとすると、限界はあるんだけど、全身を使って、やるとね、負担は分散できるし、全身の力を使えるから、動き自体もね、大きくとれるってわけ。」

 

 走りながら説明をしてくれる先生の息はなかなか苦しそうだ。 

 でもなるほど。確かに全身を大きく使うと、足だけで走るよりも簡単に速度が出てくれる。その分呼吸が荒くなるけど、それは慣れるまでの辛抱かな。

 

 一度トラックをでて、ちょっとタイムと飲み物を取りに行った先生を待つ。ここから見るみんなの姿を見てみると、確かに腕を大きく動かしていて、その分腰も回っているように見える。

 特に、サチの走っている姿はゆったりとしているのにおれよりずっと速いのはどうしてかと思っていたけど、こういう動きの違いが効いているのかもしれない。

 

「うん、たぶん考えている通りだよ。」

 

 なんでわかるんだろう? 最近ますます考えを読まれるようになっている気がする。

 

「コースケは顔に出るからねぇ。ともあれ、あの大きな動きがとりあえずの目標になるんだけど、その前に絶対に必要なことがあるよ。」

 

 なんだか必要になるものが多すぎる気がする。読まれるのなら読みやすくしてみよう。今の考えをなるべく顔に出してみる。

 

「お、変顔の練習? いやいや安心していいよ。練習っていうよりは、準備体操だから。ストレッチ。練習前にいつもやってるやつをもう少ししっかりやるってこと。…今はまだ分からないかもしれないけど、怪我を防ぐためには絶対に必要だし、みんなみたいに大きい動きをするなら関節の柔軟性は不可欠だよ。と、いうことでまずはやってみようか。」

 

 実際のところ、おれの体はずいぶん固い。だから校庭に響き渡る悲鳴は仕方ないことだった。ということにしてほしい。

 

 ***

 

「ね、ね、こうすけ君、見て見て。」

 

 そう言って取り出したスマートフォン。放課後の練習時間とはいえ、学校にスマホを持ってきていることにびっくりする。

 

「スマホ持ってるんだ!? いいなぁ。おれも欲しいんだけど、母さんはまだおれには早いって言って買ってくれないんだよね。」

「ふふ、いいでしょ。じゃなくて、中身を見なさい中身を。」

 

 画面に映るのは初めに山道。歩道に鈴なりに並んで声を上げている人たち。旗を持ってたり、腕を振ったりしている。そしてその歓声が向けられているのは、道路の中心を大きなフォームで走っていく選手たち。

 

「これって、マラソンのレース?」

「ちょっと違って、これ箱根駅伝の動画。普通のマラソンだとこんなに山道走ることはないみたい。」

「ああ、これが箱根か。そういえば神崎先生も時々箱根と言っていたね。」

「そうそう。よかった。全然知らないって言われたらどうしようかと思っちゃった。そう、こないだけんやくんがいきなり覗き込んできてね、何見てんだなんていうから、箱根ですけどって言ったら、なんだそれハコフグの仲間か?なんていうんだもん。もう呆れちゃったよね。」

 

 あははと笑うサチ。だが、どうにもこうすけとしては笑いきれない。こうすけが知らない内にケンちゃんとそんなに仲良くなってたのかなって。そんなこうすけには気が付かず、サチが話を続ける。

 

「じゃなくて、ほら、この選手! ちょっとこうすけくんの走り方に似てない?」

 

 映るのはおれよりも年上で、細身だけどしっかり鍛えられた選手。大きく腕を振って、走るというより滑るようなスムーズな動きで山道を駆け抜けている。

 

「全然違わない?」

 

 おれとは何一つも一致していることはない気がする。第一、おれは最近ようやくフォームがこなれてきたねと先生に言われた程度のレベルだ。映像に映るこの人とは比べるレベルに差がありすぎる。アリとキリギリス、じゃなくてアリとゾウくらい違う。

 

 道の両側からはこの選手に向けてずっと声がかけられ続けている。誰もがその人を見ていて、先導する白バイですら、その人のためにいるようだ。今は動画越しにおれとサチが含まれる。

 こんなにも大きな舞台で、全力で走ることのできるような人と自分が似てるなんて、とても思えない。

 

「背筋がまっすぐ伸びてるところとか、腕の引き方とか、特に空中での姿勢の良さが似てる!」

「いや、こんなふうに走れてないし、似てないと思うなぁ。」

「もう!ほらこことここ! そっくりでしょ! …あれかなー? もうわたしの方がこうすけくんのフォームについては詳しいかもしれないなぁ。」

「いや、そんなことはないでしょ。おれの方がおれの走り方知ってるし!」

 

 そんなじゃれあいをするものの、その動画に出ていた選手名だけは忘れないように覚えておく。家に帰ってから改めて見返してみたい。おれの走り方は神崎先生とサチが作ったと言っても過言ではないので、実際サチの方がわかってる可能性があるのだ。それに、映像越しでもあんなふうに走りたいと思うような、かっこいい姿だったのだ。 

 

 ***

 

 選抜選手に選ばれてから結構経った。だんだんと長い距離を走るのに慣れてきた気がする。

 先生ももう少ししたらみんなと合流だなと言ってくれる。そう言われると成長したって実感が湧いて来てなんだかドキドキする。

 

「そういえばさ、こうすけ君って結構バランス感覚いいよね。」

 

 サチが突然話を振ってくるのにもだんだん慣れてきた。

 

「おれが? 別にそんなことないと思うけど、なんで?」

「ほら、先生にフォーム診てもらってる時とか、片足のままずっと立ってたりするでしょ? そうそう、かけだした瞬間のポーズしてとか無茶言われた時のポーズ!」

 

 神崎先生はフォームが大事というモットーの元、おれたちの走り方を直してくれるんだけど、時々熱中し過ぎて無茶を言う。

 空中で体がどうなってるかって、その瞬間のポーズしてとか言ってくる。足がついてないのをどう再現すればいいのかって、おれたちが悩むとそういえばとか言い出すのだ。

 

 ちなみにその時はみんなに持ってもらってそのポーズをした。くすぐったかったし、サチまで面白がっておれを持ち上げる方に回ったから恥ずかしいやらで大変だった。

 まあそんな無茶が時々言われると、片足で立ち続けることがあったりして、そのことをサチは言っているようだ。

 

「あー、うちでバランスボール使ってるからかなぁ。母さんが面白そうって買ってきて、すぐ飽きたやつがおれの部屋にあるんだ。」

「え! バランスボールあるの?! いいなぁ〜!わたしも買って欲しかったんだけど、すぐに飽きるからダメってママに言われちゃってさぁ。買って貰えばちゃんと使うのに。」

 

 多分、飽きる。サチが結構移り気なのはそろそろおれもわかってきている。近くでウォームアップしている6年生女子と目が合う。そして首を振っている。多分同じようなこと考えているんだろうな。

 

「あ! そうだ! ね、こうすけくんのバランスボール見せてくれない? そうしたら飽きるかどうかちゃんと判断できると思うから!」

 

 ……え、うちに来るってこと??

 

 ***

 

 まさかおれの部屋に女子を呼ぶことになるとは。未だかつてない事態に戸惑いっぱなしである。なんとか断れないかと言葉を探していたら、なぜか6年女子がいいじゃんいいじゃんとなぜか後押しに入ってきた。裏切り者! そんなこと言えるわけもなく、断る術も理由も思いつかずにとうとう家の前まで来てしまった。

 

「マジで来るのぉ…?」

「こらこら、そのために来たんでしょう ? 観念しなさい。」

 

 フンス、と煮えきらないおれの態度を嗜めてくる。最近サチは妙におれに対して強気になってきた気がする。確かに身長はおれより高いし、足も速いしスタミナもある。なんか弟みたいな扱われ方をしているような気がしないでもない。

 ドアを開けてただいまと声をかける。どうか母さんも父さんもいませんように……! いつものケンちゃんやミナトを呼ぶのとは違って妙な恥ずかしさがあるのだ。

 だが現実は無常だ。

 

「あら、今日は早かったわね。今日はあんたの好きなとんかつよ。って、おともだち?」

 

 なんでいるんだよぅ! おれが何かいう前にサチが一歩前に出る。

 

「初めまして! 向井幸と言います。今日はこうすけくんに見せてもらいたいものがあったので遊びに来ました。」

「あらあらご丁寧にありがとうねぇ。幸助の母です。頼りない子だけど、仲良くしてくれてありがとうね!」

 

 なんだこれ、地獄か?

 

「ああもう! 挨拶はそこまででいいから、早く入って。廊下の奥がおれの部屋だから! ほら早く! 母さんはあっち行ってて! なんかの途中なんでしょ!?」

「やあねぇこの子ったら。後で飲み物持ってくからね。じゃあ幸ちゃん、ごゆっくりね。」

 

 はい、などと快活に返事なんてしなくていいからさっさとこの場を離れたい。自分家でこんな恥ずかしい思いをすることになるとは思ったことないよ!

 

 ***

 

「あ、これがこうすけくんのバランスボールかぁ。結構大き目なんだ?」

 

 ようやく部屋に入ってくれたサチだが、おれはすでに疲労コンバイである(まだ習ってないけど多分あってる)。

 

「それ、初めのうちはすぐ転けるから、まずは壁際で乗るところから始めるといいよ。」

 

 そう言ってからとりあえず椅子に座る。入学の時に買ってもらった勉強机だが、デカデカと恐竜が描かれている。今更ながらに女の子を入れて良かったんだろうかと疑問符すら湧いてしまう。

 

 おっと、えっとなどと変な掛け声でサチがバランスボールを楽しんでいる。コツを掴んだようで、すでに部屋の真ん中で膝たちみたいな姿勢でボールの上をフラフラしている。

 見た目はともかく、あれは結構大変なんだ。ケンちゃんなんか転がりまくるから怒って蹴飛ばしていたくらい。体幹がしっかりしているとこういうのも上手くなりやすいらしい。先生の受け売りだけど、とサチが言っていた。

 

 それにしても、ボールに食い込んでいるむき出しの膝が、なんとなくいつもより眩しい気がして目を逸らし続けている。何見てるの? なんて言われたら爆発してしまう。

 あまりにも見るべき視線に迷うので、とりあえず最近買って貰ったばかりの走り方の本を眺めることにする。写真が多くておれでもわかりやすい。自然、サチの掛け声だけが部屋に響く。

 

 しばらくしてコンコンと扉が叩かれた。振り向くとドアが静かに開けられていて、母さんが覗いている。思わず動きを止めたサチがボールからきゃあと転がり落ちる。

 

「あら、ごめんなさいね。これ、おやつでもと思ったんだけど、邪魔しちゃったかな?」

「いえ! ありがとうございます! こうすけくんのバランス感覚見習おうかと思って借りてたんだけど難しいですね…!」

「あー、それねぇ。私がダイエット用に買ったんだけど、難しくてすぐやめちゃったのよね。で、ずっと幸助のおもちゃってわけ。休みで暇な時なんて、ずっとそれに乗ってたりするのよ。変な子でしょ? 昔ねぇ、一回穴開いちゃって壊れたんだけど、泣きながらこれ直してなんてお父さんに言っててね。」

「いいから! もうそういうのいいから、さっさと出てって! おやつとジュースはありがとうね! じゃあほらもういいでしょ!」

 

 なんとか話を続けようと踏ん張る母さんをずりずりと外に押し出す。どうやっても居座る気?! なんて酷い根性だ。でもこれ以上恥を話されるわけにはいかない。全力で押し出して、ようやく一息つく。

 

「全部! 嘘だから! そういうのはなかった。ほら、ボールなんていいからケーキ食べて食べて!」

 

 サチはおれの話も聞かないでバランスボールをコロコロと転がして全面を確かめている。そして補修跡を見事に見つけて見せる。

 

「ふふ、しっかり直ってるね。」

「……父さんはそういうの上手いからね。」

「もう、すねないでってば。いきなり可愛い話が出てきたら気になっちゃうでしょ?」

「カッコ悪い話の間違いでしょ。はぁ〜、とりあえず食べよ。ボールは終わってからね。」

「はいっ!」

 

 返事の良さに呆れながらケーキを二人で食べる。ショートケーキが二つ。用意してたはずはないから、わざわざ買ってきたのかもしれない。我が母ながらそこまでするかと呆れてしまう。

 

「ね、さっき何読んでたの?」

「ん、これ。マラソンの走り方ってやつ。」

 

 陸上選手に選ばれたと家で話したら、早速父さんが買ってきたものだ。箱根はいいよなぁとか言ってたけど、多分マラソンと駅伝の区別がついてない。

 

「ちゃんと真面目に勉強していて感心感心! …長距離の方の選抜はみんなクラブの子だったし、後から入ってきたら大変かもって思ってたんだよね。だからこうすけ君がしっかり走れるようになってきて、みんなで喜んでるんだよ?」

 

 改めてそんなこと言われるとなんだか気恥ずかしい。

 

「神崎先生のマンツーマン指導のおかげだよ。」

「それと?」

 

 それと? 他に何かあっただろうか。思わず首を捻ると、サチが突然おかしな動きを始める。指を立てて、自分に向ける。手のひらで自分の胸を叩いて、胸を張る。

 

「あー、うん。サチのおかげでもあるね。」

「んふー! でしょう? ふふ、わたしの細やかなサポートでみんなとも早く仲良くなれたもんね? もっと感謝してもいいんだよ?」

「すごいすごいさちにすごい感謝のこころが出てきたー。」

「もう! 棒読みになってる! もっと感情こめて!」

 

 からかってやろうとわざとらしくしたら、サチがのってくれる。横っ腹を突かれたり、服を引かれたり。

 並んで本を読みながら、なんとも楽しいおやつどきだ。

 

***

 

 ぽんぽんと弾むような会話が続く中、ぎいとドアの軋む音。また母さんか? 振り向くと、目を輝かせたミナトと仏頂面のケンちゃん。

 

「おーっと、気づかれてしまいましたねぇ! いやいや、どうぞどうぞ! 好きなだけ、いちゃつかれてください!」

「いつから…じゃない、ミナトっ!」

 

 あまりの言いように思わず声を上げてしまう。反応が怖くてサチの方を向けない。

 

「お前、楽しそうなのはいいんだけどさ、真面目に練習してんのかよ?」

「してるに決まってるだろ! っていうか二人ともいきなりきてどうしたんだよっ?」

「お前と最近遊んでなかったから、遊んでやろうと思って…来たんだけど、俺たちお邪魔だったみたいだな。」

「いやはや、草食系こうすけが女の子とこんなに仲良くなってるとはねぇ。俺たちは男子の友情ってことで対戦でもしてようぜ。こうすけちゃん、変なことしちゃダメよ?」

 

 気持ち悪い声色でとんでもない爆弾発言を残していく。

 するかッ!! と反論する言葉の前にドアが閉まり、廊下を駆けて行く音。

 お邪魔しました〜!! と大声でしっかり挨拶する声まで聞こえる。 

 なんでこんなタイミングで来るのか。あんなふうに揶揄われたら、気まずくて仕方ないじゃないか。頭を抱えていると、妙に嬉しげな声。

 

「ふふ、こうすけくん、あの二人と仲良いんだね。」

 

 どういう意味だろう?そりゃ仲はいいけど、気が置けなすぎて今みたいに困るくらいだ。

 

「ごめん、あの二人悪ふざけが好きでさ…。」

「気にしなくってもいいよ。それにしても、草食系なんだ?」

「あれはね、おれがサラダとか好きなのをからかって言ってるの。別に草食系ってわけじゃ…。」

「…ないの?」

 

 あるかも。今更ながらにドギマギしてしまうせいで会話もギクシャクしてしまう。なのに全然気にした様子のないサチ。これが人間性の違いってやつか。密かに衝撃を受けつつも、さっきまでの話の続きを始めるサチを見つめる。

 

「え、どうしたの?」

「いやさ、あんなふうにからかわれても受け流してて大人だなって思って。おれもサチみたいに大人の対応とかできればなぁ。」

「……こうすけ君の友達で、冗談ってわかってるから気にしてないだけだよ。でももし、本気で言われてたら──ね、どう反応して欲しかった?」

 

 思わず突っ伏する。そんなの知らないし困るに決まってる。

 

「ウソウソ! ほら話の続きしよ? それで、箱根の選手との違いはね。」

 

 それからしばらく、ひたすら箱根駅伝について聞かされるのだった。

 

 ──おれはどんなふうに反応して欲しかったんだろう?

 

 ***

 

 帰り際に、家の外まで見送りをする。本当は送っていきたいくらいだったけど、まだ日が沈むほどではなかったし、大丈夫と言われたらなかなか無理にとは言えない。

 

 楽しかった時間の分、去り際は寂しさがある。それでもサチは妙に楽しげだ。さすがクラスの人気者。あまりこういう感覚はないのかもしれない。こっちは目立たない地味人間だものなぁ。そんなことを考えていたら、急にサチが顔を近づけてくる。びっくりして固まると、耳元でそっとくすぐるように楽しそうな声。

 

「初めてちゃんと名前呼んでくれたよね?」

 

 ぎくしゃくと固まって身動き一つ取れないままのおれから離れると、じゃあ今日は帰るねっていう。コクコクとうなづくだけのおれに満足げだ。

 家3軒分くらいまで離れたところで、サチが振り返る。

 

「嬉しかったよー!! またねぇ!!」

 

 そのあとはすぐに角を曲がってしまったので、サチの顔を見ることすらできなかった。固まり続けたおれはと言えば、父さんが帰ってくるまで家の門に手をかけ続けていたのだった。

 

 ***

 

 今日の授業が終わって、校庭に出る。練習はない日だけど、なんとなく走ってみようかなと思っている。この間散々聞かされた箱根駅伝の話に洗脳されてしまって、箱根の動画を見たのだ。どの選手もすごくダイナミックに体を動かしていて、それなのにゆったりと、でもすごい速い。特に、サチが似てると言ってくれた選手の姿を何度も繰り返している。

 実況の人が言っていたけれど、速いだけではなくて強いのだ。長い距離を普通では出せないようなスピードで駆け抜けていく。確かに、速いっていうより強いの方が当てはまる気がする。

 

 トラックの上で準備体操を始めていると、隣に誰かが立つ。体を伸ばしながら誰かと見れば、ケンちゃんだ。ミナトもいつものように面白いことが始まるぞという顔で並んでいる。

 

「あれ、どうしたの? 今日は短距離での練習あったっけ?」

 

 ケンちゃんは100m走の選手だから、もしかしたらここを使うのかと思った。けれど違う答えが返ってくる。

 

「お前さー、結構弛んでるんじゃないかって思ってさ、今からでもおれが変わったほうがいいかもなって。おれの方が速いしそっちの方がいいんじゃねって。」

 

 いきなり何を言い出すのか。あれだけ長距離に選ばれたおれのことを馬鹿にしていたというのに。意味のわからない心変わりに困惑していると、ミナトがニヤニヤと続きをいう。

 

「こないださ、向井とコースケいい感じだったじゃん? だからケンちゃんたら、気になって気になって仕方なくなったのよん。あら、これって三角関係じゃないの?!」

「ミナトは黙ってろよ! 大体そんなんじゃねぇよ! 色ボケしてるやつが気に入らねぇだけだって!」

「あらあら、そんなこと言ってさ、図書館まで向井追いかけて行ったのはだぁれかなぁ?」

 

 ばッ、いうんじゃねぇと突如ミナトを羽交締めするケンちゃんだが、伊達にクラス1のスピーカー、秘密を相談してはいけない男No.1は違う。

 

「普段図書館なんて寄り付かないくせに、外から向井いるなって見えたらさ、スマホ開いてるところに後ろから寄ってってさ、それ、なんの動画?? とかいきなり聞いちゃうんだよね。マナーがなってないよなぁ。しかも箱根駅伝だって言われて、な~んにも知らんもんだから、ハコフグの仲間か? なんて言って呆れられてたしぃ!」

「あーもううるさい! いいからコースケ、そこ並べや! 一周勝負な。ミナトは号令かけろ! ほら早く!」

 

 どこかで聞いた話だ。顔を赤くしているケンちゃんからするとミナトの話は事実だろう。なんだ、一緒に遊んでいたってわけじゃなかったのか。

 心に引っかかっていたものが取れてなんだかホッとする。ほっとしたついでにのこのことラインに並んでしまったが、よく考えるまでもなく1周勝負じゃ短すぎる。短距離じゃないか!

 

「用意、ドン!」

 

 文句をつける前にスタートが切られる。スタートダッシュを決めるケンちゃんに追いつけない。どんどん離される。結局結構な距離を離されてのゴールになってしまった。

 いきなりの勝負に息を荒げるおれと、同じくらい激しく息をしているケンちゃん。

 

「ほら、俺の方が速い。やっぱ俺が選手変わった方がいいじゃんな。」

 

 ただ、それは譲れない。

 

「……ケンちゃんじゃ、無理だよ。今更変わろうったって。」

「は? 今の勝負で話はついたろ?」

「つくわけないじゃん。おれは3000m走るんだよ。今の一周はせいぜい200mじゃん。何にも勝負になってないよ。正直ダサいよ。こんなセコいマネしてさ。」

「お前、自分で何言ってるか分かってんのか?」

「おーっと! コースケとケンちゃんが喧嘩を始めました! これは珍しい!! これはビッグニュースです!」

 

 真面目な状況でもミナトは変わらない。ひたすら面白がる方向に話を持って行きたがるのだ。

 

「いやー、でも確かにコースケの言う通り1周じゃ長距離どころか中距離でもないな! じゃあさ、3000mやってみりゃいいじゃん! おーさすがオレ! ナイスアイデア!」

 

 だから時々助かる。

 二人とも自分の方が速いって思ってる。なら、実際の距離で試してみればいい。ちょうど、体も温まった。おれが、今までケンちゃんと競争して勝てたことなんて一つもなかったけど、この立場だけは譲れない。

 

 神崎先生に教えてもらって、長く走れるようになってきた。同じ距離を走る6年生や4年生とも抜きつ抜かれつ楽しく走れるようになってきたのだ。

 ここにいたいと思った。だから、勝てるかはわからないけど、勝つ。自分の居場所を、楽しみを勝ち取ってみせる。グッと口を引き結び、目に力を込めて胸を張る。

 

「おれは、勝負してもいいよ。おれが勝つもの。」

 

 囃し立てるミナトが相変わらず鬱陶しい。ケンちゃんはおれを見ている。何も言わず、ただ二人で正面から睨み合う。

 

「……ふん、お前が色ボケて緩くなってるから試してやっただけだし。そんなにマジになってんじゃねぇよ。馬鹿馬鹿しい。無駄に走ってられっかよ。これだからマジメくんは困るんだよなー!」

 

 そう言ってケンちゃんは目をそらした。別に本気で喧嘩したかったわけじゃない。ただおれも譲れなかっただけ。勝ち負けではないし、たとえ勝ったのだとしても、それを嬉しいとは思ってない。でも、おれの意地をケンちゃんは認めてくれた。それが嬉しい。

 さっさと校庭を去ろうとするケンちゃんに追いつき、肩に軽くパンチ。

 

「ちゃんとおれのこと応援しろよな!」

「うっせーな色ボケ野郎。そういうのはミナトに頼めよ。」

「ミナトなんていう前から旗振るやつじゃん。ケンちゃんは言わないとやらないから言ってんの!」

 

 それでもつい熱くなって誰より声を張り上げるのがケンちゃんのいいところなのだが。

 

 ――ケンちゃんとは幼稚園の頃からの付き合いだ。

 ずっとおれはケンちゃんの後ろを付いて回っていたし、大体いうことは聞いていた。子分めいた、というかほぼほぼ子分だった幼稚園から、友達に変わった今でもその傾向は続いていた。

 だから、ケンちゃんがおれにやれるのかって、試したと言ってくれたことが嬉しかったんだ。もっと上にいると思っていたケンちゃんが、対等な場にいることを教えてくれたのだから。

 

 今日は練習しようと思ってたけど、やめた。こんなにいい気分を三人で分け合わないなんて嘘だ。ケンちゃんは嫌そうな顔をしていたけど、それすら楽しんでいるっておれにはわかる。

 ミナトが茶化すから二人で集中攻撃する。ケンちゃんの冗談を間に受けたミナトがおれに迫る。そんなわけないだろと叫ぶおれ。笑うケンちゃん。

 

 その日は母さんに小言を言われるくらい、帰るのが遅くなってしまったのだった。

 

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