夜の車道を二台の車が追う、追われるの形で疾走している。
追う側はメルセデス・ベンツ300SLクーペ。
優美なボディと煌びやかな光を湛えた外観ながら、今はその美しさと乖離した咆哮の如き爆音を上げ、前方の車を追っていた。
(イリヤ……!)
300SLを駆るアイリは、我が子であるイリヤを奪った目の前の真っ黒なライトバンを必死に追っていた。
つるりとした何の特徴もない真っ黒な外観。メルセデス・ベンツとは対極的な、日本で生まれ日本のどこにでもある、そうした車に見えた。
しかしそのどこにでもあるかのような車が時に時速200kmを超えるスピードで、高速道路でもない風都の町はずれの暗闇を駆け抜けるという、荒業を見せている。
運転技術が決して優れているとは言えないアイリが、そうした猛スピードの中でも事故を起こすことなく、未だライトバンに食らいついているのは、とてつもない集中力によるもの――子を想う母の愛の賜物とも言うべきものであった。
だが二台の車が、まばらに人家のある区域から木々に包まれる道路に入った時、アイリが必死ににらみつけていたそのライトバンに異変が起こる。
猛スピードで走り続ける中、突如ドアが開いたのだ。
全身に強い衝撃が走る。その時、アイリは自身の身に何が起こったのか理解できなかった。
自身が運転していた車が横転している事を知ったアイリは、そこから必死に這い出し、状況の確認に努めた。
逃走するバンの前に立ちはだかるように一人の女が立っている。
その人物の前には、小さく浅いながらもクレーターのような穴。
目の前の人物が、200km近い速度の車から飛び降り、そしてとてつもない衝撃を放ちこちらの車を横転させた――目の前の情報のみから推し量るとこうなってしまう。
次にアイリは自身の体がまだ動ける状態なのかを確認した。
打ち身や擦り傷はあるものの、骨折や内臓の損傷といった深刻なものはない。
状況を考えれば奇跡といってもよかった。しかしその奇跡に感謝している場合ではない。
この窮地を脱し、イリヤを助け出す――形のない何かに感謝するのはそれからだった。
女はアイリへと躍り掛かる。
実戦経験などないアイリでもはっきりとわかるほどの殺気。
(イリヤを攫っても、私を捕獲するつもりはない……?)
自分でも驚くほど冷静に状況を観察しながら、アイリは呪文の詠唱を始めた。
彼女に熟達した戦闘の心得はない。しかし今この場を切り抜けるには戦うしかない。
「shape ist――」
だがその詠唱は最後まで続かなかった。
「がはっ……!?」
女が途方もないスピードで距離を詰め、アイリに向かって横薙ぎの蹴りを放ったのだ。
見切るどころか、女の姿を捕えることすらできない。
蹴り飛ばされて地面を転がったアイリは、一瞬死を覚悟したものの、その蹴りの威力は命を奪うほどではなかった。
女はその顔に薄い笑みを浮かべている。嬲り殺しにするつもりなのかもしれない。
一瞬意気を挫かれかけたアイリだったが、脳裏に浮かぶ娘の顔が、再び彼女を立ち上がらせた。
「――shape ist Leben!」
蹴り飛ばされて距離が離れたせいか、あるいは敵の余裕からかは彼女には分からなかったが、ともかく今度こそアイリは呪文を詠唱しきった。
針金で精緻に編まれた銀の鷹。即席のホムンクルス。
空を裂く嘴が女へと襲い掛かる。
初撃こそ女には避けられてしまったものの、ホムンクルスも伊達に鳥の姿をとっているわけではない。けたたましい叫び声を上げると、素早く旋回し、女の後頭部へと襲い掛かる。
しかしそれもまた届かない。女は体を沈め、足を高く蹴り上げ、所謂オーバーヘッドキックの形で銀の鷹を迎撃する。
その一撃で鷹はぐしゃりと潰れ、ただただ絡まった針金の塊のようになってしまったものの、アイリは諦めずその針金を操り、女の脚へと絡ませた。
そして更に針金を操り、両脚をガッチリと拘束する。
しかし女は両脚をくくられたような恰好になっても動じることなく、目に見えて膨張したとわかるほど脚の筋肉に力を込めると、そのまま空に向けて蹴りを放った。
ぶちりと、その蹴りの勢いに拘束していた針金が千切れ飛ぶ。
やはり人外の者。魔力を込めた針金がまともな力で切れるはずがない。
(私じゃ……あんなのと組み合ったら勝てない……!)
アイリは敵から背を向け、走り出した。
逃げ出したアイリを見ても、やはり女は余裕を崩さない。自分にはあの細足では出せない圧倒的な速度が出せるのだから。
女は逃げるアイリの前へと回りこまんとする勢いでスピードを上げる。
――だがそれこそがアイリの狙いだった。
突如、ドッ、という鈍い音が響き渡る。
女がまるで滑ったかのように後ろ向けに転び、後頭部を強かに打ち付けたのだ。
何も知らない者から見れば、それは喜劇でバナナの皮に滑って転ぶかのような滑稽な有様だったかもしれない。
だがその実態はバナナの皮のような愛らしいものではない。
アイリは銀の鷹を飛ばしそちらに注意を向けさせている間に、道路を横切るよう両側の木に細い細い針金を渡したのだ――そうちょうど女の首の辺りの高さに。
女はその見えないほど細い針金に、すさまじいスピードで自ら突っ込んだのだった。
ほぼ全ての魔力をそちらに注ぎ込んでいたアイリは、針金に受けた強い衝撃のフィードバックでそれなりのダメージを受けたが、それでも猛スピードで首から針金に突っ込んだ女ほどではない。
倒れ込んだ女は首がパックリと裂け、おびただしい量の血を流していた。
「……ごめんなさい……」
娘を助けるためならば悪鬼羅刹に堕ちようと構わないと覚悟し、事実自分はそう生きれるのだろうと針金の罠を設置した時点で確信できたのだが、それでも目の前で自分が流させた血が広がる様には、胸になんとも言えない苦い感情が湧きだした。
頭を振り、思考を振り払う。今はイリヤの事を考えなくてはならない。
しかし乗っていた車は大破、そして当然のことながら黒いバンは見失っている。
どうしたものかと強い焦燥を覚えた彼女は、せめて何か手がかりが見つけられないかと女を調べることとした。
だが調べようとした女が、全身を血に染め、息も絶え絶えながらも立ち上がる。
驚き飛びずさったアイリを睨みながら、女はその姿を異形の者へと変えていく。
怪人。この街にはガイアメモリを悪用したドーパントというものが存在する事は彼女も切嗣から教えられていたが、この女もそうだというのだろうか?
姿を変えたことで、傷の跡こそ深いものの傷自体はふさがってしまった。すでに人間の姿をしていた時のような息も絶え絶え、といった様相ではなく、今度こそアイリを始末しようと力を漲らせている。
人の姿よりも更に強化されているというのなら、もはや自分の手に負えない。そう戦慄くアイリの耳にバイクの音が届く。
切嗣が来たのかもしれないと希望を見出すアイリだったが、異形へと変化した女はアイリから、今からここを通るであろう人物へとターゲットを変える。
――社会の暗部、神秘に属する者、そういった世界の裏側に潜む者達は理由はそれぞれ異なりながらも、概ね秘匿を大前提として行動している。
だからこそ暗部は闇に潜み続け、神秘は神秘たり得るのである。
そしてそれを押し通すための手段はイリーガルなものも少なくない。主なものは殺人――即ち見られたからには殺す。
逃げる手段のないアイリよりも、バイクで走るその人物を優先すべきだろうと女は考えたのだろう。
「気を付けて! 敵がいるわ!」
このままでは出会い頭に怪人に攻撃されてしまう。アイリはバイクで近づく人物に聞こえるよう精いっぱい声を張り上げた。
しかし声と同時に、女はとんと軽く飛び上がり、ちょうど今から人が通るであろう位置を薙ぐように回転蹴りを放つ。
豪風が巻き上がり、バイクに乗っていた男が転げ落ちる。バイクは道路との摩擦でボディから火花を上げながら木々の間へと転がっていった。
だが幸い男は生きているようだ。男は蹴りが当たる寸前に転倒、結果として蹴りが命中しなかったのだ。
生きていたこと自体は喜ばしいものの、アイリにとっては目の前の光景は幸いとは言い切れなかった。男が切嗣ではなく、見も知らぬ他人だったからだ。
一般人ならば、敵の攻撃を察知し転倒するように回避したのではなく、ただ驚いて転倒したことでたまたま敵の攻撃が外れたのだろう、アイリはそう考えた。
当然だ、ごく普通の人間に避けられるようなスピードでもないし、咄嗟に対応できるであろう状況でもないのだから。
――だがこの時バイクに乗っていた男はごく普通の人間ではなかった。
男は立ち上がり、懐からUSBメモリ状の物体を取り出すと、腰部へ取り付けたバイクのハンドルのような装置へと挿し込んだ。
『アクセル!』
「変ッ……身!」
照井竜は超常犯罪捜査課に所属する警視である。
その日、湾岸にガイアメモリ犯罪者がいるとの通報を受けた彼は現場へと向かおうとした。
だが部下である刃野刑事と真倉刑事が『自分たちにもたまには手柄が欲しい』と半ば強引にその事件を引き取ったのだ。
しかし竜には、それがオーバーワーク気味の自分への二人の気遣いだろうとわかっていた。“仮面ライダー”と思わしき者から通報された事件は、決まって手柄も何もない事後処理でしかないのだから。
ガイアメモリ犯罪者が口封じのためにメモリブレイクされた容疑者を消しに来る可能性を心配した竜は、二人には内緒で影から現場を確認したが、そうした事態はなさそうだと安堵し、ようやく家に帰ることとした。
二人に感謝しながら家路へとバイクを走らせる。今日は妻に愚痴られることもないだろう――
妻を迎えるために彼女の職場へとバイクを走らせる中、突然女の叫び声が聞こえた。
次の瞬間には怪しい影が目に飛び込む。竜は即座にハンドルを切った。
転倒こそ免れなかったものの、飛来した何か――敵の攻撃はなんとか回避することができたようだった。
立ち上がった竜は周囲を見回す。
異形の人物、そして人間離れした――まるで人形のような美貌を持つ婦人。
状況こそ把握できなかったものの、怪人から攻撃を加えられたことは間違いない。
自衛のため、竜は自らが持つアクセルメモリと、アクセルドライバーを取り出すと、即座にベルトを作動させた。
赤い閃光と共に、深紅の鎧を纏うかのような戦士が現れる。
仮面ライダーアクセル。照井竜こそ、風都を守るもう一人の仮面ライダーなのである。
怪人はその雄姿を見ても、ひるむことなくアクセルへと襲い掛かる。
攻撃してくるというのなら容赦はしない。アクセルもまた防御へ回るといった受け身の姿勢ではなく、自ら走りだし怪人を迎え撃つ。
怪人が右拳でアクセルの顔面を、アクセルは左拳で怪人の顔面を狙う。
図らずとも両者の拳は、クロスカウンターのような形をとることとなった。
その打ち合いの勝敗は怪人へと軍配が上がった。脅威の拳速で放たれた拳は、アクセルよりも先に痛打を浴びせ、アクセルの拳は怪人を掠った程度で終わったからだ。
しかし戦慄したのは怪人の方だった。
拳が芯を打ったにもかかわらずアクセルには全く堪えておらず、一方自身を掠った拳は、命中すれば一撃で致命打になることを確信させるほどのパワーを感じさせたからだ。
相手が底知れぬ重戦車である事をイメージした怪人は、軽いステップを踏んだ後、大きく跳躍しアクセルから距離を離す。
真っ向からの勝負を避け、自身が勝るスピードを活かしたヒットアンドアウェイの戦いを仕掛けるつもりなのだ。
その選択は、スピードスターがパワーファイターと戦うのならば間違いではない。
だが、アクセル相手には失策としか言いようがなかった。
『エンジン・マキシマムドライブ!』
怪人が気付いたときにはもう遅い。
人型から“バイク”へと変形したアクセルは音速を超えるスピードでそのまま怪人へと体当たりを食らわせる。
なまじ大きく距離をとったせいで体勢の崩れた怪人には防御も回避もままならず、まともにその一撃を受けるしかなかった。
再びバイク型から人型へと戻ったアクセルは足で急ブレーキをかけ、濛々とした土煙を巻き起こす。
「絶望がお前のゴールだ……!」
跳ね飛ばされた怪人――女は、力を失い再び人間の姿へと戻った。
傷もまた開いたためか再び流血しており(女が重傷を負っていたことを知らなかったアクセルはその血まみれの姿に軽い驚きを覚えた)、とても戦闘はできそうになかった。
この女が一体何者なのか、何を目論んでいるのか。それを知るためにも死んでもらうわけにはいかない。
止血の為アクセルは女へ近づいたのだが――
一瞬呆けたような表情をした女の姿を最後に、情報を聞き出す機会は二度となくなってしまった。
突然巻き起こった爆発に飲み込まれ、女は粉々になってしまったからだ。
「自爆した……!?」
目を庇うように前に出した手をどけた後にはもう女の姿はなく、ただ黒焦げた地面のみがそこには広がっていた。
(情報を隠匿するためか……それがあの女自身の意志なのか、背後にいる人物の意志なのかはわからないが……)
ともかく女は情報を隠さなければならない事情があったという事である。
加えて、アクセルは先ほど怪人と戦った時の事を思い出していた。
彼が普段戦うガイアメモリの犯罪者は、メモリの毒素に染まりきり精神に異常をきたしてない限りは、概ね仮面ライダーを目にした時、それなりのリアクションをとるものだ。
それが驚きだとか、怯えだとか、高揚だとか、人によって違いはあるものの、大きな反応を示すことは間違いない。
だが先程の怪人は至って冷静に自身の姿を認め、間髪入れずに襲い掛かってきた。
これは相手が自分のような仮面ライダーと遭遇することを、ある程度想定しているからに他ならない。
バックに強大な組織がついている可能性もある――かつてのミュージアムのように。
アクセルは次に人形のような、銀髪と紅い瞳を持つ婦人へと近づいた。
婦人――アイリはアクセルへと警戒の色を見せたので、アクセルはベルトからメモリを引き抜き、変身を解除する。
「怪我は?」
「……ええ、問題ありません」
「事情を聞かせてもらえるか?」
竜のその言葉に、アイリはなんと答えるものか迷った。
アイリにとって、現状誰が味方で誰が敵なのかまるでわからない状況だったからである。
イリヤを攫った敵は先程戦った女が最後ではなく、まだ高い戦力を保有している可能性があるため、目の前の仮面ライダーと思わしき人物――切嗣から聞いた風都の戦士――が力を貸してくれるというのならこんなに頼もしい話はない、ないのだが―― 自分たちの身の上をどこまで打ち明けてよいものか、アイリには判断がつかなかった。
(そうだわ、電話。切嗣から渡されていたあの機械)
アイリはポケットから携帯電話を取り出すと、しばらくそれをじっと見た。
竜はそんなアイリを訝しげに見た。しばらくして――
「……あの、これどうやって使うのかしら……」
魔術師という人種は大体機械類を苦手としている。アイリもまたその御多分に漏れる事はない。
一応使い方は学んだはずなのだが、色々とあったせいか、焦った頭は素直にその記憶を引き出してはくれなかった。
突然襲われ、自爆され、被害者と思わしき女性に話を聞けば、逆に携帯電話の使い方を質問され――質問を嫌う男、照井竜はさすがに眉間に皺を寄せるしかなかった。
「俺に質問をするな……」
だが結局携帯電話の使い方を知る必要はなくなった。
ほどなくして衛宮切嗣が二人の前に現れたからである。