「ミック~、おやつだよ~」
照井亜樹子のその声に、電気ストーブの前で大の字に寝転んでいた猫のミックは、むくりと起き上がり、老齢を感じさせない身軽さで餌へと走った。
「亜樹ちゃん、ミックにはちゃんと計算した適量の餌をあげている。これ以上与えるのはやめてくれないかい」
二人の探偵の内の一人、フィリップは、手元の機械類をガチャガチャといじりながら、所長の亜希子へと注意を促した。
「う~ん、でもねぇ、ミックもそんなガチガチの食事スケジュールじゃなくて、たまには贅沢もしたいと思うの! まぁちょっとだけ、ちょっとだけだからね? 許してちょーだい」
ちょっとだけ、と言いつつも、そこそこの頻度で彼女が『贅沢』をさせていることをフィリップは知っている。
そのせいか最近のミックは、園崎家にいた時よりもふっくらして見えた。
「ね、ね、ね、それよりもフィリップ君。最近随分と機械いじりに熱心だね」
「……Wドライバーやメモリガジェットの整備や修理を完璧にマスターしておきたいからね」
フィリップはそう言いながら手元の“ロストドライバー”を見た。
かつてこれらはシュラウドと呼ばれる女性が作り、彼らに与えたものだ。いざという時の修理も彼女が行っていた。
だがその彼女も――今はもういない。
ドライバーはメンテナンスフリーと言ってもいいほどその機構や整備性は優れていたが、さすがに修理まではフリーとはいかない。
以前ロストドライバーを修復した際は随分と手こずってしまった。
いざというの時の為、変身ベルトやメモリガジェットを手早く修理できるよう、フィリップは知識を収集し、技術を研鑽していたのだ。
「なんだったら修理だけでなく、パワーアップとかもできちゃったりして?」
「できなくもないが……今現在改造が必要な箇所なんてないからね」
「あれ? でも翔太郎君が出掛けに、Wドライバーの改造がどうとかって言ってなかった?」
「ああ、あれかい? 僕はWドライバーをいじって、実験的に少々機能に変更を加えたんだ。具体的には一部機能のリミッターを外したのだけれど……その時湾岸で例のドーパント騒ぎだろう? 僕はすぐに元に戻すと言ったんだが、翔太郎は待ってられないとそのまま持って出て行ってしまったのさ」
「へぇ~、でもさ、リミッターを外したんだったら、すっごく強くなったりしたりしないの? 仮面ライダースーパーサイクロンジョーカー!」
フィリップはその長い名前を聞いてかぶりを振った。
「リミッターというより安全装置といった方がニュアンス的には伝わるかな。強くなるどころか、ボディ側を担当する翔太郎にとってはただ危険なだけだ」
「え!? じゃあ、さっき使っちゃってたけど、翔太郎君、大丈夫だったの?」
「ああ、普通に使う分には問題ない――確かに普通に使う分には問題ないと言ったが、もう少し慎重になってもらいたいね。うちのハーフボイルドには困ったものだよ」
そうは言ったフィリップではあったが、その表情は満更でもない。
翔太郎がWドライバーをすぐさま持ち出したことは、『普通に使う分には問題ない』というフィリップの言葉に深い信頼を寄せているからであり、そしてフィリップもまたそうした信頼を感じ取っていたからだ。
「ところで、亜樹ちゃん。僕はケーキを出すから出てこいと君に言われて、ガレージからここに来たんだが……そのケーキはまだかい?」
「ああ、うん、ごめんね。もうすぐ翔太郎君が帰ってくるでしょう? それに竜君も来てくれるんだって。どうせだったら四人で食べましょう? 八個あるから一人二個ずつだよ~!」
「こんな時間に二個もケーキを食べると太ってしまうよ。最近のミックや餅を食べた時の僕のようにふっくら、とね」
スパン、と軽快な音を鳴らし、フィリップはスリッパではたかれた。スリッパには『乙女に体重の話は厳禁』と書かれてある。
その後すぐに、事務所のドアが開き、紅いレザージャケットとレザーパンツを着用した全身深紅の男が事務所内に入ってくる。照井竜だ。
「おっかえり~、竜君!」
唇を『ん~』と突き出し、キスをせがむかのような調子で竜へと近づく亜希子だったが、そこで異変を見つけてしまう。
愛する夫の後ろに、見目麗しい女性がいたからだ。
「い、いやーーーー! りゅ、竜君! なにその銀髪美女! 私! 聞いてない!」
「ああ、所長、この人は――」
「浮気!? 浮気なの!? やだぁぁぁぁ! 竜君が外国美女に籠絡されたーーー!」
「ま、待て所長! なぜそうなる! いいか、この人はな――」
「離婚よぉぉぉぉぉぉぉ!」
とんでもない美女を目にしたショックでパニックになる亜希子を横にどかし、フィリップは竜へと質問をした。
「で、何があったんだい? 照井竜」
「……俺に質問をするな……」
風都一のタフガイはどこかぐったりとした様子で応えた。
一方おやつを食べ終えたミックは、再び電気ストーブの前で大の字になっていた。
なんやかんやで亜樹子は真相を知ると、先程までの落ち着きのなさが嘘のように真摯な表情になりアイリたちの話へと耳を傾けた。
「誘拐、ですか……その、イリヤちゃんが」
「ええ……」
竜に、今回のような事件の場合、警察よりもこちらの方が適切かもしれないと、アイリと切嗣は鳴海探偵事務所へと案内されたのだ(竜は警察にも連絡したが)。
さすがに魔術関連の話題は避けたが、誘拐に関する事は怪人の事も含め、ありのまま伝えた。
「それで、その、何か犯人達からの要求はあるんですか? 身代金とか……あ! 自宅の電話に何か連絡が入ってるのかも!」
「うちは電話が通ってなくて……」
「は、はぁ……そうなんですか」
依頼人を大事に扱う亜樹子とは違い、竜はいまだ疑いの眼差しをアイリへと向けていた。
誘拐されたという話まで疑っているわけではないし、彼女たちが何らかの犯罪に加担していると考えたわけでもない。
ただ先ほどの戦闘の際、怪人となった女が流血していたことにおそらくこの女は無関係ではないだろうということが引っかかっていたのだ。
誘拐された子供は助け出さなくてはならない、だがこの二人は明らかに一般人とは呼べるような人間にも見えず、どう接したものか竜にもわかりかねていたのだ。
「何か手がかりのようなものはありますか? たとえば、娘さんが狙われるような理由とか……」
理由を尋ねられてアイリは押し黙った。
話し辛い事情があるという事もあったが、なにより実際の所、自分達を狙う者に心当たりはあっても、イリヤのみを狙う者には見当がつかなかったのだ。
切嗣もまた誰がイリヤをさらったのかを考え続けていた。
アインツベルンならば、イリヤを攫う事も考えられる。
だが今回の騒動はあまりにも手際が良すぎた。あの魔術の名家はそういった戦術眼がないからこそ、かつて外様の切嗣へと助力を頼んだのだから。
聖堂教会の代行者ならば、あるいは機械と魔術双方への対策を身に着けている可能性もあった。
だが彼の者達は魔術側の人間と反目してはいるものの、イリヤを攫う理由は思いつかなかった。
魔術師――特に聖杯戦争の関係者ならば、“器”として高い適性を持つイリヤに興味を示す可能性もある。
だがもしそうならば、イリヤを攫うのはともかく、アイリを殺害しようとした理由が思いつかなかった。
例え適正に劣ろうとも器としてのみ見るならば、安定性、確実性でアイリの方が余程目的に沿うはずなのだから。
そもそもホムンクルスを器そのものとしてあること、そしてイリヤの適正の情報を知るのは現在アインツベルの関係者のみである。器を目的としてイリヤを狙うのは不自然だった。
財団Xならば、アイリを襲った怪人にも説明がつく。ほぼ手を引いたとはいえ、未だこの街に置いては最も強い影響力をもつ勢力だ。
ただし基本的に財団は魔術への興味を持っていない。
魔術とは、その時代の技術で再現できる奇跡のことを言う。文明が進み切った現在、再現できない奇跡――魔法はすでに五つしか残っていない。
そして魔術とは概ね現代技術と比較すれば非効率なものである。ライターを使えば起こせる程度の火にも、それ以上の対価と練度が必要となってしまう。
いわばこの世界で最高峰の技術を抱える財団からすれば、苔むした魔術は必要のないものだ。そんな財団にとって、優れた魔術的素養をもっている“だけにすぎない”イリヤにいかほどの価値があるだろうか。
悩む二人の思考を中断するかのように、ドアが開く音が事務所内に鳴り渡る。
「おう、帰ったぜ」
この鳴海探偵事務所の二人の探偵のうちのもう一人、左翔太郎だ。何やら大きな荷物を持ち、えっちらおっちらと歩いて事務所内に入る。
「あ~、おかえり、翔太郎君! こちら、依頼人さんよ」
亜樹子の紹介にアイリに気付いた翔太郎は、荷物を置き、佇まいを改め彼女へと向き直った。
「失礼、ミセス。私はこの鳴海探偵事務所の探偵の――」
そこまで言って言葉が途切れる。彼女の後ろ、ソファーの奥側にコンテナターミナルで見かけたあの男がいたからだ。
何やら考え込んでいるようで、こちらを向くこともしない。
翔太郎もそれなりに人を見る目はあると自負していたが、どうにもこの人物は読み取れなかった。
研ぎ澄まされた刃のようにも見えたし、穏やかな老人のようにも見えた。ただ複雑な人柄だということがわかるだけだった。
「ねぇ翔太郎君、その荷物何?」
亜樹子の声で、じっとその人物を見ていたことに気付いた翔太郎は慌てて、招かなければならない人物がいることを思い出した。
「あ、ああ、これか、舞弥さん、体は大丈夫かい?」
開いた扉から久宇舞弥が翔太郎ほどではないにしろ荷物を持って現れる。
それを見てアイリが驚いた。生存こそ確信していたが、すぐさま動けるような傷ではなかったはずだ。
移動中に切嗣から『舞弥なら心配いらない』と聞き、てっきり切嗣から治療を受け、今は静養していると彼女は思い込んでいたのだ。
「舞弥さん……本当に、大丈夫?」
「問題ありません、マダム」
こともなげに答えるが、アイリから見ても傷を庇うような動きが目立った。
「近くで車から荷物を下ろしているところに出会ったんだ。ここにいるはずの依頼人の付き添いと聞いて案内したんだが、その時荷物を持つのを俺が勝手に手伝ってな」
それから翔太郎は舞弥に心配そうな目線を送った。やはり翔太郎から見ても、その服の下には相当の怪我が隠れていることが分かるのだろう。
翔太郎の心配の言葉に、問題ないの一点張りで返す舞弥の姿が、アイリには容易に想像できた。
「……そういえば私の車は壊れちゃったけど……車ってどうやって用意したの?」
「……実はもう一台あったんです」
「そ、そう」
実際は切嗣から場所の連絡をもらい銃器や道具をまとめた後、近場の車を無断で拝借してここまで来たのだが、そのことをそのまま話せば面倒になると思って舞弥は話さなかった。
「それで、依頼は?」
翔太郎の催促に、アイリは誘拐の件をもう一度初めから話そうとしたが、それを切嗣が押し留めた。
「大丈夫かい、アイリ? あんなこともあったし、今日はもう疲れているだろう。あとは僕が説明するから、少し休んだ方がいい」
「ありがとう……でもやっぱり直接何が起きたかを見てきた私が話すべきだと思うわ」
冷酷な暗殺者のような空気をまとわせ、同時に心から家族を労わる優しさもまとう。この会話を聞いて、翔太郎はますます目の前にいる男がわからなくなった。
アイリの話を聞いた翔太郎は、地図を取り出し、誘拐犯とアイリが走った道路にマーカーで線を入れた。
「……もしこのまま進んだとすれば、空路、海路、陸路――どれにしてもこの街から出るには都合の悪い方向になるな」
「警察には、非常線を張るよう超常犯罪捜査課の権限で指示してある。街から出ることはおそらく厳しいはずだ」
もっとも財団Xが相手なら、警察がどこまであてになるかはわからんがな――竜は翔太郎とフィリップのみに聞こえる声でつぶやいた。
竜は財団Xが怪しいと睨んでいるようだった。
怪人が出たこと、自爆まで行い(あるいは行わせ)情報の隠匿を図った事を思えば、確かにそれがもっともらしい答えのように思えた。
「フィリップ? どうだ、何か掴めそうか?」
「ああ、“検索”を開始しよう」
その言葉と共に、ガジェット類の入ったケースと一冊の本を持ち、フィリップは事務所の奥に引っ込んだ。
「何かわかったようなら連絡を入れてくれ――じゃあ、俺は足を使って情報を集めるか」
「俺は風都署へ向かう。警察の方でも情報を集めてみよう」
それから竜はこっそりと亜樹子に向かい、できるだけこの三人から情報を引き出しフィリップへ伝えること、そして同時に三人への警戒を怠らず、できるだけフィリップの近くにいるよう告げた。
後者の警戒はともかく、前者のできるだけ情報を聞きだすようにという指示を同じように亜樹子に伝えようと考えていた翔太郎は、気勢を殺がれ、ばつの悪さをごまかすために軽く咳み、三人に向き直った。
「この街は俺の庭だ。安心して待っててくれ、三人とも」
キュッと帽子のつばをこすり、ハードボイルドに決める(少なくとも翔太郎にとっては)。
そして事務所から出ようとドアノブに手をかけたところで、彼はぴたりと手を止めた。
後ろでつっかえた形になる竜に不審な目を向けられながら、翔太郎は応接用のソファーへと目を向け、切嗣の後ろ姿に向かって口を開いた。
「ああ、えーと、衛宮切嗣さん。全く関係のない質問で恐縮なんだが……仮面ライダーって知ってるかい?」
「名前だけならね」
ひょっとすると無視されるのではないかと考えていた翔太郎は、その滑らかな返答に少し驚いた。
馬鹿な事を聞いてるんじゃないか、と頭の片隅で思う一方で、一度聞いたからには止めるのもなんだと思い、半ば投げやり気味に翔太郎は問いを投げかけた。
「あんた、その仮面ライダーの事、どう思う?」
「……風都を守る英雄、だろう?」
ついぞ目を合わせるどころか、振り返ることもないまま切嗣は翔太郎の質問に答えた。