月の光に照らされる林の中を、一匹の呪霊と2人の術師が縦横無尽に駆け回る。反響するように響く羽音は耳障りではあるが、そこにいる誰も気にしていない様子だった。
「Mr.竜胆!」
「ッああ!」
東堂の掛け声に合わせて、渇いた音と共に
状況は優勢。だが、紫己は焦りを感じていた。
「クソ...」
不義遊戯...かなりトリッキーな術式だな。条件が手を叩くと簡単なこともあって、発動タイミングが分かりづらい。今は東堂が掛け声をかけてくれてなんとか合わせられているが、そのせいで攻撃が甘くなっている。
「はあ、キッツイ任務だなぁ」
ため息を吐きながら東堂に並び立ち、林の奥の呪霊に向かって走る。呪霊は咄嗟に針を飛ばすが、背の高い草に囲まれたここではまともに標準を定められておらず、掠ることなく軌道が逸れた。
ここぞとばかりに呪霊に肉薄し、離れないようにしっかり掴んで打撃を叩き込む。呪霊は大量の呪力で受けながらカウンターを狙ってくるが、形にもなっていないそれに当たることはなく、その隙を東堂と共に狩っていく。
どうやらこの呪霊は呪力に比べて戦闘経験が浅いらしい。となれば警戒すべきは意識外からの針のみか。
針を警戒しながら攻撃を続けていると、耳元で空気を切るような音がして、呪霊から離れる。そこには弧を描くようにして飛んできた針が2本浮遊していた。
「あぶねぇ!」
あの針に関しては本当にもう食らえない。普通の傷なら治し慣れているが、血液を一から作って流すなんてやったこともない作業を強いられて、呪力の消費が普段の倍以上に膨れ上がっているのだ。二回の治療と今までの戦いで、呪力はもうほとんど残っていない。詰めは東堂に任せることになるかもな。
「グウッ!」
呪霊は俺と距離を離した途端に、羽を動かし空を飛んだ。接近戦は分が悪いと判断して、一度距離を離したいのだろう。しかしそこを東堂は逃さない。
「ふっ、甘いな呪霊よ」
東堂はあたりに広がる木々を足場に空中へと駆け、呪霊を上から叩き落とす。地面に激突した呪霊は、その隙を突こうと駆け寄った俺に気付いて咄嗟に逆方向に跳ね飛んだ。
「やっぱ頭いいな、コイツ」
遠距離の攻撃手段がないと見て、空中に逃げる判断。着地後の隙もある程度は潰せている。術式もかなり強力なものを持っている。ここで祓っておかなければ成長してしまう可能性がある。
東堂と挟むような形で呪霊に向き合う。先程補充した呪力も殆ど消費したようで、あまり呪力も残っていない。このまま丁寧にいけば祓えるだろう。
「ニンゲンゴトキ、ガ、ナゼソンナ、ツヨイ?オカシイ!オレハモットツヨイノニ!」
煩わしい羽音が止む。違和感を感じた俺と東堂が呪霊に接近しようと踏み込んだその瞬間、呪霊の呪力が何倍にも膨れ上がる。
「ッ過去に吸った血を呪力に!?」
大量の呪力を纏った呪霊が俺に向かって飛びかかる。俺は踏み込んだ体の向きを変えられず、仕方なく崩れた体制でそれを受け止めた。雑木林に生える草木をすり抜けて、土でできた壁に体を叩きつけられる。頭を打ったようで、反転術式の周りが遅い。
「ッやられた!」
東堂は不義遊戯で呪霊と位置を入れ替えて、紫己に駆け寄り声をかける。
「立てるか?」
目線を呪霊に向けたまま東堂は尋ねる。ただ、反転術式に意識を向ける俺の耳にそれは届いておらず、返事がないと判断した東堂は呪霊に向かっていく。
それを目に映しながら反転術式を回す俺の頭には、何故か五条さんからの言葉が反響していた。
『紫己はなんで呪術師なったの?』
正直言って俺が呪術師になった理由なんて覚えていない。かなり前のことだし、そもそもがそんなに芯のある理由でもなかった筈だし。それでも確かに、何故やっているか分からないまま続けていくのは良くない気はしていた。何かやっている理由を...
いや、違うな。分からないものはいくら考えても分からないだろ。俺がやるべきはそんな事じゃない。大事なのは今だ。俺は今なんで呪術師をやってる?
「俺がやりたいと思ってるからだろ」
理由なんて深く考えてもしょうがない。俺がやりたいんだ。今はそれで良い。反転術式での治療が終わり、立ち上がる。不思議と頭がスッキリしていて、体も軽い気がする。
「東堂」
「起きたか!」
東堂の声を聞いて呪霊もこちらを向く。
「注射針ってさ蚊の針から着想を得て作られたんだよな」
「...ナンノ、ハナシダ?」
「んでどっちも刺された時痛みを感じないだろ?だからさっきまで苦労してたんだけどさ、」
「ダカラ、ナンノ」
「でもお前が馬鹿みたいに突進してくれたおかげで助かったよ」
言い終わると、俺が話している間に近くに寄ってきてくれていた東堂に向けて拳を振るう。ここまできたら合図は要らないだろう。東堂が掌を叩くよりも先に、俺は術式を発動する。
「
増幅した呪力を右の拳に集める。不義遊戯の発動で東堂と位置が入れ替わった呪霊の顔面にその拳はめり込んで、ぶつかった衝撃で後ろに飛んでいく。呪霊の頭部は爆発し、体は灰になって消えていった。
「ふう」
「終わったか」
「うん。ああ、疲れた。さっさと帰ろう」
トンネルの方向に歩きながら、後ろの東堂に手招きをする。東堂も緊張を解いて、ツカツカと俺の後を追うように歩き始めた。
「いやしかし、良い術式だね。不義遊戯」
「ふっ。よく言われる」
あんまり人に術式見せんなよってツッコミ待ちか、それとも社交辞令か。まあ両方かな。適当に返しとこ。
「ああそう。俺のと交換して欲しいね本当に。使い勝手悪すぎてさ」
「察するに、痛みが条件なのか?」
「ん?分かるんだ。そうなんだよな。だから受け身になりがちでさ」
東堂って見かけによらず賢いタイプっぽいな。見かけによらず。
「ふむ。だが、Mr.竜胆の場合反転術式もあるだろう、待ちの手を取るのもアリじゃないか?」
「んん。まあそうかも」
そうこうしているうちに帷に着いた。そのまま歩いて帷を抜けると、補助監督が立っていたので報告を済ませる。今日は疲れた、早く寝たい。
東堂とは別の車の後部座席に乗り込んで、補助監督が車を走らせるよりも前に、俺はすぐに深い眠りについた。