オルフェーヴルとの日常の日々 短編集   作:トマリ

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オルフェーヴルの髪を整える話

 

 校門に咲いていた桜が散り始め、空気が初夏のものへと入れ替わっていく。空には雨雲が掛かることが増え出し、水辺からはカエルの声が聞こえてくるようになる。

 そんなある日の、放課後のトレセン学園。

 

 授業が終わり自由の身となったウマ娘たちは、トレーニングに行ったり遊びに行ったりさっさと寮に帰ったりと、思い思いに行動し始める。

 そんな中で、金色の暴君こと、トレーナーの愛バであるオルフェーヴルのこの日の用事はと言うと────

 

「戻ったぞ」

 

 トレセン校舎のとある空き教室。そこにオルフェーヴルはいた。いつものトレセンの制服ではなく、白を基調としたあの煌びやかな勝負服へと着替えた上で。

 頭の冠のようなパーツが陽光を反射して輝き、歩くごとに背中の部分がマントのようにはためいている。

 椅子に座って待っていたトレーナーは、そんな彼女の姿に思わず見惚れそうになってしまった。これまでのG1レースでも何度か見た装いではあったが……やっぱりいつ見ても綺麗だ。磨き抜かれた宝石や絵画を彷彿とさせる。

 

 そうしてボーッとトレーナーが動けないでいると、情けない彼に代わってオルフェーヴルの元に向かうウマ娘が二人。

 

「相変わらず美しいお姿ですオルフェーヴル様……。ジャケットの裾部分、もう少々整えさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

「構わん」

 

「待っている間に床の掃除、机の拭き作業は済ませておきました。この教室には埃一つ残してはいません」

 

「ご苦労」

 

 空き教室でトレーナーと共にオルフェーヴルを待ち続けていた彼女の臣下のウマ娘たちだった。

 オルフェーヴル個人のオーラに魅せられて、自主的に彼女の従者となっているウマ娘たち。中でもこの二人は派閥の中でも特に古参のためか、謙虚さと積極さを兼ね備えテキパキと動いている。

 ……もしかしたらトレーナーよりも手慣れているかもしれない。

 

────本日のオルフェーヴルの予定。

 

 今日はある雑誌の記者たちが、オルフェーヴルの特集記事の撮影にやって来る日だった。

 

 テーマは端的に言うと『学園で過ごす王の日常の一幕』らしい。だからわざわざ秋川理事長とも話して、空き教室の一つを貸し切る形でトレセンで準備をしているのだ。

 ……あくまで日常を撮りたいのなら服装は勝負服じゃなくて制服の方が良いんじゃ?とトレーナーは思わなくもないが、まぁそこは見栄えの問題とか色々あるのだろう。素人が口を挟むものではない。

 

 が、その肝心の記者はまだトレセンには到着していなかった。先ほどスマホに届いたメールによると、どうも渋滞に捕まってしまったらしい。

 オルフェーヴルが関わる案件なのに何をしているんだとトレーナーは怒りたくなるが、しかし今一番焦ってるのは当の記者たちだろうと怒りを飲み込む。メールにも謝罪の言葉(特にオルフェーヴルへの)が大量に並んでいたし。

 

「……ど、どうする?オルフェーヴル」

 

「…………」

 

 スマホを手渡して恐る恐る訊いてみると、オルフェーヴルは元から細い目を更に細くした。氷のような冷たい瞳に、トレーナーは自分がやらかしたわけでもないのに冷や汗を流しそうになる。

 ……一度オルフェーヴルの地雷を踏むと、宥めるのは困難を極める。増してやその地雷の位置も非常にわかりにくいときているのだ。

 もしここで彼女に機嫌を損ねられたら、トレーナーが直すのは不可能に近いのだが……。

 

「───よい。このまま待とう」

 

 幸いというか、彼女は不機嫌にもならず素直に待つことにしてくれたようだった。トレーナーは肺の中身全てを吐き出したのではというほどの安堵の息を吐く。

 ……担当して一年が経っても、未だにオルフェーヴルに抱く感情は恐怖が強かった。

 

「ではオルフェーヴル様。お時間もまだあるようですし、お腰のチェーンももう少し磨かせていただきます」

 

「好きにしろ」

 

「こちらはミネラルウォーターです。喉が渇いたのであればお飲みください」

 

 そんなトレーナーと対照的にオルフェーヴルは冷静そのもの。甲斐甲斐しく臣下が動くのを余所に、目を伏せて腕を組み完全に献身されるモードに入っていた。

 

 ニコリともせず、仏頂面のまま渡されたミネラルウォーターを飲んでいるオルフェーヴル。

 

 ……正直記者を待つよりも、この姿を隠し撮りして提出した方がよほど『王の日常の一幕』としては合ってるような気がした。

 まぁそんなことは口が裂けても言えないし、もし言った日にはオルフェーヴルによって口を裂かれるだろうが。

 

 

 そんなくだらないことを思いながら……二分ほどが過ぎた後だろうか。

 

「おい」

 

 それまで目を伏せてされるがままとなっていたオルフェーヴルが、不意に顔を上げた。

 

「は。どうなさいましたか、オルフェーヴル様」

 

 臣下のウマ娘二人はぴったりと動きを止め、トレーナーもまたどうしたのかと目をやる。

 オルフェーヴルは向けられた三つの視線の内……トレーナーの方へ自分の視線を絡ませると、顎を軽く横に動かした。

 

 ……その動作だけで、臣下やトレーナーには意味が通じた。最近では、半ばお決まりとなっていたものだったからだ。

 

 オルフェーヴルから一歩離れる臣下に、彼女は黒目だけを向けて、

 

「貴様たちはもうよい。外に控えていろ。撮影の者が到着すれば余に伝えろ」

 

「わかりました」

 

 臣下のウマ娘は、オルフェーヴルの言葉に文句も言わず従う。

 そうして部屋を去ろうとし────その前に片方の臣下がトレーナーの元まで来ると、スカートのポケットからウマ娘用の赤い櫛を取り出した。

 

「……では、オルフェーヴル様のご指名ですので。オルフェーヴル様のお姿がしっかりと映えますよう、よろしくお願いします」

 

 きっちり45度。

 トレーナーにもオルフェーヴルに向けるものと同じ礼をしてから、臣下のウマ娘は音を立てずに退室していった。

 それを見届けてから、トレーナーは手汗を拭ってから櫛を握り直し、オルフェーヴルの背中側へゆっくりと回り込んだ。

 

 ……なんてことはない。

 

 今、撮影に向けてオルフェーヴルの髪を整えるのはトレーナーの役目というだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりはいつだったか。

 ダービーか菊を制した時だったか。

 

『髪は、貴様が整えろ』

 

 レースを圧勝で終えて控え室に戻り、ライブへ向けての最後の身だしなみを整えていた時。勝負服の手入れをしていた臣下の手が髪の毛へと移動した瞬間、不意にオルフェーヴルが遮るように言ったのだ。

 当然の如くトレーナーは口を『へ』の形にする。臣下のウマ娘も僅かに動揺したような顔になると、オルフェーヴルに顔を近づけていた。

 

『オルフェーヴル様。お言葉ですが、何故彼にですか?私の方が慣れていて……』

 

『理由を知る必要はない。貴様たちは先に会場へ控えていろ』

 

『……わかりました』

 

 抱いた不満の全てが解消されたわけではないだろう。だが臣下のウマ娘は仰々しく礼をすると、櫛をトレーナーに渡して素直に退出していった。……臣下の鑑とも言うべき対応だろう。

 だが、トレーナーとしては冗談ではない。自分ごときがオルフェーヴルの髪を整えるなど荷が重いにも程がある。出会い頭に特大の不発弾を託されたような気分だ。

 すぐさま託し返そうと臣下のウマ娘を呼び戻そうとしたのだが、

 

『早くしろ。貴様は余を見るに堪えぬ姿でライブに出すつもりか』

 

 こんな風にオルフェーヴルに言われればそれも不可能というものである。何がなんでも拒否したかったが……しかしここでまごついて王の機嫌を損ねれば、ライブにも支障をきたしかねない。

 やむなくトレーナーは命令通り彼女の髪を整えることになった。

 当然だが、トレーナーは理容師の資格を持っているわけではない。他人の髪を触った経験も片手で足りる。

 

(も、もしこれのせいでオルフェーヴルの髪が傷んだら、切腹じゃ済まない……!)

 

 震える手で櫛を握ると、トレーナーは話半分に聞いていた同僚の担当ウマ娘へのブラッシングの話を記憶から引っ張り出しつつ、決死の覚悟で臨む羽目になった。

 

 そうして三時間にも思えた十分が過ぎ、なんとか無事(?)にその日のブラッシングは終えたのだが。何やら琴線に触れるものでもあったのか、その日以来オルフェーヴルは何故かレースや撮影の前にはトレーナーに髪の手入れを命じるようになってしまったのだ。

 訳がわからなかった。臣下のウマ娘も少し言っていた通り、トレーナーと臣下のウマ娘ではブラッシングの腕は雲泥の差である。記念すべき初回も、おっかなびっくりで全く上手く出来た自信はなかった。

 

 だが命令されるものはもう仕方ない。王様の気紛れはいつだって予想できないし拒否権もない。やむなく毎度精神を磨り減らしながら、トレーナーはオルフェーヴルの髪の手入れすることになった。

 そんなパワーレベリングが功を奏したか。

 少しずつでも経験を積んでいき……今では多少の緊張しつつもなんとかこなせるようになったというわけである。

 ……だが、具体的にオルフェーヴルが満足しているかはわからない。時々周りの臣下から羨ましそうな目で見られることもあったが、正直譲れるならトレーナーは喜んでこの立場を譲りたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まぁなにはともあれ、迷ってばかりいても仕方ない。今日もトレーナーはオルフェーヴルの髪の手入れをしていくわけである。

 いつの間にやら、オルフェーヴルは椅子に座って腕と脚を組んでいた。

 

「……失礼します」

 

 静かに言いながら彼女の背後に立つ。

 その瞬間にたてがみのような髪が視界に入った。

 黄金とも例えられるオルフェーヴルの髪。生まれた時からこうだったのではないかと思えるほどの、ツヤのある長髪。

 男性のソレとは何もかもが違う。いや、もはや性別の違い以前の問題なのではないか。直接触れることさえ躊躇ってしまうようなオルフェーヴルの髪に、赤い櫛をゆっくりと滑らせていく。

 ……全く引っ掛からない。摩擦が存在しないのではないかと錯覚するほど、柔らかな髪質だった。

 不意に窓から風が入ってきて、その風に乗った髪の毛の匂いが鼻腔をくすぐってくる。

 

(……良い匂い)

 

 香水の匂いかオルフェーヴル自身の匂いかどちらだろうと考え……香水でこの匂いを再現できるとは思えないので後者だろうとトレーナーは思った。

 

(長い髪は、絡みやすい毛先からちょっとずつ……)

 

 ネットで調べた知識を思い起こしながら、赤ん坊に触れるように慎重に櫛を動かす。

 

 他人が創り上げた彫刻の、最後の仕上げをしている気分。

 

 正直、未だに心臓がバクバクとする。信じられない。自分ごときが、オルフェーヴルの髪の毛を手入れしているなど。

 髪は女の命。果たしてその言葉がオルフェーヴルにも当て嵌まるのかはわからない。

 だが、これほどのツヤを保つのにはおそらく並大抵の努力では足りない。……いや、オルフェーヴルなら何もせずともこれぐらいの美しさは維持できそうだが。

 ともかく、そうやってオルフェーヴルが残し続けてきた芸術品に、櫛越しとはいえ自分が触れている。ファンや同じウマ娘ですらも見惚れる、オルフェーヴルの髪に。

 そう思うと、この美しさを自分が終わらせてはならないという恐怖と…………少し、ほんの少しの、優越感のような────

 

「貴様」

 

「はひぃっ!?」

 

 邪な考えを抱きかけていた直後のためか、肩が思い切り跳ねてしまった。関連して手元が狂いあらぬ方向へ動こうとしたのを必死に押さえる。

 

「一々驚くな。耳障りだ」

 

「は、はいっ……すいません……。そ、それで、一体……?」

 

 バカな思考を霧散させながら問うと……オルフェーヴルの耳が僅かに動いた。

 

「少しは腕を上げたか」

 

「え?」

 

「前回よりは上達している。余が教授したことも覚えているようだな」

 

「えっ、あ……ま、まぁ」

 

「今後もより研鑽を重ねろ」

 

「どうも……ありがとうです……」

 

 もしかして褒められたのだろうか。現在進行形でブラッシングをしている最中でなく、さっきの後ろめたさのようなものもなければもっとはっきり喜べただろう。

 なんだか貴重な機会を逃したような気分になりながら、トレーナーは一本だけ跳ね気味になっていた髪を優しく撫でた。

 ……そうしていると。

 

(……無防備だな)

 

 ほんの少しだけ余裕ができてきたからか。脳の大部分がブラッシングに割かれている中で最後の一割ほどが、そんなことを考え始める。

 仮にも他人に背後を取られており、髪の毛を好きに弄らせているというのに、オルフェーヴルは酷く冷静だった。

 こちらからは見えないが、それでもいつも通り目も伏せ気味なのだろうということがわかる。

 

(……本当に、王様らしからぬ無防備さだ)

 

 刃物を隠し持っていたら、そのまま寝首を掻けてしまいそうである。

 ……彼女なりに自分はそんなことをしないと信頼してくれているのか。それとも臣下ごときの、それもニンゲンの不意打ちなど恐れるに足りずとするか。

 

(……こっちも後者かな)

 

 そうトレーナーは結論付けた。

 結論付けた、つもりだったのだが。

 

「……なんで、オルフェーヴルは僕に髪の手入れをさせるの?やっぱり今でも、臣下の娘の方が上手いと思うけど」

 

 それでも、ずっと疑問に思っていた部分が溢れてしまったのか。気づけば口が勝手に動いていた。

 ピク、と微かに動くオルフェーヴルの肩。ゆっくりとその目が開く気配がする。

 彼女は振り返ってすらいないのに、トレーナーはその視線に射貫かれたような気がした。

 

「なんだ。貴様、余の髪を整えるのを不服とするか」

 

「え、いやそんなことはっ!むしろ、僕ごときには役不足かと……」

 

「『力不足』だ。たわけが。くだらん言い間違いをするな」

 

「は、はいっ」

 

 オルフェーヴルの尻尾が波打つ。

 不味い。くだらない質問をした。くだらない間違いをした。一瞬でツーアウト。

 順調に進んでいた物事が急に翳り出して喉が干上がっていく。

 思わずトレーナーは勝手に動いた口を自分で殴り付けたくなった。そもそも、ずっと前に臣下のウマ娘が似たようなことを聞いた時にも答えなかったのだ。

 なら、今自分が聞いたところで教えてくれるわけがないだろう。

 そう思って、トレーナーはすぐさま空気を変えるべく別の話題を探そうとした。

 

 だがその時、

 

 

「……余の覇道はこれからも続く」

 

 

 不意にオルフェーヴルが言葉を発した。

 驚きながらも、今度はトレーナーは声を押さえることが出来た。

 

「この世に生まれ落ちた時から、余はただ一人の王。それがこの世の秩序であり真理である。それはこれからも変わらん」

 

 いつも通りの、いまいち要領を得ない話し方だが、それでもどういうわけか話す気にはなってくれたらしい。トレーナーは黙って聞いておく。

 

「故に余は王の責務を果たす。時代を切り拓き偉業を成し伝説を残す。三冠と有馬ごときではまだ足りん。余の覇道は更に続くであろう」

 

 三冠と有馬を獲ったことを『ごとき』と評するオルフェーヴルにトレーナーは苦笑する。でもきっと、オルフェーヴルにとっては本当に『ごとき』なのだろう。

 彼女はもっともっと先の、自分の立つ場所だけを見据えているのだろうから────

 

 

「そんな覇道を刻む王の傍らに控える者が、髪の手入れ一つもできんのでは笑い話にもならん」

 

「……え?」

 

 

 話が予想外の方向に飛んで、またトレーナーは思わず声を発してしまった。

 

 だが、その台詞を脳で処理し切る前に、オルフェーヴルが唐突に立ち上がった。引っ掛かりにそうになった櫛を慌てて引っ込める。

 組んでいた腕を解くと、オルフェーヴルは片目だけを扉の方に向けていた。

 何事かと思ってトレーナーは視線の先を追うと……気づけば、いつの間にか扉の外から大きな足音と誰かが話しているような声が聞こえる。

 どうやら、件の記者たちが到着していたらしい。記者と臣下のウマ娘が話している声も聞こえる。ウマ娘であるオルフェーヴルの耳には、もっと前から音が届いていたのだろう。

 記者を出迎えるためか、オルフェーヴルは扉へと歩いていく。歩きながら、ゆっくりと言った。

 

「貴様は余が選んだ王のトレーナーなのだ。それに恥じぬよう、励めよ」

 

 そして、たてがみのような髪を大きく靡かせた

 

 

「覇道を刻むのは、余だけではないのだからな」

 

 

 言い残して、オルフェーヴルは扉を開けて廊下に出た。途端に申し訳ありません申し訳ありませんという記者たちの悲鳴に近い声が響いてくる。

 

「…………」

 

 それらの全てを、トレーナーはぼんやりと聞いていた。ぼんやりと聞いたまま、掌にある赤い櫛をなんとなく見つめる。

 

 

 ……相変わらず、王様の考えることは下民に全くわからなかった。

 

 そしてたぶんこれからもわからない。……だけど、とりあえず。

 

 

「……髪の毛の手入れの勉強、もっとしとこうかな」

 

 

 

 

 

 

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