オルフェーヴルとの日常の日々 短編集   作:トマリ

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オルフェーヴルがトレーナーを見限る話

 

 ────何故、自分は隠れてしまったのだろう。

 冷静になってみて、脳裏に浮かぶのはそんな言葉だった。

 

 秋が薄まり、仄かに冬が到来し始めているトレセン学園。校内に漂う空気は本格的に冷たくなり、正門前や中庭には赤とオレンジの絨毯が敷かれ出している。

 そんなトレセン学園の中庭────三女神像の噴水やベンチが設置されている所から離れた位置。通路の屋根を支える柱の一本に、身を隠すようにトレーナーは立っていた。

 

 ……何故、彼がそんな風に隠れているのかというと。

 

「どうだろうオルフェーヴル。貴女にとっても、悪い話じゃないはずだ」

 

「…………」

 

「……もう一度言うぞ。……どうか、俺の担当ウマ娘になってほしい」

 

 三女神像の前で彼の愛バであるオルフェーヴルが、別の男性トレーナーにスカウトされていたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に所属していた彼が、どういうわけか『金色の暴君』であるオルフェーヴルに担当トレーナーと認められ、早くも一年と少しが過ぎた。

 ただでさえ経験不足が目立つことになる新人時代で、担当があの天上天下唯我独尊ウマ娘であるオルフェーヴル。当然というか、トレーナーの心労はマッハになっていた。

 オルフェーヴルと話す度に未だに心臓が爆発しそうになるし、勤務の不手際を逐一彼女に指摘されるのはどちらがトレーナーかわからない有り様。

 オルフェーヴルもオルフェーヴルで、トレーナーがこんなのにもかかわらず、当たり前のように三冠ウマ娘になっていた。彼女の躍進に比例してトレーナーに掛かるプレッシャーと仕事も増大し、最近は胃薬が手放せなくなっている。

 そうして神経を磨り減らしながら日々を過ごし、今は年末の有馬記念に向けてのメニュー作成や予定の調整をしていたのだが。

 

 ……別に予感があったわけではない。

 ただなんとなく、パソコン作業の合間に外の空気を吸いたくなったのだ。

 そうして白くなりかけの息を吐きながら中庭に行き────目の当たりにしてしまったわけだ。

 美しい長髪を風に靡かせ腕を組むオルフェーヴルと、スーツを着た男性トレーナーが会話している光景を。

 

「……余の時間を浪費させてまで呼び出し、伝えたかったのはそんなことか」

 

 オルフェーヴルが口を開く。その声は、普段トレーナーに向けるものと比べて半音ほど低い気がした。

 だが相手のトレーナーは怯む様子を見せず、

 

「貴女の貴重な時間を使わせたのは申し訳なく思ってる。だけど、こっちも本気なんだ」

 

「…………」

 

「どうか、担当トレーナーをアイツから俺に変えてみてほしい。貴女に後悔はさせない」

 

 老朽化により『使用禁止』と張り紙がされているベンチを視界の隅に入れながら、オルフェーヴルを見つめる。

 ……やはり聞こえる会話から察するに、これはオルフェーヴルへのスカウトの話らしい。……それも既に担当トレーナーがいることを知った上での、だ。

 しかも、その話を持ちかけているトレーナーは。

 

(……なんで、先輩が……?)

 

 見覚えのある顔だった。

 まだ彼に担当がいなかった頃から、何かと世話を焼いて気遣ってくれていた先輩トレーナーだったのだ。……このトレーナーにオルフェーヴルという担当がついてからも交流は続いており、毎日クタクタになっている彼に苦笑しながらも『大変だろうが、この経験は必ず後の糧になる。俺にできることなら協力するから、まぁ頑張れ』と背中を押してくれていたのだが……。

 

(……なんで)

 

 何故あの人が?あの人は自分のことを応援してくれていたのではなかったのか?

 思考がぐるぐると回っていく。

 だが目の前の光景は待ってはくれない。外野が戸惑っている間に、先輩トレーナーは懐から一枚の紙を取り出す。

 

「……これを見てほしい。俺から見た貴女の能力の分析と、そこから組んでみた俺なりのトレーニングメニューだ」

 

 思考を切り裂くような言葉。

 柱の影から片目を出すと、まさに今A4用紙がオルフェーヴルに手渡されているのが見える。ついトレーナーは食い入るように見つめてしまった。

 ……彼の視力では用紙はうっすらとしか見えなかったが、しかしびっしりと文字やグラフが記載されていることはわかった。

 それらを間近で見ていたオルフェーヴルは「ほう」と口を開く。

 

「中々の観察眼のようだな。大した分析だ」

 

「まさか。あくまでこれは俺の担当との併走や、レースの結果から弾き出したもの。実際の貴女の能力はもっと上だろう?」

 

 謙遜するような言葉と裏腹に、先輩トレーナーはどこか自信ありげに答えた。

 その言葉を受けて、オルフェーヴルのトレーナーの記憶のタグが反応する。思えば二ヶ月ほど前から、先輩トレーナーはやたらと彼を併走トレーニングに誘って来ていた。

 ただでさえオルフェーヴルの併走相手は確保しにくいし、先輩トレーナーが手塩に掛けたウマ娘の走りを見れるのも良い機会だと判断して了承していたのだが……

 思わず口許を押さえる。

 

 間違いない。本気だ。

 本気で先輩は、自分からオルフェーヴルを引き抜こうとしている。

 

 本当に、何故彼がこんなことを。

 だがその一方で……改めてトレーナーは思った。

 

 何故、自分は隠れてしまったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別に、既にトレーナーがいるウマ娘のスカウト自体は違反ではない。

 トレーナーもウマ娘も一人の人間である以上、どうしても価値観の不一致は起こり得る。だからこそ『移籍』というシステムがあるのだ。

 過去のスターウマ娘も、そうやって移籍を経てから才能が開花したというケースも珍しくない。

 

 だが、このように直接ウマ娘に話を持ち掛けるというのは、さすがにご法度だ。事前に最低限担当トレーナーに話を通しておく必要があるのだが……少なくともトレーナーはそんな話を聞いた覚えはなかった。

 

 ならば、このやり取りに割り込むのはオルフェーヴルの現トレーナーとして正当の権利である。……あるはず、なのだが。

 彼の足は動かず、むしろ隠れてコソコソと聞き耳を立てるに留めてしまっている。

 何故なのか。

 

「聡明な貴女のことだ。本当は気付いているんだろう?」

 

「…………」

 

「アイツでは、貴女のトレーナーは務まらない。進めば進むほど力不足になっていく」

 

 心に針が刺さった。

 そう。彼自身、クラシック期をオルフェーヴルと共に走る中で、薄々悟っていたことだった。

 

 自分には、オルフェーヴルに釣り合うほどの才能はない。

 

 三冠ウマ娘のトレーナーになれたというのに、今一つ喜びが無いのもそのためだった。

 自分はオルフェーヴルに何も貢献できていない。未だに担当ウマ娘にトレーニングのやり方を注意される程度のトレーナーなのだ。

 レースだって、オルフェーヴルの基礎能力のみで勝っているに過ぎない。ネットにも『ただオルフェーヴルが強いだけ』という意見が頻繁に書き込まれており、彼自身その通りだと思っていた。

 

 そもそも、何故オルフェーヴルに担当トレーナーとして認められたのかすら、はっきりとわかっていないのだ。

 劇的な出会いをしたというわけでもないし、『戯れに』や『いてもいなくても変わらないから』と言われた方がまだ納得できる程である。

 

 本当は自分なんかよりも、もっと相応しいトレーナーがいる。

 

 そう思っていたからこそ、彼は割って入ることができない。

 そして、彼にとって先輩トレーナーはオルフェーヴルを任せるに充分値する。

 

『現実』という名の霧に、心がゆっくりと覆い隠されていく。……むしろ心のどこかでは、『ついにその時が来た』とすら感じてしまっていた。

 そんな彼に気づいたわけではないだろうが、先輩トレーナーは大袈裟に身振り手振りを交えながら、

 

「貴女がどんな理由でアイツを選んだのかはわからない。だが……クラシック期なら今のままでも良いかもしれないが、貴女には才能と器があるんだ。これからの有馬記念だって間違いなく勝てるだろうし……日本ウマ娘の夢である凱旋門賞にだって、きっと駒を進められる」

 

「…………」

 

「だからいつまでも、あんなお荷物を背負ってるわけにはいかない。優れたウマ娘には優れたトレーナーがつくべきだ。……俺にトレーナーを変わってほしい。必ずアイツよりも、貴女を高い舞台に導くと約束する。……俺が無理でも、もっと優秀なトレーナーに取り次ぐから」

 

 耳に届いてくる、信頼していた先輩からの言葉。それに耐えられなくなり、トレーナーは壁に背をつけたまま腰を落とした。

 

 ……先輩の言うことは全て正しい。

 実際、自分はオルフェーヴルにとってお荷物以外の何物でもない。

 ここらが、夢から覚める頃合いということなのだろう。

 オルフェーヴルは邪魔物を手放せて、自分にとっても胃に穴が空く不相応な生活から解放される。お互いに得しかない提案だ。

 ……だというのに。

 

(……嫌だ)

 

 この期に及んで、彼はそれを拒否したくなっていた。

 ……確かにオルフェーヴルの担当トレーナーでいるのは辛くはあったが。

 それ以上に彼も、オルフェーヴルの走りに魅せられた人物の一人だったのだ。

 もっと彼女の隣で、特等席で、夢を見ていたい。たとえ戯れだったのだとしても選ばれたからには、もっと彼女の役に立ちたい。

 少しずつでも、成長していきたい。

 

 ……だが、やはりそうはいかないのだろう。

 優れたウマ娘には優れたトレーナーがつくべき。それがレースの常識なのだから。

 

 駄々を捏ねる心を引き摺って、無理やり納得しようとする。

 そんな中で不意に「なるほど」という声が響く。オルフェーヴルが用紙に目を落としたまま、小さく頷いていた。

 その瞳はふっと細められている。

 

「中々面白い提案をするな。貴様は」

 

 ────それはトレーナーにとって、事実上の解任通知だった。目に入る光景の全てが、急に色褪せたように感じられる。

 そんな彼と対称的に、先輩トレーナーはあからさまに声を高くした。

 

「そっ、そうだろう?……貴女に見合うとまで言うつもりはないが、俺だって少なくともアイツよりは実力もキャリアもある。だから、是非考えてほしい」

 

「担当トレーナーを貴様に変える、という話だったか」

 

 オルフェーヴルは先輩トレーナーへと目線を移すと……一歩後ろに下がった。

 

「そうだ。決して後悔はさせないと約束する。検討には値する話のはずだろう?」

 

「なるほど。よくわかった」

 

 ……話も纏まりかけている。なら自分はもう本当に邪魔者だろう。

 そう判断しトレーナーは腰を上げて立ち去ろうとした。……だが、その前にオルフェーヴルの声が聞こえてくる。

 

「そうか。つまり貴様は」

 

 彼女は、先輩トレーナーの目を真正面から見つめて言った。

 

 

「奴を選んだ余の目が節穴だったと、そう言いたいのだな」

 

 

 ────全身の毛が逆立つのを感じた。同時に、見えていたオルフェーヴルの右脚が一瞬だけブレる。

 

 次の瞬間、中庭にあったベンチの一つがバガン!!と粉々に粉砕された。

 

 柱の影越しでも心臓が止まるかと思った。咄嗟に手で口を覆わなければ悲鳴が漏れていただろう。

 風圧で銅像を破壊できると噂の脚。それをオルフェーヴルが離れたベンチに向けて振るった。

 それは理解できた。だが本能的な恐怖が理解を追い越す。そして対面にいた先輩トレーナーの驚愕は、その比ではなかっただろう。

 

「がっ……ぁ、ぇ??」

 

 空気が凝固して言葉にならず、そのまま腰を抜かしてしまう。そんな先輩トレーナーを、オルフェーヴルは冷徹に見下ろしていた。

 

「もう一度問うぞ。貴様は余がトレーナーの選定を誤ったと、そう言いたいのだな?」

 

「なっ……ぁ、そんなことはないっ!違うっ!」

 

「ではどう違う。言ってみよ」

 

「っ、あ……」

 

 パクパクと声にならない声しか出せない先輩トレーナー。その姿はまさに蛇に……いや、竜に睨まれた蛙だった。

 哀れな蛙に対して、オルフェーヴルは地の底から声を響かせる。

 

「未完の大器を未完のまま、原石を原石のまま評価するのは記者の務めと思っていたが。貴様はトレーナーではなく記者であったのか?」

 

「そ、それは……」

 

「それともトレーナーでありながら、その程度を見抜くことすら叶わんか?」

 

 言葉と共に、オルフェーヴルの手元にあったA4用紙に文字が見えなくなるほどのシワが寄る。

 彼女の瞳には、暗い侮蔑の色があった。

 

「傲るな。奴は余が見定め、そして余が選んだ王のトレーナーだ。王が伊達や酔狂、増してや情でトレーナーを選ぶと思うか」

 

「え……」

 

「貴様の魂胆など初めから気付いていた。その上で奴の糧になるならばと見逃していたが……所詮は羽虫であったか」

 

 グシャグシャと片手だけで用紙を丸めながら……オルフェーヴルは宣告した。

 

「今後、貴様は二度と奴にたかるな。奴の視界に入ることも余が許さん。余が見つければ……わかっているな?」

 

「っ、は、はいっ!!す、すみませんでしたぁぁぁ!!」

 

 聞くや否や、恐怖が限界を迎えたか先輩トレーナーは抜けた腰をなんとか引きずりながら、脱兎の如く逃げ去ってしまった。逃げる際にオルフェーヴルのトレーナーが隠れている柱を横切ったのだが、気が付かれなかったようだった。

 

(……な、なにが)

 

 嵐のような数分だった。

 何が何やら、オルフェーヴルのトレーナーは呆然とするしかない。辛うじてまた柱の影からオルフェーヴルを見つめると、彼女はようやく目障りなものが消えたとばかりに鼻を鳴らし……尻尾を数回波打たせて、

 

「……くだらん。貴様はいつまでそうしているつもりだ。時間を浪費する余裕があるのか」

 

 舌打ち混じりの言葉が響く。いつの間にやら、オルフェーヴルの視線はレーザー光線のように柱ごとトレーナーを射貫いていた。トレーナーとしては最大限気配を消し隠れていたつもりなのだが、彼女はとっくに気づいていたらしい。

 

「お、オルフェーヴル……」

 

 どう声を掛けたものかわからず、とりあえず小動物のように柱の影から出るトレーナー。

 そんなトレーナーに対して何を言うでもなく、オルフェーヴルは髪をなびかせながらさっさと背中を向ける。

 

「校舎に戻るぞ」

 

「え、あっ、はい……。あっ待って、片付けは!?あの、粉々の……!」

 

 慌てて先刻オルフェーヴルが壊したばかりのベンチを指差す。だが彼女は歩を緩める気配すらなく、

 

「既に取り壊しが決まっていた物だ。むしろ手間が省けたであろう」

 

 改めて見てみると、確かに破壊されたベンチの近くにはあの『使用禁止』の張り紙が落ちていた。……さすがというか、その辺りも抜け目なかったらしい。

 オルフェーヴルはさっさと歩いていくので、トレーナーは必死で背中を追いかける。彼が追い付くと同時に、オルフェーヴルは何かを軽く投げて寄越した。

 貴重品だったら不味い、とわたわたと拝み取る。しかしそれは、彼女が丸めていたあのA4用紙だった。

 目を向けると、オルフェーヴルはようやくゴミを手放せたと言わんばかりに軽く手を振っている。

 ……その様を見ていると、改めて先程までの光景が思い出された。彼女が、言ってくれた言葉が。

 ……緊張しながらも、意を決してトレーナーは口を開く。

 

「……あのさ、オルフェーヴル」

 

「なんだ」

 

「……ありがとう」

 

 オルフェーヴルは、黒目だけをトレーナーの方に向けた。

 そうしてしばらく、彼の言葉を脳で処理しているような時間を取った後……オルフェーヴルは静かに息を吐いた。

 

「貴様が案じずとも、王は間違えぬ。余の見立ては常に正しい。……だが、最後に力を発揮するのは余ではない。貴様自身だ。それによっては、狂いが生じることもある」

 

 そう言うとオルフェーヴルは……真正面から、空色の瞳にトレーナーを映した。

 

 

「余の選定……間違いにしてくれるなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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