「おーい、リョウ、おーい!」
伊地知虹夏が、山田リョウの名前を呼びながら、スタジオのドアをドンドン叩く。
しかし、リョウさんの返事はない。ベースの演奏に熱中している最中のリョウさんは外部からの働きかけを全て遮断する。しかし、今はスタジオのドアの向こうからは一切音が漏れていない。虹夏ちゃんは、首を傾げながら、さらに激しくドアを叩く。
「……伊地知先輩、リョウ先輩はもう先に帰ったんじゃないですか?」
喜多郁代の問いかけには、明らかに、そうであって欲しい、という願いが含まれていた。
その願望を、虹夏ちゃんはあえなく否定する。
「それはあり得ないよ。リョウは『これからセッションをする』って言ってスタジオに篭ったんだからさ。リョウは一度スタジオに入ったら、一時間やそこらで練習を切り上げたりはしないから」
「じゃあ、リョウ先輩はどうして……」
「それはもう見てみるしかないかな」
そう言って、虹夏ちゃんは、スタジオのドアに体当たりをする。ガン――ガン――ガン――ガン!
四度体当たりをしたところで、内鍵の掛かったスタジオのドアは壊れた。
果たして、スタジオの中の光景は――。
「先輩!」
それが目に入るや否や、喜多さんは駆け出していた。他方で、虹夏ちゃんは両手で目を覆う。
スタジオの中央で、リョウさんが、ベースを抱えたまま、仰向けで倒れていたのである。その青髪の頭からは、わずかであるが、赤い血が流れている。
「リョウ先輩! リョウ先輩!」
喜多さんはリョウさんの身体を持ち上げて揺さぶったのだが、リョウさんの反応はない。
「喜多ちゃん、リョウの脈はどう?」
「今測ります!」
虹夏ちゃんの指示に従い、リョウさんの手首を検めた喜多さんの表情が曇る。
「脈が……ないです……」
なんてことだ。リョウさんは何者かに殺されてしまったというのか――。
リョウさんのことを尊敬してやまない喜多さんは、その場に崩れ落ち、うわーん、うわーんと赤ん坊のように号泣する。
大事なバンドメンバーであり、大事な親友を失ってしまったことの悲しみは、当然、計り知れないほどである。
他方、喜多さんがあまりにもひどく取り乱したことが、かえって虹夏ちゃんに冷静さを与えたようだ。スタジオ全体を見まわした虹夏ちゃんはボソリと言う。
「……凶器はギターかな」
スタジオの床には、ヘッドの部分が折れてしまった黒いレスポールのギターが転がっていた。
「犯人はギターでリョウの頭を殴って、リョウを殺害した」
「……伊地知先輩、今、〈犯人〉って言いましたか? まさかリョウ先輩は誰かに殺されたんですか?」
「……多分」
「信じられません! リョウ先輩は人に恨まれるようなことは……」
そこまで言って、喜多さんはハッと口を押さえた。
「……金銭トラブルですね」
「多分」
リョウさんは常に金欠で、色々な人からお金を借りていた。そして、返さなかった。
リョウさんがいつ殺されても仕方がない人物であったことに関しては、バンドメンバーのみんなが賛同せざるを得なかった。
――しかし、虹夏ちゃんが次に口にした疑問は、決して答えることができないものだった。
「でも、犯人はどこに消えたの? 私がドアを壊すまで、スタジオは密室だったのに――」
密室殺人――。
リョウさんは、密室の中で殺されていたのである。
「伊地知先輩、密室殺人なんて、ドラマや小説の世界ならまだしも、現実世界ではありえないと思います。きっと犯人は、このスタジオ内に隠れて、今も息を潜めているに違いありません!」
絶対に探し出してやります、と制服の袖で涙を拭った喜多さんが立ち上がる。
――とはいえ、果たしてこのスタジオ内に犯人が隠れるスペースなどあるのだろうか。
ライブハウスと併設された、何の変哲もないスタジオである。
そこにある唯一不審なものといえば――『完熟マンゴー』と書かれた、段ボール箱くらいだ――。
スタジオの中を探索し始めた虹夏ちゃんと喜多さんは、狭いスタジオの中をグルグルと何周かしたあと、まずはスタジオにある棚から探し始めた。棚の上には楽器や楽譜などが雑多に置かれていて、二人は、その裏に誰か隠れていないかを確認しているのだ。
他方で、二人は、スタジオの床に置かれた『完熟マンゴー』の段ボール箱の不自然さには気付かないようである。まさか段ボール箱の中に人が隠れているだなんて、つゆ思っていないのである。
棚の次に、二人は、出入り口のドアを確認している。ドアの裏に誰かが潜んでいるようなことがないことは明らかだから、おそらく、二人はドアに何らかの細工が施されていないかどうかを確認しているのだろう。
その間、『完熟マンゴー』と書かれた段ボール箱がわずかに振動した。――しかし、ドアの鍵をガチャガチャやっている二人は、そのことに一切気が付かない。
ドアの次に、二人は揃って天井を見上げる。何者かが忍者のように天井に張り付いているということは――当然にない。
――二人の視線が、ようやく『完熟マンゴー』に向いた。ガサッガサッと、段ボール箱の中から明らかな物音がしたためである。
「……段ボール箱の中に誰かいる」
「伊地知先輩、どうしますか? 中身を確認しますか?」
「……正直怖いけど、確認するしかないよね。段ボールの中にリョウを殺した犯人がいるかもしれないんだから」
「伊地知先輩、本当に段ボール箱の中に人がいるんですかね?……まあ、持ち上げてみるしかないですね」
喜多さんは『完熟マンゴー』の段ボール箱に近付くと、両手でそれを持ち上げた。
当然、段ボール自体には重さはそれほどない。箱はスッと持ち上がった。果たして箱の中には――。
「……何これ? 機械?」
それは円筒形の形をした見慣れない機械だった。たとえるならば、スキー場などに置かれている、全方位を温められるストーブのようなものだ。
喜多さんは、それが一体何なのか全く検討がつかなかったようだが、〈音楽エリート〉の虹夏ちゃんは、その〈楽器〉の正体を知っていた。
「テスラコイルだ」
――テスラコイル。それは〈世界一危険な楽器〉である。
発明王エジソンとも並ぶほどの天才発明家であるとされるニコラ・テスラが開発したその装置は、高電圧の稲妻を発生させることにより、空気を振動させる。
そして、テスラコイルは、その周波数を調整することによって、音を奏でることもできる。テスラコイルは、尖ったコンセプトを持ったロックバンドが、時々ライブパフォーマンスで使うことがある〈楽器〉なのである。
「きゃあっ!」
喜多さんが悲鳴を上げて、後退りをする。テスラコイルからビビッと青い閃光が走ったのである。
喜多さんの鋭い悲鳴によって――リョウさんは目覚めた――。
「……ん? もう朝……?」
「リョウ先輩!」
「……郁代、どうした? そんなに目を赤く腫らして……」
「リョウ先輩、生きてたんですね! 良かったです!」
喜多さんは、リョウさんにギュッとハグをする。
「……生きてて良かった? 私は寝てただけだよ?」
「リョウ先輩が死んでると勘違いしてみんなで慌ててたんです! 誰だったかしら。最初にリョウ先輩が死んだなんて言ったのは……」
虹夏ちゃんの人差し指は、他でもない喜多さんをまっすぐに指していた。
「え!? 私!? ……そうでした。私がリョウ先輩の脈を測ったら、リョウ先輩の脈が無くて……」
「よく言われる。私、低血圧だから脈が測りにくいって。健康診断でお医者さんがいつも困ってる」
「リョウ先輩は、低血圧だからクールキャラなんですね! リョウ先輩、大好きです!」
喜多さんは、よく分からないことを言いながら、リョウさんをさらに強く抱き締めた。
「リョウ、人騒がせなことをしないでよね」
「虹夏、ごめん」
「……っていうか、リョウ、頭はどうしたの?」
「頭?」
「血が出てるけど」
虹夏ちゃんに言われて頭を触ったリョウさんは、手の平に赤い液体が付いたのを見て、本当だ、と言う。もっとも、少しも驚いた様子ではない。
「事故があった」
「事故?」
「テスラコイルを使ってギターと〈セッション〉しようとしたんだ。ギターの弦にテスラコイルの電流を当てて、振動させて、カッコいい音を奏でようと思って」
ムチャであることが聞くだけでよく分かる。
「そうしたら、電流が当たった瞬間、ギターのヘッドが折れちゃった。これはマズイと思って、暴走するテスラコイルを止めようと思ったんだけど、止め方が分からなくて、仕方なく、そこにあった段ボール箱を被せようとしたら、今度は私に電流が当たって……」
それで段ボール箱を被せるのと〈刺し違える〉格好で、リョウさんは気絶してしまったということらしい。その際に頭を打ったのだ。
「なるほど。リョウ先輩、そういうことだったんですね! 今度から気を付けてくださいね!」
「リョウ。本当に気を付けてね。リョウのベースが私たちのバンドの生命線なんだからさ」
「分かった。今度から気を付ける」
人騒がせな事件も、これにて一件落着……というわけにはいかない。
今までずっと黙っていた〈私〉も、この場面ではさすがに黙っていられなかった。
「リョウさん!」
私が声を上げると、まるでお化けでも出たかのように、三人はビクリと肩を震わせた。
「……ひとりちゃん、いたの?」
「私、後藤さんの存在を忘れてました」
「ぼっちは存在消すの上手い」
存在感の薄い陰キャで悪かったな、と私――後藤ひとりは心の中で文句を言う。
ただ、本当に不満に思っていることは、さすがに口に出さずにはいられなかった。
「リョウさんが壊したギター、私のギターなんですけど!」
「……ぼっち、ごめん。このとおり」
「『このとおり』って口だけで言われても困ります! せめて頭を下げてください! というか、リョウさん、ちゃんと弁償してください!」
「分かった」
でも、と言って、リョウさんは私に向かって手刀を切る。
「ごめん。今金欠で。ぼっち、お金貸して」
(了)
現段階で、あと2話分ストックがありますので、頃合いを見て投稿します。
普段は〈人が死ぬ系〉のミステリばかり書いてますので、人が死なない作品を書くとソワソワしてしまいます。
ご感想やご助言お待ちしております。