個性的な服を着た若者が行き交う街、下北沢。
伊地知虹夏、山田リョウ、喜多郁代の三人は、明らかにソワソワしながら、下北沢ライブハウス「STARRY」へと向かう。
「緊張するねえ。今夜は待ちに待ったライブだからね。さすがのリョウも緊張してるでしょ?」
「全然してない」
ベースを背中に背負ったボーイッシュな少女は、さらりと答える。
「嘘でしょ。強がらないでよ。さっきからすごいソワソワしてるじゃん」
「ソワソワしてるんじゃなくて、ワクワクしてる。ライブハウスの客がみな私のベーステクニックに酔いしれることが今から楽しみ」
はあ、と虹夏は溜め息を吐く。その自信は一体どこから湧いてくるのだろうか。たしかにリョウの演奏の腕前は認めるけれども。
「喜多ちゃん」
虹夏は、確実に緊張している赤髪の美少女に声を掛ける。
「喜多ちゃん、大丈夫? さっきから一言も喋ってないけど」
「…………」
虹夏の問い掛けに、喜多は答えなかった。それどころか、隣を歩く虹夏の方を振り返りすらしなかった。ずっと前を――いや、中空を見ている。
「おーい、喜多ちゃん、おーい」
虹夏は、手を振って喜多の視界を遮ったのだが、それでも喜多からの反応は一切ない。陽キャ中の陽キャである喜多の普段の様子と比べるまでもなく、明らかに異常である。
「喜多ちゃん、演奏が不安なんだよね。気持ちは分かるよ。私だって、本番でちゃんとドラムが叩けるか不安だもん。みんながリョウみたいな自信家なわけじゃないから」
「大丈夫。まだライブ開始まで数時間ある。STARRYのスタジオで合わせ練習をする時間はたっぷりある」
「リョウの言うとおりだよ。合わせ練習頑張ろう。そうすれば本番には間に合うからさ。ね?」
「…………」
二人のフォローさえ、喜多の耳には届いていないようだった。喜多は、やはり中空を見ながら、スタスタと同じペースで歩くだけなのである。
「ねえ、喜多ちゃん、聞いてる?」
こちら側に注意を引きつけるためには、喜多の腕を掴んで一旦立ち止まらせるしかないかもしれない考えた虹夏の指先が喜多の腕に触れた次の瞬間――。
「先輩たち、ごめんなさい! やっぱり私にはできません!」
虹夏の手を振り払い、喜多は疾走した――。
そして――そのまま失踪した。
…………
京王井の頭線下北沢駅前にて――。
「はあ……はあ……。喜多ちゃんの姿がどこにも見えないね。はあ……はあ……。」
「……疲れた。完全に見失った」
虹夏とリョウは、二人とも同じように両手を膝にやり、肩で息をしている。
「電車に乗ってどこか遠くに行ってなければ良いけど……」
「生死問わず絶対に捕まえてやる」
リョウが、ケースに入ったままのベースの柄の部分を持って、頭上に持ち上げる。
「リョウ、殺しちゃダメだからね! 殺しちゃったらライブできないから!」
「でも、生け捕りしたとしてもライブに出てくれるかどうか分からない。逃げたというのはそういうこと」
たしかに、と虹夏は相槌を打つ。ライブパフォーマンスに協力する気があるのだとすれば、そもそも、最初から喜多が逃げるはずがないのである。
「喜多ちゃん、どうしちゃったんだろう? 『私、先輩たちと一緒に頑張ります!』って言ってたのに……」
「多分、私たちに言えないことが何かあったんだと思う」
「……そういえば、昨日も一昨日も、合わせ練習に来なかった」
リョウに指摘され、虹夏はハッとする。喜多はリア充っ子なので、友だちとの予定などで色々と立て込んでるんだろうなと勝手に想像していたのだが、逃げられた後に振り返って考えてみると、喜多は、わざと合わせ練習を避けていた可能性が高いのだ。
「喜多ちゃんが合わせ練習からも逃げてたということは……」
「嫌われたのかな。私」
リョウが、珍しく自虐的なことを言う。たしかに、喜多ちゃんは、路上でベースを弾いていたリョウに一目惚れして、リョウに憧れて、このバンドへの加入を希望した子である。リョウのことを嫌いになった場合には、バンドからの脱退を希望するかもしれない――。
――いや、そんなことはあり得ない。喜多が逃げたことには、もっとのっぴきならない事情があったはずだ、と虹夏は思う。
「喜多ちゃんと直接会って話さないと何も分からないね。とにかく、逃げた喜多ちゃんを見つけて、どういう事情があるのか確認して、今日のライブに出てもらうよう説得しよう」
虹夏は、辺りを見回し、喜多がいそうな方角を見定める。しかし、リョウは――。
「それか、代役を探すかだね」
「……代役?」
虹夏は唖然とする。その発想はなかった――。
「今から急いで代役を見つければ、ライブに間に合う」
「代役って、喜多ちゃんの代役だよね?」
「もちろん」
「……リョウ、誰か心当たりはあるの?」
「私、そんなに友だちいない」
――そうだった。リョウには、自ら友達を作ろうという発想すらないのである。
「虹夏は? 友だちに代役ができそうな人はいないの?」
虹夏は、必死で考えてみる。しかし、喜多の代役を務められそうな者の顔は一人も浮かばなかった。そこで、大きく首を横に振る。
「そうか。いないか」
「リョウ、とにかく下北沢を探し回ろう。喜多ちゃんがいるかもしれないし、もしかしたら、代役をやってくれる人がいるかもしれない」
「分かった」
人混みの中へ、二人は駆け出した。
…………
途中から、虹夏とリョウは、手分けをして、喜多、もしくは、喜多の代役を探すことにした。
しかし、捜索範囲は途方もなく広い。いくら喜多が目を惹く見た目だとはいえども、探し出すことは途方もない作業だった。そもそも、喜多がこの付近に留まっていることの保証すらない。
虹夏は、先ほどから何十、何百通ものロインを喜多に向けて送っているが、その返事は一向にない。
かといって、喜多の代役を探すというのも、困難極まりない作業である。そんな都合の良い人物が果たしているのだろうか。そんなネギを背負ったカモ――いや、ギターを背負った少女など、この付近に存在しているのか――。
いつの間にか、虹夏は、歩いてお隣の杉並区まで来てしまっていた。
この角を曲がったところには、小さな公園がある。虹夏にとって思い出の深い公園――。
その公園のブランコに、〈探し人〉がポツンと座っていないかな、と虹夏は少し期待した。
その公園にあるブランコは、虹夏にとって、特に思い入れがあるブランコだったのだ。過去に、虹夏に、かけがえのないものを運んでくれたのが、そのブランコだった。
ゆえに今回も――。
そんな期待を胸に抱いて、虹夏は、角を曲がり、公園のブランコに目を遣る。
そこに座っていたのは――。
――疲れ切った目をした中年のサラリーマンだった。
きっと彼は家庭内別居中で、家に帰ることができず、仕方なくブランコに揺られているのであろう。
無論、そのサラリーマンは、虹夏の〈探し人〉なんかではない。
虹夏は、ガックリと肩を落とした。
…………
虹夏が、ブランコに〈探し人〉がいないことに落胆したちょうどその頃。
後藤ひとりは、自らの部屋の布団の中で魘されていた。
三日前に急に発熱し、以降、ずっと臥していたのである。
風邪のウイルスをもらうような社交の場に普段行かないひとりが一体誰から風邪を貰ったのかといえば、妹である後藤ふたりからに他ならない。
「うーん、社会が怖いよお。働きたくないよお」
ひとりは、夢の中でも現実を見ているようで、そんな寝言を言いながら、布団の中で手足をジタバタさせている。
孤独なギター少女は、不意な体調不良によって、絶好のチャンスを逃そうとしていた。
〈ぼっち・ざ・ろっく! 完……?〉
…………
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン――。
ひとりは、繰り返し鳴らされる家のインターホンの音で目を覚ました。布団を頭から被り、インターホンの音が鳴り止むのを待った。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン――。
しかし、インターホンの音はいつまでも鳴り止まない。宅急便だろうか? それとも宗教勧誘だろうか? いずれにしても、あまりにもしつこい。……というか、今日は他の家族は家にいないのか。ひとりは、仕方なく、布団から這い出て、自室を出て、玄関へと向かった。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン――。
インターホンはずっと鳴っている。一体誰だろうか。万が一知ってる人だったらドアを開けて対応しよう。まあ、家を訪れてくるひとりの知り合いなんて、ほぼいないんだけども。
ひとりは、モニターを確認する。
そして、思わず驚嘆の声を上げる。
「喜多さん!?」
モニターに映っていたのは、数少ないひとりの知り合いである、赤髪の少女だったのだ。
モニターの〈通話〉ボタンを押すと、喜多の声が聞こえる。
「後藤さん、助けて。お願い。私を救って」
喜多の声は震えていて、さらに目には涙が滲んでいる。ただごとではないことを察したひとりは、喜多を家に上げることを決意する。
ひとりの部屋に招かれるやいなや、喜多は畳の上で土下座をした。
「え!? 喜多さん、え!? えっ!?」
「私、後藤さんがいないとダメなの……本当にダメ……」
「喜多さん、待ってください! どういうことですか!? というか、早く頭を上げてください!」
喜多は、ようやく頭を上げたかと思うと、今度はひとりに抱きついた。
ひとりに抱きつきながら、喜多が話した内容は以下のとおり。
今日は結束バンドにとっての重要ライブがある。STARRYよりも何倍も大きな箱で開催される格上バンドばかり集まる対バンで、オープニング・アクトを任されているのだ。観客には、音楽関係者も少なくない。
身の丈を遥かに超えた役回りである。
しかし、高校の文化祭でのライブも無事成功させた今の結束バンドの勢いをもってすれば、なんとかなる、と思い、メンバーは出演を引き受けた。しかし――。
重要ライブの三日前、ギターのひとりが発熱し、バンド活動を一時離脱せざるを得なくなった。
とはいえ、今さら出演自体をキャンセルすることはできなかったため、結束バンドは、ひとりを欠いた状態でライブを行うしかなかった。
ところが――。
「リョウ先輩が言ったんです。『スリーピースバンドで、間奏がずっとバッキングなんであり得ない』って」
要するに、喜多に、普段ひとりが弾いているギターソロを弾くように、リョウは命じたのである。
「リズムギターとボーカルだけで私は精一杯なのに、その上で間奏のギターソロなんて、私には無理なの! シングルノート? 何それ? 香水?」
「……じゃあ、無理だって断れば……」
「断れるわけないじゃない! リョウ先輩に命じられたら、私は靴を舐めるし、泥水だってゴクゴク飲むわ!」
いつもまともな喜多は、リョウが絡んだ途端に、まともでなくなるのである。
「喜多さん、ギターソロを練習したんですか?」
「したわ! でも、全然弾けなかった! 私は後藤さんとは違うの!」
「じゃあ、やっぱり無理だったって言えば……」
「言えるわけないじゃないですか!」
「じゃあ、今日のライブどうするの?」
しばらく語気を荒らげていた喜多が、突然、しょんぼりと顔を下げた。
そして、言う。
「……私、逃げたの」
「逃げたって……また!?」
喜多が結束バンドから逃げたのは、これで二度目である。一度目も、今回と同じような理由だ。喜多は、ギターが弾けないのに弾けると見栄を張り、ライブ直前に逃げ出した。それはひとりが結束バンドに加入する前の出来事であり、かつ、ひとりが結束バンドに加入するきっかけとなった出来事である。
「後藤さん、私を助けて」
「助けてって言われても、私、今回は喜多さんの代役はできないですよ。私、歌えませんから」
喜多の一度目の逃走劇の日、ひとりが喜多の代役を務めることができたのは、当時、結束バンドはインストバンドであり、ボーカルが不要だったからだ。
「違う。私、後藤さんに歌ってもらおうだなんて思ってない。いつもどおり、後藤さんにギターをやってもらって、いつもどおり四人の結束バンドでライブに出演したいの!」
たしかにそれが穏当である。いつもどおり、ひとりがギターソロをやり、喜多はボーカルとリズムギターに専念すれば、何の問題もないのである。
「でも、喜多さん、私、風邪をずっと拗らせてて……」
「……ん? 後藤さん、さっきから咳の一つもしてないよ。風邪は治ったんじゃない?」
「え!?……あれ? 本当だ……」
言われてみると、たしかにだいぶ具合は良くなっている。昨日まではあんなに酷かったのに。喜多のインターホン連打によって起こされる前に、十時間近くずっと寝ていたのが功を奏したのだろう。
その時、ひとりのスマホと喜多のスマホが一斉に振動した。
「虹夏ちゃんからのロインだ。早くライブハウスに来て、って」
「後藤さん、一緒に行きましょう。今日は、結束バンドにとって大事な日だから」
喜多は、左手でひとりの手をギュッと握ると、右手で、『伊地知先輩、今から行きます!』と、千通近く溜めたロインへの返信を送ったのだった。
(了)
ぼっち・ざ・ろっく!を知っている人にしか通じない叙述トリックでした。