「ぐへへへへ」
「後藤さん、何ニヤニヤしてるの?」
「うわあっ!」
突然背後から声を掛けられ、後藤ひとりは、背中から倒れそうになる。
振り返ってみるまでもなく、声を掛けたのが誰なのかは特定できる。階段下の薄暗いスペースにいるひとりに声を掛けてくる人物は一人しかいない。同学年で、同じバンドを組んでいる喜多郁代である。
「後藤さんのスマホいただき!」
体勢を整えるのに必死になっている隙に、喜多さんからスマホを横取りされてしまった。
「あわわわ、やめてください! 見ないでください!」
めちゃくちゃ焦る。なぜなら、ひとりがスマホのディスプレイに表示させていたのは――。
「……え? 何これ? 『これであなたも簡単に五十万円稼げます』……て、後藤さん、これ、闇バイトじゃない!?」
「返してください!」
ひとりは、喜多からスマホを取り返すことに成功する。――しかし、もう〈あとのまつり〉だった。
「後藤さんのニヤケ方が何だか悪役っぽくて怪しいな、って思ってたら、やっぱり悪いことを考えてたのね! 後藤さん、絶対に応募しないで!」
「……さっきもう応募しました」
「え!?」
喜多さんの大きな目が、さらに大きく見開かれる。一点の曇りもない、透きとおった瞳。喜多さんの心にはこれっぽっちの闇もないのだ。……ひとりとは違って。
「喜多さん、私、どうしてもお金が必要なんです」
「何に使うの?」
「もちろん、バイトを辞めるためです」
「ええっ!?」
ひとりは、下北沢の『STARRY』というライブハウスでバイトをしている。それは、喜多さんも同じである。
「STARRYでのバイト、楽しいじゃない! 結束バンドの他のメンバーも一緒だし! どうして辞めたいの!?」
「喜多さんみたいなキラキラ陽キャには、私の気持ちは分からないんです」
後藤は、バッと立ち上がる。
「私の夢……それは、バイトを辞め、さらに高校を中退し、社会からFIREすることなんです! そのためにはお金が要るんです!」
「後藤さんの目が珍しく輝いてる……」
でも、と喜多さんは言う。
「闇バイトは絶対にダメ。真面目にバイトしてコツコツ稼いだ方が、人生は充実するわ!」
「キラキラ陽キャの言うことは信用できません」
「それに、警察に捕まったらどうするの? 人生台無しよ!」
「テレグロムに『このバイトで警察に捕まることはありませんので安心してください』って書いてあります」
「どうして闇バイトのリクルーターの言うことは信用するの!? 私の方を信用してよ! 後藤さん、私たち友だちでしょ?」
「友だち……」
そうだ。喜多さんはひとりの数少ない友だちなのである。だから――。
「喜多さん、このバイト、二人で協力してやりましょう! それで、報酬を山分けしましょう!」
「なんでそうなるの!?」
喜多さんは、まるで漫画のように、床にずっこけた。
「だって、喜多さんだって、もっとお金が必要ですよね? コスメにすごくお金が掛かってますよね?」
「そうだけど、私はちゃんと我慢できるから」
「もっとお金があれば、リョウ先輩にもたくさん貢げますよ?」
「ぐぬぅ……抗いがたいわ……」
お金の魔力を前にして、喜多さんはついに観念したようだ。
「……後藤さん、どういう内容のバイトなのか、一応、私にも見せてくれる?」
「分かりました」
ひとりは、先ほど見ていたテレグロムの画面を表示させたスマホを、喜多さんに手渡した。
すぐに、喜多さんの目が、また大きく見開かれる。
「空き巣!? 後藤さん、空き巣をやるの!?」
「……うん。それが一番高額案件だから」
「後藤さんって意外と度胸あるのね? クラスメイトに話しかけることはできないのに、空き巣はできるのね?」
「空き巣は怖い。だけど、楽しいFIRE生活が待ってる気がする。ぐへへへ」
「もうその笑い方やめて!」
喜多さんはさらに画面をスクロールさせる。そして、突然、ピタッと指を止めた。
「喜多さん、どうしたんですか?」
「……忍び込むのって、下北沢の高級住宅なの?」
「そうです。あのあたりには少し土地勘があるので、いざというときに良いかなと思って応募しました」
「後藤さん、警察に追われて逃げることまでちゃんと想定してるのかしら?」
「最近、毎日ジョギングしてます」
「心掛けは立派だけど、動機が不純過ぎる!」
ここで一旦会話が止まった。二人がいる場所は、シーンと静まり返り、物音ひとつしない。この階段下のスペースは、ギターの練習だけでなく、密談にも向いている。
静寂を破った喜多さんの発言は――。
「……リョウ先輩」
「え!? どうしたんですか? 突然?」
「……私、リョウ先輩に貢ぎたい。後藤さん、一緒に闇バイトやりましょう!」
…………
闇バイト決行日当日。天候は晴れ。
リクルーターの指示によると、空き巣は、白昼堂々とやるものなのだという。家主が不在にしている可能性が高いからだろう。
ひとりと喜多さんは、リクルーターに指示された住所へと、並んで歩く。横に並んで、ではない。縦に並んで、である。
「ちょっと、後藤さん、なんで私が前なのよ!? 私の後ろに隠れないでよ! 後藤さんが言い出しっぺでしょ?」
「ごめんなさい。私、空き巣に慣れてなくて……」
「私も慣れてないから! ちょっと、押さないでよ!」
ひとりは、正直、ビビっていた。空き巣なんて自分に分不相応なことであると、決行当日になってようやく気付いたのである。
「喜多さん、目的地にはまだ着かないんですか?」
「あと少しだわ。……というか、後藤さん、目を瞑ってるよね? やる気あるのかしら?」
「やる気はあります。でも、怖くて」
喜多さんの背中に掴まって歩くことが、今のひとりにとっての精一杯であり、目を開ける余裕などないのである。
数分後――。
「後藤さん、空き巣に入る家の前に着いたわ」
「本当ですか?」
「本当だから、後藤さん、目を開けて」
目を開けたひとりの前に現れたのは、想像を遥かに超えたサイズの邸宅だった。テレグロムに書かれていたのは住所だけであり、外観の写真などは送られてきていなかったのであるが、まさかこんな豪邸がターゲットだっただなんて――。
「……まさかここに侵入するんですか?」
「そうよ」
「セキュリティとかバッチリっぽくないですか?」
「捕まるおそれはないんじゃなかった? 後藤さんが信頼するリクルーターによれば」
「たしかにあの時はそう言ったかもしれませんが、後になって冷静に考えてみると……」
「後藤さん、ここでウダウダしていると、誰かに見つかるリスクが高まるわ。サッサと侵入するのよ」
そう言って、喜多さんは、迷いなく鉄柵に足を掛け、門をよじ登ろうとする。喜多さんに置いて行かれたくなかったひとりも、そのあとに続く。
ブーっとブザーが鳴るのではないかとも覚悟していたのだが、案外、何も起きなかった。二人は、門を登り切り、敷地の土を踏む。
「喜多さん、どこから家に侵入するんですか?」
「逆に後藤さんに質問するけど、空き巣はをする人は玄関ドアをノックするかしら?」
「いや……」
「じゃあ、窓から行くわ!」
喜多さんが、目の前の掃き出し窓に向かって駆け出す。喜多さんの行動力はすごい。この行動力は、絶対に陽の方向で使わなければダメだ。
ひとりは喜多さんのあとに続く。
喜多さんは、当然ながら窓を叩き割るつもりだったのだろうが、その前に、念のためだと思うが、窓を横方向にスライドした。
すると、家主が鍵を掛け忘れていたのか、窓はスーッと開いた。
「ラッキー! やったわ!」
自分で誘っておいて難だが、喜多さんのキラキラ笑顔をこんな場面では見たくなかったな、とひとりは思う。
部屋の中の様子は、白いレースのカーテンが掛かっていて見えない。
喜多さんがそのカーテンを取り払うと、部屋の中には――。
「警察だ。お前ら二人を現行犯で逮捕する」
「ひえっ!」
部屋の中には制服を着た警察官が、手錠を持って待ち構えていた。
このときのために走り込みをしていたはずなのに、腰が砕けてしまい、一切動くことができない。
警察官は、ひとりの手首を掴み上げると、カチッと手錠を嵌めた。
ひとりの人生は――終わった。
――かと、思いきや――。
「リョウ先輩、コスプレ、めちゃくちゃ似合ってます! 超カッコいいです!」
共犯者の少女は、ひとりを捕まえた警察官を見て、目を輝かせている。
リョウ先輩? コスプレ?
「ドソキで買った。一式揃えるのに結構お金かかった」
「先輩、あとで領収書見せてください! 私が払いますから!」
ひとりはようやく理解した。ひとりを捕まえたのは、本物の警察官ではなく、警官のコスプレをした山田リョウなのだと。
「……一体、どういうことですか? どうしてリョウさんがここにいるんですか?」
「ぼっち、変なこと言わないでよ。私がここにいるのは当たり前でしょ。ここは私の家なんだから」
「……え? ここ、リョウさんの家なんですか?」
たしかにリョウさんの家が下北沢にあるとは聞いたことがある。それに、リョウさんの実家が金持ちだということも。
ただ、まさかこんな豪邸に住んでるだなんて――。
それより――。
「喜多さん、私を騙してたんですね! ターゲットがリョウさんの家だと知りながら、わざと私を驚かせようとして……」
「後藤さん、違うわよ。闇バイトのターゲットは、先輩の家ではなく、先輩の家の近くにある別の家だっあ。でも、そこに侵入したら本当に犯罪になっちゃうから、私が、後藤さんをさりげなく先輩の家に誘導したのよ」
ポカンと口を開けているひとりに、喜多さんは、さらに説明する。
「後藤さんにテレグロムを見せてもらった時、ターゲットの家の住所が、先輩の家のすぐそばだって気が付いたの。それで、上手く後藤さんを誘導すれば、後藤さんの闇バイトを未然に阻止することができると気付いたわ。まさか当日に後藤さんが目を瞑ってくれて、ここまで誘導しやすい状況を作ってくれるとまでは思ってなかったけど」
「……じゃあ、喜多さんは、最初から、私と協力して闇バイトを達成するつもりはなかったんですか?」
「正直、少しだけ悩んだけど、それよりも、後藤さんを更生させなきゃという気持ちの方が強くて」
「私を更生……」
「後藤さんは闇バイトに〈幻想〉を抱いているようだったから、痛い目に遭わせて〈現実〉を見てもらわなければならないと考えたの」
なるほど。だとすると、効果は覿面だ。今回の経験を通じて、私は、闇バイトには絶対に手を出してはならないという教訓をハッキリと胸に刻んだのである。
グッバイ。闇バイト。グッバイ。私の心の闇――。
「喜多さん、それからリョウさんも、本当にありがとうございます。持つべきものは友だちなんだなと再認識しました。二人のおかげで、私は人の道を踏み外さずに済みました」
ひとりはペコリと頭を下げる。
「後藤さんが分かってくれて、良かったです」
「ぼっち、これからは真面目にバイトするんだよ」
「はい! 頑張ってSTARRYで働きます!」
ところで、とひとりは恐る恐る言う。
「……リョウ先輩、この手錠、いつ外してくれるんですか?」
「ぼっち、牢屋に入りたくなかったら、私にお金を払いな」
「賄賂が横行してる発展途上国の警察!?」
リョウさんの言ったことはさすがに冗談であり、リョウさんは、胸ポケットから出した小さな鍵で、手錠を外してくれた。
喜多さんが、パンと手を叩く。
「これにて一件落着ですね! こんな形ではありますが、初めてリョウ先輩の家に来ることができて、光栄です!」
「……郁代、一つ訊きたいことがあるんだけど」
「先輩、何ですか?」
「なんで郁代は私の家の住所を知ってるの? 郁代に教えたことないんだけど」
喜多さんは、乾いた笑い声を上げる。
「アハハ。先輩、それは秘密です。アハハ」
「郁代、誤魔化さないで」
「まあ、なんというか、愛の力ですよ。アハハ」
ひとりは、喜多さんの心の闇を垣間見た気がした。
(了)
喜多ちゃん書いてるのが一番楽しいです。