ドタドタと階段を降りる音が鳴り響いたのち、STARRYの重たい扉がバンッと開かれた。
「先輩、匿って!」
「は?」
カウンターで今日の売り上げの集計をしていた伊地知星歌が億劫そうに顔を上げたときには、突然の来客――廣井きくりはカウンターの目の前にいた。
きくりは、カウンター越しから星歌に飛び掛かり、星歌に抱きつこうとした。
そして、当然、カウンターに激突し、床に突っ伏した。
「うげえ……」
「お前、めちゃくちゃ飲んでるだろ!」
「暴力反対だよお」
「私は何もしてないからな! お前が勝手にカウンター台に突っ込んだだけだろ!」
星歌は、きくりを見下すような目で、実際にきくりを見下ろしながら、吐き捨てる。
「サッサと家に帰れ」
「先輩、そんな殺生な……」
「なんでこんな遅い時間にSTARRYに来るんだよ! こっちは閉店作業で忙しいんだよ!」
時刻はすでに二十二時を回っている。星歌だって、できることならサッサと家に帰りたいのだ。まあ、家はこのライブハウスの真上なのだが。
「酔っ払いのダル絡みに付き合ってる時間なんてないからな!」
「別に、先輩に絡みに来たわけじゃないよお」
「言っとくけど、シャワーも貸さないから」
先輩そうじゃなくて、ときくりは否定する。
「最初に言ったとおり、ここで匿って欲しいの」
「は?」
「厄介なことにさあ、今、警察に追われてて」
驚愕のあまり顎が外れそうになる。……こいつ、ふざけてるのか?
「とりあえず、サッパリしたいからシャワー借りてもいい?」
「お前ふざけてるだろ! その前に状況を説明しろ! 一体何をしたんだ!?」
星歌は、きくりの首根っこを掴んで、無理やり立たせる。きくりの吐く息が、星歌に顔に掛かる。やはり、かなり酒臭い。
「さっき道端を歩いてたら、いきなり警察官に『見つけたぞ』とか言われて腕を掴まれてさあ、怖かったから手を振り払って逃げたわけ」
「お前、指名手配されてたのか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、どうして警察がお前を追ってるんだ?」
「それが、分からないんだよねえ……」
「覚えてないのか?」
「……そうとも言う」
星歌は、きくりの頭を小突く。
「お前、酒の勢いで何をやったんだ!? どうせベースを振り回して、人に怪我させたり、物を壊したりしたんだろ!?」
「先輩、ライブ中ならまだしも、私が外でそんなことするわけないじゃん。それに、そんなことしたらベースが壊れてるはずだし」
「ベースは無事なのか?」
「もちろん」
「どこにあるんだ?」
「もちろん背中に背負って……あれ?」
両手を背中に回したきくりは、指先に触れるものが何もないこと気付き、あははと笑った。
「どっかに忘れて来たかな? 居酒屋かな?」
「ここに来る前には居酒屋に居たのか?」
「うーん……覚えてないや」
星歌は、もう一度きくりの頭を小突いた。
「何も覚えてないんだな?」
「ちゃんと覚えてることもあるよ! 名前とか、STARRYの場所とか……」
「それだけかよ」
呆れ過ぎて溜め息も出ない。直近何時間かの記憶は壊滅的だと思った方が良さそうだ。
「もしかすると、居酒屋で食い逃げでもしたんじゃないのか?」
「え!? そんなわけないじゃん! 私、こう見えて結構稼いでるんだよ?」
稼ぎが多いことは認める。しかし、それ以上に支出が多いので、きくりは常に金欠なのである。
「財布の中のお金を見せてみろ」
「そんなに疑うなら、分かったよお……財布、財布……あれ?」
スカジャンのポケットをまさぐったのち、きくりは、また、あははと笑う。
「ベースだけじゃなくて、財布もないや」
「お前って奴は……」
とみに食い逃げ説の信憑性が増す。
「警察に自首した方が良いだろ。自首した方が罪が軽くなるからな」
「先輩、見離さないでよお。多分、財布は、警察に追われてて走ってる時に落としたんだよお」
きくりの発言に信憑性はなかった。
星歌は、ふと、あることに気が付く。
「お前、スカートのポケットが膨らんでるみたいだが、そこに財布が入ってるんじゃないのか?」
「え? スカートのポケットが膨らんでる?……本当だ」
きくりは首を傾げる。
「普段はこのポケットには財布を入れないはずなんだけどなあ……」
「酔っ払って何が何だか分からなくなったんだろ。とりあえず、ポケットの中身を確認してみろよ」
「分かった」
きくりが、スカートのポケットに手を突っ込む。取り出した物は――。
「ん? なんだこれ?」
「漫画本……だよな」
それは、少年漫画の単行本だった。未開封である。タイトルは『マイ・メシア小学校』。聞いたことない漫画である。星歌が知らないだけかもしれないが。
「……メシヤ小学校? 美味しそうだね。お酒も売ってるのかなあ?」
「おい。お前が読むために買った漫画じゃないのか?」
「違うよ。漫画はネットでしか読まないから」
「じゃあ、どうして漫画本がお前のスカートのポケットに入ってるんだ?」
「さあ」
「しかも、これ、中途半端に四巻だぞ」
星歌は、きくりの手首を捻り上げる。
「いててて、先輩、何するの?」
「お前を警察に突き出すんだ。お前、万引きしただろ」
「ええ!? 記憶にごじゃいましぇん」
「その言い訳が通じると思うなよ。動かぬ証拠があるんだ」
「冤罪だよお。先輩、離してえ」
星歌ときくりが揉み合っていると、突然、出入り口の扉が開かれた。
――ついに警察官が、きくりの居所を掴んだのである。
――来訪者は、警察官だけではない。制服を着た警察官の後ろには、星歌もよく見知った二人の女性がいる。
岩下志麻、清水イライザ――きくりがフロントを務めるSICKHACKのメンバーだ。
「やっぱりここに!……すみません。うちの廣井がまた迷惑を掛けました」
「あっ、『マイ・メシア・小学校』の四巻、ちゃんと買ってくれたのネ!」
何が何だか分からない星歌は、きくりの首を絞めたまま、唖然とする。本来はすべてを把握していなければならないきくりも、ぽかんと口を開けている。
「……どういうことだ?」
バンドの良心である志麻が、事情を丁寧に説明し始める。
「今日は、SICKHACKは新宿FOLTで対バンがあったんです。ただ、出番前の楽屋で若干のトラブルがありまして……」
「トラブル?」
「きくりが、私が読んでた漫画本に、酒を吹きかけたネ! それで、きくりが弁償することになったのヨ!」
ああ、思い出した、ときくりが言う。
「それで、私、出番前に漫画本を買いに行かされたんだった。それで本屋に行って買ったあと、まだ出番まで少し時間があったから……」
「飲んだのか?」
「まあ、先輩、ライブ前の景気付けというやつですよ!」
「は?」
志麻とイライザも星歌側に加わり、三対一のリンチになりかけたところで、警察官が仲裁に入った。
「まあまあ、みなさん落ち着いてください。捜索人が無事に見つかって良かったじゃないですか」
「捜索? 私、捜索届出されてたの?」
「当たり前ネ! 漫画本を買いに行ったまま帰って来なくて、ライブは出ないし、電話掛けても出ないし! 心配したんダヨ!」
「あれ? スマホもどこにもないや……っていうか、ライブをバックれたってマジ? それは笑えないね。あはは」
「仕方ないから、私がアニソンの弾き語りしたネ!」
サイケデリックバンドのボーカルが酒で潰れて現れず、代わりにイギリス人がアニソンを歌うだなんて、ロック過ぎるにもさすがにほどがある。
なお、この日、きくりがSICKHACKのメンバーから禁酒を命じられることは必定だった。
きくり姉さん、なんて使い勝手の良いキャラクターなのだろうか……