「後藤さん、おはよう!」
「あっ喜多さん」
喜多郁代は、小走りで後藤ひとりに近づき、ひとりの右隣に並ぶ。ひとりはトボトボと歩いていたため、喜多は歩幅を小さく調整しなければならなかった。
「喜多さん、入場ゲートはこっちで合ってますよね?」
「合ってるけど……後藤さん、なんか元気無くない?」
歩き方だけではない。顔色も明らかに悪い。
「あっ、まあ、なんというか、昨夜は一睡もできなかったというか……」
「後藤さん、結束バンドのみんなでディズニーに行くことがそんなに楽しみだったのね!」
ひとりは、朝の陽射しよりもはるかに眩しい喜多さんのキラキラ笑顔に目を細めながら、答える。
「……あ、はい。とても楽しみでした」
先日、結束バンドは、秀華高校文化祭ライブを見事に成功させた。
その打ち上げとして、喜多が中心となって企画したのが、今回のディズニーシー遊行だった。
「後藤さんに楽しみにしてもらえてて、私、安心したわ。後藤さんのことだから、人混みが嫌だとか言ってドタキャンされるんじゃないかと心配してたの」
「あはは……大丈夫ですよ。結束バンドのみんながそばにいてくれるなら」
「ところで、後藤さん、これは何?」
喜多が指摘したのは、後藤の荷物である。後藤が背負ったリュックは、登山用の巨大なものであり、閉まり切っていない入り口から、例の『完熟マンゴー』の段ボール箱が覗いていたのである。
「人混みの中でもこれを被ってれば恥ずかしくないかなって」
「逆に恥ずかしいから絶対にやめて!」
「でも、ディズニーに来る人って結構みんなコスプレしてますよね?」
「ディズニープリンセスと『完熟マンゴー』を一緒にしないで!」
喜多は、入場前に廃棄してしまおうと、後藤のリュックから『完熟マンゴー』を引っ張り出した。
「うわっ、喜多さん、何をするんですか!?」
「今日は少し寒いから、火起こしでもしようかしらって」
「私の一張羅を燃やさないでください!」
「あっ……」
『完熟マンゴー』を奪い合って、二人が揉み合っていると、ひとりのジャージのポケットから、ヒラリと何かが落ちた。
それはメモ用紙のようなもので、ボールペンの文字が数行書かれたものだった。
…………
3・2・オーオーオー
禁忌をおかしたアダムとイブは
高い空から堕ちていく
散らばった愛は光り輝く
大人になんかなりたくないよ
…………
「後藤さん、これって……」
「返してください!」
メモ用紙を先に拾ったのは喜多だったが、すぐにひとりに奪い返された。取り返したそれを、ひとりはまたジャージのポケットへと戻す。
「これって、もしかして、後藤さんが作った歌詞?」
まだ途中ですけど、とひとりは俯きながら言う。
「昨日、全然眠れなくて、仕方がないから寝るのを諦めて作詞をしてたんです」
「さすが後藤さん、意識高いわね! 完成するのが楽しみだわ!」
その時、遠くから二人を呼ぶ声がした。
「おーい、ぼっちちゃん、喜多ちゃん、こっちだよお!」
結束バンドのリーダーである伊地知虹夏が、つま先立ちで、大きく手を振っている。
虹夏は、入場ゲートに並ぶ長蛇の列の最後方にいた。
「……え? もしかして、私たち、今からあの列に並ぶんですか?」
「当たり前じゃない。後藤さん、早く伊地知先輩と合流しましょう」
「……いや、私はここで待ってます。入場時間が過ぎて、人がまばらになってから遅れて入場します」
「何言ってるのよ! それだとせっかく早く来た意味がないでしょ!」
喜多は、ひとりの腕を掴むと、半ば引き摺るようにして、虹夏が待つ所へと連れて来た。
…………
「ロマンティックな港町――ディズニーシーに来たって感じだね!」
「最高ですね! 伊地知先輩!」
『メディテレーニアンハーバー』の入り口に立ち、二人は、空を仰ぎ見る。『センター・オブ・ジ・アース』のレールで貫かれている『プロメテウス火山』の火口から上がった黒煙が、雲一つない青い空へと浮かぶ。
「ぼっちちゃんももっとハシャぎなよ」
「え?……いや、あの……」
「どうしたの?」
「……リョウさん、全然来ませんね」
結束バンドの打ち上げであるはずなのに、ベースの山田リョウが未だに姿を見せていないのである。
「まあ、リョウが朝に弱いのは今日に始まったことだから気にしなくて良いよ。どうせ昼頃に来るからさ。そんなことより、何かアトラクション乗ろうよ!」
「良いですね! 先輩! 私、『レイジングスピリッツ』乗りたいです!」
「『レイジングスピリッツ』かあ。あれって絶叫系だよね?」
「私、絶叫系大好きなんです!」
「ぼっちちゃんはどう? 絶叫系乗れる?……って、あれ? 大丈夫!?」
虹夏がひとりを心配したのは、ひとりが自らの肩を抱き、ガタガタと震えていたからだ。
「後藤さん、絶叫マシンがそんなに怖いのね。だったら私、無理強いはしないから」
「喜多さん、違います……」
「じゃあ、どうして震えてるの? ジャージ姿だと寒いの?」
晴れているとはいえ、暦は十二月なので、全く寒くないということはない。とはいえ、喜多は、生脚にスカートという出立ちなのだ。間違っても、ひとりが寒いなどと弱音を吐くわけにはいかない。
「喜多さん、そうじゃなくて、私、この環境に耐えられないんです」
「環境?」
ひとりは分かっている。キラキラ陽キャの喜多にも、普通の女子高生である虹夏にも、この〈環境〉の過酷さは伝わらないのだ。
東京ディズニーリゾート――そこはリア充の巣窟に他ならないのである。
決して耳を澄ましているわけではないのに、ひとりの耳には、リア充たちの囁き声が聴こえてくる。
「私、子どもの頃、ミッキーマウスと結婚したかったの」
「今は?」
「ユウ君と結婚したいに決まってるじゃん」
「アツシ、『パラッツォ・カナル』の風景が綺麗」
「ミオの方がもっとキレイだよ」
「誕生日はタカ君に『ミラコスタ』でお祝いして欲しいな」
「えーっ、じゃあ、カオリちゃんのためにたくさんバイト入れちゃおうかな」
もう限界だった――。
パリン――。
「後藤さん!」
「ぼっちちゃんが粉々に砕けた!?」
「伊地知先輩、早く後藤さんを覆ってください。そうしないと、後藤さんが――」
「覆うって何で!? あ――」
ひとりの〈破片〉が風でふあっーと舞い上がる。
そして、たんぽぽの綿毛のように、ふわふわと四方へと飛ばされていく。
「ぼっちちゃん!」
「後藤さん!」
二人の叫び声は、ひとりに届くはずもない。ひとりの〈破片〉は、もうそこには一切残されていなかったのである。
唯一、その場に残されたのは――。
「……この紙何?」
「私、これ知ってます! 後藤さんが昨夜書いた歌詞です!」
喜多は、メモ用紙を拾い上げると、それを虹夏に見せた。
…………
3・2・オーオーオー
禁忌をおかしたアダムとイブは
高い空から堕ちていく
散らばった愛は光り輝く
大人になんかなりたくないよ
…………
「これがぼっちちゃんが最期に遺した遺書なんだね。うぅ」
「伊地知先輩、諦めるのが早過ぎます! 後藤さんの〈破片〉を集めて、後藤さんを元どおりに修復しましょう!」
「でも、どうやって見つけるの? 風で遠くに飛ばされちゃったんだよ?」
「ぐっ……それは……」
喜多は即答することができなかった。
しかし、ひとりが作詞した歌詞を見ているうちに、あることに閃いた。
「伊地知先輩、もしかしたら、この歌詞がヒントかもしれません」
「歌詞がヒント? どういうこと?」
「後藤さんは、今日のディズニーシーが楽しみで眠れない中でこの歌詞を書いたんだそうです。おそらく後藤さんは、〈後藤さんがディズニーシーで行ってみたい場所〉を考えながらこの歌詞を書いたんだと思います。後藤さんの〈破片〉は、いわば後藤さんの魂みたいなものですから、〈後藤さんがディズニーシーで行ってみたい場所〉に流れ着いてるんだと思うんです。確証はありませんが……」
確証はないが、それ以外の手掛かりもない。
虹夏と喜多は、ひとりが残した歌詞を解読することに決めた。
(【中】へ続く)