裸の毒蛇   作:eohane

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【第1章】 歩く“偽り”
こうして臆病な蛇は創出された


 全てには“始まり”がある。

 宇宙、銀河系、太陽系、地球、国、(ひと)、思想、規範────意志(ウィル)……いや、意志(センス)

 これら全てに、始まりは必ず存在する。

 到底、人間的感覚(センス)から見いだすことは不可能に近い、無限の可能性を秘めた始まり(ゼロ)。────そう。始まりは“1”ではない。その遥か以前の可能性(カオス)

 

 世界は(ヌル)から覚醒し──そして0(ゼロ)から生まれる。

 

 世界は、無限の可能性に満ち満ちている。だが可能性故に────世界は脆い。世界は容易く壊れてしまう。滅んでしまう。

 まさに無数の信管を突き刺した爆薬そのもの。その信管(可能性)1つで世界は揺れ動き、怪物(ビースト)が牙を剥く。

 

 全ては、年より達が始めたこと。

 英雄の遺志(ウィル)を、2つの意志(センス)が取り込み独自性をもって解釈し、この危うい世界は動き出す。

 1つの意志(センス)は、他者への尊重、信頼を放棄し、全ての意志(センス)を統一した世界、“内なる世界(インサイド・オブ・ザ・ワールド)”の確立を目指した。

 1つの意志(センス)は、暴走を始めたもう1つの意志(ビースト)の“包囲網”からの解放を望み、西部開拓期の無秩序を求め、誰しもが戦いの中で生の充足を得る世界、“天国に見放された世界(アウターヘヴン)”の確立を目指した。

 ────そう。全ては年より達が始めたこと。……結果的に、世界は破滅へと導かれた。

 たった1人の人間……いや、欲望は肥大化し、テクノロジーを吸収し、いつしか本人さえも自我を無くし、境界線を見失った。必然的に産み出された“代理人”は自我を保った頃の本人が意図し得ない“突然変異”を起こし、世界(けいざい)を操作した。……誰からも気付かれることなく。

 人々は非常に画一的なシステム、仕組まれた単なる規範の上を反復していたに過ぎない。

 極めて単純化された“規範”という神経回路の集団、意志や変革のない“普遍性”は“時代”をも操作し、そして時代は質量の無い新たな世界体型を創出した。

 世界は、人々の知らないところで、破滅していった。

 

 何度でも言おう。全てには始まりがある。……そして、何事も全ては再び繰り返す。新たなる“始まり”を。

 全ては年より達が始めたこと。元凶となった意志(すべて)は閉ざされ、元凶となった不毛な抗争の火種は消え失せ、この波乱に満ちた“過ち”の時代は終わる。

 

 世界は(ヌル)から覚醒し──そして0(ゼロ)から生まれる。

 

 0(ゼロ)から1(ワン)へ。

 この無限の可能性を秘めた世界は、囚われた意志(センス)解放(リベレイション)、喪われた革命(レボリューション)を求めて動き出す。世界は、(アウトサイド)へ向けた自由────フリーダムを手に入れる。

 世界は再び、裸の太陽(ネイキッド サン)を取り戻す。

 

 ────そこに、その世界に、俺の生きていける“居場所”はあるのだろうか。

 たった1人、無意味に生き残って……逝き遅れてしまった俺は…………。

 そもそも俺は、これから何を道しるべに生きていけばいいのだろうか。────いや、そもそも俺は、何を道しるべに生きてきた────?

 俺は……────

 

 ────……蛇は1人で……いや、蛇はもう……いらない

 

 英雄(スネーク)は力なく呟く。その顔は、戦場を生きてきた人間とは思えないほどに穏やかだ。……真の最期が近付くにつれ、“彼女”の、最期の遺志(ウィル)を、その真の意味を、理解する。

 ────お疲れ様。本当に、お疲れ様。

 お前ほど濃密な、生に満ち溢れた、血生臭い人生を歩んだ人間など、世界広しと言えどそうそういないだろう。兵士としての、戦士としての“全て”を求め続けた男などそうそういないだろう。

 ……だからこそ、なのだろうな。俺達が、お前に希望を見いだしたのは。救いを求めたのは。

 お前のためなら喜んで槍にも、盾にもなろう。お前のためなら喜んでこの命を捧げよう。────お前に“全て”を預けよう。

 ────こいつになら、何処へでもついて行ける。そう思えたのは。

 (あいつ)がいつも言っていた。奴は、俺達の希望だ、と。

 大蛇(あいつ)がいつも言っていた。奴が、俺達を救ってくれる、と。

 (あいつ)が言っていた。とても魅力的な男だ、と。

 それほど、お前には人を惹き付ける何かがあった。

 

 ……だが、俺達は……俺は、お前に任せすぎだったのかもしれない。……いや、事実そうだった。

 指揮を経験したからこそ言える。人の上に立ったことの無い人間は、その重圧を知らない。俺自身がそうだったのだから間違いない。俺達は、お前を英雄視し、お前に全てを任せきっていた。……“責任”を、押し付けていた。

 どれ程の重圧を感じていたのかは判らない。お前はそんなことオクビにも出さなかったからな。所詮、人間は他者の感情(センス)を完璧に読み取ることはできない。俺は、そこに甘えてしまった。

 少しでも、それに気づくことができたなら。

 少しでも、お前の悲鳴を理解することが、あの時の俺にできていたなら。

 世界の破滅を免れることが……この多大な犠牲を少しでも減らすことができたかもしれない。

 

 それが、俺の“(過ち)”。

 

 本来、俺にこのようなことを言う資格は無い。そもそも、俺はお前に会うのが恐ろしかった。……お前を見れば、俺は罪の意識に踏み潰され、引き千切られ、滅茶苦茶に蹂躙される気がしたのだ。

 “英雄”としての資格を持ちながらも恐怖に怯え、責任を負うことから逃げ出した俺には、お前に会わせる顔がなかった。いっそのこと顔の皮を全て剥ごうかとさえ思った。

 だが……お前は、俺を受け入れてくれた。崩壊を始めた“俺”を、抱き止めてくれた。

 卑しい話だが、俺がどれ程嬉しかったか、わかるか? 俺がどれ程救われたか、わかるか?

 結局、俺はお前に任せきりだった。けれど、どうしようもなく、嬉しかった。お前が、俺を俺でいさせてくれた。やはり、お前が俺の、“道しるべ”だった。

 

 ────だが。お前がもう、逝ってしまうのなら。……今度こそ俺は何を道しるべに生きていけばいい……? 教えてくれ。俺はいったい何を……────

 

 ────……いいものだな

 

 全てには始まりがある。

 何事も、全ては再び繰り返す。

 

 ────行きましょ

 

 ────……あぁ、あった。俺の道しるべは、自分の思っていた以上に身近にあったようだ。俺の右手を握り締める、暖かく包み込んでくれるこの、美しい手。

 なるほど。お前が俺に言ってくれたあの“言葉”の意味はそういうことだったのか。この手渡された葉巻──2つの内の、1つの意味は、そういうことだったのか。

 “彼女”こそ、俺の道しるべ。俺の、この世界を生きる意味。俺の全て。我が存在理由。この70年という歳月を生きた、我が人生の中で唯一の感情を抱いた人。忘却していたそれを、不器用ながら俺と共に掴もうとしてくれた人。

 ふと見ると、彼女は暖かい笑顔を向けてくれた。その瞬間、俺を雁字搦めに拘束していた(くさり)が、ボロボロに崩れ去っていくのを感じた。

 俺は俺自身の罪を、過ちを、忘れることはない。忘れてはいけない。この残り僅かな生を歩む過程で、それを永遠に背負う。

 この血に汚れた手で。この血を浴びた体で。

 ────けれど、彼女は俺に言ってくれた。私もその荷を背負う、と。私にも、(過ち)がある、と。

 そしてこうも言った。だからこそ、あなたも私の荷を背負って欲しい、と。私の全てを背負って欲しい、と。

 

 あなたとなら、何処へでも行ける、と。

 

 彼女は俺の手からそっと葉巻を取り、それを口に運んだ。慣れた手つきでライターを点火し、葉巻に近付ける。紫煙が立ち昇り、実に十数年ぶりの懐かしい“芳醇な香りに豊かな風味。立ち昇る濃厚な煙はもはや官能的とすら”言える薫りが鼻をくすぐる。

 案の定、彼女は目尻に涙を浮かべながら咳き込んでいた。ケホッ、ケホッ、と口に手を当て、嗚咽を堪えていた。その度に、美しい髪が波打っていた。そんな彼女が、苦笑しながら俺に葉巻を差し出した。

 しばらく──いや、実際はただほんの一瞬だったのかもしれない。俺はその葉巻を見つめ、彼女から受けとり、口に運んだ。

 案の定、俺も目尻に涙を滲ませながら咳き込んだ。それでも不思議と、あの日のように卒倒はしなかった。

 

 ────……いいものだな

 ────ええ。本当に

 

 俺の名は“真実の愛(ザ・ラブ)”。

 ───戦場に於いて、“愛”を見いだした1人。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢を、見てい()

 夢の中にあってこれは夢だ、と知覚できる状態。知識として聞いてはいたが、実際のところ俺は初めての経験だったので、少なからず動揺していた。

 俺が今まで見てきた夢とは、俺自身の視点で夢の世界を見ているものや、空に浮かぶフワフワとしたナニカとなって夢の世界を見ているというのが常だった。そして大抵、俺自身の意志で、俺自身の体は動いてくれない。あらかじめプログラミングされた設定の中を淡々と動いている感じ。

 だが今は。今見ているこの夢は……明らかにいつもと違う。異常だ。

 まず体と言う感覚が無い。いや、あるのだが、無い。自身の目(目さえ無いのかもしれないが)はしっかりと視覚情報を捉えているし、俺はその光景が見えている。そして自身の体も、動く。あると仮定すれば動く。見えないのだが。感覚で手を顔の目の前に持ってきた、とわかっても、俺が眺める光景には自身の手なるものが映り込まない。まるで自分自身が空気────いや、“空間”そのものになったようだ。うむ。これが最もしっくりくる。

 そして目に見える光景も異常だった。

 見えるのは、1匹の蛇────そして3匹の蛇達。

 

 喰い合っていた。

 

 お互い血みどろになりながら、皮を裂かれながら、肉を喰い破られながら。

 1つの囲いの中で戦っていた。窮屈な囲いの中で、生存をかけ自由を求めて戦っていた。

 囲いを出れば、広大な自由があるにも関わらず。

 

 ────なんだこれは。

 

 既視感……そう、既視感(デジャヴ)だ。

 蛇達の血生臭い争い。不毛な抗争。囲いの中を破滅へと導いていく。やがて2匹の蛇が死に絶え、遺されたのは残り2匹。その両方とも、息は絶え絶えだ。

 やがて1匹が死んだ。最後に遺された1匹は囲いを出た。そして蛇は────自由に生きた。外の世界を、目に灼き付けながら、見届けながら。

 

 やがて最後の蛇も、眠るように終わった。

 

 ────いや。まだもう1匹、いた。

 悲しげに、どこか諦めたように蛇達を眺める、蛇が……。

 

 ────綺麗でしょう? 命の終焉(終わり)

 

 どこからともなく声が聞こえてくる。

 いや、今の俺に体は無い。聞こえてくる、という表現にはいささか語弊があるかもしれない。

 

 ────……切ない程に

 

 特に、驚きは無かった。今や懐かしささえ感じる、とても、聞き慣れた声だった。

 とても、美しい声だった。

 声のする方へ振り向くと、そこには白い蛇がいた。滑らかな鱗に覆われたその白い体は、どこからか光を当てられているわけでもないというのに光輝いていた。

 

 ────あなたはとても優しいわ。……優しすぎる

 

 俺は、ただ魅入っていた。白い蛇に、魅せられていた。

 

 ────彼らを……見守ってあげて……

 

 そして俺は、再び臆病な蛇、毒蛇(サーペント)となった。

 

 

 

 全てには始まりがある。

 何事も、全ては再び繰り返す。

 

 

 

 

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