自身の血が昂ぶるのを、その人物は感じ取る。
「くく、やっと目を覚ましたか!!」
全ての諸悪の根源ともいえる、小柄な男は山のように積み重なる紙束を前に嬉しそうに手を叩く。
「ここまでした甲斐があったねえ」
魔族と人間の和平。
それはまだ歪で、不安定なものだ。
ただでさえぐらついていた均衡は、人間界に生まれたたった一人の少女により更に加速する。
四年前、自身が敗北したその瞬間に男は万が一を想定して動き始めた。
人間の怨恨は、未だくすぶっている。
何かが発端で、また魔族と人間が対立してしまったら。
その悲劇を回避するために、男は動き始めた。
魔族と人間が共存する平和を維持する為に――
そうした建前の奥底に、男の真の源泉はある。
悔しくて仕方ないという、私情の極みが男を突き動かす最大の動機であった。
「せいぜい僕の娘に翻弄されるといいさ! バーカ!!」
かつて最強の座についていた『魔王』――ブラス・フィーベルはそう天高く嗤って言った。
◇
たった一撃。
そのための前座に、ここまで時間を弄した。
あとは、魅せるだけだ。
「魔王(予定)――ミラ・フィーベル。貴様を否定してみせよう、来い」
「"聖光"の『勇者』――セイン・ヴィグリッド、参る」
開戦の合図と共に。
先よりも段違いな速度で、真っ直ぐに光はこちらに向かう。
それでも、ギリ追いつく……!!
「!?」
迎撃の態勢を取ったわたしに対し、光は急に軌道を上へと変える。
フェイント!?
ただの脳筋じゃないのかよ!!
「時には寄り道も必要だよ」
彼女が指を鳴らすと、光の星が顕現する。
「
その手から生み出された光が、こちらへ目掛けて堕ちる。
「くっ!」
動きが単調な分、回避に手間取らない。
代わりに、そのルートは決まったものになる。
つまり、動きが制限される。
もう一つの光が、少し遅れて舞い降りる。
「さて、どうする?」
く……そっ!
これだけは、使わずにいられたらよかったけど……。
やるしか、ない……!
血晶――
「!?」
「どうよ、気持ち悪いでしょ」
彼女の平衡感覚が失われる。
重心がずれ、態勢を崩す。
正しい行動をする者ほどに、その異常には手間取るだろう。
「その気持ち、痛いほどわかるよ!!」
だってこの空間の中心は、わたしなんだから。
「う……ぷっ」
その影響を最も受けるのもわたし。
存在しないはずの吐き気を食いしばると、せっせと血晶を解除する。
「はぁ……もうぜったい……つかわない」
急場はしのいだ。
さて、血晶はあと一つ。
最後の切り札だけ。
正直、あのまま突っ込んでこられたらやばかったけど。
幸いにもセインは距離を取って、様子を窺っているようだ。
「……ん?」
こちらの様子を、慎重に見定める?
いやいやいや、そんな戦い方をするような性分だったか?
もしかしてだけど……
「セインあんた、疲れてるんじゃないの?」
思い返せばセインはずっと、動きを止めていない。
マナの嫌がらせに気を巡らせ、リリーちゃんの渾身の一撃を受け、わたしを常に念頭に置いていた。
ここまでの積み重ねが、彼女を疲れさせた。
……の、かもしれない。
これはただの、そうあってほしいだけの仮定だ。
それでも――
「わたしの直感で、あんたを倒してやる」
返答はいらない。
ただ、それを盲信することだけが勝機だと信じる。
全力だ。
――――この演目を、終わらせよう。
「いくぞ、我がライバル……!!!」
全力で、拳を振りかぶり――
そして、振り下ろす。
その一撃を見て、セインはあっさりと後方へ避ける。
受けて立つのではなく、逃げることを選んだ。
――――それが、あんたの敗因だよ。
飛べ――
後方の、後方。
セインの背後から、拳を穿つ。
「……くっ!!!!」
不意を付いたはずなのに、なんとか迎撃の用意ができているのがまた腹が立つが。
それでも、彼女は防勢に回った。
同時に、疑惑は確信に変わる。
この力のおかげで
その効率がいかに優れていても、セインの容量は随一ではない。
フランの方がその総量に富んでいるし、一度の放出量は優れていた。
それが、完璧なんかじゃない証左だ。
確かに彼女の魔力は、わたしという脅威に対し供給が追いついていなかった。
この機を、逃してなるものか。
やってやろうじゃないか。
「覚悟はできたか、最強の『勇者』」
もう逃さない。
ありったけを、ぶつける。
「こんなことで、私を追い詰めたとでも?」
一層、セインの目が鋭く尖る。
怖いかって?
ああ、怖いよ。
でも今は恐怖が、わたしを奮い立たせる。
瞬間、セインの元から光が溢れる。
先ほど見せた、おそらくセインの秘奥。
ああ、遅い。
遅いんだよ……!!
もっと速くできるだろうが!! ミラ・フィーベル!!
奥義なんて使わせない。
その前に、倒し切る。
一撃を、ぶち込む。
光が場を埋め尽くすと同時、わたしは無意識に視覚を捨てた。
視界なんて無くても、わたしの呪いは彼女の動きを察知できる。
血晶――
「〈夢想《オリジン》〉」
最後のそれは、夢を現実にするもの。
「見てて、くれてる?」
誰かに向けて、わたしは呟く。
その技は子供の頃、わたしが好きだったアニメの主人公が使う必殺技を模したもの。
何度も口に出して、仕草を真似して遊んだ、ただの児戯。
『どうだ、まいったか~~!!』
『ぐ、が……おおおお!! ま、まさかここまで……とは……がくっ』
『りあるすぎだよ、こわい』
『あはは、つい良いトコみせたくってね。忙しくてミラを一人にしてばっかりだからさ……』
そう言ってわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた人は、もう居ない。
誰かの為に生きて、死んだ。
絶対に帰ってくるといって、この世から去ってしまった。
大切な思い出を、今ここで本物にするよ――お母さん。
――ゴウ!!
一筋の雷撃が、その場に音を鳴らす。
「【壊雷《ヴォルグ》〉】!!!」
これは本物の雷撃ではない。
電荷だっけ?
とにかく、そんな性質はない。
だってこれは、わたしの頭の中で造った想像上の一撃だから。
迸る雷撃は見栄えこそ派手だが、実際は至近距離でようやく当たる、まさに小心者のわたしらしい一撃だ。
だけど確実に、【壊雷】はセイン・ヴィグリッドを貫いた。
「~~~~~~!!」
彼女の肉体は宙に放り出され、もんどりをうつ。
え、もしかしてやりすぎた?
地上へと投げ出される彼女に向かって、わたしは叫ぶ。
「セイ」
「心配はいらない……っよっと!」
中空で姿勢を整えると、セインは剣を突き立てて地上に降り立つ。
そして、深く息をつく。
「……はあ」
なんじゃそりゃ。
わたしの全てを捻り出した一撃を受けて、膝をつくこともないのか。
ただ――
その口端に、一筋の血が見えた。
「ちょ……だいじょうぶセイン!? 血が、血が……!」
吸血種の特性を持っているわたしだが、血は大の苦手だ。
だってそれは、痛みの象徴だから。
どうしても過剰に反応してしまう。
「大丈夫だって。かすり傷だから」
口端を拭って、迫るわたしをなだめる。
本当に、ただのかすり傷のようだ。
実際、魔力の流れも乱れていない。
むしろ、攻撃を受けながらも回復している。
「「…………」」
静寂が流れる。
えーと、かすり傷ならどうなんだろう。
一撃を入れたといえるのだろうか。
そんなわたしの懸念を前に、セインは両手を上げて表明した。
「負けだよ」
「え?」
「だから、私の敗北だよ!!」
むくれたように、彼女はそう宣言した。
「……勝った、の?」
「何度も言わせないでほしいな。今ので食らってないだなんて言ってしまうほど、私は強情じゃないよ」
「いや、あんたは強情だと思うけど」
「君には言われたくないよ。まあそれはともかく……負けは負け。私の強情を、君の強情が上回った結果だ」
「そ……っか」
勝ったのか?
うん、勝ったんだ。わたしは。
妥協に妥協を重ねて、セインの好意を踏み躙るような挑発で舞台に立たせて。
そんな情けない勝負だったけど、それでもわたしは……勝ったんだ。
ふっと、肩の荷が下りる。
そうして――
ぐらっと、全身が崩れた。
「ミラ!!」
「ないす、きゃっち……」
倒れ込んだわたしを、セインが受け止める。
無理してたけど、いっぱいいっぱいの負担がかかり続けていた。
もう隠さなくていいと思うと、身体が限界を迎えた。
「そういうことで、わたしはもう動けません」
「全く……もうっ!! 君ってやつはっ!!」
一通り叫ぶと、呆れたように肩をすくめる。
「ほんと、私のこと好きすぎないかな?」
「それはどうでしょう……」
そうしてセインは、ふきだすようにして笑う。
つられてわたしも、笑みをこぼす。
「はあ……なんでこんなことになったんだっけ」
「さあね。ただ、まだ私も未熟だったと改めてわかったよ」
喧嘩両成敗で終わればよかった話がもつれて、結局こうして喧嘩をしたわけだけど。
やっと、わたしたちの喧嘩は終わったのだ。
「このままおぶってってよ、わたしの従者さん?」
「はいはい。じゃあ王国の病院にでも?」
「いや、そこまでしなくていいよ。一晩寝たら回復すると思うし」
「なら、どこをご希望で?」
「――魔王城まで」
「へ?」
彼女は耳を疑ったのか、目を丸くして尋ねる。
「えと、私が?」
「うん、家族に紹介しておかないとね。これがわたしのライバルだって」
「…………はいはい、わかりましたよ。もうっ!」
半ばやけに返事をする彼女は、年相応の少女に見えた。
とにかくこうして、わたしと彼女のわだかまりは解けた……のかな?
むしろ更に、複雑になったのかもしれない。
わたしにとっては、打倒すべき『勇者』。
彼女にとっては、脅威と感じる『魔王』。
はっきりと、互いの認識が固まった。
それは、わたしの物語が始まった、そんな瞬間でもあった。
思い返せば、どうしてこうなったのだろう。
あの校門の前でうずくまっていた時からは、考えられない。
進みたくないと止まっていた時からは、考えられない
きっかけは、彼女が手を引いてくれたから。
無理やり、肩を押されてここまで来てしまった。
それでも、わたしは校門への道を歩んでいこうと思う。
最強の『勇者』を倒し、最強の『魔王』になる――――
「いつか必ず倒してやるからね、セイン?」
「ふふ、やってみなよ。私は負けないよ、ミラ?」
そんな道のりを。