沈黙と亡霊とカフェイン中毒者   作:パック

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始まり

 

 

 

 

 薄雲の向こうで三日月が浮かんでいる。

 この時間になれば、トレセン学園もすっかり人気が無い。

 

 僕の足が向かう先は練習用のコースだ。この時間まで練習している者は早々居ないが、夜を好む者も少なからず居る。

 

 例えば、彼女――マンハッタンカフェなんかはその筆頭だろう。

 

 『――私は、いつも夜に走ってるんです。その方が調子が良いので……』

 

 ぽつりと呟くように彼女は言った。

 その真意は分からない。ただ、もしそれが、僕に最後のチャンスをくれるということであるならば――

 

 「――襟を正して望まなきゃな」

 

 決意を新たにして、僕は足を早める。レースでもないので、遅刻なんてことはまずあり得ないだろうが、こういうのは気持ちの問題だ。

 しかし、コースに辿り着く前に見覚えのある人影が僕の前に立ちはだかった。

 

 「――やぁユヅキ君、少しいいかな」

 

 夜風で白衣がはためく。

 好奇心を宿した紅茶色の瞳は、不思議な艶を宿して僕を見据えていた。

 

 「……アグネスタキオン、悪いが大事な予定があるんだ」

 

 「ふむ、カフェのことだろう?」

 

 ぴたりと彼女は言い当てる。

 

 「お見通しってわけかい?」

 

 「そんな大層なものじゃない。私とカフェは空き教室を折半して使っている仲でね。彼女がトレーナーからスカウトを……いや、スカウト宣言だったかな? を受けてることは事前に聞いていたんだ。まさかそれが君だとは思わなかったが……くくっ」

 

 興味深そうに、タキオンは喉を鳴らして笑う。

 よく分からないが、何かが彼女の琴線に触れたらしい。

 

 「彼女の走りに惹かれたんだよ」

 

 正直に思いの丈を話す僕に、彼女はますます笑みを深める。

 

 「それなんだよ、ユヅキ君。実を言えば、私も彼女にはかねてより注目していてね。つまり、君とはとことん気が合うわけだ」

 

 「……それは、僕のスカウトを受けてくれるということでいいのかな?」

 

 だったら、こちらとしても願ってもないことなのだが。しかし、タキオンは肩を竦めて見せた。

 

 「そう結論を急かさないでくれたまえ。君の提案は確かに魅力的だった。だが、私としてはもう一声欲しいところでねぇ」

 

 つまり、交渉をやり直したいということだろうか。普段なら受け付けるが、個人的には予定の方を優先したいところだ。

 とはいえ、カフェの一件を知った上で彼女が僕の前に現れた以上、逃してくれるつもりは無いらしい。

 僕は少し思案したあと、ゆっくりと口を開いた。

 

 「はぁ、分かったよ。惚れた弱みだ……君は他に何を望むんだい?」

 

 驚いたように、タキオンは僅かに目を見開く。

 

 「ふむ、惚れたときたか。カフェにお熱なのかと思えば……君、さては中々悪いタチの人間だね?」

 

 「悪いタチかは兎も角、悪役(ヒール)ではあったかな……記者会見で煽ったりしたから……」

 

 「なるほど、亡霊なんて悪辣な呼び名も、半分くらいは身から出た錆だったわけか」

 

 「途中までは良い子ちゃんやってたけど……飽きたんだよ。まぁ、痛快な悪役の理想形を目にしてしまったのもあるけれど……って、僕のことはどうでもいいでしょ」

 

 あの日見た黒い彼女の走り。そこに見出したものが僕に影響したのは確かだ。おかげで、()()の役作りに困ることが無かった。

 

 「私としては君の存在も興味深いのだがねぇ……本題は難しいことじゃない。君がカフェの引き入れに成功してくれるなら……私も喜んで君が作るチームに参加しよう」

 

 「……要求はそれだけ?」

 

 「それだけだよ。だからまぁ、精々頑張ってくれたまえ。アドバイスするなら、彼女は存外押しに弱い。『お友達』については……まぁ、君なら大丈夫だろう」

 

 「了解。必ず彼女をスカウトして見せるよ」

 

 ひらひらと手を振って、アグネスタキオンは早々に立ち去った。僕はそれを見送り、再び練習場へと足を進める。

 春先の夜風は冷たい。右足の古傷がじくりと滲むように痛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トラックの上を少女が駆けている。暗がりにたった一人。しかし、時折見える少女の表情は何処か楽しそうだった。また、彼女の瞳は常に何かを捉えているようで……。

 

 「……アレが『お友達』か」

 

 最も、僕の目にその存在は見えない。が、世の中に計り知れない不可思議が存在していることくらいは知っている。

 

 少女――マンハッタンカフェはしばらくして足を止めた。何もない虚空を見つめて、頷いたり、口を開いたり、目に見えぬ何者かと会話しているようだった。

 

 「うん、ひとまずここで終わりにしよう。お客さんも来たみたいだから……」

 

 そう言って、カフェは立ち見スペースに佇む僕に視線を向けた。

 僕は微笑み、彼女に軽く手を振る。

 

 「こんばんは、カフェ。良い走りだったよ」

 

 「こんばんは……私はまだまだです。今日も……お友達には、追いつけなかった」

 

 カフェは少し肩を落とす。お友達とやらは、随分な優駿らしい。

 

 「いいじゃないか。目標が高い所に居てくれるなんて……むしろ君は喜ぶべきだよ。何の憂いも無く、目標の背中を追えるのだから」

 

 「……なるほど、そう言う考え方も……ありますね」

 

 納得したように彼女は小さく頷いた。最初に会ったときに感じていたが、かなり素直な娘であるようだ。

 

 「一つ聞きたいんだけどさ。君の言う『お友達』ってのは……つまり、ゴースト的な存在って認識でいいのかな?」

 

 「そう……ですね。その理解で……間違いはないかと。……信じられませんか?」

 

 黄金の瞳が見定める様に僕に向けられる。けれど、僕に気負いはない。

 

 「いいや? ()()()()()()には覚えがあるし……何より、君はその手のつまらない嘘をつくタイプには見えない。だから、君が言うのならば……信じられるよ」

 

 人の気を引こうと、霊感キャラを演じるようなタイプも居るが、彼女はそうじゃないだろう。闇雲に他者を怖がらせようとしているようにも見えない。彼女と交わした言葉はまだ少ないが、自信はあった。

 

 「まぁでも、僕には見えない存在ってのはちょっと困るね」

 

 「……『お友達』が恐ろしいですか?」

 

 ぴこりと、彼女のウマ耳が動く。

 

 「そうじゃなくてさ。視覚で得られる情報ってのは多いんだよ」

 

 『お友達』を目で見ることができるならば、脚質、適性、走り方の癖などの情報を得やすい。情報が得られれば、相応しい対策が立てられるようになる。

 

 「『お友達』の走りが分からないことは……トレーナーとしては厄介と言うしかない。だから、もしよければ君に教えて欲しいんだ。『お友達』についてをね……」

 

 僕の言葉にカフェは思案気な表情で少し黙り込むと、やがてぽつりと話始める。

 

 「『お友達』は……土の上を走るとき……特に活き活きしている気がします」

 

 「なるほど、ダート適性……それも日本式の砂じゃなくて、原義の方か」

 

 日本のダートは砂だけだが、海外のダートコースは砂以外にシルトやら粘土やらが混ざった土で構成されている。そのため、日本のダートレースに比べて格段に速い走破タイムがでるのが特徴だ。

 

 「でも……『お友達』は芝でも速いです」

 

 「砂のコースは芝や土に比べて、スピードよりパワーが求められる。だからこそ、芝と砂の適性を併せ持つことは難しいわけだけど……芝と土の適性ならば、両立できる娘はそれなりにいるだろうね」

 

 最も、日本の芝と海外のダートを両方走る機会なんて早々ないだろうが。

 

 「君の走りは間違いなく芝向きだ。お友達に勝つための主戦場は芝でいいと思うよ。距離については……まぁ、スプリント向きではないだろうね。詳しく調べてみないと断言まではできないけど」

 

 足の踏み込み、フォーム、筋肉のつき方、パッと見る限りは短距離向きではないように見える。

 

 「今日見逃してしまった模擬レース、記録映像を見たんだけどさ……君、先行策を選んでいたよね?」

 

 模擬レースといえど、公平性の観点から、競技委員によって記録映像は逐一残されている。そして、トレーナーであるならば誰でもレース映像は閲覧可能だ。

 

 「はい……駄目ですかね?」

 

 「うーん、走りを見るにスタミナに余裕がありそうだったし……先行が間違いとまではいわないけど……」

 

 最適かと言われれば、正直首を傾げてしまうところだ。

 模擬レースの距離は中距離。残り200メートルでカフェが見せた爆発力はすさまじいものだった。あれならもっと後方で足を留める策も可能だろう。というか、むしろそちらの方が、彼女には合っているように思えた。

 

 「追い込み……はまだ分からないとして、少なくとも君には、差しの適性が十分備わっていると思う。模擬レースにおけるお友達の位置はどんなものだい?」

 

 「ええっと……常に前方に居ます」

 

 「なら、逃げか先行策ってことだ。君のあの最後の爆発力を活かすなら……お友達を差しにいくのはアリだと思う」

 

 となれば、レース場選びも重要になるだろう。差しウマは最後の直線距離が長い方が有利だ。日本で最も長い直線距離は新潟の約660メートル。しかし、実際にトゥインクルシリーズで走る主戦場となるのは、直線距離500メートルちょっとの東京競馬場だ。

 

 (東京競馬場とロンシャンの直線距離は近い……まぁ、ソレは流石に早計か)

 

 カフェがメイクデビューもしていない状態で、考えることではない。僕は先を見据え過ぎた思考を打ち消して、改めてカフェに向き合う。

 

 今、彼女に最も必要なアドバイスとは何か。それはまだ判然としない適性距離や脚質の話ではない筈だ。もっと単純かつ、根本的に、彼女の走りをより良くするもの。僕はカフェのレース映像を頭に思い起こす。

 

 「いやごめん、適性どうこうの話は一旦よそうか。肉体の成長がまだ止まったわけでもないし……それよりは、もっと基礎的なところを修正するべきだ」

 

 「基礎的なところ……ですか?」

 

 「さっき君の爆発力が凄いって褒めたけどさ……終盤にギアがかかると同時に、フォームが少し崩れてた。アレだと、折角の君の武器の切れ味を鈍らせてしまう」

 

 「フォームですか……確かに、()()()に追いつきたくて……途中から気が回っていませんでした。……詳しく、教えてもらえますか?」

 

 自らの研鑽のため、彼女は真剣に僕の言葉に耳を傾けている。それが伝わって、僕は思わず頬を緩めた。

 

 「――勿論だとも、幾らでも付き合うさ」

 

 仮契約も結ばないままに、僕と彼女のトレーニングはそれから数日間続いた。人気のなくなった、うす暗い練習コース。特に待ち合わせ時間を決めずとも、彼女はそこで毎日練習をしていて、僕がそこに顔を出して幾らかアドバイスをする。

 

 『お友達』と彼女の、二人だけの時間にお邪魔することに少しだけ罪悪感が湧いたが、カフェは気にしないで大丈夫だと微笑んでくれた。

 

 時折感じる視線も、決して刺々しいものでは無い。『お友だち』も、僕の存在を許してくれているのだろうか。

 

 

 そして、一週間があっと言う間に過ぎた。

 

 

 「……ふむ、どうやらスカウトは上手くいったようだねぇ」

 

 「いや、まだ仮契約も結んでいないよ。今日のレースがどうなるかに掛かってる」

 

 いつの間にか隣に立っていたタキオンに僕は言う。

 もうすぐ始まる模擬レースは、カフェが出走予定のものだ。競技委員によって誘導されるウマ娘たちの列の中に、彼女の姿を見つけることができた。

 

 カフェは此方に気づいたようで、微笑みながらこちらに小さく手を振ってくれる。僕もそれに応えて手を振るが、カフェは僕の隣に立つタキオンの姿を認めると一転、微かに眉を顰めた。

 

 「おやおや、カフェがああも愛想の良い対応をするとは……君は随分気に入られているようだ」

 

 「そういう君は、なんだか随分渋い対応をされてるみたいだね」

 

 「ははっ、誤解だよ。アレは気の置けないルームメイトへの対応さ」

 

 本当にそうだろうか。僕は疑問に思ったが、とりあえずは納得しておくことにした。今はカフェのレースに集中したい。

 入場した全てのウマ娘たちが、ゲートの中へと入る。後はスタートの合図を待つだけ。

 

 「……それで、彼女に一体どんな秘策を授けたんだい?」

 

 「ないよそんなものは。というか、必要が無い。まだ幾分か体が出来上がっていないことへの不安要素はあるけれど……彼女の走りは本物だ。万全で走れるなら、重賞級は手堅い」

 

 贔屓目抜きでの、客観的な評価である。そして今日、彼女は万全の状態のようだ。つまり、憂いは無い。

 

 「まぁ、見ていてくれよ。彼女は今日、きっといい走りをしてくれるから」

 

 合図が鳴る。ゲートが開く。ウマ娘たちが一斉に駆けだした。幾重にも重なる足音はまるで地響きのよう。たった一つの勝者の椅子を巡る、少女たちの闘走。

 

 僕の脳裏にあの日の出来事が浮かぶ。眼前で繰り広げられる光景は、その憧憬にはまだ及ばないけれど……

 

 (――いずれ――――()()()()()ウマ娘に育てて見せるよ)

 

 

 中団のバ群から――()()()()()が弾丸の如く飛び出した。

 

 僕の顔に自然と笑みが浮かぶ。隣でタキオンが感心するように息を吐いた。

 

 先を走るウマ娘たちは、みるみるうちに追いすがる黒に呑み込まれてゆく。誰一人として、彼女という影から逃れられない。

 

 その日、マンハッタンカフェは堂々たる勝利を飾った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レース後、勝利したカフェにタキオンと共に声を掛けに言った。やはり、タキオンの方はあまり歓迎されてなかった。一体、彼女はカフェに何をしたのだろうか。

 

 僕が話題に出すより早く、カフェから直々に本格的な契約の打診をされたので、僕は二つ返事でそれを了承した。タキオンとの契約もその場で決まった。意外にも、カフェはタキオンとチームメイトになることを嫌がる素振りは無かった。

 気心の知れたルームメイトというのは、あながちタキオンの出鱈目では無かったらしい。

 

 契約書を持って二人と職員室に行くと、提出先でかなり驚かれた。というのも、カフェは兎も角、タキオンが今更トレーナーと契約を結んだことが信じられなかったらしい。誰も口には出さなかったが、僕が今年赴任したばかりの新人だということもあるだろう。

 

 アグネスタキオンは栄えある名家の最高傑作と名高い存在、新人トレーナーと釣り合いが取れないという評価は致し方ない。無論、こちらもそれにずっと甘んじ続けるつもりは毛頭ないけれど。

 

 職員室を後にして、僕は二人とそこで別れた。

 カフェはレース後で少なからず疲労しており、タキオンの方も研究があると言う。元より本格的なトレーニングは後日からの心つもりなので丁度よかった。

 しかし、僕はふと思い立って、夜に再びあの場所を訪れた。

 

 

 「……やっぱり、ここに居たんだね」

 

 

 薄暗いコース場、カフェは一人……否、『お友達』との併走に耽っていた。

 彼女は僕の姿を見つけると、困った顔で足を止める。

 

 「トレーナーさん……すみません。今日は良い走りができたので……この感覚を忘れたくなくて……」

 

 カフェには今日、夜の練習をせずにゆっくり休むように伝えていた。前回の模擬レースの日も、彼女はいつも通り夜の練習を行っていたが、それでは少しオーバーワークになってしまう。

 

 ウマ娘が練習で凄まじい距離を走ることは珍しくない。が、それがレースとなれば負担は倍増するどころではない。月に一度のレース出走を続けるだけで、ウマ娘の体は簡単に壊れ得る。彼女達の体はヒトより凄まじいパワーを秘めていながら、ある点ではヒトより繊細で脆いのだ。

 

 勿論、本番レースに比べれば、模擬レースの負担など大したものでないが、やはり担当トレーナーとしては、今日は休ませておきたいところだった。

 

 「感覚を忘れたくない気持ちは分かる。けれど、疲れの溜まった肉体じゃ、反復練習をしてもあまり効果は見込めないよ。下手すれば逆に鈍るし……それに、心配しなくて明日はとっておきのトレーニングを持ってくるからさ」

 

 「……そうですね。すみません……いきなり、指示に背いてしまって……」

 

 「気にしないでいいよ。僕も君も、まだまだこれからだからさ。一緒に頑張っていこう――打倒、『お友だち』を目指して」

 

 小さく握り拳を作る僕に、彼女は目を細めた。

 

 「ふふ、はい……一緒にあの子に勝ちましょう」

 

 ドンっと、僕の背中に叩かれたような衝撃が走る。振り返るまでも無い、きっとそこには誰もいないのだろう。

 ――『任せた』、そんな声が聞こえた気がした。

 凶悪な笑みを頭に思い浮かべて、僕もまた笑う。

 

 「マンハッタンカフェ、まずは、僕と君で――最高に熱いレースを()()に見せてあげよう」

 

 

 

 

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