「担当ウマ娘がいないんで、VRウマレーターで探します」 作:メロンぱん
そこには、まるで絵に描いたような幻想的な風景が広がっていた。
水平線に沈みゆく太陽が、あたり一面を柔らかなオレンジ色に染めている。耳をくすぐる心地よい波の音が周期的に響き、水面には夕焼けの光がキラキラと反射していた。ただ眺めているだけで心を奪われるような美しさで、思わず太陽に「待って」と声をかけたくなる──そんな光景だった。
──なぜ、届かない。
夜が迫り、段々と冷たくなりつつある砂浜の感触が剥き出しの足裏に伝わってくる。どうやら、いつの間にか靴下まで脱げてしまっていたらしい。埋もれていた木片や小石が肌を刺し、鋭い痛みが走る。しかしそれは、かすかな熱を与えてくれた。
今の彼を客観的に見るならば、大の大人が半泣きで海に向かって走っている、そんな滑稽極まりない姿だ。だが、彼にはどうでもいい事だった。
──なぜ、追いつけない。
ただ焦燥感のみが彼を支配していた。
波の音などまるでなにも聴こえなかった。
夕焼けの海ももはや彼の眼中には無かった。
彼の目に映るのは、すでに腰まで浸かっている『彼女』の後ろ姿のみで。
「待ってくれ!!」
咄嗟に叫び、手を伸ばすも届かない。当然だ。いくら走っても『かのじょ』との距離は埋まるどころか、むしろ遠ざかっていたのだから。
「──っ!」
必死にその後ろ姿に追いつこうとするも、ふと足の力が抜け、盛大に頭からこけてしまう。想像以上に固い砂に顔面から突っ込んだせいで衝撃をモロに食らってしまい、半泣きの顔に鼻血が加わる。もう見るに堪えない。いや、むしろ嘲笑の対象として注目を浴びるだろうか。
それでも口の中に入った砂を吐き出しながら、彼は立ち上がる。元々、彼はある事故をきっかけに満足に走れない体になってしまっていた。歩くことすらも諦めるような悲惨な事故だった。それでもリハビリを続けられたのも全て、ここまで来れたのも全て、『あの子』のおかげで、『あの子』を失いたくないからだった。なのに、それなのに──
「こんな時に……!」
足に力が入らず、再び地面に倒れる。
先ほどまで血と痛みで温かかったはずの足は、砂の冷たさすら感じなくなるほど熱を失っていた。だが、彼にはどうでも──
『──さん』
その時、声が聞こえた。
優しく、聞いた人に儚さを感じさせる声音。
助けてあげたくなるような、だが実際には彼を救い、人生までも変えてくれた声。
それは紛れもない『████』の声で──。
『私のこと、覚えていてね』
「待っ──」
***
突如、波が目の前の『人影』を覆い隠した。
その時に高く跳ねた海水が目に飛び込み、彼は反射的に目を瞑る。そして染みるような痛みに耐えながら再び瞼を開けると、そこにはすでに太陽が沈みきり、藍色に染まった海が広がっていた。
残されているのは座り込む男──ユキバナ、ただ一人だった。
空を見上げても、月の姿はどこにもなく、霧が覆い尽くしたかのように星の光さえ見当たらない。周囲を見渡してみても、人の気配はどこにも感じられない。知らず知らずのうちに閉ざしていた鼓膜が開き始め、遠くから波の音が微かに耳に届いてくる。その音は、まるでユキバナという存在を容赦なく飲み込もうとしているかのようで、彼の心の奥底に眠っていた本能的な恐怖をじわじわと呼び覚ますものだった。
「……あ?」
そんな時だった。
不意に、頬を涙が伝っていることに気づいた。恐怖に煽られたからだろうか? いや、それはさすがに違う。ぼんやりとした意識の中でも、これが単なる恐怖によるものではないことは理解できた。じゃあ一体何故だ? ──そもそもここに至るまでの記憶が霧がかったように曖昧だ。自分が何故こんな場所にいるのかすら思い出せない。
「俺、なんで……痛っ」
理由も分からない涙を手で拭い、その場で立ち上がろうとした瞬間、激しい痛みが足裏を貫いた。思わず顔をしかめて見下ろすと、足裏は血だらけだった。痛みのせいで泣いているのか? いや、それでも納得がいかない。
この涙の原因は、きっと別にある。
大事な『ナニカ』があったはずだ。だが、それが何だったのかがどうしても思い出せない。記憶を失っているのか、それとも無我夢中になりすぎて何も覚えていないだけなのか? それすら分からない。ただ一つ確かなのは、心に大きな穴が空いたような喪失感が、胸を締め付けているということだ。そしてそれこそが、この涙の理由であり、ここにいる原因なのかもしれない。
「とりあえず戻るか……」
とにかく、何かが起きたことは間違いない。だが、このままずっとここに立ち尽くしているわけにもいかない。
「は?」
そう思い帰ろうとして振り返った瞬間、視界を暗闇が覆った。一歩先どころか手元すら見えないほどの深い闇。それは、海の暗さなど到底及びもつかない、すべてを黒一色に染め上げた無限の闇だった。
訳が分からなかった。けれど、不思議と怖くはなかった。驚きはあったが、慌てる必要はないというか。むしろ、その状況を当然のように受け入れる感覚が胸の奥に広がり、妙な納得感さえ覚えた。その闇は先程まで煽っていた恐怖心や、混乱した思考でさえも、静かに、そして確実に飲み込み、消し去っていくようだった。それはまるで夢から覚めるような感覚で──
『エラー』
唯一気になったのは、そんな声が聞こえたくらいだった。