春の温かさも過ぎ去り初夏に差し掛かろうとしている六月上旬の朝。時間の流れは早く凪紗と出会ってから二ヶ月が経過していた。
「はぁ、マジで最悪だ……」
朝っぱらから死にそうな表情で通学路を歩いていると。
「どうしたのよ。勇太……?」
凪紗がひょっこりと顔を覗かせてくる。
「来月に中間考査あるだろ。それで今月からテスト期間が始まるらしいんだが、うちの学校結構進学校だからめちゃくちゃ大変らしいと風の噂で訊いてやる気を失っているところだ」
心の底から死に気分を何とか抑え込み凪紗に自分の心情を吐露する。
「へぇ―――そうなんだ」
心底、どうでもよさそうな感じでオレの話を訊いていた。
「……」
「どしたのよ」
「いや、別に……」
いじけたのを気取られないようにそっぽを向く。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「……」
「もしかしてテスト勉強する自信がないとか?なんなら私が教えてあげようか」
ニヒルに笑いながらそう言ってくる凪紗。
「姫城はさぁ……」
思わずため息が零れる。
「ちょ、ちょっとどうして私が悪者みたいな雰囲気になってるのよ」
訳が分からないといった様子でオロオロと狼狽え始める。
「それはそうなるだろ。そんなに人のことを煽り散らかして面白いのか」
「そういうつもりはなくて、ただ――――」
不自然なタイミングで言葉が途切れたので、どうしたのかと凪紗の方を見るとポロポロと涙の雫が頬から流れ落ちていた。
「おいおい。泣くことはないだろう」
「だって勇太が意地悪なこと言うから」
なぜかオレが悪者のような空気になっていた。
「私の言うことを一つ訊いてくれる?」
上目遣いでこちらを見上げてくる。
「ひとつだけだからな」
念を押して承諾をする。オレの返事を訊いた凪紗は急に明るくなり、ルンルンとスキップするかのように飛び跳ねていた。
「お願いっていうのは一体なんだ」
「私と一緒にテストに向けて勉強してほしいんだけど」
「つまりオレとテスト勉強したいってことか」
潤んだ瞳でダメ?と訴えかけてくる。
「いいぞ。ただしやるからにはしっかりやるからな」
「OK!任せて」
握りこぶしを空高く掲げる凪紗を見てすごく嫌な予感がする。そして悲しいことにこの時のオレの予感は的中することになる。
早速、放課後にオレの家でテスト勉強をすることになった。
「お邪魔します。へぇ―――意外と綺麗にしてるんだ。どこかにエッチな本とか隠してないの?」
部屋に入った瞬間に凪紗が失礼なことを言い出し、ゴソゴソとベッドや机の下を捜索しはじめる。
「悪かったな。綺麗にしていて。勝手に人の部屋を荒らすなよ。お前はどんな教育を受けて育ってきたんだ」
「怒らないでよ。ちょっとした出来心だって」
「出来心で人の部屋を荒らすなよ」
「そんなに怒らいでよ。減るわけじゃないんだからさ」
オレの抗議が不満だったのかふぐのようにぷっくりと頬を膨らませる。
「はいはい。わかったよ、好きに調べてくれ」
それから数分、調べたようだが凪紗が望むものは出てこなかったようだ。
「」
凪紗の軽口を受け流して、「何か飲むか?」と一応、客人である彼女にオーダーを訊くと。「私、ミルクティーがいい!」
オレの家には置いていない飲み物をリクエストされる。
「悪いが、ミルクティーはないんだ」
「じゃあ買ってきてよ。お金は私が出すからさ」
テスト勉強をするために連れてきたのになぜかパシリ扱いされている。
「ふざけるな。勉強するために来たんだろが!飲み物なんてお茶か、水で事足りるだろ贅沢言うな」
「何言ってるの?勇太。女子高生にとって飲み物はオシャレと同じくらい重要なんだよ」
とドヤ顔で語り始める。
「はい……これジュース代ね」
手の上にぽんっと凪紗の御所望のミルクティーを購入するための代金が載せられる。見ると、ミルクティーを買うには多すぎる金額が手の平に置かれていた。
「姫城、ミルクティー一本だけなら200円もあれば買えるぞ」
分かっていると思うが念のためそう伝えると、残りはあんたのジュース代と適当に好きな物かってきていいよと太っ腹なことを言う。
「おい、本当にいいのか」
「いいわよ。女に二言はないから」
早くいけと言わんばかりにししっと手を向ける。
「じゃあ行ってくるな」
足早に玄関に向かい、近くのスーパーに行く。
数分で到着した後、ミルクティーと炭酸飲料水、適当にスナック菓子を購入して自宅に戻る。
「ただいま。買ってきたぞ……」
靴を脱いでそう声をかけるが返事がない。凪紗はなにをしているんだ?と不思議に思いながらリビングに行くと。
オープンキッチンの中央にあるダイニングテーブルにうつ伏せた状態ですぅ―すぅーと可愛らしい寝息をたてていた。
手元を見ると数学のテキストとノートが開かれており数ページやったところで眠りこけてしまったようだ。
「……ったくしょうがないやつだな」
部屋にあるブランケットを持ってきて、そっと背中からかける。出来るだけ音をたてないようにリビングを出て自室で勉強をしようと回れ右をしたタイミングで……。
「ゆう、た……」
寝ぼけ眼を擦りながら凪紗が起き上がる。
「待たせて悪かったな。言われたもの買ってきたぞ、それとレシートな」
ダイニングテーブルの上に商品の入ったビニール袋とレシートを置く。
「ふぁぁ――――ありがとう勇太」
大きな欠伸をして、んんっと背を伸ばしながら買ってきたミルクティーを一口飲む。
「テスト勉強の調子はどうだ」
そう訊くと、視線を右往左往させながら、「じゅ、順調かな……」と言う。
「姫城……」
明らかに嘘だと分かる仕草だった。まぁ、オレも人のこと言えるほど、勉強ができるわけではないので、深くは追及していんでおく。
「分からないことがあれば訊いてくれ。教えられるところなら役に立てると思う」
もとより、テスト勉強をすることが今回の目的のため、あまりとやかく言うつもりはないが……。
買ってきた炭酸飲料を一口飲み、自室から現代文のテキストを持ってきて、凪紗の隣で勉強を始める。
それから、それぞれのペースで勉強をし、ちょうど一時間くらいが経過した頃に凪紗が、「ねぇ。勇太……さっかくだし問題の出し合いっこしない?」
唐突に提案をされる。
「どうしたんだ、急に」
「いやさ、このまま、個々でのペースで勉強してても良いんだけど、せっかく二人いるんだし、確認のためっていうか……その……」
「つまり、一人じゃ寂しいからオレと一緒に勉強したいってことか」
「そ、そんなんじゃないし、ただ、お互いに教え合うことで学べることもあるって思っただけだから」
顔を真っ赤にしながら矢継ぎ早にそう口にする凪紗。
「まぁ、それも一理あるな。少し休憩したらやるか」
「うん、あ、ありがとう。勇太」
か細い声で凪紗がオレの言葉を口にする。
ちらりと表情を盗み見ると先ほどとは比べものにならないくらいに顔を紅潮させていた。
一旦席を立って、キッチンへと向かおうとしたところで、どこ行くの?と後ろから凪紗に声をかけられる。
「お茶、淹れにいくだけだ。お前も飲むのか」
「私はいいや、これがあるから」
見せつけるように顔の前でミルクティーの容器をふらふらとさせる。
「そうか」
凪紗の返事を訊いたオレは、今度こそリビングに向かって歩き、自分の分のお茶を入れて戻ってくる。
小さなお盆に緑茶の入った湯呑みを見た凪紗が「なんだが、おじいちゃんみたいだね。勇太」
ぼそりと独り言を零す。
「知らないのか、緑茶には健康に良いんだぞ。風邪などを予防できるし、血圧や決闘などの上昇も抑えてくれる優れものだぞ」
「はいはい。そうなんだね」
熱弁を振るったところで、壁にかけてある時計に目を向けると、既に五時になっていた。
「もう少しだけ勉強したら今日はお開きにしよう」
凪紗にそう伝えて少しだけ勉強の続きをする。六時になったところで、凪紗をお踊りの近くまで送っていく。
「今日はありがとう」
「オレの方こそご馳走してもらって悪かった」
お礼を言い合って解散して、凪紗を見送ってから来た道を引き返して自宅に戻る。
それからオレと凪紗の勉強合宿が始まった。朝は登校してから空いた時間で朝活をして放課後はオレの家で夜まで勉強をする日々。
そして、迎えた中間考査当日。
「何かすごい落ち着かない感じ」
並んで歩いている凪紗が緊張した面持ちでそう話す。
「出来ることはやったんだから。あとは全力で臨むだけだ、お互い頑張ろうな」
励ましの言葉をかけるがなぜかジト目を向けられた。
「ずいぶんと余裕よね、勇太は……」
何処か不満そうな声色で話している凪紗を横目にふとあることを思い出す。
「そう言えば、目標点数を取れた時の御褒美は決まったのか」
「あぁ―――確かそんなようなこと言ったわねぇ」
おいおい、まさか忘れていたのか?と不安に思いながら、凪紗の次の言葉を待つ。
ううーんと腕を組んで唸っている彼女を傍目に、本当に忘れていたようだと確信する。それからしばらく、学校の校門前に着くまでずっと悩んでいたようだが、校門の手前付近で、閃いたようにポンと手を叩く。
「勇太。じゃあ私、駅前にあるカフェに行きたい」
ようやく結論が出たと思ったらなんとも女子高生らしいことを言う。
「分かった。それじゃ、明日の夕方にでも行くか」
「え?でも……まだ明日じゃ試験結果出てないじゃんか」
急な提案だったためか少し驚いたような顔をしている。
「嫌だったか」
「全然、嫌じゃない。急だったから少しびっくりしただけだから」
ブンブンと顔を左右に振って嫌じゃないと言う意思表示を示す。
「そうか」
断られずにすんだことを安心していることを凪紗に伝わらないように最大限のポーカーフェイスをしながら話を続ける。
「もしかして―――私が断ったらどうしようとか考えてたりしたの?」
女子の勘というやつだろうか、核心を突かれて冷や汗をかくが上手いこと誤魔化す。
「そんなわけないだろ」
「本当に?なんだか怪しいな」
口に手を添えてニヤニヤとしながらこちらを見てくる。こいつ本当に変なところで勘が鋭いなと思う。
「なんだよ」
「べーつに、何でもないよ―――」
そう言ってそそくさと先に行ってしまった。
最初の科目は、現代文だ。今回は、漢字の読み書きと教科書からの抜粋が中心に出るようだ、とクラスメイトが教室で話しているのを小耳にはさんだ。
ホームルームが終わり、現代文のテストが始まる。教師が、問題集と回答用紙を人数分配り、始めという号令で一斉に書き始める。
二時間目の数学、三時間目の理科と進んでいった。
翌日の世界史、英語も順調に終わり、午前中にテスト受けてお昼前には下校と言う流れになる。
ホームルーム終了後の教室はお祭り騒ぎだった。まるで地獄の修練を耐え抜いたかのようなクラスの雰囲気に圧倒されながらもそっと教室を出て約束の校門前を目指す。
約束の時間までにはまだ余裕があるが早めに行っておくこしたことはない。そんなことを考えながら校門前に行くと、門の前で寄りかかるようにしてスマホを眺めている凪紗がいた。
オレを見つけるなり、「レディーを待たせるなんて男子失格よ」
まさに怒り心頭に達すると言った様子で不満を爆発させていた。
「来るの早すぎだろ。どんだけ楽しみにしてたんだよ」
先ほどの意趣返しのつもりでそう言うと凪紗は全く動じることなく素直に「だって楽しみにしてたし……」と言いニコリと笑みを零す。
その笑顔がすごく眩しく見えて何も言えなくなる。
「どうしたの?勇太」
こてりと小首を傾げてそう訊いてくる凪紗に何でもないと答えて歩き出す。
「どこへ行くか場所は決まっているのか」
このやりとりに既視感を覚えながら凪紗に確認する。
「もちろんばっちり決めてきたよ」
と自信満々に頷く。
「とりあえず向かうか。いつまでもここにいても目立つからな」
凪紗に移動するように促し学校を後にする。
目的地である駅前に到着すると、人の往来や様々な建物が目に見える。
凪紗が行きたがっていた駅前のオープンカフェは結構おしゃれなところらしく、オレたち以外にも他校の生徒やカップルたちがちらほらといた。
店内に入り、メニュー表を見るが、種類がたくさんありすぎて迷ってしまう。そんなオレの様子を見た凪紗がフフっと小さく笑う。
「どうかしたか」
そう尋ねるとなんでもないと答え、私にも見せてと言って、メニューに目を向ける。
注文と会計を済ませて、二人掛けのテーブルに対面で座り、商品が来るまで各々の自己採点をする。
それぞれの採点結果を交換して見る。概ね、八割以上は取れており赤点による追試は免れそうだ。
一安心したところで、「お待たせいたしました」と明るい女子大生くらいの店員がナイススマイルで注文した商品を届けてくれる。
それぞれに配膳し終わると、「失礼したします」ときっちりとしたお辞儀をしてレジの方に戻っていく。
「勇太のむっつりスケベ」
唐突に凪紗がそんなことを言い出す。
「言いがかりはよせ」
すぐに否定するが心なしか凪紗の顔がムッとしているように見える。
「もしかしてジェラっているのか」
いつもからかわれているのでたまにはやり返してやろうとそう言うと。
「それ以上言うなら百倍殺し……」
有無を言わさぬ声色でそう告げる凪紗に気圧されて何も言えなくなりしばらく沈黙が流れる。
ちらりと視線を逃がすと、商品を届けてくれた女性大生店員さんと目が合った。オレと凪紗の雰囲気を察してか申し訳なそうに目尻を下げる。
――――そんなに気にしなくても良いのに、そもそも険悪な雰囲気になったのは彼女のせいではないからな。
そんなことを考えていると、より一層、不機嫌になった凪紗がギロリと睨みようにオレを目でとらえる。
「まだ怒っているのか」
オレの問いにふんと顔を背けて肯定の意を示す。やれやれと頭を悩ませていると……。
「もう少し付き合ってくれるなら許してあげても良いよ」
腕を組みながらちらりとオレを見てそそう提案してくる。
「ああ、それくらいならお安い御用だ」
「その顔は反則でしょ……」
ぶつくさと独り言を言っていた。
「どうかしたか」
「何でもない」
トレーを持って席を立つ凪紗を追うようにオレも後に続く。お店を出てどこへ行くのかと彼女の様子を窺っていると、「勇太、カラオケ行こうよ」と言われそのまま近くのカラオケ店に行く流れとなる。
諸々の手続きをして二時間くらい歌った。今日初めて知ったことなのだが、意外と凪紗は歌うのが上手いらしい。二時間それなりに歌ったのだがすべてアニメソングで「勇者」「貴方のそばに」「不可思議のカルテ」「ギフト」等々を熱唱していた。
「楽しかった―――」
すっかりご機嫌になった凪紗と行く当てもなくぶらぶらと歩く。時刻は十五時になったところで時間的にはまだ余裕がある。
「勇太、次どこに行く?」
ルンルン気分な凪紗がニコニコと笑みを浮かべながらそう訊いたのとほぼ同時に「ゆーくん?」と声をかけられる。またしても既視感を感じながら振り返るとそこには驚きの人物が立っていた。