クラス中が何処となく浮ついた雰囲気を醸し出している……その日、扉を開けた第一印象がそれだった。
変な話、ソワソワ感を醸し出したいのは俺の方だ。答えは単純、貯め込んだバイト代が目標に到達したお陰で今日にもキーボードを物色したくて堪らない……物欲とでも呼ぶべきある種の欲望を抑えつけるので精一杯だったから。待ってろ黒江、いや待っていなくても待っててくれ。お披露目までもうすぐだから。
俺自身の欲望を他所に、遠足前よりも浮足立つクラスメイト達。普段の賑わいとは違う類いの雰囲気を確かめるべく、通学鞄を席に置いて気楽に話せる友人の元へと赴いた。
「おっす塚本!」
「お、おう矢田。なんか嬉しそうだな?」
「まあな!やーっとバイト代貯金が目標金額に届いたから嬉しくてな!欲しい物が買えるってテンション上がるだろ?ジャズのCDだって今度貸してやるぞ?」
「そ、そうか。ありがとな」
こちらを褒める言葉とは裏腹に、ほんの少しだけ返事がぎこちない塚本。クラスの雰囲気に呑まれていないといえば聴こえは良いけど、天邪鬼めいた反骨心だとしたらそれはそれで心配になる。少しだけ聞き出してやるか。
「そういう塚本はなんか浮かない顔してんな。何があったか知らねーけど、笑顔笑顔!」
「何があったっていうか……まだっていうか……」
「煮え切らねーな、他の奴等はみんな楽しそうにしてるぜ。俺が来る前になんかあったのか?」
「もしかして知らないのかよ、明日何があるかって」
「何の日だよ?」
自身の怪訝そうな態度は自覚してないらしいけど、この教室を満たす浮ついた雰囲気の正体は知ってるらしい。一度顔に出ていた看板を引っ込めてまで教えてくれた。
「あがた祭だよ。本当に知らなかったのか?」
「歯型祭?物騒な名前だな」
「あ・が・た!あいうえおの『あ』!」
「悪い悪い『あがた』な。オッケーオッケー」
「ったく……宇治市で毎年あるんだよ。県神社ってのが宇治駅からちょっと歩いた場所にあってな──」
神社の場所も含めて、塚本が種明かしをしてくれた。駅から南に歩いた場所にある県神社、そこの祭として夜通し行われているんだとか。宇治周辺でも有名どころか交通規制まで敷かれる程の規模で、塚本の家は屋台の立ち並ぶ通りにかなり近いそうな。
「深夜になると神輿を担いだりするデカい祭りなんだよ、みんな楽しそうにしてるのはそれが理由だな」
「ほーん?平日な上に祝日も無い、無味乾燥な6月でキャッキャしてたのはそういう訳か」
神社や寺が沢山ある場所は違うなー、流石平安時代は首都だった土地!少なくとも俺が住んでた地域はそんなデカそうな祭なんて見たこと無かったわ!
それならなんで塚本は浮かない顔してるんだ?周囲と俺は違う、なんて本当に考えてるタイプか?数ヶ月接してきたけどそういう性格をしてるとは思えない。全国大会を目指す以上、祭事にかまけてられないとか?
「塚本はそのあがた祭が楽しみ〜!って感じでも無さそうだな。やっぱり吹部が気掛かりだったり?」
「いやーえっと、吹部っていやあ吹部なんだけどさ……うーん」
「滝先生の練習が俺にだけ厳しいとか?」
「そこは全員に厳しいな。そうじゃなくて、その……」
らしくない、物事をはっきり言うタイプとまでは言わなくてもらしくない。思った以上に悩み事が大きく膨れ上がってる。
初めて北宇治で出来た男友達が頭を抱えてるとあれば手を貸さない理由が無い、クラスメイトの悩みは俺の悩み。ここは一肌脱ぎますか!
「本気で悩んでるなら話してみ。誰にも口外しないし、解決出来るとは限らないけど力になるぜ」
「……本当に誰にも言わないよな?」
「なんなら場所を変えてもいいぜ?辛気臭いのを持ち込まれちゃ敵わねーからな」
「いやいや、そこまでの悩みじゃねーんだ!──これはその、俺の知り合いの話なんだけどな」
あーうん、お前の悩みなのは分かった。その語り部の切り口で本当に他人の話だったケースを聞いた事ないし。そこまでして包み隠したい内容なのは伝わったぜ。
「……塚本の知り合いがなんだって?」
「女子の幼馴染がいるらしいんだよ、家も同じマンションの。そいつをあがた祭に誘いたいらしくてな」
「昔からの幼馴染なら、これまでもあがた祭に行った事あるんじゃねーのか?」
「小さい頃はまあ、家族同士であったんだけどさ。相手は女子だし、段々お互いの友達同士で祭に行ってばかりになって……こ、今年はその」
「幼馴染を誘って二人きりで〜って訳だな」
黙って伏目がちに頷く塚本。ベールに包みながらとはいえ、そんな横恋幕があるのを暴露してくれるとは。ここまで信頼されてるとなるとむず痒い。これはその誠意に応えてやんなきゃならねーな!
「吹部っちゃ吹部なんだよな?だったらそいつの幼馴染も吹部か。誘う時に他の部員にバレたくはねーよな」
「一応前もって誘った……らしいんだよ」
「勇気出したなあ!相手はなんて?」
「まだなんだよ、練習が終わったのを見計らって確かめるみたいでさ」
「相手も焦らすねえ」
事前に声だけは掛けていたらしい。その気概を褒めた瞬間、照れくさそうに後頭部をかく塚本。一応知り合いの話のつもりなんだからもうちょい隠せ。
「そこまで聞く限りじゃ俺の出る幕はないな」
「俺が気になってるのはその、上手くいくかどうかって話なんだよ……どう思う?」
そこまで来てるのなら後は返事待ちなんだろうけど……なるほどもどかしい気持ちにさせられる。誘った本人はこれよりもどかしいだろうなあ。
「思うにあれだ、その幼馴染との関係性次第だな」
「か、関係性?」
「おう!幼馴染感があると一緒に行けるし腐れ縁感あると断られる、と推理してる」
「マジかよ……」
「真に受けるなってあくまで推理なんだし。それにやれるだけの事はしてるみたいじゃねーか。その知り合い、上手く行くといいな」
「……だな、なんか気が楽になったわ。聞いてくれてサンキューな」
ソワソワとした様子からは戻らないにしても、返事を待つ覚悟は済んだらしい。この日はもう、塚本自身の弱味が語られる事は無かった。
「そろそろホームルームだし戻るわ、あんまり気負うなよ〜」
「そうだな……ところで矢田、お前はあがた祭どうすんだ?」
「どうするって?」
「行くかどうかだよ。折角宇治市に住んでるんだから行っても損はしないぞ」
考えてもいなかった、どうせ帰りにキーボードの下見に行く予定だったから。それでも祭があると教わった以上、見物したいという思いが湧いてきた。あがた祭とやらの風景を撮りに出向くのも悪くない。
気に入った写真が撮れたら、黒江にそれを送るのもアリだろうか。こんな景色の下で暮らしてるって教えたいし。
「行ってみるかな、京都の祭も面白そうだし。思い出作りとでも洒落込むわ」
「楽しんでくれよな、あがた祭」
塚本みたいに誰かを誘うつもりはない。黒江がいれば声は掛けてたとしても、当の本人は福岡にいる。パーカスの面々も考えたけど、祭みたいな日は部活を気にせず羽を休めて欲しい。ある意味練習よりも大切な時に、部外者として顔を出そうとは思えなかった。
「うひゃー人だらけ」
着替えてからあがた祭が開かれている宇治川の反対側、宇治橋西口へ。今の自宅は宇治橋を渡らずに済むものだから、同じ街なのに新鮮に映ってる。
屋台も出てるって聞いたから軍資金をそこそこ用意して訪れたけど、視界の向こうまで敷き詰められた屋台、そして人の数。一軒一軒で足止めされてたら鳥居を潜ったすぐの場所で素寒貧になりそうだ。
あの後、塚本以外に仲の良い奴にも声を掛けてみた。一人は先輩の誘いで断れねえ、もう一人は塾のテストが散々で補習。元々の方針通り一人で突撃する羽目になってしまったけど、主な目的は景色の撮影だったしこれで良いと思っとこう。自由にアングルを探れると思えば!
とは言ったものの、この人混みに一旦入ると終点らしき県神社まで行かないと帰れそうにない。意を決して歩を進めないとかき氷を吟味する余裕も無くなりそうだし……いざ出陣!
「っし、行くか!」
「お、そこで目立ってるのは矢田じゃーん!何々、アンタもあがた祭に来てたんだ!」
背後から、眼鏡を掛けていそうで自由奔放という四字熟語が似合いそうな、北宇治高校の副部長みたいな。つまりは田中先輩の溌剌な声が俺の耳に放り込まれた。それに釣られて、鳥居とは真逆の音源へと身体を向ける。
「どうもっす田中先輩!何が目立ってるんです?」
「目立つも何も、アンタ身長高いじゃん。周りの人より頭ひとつふたつ高くて遠目でも分かっちゃった!」
「嬉しいです!とか言うべきだったんすかね、それ」
「分かり易いってのは美徳だよ〜?ふむふむ、それにしても……」
顔を合わせた直後から、まるで初対面の人間に送るような視線を俺に送ってくる田中先輩。ランウェイを歩くモデルみたいな格好じゃないのにそこまで観察されても……。
「矢田の私服は新鮮だねー、ポロシャツに七分丈のジーンズ。似合ってるじゃん」
「そういう田中先輩こそ、普段はセーラー服の印象なんで新鮮っすよ。なんていうか……似合ってます」
「おお、矢田が素直になってる」
「こういうのってレアじゃないっすか、それを褒めないのは失礼だと俺は思います」
白をベースに、青いボーダーで上着を腰に巻いている。スカートまで白だからこそ、袖を通さない着こなし方が田中先輩らしく型に嵌まらないファッションなんだろう。
「あんがと。出会い頭に悪いんだけどさ、ちょーっとだけ待っててくれない?晴香に香織と待ち合わせてるんだよねー」
「あー、待ち合わせスポットとして俺を使いたいんすね。いいですよ」
「ありゃ、断られると思ったよ」
「そういうの昔から慣れてるんで」
まあ良いように扱われてた事例ならそれなりにある。
友達と遠出して駅前集合!目印は矢田な?だの、修学旅行の自由行動は迷ったら矢田君を探して頼りなさいだの。旅先のシンボルより地元の学生を待ち合わせ場所として、足元を照らす日々を送ってきた。俺が迷ってたらどうするつもりだったんだか?
「後藤なら絶対嫌がってるな〜!よし、二人には矢田が目印だって送っといたよん」
「そんじゃ暫く待ちます」
「よろしく〜!」
後藤って人は口ぶりからして先輩直属の後輩だろうか。誰にせよ普通は面倒くさいよな、待ち合わせ場所になって?だなんて奇妙なお願いは。
「田中先輩ってこういう祭とか好きなんですか?」
ただ無言で突っ立ってると、本当に何処かの銅像みたいな置物扱いに成りかねないから当たり障りのない話を振ってみた。つまらない質問は嫌がるかと身構えたけど、案外素直な返事が返ってきた。
「嫌いじゃないよ、学校や家から解放される感じがして。だから晴香と香織の誘いに乗ったの。矢田は誰かと来てないの?」
「俺は単独で乗り込みに来たっすよ!クラスの男友達は先約があったり、補習とかで来れないみたいで。そもそも昨日存在を知ったんで言葉通りに後の祭りっすね」
「出遅れかあ、引っ越したばかりじゃ流石に知らなかったか〜」
ワイワイ騒ぐなら出遅れた時点で相応しくない。でも記念撮影がメインなら一人で動くには寧ろ都合が良い。この目的には、あまりネガティブに思う気持ちは介在していない。
「あ、いたいた。おーい!」
現地集合だったんだろう、田中先輩の待ち人は思ったよりも早めに部外の後輩を視認した。
「本当に矢田君を待ち合わせ場所にしてたんだね……」
「偶然だよ晴香ぁ」
「こんちわっす二人とも、その通り偶然っす。私服似合ってますね!」
「ありがとう。それと嫌なら言ってね?あすかにしっかり言い聞かせるから」
「とんでもないっす、昔からこんな風に活躍してたんで!」
「それ活躍って言わないんじゃ……」
小笠原先輩は力関係では微妙な印象を受けるけど、中世古先輩は田中先輩を窘められる数少ない人物らしい。その優しさは何処から湧き出るんだ?
黒江だってそうだ。無償の優しさとでも言うべきそれを振り撒いて、徐々に周囲を引き寄せる。そうやって引き寄せられた一人として、俺はあいつに優しさを返し続けている──振り撒く側の、心を渇かせない為に。
「合流出来ましたしこれで失礼します。屋台グルメに景色が俺を待ってるんで!」
待ち合わせ場所としての役目は終えた、蜘蛛の子とまでは言わなくてもそそくさと立ち去って人混みに紛れよう。そのつもりで片手を挙げて後にした……つもりだった。
「え?矢田君は誰かを待ってないの?」
「ええまあ……田中先輩には話したんすけど、祭の存在を知ったのが昨日でして。誘うには遅すぎたといいますか!どいつもこいつも祭だったりそうじゃなかったりで」
「そうなんだ……和歌山から引っ越してきたって言ってたもんね」
「──良いこと思い付いた!ねえ矢田、私達と一緒に行かない?あがた祭に」
「んなっ、はあ!?」
「うん、私はいいよ」
青天の霹靂とでも言えば良いのか。雲ひとつ無かった快晴を引き裂く様な雷が、縣神社の空に轟いた気がした。青天と言うより夜空に近くて、宇治川の東にある山脈は赤く黒く変わりつつある。この人本気か!?同調してる中世古先輩もマジで言ってます!?
「いやいやいや田中先輩!俺、男。先輩方、女子。部活動ならまだしも学校の外で掛けていい台詞じゃないですって!変な噂立つっすよ!?」
「そ、そうだよあすか!しかも後輩だよ!?」
「えー?私はただボディーガードを頼もうとしてるだけなのに?みみっちい事気にするねえ二人とも」
良かった、少数派になると覚悟してたけど小笠原先輩はこっち側だ!流石は大所帯の部長なだけありますね!
「みみっちい事が面倒くさい事に進化するんでしょうが!面白がってません!?」
「軽い提案のつもりだけど?矢田みたいなのが並んでたら変な輩も寄って来ないでしょ。アンタはより賑やかに祭を巡れる、私達は安心して息抜きが出来る、これでどう?」
その俺に絡んで来る田中先輩は実質変な輩では?これは……幾らなんでも駄目だな、少し手間のかかる先輩でも失礼すぎる。小笠原先輩や中世古先輩に対してもだ。ここは俺なりにもう少し優しい断り方を……。
「い、いや、ありもしない噂で練習に身が入らなくなると駄目じゃないっすか!ねえ小笠原先輩!?」
「え!?だ、だよね!私もそう思──」
「そんなの気にして士気が下がる様じゃ、全国なんて夢のまた夢でしょ。妄想膨らませて騒ぐ奴に構う暇も無い、噂が事実になったとしても哀しみに暮れる暇も無い、って上を目指すなら嫌でも痛感するよ。練習する内にね」
「あすかはこう言うけど、私は平気だよ?折角引っ越して来たのに、つまらない思いをしてほしくないから」
「そんで、一緒に来る?無理強いはしないよん」
この先輩ストイックすぎる!吹奏楽に対してなのかユーフォに対してなのかは分からんが、演奏に対しての執着心が速乾性のボンドより固い。援護射撃も優しく狙い撃ってくるし……それなら、俺の答えはこうだ!
「……小笠原先輩」
「な、何?」
「時々こいつで、俺ごと景色も撮ってもらっていいっすか?毎回とは言わないんで」
「つ、使い方は教えてね……?」
その場の流れに身を任せて同化する──これが俺、矢田明宏の高校生活で培われた処世術だった。
「うーん、微妙に麺が違うようなそうでないような……和歌山と京都で?いやでも地方は同じ……」
「なんか考え込んでるけど大丈夫?帰りにたこ焼きとか買ったりしないの?」
「想像で十個入りのやつ食べたんで平気っす!あっ小笠原先輩、リンゴ飴持ちますよ」
「賑やかだね、香織」
「そうだね。吹部には無い雰囲気で新鮮だな〜」
結局先輩の口車と説得に圧されて、三人のボディーガードを勤める流れに落ち着いた。道中で屋台と提灯が照らす参道を写真に収めたり、頼み通り収めて貰えたりもした。
フィルムに限りがあるのを知ってた小笠原先輩は、一枚一枚をそれはそれは真剣な眼差しでファインダーを覗き込んでいた。さながら本職のカメラマンみたいに。案外俺よりカメラにハマったりして?
「それにしても京都は規模がデカいですねー、人酔いってこんな感じなんだって錯覚しそうっす!」
「矢田の住んでた所にも祭、あったんじゃないの?」
「祭自体はありましたけど、地域密着型みたいな?観光客がやってくるのとは違う……みたいな。見渡す限り人、人、人!なんて産まれて初めての景色っす!」
「ふーん……」
「しかも交通規制を敷いてるから車道も歩けるんすよ!水族館のバックヤードツアーみたいじゃないですか!」
「目線が男の子ならでは。って感じだね」
そりゃあ足を伸ばせば和歌山だって沢山の祭には行けたけど、孤児院の門限を破ってまで行くつもりは無かった。住んでた地域にも御神輿担いでよっこいしょ、とかならあったし。
俺にとっては孤児院に住んでる子供達の誕生日を祝う方が、余程祭らしさを感じていた。
「お?射的の屋台って都市伝説じゃ無かったんっすね!小笠原先輩、ちょっと一枚だけ──」
「矢田君。射的もいいけど、県神社はもうそこだよ」
「へ?」
中世古先輩が指し示した指先に、神社であると示す小さな鳥居が建っていた。その周囲を補う玉垣がその境界を強調するかの様にどっしりと構えられていて、神社の代名詞みたいな佇まいになっている。
「なんか意外っすね?さっき大きな鳥居を潜ったと思ったらまた鳥居」
「あれは一の鳥居だからね、本殿はこっちだよ」
先輩達に誘われるがままに、本殿に繋がる鳥居を潜った。祭囃子はそのままに、何処か神聖な空気に身を包まれている気分になっている。沿道では賑わいの冷めやらぬ中で不思議な感覚だ。
ソースやシロップの混ざる空気を吸っていた筈なのに、境内に入っただけで肺に吸い込むそれは別物みたいな錯覚すら覚えてしまう。
「県神社……なるほどここがゴールですね!」
「ゴール、って言うのも違うかも?」
「ささっお祈り済ませちゃおー!」
財布を取り出し、硬貨を漁って賽銭箱へ投げ入れた。後は先輩達の真似をして参拝。神社だから拍手じゃなくて、柏手だっけ?4人分の柏手から出る音は波になって、暗がりの境内に木霊した。
「オーディション、上手くいきますように」
「そんなのお祈りしても上手くはならないよ」
「それはそうだけど……」
中世古先輩の祈りを一刀で切り捨てる田中先輩。トランペットのパートリーダーであろうと願いたくなる緊張感、練習でしか補えない技術、正直どちらにも一理あるから困る。小笠原先輩の否定混じりの肯定に心の中で頷いた。願いを本当に神様が叶えてくれるなら、世界中の神社がパンクする。
「楽器も音楽も全部自分次第でどうにでもなるのに、神様に頼むなんて勿体ないよ」
「……それもそうだね。矢田君は何かお願いした?」
唐突に話を振られて、少し返答に窮した。
「俺っすか?特に何も。こういうの初めてなんで、先輩方の真似をしただけです」
「は、初めて?」
「はい、だって──」
神様なんて本当に居るのなら、俺を孤児になんかしなかっただろうから。どれだけ会いたくなってみても、産んだ親に出逢えた試しは無かったし。
でも神様が本当に居たお陰で、黒江と出逢えた。里子として京都の老夫婦に引き取って貰えた。そして北宇治高校で、こうやって何気ない高校生活も送れている。中途半端で矛盾していると自覚しているからこそ、こういう場所へ自ら足を運んだ記憶は一度たりとも無かった。
「──実家がド田舎すぎて縁が無かったんすよー!」
「どれだけ田舎だったの!?」
そんな憂いはこの人達には関係ないし、変に同情を誘って気落ちしてほしくない。折角時間を工面してまで訪れた先輩達の思い出に、ヒビを入れる真似はする訳にはいかなかった。こんな鬱屈としたもの、俺は墓まで持っていく。
「まああれっすよ、今のは祭を開いてくれてサンキュー!って気持ちのおひねりです!」
「お賽銭ってそういうのアリなのかな?」
「それいいね〜私もちょっとおひねり追加!」
「足りない気がしたんで俺も!」
「お賽銭箱で散財する人初めて見たよ……」
同じく音楽に関わっている人間だからわかる。聴く側は、些細な感情を受け取ってしまう。だったら、祈るならこの人達の、ひいては北宇治高校の未来の為に祈るとしよう──頼んだぜ、神様。
「それじゃあ帰りま……ん?あれ加藤ちゃんじゃない?何彼氏!?やったぜ加藤ちゃんがよ!」
「加藤ちゃん?ってあれは……田中先輩、隣の奴俺のクラスメイトっすよ!やるなあ」
「ほほー?つまりはクラスの垣根を越えてる愛だね!」
「二人とも、追いかけちゃ駄目だよー。見なかったフリ、ね?」
「わかってるぅー!」
……なあ神様。おひねり追加したからって、仕事すんの早すぎねーか?
「いいんちょー、取っ手の壊れたバケツどーすればいい?」
「水が汲めるといえば汲めるしな……まあ掃除も終わったし置いといていいぞ、帰り際に訊いてくるわ」
「了解。んじゃ部活だからまたね〜」
あれだけ賑わいを見せた祭の翌日でも、授業は当然あった。大半が訪れたらしいあがた祭の余韻に浸りつつ、黒板に記された授業の内容を板書していた。遊び過ぎたのか船を漕いでいる奴までいたし。これを危惧して昨日、松本先生は檄を飛ばしたな?
「井上さんも吹部の練習あるだろ、オーディションも近いみたいだし。解散でいいぞ」
「うん、そのつもり。委員長は何してたの?」
「学級日誌の確認。担当した連中の記入漏れを確かめてたんだよ」
「熱心だよね委員長」
「熱心っつーか、有り体に言うと義務感だけどなー」
出来る事ならフィルムを空になるまで撮影した、そしてしてもらった成果を吟味したかった。何枚か黒江に送りたいし小笠原先輩のお手並みも拝見したい。
でも解散した頃にはどこの写真館も既に時間外。祭で先輩方と柄にも無くはしゃいでたし、現物はまだ焼けていないし当然の帰結だ。
他には神社周辺で見掛けた塚本と加藤ちゃんとやらの行く末も気掛かりではある。あれからどうなったんだか?一緒に歩いていた以上、あの加藤ちゃんとやらを誘ったんだろうな。
「井上さんは、昨日のあがた祭には行ったのか?」
「当たり前だよ!万紗子につばめも連れてパーカス三人組で周ってたんだから!」
「うんうん、楽しんでるようで何よりだ」
「委員長は行ったの?」
「行ったぜ!主に写真撮影でな」
「今度見せてそれ!なんか気になるんだよね〜」
「まだ焼いてないから今度な」
本当に色々撮った。鳥居から珍しい屋台に県神社そのものまで。街の紹介目的で人混みそのものもフレームに切り取ったりもした。小笠原先輩には飯を頬張る俺を収めて貰ったけど、フィルムカメラだしピントが合っていると信じたい。
「やっぱり誘ってあげるべきだったかなー」
「俺を?」
「うん!最早パーカスの一員だし、あがた祭は初めてだろうから。誘おうと思ったけど、校外だとつばめが緊張すると思って……」
「オーディション前でピリピリしてんだろ?それに慣れてくれたとはいえ釜屋さんはまだ人見知りの気もあるし、それが正解だって」
井上さんは、同じパートの面々を思い遣れる良い奴だ。いきなり誘ってきた田中先輩がぶっ飛んでるだけで。
そう思案したのも束の間、副委員長は同級生から探偵へとジョブチェンジ。こちらを探る雰囲気を漂わせてきた。
「うーん……その後悔の無さそうな口振り、仲の良い同級生女子への態度、もしかして噂は本当に──」
「あ?噂?」
「や、矢田委員長!」
噂とやらを確かめる前に……その同級生女子かつパーカスの一員である堺さんが怯えつつも、驚きを隠せない表情で空いていた教室の後ろのドアから飛び込んできた。なんだなんだ?また前みたいに音楽室で捻くれた先輩達でも見たか?
「あれ万紗子、忘れ物?」
「どーしたんよ慌てて、深呼吸するか?」
「大丈夫大丈夫、それよりその……矢田委員長を探してた先輩があっちに」
「先輩?」
堺さんの言葉に釣られながらも教室の後ろのドアに顔を向けてみた。俺と関わってる先輩はそれなりに居るけど……?
そこには平均的な身長をした女子の、あまりにも大きく兎が耳を引っ張っても勝てるかどうか怪しい、あまりにも長いリボンを頭に生やした、二年の先輩らしき人物が腕を組んで立っていた。
「ランニングさせられた日も見たけどあんたよね、滝先生んとこの矢田明宏って」
「……なあ堺さん、同じデカめのリボン族の有識者として意見をくれねーか」
「えっと、その……委員長の肩辺りまではあるかもね?」
台風一過という言葉がある、台風は過ぎ去れば良い天気になるって意味だ。この前の音楽室の出来事がそれ。しかしその台風が勢いを保ったままだとしたら……俺は仁王立ちするでっかいリボンの二年生と、吹部に留まる台風を重ね合わせたくなってしまった。
短編の時はここまであすか先輩と絡ませる予定無かったんですよね、不思議です。10話になって原作主人公と出会うだけになってしまったのも不思議です、自分で書いておいて。