北宇治のまえせつさん   作:コーヒーまめ

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全部オリジナルじゃない、というのが中々に難しいですね。


13 それぞれのオーディション

 

「黒江、俺はとうとう果たしたぞ」

『うん、写真でちゃんと確認したよ』

 

 千里の道も一歩から、という諺がある。どれだけ果てしなく地平線の向こう側にある場所でもその一歩が辿り着く為の一歩になる、そんな諺だ。昔の人の知恵や発想が現代でも当て嵌まるってのは凄い。

 

「本当に苦労したぜ。この日の為に俺は質素倹約を心がけて生きてきたんだからな」

『寄り道も買い食いも我慢、してたんだもんね?』

「許せる範囲で奢ったりはしたけどな。それでも自分に遣うお金はとことん減らしたんだ、力一杯絞った雑巾よりすっからかんだ」

 

 古くから伝わる諺の通りにバイトを重ねて、その千里に辿り着いた。手に入れたと表現した方がしっくり来るかもしれない。ひけらかすつもりは微塵も無いけど、千里に辿り着いた成果を真っ先に旧知の仲へと伝えるべく電話を繋いだ。

 

「早速見せるぜ!えーっとここを押せばいいんだっけ」

『ふふっ。矢田君、それインカメラだよ』

「じゃあこっちだな、っし、どうよ!?」

 

 その千里の先にあったのは、本物のピアノと同じく白鍵と黒鍵が規則正しく並べられたキーボード。機種に合わせた組み立て式のスタンドがそれを支えている。

 屋根もハンマーも備わっていないのに人々は楽器と分類している。これで音が鳴る理屈は俺には良く分からない。

 

『わーっ本当にキーボードを買えたんだ!おめでとう矢田君!』

「サンキュー、四月からバイトを初めてもう二ヶ月以上。長かったぜホントによぉ」

『昨日届いたんだよね、もう弾いたの?』

「家で鳴らせるかを確かめた程度にな。一曲通したかって言われるとノー……いや、店で『猫踏んじゃった』とかは試奏したから弾いたっちゃ弾いたかな」

『ねえねえ、久しぶりに矢田君の演奏が聴きたいな〜!何かリクエストしてもいい?』

 

 珍しくグイグイと来る黒江から一曲せがまれた。前々から聴きたいな〜とか合奏したいな〜とか口にしてたし、そのつもりではいたけども。電話越しにちゃんと届くんだろうか?

 

「勿論!スマホ越しだと上手く音を拾えるか分からんが……何がいい?」

『一曲目は何にしようか迷ってたんだけどね、矢田君との思い出の『ムーンライト・セレナーデ』がいいな!』

「それなら他をあたってくれ」

『……えっ』

「その曲はまだ弾きたくない」

 

 レパートリーにあるなら引き受けるつもりで構えてたけど、せがんで来たのはよりにもよってその思い出の一曲だった。暗譜もしてる、指も動く、俺の意志だけがそれを拒否してしまった。

 

『えっと、どうして?キーボードが上手く鳴らないの?』

「いいや動作確認はきっちり済ませてる。そういう問題じゃねえんだ」

『そ、それなら忘れちゃったとか?あんなに上手に弾いてたんだよ?』

「一音たりとも忘れてねーよ、あくまで気持ちの問題だ」

『……どんな気持ちなの?』

 

 あの曲は、黒江と仲良くなれたきっかけの旋律だ。それまで一人で弾いてきた譜面にユーフォの音色が合わさった『ムーンライト・セレナーデ』は、ソロではもう物足りない。そこにはもう、黒江のユーフォとの合奏ありきな曲として俺の譜面に書き込まれている。

 

「なんだろうな、黒江が聴くなら一人で弾きたくねーんだよ。俺にとっての思い出なのも間違いねーんだけどさ、こればかりは一緒に弾きたいっていうか」

『私と?』

「誰かに聴いてもらう為に弾き始めたピアノが、誰かと弾く為のピアノにもなれるって分かった初めての曲だからな。そりゃあ中学の頃より上手くなったのも示したいし、こいつでの初演を披露したい。でもどうせ『ムーンライト・セレナーデ』を弾くんなら、俺はお前と合奏したい」

 

 これは単なる思い入れに過ぎない。押し付けの独りよがりでしかない。そう思ったきっかけの本人相手でも、貫き通したくなってしまう程に膨れ上がった思い出だ。

 

『それって……』

「恥ずかしいけどさ、また会う日までって意味。言わせんなこんな恥ずかしい台詞……」

 

 惚れた腫れたの話じゃなくて、切れて欲しくない縁だから。時間で風化して疎遠になってしまうより、何か強烈な楔を打ち込みたい。その楔を黒江がどう受け止めるかは知らないけど、今手放すと何処へ流れて行くか分からない、そんな儚さを内包しているのが黒江真由という人間なんだ。

 

『──そっか。それじゃ、その日までのお楽しみだね』

「悪いな、リクエスト募っといて」

『ううん気にしないで!そんな台詞を言われたら……私までそんな気持ちになっちゃった』

「まあ今合奏しよ、ってなっても断ってたけどな!電話だとズレがあって合奏とは言えないし」

 

 そのズレも出来るなら許容したくない。齟齬を許せば許す程二人のすれ違いは大きくなるから。それを埋める手段が、現状電話しか存在しないという矛盾がもどかしい。

 

『ふふっ、それもそうだね』

「他の曲なら弾けるぜ。何がいい?」

『それならあれが聴いてみたいな〜ほら、四月に送ってくれた矢田君の写った写真の!どんな曲を弾いてたか知りたいの』

「写真の……あれだな、よし。俺もこいつのオーディションを兼ねて弾いてやるか!」

 

 そういえば、黒江はオーディションに受かったんだろうか。黒江の技量を信頼していても、強豪校には上手い人達が集まるもんだ。そこだけが怖い、聞くに聞けない。たとえ、向こうが合否に拘りを示さない性格だとしても。

 

『矢田君?どうしたの?』

「いや、なんでも。一番矢田明宏、演目は『Let it be』。よろしくお願いします!」

『はいっ、それではお願いします!』

 

 そんな黒江にはせめて応援歌でも捧げよう。そんな気持ちで触れたキーボードの鍵盤は、叩いた瞬間にピアノより軽くつい深く押してしまう、機械らしく繊細さを要求される相棒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼しまーす。滝先生、校外学習のレポート集めて来ましたー」

 

 どれだけ自分の時間を過ごそうが部活動に励もうが、学校には学校の行事がある。吹部のオーディションと並行して京都の歴史や美術を巡る校外学習が行われた。

 京都観光に周る暇の無かった身からすれば貴重な体験ばかりだったけど、地元民のクラスメイトからすれば『何度か来たんだよなー』的な反応が何度かあったり。その分レポートで何を纏めるか頭を抱えていた。身近にあり過ぎると足を運ばないのはあるあるなんだろうかね?

 

「お疲れ様です矢田君、京都観光は楽しめましたか?」

 

 観光って言っちゃってるよこの先生……いや確かに観光気分で行事に参加したけども。なんなら班を主導して歩いたよ。

 

「楽しかったっすよ、引っ越してから京都中どころか宇治市を見て回る暇も無かったんで。レポートにその由も書いてみました」

「それは目を通すのが楽しみです。長く住んでいると見えてこない目線というものがありますから」

「……本当に読みます?レポートを」

「疑り深いですね、これでもクラスを受け持つ教師なのですよ。意外ですか?」

 

 はい、意外です。普段の放任主義な先生がやる仕事なのかと勘繰ってます、日本史や美術の先生の業務だとばかり。

 

「まあ多少……では確かにお渡ししたのでこれで」

「少々待ってください矢田君。貴方の予定に空きがありましたら、手伝って頂きたい仕事がありまして」

「仕事ですか、それは部活関連の?」

「お見通しですね」

 

 それならまたランニングで肩叩き、はちょっと勘弁してほしい。吹部の知り合いが増えたとはいえあれは敵を作りかねない。

 

「府大会に向けて音楽室の防音性を高めようと思いましてね、部員達から毛布の寄付を募ったのですよ」

「毛布……ああ、成る程」

 

 それだけ聞かされて、涙ぐましい吹奏楽部の資金繰りを連想した。

 音楽室ってのは、どこも音楽の授業さえ出来れば十分な設備としては完成されている。しかしそれが50人以上を有する部活が鳴らす音となると、音楽室では狭すぎる。なら防音室にでも改築すればいいんだけど、学校としては音楽系の部活ばかりにお金をかける訳にはいかないんだろう。そこで登場するのが、不要になった毛布だ。

 吸音材代わりの毛布を床や壁に敷き詰めて、跳ね返る音を小さくする。そうしてホールでの演奏に向けて普段より力強い演奏を意識するだけでなく、自分の音とも向き合いやすくなれるから。これは俺のいた中学でもやってたなあ。

 

「もう天日干しは済んだんですか?」

「ええ、昨日の晴れ間に有志が屋上で。立ち入れない屋上だと知るや否や、我先にと手が挙がりましたよ」

 

 くそっ、俺もそれに混ざりたかった!屋上で弁当広げながら駄弁ったり昼休みに寝転びたい!夜に星でも観測したい!まあ、憧れを叶えるなんて到底無理なんだけどな。主に安全面で。

 

「それが済んだのなら……何を頼むんです?」

「簡単な話ですよ、高い場所に届かない部員が多いですから。より吸音性を高めるのなら、体格の良い矢田君の助力を願えればと」

 

 特殊な役割じゃなくて人手ね、それならまあ平気かな。田邊先輩もそこまで身長高い方じゃないし、脳内の人脈だと塚本で精一杯かな。いたとしても男子が少ない部活だし。

 

「それくらいでしたら良いっすよ、やります」

「ありがとうございます、では早速向かいましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー釜屋さん、その赤い毛布取ってくれ。それなら面積足りるだろ」

「わ、わかった」

 

 滝先生の後に着いてきて音楽室へとやってきた。週一回の音楽の授業とは比較にならない人口密度に瞬間気圧されたものの、設営の男手と知ると直ぐ様あっちを手伝って!と顔見知りのパーカス部隊から手を引かれた。

 校舎の柱や扉、とにかく高所作業担当として毛布にテープを付けては貼り、付けては貼り。これ、練習が終わればまた戻すんだよな……夏休みならそのままでも良いかもしれないけど、授業期間は相当手間だよなあ?背の高そうな部員は……塚本と後、あの眼鏡の無表情な感じの人だけっぽいし、今後も暇なら手伝ってやるべきかな。

 

「ふう、今ならじっちゃん先生が音楽ホール建てんか!つってたのも頷けるわ」

「じっちゃん先生って?」

「中学の頃の音楽教師。滝先生みてーに吹部の顧問でな」

「そうなんだ……どこもこういう事やるんだね」

「まあ金持ち学校は除く、ってな」

 

 多分私立の格式高い所は自前の良い設備がある、窓も天井も雑音すら掻き消すだろう。それこそ清良女子なら自前の音楽ホールで練習しているに違いない。

 

「まっ、そんな事はいいんだよ。俺からすれば釜屋さんの方がずっと気になるぞ」

「えっ私?なんで?」

「あんまり大きな声では言わないけどさ──俺はてっきりその、オーディションの結果で落ち込んでると思ってたからな」

 

 キーボードを買ったのと時期を同じくして、北宇治高校吹奏楽部でもオーディションが開かれた。退部したらしい先輩を除いた総勢六十三名の一斉審査は、二日に分けて精査されたらしく結果待ちのパーカス組がやきもきしていた様子は目新しい。

 俺がその合否を聞いたのは部員向けの結果発表の翌日、ホームルーム前の気怠い朝だった。井上さんも堺さんも合格、塚本もA編成入りを果たしたらしい。この調子ならパーカスは全員……そう思ったのも束の間。

 

「うん、確かに最初は落ち込んだけど……初心者だし納得してる」

 

 釜屋さんだけが、B編成。つまりはコンクールメンバーに選ばれなかった。

 元々、自らリズム感の無さを自虐している節があった。マレットを持とうがスティックを持とうが合わせる事を苦手とし、練習を見学出来た範囲でもメトロノームから微妙にズレてしまう。全体の拍を合わせる部隊にとって、致命的だと見られた末のB送りなんだと思っている。

 

「あんまり悪い方に肯定すんのも良くねーぞ、もっとこう前向きにさ」

「どうやって?」

「例えばほら、釜屋さんってタンバリンとかカスタネットとか小物の扱いは上手いだろ?だから来年再来年に向けてそれでリズム感培うんだからー!てな感じで」

「来年の課題曲に、タンバリンとかが入ってれば良いんだけど……」

「あー……」

 

 現実問題、コンクールの会場で活躍する小物はほぼ見かけない気がする。『プロヴァンスの風』には辛うじてトライアングルが入ってたけど、恐らく田邊先輩か加山先輩の役回りになったんだろう。パーカスはとにかく種類が多い以上、一人二役以上を担う場合がある。そうなった時、当然幾つも役回りをこなせる部員に席を渡される。

 

「ま、まあそう落ち込まねーでよ。B編成だってコンクールはあるし、妹さんもいるんだろ?今度スイーツ奢ってやるから元気出せって、な?」

「……ありがとう、なんかごめんね」

 

 この子は時々負のスパイラルに陥る癖がある。練習やオーディションでも色々指摘されたのか、それを引き摺ってより調子が悪くなる。普段のクラスでは元気にやれてると良いんだけどな。

 

「余った物は壁に貼り付けてください」

「なんだ、みんなで泊まり込むわけじゃないんだ?」

「したければしてもらっても構いませんよ?私は帰りますけどね」

 

 更に落ち込みかけたパーカス組の眼鏡っ子を気にかけていた最中、毛布を敷き詰める様子を監督していた滝先生からの指示が飛んだ。学校で泊まり込みとか俺がやりてーよ。

 

「先生、終わりました」

「はい、ご苦労様です。これで音楽室の音は毛布に吸収され、より響かなくなります。響かせるにはより大きな音を正確に吹く事を要求される訳です。実際の会場は教室の何倍も大きい、皆さんはこれから、会場いっぱいに響かせるつもりで意識してください」

 

 先生の指導を聞き遂げた部員達からの返事は、早速毛布に吸いとられた。それはつまり、生半可な音量だとこうなるぞという証明になった訳でして。それに気付いた数名の顔色が真剣な目つきに変わった。

 

「では皆さん、練習を始めましょう」

「だったら俺はお邪魔だな。釜屋さん、井上さん達にもよろしくな」

「う、うん。またね」

「先生!その前に一つ質問があるんですけどいいですか?」

 

 全体練習前にそそくさと立ち去ろうとして、妙に鋭い声が先生の指導を遮った。その声の主は大きなリボンを頭上に乗せた吉川先輩。あがた祭りの写真を食い入る様に凝視していた光景が俺には忘れられない……が、今は中世古先輩愛の溢れ出す一面は鳴りを潜めていた。

 

 

「何でしょう?」

「……滝先生は、高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

 

 

 練習を止めたのは吉川先輩のぶん投げた爆弾でもあり、顧問と部員の信頼関係を揺るがす爆弾でもあった。以前贔屓するんじゃないのと問われた懸念が、こんな形で見せられるとは思ってもみなくて立ち去る足を動かせずにいた。どういう便宜を図ったかは分からないけど、室内のざわめきが止まない喧騒に変わる何かがあったんだ。

 

「それを尋ねてどうするつもりですか?」

「噂になってるんです!オーディションの時、先生が贔屓したんじゃないかって。答えてください先生!」

「優子ちゃん、ちょっと!」

 

 分からない問題を質問する雰囲気とは似ても似つかない剣呑な空気に違和感を覚え、こうなっている原因を知るべく事情を知っている筈の釜屋さんに聞いてみた。

 

「か、釜屋さん、何があったんよこれ?贔屓ってなんだ?」

「……トランペットのソロパート、パーリーの中世古先輩が吹くってみんなが思ってたんだけど、三年どころか二年生も押し退けてあそこにいる高坂さんって人が選ばれたの」

「それが贔屓になるってのか……?」

「なんでかは多分、聞いてれば分かるよ……」

 

 どうやら交流の少ないであろう釜屋さんですら、周知の事実らしい。何故こんな騒ぎになっているのか、その理由を。

 入学したての頃に一度喋った程度の間柄でしかないけど、素人ながら上手い奏者だとしか思っていない。先輩に対してもパーリーを任されるなら上手いとしか思っていない。それでも下級生が選ばれたのなら、そういう結論なんじゃないのか。そう考えた頭は二人の問答で直ぐ様滅茶苦茶になってしまった。

 

「贔屓した事や誰かに特別な計らいをした事は一切ありません。全員公平に審査しました」

「高坂さんと知り合いだったというのは!?」

「…………事実です」

 

 諦めの混じった溜め息が、暗に答えたく無かったという先生の意思表示にも思えた。都合の悪い毛布はそんな返答を吸わず、全部員の耳へと届く事態となってしまった。悲鳴にも似た驚嘆の声がそれを示している。

 

「父親同士が知り合いだった関係で、中学時代から彼女の事を知っています」

「何故黙ってたんですか?」

「言う必要を感じませんでした。それによって指導が変わる事はありません」

 

 あくまでも淡々と吉川先輩の言葉を翻す滝先生。その顔には、クラスで表向きに見せる笑みは一割も含まれていない。無関心だとは思っていたけど、無機質になれるとは思っていなかった。

 

「だったら──」

「だったらなんだって言うの?先生を侮辱するのは止めてください!」

 

 矢面に立たされても尚無言を貫いていた高坂さんが、遂に痺れを切らして啖呵を切った。あの時藤棚で叫んでいたのと同質の、怒りを十二分に含んだ言葉を先輩相手に投げつけている……少し危険だ。

 

「何故私が選ばれたか、そんなの分かってるでしょ?香織先輩より私の方が上手いからです!」

「っ、あんたねえ、自惚れるのもいい加減にしなさいよ!!」

「優子ちゃん、やめて!」

「香織先輩があんたにどれだけ気ぃ遣ってたのと思ってんのよ!それを……!」

「やめなよ」

「るっさい!」

「ケチ付けるなら、私より上手くなってからにしてください!」

 

 とうとう話題の一部に含まれていた中世古先輩や傍目に見ていた中川先輩ですら止めに入ったものの、彼女達の放つ言葉の応酬は止まらない。高坂さん側を庇う部員がいないせいで胸が痛い。

 こんな現場に居合わせた人間の発想ではないけれど、暫く留守にしていた施設に帰ってきたような、奇妙な懐かしさを感じていた。様々な事情の子供達が集まるあの場所は、日常では無かったにせよ、仲直りをしたにせよ……お互いに譲れない押し問答や髪の毛を引っ張り合う喧嘩が当然の日があったりしたから。あの場所は、預けられる原因となった大人や護る立場の大人だけが争う場所では無かった。

 

「……釜屋さん、後はよろしく」

「え?や、矢田君?」

「──まあまあまあまあお二人さん!毛布を敷き詰めたからって熱くなりすぎっすよ。もっとクールになりましょうよ」

 

 だからこそ、誰かの居場所たり得る学校や部活でそんな光景を味わって欲しくない。窮屈な思いで居て欲しくない──そう気付いた途端、俺の身体が勝手に動いていた。刺さる視線も、今の俺には通じない。

 

「矢田、あんたどういうつもりよ!?」

「吉川先輩、気持ちは今のですげー分かったっす。部員が集まってる時に問い質す潔白さも美点っす!でももう少し後輩に優しく出来ませんか?」

「どういう状況か分かってんのって言ってるの!大体部外者の分際で偉そうに……!」

「部外者だから好き勝手言ってるんすよ。高坂さんを庇ってる俺ならどんだけ悪者にしてもいいんで、ちょーっとだけ中世古先輩の顔、見てあげては貰えないっすか」

「っ……香織、先輩……」

 

 気丈な中世古先輩の目尻から零れそうな涙は、この状況にどれほど胸を痛めているのか部外者ですら手に取る様に把握出来た。その悲痛な表情は、逆立つリボンを宥めるには十分効果はあったらしい。

 

「高坂さんもさ、やな噂流されてムカついたのは分かるぜ?そんなの俺だってムカつく。でももう少し先輩に敬意を払えねーか?敬語だけじゃなくてな?」

「じゃあ黙ってなさいっていうの?大事な時に先生を侮辱しておいて!」

「それそれ!その先生への敬意を少しばかり先輩に向けてみねーか?実力で黙らせるにもリスペクトがねーとな」

「なによ、それ……」

 

 発言の意図が掴みきれていないのか、高坂さんは雑念を振り払うつもりで頭を数回振った後、不機嫌をそのまま足音で表現して音楽室から出ていった。

 これでいい、吉川先輩は滝先生や高坂さんに向けた敵意を水を差した部外者へと幾らか割り当てただろう。高坂さんも多少は俺相手に鬱憤をぶつけてくれればそれでいい。

 どちらにしても、顧問や互いへの矢印が向かなくなれば後は時間が解決する。そうやって保護された子供同士の喧嘩を仲裁してきた。今はただ、その孤児院育ちの経験則に賭けるしか無かった。

 

「先生、もう準備も終わったみたいですし用事があるんで帰ります。茶々入れてすんませんした」

「……わかりました、設営のご協力に感謝します。さあ皆さん手を止めないでください、練習を始めましょう」

 

 

 正直な話、高校入学以降初めて出しゃばり過ぎた自覚しかない。年下へのやり方が通用するかは本当の賭けだ。

 滝先生の号令で、椅子は運び込まれて各々が全体練習で使う楽器のチューニングに取り掛かる。経過がどうなるのか、トランペッター間の関係が修復されるのか、この日はその思案が俺の脳内を独占していた。




アニメで例えるなら1期9話はほぼ省いた感じですかね。それと予告になりますが、11話〜13話も殆ど省かれます。原作に矢田君の出番は無いので……その代わり、別の視点で話を書き足す予定です。
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