北宇治のまえせつさん   作:コーヒーまめ

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ほぼオリジナル回です、時系列的には再オーディション前になります。


15 矢田明宏調査命令、再び?

 

「ねえ、矢田明宏って知ってる?」

「何〜急に」

 

 真っ白で短い袖の制服を着てもまだ暑いと文句を言いながら部活に励み、パート毎にまちまちな帰宅時間の日常にもすっかり慣れて。下校の楽しみは葉月ちゃんに緑ちゃんの三人でお菓子を頬張ったり、麗奈と語りながら終点まで揺られる生活を過ごしていたある日の事だった。

 

「ずっと吹部の何処かで噂になってるから。気にならないって言えば嘘になるし」

「麗奈がそんな噂を気にするなんてなんか意外」

「私自身も少しだけ興味はあるけど、香織先輩が休憩中に時々話題にしてるから。低音ならあすか先輩から聞くんでしょ──川島さんと加藤さんも、何か知らない?」

 

 珍しい、それどころか四人で肩を並べて駅の構内のベンチで座っている。北宇治に入学してから初めてな顔ぶれに、私は少しだけ心を躍らせていた。

 

「はい!勿論知ってます!」

「私もー」

「まあ入部した頃から散々、あすか先輩から勝手に話してくれてたからねー……本当に色々」

 

 府大会や再オーディションの日が近付いても尚、平常運転なあすか先輩は矢田君の話に華を咲かせていた。倉庫でのテンションをそのまま根城に持ち込んで来ているので、つまりは機嫌が良い。

 

「麗奈ちゃんのパートではどんな噂を聞くんですか?」

「お昼休みとか、パート練習前に音楽室から少し聴こえるピアノが矢田の演奏……って位。香織先輩曰くノリノリになれる演奏だって」

 

 麗奈の耳にする噂話は、人間関係ではなく音楽に関わる内容だった。あすか先輩も最初はそんな話をしていたけれど、徐々に餌を垂らして勧誘する方法を練る作戦会議が主な議題になっていった、なんだか低音のウチとは毛色が違う。

 

「低音だとどんな噂が流れてるの?」

「噂というよりは策略だよね〜」

「ですね、如何にして矢田君を勧誘するか!どうすれば低音パートに引き込めるか!そんな話が主でした」

「でも時々妙な話を持ってきてるよねあすか先輩。ドラムメジャーを任せられる腕前とか言ってたり、パーカスの先輩と良い感じって噂もあった!」

「……何それ」

 

 パート次第で流れる噂の中身が違う事に呆れた顔をする麗奈。私達も毎日とまでは言わなくてもそんな顔になってるんだろうなーと、鏡でも覗いている錯覚を覚えた。

 

「少なくとも、悪い噂ではないよね」

「みんなはどう思ってるの?」

「私はあんまり良い印象じゃなーい、だって初対面で騙してきたんだよ!図書室に居ないどころか声を掛けた男子が矢田明宏だったんだもん!」

「……加藤さん、本当に何それ?」

 

 葉月ちゃんからの評価が微妙に悪い。まあ言われてみればそんな過去もあったような、という程度の記憶なら私にも残ってる。

 パート決めのあの日、姿を見せなかった矢田君について探りつつあわよくば勧誘してきて!そんな命令があった気がする。結局不発に終わって小言を言われたけれど。

 

「私も最初は良い印象ではなかったんですけど……思い直す機会があったんです」

「そんなのあったんだ?」

「はい!私写真係なんですけど、サンフェスの写真は流石に撮れなくて。でも、ふと写真を挟んでるアルバムを開くとサンフェスで行進する写真があったんです。それを見ていたら矢田君が撮ってくれたと、パーカッションの沙希先輩が教えてくれたんですよ。緑もしっかり写っていたのでなんだか誇らしくなりまして!もう鼻高々です!」

「そーなんだ、そんな親切をしておいてなんで騙してきたんだろ?」

 

 あの頃はまだ入学間もないのを加味しても、矢田君からあすか先輩への印象が固まっていない時期だと思ってる。初日に何かしら二人が接触している仮定が事実だとしたら……きっと本人は不用意な接触を警戒する予感がする。部活動の一環で周囲に繋がりがバレたけど、嘘をついた彼の行動は理に適っていた。

 

「あすか先輩から和歌山出身って聞いたし、警戒してたんじゃないかな」

「警戒?もしかして、私達を?」

「どうだろうねー。京都にも馴染めてないのに、入学初日にあすか先輩と出くわしたみたいだし。そんな目に遭ったら正直、私でもはぐらかしちゃうかも」

 

 見知らぬ土地で、見知らぬ生徒に絡まれる。それを遠ざけてしまうその気持ち、どうしてか少しだけ分かってしまう。あすか先輩という存在がその警戒心をより強めてしまった。それに私、葉月ちゃん、そして緑ちゃん、その背後に低音パートのリーダーの影を見出してあの対応になったんだろう。

 

「うーん良い奴なのか悪い奴なのか分かんなくなってきた……」

「じゃあ、本人に直接確かめてみない?どんな奴なのか」

 

 葉月ちゃんの疑問でスイッチが入ったのか、善悪の判断を本人に委ねようと突飛な提案をしてきた麗奈がいた。この前先輩達をうざいと言ったり、滝先生への愛を告白した麗奈とは別の、なんだか悪戯っぽい微笑を浮かべている。

 

「いいですね!みどりも矢田君に興味あるんです!」

「でもさ、またはぐらかされたらどうするー?」

「だったら逃げ道を塞げばいいでしょ。私が言うのも変だけど、音楽室で喧嘩を仲裁出来た度胸はあるんだし。今更詰め寄られて逃げるだなんて私は思わない」

「何今の悪役みたいな台詞〜」

 

 一瞬、隣から肘で小突かれた。痛くもなんともないその攻撃は、最早じゃれ合いとして私達の関係に溶け込んでいる。

 

「では何時にしましょうか?みどり達の練習もありますし、お昼休みがいいですよね」

「これはあれですな。あすか先輩からの調査命令、そのリベンジってやつ!」

「それじゃ決まり。クラスに突撃も良いけど……矢田の演奏も直接聴いてみたいし、音楽室にいる所を狙ってみたいし──」

 

 

 こうして電車が来るまでの僅かな間に、標的に接触する作戦を練る事になった。私はそこまで気にならないけど、みんながなんだかやる気を出している所を見ると、とても面倒くさいと水を差す気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いました、矢田君です!」

 

 急拵えの作戦通りに五組の時間割を調べて、音楽の授業が四時間目……つまりお昼休み前にある事を突き止めた私達は、ひっそりと音楽室に忍び寄った。噂話を元に立てた作戦が上手くいっている証拠に、矢田君本人は確かに音楽室にいた。扉越しでも確認出来た。

 

「全体練習以外で音楽室に来るの、私初めてかも」

「選択で音楽を取ってないと来ないもんねー」

「……肝心の矢田は何してるの?」

 

 矢田君はというと、ピアノの前に座らずにその周りをゆっくり沿うように歩いていた。何かを胸の前で掲げながらうろうろしてるけど、再確認する前に身体に隠れて見えなくなった。

 

「ピアノを弾くって聞いてたのに、弾いてないね」

「居残りなのかな〜」

「弾ける人間が居残りさせられるとは思わないけど。数学の成績も良かったし」

「なんで麗奈が知ってるの?」

「期末テストの成績が貼り出されてたでしょ、その時に名前だけは見たことあるから」

 

 なんというか、凄く麗奈らしい認識の仕方だった。特別になりたがるその姿勢は演奏だけでなく勉強にも活かされてる。科目が科目だけに、私には不可能な喧伝だった。

 

「ふむふむ、あれはもしかして……」

「どうしたのみどり?」

 

 緑ちゃんが何かの正体に勘づいたその直後、どこか古めかしい音が扉越しに聴こえてきた。私達にとって馴染みがあるようで、なんとなく聴き覚えのない一昔前の音。少なくともピアノから発せられた音じゃなかった。

 

「やっぱりそうです、ピアノを撮影してます!」

「それって、サンフェスの写真を撮ってたやつで?」

「そこまでは分かりませんが……ファインダーを覗いていたのでスマホじゃないのは確かですね、歩いていたのも構図を探っていたんですよ」

「よっ、名探偵!」

 

 拾えた音と、視認した情報からの推理……今の緑ちゃんには、探偵が被っていそうな帽子と虫眼鏡が似合う、なんとなくそんな気がする。こういう時に発揮される聡明さが私には眩しい。

 

「──ねえ、矢田がこっち見てるけど」

「えっ?」

 

 葉月ちゃんと名推理に感心していると、麗奈が窓から顔を覗かせたままそう告げてきた。釣られて私も顔を出してみると、コソコソしすぎて勘付いた操作対象が目を凝らしてこっちを見てる。何処からどう見てもファインダーなんて覗いていない。

 

「……もしかして、バレてる?」

「もうバレてるでしょ。そもそも隠れる必要なんてなかったと思うけど」

「それはまあ、そうだけど……」

「ど、どうしましょうか……?」

 

 矢田君の事を調べるだけなら隠れる必要なんてないし、最悪秀一にでも訊けばいい。そもそも実行に移した作戦に真っ向から疑問に思った麗奈を、私達は否定出来なかった。

 

「もういい。直接話した方が早い」

「ちょっ、麗奈!?」

 

 やはりこういう時に性格が表れる。頑固でストイックで周囲の目をものともしない、そんな麗奈の手は音楽室の扉をいとも簡単に引いてみせた。引き戸のレールを滑る扉が甲高く響く。

 

「なんか騒がしいって思ったら高坂さんか、昼休みも練習すんのか?」

「違う、個人練なら他所でやる。今は矢田に用があって探してたの」

「俺に?それって、後ろにいる誰かさん達も関係あるのかよ」

「そうだけど。なんで入ってこないの?」

 

 未だ音楽室の外にいる私達にも気付かれている。開かれた以上は隠れる理由も無くなったから、二人と頷き合って廊下から音楽室へと踏み出した。

 

「お、お邪魔しま〜す」

「やけに大所帯だな。全員吹部?」

「そうですけど……私達の事、覚えてないんですか?」

「クラスにも吹部の奴はいるし、顔も出したんだけどな。流石に全員は覚えてない、すまん」

 

 それもそうだと納得はした。あすか先輩みたいに何度も絡む訳でもなければ、同じクラスでもない。こっちは矢田君を個人として認識していても、向こうは吹奏楽部という括りでこちらを見ている。葉月ちゃんを通して会話をしたあの日は、矢田君にとっては軽くあしらっただけに過ぎないんだろう。

 

「そんで、用ってなんだ?」

「矢田がどんな奴か知りたいだけ。噂でしか知らないから確かめに来たの」

「そういうパターンか……似てるなあ」

 

 持っていたカメラをケースに仕舞いながら、聞こえる音量でボソッと呟いた。何かしらの法則性を見出す程度には話しかける生徒は多いらしい。

 

「どんな噂を確かめに来たんだ?」

「音楽室でピアノを弾いてるって聞いた。パーカッションの練習前にもね」

「後はあすか先輩を振り回してるとか……」

「お花屋さんでアルバイトをしてるとか、実はドラムメジャーになりたがってたとか!」

「あのっ、沙希先輩か香織先輩のどちらかを好きだと聞いたのですが──」

「多い!!脳みそが知らねー範囲の噂が多い!!大体合ってねえ!!」

 

 口々に噂話を引き出した途端、冷静に応じていた矢田君から盛大なツッコミが入った。低音パートでは概ね、あすか先輩フィルターによる脚色がされている訳だし確かめようが無かったんだよねー……やっぱり苦労人なんだ。

 

「ピアノだけなら弾いて証明出来るけどなあ」

「ふーん、じゃあ学校で弾きたくて弾いてるのは本当なんだ」

「まあな、先輩達のリクエストにも応えたりしてたし。高坂さん達に聴かせてもいいんだけど……その前に」

 

 顔を麗奈から私や葉月ちゃんの方へと向けて、一方的に知っていた話をこちらに振ってきた。それは自然体で続いていた会話で生まれていた、違和感の正体だった。

 

「そっちの三人の名前を聞いてもいいか?どうせ俺の方は知られてるし、こっちからは省くぞ」

「……そうでした、最初は松本先生の校内放送で知ったんですよね」

「加藤葉月!チューバ担当だよ」

「えーっと、私は黄前久美子。一応ユーフォニアムをやってるんだ」

 

 葉月ちゃんの名前で何かを思い出しそうな思案顔をしたかと思えば、私の名前を聞いた途端に何かを閃いて、一瞬で憐れみと同情の入り混じる顔になった。なんだか、あすか先輩の被害者としての目を私に向けられている気がする。

 

「布石か伏線か、ここに来て一気に回収したなあ……んで、そっちは?」

「……ううっ、やはりこの瞬間が一番つらいです」

「みどり、頑張れ!」

 

 私達の中では『みどりちゃん』で定着してるけど、本名は『サファイアちゃん』。初めて会った時も恥ずかしそうにしてたけれど、今でも羞恥心が顔に出てしまうみたい。葉月ちゃんが友達の背中を押した。

 

「わ、笑わないでくれますか?」

「名前に笑う要素とか普通ねーだろ?」

「普通じゃないんですぅー……」

 

 深く息を吸って吐き、漸く決心がついた緑ちゃんが身体以上に小さい声で、指を組み替えながら自分の名前を口にした。

 

「…………川島、緑輝です。コントラバスを弾いてます」

「サファイア?」

「あ、あのっ!出来ればみどりと呼んでくださ──」

「──すっっっっげえカッコいい名前だな!なんて字を書くんだ!?」

「え!?あの、えっと、緑に輝くと書いて、サファイア──」

「緑が輝いてサファイアか!めちゃくちゃカッコいいなサファイアさん!いいなー宝石と同じ綺麗な名前を貰えるなんて、愛されてる証拠だな!」

「あ、あうう……みどりでお願いしますぅ……」

「目立つのは恥ずかしいか、オッケーオッケー!いきなり愛称もあれだし、とりあえず川島さんって呼ばせてもらうな!」

「なんだいい奴じゃん、矢田明宏」

 

 そこに憐れみや好奇心は微塵もなく、純度百パーセントの褒めちぎる系男子が立っていた。

 世間一般ではキラキラネームに分類されているであろう緑ちゃんを、一ミリたりとも馬鹿にも同情もせず、純粋にカッコいい名前だと名付けた家族までも褒め尽くした。裏も表も存在しない称賛からは、まるで自分も宝石の名前が欲しかった、とでも言わんばかりのトーンが込められていそうな勢いがあった。

 松本先生が初めてクラスの点呼を採ったあの日……周囲に無関心だった私に出来なかった対応を、自然体でやってみせた。嬉しいような、悔しいような。

 

「名前も知った事だし、噂を確かめて貰うとするか!どんな曲がいい?」

「た、楽しい曲がいいです……」

「私は初心者で音楽の事とか知らないし、お任せ!」

「矢田の事を知りに来たんだから、あんたの好みで良いと思う。ね、久美子」

「あ、うん、好きな曲で良いかな?」

「そう来たか……」

 

 リクエストにリクエストで返すという、ある種の無茶振りに矢田君は頭を掻いている。

 

「好き勝手弾いて良いんなら、いやでも歌う奴がいないしなあ……」

 

 疑問を呈しながらも鍵盤蓋を持ち上げた。零した言葉を信じるなら、クラシックに代表される曲選じゃない。流行りのポップス、もしかしたらお父さん世代のレトロな歌謡曲、なんてのもあり得そう。

 僅かに手首を回してから、矢田君は鍵盤に指を添えた。それを合図に麗奈はただただ真剣に、葉月ちゃんは興味深そうに、緑ちゃんは気持ちが切り替わったのか、ニコニコしながらピアノの蓋に手を掛けている。これから始まる演奏会に、それぞれの楽しみ方で臨んでいた。

 

「──あっ!」

 

 素早い前奏が始まった瞬間、緑ちゃんが驚嘆の声を上げた。演奏中に出てしまった恥ずかしさを、両手で口元をバッと抑えて堪えた。伴奏を支える左手も、高低差のあるトリルが続く。

 その緑ちゃんの驚嘆にも驚いたけれど、それだけじゃない。鍵盤を力強く叩かれた弦の音が粒になって、私の顔にぶつかってきた。たとえ話でもなんでもなくて、肌が震えている。コップに水を張っていたら水面が揺れていてもおかしくない、肩を揺さぶるような音圧で震わせてくる。曲には聴き覚えがあったけれど、独奏で出していい圧じゃない。何故なら『怪獣のバラード』は、合唱曲だから。

 まだ北中にいた頃。合唱コンクールの候補に挙がっていたそれは、クラスでピアノを弾ける子が速くて難しいと断られて違う曲になった。結局別のクラスが歌う流れになり、その合唱コンクールで聴いたのが私にとって初めての『怪獣のバラード』だった。

 

 噂が正しければ矢田君のピアノ歴は八年……そのソロはどこか、特別だった。

 

 合唱曲の伴奏だけで特別な技術まで私には測れない。なのに音の全てが大きい。耳と目を奪われる演奏は頭の中を掻き回し、一つの光景を見せつけられる。歌っていない歌詞が勝手に浮かぶ。砂漠でのんびり暮らす怪獣が、鈴の音をきっかけに心を知って旅立つ。その光景は人によって違うけど、演奏を聞く観客に絶対に何かを突きつけている。

 サビの前にあるクレッシェンドで熱を帯びた頃、緑ちゃんが鼻歌で混ざり出してアンサンブルになった。それに気づいた奏者がアクセントをより強めて、怪獣の旅立ちに焦点を当てていく。大袈裟かもしれないけれど、体格も合わさって本当に怪獣が弾いていても不思議じゃない……見栄も虚勢もない、純粋に音楽を楽しんでいる光景が今日の音楽室にはあった。香織先輩が陽気になれたのもこの演奏なら頷ける。

 

「ご清聴、ありがとうございましたっと」

「本当に弾けたんだ……」

「矢田君、上手いね」

「──力強くて凄かったです!素敵なお昼休みになりました!」

「それはこっちの台詞だな、川島さんがソプラノで混ざってくれて指が軽くなったっていうかさ。やっぱり音楽って誰かと奏でると楽しいよな!好きな曲を好きな形で弾けるっていいな!」

「みどりもそれ分かります!合奏をすると音はハーモニーになって何倍にも膨れ上がるんです、音楽の醍醐味が合奏には詰まっていますので!」

 

 二番まで弾ききったピアニストが、鍵盤に蓋をして私達に礼をした。慣れた様子の所作からは数をこなした実績を感じ取れた。

 軽く拍手をしながら噂が真実だった光景に驚く葉月ちゃん、それとは別に賑やかな空間で過ごせた喜びで賛辞を贈った緑ちゃん。私も二人に合わせて拍手をしたけれど、一言も発さない麗奈の様子が少し気になった。

 

「ありがとな、今日はわざわざ来てくれて。お陰で中学時代を思い出して楽しかったわ!」

「あ、こちらこそって感じだよー。元はと言えば噂話に過ぎなかったのに」

「どうせその噂話、田中先輩が情報源なんだろ?」

「気付いてたんだ……」

「チューバにユーフォにコントラバス。低音パートの楽器が揃い踏みだしな、最初は副部長の差し金かと思って身構えたんだぜ?お陰でこっちも『黄前ちゃん』とやらがどんな奴か確かめられたけど。苦労させられてるんだな」

「ほんとだよぉ……」

 

 パーカッションの練習に入り浸るだけあって、吹部の楽器構成を知っている矢田君。その正体は部員でこそ無かったものの、同じ先輩に振り回されて苦労する北宇治高校の一生徒だった。

 

「さーて噂も確かめてもらえたし。みんな、次の授業は平気か?昼飯がまだなら急げよ」

「私は平気。もう済ませたし」

「嘘っ、もうすぐ昼休み終わっちゃうじゃん!行こうみどり、久美子!」

「急ぎましょう!それでは矢田君、落ち着いた日にまた聴かせてくださいね!」

「おう、またな〜」

 

 このままだと、お弁当を開けずに家へ持って帰ってしまうしお腹も空いた。お昼を済ませた麗奈を置いていくのは申し訳ないけれど、私も二人を追って戻ろうとした。

 

「麗奈ー悪いんだけど現地かいさんで──」

「──矢田、あんたに聞きたい事があるんだけど」

 

 間が良いのか悪いのか、神妙な面持ちの麗奈は何かを聞きたくてタイミングを見計らっていたみたい。何を聞きたいのか、これから二人が何を話すのか、気になった私の足は扉の前で止まっていた。

 

「まだ知らねー噂でもあんのか?」

「違う。滝先生に信頼されてるあんたになら話せる事」

「なんか怖いな、高坂さんとは数回しか喋ってねえのに」

「……滝先生は怖くないでしょ?五組の学級委員も任されて、部活の練習だって手伝ってるじゃない」

「噛み合ってねえな……まあいいけどさ」

 

 麗奈の中では滝先生愛で溢れすぎて、どこか妄信的なきらいがある。先生の指導は全て肯定するし疑いもなく従う。先生が信用を置いている人間というだけで、好感度を引き上げてしまう。今の矢田君への言動がそうだった。

 

「で?話って?」

「明後日、トランペットのソロパートで再オーディションがあるの」

「あーなんかパーカス連中が言ってたな、ホール練習の際にやるとかどうとか。中世古先輩たっての希望だって」

「矢田は私か香織先輩、どっちがソロに相応しいと思ってる?」

 

 不安混じりの質問には聞こえない。でも確かめるように問い質すその言葉は、先生本人には訊ねる訳にはいかないからこそ真っ直ぐに彼へと向けられた。それを聞かされた矢田君は、一小節分の休符を挟んだ後に語り出した。

 

「二人の演奏は一度聴いたけど、どっちもソリストを任せられたっておかしくない。高坂さんならあの頃よりも絶対上手くなってるだろうし、中世古先輩の演奏からもトランペット愛をひしひしと感じた。聞いたら怒るかもしれねーけど、全国を目指すってんならどっちでもいいと思う。ただ……」

 

 部員じゃない立場から飄々と紡ぎだす矢田君の言葉を、黙って麗奈は聞いている。何時麗奈は演奏を聴かせたんだろう?なんて私の疑問よりも強く、接続詞からの続きを待ち望んでいる。

 

「俺がもし吹奏楽部にいて、オーディションをピアノでもそうじゃなくても受けるとして。それが公開オーディションなんだとしたら……真面目に、力尽くで奪い取る。ソリストっていうからには、相手を、観客を、その先の大会で聴かせる審査員の心だって一人で揺さぶるんだ。だったらやる事は場に溶け込むことでも、包み込むことでもない。これが北宇治のソリストだって認めさせる、眩しさを放つことだな」

 

 その言葉はさっきのピアノとは違って途切れながらも、ユーフォやトランペットみたいに息継ぎを挟みながらしっかりと。その音をただ、私達は飲み込んだ。

 

「まっ、俺ならそんな勝負の世界なんざ御免被るけどな!ひりついた音楽なんて楽しくねーし!あっ、俺はもう教室に戻るから戸締まりするぞー」

 

 予鈴が鳴る前から、窓を閉めようと立ち上がる矢田君。開け放たれた窓を、一つ一つ閉めていく。それでも彼一人に任せるには数が多い気がして入り口近くの窓を閉めた。

 麗奈はただ一人冷静に、言葉の意味を反芻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ〜涼しい〜」

 

 昨日と違って、二人きりで電車に乗った。葉月ちゃんはB編成で出された課題曲で悩んでいるらしく、みどりちゃんが相談に乗ると言い出してコンビニ前で別れた。

 

「私もコンビニに寄れば良かったかな〜暑いし」

「電車に乗れば済む話でしょ」

「いやーそうだけどさあ……」

 

 仮に一緒に帰っていてもみどりちゃんはホームが違うし、葉月ちゃんは同じ電車でも途中で降りる。私達だけが、終点まで乗っている。

 

「そんな事より久美子」

 

 じめじめとした暑さは心頭滅却。張り付く様な暑さに負ける麗奈を、私は見たことが無い。

 

「どうだった?矢田明宏の事」

 

 結局お昼休みの邂逅の後も、二人は別れの挨拶以外に言葉を交わさなかった。何かを考えるのに無心になっていた麗奈は、私が引きずる形で漸く音楽室から離れられる程に考え込んでいた。

 

「矢田君?どうって言われても、ピアノ上手かったなーとか、流行りの歌じゃなくて合唱曲が好きだなんて意外だなーとか」

「正直、私は嫉妬した」

「なんで?」

「久美子も聴いたでしょ、矢田の演奏。私もピアノは少し出来るから分かるけど、噂になる程度の演奏なんてたかが知れるって思ってた。周りが持て囃してるだけって。でも実態は違ってた、想像を越えてきた。滝先生が認めた実力は本物なんだって」

「どうしてそこまで褒めるの?」

 

 麗奈はあくまでも、演奏について語っている。学校のあちこちで脚色された噂話ではなくて、技術そのものを。音楽室で直に聴いた、あるピアニストの音色を。

 

「……前奏のトレモロが連なる所。誤魔化して次の音符に繋げたっておかしくないのに、妥協せずにスラーの最後まで弾ききってた。全部の音にスタッカートが乗ってるって言われても納得出来る勢いで弾いてたら、ミスタッチの一つでも出るかと思ったけど……それらしいミスなんて無かった。川島さんが歌で混ざった瞬間だって、ズレるどころか音量を抑えて迎え入れてた。アクセントだって分かる勢いは崩さずに」

「麗奈がそこまで絶賛するんだ……」

「あそこまで音楽に打ち込める人間が、吹部にも軽音部にも入らないのは意外だったけど聴いてて分かった──矢田はもう、何かにとっての特別になってる」

 

 絶賛する同じ口から飛び出した特別、という言葉に麗奈は少しアクセントを付けた。

 

「だからそう在り続ける為に、噂通りピアノを弾いてる。入部しなかった本当の理由は知らないけど、矢田なりに特別であろうとして出た結論が『帰宅部』なんだと思ってる。そこには吹奏楽部のパートも肩書きも邪魔なだけ。だって、既にピアノがあるから」

 

 強くあろうとする麗奈だからこそ、特別になりたがる麗奈だからこそ、矢田君がどういう特別なのかを理解しようとしている。きっと今日の出会いは麗奈にとって、特別になる為の刺激となっていた。

 

「ねえ久美子。私、特別になれると思う?」

「なれるよ。麗奈なら」

「言うと思った」

 

 

 車窓で移りゆく景色を眺めていると……知っておいても損はしない、吹奏楽部のデスティニーにもなり得る、そんなあすか先輩の言葉が脳裏に浮かんで来た。麗奈だけでなく、一人ひとりに僅かでも影響を与えつつある矢田君という存在。もしかしたら本当に、吹奏楽部の──。

 思考をゆっくりと巡らせようとした時、ブレーキで余韻を残しつつ電車が停まった。ぷしゅーと大げさに音を立ててドアが開く。最寄り駅に着いたのを確かめて、二人揃って電車を降りた。

 府大会まで、ニ週間と少し。家路につく足取りは暑さとは裏腹に軽やかだった。




実際に北宇治カルテットが揃うのは本来もう少し後なんですけどね。本作最長です。
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